好奇心の向こう側
好奇心は罪深く
時に仇となり身を滅ぼす。
目を塞ごうとも
心はそれを求めるもの。
もはや後戻りはできない。
舞台は七つの不思議を孕みし学園。
よくある学校の七不思議のはずが
いつしか邪悪な漆黒が待ちわびる。
全てを知る者には禍を。
踏みとどまる者には畏れを。
──────────
「ねぇ、篤志くん。七不思議って知ってる?」
結城茅乃は二人の他には誰もいない立ち入り禁止の屋上で昼寝をしている三條篤志に問う。
「茅乃くん。見て分からないか?俺は今眠っているんだ。後にしてくれよ」
「起きてるじゃないか」と小さく笑うと「茅乃くんが話しかけてきたから起きてしまった。不本意な目覚めだよ」と不貞腐れて上体を起こした。
「おはよう篤志くん」
「おはよう茅乃くん」
「それでさ、この学校の七不思議。知ってる?」
篤志は一つ大きく伸びをした。
「知らなーい」
夏休みが終わって一週間。
まだまだ夏の暑さが抜けきらない。
「ちゃんと考えてくれよ」
「また変な事に首を突っ込む気かい?」と睨んでくる視線にドキリとする。
篤志の言う「また」と云うのは夏休みへ突入する前に起きた事件の事だ。
茅乃の初恋が無惨な最後をとげたあの夏の夜を思い出す。
「こ、今回は全く関係ないよ。事件なんて起きてないし」
「まぁ、どうだって良いけどね。俺は知らないよ。七不思議なんて」
篤志の短い髪が風に靡く。
その端正な顔立ちが夏空によく映える。
「そうだよね。知らないよね。今さ、クラス新聞の特集で七不思議を取り上げてるんだ」
「お前のクラス、新聞なんて書いてるの」
「うん。新聞というよりも報告書みたいな感じかな。一ヶ月に一枚。目標とか反省とか。あれ、篤志くんのクラスにはないの?」
篤志ははっきりと無いと答えた。
初めはとても楽な係りだと思って立候補したのだが、月に一回のペースで発行されるなんて知らなかった。
同じ係りの桑山春樹と土田正則も同じ動機で立候補し、同じように落胆した。
先月の反省をし今月の目標をたてたところでA4サイズの紙は白紙同然の余白で筆が止まってしまう。
だから、三ヶ月前からこの学校の七不思議を一つずつとりあげていたのだ。
六つ目の不思議までは調査済みなのだが、どうしても最後の一つが分からなくて困っている。
「なんだよ、それ。普通は全部分かってから調査するもんだろう」
「そうなんだけどね。つい─余白を埋めなきゃって」と茅乃は力なく笑った。
「途中で止められないの?」
「できないんだよ。これが」
桑山春樹が想っている女子生徒が思いのほか七不思議に食い付いているのだ。
今更引けないと桑山春樹も連日溜め息を吐いている。
その事を話すと篤志は呆れたように首を振った。
「さっきも言ったけど七不思議なんて知らない。桑田くんとやらには申し訳ないけどね。自力でなんとかしてもらわないと」
「桑山だよ。知らないのは良いんだ」と茅乃が言うと篤志は片方の眉を上げた。
「どうも要領を得ない物言いだな」
どうやら彼はこの先の話まで理解している様子だ。
「七つめの不思議を一緒に調査」
「断る!断固として拒否する。そんなものは断固拒否だっ!くだらない!」
茅乃の言葉に被せるようにして徹底的に拒否をしてきた。
「そんなに勢いよく言わなくても。じゃあさ、六つの不思議を聞いてよ。それで篤志くんの予想を聞かせて」
「さっき嫌だと言ったけど?」
「今この時間だけでいいんだよ。それとも七不思議が怖いの?」
篤志は「んなぁ?」と変な返事をしたあと、わははと笑った。
「茅乃くんも馬鹿だな。俺がむきになって話を聞くとでも思ったのだろう。そんなに単純にはいかないぜ。わはは!」
「予想で良いんだ」
「俺には怪奇現象やら心霊現象やらの趣味はこれっぽっちもない。だから予想なんてできない。残念だ。そうだ。こんなのはどうだい?七つめの謎は誰も知らないっていう不思議。立派な七不思議じゃないか」
「お願いだよ」
茅乃は食い下がるが、尚も拒否をし続けるので最終兵器をだす。
「ほら、篤志くん。これ」
茅乃が出してきたのは紅茶のクッキーだ。
茅乃の母お手製のそれは篤志の大好物である。
水筒には紅茶まで用意してある。
ちょっとしたピクニック。
初めからこれを出さなかったのは、それをするとなんとなく反則技を使っている気がするからだ。
「きみ、いつからやることがそんなに薄汚くなった?これを見た俺が断れないのを知っての悪行だ」
「初めからこれを出さないだけましでしょ?」
そして篤志は「ありがとう」と言ってクッキーを食べて「美味い」と上機嫌になる。
意外と単純なのだ。
「そう、それは良かった。全部食べてね」
「いらないの?」と口の端にクッキーの欠片をつけた篤志が言う。
「今はいらないよ。もし七不思議の謎を最後まで一緒に考えてくれたら出来立てをあげるよ」
「それはきみのお母さんに迷惑がかかるだけじゃないか」
「母さんはお菓子作りが好きなんだよ。頼まれれば喜んで倍は作ってしまう。じゃあ僕のお願い聞いてくれるよね?」
「ん、ああ」
「良かった!ありがとう」
「きみが何の期待をしているかは分からないが一つ言っておく。俺は七不思議の噂なんて本当に何も知らないぞ」
「それは理解しているよ。六つの不思議を聞いて感想を聞かせてほしいんだ。新たな視点から見れば道が拓けるかもしれないでしょ?」
篤志はクッキーを咀嚼しながら両手を小さく茅乃に差し出した。
どうやら話しても構わないという合図のようだ。
「一つは─」
全てがよくある学校の七不思議だ。
体育館裏にあるトイレに女の子の亡霊が出る。
彼女に会うと死んでからでないとトイレから出られない。
美術室に飾られている女性の絵。
その髪が少しずつ伸びている。
生物室にある幻のホルマリン漬けには男性の手首があり、夜な夜なそれが散歩に出掛ける。
図書室の隅で啜り泣いている小学生の男の子。
心配になって声をかけてしまえば、魂を交換させられ、次に図書室の隅で啜り泣くのは自分。
深夜零時、体育倉庫に現れる男性教諭の首吊り姿。
校舎裏にある池に出る蒼白い女生徒。
彼女に声をかけると長い髪で首を絞められ、池に引き摺り込まれて溺れ死ぬ。
「これで六つ。あと一つなんだ」
篤志は紅茶をゆっくりと飲み干した。
「本当に下らないね。ほとんどが小学校にありそうなちゃちい話だ」
「えっとね、体育館裏にあるトイレに出る女の子。彼女は虐めにあっていて、そこに閉じ込められたんだって。寒さと恐怖で死んでしまったんだって」
「だって、って。調べたんだろ?」
「まぁ、全て噂だから。美術室の女性の絵画の髪が伸びるってのはそのまんまだよね。前に実際確認した人がいて、伸びていたらしいよ。一ヶ月に数ミリ程度だけど。生物室のホルマリン漬けは昔その時の先生が実験に失敗して自分の左手首を落としちゃったんだって。その人は気が動転してその手首をホルマリン漬けにして大事にとってたんだけど死んじゃって、手首だけが未だに身体を求めて駆けずり回ってるんだってさ」
「へぇ」
篤志の薄い返事を無視して続ける。
「図書室の男の子は昔この学校に通っていた生徒の弟で、お兄さんの帰りを待っていたんだけど、それに気がつかなかった兄は先に帰ったんだ。下校時間もとっくに過ぎ、全ての鍵がかけられてしまった。そこで図書室から抜け出そうと窓を開け、三階にあった部屋から落ちてしまって亡くなったんだよ。深夜零時に現れる首吊り姿は、ある事件で自殺をした男性教諭。その事件に関わりがあるのが校舎裏にある池に現れる女子生徒。彼女は自殺をした男性教諭に強姦され、池に沈められたんだって。それが発覚しそうになったので男性教諭は自殺。女子生徒の亡霊が現れるようになった。ほら、池の周りに柵があるでしょ?あれ、亡くなった女子生徒に誘い込まれないようにしているんだって。池を埋めると女子生徒に呪われて不幸が降りかかるらしいよ」
ふーん。と尚も興味ない返事をする篤志。
「ねぇ、何か気付いた事あった?」
何だか馬鹿馬鹿しくなってきた。
「何も。そもそも七不思議ってのは小学校にあるのが相場と決まっている。それはその年代の子供は想像力が逞しいし感性も豊かだからだ。夜の学校、人の寄り付かない場所など子供にとっての非日常が近くにあることでそんな怪異が生まれるのは至極自然な事だよ。それを高校生が持ち出してるのは幼稚だ」
「それは僕だってそう思ったよ。だけど、止められないし」
「では、俺が感じた事を一つ」
「あるの?」
「ああ」と言って篤志が緩く口角を上げた。
「七不思議には定番の音楽室がない」
「それだけ?」
「そう。それだけ。大抵あるだろ?ベートーベンの目が光るとか楽器が勝手に鳴り出すみたいなのが」
「うん。確かにそうだね。音楽室の不思議がないや。もしかしたらヒントはそこにあるのかも」
茅乃は立ち上がった。
「放課後一緒に調べよう!」
「何でだよ。調査は同じ係りの桑野くんたちとやれよ」
「出来立てのクッキー」と言うと下唇を小さく突き出してこちらを睨んできた。
「あと、彼の名前は桑山くんだよ」
放課後になり、二人は吹奏楽部が活動している音楽室へと向かった。
教室へ向かう道筋には自らの音だけに集中して練習する学生たちが沢山いるので、譜面台を倒さないように気を付けなければならなかった。
室内へ入ると知った顔がグランドピアノの側にいた。
彼はトランペットを手にして二人の女子生徒と話をしている。
女子生徒のうちの一人がこちらを見たので、残りの二人も茅乃と篤志に気付いた。
「あ、結城じゃん。どうしたの?」とトランペットを手にした桜木武明。
彼は隣の篤志にも視線を送り不思議そうにしていた。
「ちょっと聞きたい事があって」と言うと桜木武明は「俺に?」と聞いてきた。
「うん。まぁ」と曖昧に返事をする。
七不思議の事を聞ければ誰でも良かったのだ。
「いや、きみたち三人に聞きたい」
そう言ったのは篤志だった。
不思議そうに顔を見合わせる三人。
茅乃と篤志が三人に近付くと心なしか女子生徒は恥ずかしそうに頬を紅く染めていた。
篤志を見るその目には熱がこもっている。
茅乃は「この学校の音楽室に変な噂とかない?例えば七不思議みたいな」と聞いた。
「七不思議か。この学校にそんなものあったんだ」と桜木武明。
女子生徒も頸を捻る。
「こっちの第一と隣の第二で音楽室は二つあるけど、どちらもそんな噂は聞いたことないな。もちろん楽器の保管してある準備室でもそんな話は聞かない。村井さんも白川さんもそう?」と女子生徒に聞く桜木武明。
どちらがどちらか分からないが、クラリネットを持つ髪の短い方の女子生徒が「聞いたことない」と言った。
「私も聞いたことないな」と言ったのはサックスを持った生徒。
しかし彼女は続けた。
「けど、この学校に七不思議があることは知ってたよ。内容までは知らないけど。私のお姉ちゃんがこの学校の卒業生で私が入学した時、そんな話があるって教えてくれたんだよ。聞いてみようか?」
こんなに短時間で調査が進むとは思っていなかった。
これで彼女の姉が耳寄りな情報を提供してくれれば万々歳だ。
「頼むよ!ありがとう!」と茅乃は直ぐに返事をする。
「オッケー。分かった。今電話してみるからちょっと待ってね」
彼女が電話をしている間、茅乃と篤志は桜木武明の案内で教室の前方にある扉から準備室に入った。
どうやら第一音楽室と準備室、そして第二音楽室と繋がっているようだ。
そこには打楽器やら未使用の楽器、楽譜などの入った本棚が置かれていた。
篤志が近くにあったバチを手にして木琴のようなものを叩いた。
丸い柔らかい音がする。
「それはマリンバだよ。ペダルを踏めば音が響いたり、ミュートがかかったりするんだ。こっちにあるのがティンパニ。これもペダルを踏めば音が変わるようになっているんだ」
篤志はさっそくティンパニを叩き、ペダルを踏んで音の変化を子供のように楽しんだ。
「これは?」と篤志が埃を被った長方形の箱を指差す。
桜木武明は「何だろう」と言って箱を開けた。
そこにはアコーディオンが入っていた。
「アコーディオンは使った事がないな」
「俺はある」と言って篤志がアコーディオンを抱えて演奏しだした。
なかなか様になっているし、上手だ。
その姿とアコーディオンの音色が哀愁を纏っており色気がある。
「篤志くん。どこでそんなの習ったの?」
「小学生の時にクラブ活動でね。これ、何年も使われてないから痛んでいるよ」
篤志がアコーディオンを箱に戻した所で先程の女子生徒が準備室に入ってきた。
「分かったよ。七不思議。お姉ちゃんも全部までは知らないみたいだけど、音楽室にもあったんだって」
「ほ、本当に?ちょっ、ちょっと待ってね」と言って茅乃はメモ帳を用意した。
茅乃が「どうぞ」と言うと女子生徒は話し出した。
「誰も居ないはずの音楽室から楽器を演奏する音が聞こえてくるんだって」
「そ、それだけ?」
女子生徒は大きく頷く。
「本当に?」
