第一夜 黄泉還りの少女
空が茜色に染まった、しんと静まり返る公園。
「うああああ——っ!」
そこでわたしは、目の前にいる厳つい男の体を真っ二つにするため、謎めいた禍々しい大剣を一心不乱に叩き落しました。
「ひぎゃああああ!」
でも厳つい男は、頭を左腕で守りながら身を躱すもので、その部位のみを切り落とすだけに留まってしまったのです。
○
時が朝まで戻ります。
わたしは今、中学一年生に進学したばかりですから、入学式の式典に嫌々ながら参加しておりました。
同級生、彼らを見守る保護者や教師達が、紅白模様で綺麗に飾られた体育館内を占め、演台に立つ校長が何やら話しております。
嬉しい、楽しい、不安、驚き、焦り、そんな感情の渦が体育館に立ち込めておりますが、わたしにとってはどうでもいい事なのです。
どうせ、パパもママも仕事で忙しくて来ていないのですから。
数十分も経てば、わたしにとって鬱屈とした入学式も閉式しますし、くだらない行事や始まりの授業も終われば、午後の二時を間もなく迎えて学校も終わりです。
だからわたしは足早に、家へ帰るだけなのです。
「はあ、早く帰ってボンタンと散歩したい……」
やや下向きに歩きながらボヤきましたが、それだけわたしは大好きなボンタンに会いたかったのです。
どうせ話す相手なんて、他に誰もいないのですから。
○
わたしは足が速いので、割と早く自分の家へ帰って来れました。
鬼頭という表札が書かれた二階建ての家が、わたしのお家なのですよ。
「わんわん!」
「ボンタン!」
玄関を跨ぐと、庭の隅にある犬小屋から、幼稚園の頃から飼っている柴犬——ボンタンが、わたしの元へ張り切りながら駆け付けてきます。
「元気にしてた? ママにイジメられてない?」
「くぅーん」
ボンタンが、わたしの頬をペロペロと舐めました。
「あはは、くすぐったいよ」
「イノリ!」
「ひっ……」
鋭く怒った声を聞き、わたしは怯えました。
この人がわたしのママなのですが、仕事で忙しかった筈なのに、どうしてこの時間にいるのでしょうか。
「遅かったわね。授業あったんでしょう?」
「あ、うん……宿題もあります」
「だったら、遊ぶ前に早く宿題なさい」
「で、でも……ボンタンを散歩に……」
「宿題が先よ。当たり前でしょう?」
「うん……」
近頃のママは頭ごなしに言うから嫌いです。
思わず溜息を吐いてしまいます。
「さっきから『うん』と――返事は『はい』でしょう?」
「は、はい!」
「それと帰ったら、ただいまを先に言いなさい」
「あ、はい……ただいま」
「おかえり。じゃあ、さっさと宿題なさい」
でも、今日はあまり怒らないで戻ってくれました。
とても珍しくて驚いております。
「ごめんねボンタン、散歩は宿題が終わるまでの我慢だね」
「クゥーン」
寂しげに鳴くボンタンを撫でてあげてから、わたしも家に入りました。
○
あれから三十分で入学時の気持ちを作文にする宿題を終えましたので、わたしはボンタンと散歩しながら、近隣の公園に向かいました。
「ふわあーっ、つまらない宿題から解放されると気分最高だね」
「わん、わんっ」
「外は気持ちいいね~」
思わず背伸びをしてしまいます。
「はあ……ママもあんなに怒鳴らなくてもいいのにね」
そんな愚痴をボンタンに言っても、仕方ありませんよね。
「あはは。ごめんね、ボンタン」
「わんっ!」
「ん? あっ、あの人……」
ボンタンが吠えた先には、信号の無い横断歩道前で大きな荷物を持ったおばあちゃんがいました。
信号が無いせいか、どの車も止まる気配がありません。
「ボンタン、ちょっと走るね」
「わんっ!」
大好きなパパはいつも、こう言います。
困っている人が目の前にいたら、どんな人でも助けてあげられる様な頼もしい子になるんだぞって。
だから、おばあちゃんを放ってはおけません。
「あの、おばあちゃん……大丈夫ですか?」
「おや、おやおや」
わたしが側に駆け寄ると、おばあちゃんが優しい目で見てくれます。
なんだか恥ずかしくて、もどかしいです。
「あの……荷物お待ちします」
「有難いねえ。でもこの荷物はちょいと重いよ?」
