第三夜 お別れだね、ボンタン
ヨミさんにお家の前まで連れて貰ったわたしは、インターホンを押しました。
「うおおーん、イノリい~!」
「パパ、ただいま」
すると、とても深刻そうな顔をしたパパが、玄関から飛び出してきたのです。
「イノリ~、ちょっと遅かったからパパ心配したんだぞ!」
「ごめんねパパ、心配させちゃって」
「いいさいいさー、可愛い娘が無事ならね!」
「もう……恥ずかしいな」
まあ、こういう所が好きなのですけど。
場所さえ考えてくれれば、なのですが。
「おや、君がイノリのお友達の……ええと?」
「初めまして、卯ノ花ヨミです」
なんという事でしょう。
あの無表情を貫いていたヨミさんが、なんとも可愛らしい笑顔で、パパに頭を下げているのです。
「おお、とても礼儀正しい子だね」
「いいえ、そんなことありませんよ。イノリさんとは今日初めてお友達になったんですけど、とてもいい子ですよね」
「えっ……えっ?」
なんでしょう、違和感があり過ぎて混乱しちゃいます。
「あはは、そりゃそうだよ。なんせイノリは俺とママの娘だからな~!」
「ちょ、ちょっとパパ……さっきから恥ずかしいって」
友達が横にいる娘の前で、そう言う事を言うのはやめてください。
空気ぐらい呼んで欲しいですよ。
「いやあ、だって本当の事だもんな!」
「そうですよね」
「それにヨミさんもなんだか……おかしいです」
「ううん、私はいつも通りだよ。ねえイノリさん?」
しかも他人行儀に敬語で話してくるとは、なんだか腹が立ってきました。
「むう……やっぱりおかしいです」
「おお、イノリが膨れるなんて珍しいな~。そんなイノリも可愛くていいぞ~!」
「パパのバカ……っ」
もうパパの顔なんて見たくありません。
「ああ……ゴメンよイノリ。ちょっと興奮しすぎて悪いこと言ってしまったかもしれん」
「ツーンだ」
「ううむ……困ったなあ」
何があっても、しばらくはパパを許しませんからね。
「そう言えば珍しくボンタンが出てこないけど、どうしたんだろな。いつもならイノリが帰ってきたら犬小屋から元気に飛び出して来る筈だけど……?」
いきなり止めてよパパ。そんな事言われたら、わたし——。
「う、ひっく……ボンタン!」
「い、イノリ?」
「うわああああん! ごめんなさい……ごめんなさーい!」
泣き喚く事しかできなくなるのですから。
「あー……やっぱりこうなるよね」
「ええっと……どういうことだい?」
「イノリのお父さん。とにかく今日はもうイノリを休ませてあげてください」
「あ、ああ」
「ワケならあたしから話しますから」
「分かった。とにかく君も家に上がりなさい」
「はい、それでは失礼します」
「うう……ボンタンごめんなさい……」
「いのりん、今日はもう休もう。ねっ?」
「うううぅ……っ」
いつもの親しみ安いヨミさんの声を聞いて、わたしは少しだけ安心しました。
◯
部屋に戻ったわたしは、ヨミさんから借りた洋服のままベッドの中に籠もり、ずっと泣いておりました。
きっと、目元が真っ赤に腫れ上がっているのでしょうね。
「ボンタン……わたしどうしたらボンタンに謝れるかな……」
わたしはボンタンに謝らなければいけません。
だって、わたし一人だけがこうして生き返ってしまったのですから。
しかも、新たに友達を作って心を躍らせているのだから、救いようがありません。
「ボンタン……ボンタン……」
そんな時、ESDからピロロロロと着信音が鳴り響きます。
驚いたわたしが画面を確認すると、『閻魔だぞ』と表示されている事に気付きました。
「……閻魔さん?」
涙を拭ってから応答ボタンをタップすると、画面に閻魔さんの顔が映りました。
「あの、閻魔さんですよね?」
『その通りだよ、イノリくん』
今は画面に直接話しかけてますので、なんだかテレビ電話の様な感覚です。
「あの、どうかしましたか?」
『イヤね。傷心しきっている君に大切な家族の声を聞かせてあげようと思ってさ』
「それって……ボンタンと話せるという事ですか!?」
『ああ、その通りだよ』
「早く聞きたいです! ボンタンの声が聞きたい!」
『まあ焦らないで。いま君の体から離れようとしない柴犬の霊魂の声を聞かせてあげるから』
「わたしのすぐ側にボンタンがいるのですか!?」
それだけで、わたしは安心してしまいます。
ボンタンが苦しんでいなければの話なのですが。
『ああ、どうやら君が心配で仕方ないらしい』
「ボンタン……」
『さて、こちらもアニマルバイリンガルの準備ができた。落ち着いて彼の話を聞くんだよ?』
「はい!」
閻魔さんが言うと部屋の隅に、ボンタンの形をした霊魂が現れました。
わたしには分かります、この子は間違いなくボンタンであると。
だって、見ているだけでとっても落ち着くんですもの。
「ごめんね、いのり」
「あ……ああっ、ボンタン……!」
わたしはボンタンが喋る事に驚きもせず、急いでベッドから降り、霊魂を抱き締めました。
ちゃんと感触も、匂いもあるのです。
「ボクが無理したせいで、いのりを悲しませちゃって」
「違うよ! ボンタンは悪くない……わたしが悪いの!」
わたしが間抜けだから、ボンタンは犠牲になったんですもの。
「ううん、いのりは悪くない。悪いのはどう考えてもあの男。ボクはいのりを傷付けたあの男が許せなかったから思わず飛び掛かったけど、返り討ちにあっちゃったんだ」
「ボンタン……」
そんなに自分を卑下しないで。
「いのり、もうしてしまった事は取り返しが付かないんだ。でも、どうかボクのために悲しむのはやめて欲しいな。心配でいのりから離れられないよ」
やっぱりボンタンは、わたしを心配して苦しんでいるのですね。
だったらわたしも、キチンと決別をしなければいけませんよね。
「ボンタン……うん、分かったよ。もう泣かない……から」
「どうしても辛いのなら、ボクのことは忘れたっていいんだよ?」
だけど、ボンタンの事だけは絶対に忘れません!
