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ニアパンデミックと警備員と混血児

 アメリカ合衆国。世界に冠たる大国の西海岸にあるカルフォルニア州は、南北900マイルに達する広大な面積を誇る西部の重要地点である。


 広大な州土に農地や森林公園、海岸から沙漠と豊かで多様な自然を湛えた土地は観光地としても、保養所や高級住宅街としても人気である。


 そして、穏やかな国立公園の近隣に位置する閑静な田舎町、その一角では老後を豊かな自然に囲まれて優雅に暮らしたいという老人達の需要を満たす老人ホームが運営されていた。高額の入園料と月額を支払えば、悠々自適な老後を送れる富裕層の楽園である。


 自立を好むアメリカ人があまり好まない老人ホームであっても、サービスと施設の上等さで常に満室で空き待ちが出ている程のホームは、この町のささやかな自慢の一つでもあった。


 普段であれば、見るべきところもない単なる田舎町。訪れる者と言えば、精々が国立公園に用事がある人間か老人ホーム入居者の見舞客程度。観光とは無縁で、穏やかな時間が流れている筈の田舎町。


 そんな街で死者が這い回っていた。


 損傷が殆ど見られない死者達が、人気の失せた街路を疎らに歩き回っていた。小さな物音、微かな人の臭いに一つしか存在しなくなった欲求を擽られ、耐え難い飢えを満たそうと彷徨い続ける。


 その哀れな彼等が作り出されてしまった原因というのは、実に些細な物だ。現状で米国のWPSは事態を図りかねているが、たった一人の自殺者が全ての元凶であった。


 何故か水死を選んだ彼は、街の近くを流れる川に身を投げて溺死。そして、重しを付けた亡骸は水の中で再起しながらも、川の流れに押されて少しずつ腐れた血液を流し続けていった。


 無論、再起性症候群の未だ掴めぬ原因は血中でなければ長生きできず、流れる大量の川に薄められて効能を果たさなくなる。その内、自殺者は血を流しきって感染源としての力を少しずつ失い、この川の底で朽ちていっただろう。


 だが、この町は運が悪かった。


 川の底で死者が汚染源となりながら蠢いていると知らず、その間近で水遊びをしてしまった若い一団がいたのだから。


 効果を失う前に水に溶け込んだ“何か”を彼等は摂取してしまった。知らぬ間についた切り傷や擦り傷、或いは川遊びで口に飛び込む水から。


 結果、感染者となった彼等は町中で感染を広めてしまった。簡単な粘膜接触や血液感染、或いはくしゃみなどの飛沫感染によって。


 もし彼等が病院に行ったなら、少しは事態もマシだっただろう。


 だが、ここアメリカは国民健康保険制度が存在せず、医者にかかるには高額の医療費が必要となるし、民間の保険でも軽々しくは使えない。金のない若者達だからこそ、尚更であった。


 川遊びの後に体調不良を覚えた彼等は、単なる風邪だと思ってドラッグストアの薬で対処を試みたものの、それで再起性症候群を防げたら苦労は無い。


 後は、ドミノをちょんと突っついてやったように事態は悪化していった。


 キャリアとなった人間がバタバタと斃れ、体力が無い者は直ぐに死んで再起し、あっと言う間に街は死者に呑まれた。


 ただ、若者と濃厚な接触した人間がそこまで大量ではなかったので、街の住民は大半が生き残っている。遅すぎる事態の把握に震えながら籠城し、WPSの救援を待っているのだ。


 そんな絶望的な状況の中、老人ホームは辛うじて一人も欠くこと無く、近年のパンデミックに備えた高い塀と頑丈な門扉に守られて籠城を成功させていた。別に彼等に神の加護があっただとか、ご都合主義な何かがあった訳では無い。単に最初の感染者達が若者で、生活範囲が被らず友好的に振る舞うこともなかった為、感染を免れただけの話である。