再び大きく頷く。
「その七不思議の切っ掛けとかも分からない?例えば誰かがそこで亡くなったとか」
「嫌だ。怖いこと言わないでよ。そんなのは知らないって。だって噂は噂でしょ?七不思議なんて怖がらす為だけの噂話じゃない」
「じゃあ、お姉さんの知っている他の七不思議は?」
「体育倉庫の男性教諭の首吊りと、校舎裏にある池に現れる女子生徒。それは知ってる?」
今度は茅乃が大きく頷いた。
少し落胆した茅乃は女子生徒に礼を言ってから室内を物色していた篤志と桜木武明と共に第一音楽室に入った。
「あ、東先生だ」と桜木が呟いた。
小さな瞳に丸い眼鏡。
ふくよかな腹に寂しい頭髪。
東は音楽教諭のであり吹奏楽部の顧問である。
「あ、桜木くん。あと三十分で合奏練習を始めると皆に言ってくれ」
そう言った東は茅乃と篤志を見て少し驚いた表情をした。
「おや。結城くんと三條くんじゃないか。こんなところで何をしているの?」
「少し調べたい事があって」と茅乃。
「調べものは図書館でするものだと思っていたよ。図書館では事足りなかったようだね」と冗談なのかよく分からない事を言ってきたので、茅乃は桜木武明に礼を言い、篤志と共に音楽室を後にしてそのまま下校する。
「誰も居ないはずの音楽室から音楽が聞こえてくるんだって」と茅乃が言うと篤志は笑った。
「そんなものだよ。七不思議なんてのは。それより解決したじゃないか。一日もかかっていない。俺すごいね」
「こうも呆気ないと少し落ち込むよ。あんなに探したのに」
「まぁ、腑に落ちない所はあるな」
呆気ないとは言ったが腑に落ちないとは思わなかった茅乃は篤志の反応に少しだけ疑問を持った。
「あ、約束のクッキーだね。母さんに連絡しておくよ」と携帯を取り出したところで篤志に止められた。
「いいよ今日は。お母さんに迷惑だろう。そうだな。その音楽室の不思議が新聞になってからにしよう。楽しみも先のばしでわくわくするじゃないか」
「子供だね、篤志くんは」
「クッキーは美味いのだ」
その夜の事だった。
桑山と土田に今日の報告をしようと文章を打っていると、その土田から連絡がきた。
『最後の不思議が分かった!』
茅乃は直ぐに返信をした。
『どんな不思議なの?』
少し経ってから来たメールに驚いた。
『今は使われていない棟の一階女子トイレ。その真ん中の鏡の前に午前零時に立つと女の幽霊が現れて鏡に引き摺りこまれる!これぞ七不思議って感じだろ?苦労したぜ!』
─違う。僕の聞いた話とは全然違う。
茅乃は『凄いじゃないか。明日詳しく聞かせてくれ』と送って思った。
─これじゃ八不思議じゃないか。
どうやら土田の情報源は一年前に卒業した美術部の女性で、彼女はその噂しか知らないようだった。
朝一番で土田から聞いた話を篤志にすると、彼も口角を下げて悩ましげな表情を見せていた。
その時はそれだけで終わらせ、昼休みに二人はいつものように屋上で話の続きをした。
「逆に困るね。こんなにも噂があると。八不思議なんて語呂が悪い」と笑う。
「いったいどうなってるのかな。何かの噂が間違いなのかな」
「どの噂も発生時から全く変化していないとは言い切れないから、どれが昔から形を変えていないか、間違わずに現代まできたかなんて徹底的に調べないと分からないよ。噂話なんて長い時間が経てば形を変えて伝わるもんだ。その時々の世相が反映してこその恐怖だってあるからね。現代には現代の恐怖を」
「ねぇ。篤志くん昨日腑に落ちないって言ってたよね。あれってどういう意味?もしかして昨日土田が仕入れて来た不思議と関係あるの?」
「お前は俺の言葉を一言一句余さずに覚えているのだな。優秀だ!」
「そんな事はないよ。たまたまその言葉に引っ掛かったんだ。何か知ってるの?」
「俺は最初に言ったじゃないか。七不思議なんて知らないって。知っている事はない。ただ気になった事があるだけだ。でもその引っ掛かりは土屋くんとやらの情報で確信に変わったよ」
「土田だよ。何?教えて」
篤志は気味悪く笑って「考えてごらんよ。そして、分かったら起こしてくれ」と言って寝転がった。
腑に落ちない?
土田の情報で確信に変わった。
七不思議から八不思議。
噂話は変化するもの。
トイレ、生物室、絵画、体育倉庫、鏡、音楽、図書室、池。
どれが間違いだ。
何が腑に落ちない。
八つの不思議。
チャイムが鳴る。
「ねぇ、篤志くん」
「なに?もう分かったのか。茅乃くんにしては早すぎるな」と言って上体を起こした。
「そうじゃなくて。もうすぐ昼休みが終わるよ」
「何だよそれ。俺は分かったら起こせと言ったんだ。昼休みが終わるから起こせとは言ってないぞ」
「分からないよ。全然。八つの不思議に変な所はないし。そもそも怪談だから不思議なのは当然なんだけど。全てこの学校に存在する場所だし、誰かしら噂を知っている人がいるから適当に作られたものじゃないよ。ひとつひとつの不思議には必ず広まった切っ掛けがあるはずだ。だからこの学校にあるのは七不思議じゃなくて八不思議なんだよ。変だけど」
「なぜ、七不思議と云うか知っているかい?」といきなり聞いてきた。
「知らない。七つあるからだよね。でも、何で七なんだろう?そういえば考えたこともなかったな。なんで七なの?」
「古代文明では太陽と月と五つの惑星、合計七つが天空を支配し、地上にも大きな影響を与えていると考えられていたんだ。偉大なる力だね。だから七という数字には非常に重要な意味があったんだね。僕たちは七という数字に少なからず支配されている。そこで出てくるのが世界七不思議というものだ。古代に存在した七つの巨大建造物のことだ。ギリシャ語で正しく訳せば『世界の七つの景観』という意味なんだけど、これを日本に紹介した時に英語のSeven Wonders of the Worldを『世界の七不思議』などと誤訳されてしまったんだ。Wondersを『不思議』と訳したのが誤解の始まりだったんだね。Wonderは『怪しい』とか『不思議』という意味ではなく、感嘆するという意味だ。だから『世界の七不思議』には、よくこんなすごい物を造ったなぁと感心するような建築物が選ばれているんだ。その一つにすごく有名な物があるけど何か分かる?」
「えっと、エジプトのピラミッド?」
「そう。正解。そのWondersが『不思議』などと誤解されたまま定着してくだらないオカルトブームと結びついてしまったため、本来の七不思議の意味が歪んでしまったんだ。その七不思議という意味にズレがあるまま広まった結果、学校の七不思議は怪談じみた謎を七つ並べるものになっているのだ」
「なるほど。じゃあやっぱり八不思議じゃおかしいってこと?」
「さっきも言ったけど噂話とか伝承ってのは発生時から形が変わってしまうこともあるんだよ。だから噂が変化したり一つ増えたりして八不思議になってしまってもおかしくはない。現に八つめの不思議を知ってしまえば死んでしまうといわれていたりもする。八つめの不思議は存在してもいいんだよ。でもこの学校にある八つの不思議はどうも違う」
「違う?何が?」
篤志は茅乃をちらりと見た。
「この学校にあるのは八不思議なんかじゃなく、七不思議だ」
「じゃ何かの不思議が出鱈目ってこと?土田のやつ?それとも音楽室?考えてみたけどわらかないよ」
「ひとつひとつで考えるから分からないんだよ。全体で見てみると分かる。一つだけ仲間外れがあるのがね」
─仲間外れ?どういう事だろう。
茅乃は再び八つの不思議を見直した。
ひとつひとつで見ないで全体で考える。
すると、一つの不思議に違和感を覚えた。
小さな事だが他の不思議とは違う。
篤志は茅乃の反応を見て口角を上げた。
「どうやら分かったようだね」
「僕たちが調べた音楽室の不思議だ。それだけが仲間外れだ。他の不思議には必ず人物が出てくる。二つの不思議に出てくるトイレにはそれぞれ女性が、体育倉庫には男性。美術室には女性の絵画、生物室には男性の手首、図書室には男の子、そして池には女子生徒。どの不思議にも必ず人物が登場するのに、音楽室だけ出てこない。誰もいない音楽室から『聞こえてくる音楽』となっている」
「そうだね。どうやら僕たちが調べた不思議が他の物とは違うようだ。クッキーはお預けだ」
「でも、なぜそんな不思議が出てきたのかな。ありがちな話だけど、高校生を怖がらすには少し幼稚じゃないかな」
心地よい涼しい風が二人の髪を揺らすと、授業の事など頭から飛んでいった。
「茅乃くん。あの音楽室は五年前に移動した事を知っているかい?」
「し、知らない。そうなの?」
篤志は頷いた。
「昨日、音楽準備室で面白い物を発見したんだ。歴代の吹奏楽部の卒業生のアルバムなんだけど」と言って何かを開いた。
「ちょ!これ、勝手に持ち出してきたの?」
篤志自身によってこの古くさいアルバムが隠れていたので見えなかったのだ。
「これが六年前卒業した吹奏楽部員の写真、そしてこれが五年前。背景を比べてごらん」
篤志は悪びれる様子を見せずそう続けた。
その二枚には十数名の男女が音楽室で各々の担当の楽器を持った姿が写されていた。
顧問は変わらず東のようで今よりも肥えた身体が端に立っている。
そこで茅乃は発見した。
背景右側の奥に見える教室名のプレートが六年前では『美術室』となっているのに対し、その翌年のものは左側にありそれは『準備室』となっていた。
両方とも黒板とグランドピアノを背にして撮られているので同じような写真に見えたが実際は違ったのだ。
「この写真はどこだろう」
茅乃がそう言うと篤志はのそりと立ち上がり、ある方角を指差した。
その先にあるのは──
「あの棟─もう使われていない第二校舎だよね。確か来年に取り壊されるって」
土田が持ってきたトイレの不思議がある棟だ。
「そうみたいだね」と言ってもう一冊の本を出してきた。
どうやら目的の頁を直ぐに開けるように付箋を貼っているようだ。
「どうしたの、これ?」
この学校の歴史を記した冊子だった。
抜かりがない。
「図書室から借りてきた。その付箋の頁。見てごらん」
そこには二階建ての第二校舎の見取り図が描かれていた。
音楽の隣にあるのは美術室だ。
写真と見比べればどの位置に黒板やグランドピアノがあったのか分かる。
そして、もう一枚の付箋の頁を読んで見ると『老朽化により、第二校舎取り壊し。それに伴い二階の音楽室、美術室、第二学習室、一階の第一学習室、備品庫を第一校舎へ移動』
もともと音楽室と美術室は第一校舎へ移動する事にしていたので、教室を増設する事はなく、防音処置を施すだけでスムーズに引っ越しは完了したらしい。
「それが五年前か」と茅乃。
「まぁ、何が本来からある七不思議なのかは分からないよ?音楽室の不思議だって俺たちが勝手に推測したものだし。他の物だって土壁くんの仕入れてきたものだって違うかもしれない」
「土田だよ。わざと間違ってるでしょ?あ──ねぇ見て」
茅乃は第二校舎を指差した。
見取り図によればそこが音楽室のようだが人がいるように見えた。
三階建ての第一校舎から音楽室の中を窺うことは無理だ。
「音楽室。誰かいない?」
篤志は目を細めた。
コンタクトをしているが見えにくいのだろう、裸眼の茅乃より遠くを見るのに苦労するようだ。
やはり何か動いた。
「誰かいるよ!」
「第二校舎は立ち入り禁止だよ。しかも今は授業中だ。誰かいるはずない」
「僕たちだって立ち入り禁止の屋上で授業をサボってる」
「見間違いだよ。怪談の事で頭がいっぱいになっちゃったんだ。それより授業が始まっていることに気が付いた。教室へ戻るけど、茅乃くんは此処にいるかい?待っていれば第二校舎から誰か出てくるのが見られるかもしれない。誰も出てこないと思うけど」
「も、戻るよ!」
茅乃は何だか気味が悪くなり篤志の後を急いで追った。
放課後、茅乃は篤志を連れてサックスを持っていた女子の話を聞きに五組へ入った。
桜木から彼女の名前は白川だと聞き、クラスも教えてもらったのだ。
教室に入ると視線が一気に二人に集まった。
二人と言うよりも篤志に。
女子からの熱を帯びている視線を送られても気にしない篤志がとても羨ましい。
整った顔立ちを鼻にかけていないのだ、羨ましいの他に言葉があるだろうか。
しかし癖のある性格のせいであまり人は寄り付かない。
それもまた全く何も思っていないのだ。
「白川さん。ちょっと良いかな」と茅乃が言うと、視線が彼女に移る。
あの三條篤志と何を話すのだと気になるのだろう。
茅乃の事はそっちのけだ。
白川は戸惑いながら二人の側まで来ると「なに?」と言った。
「きみのお姉さん、何年前に卒業したの?」
「んーと。七年前」
「ちなみにその時の音楽室は第二校舎だったことは知ってる?」
「知ってるよ。あのね、私も二人に話をしようと思ってたんだ。実は音楽室の七不思議に追加情報があるんだ」
茅乃と篤志は顔を見合わせる。
音楽室の不思議は仲間外れではなかったのか?
