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雅人が診察室から出て行った直後、診察室と外来窓口を遮っていたカーテンの間からナースが顔を出す。
彼女の名前は川越優奈。
三年前に越谷と同じ時期に移動してきた若いナースの一人だ。
三十を少し過ぎたくらいだったと記憶しているが、とても優秀なナースだ。
明るく元気な彼女は院内での評判もいい。
誰に対しても気さくに接しているため、入院している子どもたちやお年寄りからも優奈ちゃんと呼ばれて慕われている。
ナースの仕事は医師と同じくらいハードだ。
小柄な彼女のどこにそんなパワーがあるのか、越谷はいつも不思議に思っている。
「先生、すこし休憩なさったらいかがですか? 中野先生も水戸先生もいらっしゃいますから、外来は大丈夫ですよ」
越谷が腕時計を覗いてみると、既に午後二時を過ぎていた。
昼の外来が長引き、さらに雅人の相談にものっていたため、昼休みはとっくの昔に終わっていたらしい。
「ぼくは大丈夫だよ。 そんなにお腹減ってないし……」
「そんなわけないじゃないですか。 顔に疲れが出てますよ」
「え、本当に?」
ナースが笑う。
「そこまで酷い顔はしてないですから、大丈夫です。 でも、先生に倒れられたら私たちが困るんですから。 少しでも休んできてください」
「そこまで言うなら……。 じゃあ、何かあったらすぐに呼んで」
「分かりました」
診察室を出ようとした越谷を、川越が呼び止めた。
「越谷先生、今日は何を食べるんですか?」
「何だろうなぁ。 カップラーメンとかでいいと思ってるけど」
「やっぱり。 そんなじゃ元気でないですよ。 ちょっと待っててください」
そう言って姿を消した川越。
しばらくすると手にビニール袋を持って現れた。
「越谷先生、鶏肉が好きなんですよね?」
「え、うん。 好きだけど……」
「実は今朝、全国駅弁市に行ってきたんです。 越谷先生、いつもカップラーメンばかり食べてるから、たまにはおいしいご飯を食べてもらおうと思って買ってきちゃいました」
「いいの?」
「もちろん、先生に買ってきたんですから」
川越はニコニコしながら越谷に弁当を手渡す。
袋の中を覗いてみると、たまごと鳥のそぼろごはんだった。
そぼろは越谷の大好物である。
大好物が食べられることも大きかったが、何よりも川越の気遣いが嬉しかった。
「電子レンジで温めて食べるとおいしいですよ」
「そうさせてもらうよ。 どうもありがとう」
「いいんですよ。 今度先生が何か奢ってくださいね」
そう言って川越は消えて行った。
かわいい子だ。
特に変な意味は無く、純粋にそう思う。
器用で、気が利く、今時珍しいくらいのいい子だった。
越谷はそのまま医局へと足を薦め、言われた通り電子レンジで弁当を温めると、それを持って小児病棟に向かった。
院内学級を覗いてみると、そこには色んな学年の子どもたちが楽しそうに遊んでいる。
院内で数少ない、明るい子どもたちの声が聞こえてくる場所だ。
今は元気にしている子どもたちだが、実は難病を抱えている子も少なくない。
単なる怪我の子もいるが、半数以上が入退院を繰り返したり、長期入院を余儀なくされたりしている子どもたちだ。
越谷は、時間を見つけてここの子どもたちと話すようにしている。
院内学級のドアをノックすると、一番ドアに近い場所にいた女の子が越谷を見つけ、パッと顔を輝かせて駆けてきてくれた。
「先生、来てくれたんだ!!」
「一緒にお昼ご飯を食べようかと思ってね」
「わーい、先生、こっち!!」
「ずるいよ!! こっち来て!!」
小さな子どもたちに手を引っ張られる越谷。
そんな彼らを優しく見守りながら笑っている、中学生くらいの子どももいる。
いろんな子に引っ張られながらやっと一つの机に座ると、越谷はあたためた弁当を袋から取り出して蓋を取った。
卵と、甘いたれの匂いが部屋に広がる。
「うわぁ、おいしそうだねぇ!!」
「川越さんが買ってきてくれたんだよ」
「いいなぁ。」
「へへっ、あげないよー」
いたずらっぽく笑った越谷に、子どもたちは頬を膨らませた。
わいわい盛り上がっている中、越谷の目に一人の女の子の姿が止まった。
院内学級の入り口に一人で立っている。
ピンク色のパジャマに身を包み、肩まで伸びた髪を三つ編みにしている。
小学校高学年くらいの彼女は、ジッとこちらを見ているが入って来ようとしない。
割と頻繁にこの場所に来る越谷でも初めて見る子だった。
「あ、小夜香ちゃんだ。 こっちおいでよ!!」
子どもたちの一人が明るく声をかける。
すると彼女は、入って来るばかりかその場から立ち去ってしまった。
「なんだよ、変な奴」
越谷の隣に座っている小学生の男の子が口を尖らす。
「純也、あの子、誰?」
「あれ? 先生、知らないの?」
「先生は初めて見たよ」
純也は院内学級で一番年上の中学二年生だ。
ここの子どもたちをまとめる兄貴でもある。
院内の子どもたちに関する情報は、彼が一番詳しかった。
「藤沢小夜香ちゃんだよ。 二週間前に転院してきたんだ。 本当はここで一緒に勉強するはずだったんだけど、誰が誘ってもああなんだよ」
「そうなんだ……」
越谷は、こちらを見つめていた彼女の悲しげな表情が気になって仕方なかった。