 そんな老人ホームの屋上で、一人の警備員が身を伏せていた。


 ラフな半袖の上衣と無骨なカーゴパンツ姿は警備員には見えないが、上衣の肩にはきちんと老人ホームと提携した警備会社の社章が縫い付けてあった。滅んだ巨浪が頭蓋骨を砕きながら咥える記章は、どちらかといえばPMCがぶら下げているのに似合いの意匠であったが、歴とした警備会社の社章である。


 不気味な社章を肩に戴いた影は、普段通りであれば日光浴に最適な屋上で静かに伏せている。油断なく単眼鏡を覗き込み、描かれた狼の如く獲物を待って呼吸を殺して。


 ただ、それも日光浴用に置かれたビーチチェアの上でやられては、全く格好が付かないが。


 「お嬢さん、何をしているんだいこんな時に」


 しわがれた声が、制服で日光浴に耽るという奇行に走っていた警備員に投げかけられた。すると、大柄な西洋人に合わせたビーチチェアでも若干窮屈そうな長躯が億劫そうに起き上がる。


 「……やぁ、博士。良い天気だね」


 それに合わせて、陽光の下で美しい黄金のショートカットが揺れた。丁寧に切りそろえられながらも豊かに波打つ金髪は、どこか無垢な印象を抱かせる美貌を縁取っており、人なつっこい笑みと相まって大型犬を想起させた。


 「良い天気だが……日光浴には日和が悪くないか?」


 対し、声をかけた入居者の老人は見事な白髪を丁寧に撫でつけ、サクラメント付近の西海岸の中では暖かな気候に合わせてアロハを着込んでいた。どちらかと言えばモーニングとトップハットが似合いそうな紳士然とした顔付きなれど、このラフな格好も妙にはまっている不思議な御仁であった。


 日光浴には不向きと言いながらも、博士と呼ばれた老紳士の手にはきっちりとカクテルのグラスが握られていた。アロハの胸ポケットに差し込んだサングラスといい、正しく日光浴以外を目的としてやって来たとは思えない出で立ちである。


 「いやいや、世界の終わりってこんな感じ? と思いつつのんびりしてると楽しいよ」


 「ヨハネかね? 成る程、正しく中途半端な黙示録か」


 「Half Done Apocalypse.んー、皮肉にしてもつまんない。どうせなら最後までやりとおしゃいいのに」


 博士はのんびりと隣のビーチチェアに腰を下ろすと、畳まれていたパラソルを伸ばして悠然と足を組んだ。そして、南国風のカクテルを一口煽って満足げに頷く。


 「世界とは殆どが皮肉なのさ。何せ我らが創造主が最後の一日に手を抜いたからな。終い事が適当でも、さもありなんという話だろうに」


 「博士って無神論者だっけ?」


 呆れた調子の問い掛けに博士はさも心外だと言いたげに反論した。普通、信心深い人間は自身の神を皮肉るような冗談は口にするまい。


 「真逆。日曜のミサを欠かしたことはない。君はどうだね?」


 「エレメンタリーが終わってからはとんと縁が無いねぇ」


 「それはいかん。神無き世など末世ではないか。辛いばかりだぞ」


 言って博士はカクテルを置き、ついでよく使い込まれたパイプを取り出した。既に葉が詰め込まれたそれに、シガーマッチで器用に火を付けると美味しそうに煙を吹き出す。信仰の形は人それぞれとはいうが、警備員にはいよいよ以て分からなくなる。


 「祈りは生活と精神に余裕をもたらす。この煙のように」


 「天に昇って解けて消えるだけって? ちくせう、羨ましいなぁ、仕事中だからカクテルも煙草も呑めないってのに」


 だから、せめてもの感想として――態度は兎も角――勤務中の辛さだけを吐き出した。この国において、信仰の問答がデリケートかつ不毛だということくらい、異国生活がそこそこ長かった彼女にも分かっていた。


 「別に誰も見てはいるまい。神以外は」


 「後、博士もね。上に報告しないってんなら、有り難く一服失礼するけど」


 「80を過ぎると誰しも目が悪くなるものだよ」  


 じゃあ遠慮無く、と前置きし警備員はカーゴパンツから一つのケースを取り出した。木製の上等なシガーケースには、整然と如何にも上等そうなシガリロが収められている。それを咥え、彼女は単眼鏡から目を離さぬまま器用に火を付けた。