「あの噂、当時の吹奏楽部から広まったんだって。だから知らない人がほとんどだし、あまり広まらなかったみたいね。その情報源は定かじゃないけど吹奏楽部で瞬間的に話題になったみたいよ。実際、誰もいないはずの音楽室から音楽を聞いた人もいるって言ってたし。それにね、その当時行方不明の女子生徒とか出て問題が起こったんだって──」
白川と別れると二人はゆったりとしたペースで下駄箱へ向かった。
「音楽室の不思議はあったんだね」と茅乃が言うと篤志は頷いた。
「音楽を聞いたという東先生に話を聞きに行こうか」と篤志。
「そうだね。だけど篤志くん迷惑じゃない?巻き込んでしまってるよね」
「今さらだよ。それにクッキーが食べたいからな」
二人は下駄箱を通り越して職員室へ向かった。
東はそこにいた。
隣の席に座っている体育教師の男と笑いながら話をしていたので諦めようと思ったが、篤志が無理矢理呼び掛けた。
「おや、結城くんと三條くん。この前も音楽室で会ったね。どうしたの?」
「先生に聞きたい事があって」と茅乃が言うと、東は近くの椅子を二人にすすめた。
たいした話ではないのでそれを断るが篤志は構わずに座った。
「聞きたい事ね。そう言えば先日音楽室で会った時も何か調べものをしていたね。その繋がりかな?」
「そうです。先生、この学校の七不思議をご存知ですか?」
「七不思議?あ、そうか。結城くんは黒崎先生のクラスだったね。聞いているよ新聞で七不思議を取り上げているってね」
東は笑いながらずり落ちた眼鏡を上げた。
「そうです。その調査で来ました。何かご存知ないですか?」
「何故私に聞くのかな?」
「音楽室の不思議があると聞いたので、先生なら何かご存知かと思ったんです」
東は唇を小さく噛んで眉間に皺を寄せた。
何かを考える時の癖なのだろうか。
「音楽室の不思議なら知っているよ。誰もいないはずの音楽室から音楽が聞こえてくるってやつだ」
「実際に先生もお聞きになられたと耳にしましたが」
東は身体を大きく揺すって何が可笑しいのか笑った。
「結城くん、きみ。何だか記者みたいだね」
「クラス新聞の記者だ」と篤志が言ったので東は笑うのを止めた。
「あぁ、聞いたよ。だけどただのオーディオデッキの故障だったよ。CDが勝手に再生されただけの話だ。壊れていたんだよ。お陰で大切なCDが傷だらけになったな。それが噂の発端だよ」
「噂の発端?」と茅乃が繰り返す。
「では、その音楽室の不思議は先生が体験したオーディオデッキの故障が発端だったのですね」
「そう──だな。そうなるな」
「それは何年前ですか?」
咳払いをしてずり落ちた眼鏡を再び上げると彼の座る椅子が軋んで嫌な音をたてた。
「覚えてないな」
「それはもしかしたら七年前の事じゃないですか?」
「そうかもしれない。確かな事は言えないな」
「その噂は当時の吹奏楽部員から広まったそうです。先生の体験が切っ掛けだったのですね」
「勝手に広まったんだ。私は何も言ってない」と少し声を荒くした。
「それにね、当時他にも噂はあったんだよ。きみの言っている七不思議が」
東は苛立ったように指先で机を小刻みに叩いた。
「七不思議ですか?」
「そう。体育倉庫の話だよ。聞いたことあるか?」
篤志が何故か「ないっ」と堂々と答えた。
東が言っているのは体育倉庫に現れる首吊り姿の不思議のはずだ。
知らないわけがない。
しかし東は騙されて「なら、教えてやろう」と声を静めた。
「いい大人がこんな噂話をするなんて馬鹿馬鹿しいがな」
そう言って小さく笑った。
「午前零時に体育倉庫に現れる男子生徒の首吊り姿だ。その生徒は女子生徒を強姦して殺し、それが発覚するのを恐れて自殺した。その女子生徒を殺した時の池が校舎裏の観察池。ほら、柵が張ってあるだろう?あそこだよ。ただの七不思議とはいえ、あまり生徒にこういう事は言わない方がいいんだがな」
「その噂はいつごろに広まったのです?」
「音楽室の不思議と同時期だ。他にも騒動があってね」
「騒動ですか」
「女子生徒が失踪したんだ」
二人は東と別れて下校した。
「何か変だよね」と茅乃が言うと、篤志は「変だ変だ」と笑った。
「微妙にずれてるし」
「篤志くんは昔からある噂は変形するものだって言ってたけど、この微妙なずれはその類いのものなのかな」
「どうだか。それより、俺たちは何か良くないものを発見した気がする。とても良くないもの」
「─なに、それ」
「白木さんとやらが」
「白川さんね、彼女が?」
「白川さんとやらが、言っていた行方不明の女子生徒。それが校舎裏の観察池の不思議の原因だとしよう。居なくなった時期と不思議の発生が同時期だからね。すると体育倉庫の男性の首吊り姿。それも観察池と同時期に発生した不思議になるね。初め茅乃くんが俺に話してくれた時にも二つの不思議は関係があるって言っていたからこれは確実だよ。そこで出てくるのが音楽室の不思議。さっきの二つの不思議と同時期に発生したのに誰も知らない。知っているのは当時の吹奏楽部員たちと顧問だけ。そもそもその不思議は顧問の勘違いで発生したんだ」
「ど、どういう事?」
何だか嫌な予感がする。
良くないものが背後から物音を立てずひたひたとついてきているような恐怖。
温い風が妙に冷たい。
「い、池に現れる女と体育倉庫の男は──実在したってこと?事件があって二人とも亡くなったって──そういう事なの?」
「火のないところに煙は立たぬってよく言うじゃないか。この二つに限った事じゃない。他の噂にも発端はある。音楽室の不思議のようにね」
帰宅した茅乃は早速パソコンに向かい事件を調べた。
通っている高校の名前や七不思議、行方不明など検索ワードを広げてもなかなかそれらしい記事は見つからない。
それでもキーワードを広げていくと──
「ビンゴ!あったぞ!」
個人で開いているらしいホームページにそれはあった。
『学校の様々な隠蔽』と題された日記のようなものだ。
学校の不祥事を取り上げているらしい。
その中にあるのは茅乃の通っている学校だけではなく、日本全国の小中高から大学、専門学校や学習塾にいたるまでマイナスとなるような点ばかりを細かに載せていた。
『平成○年。K高校は男子生徒の自殺の真相を隠蔽した。その男子生徒は同高校に通う女子生徒を強姦した。その罪を知られるのを恐れての自殺だという。その女子生徒の行方は知られていないが、この世にはいないものと思われる。男子生徒の自殺は背景の事情が複雑なだけあって《将来への不安》と片付けられた。遺書まで存在したという。この高校はなかなかの進学校だそうで、学校の将来を考えた末の身勝手で糞みたいな判断だ。バスケットボール部に所属していた男子生徒はジャージ姿で体育倉庫にぶら下がっていたようだ。写真を見てみれば身長も体重も大人を越えるくらいしっかりしている。男子生徒の行為も許されるものではないが、学校の判断も解せない。糞だ。ふざけている』
このサイトの管理人はその後も悪態を吐いていた。
進学校かどうかはさておき、茅乃の通う高校のことだ。
写真はぼかしてあるがこのシルエットと校章は間違いない。
平成○年。計算すれば今から七年前。
茅乃はその頁をコピーすると、早速篤志に連絡をしてすぐにそちらへ向かうと言った。
自転車で20分。
玄関先でパグ犬の雨と並んで座っている篤志が「やあ」と片手を上げた。
とても賢く穏やかな雨は篤志の指示に忠実に従い寺の中へ入って行った。
彼の実家はお寺だ。
敷地内からは線香の香りが漂ってきてなんとも落ち着いた気持ちになる。
篤志からはいつもこの良い香りがする。
「入りなよ」と篤志。
茅乃は「いいや。歩きながらでいいよ」と言った。
このような清浄な場所でするような話ではない気がしたのだ。
そう言うと篤志は笑った。
「そう感じていれば問題ないさ。大切なのは気持ちだ」と言って茅乃の隣に立つと「公園に行こうか」と言った
「これ、サイトのコピー」と先程の紙を篤志に渡した。
篤志はそれを読んで唸った。
「自殺の隠蔽ねぇ」
「ねぇ、どう思う?それって本当かな?」
「本当かデマか、そんなの知ってどうするつもりだ?」
「そ、それは─」
「もう止した方がいい。好奇心は危険な時もあるんだよ、茅乃くん。引き際を間違えばもう戻れない。今が最後の」
「もう─無理だよ」
茅乃は立ち止まる。
篤志もそれを見て立ち止まる。
「ぼ、僕、もう後には引けないよ。何だか頭がクラクラするんだ。怖いんだよ。このまま引いてしまったら余計に苦しくなりそうで」
篤志は小さく息を吐いた。
呆れているのか何も言わない。
「─知りたいんだ。真相を。この七不思議には絶対に何かある。篤志くんを巻き込んで本当に申し訳ないと思ってるよ。だから篤志くんはもう引いてくれて構わない。もちろんクッキーは焼くよ」
「綺麗に捕らわれたね。まんまと七不思議に呪われたわけだ」と篤志は腕を組んだ。
珍しく不機嫌だ。
「怒ってる、よね?」
「いいや。怒ってなんかない。ただ、俺は忠告したよ。止めておけと。後悔するのはきみだからね。不謹慎な噂話からどんな事が明らかになるか分からないけどきみがそれを終息させられるとは思えない。七不思議に捕らわれたきみはそこから抜け出せないんだ。俺は手を引くから」
篤志の横顔は険しい。
「そう。わかった」
「──気を付けろよ」
そう言った篤志は今まで見たことがない困ったような表情を見せた。
あまり進んでいないので篤志の家の玄関先でが近い。
茅乃は小さく微笑んで「ありがとう」と言って自転車に跨がるとその場を去った。
篤志にそう言ったものの何から手をつければいいか分からない。
土田と桑山と共に体育倉庫を調べても何もないし池に足を運んでも柵があるので満足する調査はできない。
篤志と屋上で話をしていると第二校舎にある音楽室だった部屋に人影が見えた気がしたが見間違いだと思うようした。
茅乃の中にあるの薄気味の悪い塊は消える事なく広がっていく一方だった。
どうにかしてこのモヤモヤとしたものを解決したい。
何故、音楽室の不思議が広まったのかを考える事にする。
体育倉庫と池の不思議と同時期に発生したと言うが、その真相はなんとも間抜けだ。
吹奏楽の部員しか知らないという事も妙だし、東が言い触らさない限り広まる事はない。
篤志から預かっている吹奏楽部の卒業生たちの写真を見ても新たな発見は何もない。
─七年前。行方不明。自殺。隠蔽。吹奏楽部。七不思議。やっぱり第二校舎の音楽室を調べてみたいな。
放課後、第二校舎の入り口にある立入禁止の札を無視して扉を開けようとしてみたがやはり鍵がかかっていた。
どこか窓が開いていないか校舎を一回りしてみたが、どこも鍵がかかっている。
扉にある小さな窓から校舎の中を見てみると、賑やかな第一校舎とは切り離された空間にある異世界のようで閑散としており、気味が悪く例え誰かが一緒だとしてもとても入りたいとは思えない。
─はぁ、やっぱり駄目か。
そう思って帰ろうとした時だった。
一瞬にして肝が冷えた。
「何してる?」
背後にいたのは担任の黒崎学だった。
背が高く色が白い。
その榎茸のような容姿はいつもひょこひょことしていて愛想がいいのに今は眉間に皺を寄せている。
東と同期だというが容姿も性格も対称的だ。
「せ、先生!はぁ、びっくりした!」
黒崎は茅乃の背後の窓を覗いた。
