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拝啓ご両親、どうして缶に取り残された小豆やコーンはああも気になるのでしょうか

 国際公衆衛生維持局の各支局や事務局には多くの個室が設けられている。


 丁寧に防音加工が施され、電波遮断素材が用いられたそこは単なる個人面談の用や小規模なブリーフィングに用いられ、時には仮眠室からあぶれた宿泊組の寝床として使われることもある。


 だが、多くは後ろ暗い話し合いや、公には出せない資料の作成・閲覧に用いられるのが常であった。態々その為に有線で閉鎖回線に接続され、壁に埋め込まれたパソコンが接続されているのだ。そして、そのPCを使うときは常にモニターに埋設されたカメラから監視されるという徹底ぶりである。


 これ見よがしに“アイズオンリー”との判子を捺し、今の時代なら簡単にカメラで撮影できる資料とは訳が違う、本気で衆目に触れると拙い資料がそこに詰め込まれていた。


 ガリ、と硬質な物を噛む音が一つ。長躯を窮屈そうに椅子へ納めた女性が、苛立たしげにボールペンの尻を囓った音であった。


 別に入力画面に入れた閲覧者IDの年齢に刻まれた数字が増え、誕生祝いと同時に長い付き合いの部下から煽られたのが苛立ちの原因ではない。モニターに映し出された、各中級以上の執行官に向けて送信された資料の内容が問題であった。


 目が痛くなりそうなフォントサイズで長々記された英語の文章、所々に写真や専門家の所見による捕捉、動画が埋め込まれた資料には碌でもないことが書かれている。


 「半端は良くないといったものの、誰が仕上げをしろといったのやら……」


 資料に張り出される写真の一つは、食肉工場の一角であろうか。放血された家畜の体液を溜めておくタンクが映し出されているものの、物々しくバイオハザードマークのシールが貼り付けられ、黄色い封鎖帯で隔離されているところからして、中に収まっている物は家畜の血液ではあるまい。


 次いで添付されていたのは何かの設計図であろうか。ペットボトルが接続された機械の先端はポンプとゴムが組み合わさった簡素な構造なのだが、何やら“穴”を開けるための機構が内蔵されていた。


 「こりゃ荒れるぞー、ヤバいことんなる」


 ぎしりと椅子が軋み、身を投げ出した長躯の女は乾いた笑いを上げた。


 世の中要らんことをする奴は幾らでもいる。そして、気にくわなくなったらゲームの盤面を放り投げるクズだって幾らでも。


 誰かが負けに傾いたゲームの盤面が嫌になり、箱を開いてしまったらしい。人の世界を終わらせる可能性を秘めた箱を。


 人類は一度これを開いている。ロバート・オッペンハイマー博士の落とし子が、望まれぬ産声を上げたときに。


 広島と長崎を炙った兵器は、始めて人類が自身の手で自身を“終わらせる”可能性を示した。何せ、これが産まれるまで人類は人種、国家レベルですら殺し尽くすことに凄まじい労力を必要としたというのに、これが弾ければ人類どころかこの惑星の有機生命の殆どを台無しにできるのだ。


 しかし、幸いにもそれはあまりに製造も管理も難しく、かつ本当に終わらせようと思えば大学生がガレージで気まぐれに作るのとは比べ物にならない数が要る。だからこそ、二回も使って尚人類は続いていた。


 「文字通りホームセンターにある代物で世界が滅ぼせるようになるとは、世も末だよなぁ……」


 世紀末は20年近く前に過ぎてんだぞ、というぼやきは誰に聞かれることもなく、密閉された部屋の中で虚ろに消えていった…………。












 「しゃむいですね」


 「そうですね」


 寒さから詰まった鼻のせいで、思わず変な発音になってしまいました。しかし、暖かそうなカシミアのコートで重武装した先輩は笑うこともせず、両手でしっかりもったお汁粉を啜るだけでした。


 「この時期は腐るのが遅くていいのですが、何分寒くてかないませんね」


 「ずずっ……まったくです」


 一つ鼻を啜って通りをよくし、奢って貰った缶コーヒーで身体に熱を取り戻します。


 時はあっと言う間に過ぎて年の瀬が近づいた頃、僕らの仕事はこれといって変わることはありませんでした。高槻のキルハウスに通って訓練に精を出し――ついに先輩はこの間、精神鑑定に回されたそうですが何食わぬ顔で還ってきました――普段通りのシフトをこなす。執行官として、何も変わることはありません。