「いえ……わたし少しだけ、腕力に自信ありますから」
実は少しどころでは、ありませんが。
「そうかい? じゃあお願いするかねえ」
「はい……お任せください」
だからわたしは嬉々として荷物を受け取りましたけど、予想以上の重さに肩が抜けるかと思いました。
「うあっ、本当に重い……それにゴツゴツしてる?」
「おやおや、大丈夫かい?」
「あっ、はい、大丈夫です。横断歩道を渡りましょう」
「ええ、ええ。本当に助かるわあ」
「えへへ……」
わたしは車が来ていない事を確認し、おばあちゃんと一緒に横断歩道を難なく渡りました。
「本当にありがとうねえ」
「いえ、お礼なんて……そんな」
「とってもいい子だわあ。よしよし」
おばあちゃんが優しく頭を撫でてくれて、なんだか嬉しかったです。
「えへへっ」
「それでは、荷物を返して頂きますねえ」
「あ、ごめんなさい」
背負っていた荷物をすぐに返しました。
「それではさようなら――と、その前にねえ」
「はいっ、なんでしょうか?」
振り返ったおばあちゃんが突然鋭い目で見てきたので、わたしはとても驚いています。
「あなたは――外道に落ちてはいけませんよお」
「あ、あの……どういう事ですか?」
「いえねえ。『変なもの』を拾ってはいけないと伝えたかったのよお」
なるほど、そういう事でしたか。
「あっ、あの! わたし拾い食いなんてしません……から!」
「おや――おやおや、この子ったらあ! お~っほっほっほおっ」
何故だか、おばあちゃんは大笑いしています。
「あう……わたし、何か変なこと言いましたか?」
「いいえ、本当にあなたはいい子だわあ。是非とも孫にしたいぐらいねえ」
そんな事を言われると、恥ずかしくて仕方なくなります。
「い、いえそんなっ……帰り道、気を付けてください」
「ええ、どうもありがとうねえ」
おばあちゃんは笑顔で頭をちょこんと下げると、重たい荷物を軽々と持って、ゆっくりと歩き始めました。
そのまま見えなくなるまで見送りましたが、そこでわたしは気付いてしまうのです。
「――ああっ! お家まで持っていきますって言えば良かった……」
そんなおバカなわたしの足をボンタンが頰をすり寄せていたので、なんだか元気が出てきました。
「ボンタン、大好きだよっ」
「へっへっへ」
「ありがとね。ボンタンはやっぱり、優しくて気の利く立派な男の子だね」
「わんっ!」
さあ、早く公園に行ってボンタンを喜ばせてあげましょう。
○
公園へやって来たわたしはボンタンと、とても歩きやすい散歩コースを1時間以上歩いてから、公園の噴水広場前で遊びつつ休憩していました。
「うーんっ、やっぱり公園の空気は最高だねえ、ボンタン」
「わんっ!」
「でも……さっきまであんなにいた人達がいなくなってる。夕方の五時半だけど、それにしてはおかしいかも……?」
でも、わたしにとっては人が少ない方が気が楽ですし、このまま居続ける事に決めました。
ですがそんな時、何か白い物体が散歩道の真ん中に落ちているのを見てしまいます。
「あれ、あそこに落ちてるのなんだろ?」
わたしは興味津々に近付き、その物体を拾って確認しました。
「わあっ、とても綺麗だけど……スマートフォン?」
ママのせいで携帯電話すら買ってもらえないわたしにとって、喉から手が出るほど欲しい逸品です。
あっ、もちろん交番に届けますけれど。
「よく見たら後ろに天使の翼みたいなのが彫ってる……カワイイなあ。あーあ……わたしもこんなスマートフォン欲しいな」
『初めまして、鬼頭イノリさん。あなたは断罪者となり、善良な市民を罪人の魔の手からお護りしたいですか?』
そんなとき、わたしの頭の中に若そうな女性の声が響きました。
「えっ……今の声、誰なの?」
辺りを見回しても誰もいません。
『もしも鬼頭イノリさんが認められるのなら、あなたにこのESDを貸与しますが』
「えっ、もしかして……この機器が話し掛けてるの?」
『厳密には違いますが、まあその通りです』
「そ、そんな事ってあるの!?」
思わず大声で叫んでしまい、少し恥ずかしいです。
『ありますよ。極秘なので公には知られていませんが、歴とした行政機関からの貸与物品なのです』