「何かあるのか?」
「い、いや」
怪訝な表情をして茅乃を見る。
「ここは立入禁止だぞ」
「ちょっと気になって」
「分かった。七不思議だな?」
─ばれてる。
「ここは立入禁止だ。取り壊すんだよ。知っているだろ?その域を越えてまで調査する事は許さない。それに七不思議にはそんな調査が必要なのか?」
「そ、それは──。少し気になった事があるので」
黒崎は困ったように眉をかいた。
基本的に生徒の行動を寛容に見ている黒崎だが、茅乃のこの行動は彼を困らせているようだった。
「うーん。そうだな。分かる範囲でなら俺も協力しよう。だから、危険な事は絶対にするな。何が知りたくてここに来たんだ?」
茅乃は体育倉庫と池の不思議の二つと音楽室の不思議の関係性を話した。
「池と体育倉庫ね──その二つはまだ新聞に載せてないよな」
二人は体育館の外壁に凭れながら第二校舎を眺める。
「はい。来月には載せる予定です」
「お前たちは何で七不思議なんか取り上げたかな」と嘆く。
「正直ここまで辿り着くとは思ってなかったよ。直ぐに中断されると思っていた。実際、七不思議なんて知らない生徒ばかりだっただろう?」
「はい。とても苦労しました」
「行方不明の女子生徒。結城がさっき言っていた──なんだっけ?」
「校舎裏にある池の不思議です」
「そう、それ。それと関係があるか分からないけど、行方不明の女子生徒は確かに居たよ。第二校舎が立入禁止になる前だから──確か七年前だな。未だに見付かっていない。池に落ちたんじゃないかっていう噂が出てな、それから池の不思議が出た。生徒たちが面白半分で池に入り始めて、これでは本当に事故が起きてしまうと柵を張ったんだ。結局塵ばかり出てきて何も見付からなかったけどな」
「では─。た、体育倉庫の──」
「自殺、だな?」
黒崎は不満そうな顔をした。
「それも七年前だ。しかも、この学校の生徒ではない」
「え!他校の生徒だったのですか?」
それは、何という情報だ。
「そうだ。まぁ、他校の生徒っていうのは当時の教師達にも知らされていなかったからね。知っていたのは校長と教頭、担任と副担任だけだ。ほら、知らなければ話もできないだろ?知らないと言えれば騒ぐ学生たちを変に煽る事もないし、怖がらせることもない。当時俺は行方不明の女子生徒の副担任だったんだよ。だから情報はある程度提供された。体育倉庫の生徒だが、彼がバスケットボール部で、練習試合にこの学校に来ていたってだけで、その話に尾ひれがつき不謹慎な噂になった」
「噂話は変化する、ですね。それは篤志くん─三條くんも言っていました。あと、七不思議の由来も」
「あはは。彼は目の付ける所が面白い。それで、結城。これからどうするんだ?」
「ただ、七不思議だけを載せるわけにはいかないので、その噂の発端を調べてたのですが、さすがにその真実は載せない方がいいですよね」
「そうだな。怖がる生徒も出てくるだろう。良いことはないかもしれないな」
「では、新聞に真実は載せません。もちろん背景にどんな話があるかも。ただ、僕は調べてみたいのです。それぞれの噂が出来た謎を」
黒崎は良い顔をしなかったが頷いた。
「分かったよ。ただ、授業はサボるなよ」
そう言ってその場を後にした。
今日はもう帰ろうと立ち上がった時、土田と桑山が勢い良く走って来た。
「結城!」
「どうしたの?そんなに急いで」
「ほら、これ!」と土田がトートバッグの中を見せてきた。
中には機械のような物がずっしりと入っていた。
「な、何これ」
「佐古に借りたんだ」
佐古とは同じクラスの無線機マニアだ。
彼は茅乃たちのよく分からない言葉を使い、見たこともない機械を愛している。
「じゃあこれは無線機?」
「それだけじゃない。遠隔操作できる暗視カメラ二台と、トランシーバー三台。それぞれの映像と会話を録音できる機械二台。あと、暗視望遠鏡三台。あと暇潰しにって夜空も撮影できるカメラ」
「どうしたの、こんなに。サバイバルゲームでもするの?」
「相変わらず鈍いな。あそこを監視するんじゃないか」
桑山はそう言って第二校舎を指差した。
「明日から三連休だ。その間に誰か忍び込むかもしれない。それがチャンスだ」
「そんなに上手く行くかな」
「やってみる価値はある。使い方も佐古にしっかりと教えてもらったから大丈夫だ」と二人はどこか楽しそうだ。
「あの音楽室に侵入してる奴は俺たちが七不思議を調査し出したのに焦ってるんだよ。今まで何もしなかったのは七不思議なんて無視されてたからだ。俺たちきっと良い線行ってるんだって!」と土田が言う。
「もしかしたら大スクープかもよ!クラス新聞なんて足元にも及ばない新聞沙汰になるかもしれない」
─これだ。篤志くんが懸念していたのはこの二人のような野次馬なんだ。悪意の無い好奇心が人の心を傷付けるかもしれない。
「どうした結城」
だけど、茅乃も知りたいと思った。
─ごめんね、篤志くん。
早速配置に取りかかった。
暗視カメラの一台は直接写せるようにと第一校舎にある屋上へ繋がる外階段から音楽室だけを撮れるようにし、もう一台は第二校舎の唯一の出入口を撮せる場所に設置する。
第一校舎の屋上に上がり、モニターを二台、それぞれを記録する機械を設置して遠隔操作、録画の手順を教えてもらう。
三人は交代で見張りをする事になり、一人が屋上で映像の変化を監視してる間に、一人が第二校舎の出入口を暗視望遠鏡で監視、そして残りの一人は睡眠休憩。
それを、一時間ごとに交代して行う。
開始時刻は夜の九時。
この時間になると生徒はいなくなるし、教師もほぼ帰ってしまう。
居るのは警備員くらいだ。
茅乃は自宅に、土田の家に泊まると嘘の連絡を入れた。
九時になるまで三人はコンビニで購入したパンやらお菓子などを食べた。
何だか楽しんでいる自分がいて篤志の顔が浮かんだが、それには気付かないふりをした。
九時少し前になり、トランシーバーの周波数を合わせると、第二校舎を見張る役の土田は外階段で位置についた。
まだ職員室の明かりだけがついている。
誰かが動き出すにはもう少し時間が経たないといけないかもしれない。
茅乃の最初の役回りは休憩だったので、屋上に居る桑山の隣でモニターを見る。
外に明かりが漏れないように迷彩柄の大きめの布を頭から被せ、モニターも隠す。
これも佐古から借りたらしい。
静かな時間が流れる。
風が木々を揺らす音、遠くから車のクラクションも聞こえてくる。
モニターの映像も変わらない。
緑色の画面には無機物が写し出され、背後にある木々が揺れない限り静止画と勘違いしてしまいそうになる。
茅乃は布から這い出て寝転がると夜空を見た。
職員室の明かりは消えている。
山際にあるこの学校は余計な光があまりないので星が多く見る事ができた。
月の明かりがとても気持ちいい。
─音楽室に侵入してる奴は一体何をしているんだろう。僕たちの七不思議の調査に焦っているなら何か疚しい隠し事があるのか、バレたらまずい落とし物でも探しているのかな。
そのまま何か考えたり、何も考えなかったりを繰り返していると一時間が経過した。
トランシーバーを使い、今から交代すると伝えて外階段で第二校舎を見張る土田と交代した。
そこは暗くて孤独だった。
暗視望遠鏡で試しに周囲を見てみたが変わった事はない。
先程とは違って隣には誰も居ないので恐怖心が込み上げてくる。
─あぁ!駄目だ!こんな事で二人に泣き付いたら笑われる。
夏休み前に篤志に言われた事を思い出す。
─霊魂は現実には存在しない。心にある。それが見える者は脳、つまり記憶でみているのだ。心霊なんて馬鹿げている。そう。馬鹿げているんだ。
そんな事を考えながら時間を潰した。
時刻が十一時になると桑山から『今からそっちに行く』と無線で連絡が来た。
五分もすれば桑山が現れ、茅乃は交代してモニターの監視につく。
何だか異世界に居るようだ。
夜の学校で七不思議が発生するのも分かる気がする。
─何も起こらないだろうな。
何も起こらないでほしいと思った時、携帯電話が震えた。
篤志からの着信だ。
「もしもし」
『やぁ、茅乃くん。第二校舎に人影は見えたかい?』
「え──?」
─何故、知ってるの。
『簡単だよ。放課後、屋上から降りようとしたら茅乃くんが茅乃くんのお友達らしき人物二人と機械を見て話をしていたのを見かけた。どうやらビデオカメラなどを持っている様子だったね。そこで思い出した。きみのクラスにいる佐古くん。彼は無線機の類いがとても好きだと。そこで全てを繋げてみた。どう?正解かな?』
「正解だよ」
茅乃は篤志の声が現実に引き戻してくれた気がして少しホッとした。
『ただきみ達は見落としている』
「見落とす?」
『ふふふ。そうさ。きみ達が考えているよりももっと、夜の学校は警備がしっかりしている。不審者に敏感なんだね。だから、警備員だけじゃ足りない。不法侵入されれば防犯システムが稼働し、セキュリティ会社に通報が行くようになっている。第二校舎は老朽化しているから侵入されれば余計に厄介だ。勝手に扉や窓は開かない。それが開けば、分かるよね?』
「そうか。そ、そりゃそうだ。その事を考えていなかった」
『それを言いたくてね』
「もう少し早く言ってよ」
『ふふふ。勉強になったろ?あ、そうだ。帰り際、セキュリティに引っ掛かるなよ。引っ掛かる恐れがあるなら朝まで待つことだ。明日はバレー部が八時に朝練をするらしいからそれまで辛抱だ』
「バレー部ね。分かった」
『それより今晩は雲がないね。星空観察には丁度いい。風邪ひくなよ』
篤志はそう言って通話を切った。
「なんだよ」と苦笑いしながらため息を吐くと、土田を起こし篤志に言われた事を説明する。
彼も「なんだよ」と茅乃と同じ反応を見せた。
そして、トランシーバーを使い桑山にもそれを告げる。
戻って来た桑山を加え何故、そんな当たり前の事に気が付かなかったのかと笑いあう。
夜空を見上げると、本当に星が綺麗だったので佐古のカメラで夜空を撮ることにした。
撮影モードを変えるととても上手に撮れたので楽しくなってきた。今学校を抜け出せたとしても終電には間に合いそうにないし設置したビデオカメラの回収もしなければならないので、結局は三人とも屋上で寝転がり夜空を見上げて野宿することにした。
茅乃だけはその後もカメラで夜空を撮り続けた。
夏の日差しで目が覚めた。
朝の六時である。
「暑い──」
二人はまだ眠っているので起こさないよう屋上からの風景を見た。
朝の独特な静かさが広がっている。
─気持ちいいな。
念のため録画されている映像を見る事にしたが早回しで見ても映像は変わらないままだった。
─まったく。無駄な事をしたな。
八時から朝練が始まるのなら七時には顧問が来るだろう。
それまで屋上で待たなければならない。
そこでふと思った。
─何故、篤志くんは朝練する事を知っていたのかな。
篤志は部活に入っていないし、そのような情報を提供してくれる知人もいない。
時間が過ぎ、土田と桑山も起きると時刻は七時を少し回った。
駐車場を見ると車が一台止まり、そこからバレー部顧問の黒崎が下りてきそのまま職員室へと入って行った。
セキュリティは解けたのだ。
茅乃は屋上のモニターを撤去し始めた二人と別れ音楽室を映すカメラの回収に向かった。
最後に一目だけ音楽室を覗く。
─え?
