餅のアイスとうたた寝と二連散弾銃
もしWPSが発足した上で、世界が終わっていたらというIFです。
冬場のアイスって、どうしてこうも美味しいんでしょうね。
おこたに入ってのんびりして、休暇を堪能しつつ甘くて冷たい御菓子をぱくり。これほど幸せな瞬間って、そうないと思いますね。
表面に求肥を纏わせたお気に入りのアイスを開封。テレビでは数分後に始まる映画の期待を煽るCMが流れていて、休日の夜を愉しむ準備は万全です。
さぁ、この幸せな感覚を堪能し……。
「おい、起きろ馬鹿たれ」
「はっ……」
前歯が触れるか触れないかという所で、僕の意識は幸せな夢から引き摺り出されました。ぬるま湯のようなコタツから引っ張り出されるように。
「お前、このクソ寒い中良く眠れるな」
呆れた声に上向けば、そこには呆れを通り越して不思議そうな班長の顔がありました。
回りを見れば、幸せな休日の残滓は何処にもありません。実家の落ち着く居間も、暖かな掘りごたつも、大好きなアイスも、気になっていた映画も。
あるのは微かな熱を与えてくれるドラム缶の焚き火と、抱きかかえるように持った垂直二連散弾銃。急造の灰色に染まった野戦服は暫く着替えられていないので着心地が悪くなってきて、右肩へ適当に縫い付けたWPSの記章が解れてぶらついていました。
「ああ……すみません……」
「休憩中だから構わんっちゃ構わんが、凍死されると適わんからな」
班長は仕方のない奴めと笑い、咥えていた煙草を放り投げました。灯りがあって尚暗い闇の中に赤い光りが尾を引きながら飛んでいき、僕はそれをみてはしたないと咎めようと試みて……。
馬鹿馬鹿しくなって止めました。
だって、誰が気にしますか?
こんな、腐った死体が這い回る終わった世界で煙草をポイ捨てしたくらいで。
まぁ、深く説明する必要はないでしょう。何処かの背が低い誰かが仰った通り、運が悪い奴が沢山いて、どうしようもない方向に物事が転んだだけです。結局、何事も運なんですよ、運。
望まない仕事に就かされたのも運。その仕事のおかげで黙示録の第二幕を生き延びてしまったのも運。こうやって拠点で細々抵抗し続けているのも運です。
「西4km先にデカイ集団が来たそうだ。処理に出るぞ。やれるな?」
「ええ……珈琲くらい飲む時間は欲しいんですけど」
班長からの命令に、そんな軽口を返せるくらいに僕も擦り切れてしまいました。これがかつての初々しい僕だったら、半泣きで返事するくらいしかできなかったでしょうね。
「んな贅沢な時間が何処にあんだ」
胸元に投げつけられる紙箱は、12ゲージのスラッグショット。明らかに正規調達されたとは思えないそれは、きっと何処かの銃砲店からかっさらってきた品でしょう。今や自衛隊や警察にも、そして孤立した我々WPSの一部部隊にも十分な銃弾なんてないのですから。
僕らは備えていましたが、それはあくまで世界を終わらせないための備え。終わった後は何の役にも立ちません。幾ら敵より多くの弾を揃えたって、それが全部当たる訳でもなければ、満足に使える人間が十分に揃ってる訳でもないのですから。
「朝までに処理すんぞ。インターに出るための入り口を塞がれちゃたまらん」
「了解しました」
ぼりぼりと欠伸をかみ殺しながら頭を掻けば、乙女として認めたくない物がパラパラと。とはいえ、回りも似たり寄ったりな格好ですし、執行官は仕事の後に濡れタオルで身体を拭うくらいはできますから、山の方にキャンプを作った避難民よりはマシだと思いましょう。
「で、僕らここで仕事したら、昼の調達には出なくていいんですよね?」
「あほ、昨日デカイ群れに出くわして十二斑がスーパーで孤立してんだ。日が出たら拾いに行くんだよ」
「うへぁ……」
四年前、入局当時であれば思っても口にはしなかった呻きが吐いて出ました。ほんと、嫌になりますよね、かつては綺麗な喪服を着込んで勤勉に働いていた僕らが、今や自分たちの口に糊をするため方々回って略奪に精を出してるんですから。
色々組み合わせた障害物の近くに行けば、出発を間近に控えた車列が待機していました。
