たんぽぽの綿毛を紅さし指に。
新聞に載った事がある。
何から話そう。
子供の時の記憶は、5歳の幼稚園の手遊びからなので、これはまた別物だし。
カラー写真で、スポーツ新聞に母の姿。
無理やり撮られたらしく、左手で顔を半分隠している。
その後、週刊誌に載ったのは、全身だったけど、この新聞の写真が、1番母らしい。
左手の薬指に、紅が染みていた。
記事は、無責任なシングルマザーが、2歳の幼児を病院に、置きざりにした事件だったけど。
今は大切に育てられていたし、そもそもハワイに住んでいたので、母の事も事件も知らないで、大人になった。
今の養父母に引き取られてから、1年後3歳の時、リース会社の支店をハワイに出す事になり、移住したので、日本の記憶はほとんどない。
こちらに来てから、日本語も怪しくなってきていたが、日本の手遊び唄が強烈に焼き付いている。
あわてて、家では日本語オンリーになったらしい。
記事には、病院で、診察を待つ間に、処置室に子供を置いていってしまった事が、書かれている。
防犯カメラもあるし、そもそも、病院に行ったら、お医者様にも看護師さんにも、顔や親子関係、わかっちゃってるだろうし。
ただ、救急外来で受付が後回しだったので、母は、住所がわからず10日ほど、逃げ延びていた。
原因は幼児の誤飲。
一刻を争う場合だったのだろう。
今の養父母は、18歳の時、養子だという事を、教えてもらい母の名前も知ったが、事件の事は、話してくれていなかった。
幸せに育ったし、ハワイには、人種の違う養父母と養子が、知り合いに居たので、ショックは受けなかった。
日本ならどうだったろう。
もう少し似た親子なら、わからなかったかも。
目も鼻も、思いっきり似てないから。
そんな母が事件になったのが、半年前の話。
自分の生い立ちも知った。
携帯の記事は、過去記事も読めるからだ。
中学生ぐらいのレベルのならば漢字も読めるので、内容はすぐに分かった。
母が殺されていた。
犯人は内縁の夫。
ご丁寧に、置きざりにされてた幼児の父親は、不明で、この男ではないとも、書いてある。
動画で、記事を聴いた。
母は、40歳になっていた。
捕まった内縁の夫が、警察車両に乗せられ、連れて行かれる。
耳鳴りの向こう側の様な話。
水に沈んで、水面を見てる様な気分だった。
そんな動揺は今の母親に、すぐに気づかれてしまった。
やはり養子の妹と四人で、話す場が、もうけられた。
父親は、優しく、妹は、目を真っ赤に泣きはらしていた。
妹の方は、事故での孤児だったし、小学二年生だったから、その時から今でも、涙腺がかなり弱い。
新聞の記事や写真をコピーして、持ってる事も、話した。
父親が、笑うと安心する。
そんな雰囲気の中で、話てくれた。
「私たちの娘に迎えられたのは、実のお母さんが、優しかったからなんだよ。」
父の言葉に、妹ったら、憤まんをあらわす。
「確かに、無責任で、あの時も男の人のところに、行っていたのだろうけどね。」
もう、聞くのに一生懸命で、食い入る様に、父親を見る。
「方向性は、間違ってたかもしれないけど、優しくて母性もタップリあったけど、幸せにもなりたかったんだろうね。」
父親の目尻のシワが優しい。
「病院に子供を連れて行く母親って、凄いのよ。」
明るくコロコロと笑う、母親。
妹は、まだまだ、不満らしい。
「そうだね。
子供の命を守る事が、第1だよ。
命を守りたいから、医者にすがるし、嫌々ながらも、病院へ行ってくれたんだよ。」
父親の手にグッと力が入った。
緊張感が、走る。
「もし、ifの、話をすると、怖いかもしれないが。」
何回か同じ話をしたのだろうか、母親が、ウンウンと頷いている。
「家というものは、安心安全だと、思っている人達が、いるけどね、違うんだよ。
住んでる人達の心次第で、言葉は悪いが、生き地獄にも、なる。
もしもだよ、窓も扉も開けられない乳児や幼児が、そこに閉じ込められていたら、どうする。」
もう、妹は、抗議の嵐。
落ち着かせるため、飲み物を手にとらすが、しゃっくりまでして、話が中断。
母親が背中をなぜ、こちらを見て、微笑む。
「想像するだけで、怖いよね。
実際、そういった事件は、まだまだ、無くならないし、今も閉じ込められて、出てこられない子供は、いっぱいいるかもしれないが、お母さんは、違ったんだよ。」
父親が、手を伸ばして、肩を軽く叩く。
なんて心地よい空間なんだろうか。
「人の沢山いる病院に、誤飲した幼児をあずけるだけの知恵と愛があったんだからね。
色んな愛があるけど、子供の命を守ってくれる場所と人を選んで、自分の手から離すことは、出来そうで、出来ない事なんだよ。
手元で、虐待しながらも親子が一緒にいるのが、愛だと錯覚しやすいし、世間もそういった風潮が強いからね。」
妹が、うなずきながら、鼻をかんでる。
この家が、大好きだ。
母親が、そっと膝の上の手にその手を重ねてきた。
「母親から、子供を引き離すのは、どんな状況でも、とても大変な事なのよ。
意外かもしれないけど、子供に、親が依存していて、育てられないのに、離れられない場合が、多いのよ。
ゆがんだ母性や父性の行き先は、とても怖いけど、まわりも本人達も、気がつかないのよ。」
母親の言葉に父親が、うなずく。
妹と二人で、母親に手を握ってもらっていると、父親が笑った。
「かなりの甘えん坊に、育ててしまっているみたいだな。
わかるかな?
愛情は、時にエゴの塊になり、自分も家族も、とんでもない方向に向かってしまう場合が、あるんだよ。
お母さんは、娘の命を優先してあげるのに、かなり無理をしていたのだろうね。
選択は二つか三つ。
部屋に閉じ込めて、偶然生きていてくれるか、死ぬか。
そして、誰もわからないところ
に、隠して逃げるか。
誰かに、育ててもらうか。
生き延びる子供も、いるのは確かだし、そういった生活環境を、受け入れてしまうという、悲劇も、未だ続いている。
だけど、手放してくれたおかげで、私たちは、家族をもらえたんだよ。
優しい娘に育ってくれたし、妹を可愛がってくれているしね。」
妹は、また涙と嗚咽の嵐の中。
「お母さんが、亡くなったのは、残念だけど、素晴らしい命を、残してくれて行ったんだよ。」
母親が、うなずきながら口を開く。
「覚えているかしらね。
小さな頃、手遊び唄に、夢中になったのを。
お母さんが、教えていた唄だったのよ。
絵を描くと、薬指の先を必ず紅く塗っていて、紅さし指って。
練り口紅をつける人で、指が、紅かったのよ、時々。
それを覚えていたのね。
ペンで紅くした指に、よくたんぽぽの綿毛をくっつけようとしていたわ、日本にいる時。
お母さんの真似だったのよね。」
母親は、テーブルの上の母の写真を指差した。
「楽しかった思い出だけ、残してくれたわ。
良かったわね。
あ〜っ、言えて、すっきりしたわ。
お母さんの思い出なのよって、教えたかったのよ、ずっと。」
テーブルの上の母が、紅さし指越しに、こちらを覗いている。
いつの間にか、日本に行く話は、まとまり、母の実家に連絡を取った。
父親が、笑う。
「日本では、今がたんぽぽの咲く季節なんだよ。」と。
今は、ここまで。