人影だ。
茅乃は急いでビデオカメラの録画を確認すると、精一杯壁に背中を張り付けて隠れた。
ここから音楽室が丸見えという事は向こうからも同じ状態だ。
少しでも動けば見つかる。
─怖い。
緊張で足が震え心臓が激しく鼓動した。
肺が萎縮したようで満足に呼吸ができない。
屋上の二人が心配になった。
携帯電話は置いてきてしまった。
─この事を知らずに騒いでいないといいのだけれど。
あまり帰るのが遅くなると逆に心配になって様子を見に来るかもしれない。
その時に見つかってしまうこともある。
身体を動かさないように音楽室を見た。
この位置からは音楽室の半分しか見る事ができないので目的の人物が確認できない。
ビデオカメラは全体を写しているのでそれを見る。
やはり、誰かいる。
何か探しているのか、壁に掛かる紙を捲ったり積み上げられた机の中を覗いている。
この位置からだと誰かは分からない。
その人物は後頭部に両手を当て、困ったような仕種を見せると、音楽室から出ていった。
それを確かめてから素早くビデオカメラを回収して屋上へ上がった。
「ね、ねぇ!い、今の!」と土田と桑山に駆け寄ると二人とも興奮していた。
「音楽室に誰かいたな!結城も見たのか!よく見付からなかったな!」
どうやらモニターを回収しようとしたところで音楽室の異変に気が付いたらしい。
「見直そうぜ」と桑山が言った時、土田がそれを止めた。
「やばい」
土田はモニターを指差した。
二台のうちの一台は今茅乃の手の中にあるビデオカメラ専用のモニターで、もう一台は地上に置いてきた第二校舎の出入り口専用のモニターだ。
今まで変化のなかったその出入り口専用のモニターの映像がぐるぐると動いているのだ。
誰かが乱暴に扱っているらしく、その映像は地面を写したかと思うとすぐに切れた。
その映像が切れたと同時にコンクリートに固いものを叩きつける音が聞こえてきた。
三人は顔を見合わせる。
「やばいな」と桑山。
「で、でも、ビデオカメラが見付かったからって屋上に来るとは限らないよ」と茅乃が言うと土田は同調した。
三人は耳を澄ませた。
あの階段は鉄で出来ているので気をつけて使用しないと大きな音が出てしまう。
カツン、カツンと音がする。
「く、来る!」と焦る土田。
一応避難場所を探したが屋上には隠れられるような都合の良い場所はない。
そこで頭にある言葉がふと浮かんだ。
─そ、そうだ!あれだ!
その間にも階段を上る音が近付いてくる。
誰が顔を覗かせるのだろうかという恐怖が首を締める。
─うまくいきますように!
頭頂部が見えた。
しかも二つ。
顔を見せたのは黒崎と東だった。
二人はとても驚いた顔をしている。
「お、お前たち!何をやってるんだ!」と怒鳴る東。
黒崎はジャージ姿でこちらを睨んでいる。
「ひ、一晩中屋上に居たのか!」
そう声を荒げる東はずかずかと三人に近寄る。
黒崎もその後からついてくる。
その手には佐古から借りたビデオカメラがあった。
「何してた!ご両親は知っているのか!無断でこんな事をしているのか!一体何を考えているんだ!」
怒られるのは当然だ。
違反をしているのだから。
「観察を──」と茅乃。
「か、観察ぅ?な、何を観察してた!」
東は額に汗を滲ませながら裏返った声でそう言った。
茅乃は空を指差す。
「夜空を──観察していました」
四人の視線が一気に茅乃へと突き刺さる。
─僕は今、嘘をついています。二人とも話を合わせて!
「このカメラで夜空を撮影しました。少しでも高い場所で撮りたくて」
茅乃はカメラでその画像を見せた。
何枚も撮ってある。
頬を痙攣させる東は黒崎を振り返った。
「く、黒崎先生に報告はしてるのか?」
─している訳がないじゃないか!
「あぁ、それは今日だったのか」と黒崎。
「聞いてたよ東先生。だけど今日だったって事をすっかり忘れてしまっていた」
視線が黒崎に移る。
「東先生もうちのクラス新聞で七不思議を取り上げるのは知ってるでしょう?彼らが記者なんだけど、どうも調査が進まないらしくてね、星空観察に切り替えるんだそうだ。その下調べってところだな?」
東は黒崎の手にあるカメラを指差した。
「では、これはなんだ?」
「そ、それは佐古くんから借りた物です。二台の借りた筈なのに一台しか見当たらなくて探していたのですが、何処にあったのですか?」
「あの階段の一番下だ」と東が答える。
「壊れてしまったかな」と黒崎が困った表情で茅乃にそれを返そうとしたその時、東がそれを奪いとって聞いた。
「なぜ、ビデオカメラが必要だったのだ?」
「佐古くんのそれはとても性能がいいので、綺麗な映像が撮れると言っていました」と土田がフォローする。
「もういいじゃないか東先生」
黒崎がビデオカメラを取り返したその時、東が小さく舌打ちをしたのを聞き逃さなかった。
「私は朝練があるから行くよ。東先生も探し物は見付かってないのでしょう?きみたち、帰るとき私に声をかけて。いいね?」
三人は黒崎に頭を下げると二人を見送った。
「ひぇぇ!死ぬかと思った!」と桑山。
「もうこんなの嫌だね」と土田が座り込む。
「ところで結城。お前よくあんな嘘思い付いたな。星空観察なんて小学生の自由研究じゃあるまいし」と言って桑山も土田の隣に座る。
「あ、あれね。咄嗟に思いついたんだ。写真もちゃんと撮っていたし」
「いつの間にそんな事してたんだ?桑山は気付いてた?」
桑山は「いいや。よく星空撮ろうって思いついたな」と言う。
「それは夜空が──違う。そうだ!あの時、篤志くんが言ったんだ。星空観察には丁度いい。って。篤志くんの言葉がなかったらあんなこと思い付いていなかったよ」
篤志はこうなる事を予測していたのだろうか。
もしくは偶然だろうか。
彼の言葉がなければ今頃どうなっていたのか考えるだけで震えてくる。
帰り際、体育館へ寄って黒崎と話をした。
黒崎は固く厳しい表情で静かに叱る。
「こんな事は二度とするな。何もなかったから良かったと安心していると痛い目にあうぞ。東先生にああ言ってしまったから処分は無しだ」
ただ頭を下げるしかない。
しかし、茅乃は恐る恐る聞いた。
「東先生は何をしてたのですか?」
「昨日の忘れ物を取りに来たそうだ。私が校門を開けるまで待っていたみたいだ。この後に用事があるとかで直ぐに帰って行ったけど、何故そんな事を聞くのだ?」
「心配をおかけしたので謝ろうかと」
黒崎はようやく笑った。
「あぁ、あの人はそんな事は気にしていないよ。直ぐに忘れるさ。しかし、お前たちは忘れるなよ。二度とするな。さぁ帰って寝ろ」
三人はとぼとぼとその場を後にする 。
電車に乗ると疲れきって眠っている二人をよそに茅乃は音楽室を映していたビデオカメラを確認した。
─こ、これは。あ、東先生じゃないか!
東が教室をうろうろしていた。
茅乃が肉眼で見ていた時の様子もはっきりと写っている。
もう一台のビデオカメラは壊れていたので弁償が気掛かりだ。
電車が学校から離れるにつれほとんど眠った状態の土田、そして桑山の順で下車していく。
茅乃は片手に佐古から借りた機器を持ちながら電車から降りると篤志に電話をかけた。
篤志は直ぐに出た。
『なぁに?』と篤志。
「おはよう篤志くん」
『おはよう茅乃くん。もうすぐ九時だね。きみにしては随分と早い休日の目覚めだ』
「昨日はありがとう。おかげで助かったよ」
『俺、 何かした?』
茅乃は昨日の出来事を話した。
「篤志くんのおかげで星空観察って言い訳ができたんだ。それがなければ今頃どうなっていたのか。ありがとう」
『写真を撮ったのは茅乃くんだ。俺に感謝するのではなくて自分を誉めるんだな』
「ありがとう。ねぇ、篤志くん。今から会えないかな?見せたい物があるんだ」
茅乃は家に帰らずに電車に乗って篤志の住む町の駅で降りた。
改札を出ると篤志と彼の足元でちょこんと座る雨が待っていた。
「おはよう雨」と頭を撫でるととても気持ち良さそうに目を細めた。
「茅乃くん。昨日の格好のままじゃないか」
「制服だから当たり前でしょ。皆そうじゃないか」と茅乃が言うと篤志は満足そうに笑った。
「随分と疲れているね。眠っていないのか?」
「眠ったけどすぐに目が覚めたりした」
「茅乃くんが来ると言ったら母が朝食を作った」
「それは嬉しいな」
篤志の家に着くまで二人は音楽室の事には触れずに歩いた。
篤志の母はとても美人だ。
化粧もせず、服装も地味だが本人は全く気にしていない、のんびりとした性格である。
篤志は顔立ちも性格も母親譲りだ。
何故かと言うと彼の父は銅像でよく見かける西郷隆盛にそっくりなのだ。
唯一受け継いでいるのは背の高さと奇妙な性格。
篤志の母は「いらっしゃい。朝御飯できてるよ」と居間へ案内してくれた。
味噌汁と白米、ベーコンとスクランブルエッグを出してくれた。
篤志はもう食べたらしく、畳の上で雨と横になって庭を眺めているのでなるべく急いで食べる。
十分ほどで食べ終わると二人は二階にある篤志の部屋へ入った。
さっそくビデオカメラの映像を見せると何も言わずにそれを確認した。
「確かに東谷先生だね」
「東ね。『や』は余計だよ。そうだよね。黒崎先生は東先生が忘れ物を取りに来たって言ってたけど。本当かな?第二校舎に忘れ物をするかな」
雨が茅乃に寄り添って鼾をかいている。
「東先生は第二校舎の音楽室が部室だった頃からの吹奏楽部の顧問だ。取り壊される前に無くしたものを探しにくるのは別におかしいことではない」
「佐古から借りたもう一台のビデオカメラ──壊しちゃったな──」
茅乃は座卓に突っ伏すと、満腹と安堵でそのまま眠ってしまった。
遠くで聞き慣れた電子音が聞こえたので直ぐに起きた。
どうやら茅乃の携帯電話が鳴っているようだ。
鞄を探そうとして雨に触れて今は篤志の部屋に居ることを思い出す。
着信は母親からだった。
今どこにいるのか、何時に帰るのか、篤志の両親に迷惑をかけていないかと散々聞かれ電話を切った。
寝惚けた表情で母親と話をしていた茅乃が面白かったらしく、篤志は大声で笑うと、「百パーセントだ!」と言って目覚めのオレンジジュースを出してくれた。
「今は何時?」
「十二時になる五分前。二時間くらい寝ていたよ。どう?すっきりした?」
「うん。凄く良い感じ」
「そう。それは良かった」
「ごめんね、僕から押し掛けたのに寝ちゃって。何してたの?」
すると「ほら」と言って壊れたビデオカメラを差し出した。
「直ったと思うけど」
「うそ──」と茅乃は驚いてそれを受け取る。
「落下の衝撃で中の配線が切れただけだよ。元元そこは弱っていたのかもしれないけど」
「篤志くん凄いね」と感心する。
「今頃気が付くなんて、やはりきみは鈍感だな」
茅乃はさっそく映像を再生してみた。
想像していた通り、そこには第二校舎へと入る東の姿がはっきりと映し出されていた。
次に東が映ったのは校舎から出てくる時で、その表情は困惑しており、カメラの存在に気がつくと青ざめていた。
あの時の事を思い出して身震いする。
「第二校舎で何を探していたのかな」と篤志の意見を聞いてみるが彼は「さぁね」と言いながら佐古から借りたカメラで写真を撮っている。
そうだ。
篤志はもうこの話はしたくないのだ。
なのに無理矢理引っ張り出してしまった。
しかし、茅乃は試しに聞いてみる。
「篤志くんはどう思う?東先生は何を探していたと思う?」