「あの、あなたの言っている意味がよく分かりません……」
『それは仕方ありませんね、慣れてくださいとしか』
「そんな理不尽な……」
『世の中はもっと理不尽でいっぱいですよ』
その意見には、わたしも大変実感しております。
「そう言われると……何も言えません」
『それでは時間が勿体ないので話を戻します。あなたは罪も無い善良な市民の平和を脅かす罪人を、この世から亡くしたいとは思いませんか?』
謎の機器——確かESDと言いましたか、それから聞こえる女性の問い掛けに、わたしは賛同せざるを得ません。
「あの、乱暴なことはあまり好きではありません……。ですけど、平和に暮らす人を護りたいとは思います!」
『それはつまり、あなたは断罪者になりたいと認めたという事で、よろしいのですね?』
「――はい、認めます!」
わたしは後先考えず、答えてしまいました。
『わかりました。それでは今から手続きを行いますので私の支持に従ってください』
「あっ、はい」
女性の声に従ってESDの画面で、指紋認証と声紋認証を行いました。
『はい、指紋――認証完了。声紋――認証完了。これからあなたを認識番号666のESD所持者と認めます。受付人は私、五色サナミが承りました』
「あ、ありがとうございます……?」
『それでは断罪者の職務に関する規則を必読してください』
「えっ、断罪者の……規則?」
わたしが困っていても関係無く、画面に読み辛い文字列がどっかりと表示されております。
「えっ……なんなのこれ?」
『そこには断罪者の職務に関する約束事が書かれてます。確実に読んでくださいな』
「うう、難しくて頭に入らない……」
こんな難しい漢字だらけの文字列を、頭の悪いわたしの脳味噌が受け入れてくれるわけがありません。
『それではご健闘を。まあ適当に頑張ってくださいや』
「えっ……ちょっと、これからわたしはどうすればいいの!?」
なんだか態度の豹変した方に声を掛けましたが、返事はありません。
「うう……とにかく分かるまでじっくり読もうかな。じゃあ散歩の再開だね、ボンタンっ」
「わんっ!」
わたしは頭を痛めながら、必死に規則とやらを読んでいました。
「ええと、エクスキューショナー(断罪者)とは……処理執行の権利を有する者をいう? 処理執行って何?」
公園に誰もいなくて良かったです。
こんなおバカに歩く姿は誰にも見られたくありませんし。
そもそも、歩きながらESDを操作する事すらできませんが。
『アラート、あなたは命を狙われています。距離にして西の方角二十メートル。アラート、あなたは命を狙われています――』
必死に解読している途中、さっきの女性とは違う機械音声がわたしの頭に響きました。
「ひゃっ……いきなり喋らないでください!」
わたしが文句を言っても答えは返ってきません。
『アラート、急いで処理執行状態へ移行してください』
「あの、どういうこと?」
突然の事ばかりで、頭が追いつきませんね。
「ふひひっ――クソガキ発見じゃい!」
歩道の真ん中に立つわたしの背後に、おぞましい目で睨んでくる厳つい男が駆け付けてきました。
その人の右手には、斬れ味鋭どい大きな出刃包丁が。
「えっ――?」
「へへへッ――死ねや!」
「あっ……?」
何がなんだか理解できないで突っ立っていると、わたしの脇腹がひどく熱くなったのです。
脇腹に目を向けてみれば、さっき男性が持っていた出刃包丁が……深々と。
「えっ――あっ……うああああああああっ!」
刺された事に気付いた瞬間、脇腹に尋常ではない激痛が走り、どくどくと大量に血を吹き出しながら地面に倒れ、もがき苦しむ事しかできません。
「やだっ――痛い、痛いよお!!」
激痛に耐えられなかったわたしは、大声で助けを呼びました。
でも、公園には誰もいません。
わたしは1人で、激痛と孤独の地獄を味わうしかなかったのです。
「ヒヒッ、やっぱガキを痛めつけるこの感じ――タマンねえ!」
「わん、わんっ!」
いつも大人しいボンタンが突然吠え始めました。
「あん? うぜえ犬コロだな」
「ばう!」
それで男は顔をしかめたけど、ボンタンは気にせず飛び掛かります。