それも立派な代物ではありません。持ち主を喪って接収された自衛隊の高機動車両一台を除けば、後は軽トラや民生品の四駆を流用しているだけなのですから。
テクニカルですらありません。ま、当然ですよね、僕らには小銃すら配備されていなかったんですから、重機関銃なんて高機動車両と同じく殉職した国防の士から剥ぎ取ってくる他ないんですし。
見れば、トラックの荷台で先輩が煙草を咥えてぼぅっとしていました。ただでさえ小さいのに痩せてきた先輩は、ああやって目の焦点が合ってないと一瞬死体と誤認するので心臓によくありませんね。
きちんと生きているので、近づいてきた僕らに気付いて目線が此方に向きました。そして、咥えた煙草がぴこぴこ揺れたのは挨拶のつもりなのでしょうか。
「あー、どっこらせっと」
「朝までん終わりますかねぇ」
「せめて出るまでに四時間は寝かせて欲しいところだなぁ……」
死人にも似た僕らを乗せた車列は、実に億劫そうに灯りが消えて酷く暗くなった街へ滑り出しました。死人が死人を潰し、生者の真似事を一日でも長く続ける為に…………。
世界が終わった日の事は、ドタバタしすぎててよく覚えていません。市内に多数の再起性死体が発生し、それが瞬く間に広まってパンデミック警報が発令。各区画を閉鎖して何とか食い止めつつも、結局我々は戦いに負けました。
斯くしてパンデミックの発令から半年で国家機能は半減。世界同時多発的だったそれは混乱ばかりをもたらし、ある土地では“派手な花火”で消毒を試みたそうですが、結局十分な効果はなかったとか。
一年で多くの国と連絡が付かなくなり、一年半で政府は――最早、日本全土に手が伸びるほどの余力はありませんでしたが――ユーラシアの失陥を報告。二年経った今では、連絡を取れている国は片手の数で足りるほどだとか。
ただ、僕らは恵まれている方ではあっても、決して余裕もなければ裕福でもありませんでした。
現在掌握できている都市は東京、大阪をはじめに全国で七都市だけ。沖縄は一年前には最後の護衛艦が避難者を引き上げ“放棄”が宣言されていて、今は起こりもしない隣国からの核攻撃を最後までしぶとく警戒する米軍の基地だけが遺されました。
この大阪でさえ、確実に維持できているのは大阪市周辺のみで、しかも北部に至っては橋を爆砕して淀川以北を放棄しています。道を狭め、大軍の進撃路を絞ることで人員を何とか追っつかせて守るための致し方ない犠牲というやつです。
南部も大和川防衛線以南は殆ど勢力が及んでおらず、急遽近畿自動車道をぶっ飛ばして盾にすることで無理矢理築いた西部防衛線以東も同様でした。しかし、それでも川という天然の防壁がない東部では押されまくりで、今や平野-今里阻止線は処理し切れていない死体の山で文字通りの屍山血河。感染症による殉職者が結構でてきるとか。
何で伝文系が多いかって?
それは山奥に立ってるWPS大阪事務局の研究所にパンデミック当時押し込められていたせいで、僕らは殆ど完全に孤立し続けているからですよ。
地下に埋設された有線回線や、辛うじて生きている衛星通信で状況は掴めていますが合流は適わず、独自に避難民まで抱えることになる始末。数が数なので支局も救助を出すことを躊躇い、ずるずる二年が経ってしまいました。
だから僕らはこうやって、放棄された市街から食料を引き上げる悲しい生活を続けているのです。
「撃ち漏らすなよ、きっちり仕留めろ」
通りの真ん中で二列横隊を組んだ僕たちの後ろで、班長が通信機越しに指示を出しました。
「目ぇ瞑ってても当たりますけど、きちんと仕留めないと後が怖いですよ」
なので、僕も隣でガチガチの臨時執行官の男性に声をかけました。ええ、もうこっちの拠点で生き残ってる正規の強制執行官って少ないんですよ。だから昇進試験をパスしていない僕でも――まぁ、どこでも実施していないんですが――デカイ顔して先輩面ができるわけです。
「よぉし、来たぞ。構え」
指示に従って、通りの向こうから疎らに顔を出した再起性死体の群れに銃口を向けました。班長が突っ立っている車のカーステから景気良く垂れ流されているスラッシュメタルに引き寄せられ、日の下に引き摺り出された哀れな連中です。