「知らないよ、そんな事」
「何か思い付いた事を聞かせてよ」
篤志は小さく溜め息を吐いてチラリとこちらを見た。
「東先生は第二校舎の音楽室が部室だった頃からの吹奏楽部の顧問だった、だろ?第二校舎の音楽室が使われなくなって五年になる。それなのに今も何かを第二校舎で探している。その映像を見る限り探せる所は全て探して尽くしている様子だ。紙の裏とか机の中や裏側とかね。探せる場所はもう無いのに、それを諦められないという事はよっぽど大切な物なのだろうね。そして、それは必ず音楽室にあると分かっているようだ。音楽室にしか存在しないと知っている。なのに見付ける事ができない。何故だろうね」
「それは本当は存在しない─から?」
「いいや。存在するから東先生は必死なんだよ」
「じゃあ、それは音楽室じゃない場所にある─とか?」
「それならば東先生は音楽室に拘らなくていいじゃないか。五年以上前に東先生は誰かから音楽室にあるものを隠したと言われ、それを探している」
「でも、必死に探してるけど見付からない」
「探す場所を間違えているのさ」
「え?─でも、五年以上前の音楽室はあの第二校舎にある一室だけだよ」
「そうだね。だけど『音楽室にあるもの』は五年前に第一校舎へと移動している。何も教室に拘る必要はない」
吹奏楽部卒業生の写真を思い浮かべる。
「グランドピアノ─」
篤志は小さく笑った。
「グ、グランドピアノに何を隠したの?」
「そんな事は知らないよ。ただ、大きな物ではないね。小さくて目立たないような物だろう」
「何でグランドピアノにしたの?他の楽器じゃ駄目だったのかな」
「逆に他の楽器だと隠せないサイズの物なんだよ。それに、部活で使用するから隠し場所にするには不向きだ。グランドピアノは使用するけど、滅多に持ち運びはしないだろう?」
「一体何が隠されてるのかな」
少なくとも五年間は探しているはずの物だ。
「その様子じゃ探す気だね」と呆れたようにこちらを見る篤志。
「付き合ってくれる?」
「馬鹿を言うな。茅乃くん。一度ちゃんと寝た方がいいぜ。あと、もう一つ。きみがインターネットで拾った情報。あれはきっとデマだよ。七不思議と同じように発生した信憑性のない不謹慎な噂話だ」
「そうだ、篤志くん。何故バレー部が朝練するって知ってたの?」
「職員室に入った時に黒崎先生が言っていたんだよ」
その時、部屋の扉がノックされ篤志の母が顔を出した。
「昼食が出来たわよ。結城くんも食べるでしょ?」と言ってくれたのでご馳走になることにした。
「昼食を頂いてから帰るよ」と篤志に言うと「そうだね。寝た方がいい」と頷いた。
雨も起きて一目散にリビングへと降りて行く。
二人もそこへ入ると茅乃の知った人物がすでに昼食を食べていた。
「よう、篤志!あ、きみは─確か─」
茅乃はその人物を思い出した。
篤志の従兄弟の健人だ。
茅乃の住む町にある交番勤務のお巡りさん。
「ユウジくんだ!久しぶりだね」
どうやら人の名前を覚える気がないのは血筋の問題らしい。
「ぼ、僕は─結城です。結城茅乃」
「そうだそうだ!結城くんだ!ふふふ」
「健人兄さん。今日はどうしたの?非番?」
「そうだ。母さんに頼まれてあれを持ってきたんだ」と台所にあるトマトを指差す。
「近所の人に貰ったんだけど多すぎて処理しきれないからって。で、ついでにご馳走になってるってわけさ」
篤志と茅乃も席につく。
「お前たちこれからどこか行くのか?」
「茅乃くんを家まで送って行こうかと思っているんだ。この様子じゃフラリフラリと危なっかしいからね。とても世話が焼ける」
「健ちゃん。送ってあげてよ」と篤志の母。
「いいよ。だけど、送るって。お前たち何時から遊んでたんだよ」
「俺達が会ったのはつい三時間前だけど、茅乃くんは夜更かしをしたらしいよ」
「お!彼女か!」
「ち、違いますっ」
茅乃は経緯を話した。
健人が色々と聞いてくるので七不思議の事から怪しい東の動き、黒崎から聞いた話まで全て話をしてしまった。
「なんだそれは!面白そうじゃないか」と健人は笑った。
茅乃を睨む篤志の目は見ていないふりをする。
「しかし、待てよ──」と唇を尖らせて目を閉じる健人。
「健人兄さん。余計な事は言わないでよ」と篤志は止めたが相手はそれを無視して茅乃を見た。
「その行方不明の女子生徒、覚えてるぜ。噂は聞いていたな。ちょっと待てよ─思い出すから。確か─別の学校の付き合っていた男子生徒が自殺したんだよな。行方不明になった生徒を妊娠させたとかで責任感じて─」
「に、妊娠ですか!」
─そんなことになっていたのか!
「うん。女子生徒捜索の為に部屋を探っていると産婦人科の診断書が見つかってね。その直後の自殺だったはずだ」
「付き合っていたんですね」
─強姦じゃなかったのか。
「そうだ。彼女は画を書いたり特殊メイクが好きだったようで、自分の作品とかに混じって、彼との写真も大事そうに飾ってあったらしいよ。だから失踪も自殺も何だか腑に落ちないって周りは言ってたな」
─それは確かにそうだ。
「篤志くん。何だかおかしいよ」
「七不思議の調査だったのにえらい事になったな」と篤志が髪をかいた。
「えらい事って──」
篤志は悲しそうに茅乃を見て「音楽室に行こうか」と言った。
茅乃と篤志は健人の車に乗り込み学校へ向かった。
その頃にはいくつかの部活も活動をしていたがどうやら吹奏楽部は休みらしい。
三人は周りを気にせずに堂々と第一校舎に入るとそのまま音楽室へ向かった。
しかし鍵がかかっていて入るとができない。
「鍵がないねぇ」と篤志が呟くと、健人が扉の前にしゃがみこみ鍵穴に針金の様な細い棒を二本突っ込んだ。
「何をしてるの」と篤志が聞く。
すると「すぐに開けてやる」と小さく笑う。
「警察官がピッキングかよ。しかもその針金何処で見つけたんだよ」
「ここは学校だ。大抵の物はあるさ。久しぶりだぜ」
「確かに校内に時々用途不明の物が転がっていたりするよね、茅乃くん?」
「あ、うん」
茅乃は健人の手の動きに集中していた。
すると解錠された音が小さく聞こえ、健人が「腕が鈍ったぜ」と言って扉を開けた。
一番に入ったのは茅乃だった。
入ってすぐ右手に目的の物がある。
「グランドピアノ──」
─ここに一体何が隠されているのだというのだろう。
三人はそれに近づくと健人がカバーを外した。
どうやら鍵盤の蓋には鍵はかけられていない。
何故か篤志は大きなオーディオプレーヤーに近づき裏側を見て何度か頷いた。
三人は鍵盤の一つ一つからピアノ線が張り巡らされている内部、底まで入念に調べた。
「何もなさそうだな」と健人。
「グランドピアノじゃなかったのかな」と茅乃は篤志を見たが居ない。
グランドピアノの下に足があった。
「篤志くん、もうそこは探したよ」と言ったが返事はない。
探したと言っても一体自分達は何を探しているのだろうかと疑問に思う。
東もこんな心境で何かを探しているのだろうか。
茅乃は念のため机や椅子なども探してみた。
健人も同じように手当たり次第に探している間にのそのそと篤志がピアノの下から出てきた。
その時、突然怒号が室内に響いた。
「お、お前、お前たち!何してる!」
帰ったはずの東だ。
相当焦っている。
「お前は誰だ!」と健人が叫び返す。
「お、お前こそ誰だ!ぶ、部外者か!」と最もな事を言う東。
健人が身柄を明かす前に篤志が口を開いた。
「いやぁ、参ったな。探し物をしていたんです」
「ま、また探し物か!」
東の顔が赤くなる。
「はいはい。見つかりましたよ」と右手に持つ小さな茶封筒をぺらぺらと振ると東の顔色が青ざめていく。
あれが鍵を握っているのだ。
「どこにあったの?」
茅乃が聞くと「ピアノの裏側にね」と囁いて中の物を取り出した。
─さっき見た時は何も無かったのに。
「や、やめろ!」と東が叫ぶので篤志が動きを止めた。
「何故です?これは僕らが探していた茅乃くんの探し物です」
篤志の後にいる健人と茅乃はそれを覗く。
─これは
「あらら」と健人。
「これは─」
それの裏には『東先生へ。和田香住』と書かれている。
「おやおや」と健人。
─胎内写真。
三人は同時に東を見た。
「そんなに口をパクパクさせて、まるで魚ですね東谷先生。ふふふ」
「東先生だよ、篤志くん」
「お、お前たち。そ、それは─」
「写真のようです。僕たちは詳しくないのでよく判りませんが、白い影は─まぁ、何となく分かりますね。これは頭かな」と繁繁と写真を見る篤志。
「み、見せてくれ」と手を伸ばしてくる東。
「誰のやつだ?」と今にも泣きそうな声でそう言う。
もう自白しているのと変わりがない。
「さぁ、分からないですね。こんな写真なんてそう落ちている物ではないですから、持ち主を探すのは簡単かもしれませんね」
「我が校に妊娠した生徒がいるという事だな。そ、それは校長に報告せねばならない。わ、私がしよう。それを渡しなさい」と近付いてくる東。
「そうですかね?ですが、東谷先生。この胎児が産まれていれば六歳か七歳になっている筈です。だってこの写真の日付は七年前ですから。報告は必要ないですよ」
篤志は「男の子かなぁ、女の子かなぁ」と写真を見た。
「ところで、東谷先生はどうしてこちらに?」
名前が間違えていることはもはやどうでもいいようだ。
「お前たちには関係がない」
篤志は「ふーん」と言って写真と東を見比べた。
「もしかして先生、これを探しに来られたのではないですか?」とぺらぺらと写真を振る。
「馬鹿を言うな。そ、それは胎内写真だろう?私には全く関係ないものだ」
「そうとも限らないですよ」
東は血の気を無くして立っているのがやっとのようだった。
「ど、どういう事─だね」
「これは先生におおいに関係がある」
「そんなはずはない。そんな写真は知らない!ましてや胎内写真なんて!」
「おや、ちょっと待てよ。この白い影。もしかしたら──あはは!やっぱりそうだ!なんだ!光が差しているだけじゃないか!この妊婦さんのお腹に光が差して、それが白い頭のように見えているだけだよ。茅乃くんが心霊写真だなんて言うから。やっぱり馬鹿げた話じゃないか」
茅乃は写真を覗いて驚いた。
いつの間にか見知らぬ女性の写真にすり変わっていたのだ。
妊娠しており腹部に白い影もある。
篤志は茅乃に小さく頷いた。
「話がそれましたね。先生?先程この写真を胎内写真とおっしゃいましたね?」
「た、胎内写真だろう!」
「いや、僕たちはそんなことは一言も言っていませんよ」
東は小さな目を見開き顎を震わせている。
「これは女性の写真です。どこかから回ってきた悪趣味な心霊写真。実際は光の加減だけど。しかし、なぜ胎内写真だと思われたのです?」
答えられない東に対して篤志は再び聞いた。
「なぜ、胎内写真だと思われたのですか?」
「き、君達が白い影とか頭のようだなどと言うからだろう」
「それだけで?なんと、逞しい想像力なのでしょうね」と篤志が言うと健人が笑った。
「妊娠しているとか言うからじゃないか」
「嫌だなぁ。そう言い出したのは先生ですよ」と篤志が言うと東は先程よりも狼狽した。
「と、とにかく。それを私に寄越しなさい」と東が手を伸ばしてくる。
篤志は片方の眉をちょっと上げて写真をちらりと見てからそれを東に渡した。
「本当だな。し、心霊写真のように見える」
東は気持ち悪く微笑んだが、その顔は一瞬にして凍りついた。