本当はそんな危険な事、やめて欲しかったのに。
「うぜえっつってんだろ!」
「キャイ――!」
わたしは自分の目を疑いました。
だって、目の前で大好きなボンタンが……男の包丁で喉元をばっさりと切られ、勢い余って地面に叩きつけられたのですから。
もう、ボンタンは動きません。
あんなに、大好きだったのに。
「いや……ボンタン……。イヤ……だよ……」
「ヒッヒッヒッ! よく見たらこいつガキの癖してデケエし上玉だな……ヤっちまうか」
「いやぁ……こっち来ない……で」
わたしは逃げるために体を動かそうとしましたが、あまりの激痛と恐怖で動けません。
なんだか意識も遠退いていくのです。
「そっ……か、わたし……死ぬんだね……。ボンタン、わたしも……げぼっ! ボンタンの側……に……いくね……」
耳がおかしくなりそうな程に忌々しい男の下品な笑い声と、『断罪者第666番の生命活動停止。本機器は監督官の元へ自動転送されます』というESDの音声を聞きながら、わたしの意識は完全に途絶えました。
◯
わたしは1つしか無い命を確かに落としました。
その筈なのに、ちゃんと意識があるのです。
ですが今、わたしは公園にはおりません。
赤黒い雲の様な渦が禍々しく蠢く空と、無数のドクロが埋もれる広大な地面があり、更に遠くには、血の様に赤い大きな溜め池が見える空間にいるのです。
「なにここ、まるで地獄みたい。それにわたしの格好……幽霊?」
何故かわたしの体は半透明だし、白装束を着ております。
『――監督官の支持に従います』
「あっ、でもESDはあるんだ……」
「なんだ、また悪霊がやってきたのか?」
地獄の様な空間に、小さな掘っ建て小屋がありました。
その中には立派なパソコンと豪華な黒い机がありまして、またまた豪華な皮椅子に座っているとても美しい男性が、不思議そうにわたしを見ているのです。
「ええと、あなたは誰……ですか?」
「ん? 悪霊ではないのか」
「あっ、はい……?」
「なんにせよ、そちらから名乗って欲しいのだがな」
「あっ、すみません!」
なんだか高圧的な男性が怖くて、思わず頭を下げてしまいました。
「いや、別にそこまで気にせんでも。君はカワイイから特別に許してやる」
「えっ、可愛い……ええ!?」
可愛いなんて言われたのは産まれて初めてです。
だから、嬉しくても混乱してしまいます。
「コホン!」
ですが、男性の咳払いを聞いて、わたしは我を取り戻しました。
「あっ、ごめんなさい……」
「気にしなくていい」
「は、はい……」
「私は閻魔と申す」
「はあ、閻魔さんですね。わたしはき……鬼頭イノリと申しますっ」
自己紹介する度に男子達からバカにされる嫌いな名字を声に出さないと駄目なので、いつも憂鬱になってしまいます。
「ほうほう、君が例の――うん、よろしくね」
「えっと――あの、よろしくお願いします……って、えぇっ!? あなたがあの……地獄の大魔王えんま様なんですか!?」
閻魔は舌を抜くとても恐ろしい存在です。
恐ろしくて体が震えてしまいます。
「いやいや。確かに認識上はそうだけど、別に抜かないし怖がらなくてもいいじゃないの」
「だ、だって怖い……ですもの」
恐がっていると閻魔さんが近付いて、わたしに爽やかな笑顔を向けてくれました。
「ほら、怖くなんてないだろう?」
「あっ、はい……」
確かに怖くありませんが、美しい顔が近過ぎて、心臓が跳ね上がってしまいます。
「それにしてもその絹のような長い黒髪、最高にキレイだね。左に小さく結えた髪も可愛さをアピールしてるし」
「あ、あの、そんなに見ないでください……」
そもそも、そんな事を解説しないでください。
「おっと悪い。それでだね、君のような悪事を働いていない霊体がここに来るのはおかしいんだ」
「あの、わたしもよく……分かりません」
「ん? そう言えば君、その手に持ってるのは――」
閻魔さんはわたしの手を見て、ハッとしながら手の平を拳で叩きました。
「ああ、そういうこと!」
「あの……何がでしょうか?」
「ああゴメン。君は断罪者として認められた魂なのだ」
断罪者、どこかで聞いたような。
「あっ……もしかして規則に書いてた?」