「まだ撃つなよ、早漏は嫌われっぞー」
最早下品だぞと叱ってくるHQは居ません。そういえば、班長とよく喧嘩していたオペレーターの彼は今も生きているのでしょうか。まぁ、厳重に警備されていた支局勤めなら普通に生きていそうですけど。
「よし、撃て」
のろのろやってくる再起性死体との距離が10メートルほどに詰まってから、漸く班長は射撃指示を出しました。まぁ、僕や先輩はスラッグショットでなら普通に100離れてても当てられますが、臨時採用の執行官では実地戦闘が射撃訓練みたいな所があるので、そこまでの腕前は期待できないんですよね。
質が違う銃声がばらばらと響き、力ない進軍を行っていた軍勢の前列が崩れました。こうなっては最早、だれも強制執行との声をかけはしません。もう外聞を取り繕う必要はありませんからね。僕らを叩く世論そのものが消滅してしまったのですから。
そして、崩れた前列に躓いて、後続の死体達が倒れていきます。
「よし、後列前へ、攻撃用意」
二発ぶっ放してきちんと二体処置し、再装填している間に班長が命じると後列で待機していた面々が一歩前に出ました。手にしているのはホームセンターなんぞで手に入る軽量の物干し竿ですが、その先端にはハンマーやら消火斧の頭なんぞが雑に接続され、即席のポールウェポンに仕立て上げられています。
「よし、やれ」
下命に従い、彼等は立てていた武器を勢いよく振り下ろしました。元々の重量と重力の助けを貰って振り下ろされる鈍器が、後続に躓いて蠢いていた再起性死体を処置していきます。四年前では考えられない光景ですね。
とはいえ、弾を新しく買うこともできない現状、こうやって節約できるとこはしてかないと立ちゆかないんですよね。もう9mmは払底してMP5は置物に成り果てましたし、接収した猟銃が主力武器になっている今は贅沢を言えません。
昔は時折、協力してくれた自衛隊が航空機で物資を寄越してくれたんですけど、それもここ半年ほど絶えてしまいましたし。ほんと、どうしたもんですかね。
「ん、後列下がれ。ようし、再射撃用意……撃て」
こうして死者相手に戦列歩兵染みた地味な戦闘を繰り広げること一時間。漸く蔓延った死者を掃討し、孤立した代一二斑を回収することができました。
「負傷二、損耗四で成果がコレか」
「言ってくれますね」
ここ四年で酷くやつれ、疲労のせいで刻まれた濃い隈が陰を落とす二朱さんが、班長の皮肉に力なく返しました。かつての怜悧で切れそうな雰囲気はなりを潜め、すっかり疲れ果ててしまった印象を受けます。
とはいえ、スーパーで一晩籠城するハメになり、ついで部下を喪ってまで得た食料がトラック一台で釣りが来る量となれば気持ちも分かりますが。
賞味期限が切れて風味の抜けたカップ麺。開けたらどうなっているか怪しいレトルト食品。錆が浮いた缶詰や、薄ら表面に黴が生えて削らねば食べられない餅などなど。まぁ、流通が止まって二年も経てばこんなものでしょう。むしろ、食べられるだけ御の字といった所でしょうか。
腐りきって飲めるはずもないコーヒー牛乳を悲しそうに眺めている先輩もいることですしね。そういえば、あのクソ甘ったるいアレがあの人のお気に入りでしたっけ。
「ま、新兵四人で熟練者の損耗がないだけよしとするか。お疲れ」
「……ええ、そうですね」
色々と苦い物を呑み込んだ二朱さんは、よろよろと表へと出て行きました。あのお疲れの一言で、後は任せろと言って貰ったと分かるようになるくらい、あの二人も長い付き合いになりましたね。いや、なってしまったと言うべきでしょうか。
一色さん、外川氏、色々な人が去ってしましました。丁度今、僕が腰を降ろしたアイスのケースの中身と同じく、二度と手が届かない所へ行ってしまった人だらけです。未だこの三人でつるめているあたり、僕はまだ幸運なのでしょうか。
嗚呼、だとしても、またあの求肥で包まれたバニラアイスを食べたいものです…………。
何となく思いついて書き上げました。中途半端はいけないからね、箱を開けかけたら全部あけなきゃね(使命感)