 ただ、班長が別の仕事で引っ張って行かれがちになり、先輩と二人で行動する機会が増えました。班長が何をさせられているかは機密とやらで教えては貰えませんでしたが、曰く、僕も先輩も入局して時間が経ってきたので、試されるようになってきたようです。


 言うまでもなく、仕事に慣れてきたのかを。


 「暇ですね……」


 「ええ、せめて車の中で待たせてほしいものです」


 試金石と言えば上から評価されているのかと少しテンションも上がりますが、熟練といっていい先輩のお守り付きで、ついでに暇なことが多い通常業務にアサインされていては何も感じなくなりましたが。


 特にこんな、警察の捜索を監督するような単調な仕事であれば。


 ここは大阪東部、奈良県と東大阪どっちか地名を挙げても市内住みなら「大阪……? あれ、奈良……? どっち……?」となること受け合いの微妙な町。その中を流れる準用河川にかけられた橋の上です。


 昼間でも気温が下手すると一桁に割り込みつつある中、川に半分ほど浸かりながら棒きれで川底を漁っているご苦労な警察官をぼけっと眺めるのが本日のお仕事でした。


 というのも、この近所で子共が行方不明になったのです。


 子共が消えたら誘拐、あるいは事故を疑い、こういった川に沈んでいないかを調べるのはお約束。


 しかし懐かしき昭和の――僕は平成生まれですけれど――頃と違い、平成の世を生きる死者達は黙っているのがダサいと思っているのか歩き回ります。当然の権利のように起き上がってくる彼等の対処は、一応警察が“してはいけない”ことはないのですが、緊急処置がゆるされているだけで原則僕らがやらねばなりません。


 つまり、今みたいに死んでいる可能性がある行方不明者の捜索には、死んでいた時の為に僕らが駆り出される訳ですね。


 とはいえ、死者は歩き回るので、今時はどこかでひっそり死んでいても“勝手に見つかりに来てくれる”ケースが多いので、あまり苦労はないのですが。行方不明から一日経った今、再起性死体の通報がきていない以上、僕らの出番は暫くないでしょう。


 「無事ならいいんですけどね」


 「ええ、まったく無事でいてほしいものです」


 一応弁解しておくと、こんなやる気のない姿勢を見せつつも今の心配は本心です。


 そりゃ誰だって死んでいるより生きている方がいいに決まっていますからね。何より、僕は幸いにも機会に恵まれていませんが、子共の再起性死体に非再起措置を執行するのは相当精神にキそうです。


 資料で見るだけで結構キツイんですから、その後を考えると尚更ですよ。再起する前に見つけたら非再起処置をして、再起していたら可能な限り気を遣いますけど強制執行。遺体を引き渡すのも僕らとなれば、一体親御さんからどんな流れ弾が飛んでくるか。


 考えただけで精神がゴリゴリ削られていきます。ああ、本当に家出が引っ込みつかなくなったとかでいてください。誘拐だったとしても解決するまで僕らの仕事は終わらないのですから。


 後、先輩の発言は十割「めんどい」が占められているであろうことは、半年以上一緒にいれば流石に分かります。この人多分アレですよ、血が青いどころか流れてないですよ。そうじゃなきゃ、外道行為の数々で訓練評定がAからBばかりなのに始末書書かされたりしませんもん。


 何より精神鑑定からカウンセラー紹介されるようなコンボはよっぽどですよ。ちらっと聞いてしまいましたしね、鑑定医さんが「虐待された訳でもないのにここまで苛烈に振る舞えるのはちょっとおかしいですよ」って嫌に実感のこもった感想を零してたって……。


 その評価を聞いて錯乱せず、まぁ先輩だしで流せるようになったのは成長なのでしょうか。それとも擦れて無感動になっただけか……実に悩ましい所です。


 大人になるのって悲しいこと、とは有り触れすぎて何処で聞いたかも思い出せないフレーズですね。ただ、驚いたり悩んだりは苦しいので、無感動になる事はある意味楽な方向なのかもしれませんが。