「そう、それだよ。またの名を処刑人と呼び、罪人を裁く事が出来る権利者なのさ。因みに君の持っているESDがその確固たる証だぞ」
罪人を裁く権利と言われても、パッとしません。
「はあ……。ですがやはり、閻魔さんの言っている意味が、あまり理解できません」
「うーん、規則に書いてることを説明するのも面倒だな。とにかく君は罪人を裁く権利があるんだ。無差別に殺人を犯すヤツとかね?」
「無差別に……うぇっ!」
わたしは、思い出してしまいました。
ボンタンの命を容易く奪った、吐き気がする程に憎いあの男の事を。
「すまない、嫌なこと思い出させたかな」
「はあ、はあ……! あの包丁男、わたしの手で……コロシたい!」
あの男を地獄へ叩き落とさなければ、命を賭けたボンタンの行いが無駄になるのですから。
「ははっ、そうか! やはり君は断罪者としての素質ある子みたいだな」
「えんまさんの言っている意味は理解できません。でも、あの男だけはわたしがコロサないと! ボンタンをコロシた下品な人間を!」
「いいよ、復讐しなよ。君には一度だけ蘇る権利があるしね?」
「蘇る……権利?」
もしもそんな権利が有るのでしたら、ボンタンに譲りたいです。
「独り言だから気にしないで」
「あ、はい……」
「蘇ったらESDを天に掲げてこう叫ぶんだ――執行開始とね」
「分かりました!」
閻魔さんがパソコンを操作すると、わたしのESDが輝き始めます。
『監督官から断罪者認識番号第666番の活動再開の許可を頂きました。これより第666番と共に地上へ帰還します』
「な、なにこれ、ESDが勝手に!」
ESDが強く光り輝いたので、わたしは驚きを隠せません。
「この仕事は辛い事ばかりさ。だけど頑張ってねイノリくん。私は君を文字通り、縁の下で応援しているからね」
「あっ――はい。ありがとうございます、閻魔さん!」
わたしは閻魔さんが起こした白い光に包まれ、この地獄から抜け出す事が出来たのです。
○
目を開いた瞬間、憎き男が倒れているわたしの体を犯そうとしていたので、ゾッとしてしまいました。
「お、お前さっき死んで――」
「わたしの体に触らないで!」
「うごっ!?」
ですから憎き男の腹を全力で蹴り上げ、背中から転倒させてやりました。
その間にわたしは急いで立ち上がり、ESDを天に掲げます。
「ボンタンの仇――『死刑』執行開始!」
わたしは無意識に、そう叫んでしまいました。
すると体が白く光り輝き、首から下がピッチリとした何かで覆われた気がします。
そんなわたしの両手から、斬れ味の鋭そうな禍々しい大剣が生えるように現れましたので、目の前の男を真っ二つにする為、天に掲げました。
「な、なんだよお前……一般人じゃ無かったのかぁぁ!?」
「黙ってて――うああああ!」
そして、わたしは冒頭通り、この憎き男の左腕を切断してしまったのです。
「ひ――ひぎゃああああ!」
男は地面に落ちた自分の左腕を確認し、情けない悲痛な叫び声を上げております。
なんと楽しい光景でしょうか。
なんだか、わたしの中に潜在していたおぞましい感情が高ぶり、最高に楽しくなりました。
「そう……この感じだ。『我』が求めていたのは」
「やめろっ、近付くんじゃねえ!」
気分が高揚して全てを破壊したくなるこの衝動。
呑まれては駄目なのに受け入れざるを得ない謎の感覚が、わたしを暴走させてくれるのです。
「もっと足掻け、家族を殺めた罪だ」
「うわあああああ!」
恐怖に囚われた憎き男が一心不乱に両腕を振り回しておりますと、斬り落とした左手首から飛び散る大量の生暖かい血液が、わたしの顔に振り掛かりました。
「えっ……なにこれ……血?」
その生暖かい血液の気持ち悪さにわたしは正気を取り戻し、わなわなと震えながらも拭いました。
「いてぇ――いてえよぉ!」
「あっ……わたし、違うの……」
痛そうにのたうち回る男を見たわたしは、小学二年生の頃、クラスの男子数人から名字の事でからかわれて無意識のうちにボコボコにしてしまった事件をふと思い出し、あまりの罪悪感で押し潰されそうになります。
そのまま力なく大剣を地面に落とし、自分の体を抱き締めてしまったのです。