 パイプ煙草のバニラと蜂蜜を想起させる甘く高貴な香りに負けない、上質で蠱惑的な煙草本来の香りが漂った。蜜のような甘い香りが遠くからうっすら香る腐臭を駆逐し、優しく鼻腔を擽る。


 「ん……上品な香りだ。ハバナかな?」


 「流石博士、お目が高い」


 ああ、美味いと煙を吐き出して満足そうに微笑んだ警備員だが、次の瞬間には緩んだ眉根に再び皺が寄った。耳に引っかけていたインカムが急に音を立てたのだ。


 『こちらHQ、聞こえるかG-02』


 「はぁい、聞こえてるよ。監視続行中だけど、何かな?」


 耳に届くのは通信衛星を介した、遙か遠くフロリダに位置する本社からの通信だ。アメリカで手広く業務を行う彼女のクライアントは、単なる警備会社ではない。


 『WHQ及び州政府から許可が下りた。これからアプローチに入る』


 「随分のんびりだったねぇ」


 『30分後にエスコートする。進路の掃除を始めろ』


 「はいはい……地上からのアプローチとか、ケチるねぇ」


 90年代以後、急激に需要を増した“ニアパンデミックケース”に対応できる、重武装の警備会社なのだ。


 警備員はシガリロを咥えたまま起き上がると、傍らのパラソルに引っかけてあったタンカラーのチェストリグに手を伸ばす。女性として十分豊かな母性のシンボルを強調するそれには、7.62mmサブソニック弾をたっぷり詰め込んだマガジンが満載されている。


 『文句を言うなG-02。屋上から03と04の支援にかかれ』


 「オペレータの愚痴を聞くのも仕事なんじゃない? とびっきりの美女の愚痴なんだから、喜んで聞きなよ」


 紫煙を吐き出しながら、警備員は二脚銃架で床に安置されていた相方を掴み上げた。


 それは、何とも奇妙な銃であった。ピストルグリップを有さない古典的な小銃の外見であるのに、素材は近代的な複合材に置換されており、銃身を覆う奇妙なカバーには様々なオプションが据えられている。


 古色と先進が複雑に絡み合う銃の名前はSOCOMⅡ。ベトナム戦争で活躍したスプリングフィールドM14を原型とする、民間モデルのセミ・オートマチックライフルだ。本来は55.88センチと長大な銃身を41cmまで短縮したカービンモデルであり、取り回しと市街地での運用性が向上した過去と未来の混血児である。


 彼女は奇妙な相方を手に取ると、愛撫するような慎重な手付きで弾倉を叩き込み槓桿を引いた。滑らかな動作で弾丸を薬室に呑み込んだ相方を、弾薬とオプション込みで6km以上という重量を感じさせない軽やかさで構える。


 『黙って給料分の仕事をしろ。03と04が仕事を始める前に道をクリアにしておけ。任意射撃を許可する』


 「へいへい、あいこぴーゆー、G-02仕事にかかりますよっと」


 敢えて日本調の鈍った英語で返し、警備員は屋上の縁へ歩み寄った。別に狙撃手が何処かに伏せている訳でもなし、大胆に身を晒しながら銃架のサポートを受けながら射撃をするために。


 「そー言う訳なんで教授、うるさくなるから逃げた方がいいよー。別に見てて楽しくもないし」


 「安心したまえ、これでも従軍経験射だ。銃声にも血の臭いにもなれている。何より、君らのは十分静かではないのかね?」


 老人がちらと見やった銃の先端には、奇妙な器具が据えられていた。銃身を延長する形で据えられたそれは、減音機という銃声を殺す器具であり、普通であれば民間には流通しない軍需品である。


 しかし、彼女の雇用主、ダイアウルフセキュリティーサービスは普通の警備会社ではない。ニアパンデミックに対応するため、州法と条約にギリギリ一杯適合した重武装の警備会社であり、パンデミック対応時には再起性症候群罹患者を刺激しないためにサプレッサの装備も認められているのだ。