 「ん……何か向こうが賑やかになりましたね?」


 缶の底に残った小豆の粒を何とか食べようと先輩が格闘する姿を微笑ましく観察していると、少し離れた辺りでバタバタ移動する音や指示を出すがなり声が聞こえてきました。何か捜査に進捗があったのでしょうか。


 「見つかったようじゃなさそうですね」


 掲げた缶を仰いだまま、視線を動かそうともせずに先輩は仰りました。ぱんぱんと諦め悪く底を叩いていますけど、人はどうしてお汁粉の小豆やコーンスープのトウモロコシ如きにここまで執着してしまうのでしょう。


 「分かるんですか?」


 「見つかっていたら嬉しそうな声が聞こえますし、私達の仕事の領分に足を突っ込んでいたら悲鳴物ですよ」


 「ああ、なるほど」


 「私達の仕事は伊達じゃないんです。夜中のひき逃げや家中の頓死以外で死者が街路をブラつく事件が少ないから、現職警官でも再起性死体との遭遇経験者はすくないでしょう。錯乱してぶっ放す奴より、びびって逃げる方が多いです」


 事実、たまーに起こる防ぎようがない事を除けば、僕らが仕事をしているので再起性死体が町中で大騒ぎを起こすことはありません。良くある自殺は部屋や建物の中ですし、外でやる投身や絞首では損壊が大きすぎて基本は再起せず、入水だと沈んだまんまだとか海まで流されて発見されないのが関の山。余程迷惑な死に方をしなければ、再起することは少ないのです。


 「捜査に進展があったようですね。多分、遺留品かなにか出て来たんでしょう」


 「これが解決の糸口になればいいですね」


 「そうですが……誘拐は難しいんですよ」


 「難しい、ですか?」


 聞き返してみると、先輩は首肯して手を懐に突っ込んだかと思えば、ベストから懐中時計を引っ張り出して時間を確認し始めました。


 「ヒトサンフタヨン、少し遅いですが休憩時ですね。暫く私達は必要なさそうですし、飯でも行きましょう」


 「え? ちょ、いいんですか? ねぇ、先輩!?」


 寒い中無駄に突っ立たせてるんですから飯くらいいいんですよ、と適当なことを宣いながら歩いて行く背中を追っかけます。この人は真面目なようでいて“してはならない”となっていないことは平然とするから困るんですよ。


 ああ、そういう所があるから、訓練でああいう惨事が……。


 「さて、何を食いましょうか。ビギナー、何か食べたい物は?」


 「え、そりゃ寒いから暖かいものが……じゃなくて、待機してなくていいんですか!?」


 結局、ずんずん進んでいく背中を追いかけて、僕は寂れた町の小さな蕎麦屋ののれんを潜ってしまいました。


 「彼等は彼等で私達の存在を忘れていますよ。一応、昼飯時なのでと申し送りの連絡はしておきました」


 昼の時間を過ぎているからか、それとも都会ではないからがらんとした蕎麦屋で先輩は腰を落ち着けると煙草を取りだして……。


 「って、なんで缶持って来ちゃったんですか?」


 傍らにさっきまで格闘していたお汁粉の缶が置いてありました。どれだけ諦め悪いんですか、この人。たかが小豆の粒一つに。


 「ここで取り逃すと午後を悶々と過ごすことになりそうだったもので」


 言って煙草に火を付けると、先輩は割り箸をつっこんで残っていた小豆を一粒攫い、ぱくりと食べました。少しお行儀がよくありませんが、午後を微妙な気分で過ごすこととの天秤は小豆に傾いていたようです。


 「まぁ、今のケースも似たような物です」


 「似たような物?」


 「さっき言ったでしょう? 誘拐は難しいと」


 年季が入ったメニューを広げ、先輩は特に悩むこともせず僕の方へ押しやりました。蕎麦屋らしいこれといって捻ったことのないメニューだったので、無難に何処で食べても変わらないだろう天ぷら蕎麦にしましょうか。


 「いずれ分かる時が来ますよ。世の中には、度し難い変態がいるものだと……失礼、、注文いいでしょうか」


 何を思ったか蕎麦屋で堂々と饂飩を頼む先輩に対し、僕ができるのは首を傾げてみせることだけでした…………。

ぼちぼち話が不穏な方向に向かって参りました。

日常の中にあるゾンビが主軸なので、こういった方面に話が推移していくんですよね。

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