「わたし……怪我させるつもりなんて……っ」
「な、なんだよ、このガキ……」
「うあああああ! 違うのママっ――! わたしこんな……皆を傷付けたくなんて!」
「頭おかしいんじゃねえのか……。なんか知らんが……いま逃げなきゃ殺される!」
男が逃げても関係ありません。
今のわたしは、それどころではないのですから。
「うわあああああん! 違うもん……わたし悪くないもん!」
まるでわたしは赤ん坊の様に泣き喚いてしまいました。
それから数分経って、わたしはだいぶ落ち着きを取り戻してきております。
「うう……グスン」
そして、男の左腕が消えていた事に気付いたのです。
「そう言えばあの怖い人の左腕……どこ行ったのかな。わたしの脇腹もすっかり治ってるし……」
それで、わたしは思いました。
実は今までの事は全て夢だったのではないのかと。
ですが、絶命したボンタンの亡骸を見てしまい、現実に引き戻されます。
「わたしのバカ! そんなわけないじゃない……」
また、涙が止まらなくなってしまうのです。
「うう、ボンタン……!」
「君さー、こんな公園の真ん中で泣いてて恥ずかしくないの?」
「えっ――?」
気付けばすぐ後ろに、ボーイッシュな格好をした無表情の女の子がいました。
思わずわたしは泣くのを止め、その女の子が結った長いポニーテールが強い風に靡くのを、ジッと見つめてしまいます。
「あなた……誰?」
「あたしはキミと同業者の卯ノ花ヨミだよん。ま、よろしくねー」
卯ノ花ヨミと名乗る子が握手を求めてきたので、わたしは照れ臭さがりながら握り返しました。
「えと、よろしくお願い……します」
「あー別に畏まらなくていいから。あたし、そういうの苦手だし」
「あっ、はい。いえ……うん」
知らない人にいきなりタメ口なんて、わたしには敷居が高いです。
「あははは、だからって無理しなくてもオッケーよ。まー、君のやりたいようにしなよ」
「あ、はい。遅れましたけど……わたしの名前は……あの、そのっ」
「んっ、どったの?」
「わた……わたしのな、名前は……」
ああ、やっぱりこんな名字は大嫌いです。
卯ノ花さんも無表情の癖して口元は笑っておりますし。
「あ、もしかして君の名前って言いにくい系ってヤツなの?」
「そ、そうです……」
「言ってみなよ。別に君をバカにしたりしないから」
「はいっ……。あの、わたしの名前は、き、鬼頭イノリです……!」
名字を声に出すだけでも、わたしは必死でした。
「ふうん、なんだ。全然悪い名前じゃないじゃん」
「えっ……?」
「キトウって鬼の頭って書くんでしょ。なんかカッコいいじゃーん」
わたしはポカンと口を開けてしまいました。
「あの……バカにしないの?」
「バカにしないってば。それにイノリって名前も可愛いしっ」
「そ、そんなに可愛い……?」
わたしの名前よりも、卯ノ花さんの見た目の方が可愛いと思うのですが。
「んや、いのりん自身も最高にカワイイー!」
「あ、あの……いのりんと言う呼び方はちょっと」
なんだか馴れ馴れしく、わたしの体をマジマジと眺めてますし。
「なーに言ってるのさ、いのりん。そんなカワイイ顔しておっぱい大きいとか最早パーフェクトじゃん。というか、あたしもいのりんみたいになりたいしー」
とんでもありません。
大きい胸なんて邪魔なだけですよ。
男性の方の視線も気になりますし。
それに比べて卯ノ花さんはスレンダーで可愛いらしいですので、わたしにとっては理想の体型でした。
「そ、それ以上言わないで……。大きな胸なんて重いし……邪魔なだけだよ」
「あ、今いのりんがあたしにケンカ売った」
「そ、そんなことない……ですから。うう……っ」
うまく褒める言葉が思い付きません。
「あははー、ウソウソ。ただの冗談だからそんな気にしないでよー」
「そ、そうだったんですね……」
「だよー。ところでいのりん?」
「はい、なんでしょうか?」
「ええと、ちょっと言いにくいんだけどさ。ワンちゃんのお墓作ってあげない?」
「あ、ボンタン……っ!」
そうだ、わたしなんで死んだボンタンの前でふざけているんだろう。バカなの?