 彼女たちの仕事は二つ。一つはパンデミックに備え、起こった時にクライアントを守ること。


 二つ目は……。


 「じゃ、お迎えが来るまで待ってておくんなせ。30分ほどでタクシーが来るから」


 「うむ、では君がしっかり働く姿を監督するとしよう」


 「わぁい、ろうどういよくがわいてきたぞ」


 パンデミック地域で孤立したクライアントを腰が重いWPSや州兵共に代わって助け出すことである。


 それもこれも、各国で多様なニアパンデミックが発生し、ケースによっては民間の助力を得られるようにした方がよいと担保した05年追加条項のおかげである。この法律により、警備会社でも銃が装備でき、州法によって地域毎にフレキシブルな対応が可能なアメリカでは“対ゾンビ警備会社”が大成した。


 そんな警備会社の従僕である彼女は、中距離のスコープを覗き込み仕事にかかった。歩く死者を排除する、他の国では執行官にしか許されない仕事を。


 安全装置を解除し、ホームに続く緩やかな坂を上る亡骸の額に狙いを付ける。門扉の前は別の担当が綺麗に掃除している。後は、近づけさせず車が進入するための道を確保するだけだ。


 「ほい、そんじゃあおやすみっと」


 風向きを計り、感覚に頼って誤差を習性。実に自然な動作で引き金が絞られ、スコープの向こうで赤黒い花が咲いた……………。












 大型のモニタが設置された広大な会議室には、夜も更けているのに大勢の職員が詰めかけていた。ニアパンデミック発生の報によって緊急で召集された日本WPSの職員達であるが、その殆どは役持ちのエリートばかりで、他は万一の増派要請に備えて“タスクチーム”の構成員がいる程度だ。


 「えー、現在時点で該当地域の封鎖は八割方完了。進行度はスケールⅡと報告されており、罹患者の姿も衛星から確認されております」


 司会進行役の局員が米WPSから送られて来た資料を基に説明しているが、大抵の局員は「何だいつも通りか」とでも言いたげに脱力していた。


 ニアパンデミック。パンデミックの一歩手前の緊急事態であるが、五つの段階に区分されており最低規模のスケールⅠは“中規模施設一つ”の感染でも布告されるため、大したケースでないのが殆どだ。以後スケールごとに被害面積と人数が増えていくが、最大のスケールⅤでも日本でいう町村レベルの範囲で発生した場合に過ぎず、WPSの各事務局レベルで十分に対応可能なケースなので局員達の反応も鈍い。例外は精々、紛争地で死者の処理が追い付かなかった場合だろうか。


 とはいえ都市区画レベルのでの“滅菌”や各国の国軍や衆軍、警察特殊部隊の増援が必要なパンデミック警報なら兎も角、ニアパンデミックならその程度の扱いなのだ。事実、日本でも数年に一度は、不幸な事故の連鎖で起こっているのだから。


 そして、この世界は幸運な事に市や区規模での大規模蔓延、パンデミックを未だ体験していない。全て、WPSや関係各所のおかげで食い止められているのだ。


 彼等には自負があった。世界の終わりを自分たちが食い止めているという自負が。そして、最悪のケースを想定しつつ、それが未だに起こっていないことを誇ってもいた。


 「あー……なーんか、やな予感がすんなぁ」


 しかし、隣席に未だ気絶している相方を座らせた――転がしているとも――班長は禁煙パイプを咥えながら渋面を作っていた。


 特に理由がある訳でもない。いわば単なるカンだ。しかしながら、全てが思った通り動かないのが世の中であるのと同じで、今まで守れていたからこれからも守れるとは限らないものだ。


 『現地では05年条項認可会社が数社、執行官に先行して警備活動を開始しており、そのせいで除染が当初予定より遅れているようですが……』


 「……あたんなきゃいいんだけど」


 弛緩した空気に苦みが混じった呟きは、浸透することも無く小さく消えていった…………。


そろそろ派手に色々動くかも知れません。

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