「大丈夫……わたしは大丈夫! 絶対にボンタンとの思い出を忘れないから!」
「ありがとう、ボクもいのりを絶対に忘れない。それじゃあ……さようなら」
「うん、さようなら……っ」
ボンタンは天井を見上げたまま、何処かへ消えてしまいました。
大丈夫、わたしは大丈夫ですよ。
ボンタンを苦しませない為にも、もっと強くなりますから。
「ボンタン、本当にさようなら。わたしはもう……悲しまないからね」
これでわたしは、ボンタンと決別できました。
ボンタンと培った大切な思い出は、そのまま残して。
『ーーボンタンくんの様子はどう?』
「はい、無事天国に行ったと思います」
『ふむ、イノリくんも落ち着いたみたいだね』
「はい……」
でも、悲しいものは悲しいのです。
『さあイノリくん。後は君自身が後悔しないよう、ちゃんと道を決めて進みたまえ』
「はい……ありがとうございました!」
わたしは閻魔さんにお礼言って通信を切り、一息吐きました。
「ボンタン……。わたしまだ罪人をちゃんと処刑できるか分からないけど……ボンタンの様な犠牲者は絶対に出さないからね」
そう、絶対に罪の無い犠牲者は出させません。
わたしの目が黒い内は絶対にです。
「うん、とりあえずお風呂入ってサッパリしなくちゃね」
ひとまず、この悲しい気分を吹き飛ばさなければいけませんから。
◯
翌日、学校から帰ってきたわたしはヨミさんに用事があって、彼女のお家へ来ておりました。
「おっすいのりん。今日は兄ちゃん夜勤だから超ゆっくりしなよー」
「はいっ。それとヨミさん、昨日は本当にありがとうございました」
「あはは、いいって別にそんな畏まらなくてさ。それよりいのりんが元気を取り戻してくれたことが嬉しくて仕方ないんだよねー」
「うん、そうですね。これ以上悲しんでもボンタンを困らせるだけですものね」
「うーん……」
何故かヨミさんが、困り顔で唸っております。
「あの、どうかしましたか?」
「イヤ、別にいいけどさー」
「えっ?」
「ああー……ゴメンやっぱダメ!」
「ひゃっ!?」
かと思えば、いきなり大声で叫ぶもので吃驚しました。
「もうさ、敬語はやめよーよ」
「あ、えと、その……」
そう言われても、どうすればよろしいのか。
「あたしのワガママで申し訳ないけどさ。やっぱよそよそしく感じるんだもん。それって昨晩、いのりんも感じたんじゃない?」
そうでしたか、ヨミさんも他人行儀なわたしには辟易していたのですね。
どうしてわたしは気付かなかったのでしょうか。
相変らずおバカな脳味噌で、大変申し訳ありません。
「確かにそうですね……身に染みて感じました」
「でしょー。ほら、あたしをいのりんパパって思えばできるっしょ?」
「あ……本当かも」
言われた通り、ヨミさんの顔をパパに似たててみました。
すると変な笑いが込み上げて堪りません。
「あはは、本当だ。なんだかおかしいな……!」
「うんうん、おかしいよ。あたしもいのりんもねー」
ヨミさんも口元だけ、ニヤついております。
出来れば昨日の笑顔も見たいのですが、きっとあれは作り物の笑顔なのでしょうね。
だって、今のヨミさんの方が断然楽しそうですもの。
「本当におかしいね。こんな簡単なことなら、もっと早く気付けばよかったな」
「まー、今知れて良かったじゃん」
「そうだね、ありがとうヨミちゃんっ」
「あはは、問題なしよー。うしっ、それじゃー本題に入るけど心の準備はよか?」
わたしは強く頷きました。
「うん、万端だよ」
「それはどっちの方に?」
「わたしはーー断罪者として罪人を裁く!
これ以上悲しむ人を増やしたくないもん!」
「心からそう思ってる?」
「思ってる!」
それが今のわたしの本心です。
でも、やはり罪人の命を奪う事には抵抗がありましたが。
そんなわたしを見て、ヨミさんはコクリと頷いておりました。
「うん、確かに本気そうだね。それじゃー断罪者としての話を続けよっか」
「お願いするね、ヨミちゃん!」
思い切ってちゃん付けで呼んでしまいましたが、ヨミちゃんは口元を緩ませております。
きっと、嬉しくて笑っているのでしょうね。
「任せときー!」
だから、わたしも嬉しくて仕方がありません。
これからヨミちゃんと二人で断罪者としての使命を果たそうって、心からそう思えるのですから。
○