篤志が「あ、まだある」と封筒から写真を取り出したのだ。
それは、先程見ていた胎内写真だった。
ついに──東の罪が暴かれる。
「そうか、先生はこの写真の事を言ってらしたのですね。この胎内写真の事を」
東は手に持った写真を握りしめた。
「この写真を探していたのですね」
「馬鹿げた事を!わ、私には関係ないものだ」
「東先生へ、和田香住。そう書かれたこの胎内写真の日付は七年前です」
「だ、誰だ。それは。そんな奴知らん」
「覚えていらっしゃらない?七年前の忘れてはならない出来事のはずですが」
「七年前?そんな昔の事は覚えていない」
「それは変ですよ。つい先日、僕と茅乃くんはあなたから七年前の事を聞いたばかりです。あの後、茅乃くんが黒崎先生に確認をとったところ、行方不明の女子生徒の話を聞かせてくれたようです。名前こそ教えてはくれなかったようですが、それは僕が確認済みです」
─なるほど。バレー部の朝練情報を仕入れた時か。あの時、職員室にいたと言ってたから。
「和田香住さん。彼女は高校二年生のある日、大切な絵画コンクールを目前に突然姿を消した。それが七年前。どうやら彼女は妊娠していたようです。その事はこの写真の日付と名前を見れば一致するので間違いない。自宅にも診断書があったようですしね」
話をする篤志の目は東を見据えているが、それは死んでいるかの様に冷たく光っている。
この先の事を言うにあたって東を心の底から軽蔑しているのだ。
「そ、その胎内写真に私の名前があるだけだ!東なんて他にもいるだろう!」
「先日調べたのですが、過去に東と言う教師はいませんでした。この写真に書かれている東先生とはあなたの事なのです。和田香住さんは何故あなたにこれを送ったのでしょう」
「し、知らん!」
「そうですか。しかし全く関係のない人物にこのような写真を隠すようにして送るでしょうか?ましてや教師に宛てるなんて、余程深い意味があるはずです」
「そんなのは知らない!」
東は大声を上げた。
額には冷や汗が滲み、眼鏡はずり落ちている。
「あなたは──」
篤志も少し声を大きくする。
「和田香住さんを強姦しましたね。そして、妊娠させた」
「ば、馬鹿な事をい、言うな!」
明らかに嘘をついている。
見苦しい。
「それをネタに脅されましたか?お金を要求された?」
「知らんと言っているだろう!」
「この写真はどこにあったと思います?あなたには思いもよらない所ですよ」と篤志は写真をヒラヒラと振った。
しかし「私には関係のない事だ!」と言い張る。
「もしかしたらまだ隠されているかもしれないなぁ」
篤志がそう言うと東は額の汗を拭った。
「そ、それは──」
「ん?」
「だ─第二校舎じゃないのか?」
東はハッキリとそう言った。
─馬鹿だ。まんまと罠に嵌まっている。
篤志はニヤリと笑った。
「違います!このグランドピアノです。あなたは当然グランドピアノも入念に探したはずです。しかし、見付ける事はできなかった。何故なら目に付かないような場所にあったからです。──彼女は美術が得意でした。美術部に所属していたのも確認済みです」
「それがどうした」
「グランドピアノの脚に本当に気を使って見ないと分からないくらいの塗装がありました。それを剥がすと正方形に切り込みがあったのです。その切り込みは一枚の薄い板でした。ピアノに直接僅かな窪みを彫り、そこに板で嵌め込むようにして写真が隠されていたのです。彼女はそういった細工が得意だったようですね。第二校舎の音楽室にあるピアノで行われたそれは第一校舎へと移動したのです。だからいくら探しても第二校舎にあるはずがない」
「そんな事を─」
「あなたはこの写真で脅された。脅しの内容には興味はありません。僕は恐喝を軽蔑します。しかし、あなたのしたことは犯罪です。確りと法で裁かれるべきだ」
もう知らぬ存ぜぬは通らないと思ったのか東は話し出した。
「ばらされたくなかったら金を寄越せと言われた。まるでサスペンスドラマのようだった。しかし、これは現実だ。一回の行為で身籠るなんて──。脅されてから恥ずかしい話、一度も機能していない。避妊していても次またそうさせてしまうかと思うと──起たないのだよ」
まるで自分が被害者だというような口振りだ。
茅乃は無性に腹が立った。
「私は金を渡した。これで解放されると思ったんだ。すると彼女は写真は音楽室に隠したと言った。自分と東先生とを繋ぐものはその写真だけだから安心しろと」
東の手は震えている。
「私は必死になって探した。まさかグランドピアノに隠してあったとは──」
「では、あの音楽室の不思議。あれはあなたが広めようとしたものだったのですね?間違っても他の誰かに見付からないように必要最低限の出入りはさせない。オーディオプレーヤーの裏側に購入した日が記されていました。それは八年前、つまり音楽室の不思議が発生する一年前です。このメーカーはとても有名で優秀だと言われています。一年の間にCDが駄目になってしまうほどオーディオプレーヤーが故障することはあまり考えられない。それに、修理や交換の際には機器のシリアルナンバーにそれと分かるような印があるはずです。僕の家にある同じメーカーのプレーヤーにもあります。それがあれにはない。つまり、修理、交換はされていない。オーディオプレーヤーの故障は嘘です」
東は小さく笑った。
「そうだ。きみの言う通りだ。音楽室の不思議は私が作り出したデマだ。必死になって探していたのに全く違う場所にあったなんてな。そして、写真の在処だけ言って和田香住は姿を消した」
「行方はご存知ないですか?」と篤志。
「知るわけないだろう!金を受けとると付き合っていた奴と遊んだんだろうよ。家出だって噂だ」
「付き合っていた奴?」
「あぁ。あいつは別の学校に通う幼なじみと付き合っていたんだ。君たちの追っている七不思議にあるだろう?体育倉庫の首吊り姿。その正体はそいつだ。そいつは自殺したんだよ。言っておくが理由は知らないぞ」
茅乃はその言葉に何故か違和感を覚えた。
─それは変じゃないかな。
それが口をついて出てしまった。
「変ですよ。それは──」
東の視線が突き刺さる。
篤志はその東を見据えている。
健人は視界にいないので分からないが、恐らくこちらを見ているだろう。
「何が変なんだ?」
「さっき先生はその男子生徒は違う学校に通っていたと言いました」
「あぁ、言った。それの何が変なんだ?」
「その事は─学校関係者では当時の校長と教頭そして担任と副担任しか知らないはずです」
東が息を飲んだのが分かった。
明らかに動揺している。
「噂は広まるものだ!」
それを言われると困ってしまう。
その噂が四人の間で止まったまま広まっていないという理由はどこにもない。
口ごもる茅乃を見て篤志が口を開いた。
「ええ、そうです。噂は広まるもの。先ほど珍しく茅乃くんが的確な事を言いました。こんな事は滅多にない。四人しか知ることのない事実を何故あなたが知っているのですか?」
「ふん!そんなもの生徒が噂話をしているからに決まっているだろう」
「生徒の噂話を聞いたという事ですね?」
「ああ。当時はその噂話で持ちきりだったからな。皆同じ噂ばかりだ」
「そうですか。ならばあなたは嘘ばかりだ」
「なに?」
「噂は広まります。この場合の秘された噂話は好奇心と恐怖心により歪んで広まりました。生徒達がしていた体育倉庫の首吊り姿の噂話はこうです。午前零時に現れる男性教諭の首吊り姿」
─あ!そうだ!ちょっとしたズレだ!
東は表情を固めた。
「生徒達が体育倉庫の噂話に持ち上げたのは『男子生徒』ではなく『男性教諭』なのです。その男子生徒は体格は逞しく、背も高かったから大人と間違われる事もあったそうです。ここで歪んでしまった噂話があなたの耳に入ったならばあなたの記憶でも『男性教諭』でなければならない。『幼なじみの他校の男子生徒』は学校関係者では限られたあの四人しか知り得ない情報だったのです」
東は何かを考えるようにしてずり落ちてくる眼鏡を上げた。
「和田香住から聞いた。そいつと付き合っていると」
「ならば何故初めからそう言わないのです?」
篤志の声と表情は恐ろしいくらいに冷たい。
「忘れていたんだよ!」
「また嘘ですね」
顔をひきつらせる東。
「あなたにとって彼女に恋人がいるかどうかはとても重要なはずです。忘れているわけがない。何故なら身籠っているのは彼氏との子供かもしれないからです。そうならそうと徹底的に調べたはず。それを忘れるはずがない。あなたは嘘をついています」
篤志の言葉に息を詰まらせた東は今にも泣きそうな顔をして、立っているのがやっとという様子だ。
「直ぐに潰せてしまう嘘をつくくらいなら正直に話をしてください。その方がお互い楽です」
「─お、脅されたんだよ、私は。今でも覚えているよ」
──────────
七年間。
東は吹奏楽部の練習を終え戸締まりをして職員室に戻る所だった。
春の陽気が心地好い。
そこで美術室の扉が開いている事に気が付いた。
美術部顧問は帰ったはずだし下校時間もとっくに過ぎているので、変に思いそこを覗くと一人の生徒がいた。
それが和田香住だった。
長い黒髪を一つに束ね、それを右肩の方へ流しいるので白く透き通った首筋が見えてとても美しかった。
彼女は東に気付く事なく黙々と目の前の石膏像を描いていた。
「和田さん」と声をかけると彼女はゆったりと振り返った。
「何をしてるんだ?下校時間はとっくに過ぎているぞ」と彼女の背後に近付く。
白い項に全身の血が活発になる。
「もうこんな時間か。先生が来てくれないとずっと描いてました」と和田香住は困ったように微笑んだ。
「少し手伝って欲しいんだ」と言ってしまった時に踏みとどまる事はできたのにそうできなかった。
「何をです?」
「簡単な事だよ。軽い楽器を運んでほしいんだ」
そう言って美術室の電気を消して二人は音楽室へ入った。
もう抑えられなかった。
駄目だと分かっていても引き返せなかった。
音楽室の鍵をかけ、電気を消すと彼女は何かを覚り逃げようとしたが、東はその華奢な手首を素早く掴んだ。
「いやだっ!」
「一回だけだから」と拒む彼女を後ろから抱き締め、首筋に唇を押し当てた。
そしてスカートに手を忍ばせる。
しかし彼女は力を振り絞ってその拘束から逃げ出した。
「きもいんだよ!変態おやじ!」
そう言われて何かが崩れた。
「来るな!」
後ろ歩きで逃げる和田香住が転んだ所を上から乗り、シャツを捲り上げ、二つの膨らみを露にさせる。
「いやだっ!やめろ!変態!」
もう何を言われても殴られても良かった。
この昂りを出しきるだけだ。
スカートも捲り下着を下ろす。
それでも和田香住は這うようにして「嫌だ嫌だ」と泣きながら逃げた。
自らの下半身を露にしながらそれを追う東が彼女を捕らえたのはグランドピアノの下だった。
そして東は彼女の中に入った。
彼女はただ涙を流していた。
己の欲望を出し切ってしまって事の重大さに気が付き動転した。
だから、口止めする余裕もなくその時は必死になって逃げた。
数日間は本当に恐ろしかった。
誰かが自分の名前を呼ぶだけで神経が過敏になり、警察官を見れば自然と方向転換した。
しかし、一週間二週間と経っても何も起きなかった。
和田香住も何事もなかったかのように登校し部活にも顔を出していた。
─もしかしたら悪くなかったのか?