今は泣いてあげなくちゃ、ボンタンが可哀想じゃないの!
「あーダメ、今は泣いちゃダメだって!
ほら、ボンタン(?)だっていのりんが泣いてたら天国で心配して仕方ないっしょ?」
確かにボンタンは、天国で心配しているかもしれません。
「でも……ふざけてなんていられません!」
「まあ落ち着いてよ。大切な人がいなくなるって気持ちは、あたしも理解してるから……」
なんだか、わたしよりも辛そうな雰囲気を卯ノ花さんが醸し出すので、これ以上泣き喚いたら逆に申し訳なく感じてしまいます。
「とにかくさ、あっちで埋めたげようよ」
卯ノ花さんは公園内にある雑木林を指差していました。
「うん……」
わたしはボンタンの亡骸を優しく抱き上げ、卯ノ花さんと一緒に雑木林へ移動すると、一本の大きな杉の木を発見しました。
卯ノ花さんと協力して、その杉の木の根元にボンタンの亡骸を埋め、その上に一本の枝を立ててあげ、二人一緒に目を瞑り、心から合掌したのです。
「ボンタン……」
こうして供養していると尚更、ボンタンがいなくなった現実を直視してしまい、本当に辛くなってしまいます。
「やっぱさ、家族がいなくなるって辛いよね」
「うん、胸が張り裂けそうです……」
「だよね。でさ、もうこんな思いしたくないじゃん?」
「したくない……です」
「そこで――」
卯ノ花さんはポケットから白い物体を取り出し、見せ付けてくれました。
「じゃーん、これなーんだ?」
「あっ、わたしの拾ったESDと――同じ物!」
「せいかーい。実はあたしも断罪者なんだよねー」
「え……ええ!?」
こんな可愛らしい子も断罪者なのかと思うと、驚きを隠せません。
「それでさっき処刑しちゃった片手の無い厳つい男なんだけどさ。もしかしていのりん、そいつと戦ってた?」
「あ、うん。大体その通り……です」
ボンタンの命を奪ったあの男の事を考えると、再び感情が高ぶってしまいます。
「そっか、ごめんねいのりん。その男はボンタンの仇だったんでしょ?」
「うん……」
「あー、それなら縛ってでも連れてくるべきだったか。せっかくSOEで処理執行中の君を見つけたのになー」
「SOEって……なんですか?」
「規則にも書いてるんだけど、サーチオブエクスキューショナルっていうESDに内蔵されたアプリなのさ。処理執行状態……まあ死刑執行状態の隠語かな」
「あっ、うん」
それはなんとなく、気付いていました。
「そうそう、それでね。処理執行状態の断罪者や罪人のナンバーをマップ表示してくれる機能なわけ」
「そんな機能もあるんだ……」
思わず自分のESDを眺めてしまいます。
「そだよー。その代わり断罪者の識別番号しか出ないから、その子がどんな子なのかは詳しく分からないけどね」
「なんだか不便、ですね」
「でしょー、まあある事をすれば断罪者同士でも、名前や危険通知なんかもできるらしいんだけどね」
「ある事って?」
「それはね、このリンカーってアプリで登録すんの」
よく分からないけど、ESDを操作してみましょう。
「リンカー……あ、このハートのマークでしょうか?」
「そそ。それをタップしてみ」
「タップ……指で触ればいいの?」
「そうだよ」
わたしがリンカーのアイコンを人差し指でタップするとアプリが起動しまして、
『認識番号613から登録を求められております。同意しますか?』と、音声が再生されました。
「ここでYesをタップ……だね」
「そそ」
Yesの文字をタップすると、ESD画面上に認識番号613――卯ノ花さんの詳しいプロフィールが表示されました。
「あ、卯ノ花さんのプロフィールが表示されて……」
「うん、あたしもいのりんのプロフが表示されてるよ。ほほう、スリーサイズは上から8……もがが――!」
「あわわっ、口にしないで!」
ちょっと本当にやめて欲しいです!