と世にも恐ろしい考えを持つようになってしまった。
ある時、音楽室の戸締まりをして職員室へ戻ろうとした時だった。
音楽室に和田香住が入って来た。
後ろには他校のジャージを着た男が立っている。
二人は音楽室に鍵をかけた。
「先生?」と微笑む和田香住に背筋が凍り付いた。
「な、なんだ。驚くじゃないか」
「三ヶ月前、先生が私にした事を覚えていますか?」
「う──」
「私、妊娠しました」
「は?」
「妊娠です。あなたのせいです」
「え、そ──そんな。う、嘘だろう」
和田香住は一枚の写真をヒラヒラとさせた。
「これ、胎内写真です。だから嘘じゃないです。家に診断書もあります」
東が後ろの男をチラリと見たのに気が付いた和田香住は小さく笑った。
「違います。彼の子ではありません。確かにつき合ってますが、まだ一回もヤってません」
「嘘だ!」
「それを信じるかどうかはどうでもいいんです。あなたの子には間違いないのですから。いずれにしろ先生は私にマズいことをしましたよね」
「言い逃れはできないよ、東先生」と男が口を開いた。
「こいつ、幼なじみなんだ。とても優しくてか弱いやつなんだよ。こいつがお前にされた事を辛そうに話しているのを聞いて我慢できなかった。お前を是非とも殺してやりたいくらいだぜ」
「こ、殺しに─き、来たのか」
「まさか!俺たちは犯罪者になるために来たんじゃない。お願いがあって来たんだ」
「か、金か」
小さく笑う男。
「話が早いね。もしかして何回か経験あったりして。──そう。金だよ。と言っても中絶費と少しの慰謝料で構わない。さっきも言ったけどこっちは犯罪者になりたくないから。それさえくれれば黙ってるよ。写真も返す。嘘じゃない」
「いくらだ?」
「慰謝料含めて五百万」
「そ、それは」
「無理か?嫌がる香住を無理矢理ヤっといて、都合が悪いからって無理って逃げるのか?あんた結婚してねぇし、質素な生活してんだろ?生徒の中では相当金があるって噂らしいぜ。それで五百万なんて安いくらいじゃねぇか?」
数日後、東は五百万円を用意し音楽室で二人と会った。
「写真を─た、胎内写真をくれ!」
和田香住は「ああ」と笑った。
彼女の裏の顔に身の毛がよだつ。
「それならこの部屋の中に隠しました」
「かくした?」
「ええ。自力で探してください」
「そんな──」
「簡単には忘れさせませんよ」
和田香住の声は冷たかった。
「安心してください。私と東先生とを繋ぐものはあの写真だけですから」
──────────
一通り話終えた東は近くの机に手をついた。
「その後は知らん。和田香住は音楽室を出てから行方不明となり、何故か彼氏の方は体育倉庫で自殺していた」
「今の話を聞く限り、男が自殺をするとは考え難い。高校生にしちゃ大金だ。それを目の前にそんな事するなんて」とようやく健人が口を開いた。
一同は黙った。
この沈黙は何を語っているのか、それぞれの考えは一つだろう。
「わ、私を疑っているのか」
沈黙。
「私は何もしてないぞ!わ、私は脅されたんだ!それだけだ!金も渡した!何もしていない!確かに私は和田香住を強姦した!だが、殺してはいない!」
三人の視線が東に刺さる。
「違う!本当だ!──そう!そうだ!しょ、証拠を出せ!私が二人を殺したという証拠だよ!」
ふふふ、と聞こえてきた。
篤志の笑い声だろうか。
それとも健人だろうか。
ふふふ。
二人の声はとても似ている。
ふふふ。
違う。
女性の声だ。
聞いたことのない、消えそうな声。
その声は東にも聞こえているようで、辺りを見回して息を荒くすると机にぶつかって転がった。
その時だった。
耳鳴りのように「うぅ」と苦しそうな低い呻き声が聞こえてきた。
幻聴かと思ったが違った。
男の呻き声と女の笑い声が身体中に染み入るように聞こえてくる 。
和田香住とその彼氏の声か?
ならば──
心霊現象──?
「な、何だ!」
東は辺りを見回しながら懸命に酸素を吸った。
尻を引き摺りながら後方へ移動する。
うぅ──
ふふふ──
「どうかされましたか?」と篤志。
「な、なんだ!」と声を裏返しながら叫ぶ。
「どうした?」と健人が問うが篤志は分からないという様に肩をすくめる。
うぅ──
ふふふ──
二人には聞こえていないのだろうか。
この気味の悪い呻き声と女性の笑い声が。
微かだが耳を澄ませなくとも聞こえているのに。
うぅ──
ふふふ──
「やめろ!やめろ!」と耳を塞ぎなが叫ぶ東に「東先生?」と篤志が近付いて視線を合わせるようにして屈んだ。
「嫌だ!く、来るな!」
「どうされました?」
「あいつらが!く、来る」
うぅ──
ふふふ─
「あいつらとは?」
「し、知らん!」
茅乃にはもう何が何だか分からなくなってきた。
それを問おうとしたが健人に肩を持たれて止められた。
「知らない奴が来る?それじゃ分かりません。誰が来るのです?」
うぅ──
ふふふ──
「そ、それは──」
うぅ──
ふふふ、先生──
「わ、和田──香住!」
そう言って東は篤志の背後を指差した。
三人は篤志の背後を確認するが誰もいない。
「和田香住さんは行方不明です。此処にいるはずがない」
「和田──香住」
「彼女は何処です!」と恫喝する篤志。
「やめろ!」
「あなたが居場所を言わない限り、和田香住さんはあなたから離れないぞ!さぁ!言いなさい!彼女は何処です!」
ふふふ──先生?
「お、おくじょ──屋上─」
それだけ言って東は失神した。
「ありゃりゃ。刺激が強すぎたかな」と健人。
篤志は溜め息を吐いて立ち上がるとこちらを見た。
「こんなこと、もう二度とやらないぞ」と言ってオーディオプレーヤーの前に進んで何かのボタンを押した瞬間、男の呻き声と女性の笑い声が止んだ。
何だか取り残されている。
「え──い、今の──」と戸惑う茅乃に笑いかけた健人は「俺は警察を呼んでくるよ」と言って携帯電話を持って音楽室の外に出た。
「篤志くん?」
「まったく!悪趣味な手段だった。これを使わない事を望んでいたのに」と東を睨んだ。
「行方不明だと言っていたのに切羽詰まったのか、殺してはいないと言い出した。やはりこいつが二人を殺していたのだよ」
「屋上って──もしかして学校の?」
「それはないよ。この学校の卒業アルバムには高空から撮った写真が毎年載っている。それには何も写っていないから」
ホッとする茅乃。
「東先生─いや、この人は」
もう先生とは呼びたくなかった。
「この人はいつ二人を?」
「それは本人が喋るさ。俺たちはそのきっかけを作り出しただけだ。和田香住さんが見えたようだから本人にも何かしらの呵責はあったのかもしれない。──そうあってほしい」
篤志はとても悲しそうに東をチラリと見た。
「あの男の呻き声と女性の笑い声は篤志くんが?」
「あぁ、そうだ。きみが俺の部屋で眠っているときにね。佐古くんの録音機器を借りて母の笑い声と父の独り言を録音した。父の独り言は念仏のようだから東にはいい効果になったようだ。まさか心霊現象だと思っていたのか?」
「だって。篤志くんと健人さんには聞こえてないみたいだったし。まさかオーディオプレーヤーを使っていたなんて思っていなかったよ」
「呆れたね。この間、散々言って聞かせたのに」
「分かってるよ。だから少しは冷静になれたんだ。で、あの胎内写真は?」
「実際にあったよ。本物だ」
「じゃあ、あの心霊写真に見えた妊婦さんは?」
「あれはネットから出してきたやつだよ。黒崎先生や健人兄さんの話で和田香住さんが妊娠していることは事実と確信した。その鍵を東が握っていることもね。だから念のためさ」
「すごいや。そんな事までしてたんだね。僕には思い付かないよ」と感心する茅乃。
「言っただろう。きみに終息させららるとは思わないって。結局俺が火の粉を被るはめになるんだ」
──────────
数日後、事件の概要が明らかになった。
新聞やニュースでも話題となり、様々な臆測も飛び交った。
東は金を渡した直後に二人を襲った。
男に罵倒され腹が立ったのだという。
この時の為に護身用として持っていたナイフで和田香住を人質にとり、体育倉庫まで移動した。
叫ぶ和田香住の鼻と口を押さえていると窒息した。
東は自分が首を吊る為にと男に縄で輪を作らせてそれを天井にかけるのを見ると、隙を狙いそれを男の首にかけ自殺に見せかけた。
次に失神した和田香住を引き摺り車に乗せた。
その時、校舎裏の池の前を通ったので和田香住の私物が池に落ち、そこで池の不思議が出てきたのだろう。
そして、自宅マンションに運び入れるとナイフで心臓をついた。
彼女の遺体はマンションの屋上に遺棄した。
その証言を元に警察がマンションの屋上を調べると、屋上に入るための扉の上から女性の白骨が発見された。
周囲にはこのマンションより高い建物はなく、屋上も足場が悪いので誰も近寄らなかったという。
「篤志くん、事件の詳細聞いた?」
二人は報道があった翌日の昼休みに屋上でくつろいでいた。
「見て分からないか?俺は今のんびりしているんだ。邪魔しないでくれよ」
篤志はサングラスをかけて横になっている。
「東は全てを話したのかな?護身用のナイフって本当だと思う?」と構わず聞く。
拒否をしても質問すれば必ず返事をしてくれるの事を知っている。
「さぁね。計画的だけど、なんとも言えないな。どんな言葉が東を突き動かしたかは分からない。そう言えば佐古くんの機材どうした?」
「返したよ。あのカメラは最初から調子が悪かったみたいで、篤志くんが修理してくれたって言ったら喜んでた。あと、犯人逮捕の役にも立てたってはしゃいでたよ。新聞もね、もう七不思議は中止にした。クラス新聞の域を越えたから」
篤志はふふふと笑った。
そこで「おい、お前たち」と二人を呼ぶ声がした。
見ればそこに榎茸のようの黒崎が立っていた。
「またサボってる」
「昼休みですよ」と茅乃。
すると黒崎は小さく笑って二人の前に座った。
篤志は相変わらず寝転がったままだ。
「立入禁止だぞ」
「先生こそ」
「寝てるのか?」
「こう見えても起きてますよ」と篤志の代わりに答える。
黒崎は胸のポケットから煙草を取り出して火をつけた。
そしてそれを旨そうに吸う。
「新聞には載せるなよ。屋上は一応禁煙だからな」
「トップニュースにします」と冗談めかして言うと黒崎は笑った。
その煙草を吸い終わるまで三人は黙っていた。
確か、黒崎と東は同い年であり、同期だったはずだ。
何か思うところがあるのだろうか、視線は空に向いている。
黒崎は結婚して子供もいるが、東は独身だった。
外見も性格も正反対だ。
茅乃は何だか悲しくなった。
「あいつは馬鹿だ」
そう言って煙草をポケット灰皿に押し付ける。
「本当に馬鹿な奴だよ」
茅乃にはかける言葉が浮かばなかった。
黒崎は一つ息を吐いて立ち上がった。
「あと五分で授業だ。サボるなよ」
それだけ言うと去って行った。
取り残された二人はやはり黙ったままだったが、篤志がふいに上半身を起こした。
「さてと──」
立ち上がった篤志はサングラスを取って茅乃を見た。
「教室に戻ろうか、茅乃くん」
風が強く吹いた。
もう空気は秋の到来を告げている。
風のほのかな冷たさ、山の木々の移ろう自然色。
茅乃の一番好きな季節だ。
見下ろせば黒崎が職員室へ向かう後ろ姿が見えた。
つまらない人生を送るかもしれない。
何の為に生きているのかと自暴自棄になるかもしれない。
ただ、それを嘆くことはしたくない。
結果、悩もうが苦しもうがその道を選んだのは自分なのだから。
つまらないと思うのは自分の価値観で決まる。
だから前さえ向けばなんとかなると思う。
もし──
苦しくて苦しくてやりきれなくなったら会いに行けばいい。
少しおかしな友人に。
馬鹿だと慰めてもらおう。
茅乃は三條篤志の後ろ姿を追った。
END