「ほはあ! は、ははひてー!」
「あっ、ごめんなさい……」
力の加減を忘れて口を塞いでしまいました。
全く、興奮するといつもこうしてしまう自分が情けないです。
「ふうっ、普通に死ぬかと思ったー」
「本当にごめんなさい……」
「んーん、あたしが悪いから問題なし。じゃー、だいぶ真っ暗だし帰ろー?」
卯ノ花さんは真っ暗な夜空を見上げ、指差してました。
「あうっ、そうだね……。早く帰らないとパパが心配しちゃう」
「うん、でもその前に処理執行状態を解いた方がいいよ?」
「うっ……わたし、こんな格好だったの?」
今更、全身をピッチリと覆う白タイツを着用している事実に気付いたので、恥ずかしくて堪りません。
「えっとね、ESDを天に掲げて執行完了や状態解除とか言えば、元の姿に戻れんのさ。さあやってみ、いのりん」
「うん……執行完了」
なんだか恥ずかしかったので小声で言ったら、確かに大剣も消えましたし、元の私服姿へ戻れました。
「ほっ……戻れた」
わたしは安心しきっていましたが、それも束の間です。
「ああ、でもちょっと脇腹辺りはマズイかも」
「えっ?」
だって電燈に照らされたわたしの脇腹辺りの布地は大量の血で汚れていますし、出刃包丁で破かれてズタボロだったのですから。
こんなものを見てしまっては、再び泣きたくなります。
「あう……これじゃあ、お家に帰れないよ……」
「分かった。じゃあ路線変更しよ」
「路線……変更?」
「とにかくあたしんち来なよ。代わりの服を用意したげるからさ」
「でも悪いよ……」
遠慮しても、卯ノ花さんはわたしの手を力強く引っ張っぱりました。
「いいから来てってばー。そんな格好じゃ君の親御さんに余計な心配させるだけっしょ?」
「そうだけど……でも卯ノ花さんにも悪いですし」
手を離してくれない卯ノ花さんにも、家族とかいらっしゃるのでしょうし。
「あのねえ、友達が困ってるんだから、ほっとけるわけないでしょー」
「とも……だち?」
友達と聞いてわたしは呆然としました。
「うん、友達。恥ずいからあんま言いたくないけどね。まーあたしってばマトモな友達なんて1人もいないしー」
「あっ……」
卯ノ花さんも、わたしと近しい存在なんですね。
「だからー、いのりんがあたしにとって、初めてのマトモな友達ってわけ」
「あの、わたしも……っ!」
わたしは妙に照れ臭くって、卯ノ花さんの顔を見る事ができませんでした。
「ま、そんなわけだからさ。いのりんさえ良ければ名前で呼んでね?」
「あ、うん……ごめんね……ヨミさんっ」
「うん、いい感じー」
「えへへっ」
「さあ少し走るよ。そんないのりんの姿、誰にも見せたくないしー!」
「うんっ……本当にありがとうございます!」
わたしの初めての友達——ヨミさんは手を握ったまま、ヨミさんの自宅へと連れていってくれました。
こんなに嬉しい事は、ボンタンと初めて出会った時以来です。
同時に絶命したボンタンの姿が頭を過ぎったので、素直に喜ぶ事はできませんでしたが。
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