■其の一「魔物の住む森」
■其の一「魔物の住む森」
深く深い森の中、ポツンと佇む一軒の古い屋敷がある。
古い屋敷だ。門の周りは薔薇の花が囲むように覆い、甘い匂いが漂っている。
「……見つけた……」
草木を体中に貼り付け、あちこち服は破れ、顔や腕には切り傷だらけという満身創痍の姿で、男は屋敷を見上げる。
夕暮れだというのに、明かりは一つも付いていない。
とても誰かが住んでいる気配はない。
「屋敷があるって事は、デマって事はねぇな…」
化け物が本当に存在するのであれば、殺してしまえばいいと隼人は思った。
むしろそれしかないと思うほど追い詰められていた。
古くからその土地周辺を管理する神谷家には、昔から言い伝えがあった。
『東の森に足を踏み入れる事はならない。』
その森には魔物が住むという。
足を踏み入れた人間は生き血を抜かれ、廃人となり、決して戻ってはこれないと。
掟を破ると災いが起こるとも言われている。
古くから伝わる話だ。今ではもう誰も信じてはいなかったが、わざわざ村人達が踏み入れる事はなかった。
……数ヶ月前までは。
ここ数年、村で作物が育たなくなってきたのだ。
土を変え、肥料を変え、あらゆる工夫をしてみたが、何が原因かわからないまま時だけが過ぎた。
やがて蓄えも無くなり、川からは魚もいなくなった。そこで誰もが森に目を向けるのは仕方のない事だった。
長い話し合いの末に、神谷家の当主は決断した。
「このまま飢え死にするよりか、災いを受け入れて生き延びるべきです。」
反対していた者も、我が子は可愛い。やがて彼らも同意して村人は森に足を踏み入れた。
森は豊かで宝の宝庫だった。
ありあまる自然に包まれた森は美しく、村人が見たことも無い木の実や山菜がいくらでも採れた。
また、野生の動物も多く生息しているので、かれらは大いに喜んだ。
森に入って狩をする者や、木の実や薬草を採りに入る者もどんどん増えていった。
ただ、あまりに深く入りこむと、野生の狼の群れに襲われるので、狼に出会わぬよう一定の距離を測りながら、村人達は暮らしていた。
そうして森に入るようになって数ヶ月後。
原因不明の病が村を襲っていた。
何の手立てのないまま死んでいく村人達。
「森に足を踏み入れたせいだ」
「魔物の呪いだ」
「あんたが森に入るのを許可したからだ!!」
手のひらを返したように叫ぶ村人をなだめながら、領主は近隣の村から医者を集め、患者に向わせたが、揃って首を振るばかり。
奔走していた領主も昨日ついに病に倒れた。
領主の長男である隼人は、大きな街で一人の医者を探していた。
医者は見つからなかったが、街には多くの資料が収められており、同じような病状がないか調べていたのだが、偶然見つけた自分の村に関する古い資料に、隼人は驚きながらもページを開いた。
私がこの記録を残すことがいい事かはわからない。だが先々同じような事が起こらないとは限らない。
兄は間違っていた。だが仕方がなかったと言わざるをえなかったのだと思う。それだけ当時村は貧困にあえいでいた。
村人達よ『森に入ってはいけない』それだけは守っていて欲しい。
あんな悲劇はもう繰り返したくはない。
昔。私がまだ十五歳になったばかりだった。
ある時水不足が続き、村人達が倒れていった事があった。
作物は枯れ果て、食べ物を奪い合う姿があちこちで見かけられ、力なきものは怯え、何人もの子供が死に狂う者もいた。
村中の者が生きる事に疲れ果てた頃。
一人の男が森の中へ足を踏み入れ、山のように食べ物を抱えて帰ってきた。。
当時から、その森は死の森と呼ばれ、入ったものは出て来れないと言われていた。
森から無事に出てきた男に、どうしたのかと聞くと、森に住んでいる、優しい魔物の人にいただいたんだ。と笑ったという。
そうして、ここまでは入ってもいいと許可をいただいた。そう言って彼は村人と共に、もう一度森に入ると、目印に木に縄をかけ、そこからは禁域とし、立ち入ることを禁止した。
「ここまでならば、入る事を許してくれたんだ。迷うことはないから無事に帰って来られるよ」
その話に半信半疑だった村人も、彼が縄を張った所までは自由に行き来出来る事を確認すると、大いに喜んだ。
森で持ち帰った多くの作物は、人々に生きる活気を取り戻させた。
水が無くても育つ強い食物。乾いた土に根を張り、大きな実をつけた。
村は森の恩恵を受け、潤いを取り戻したが、やがて、村人達はその禁域を破り、狩をするようになった。
だが、禁域を破り、森を荒らしたことに怒った魔物は、その人々を殺した。
家族を殺された当時の領主は、怒りをあらわに男に詰め寄った。
だが非があるのは明らかにこちらだ。
「なぜ禁域を超えるような事をしたんですか?」
男の最もな訴えにも、悲しみと怒りでいっぱいの村人達には通用しない。
やがて男は魔物と話をしようと森に足を踏み入れた。
禁域を超えられるのも、森を自由に歩けるのも、魔物は男にだけは許していたので。
男の後ろから村人が付けているとも知らず。
そして、その森に住んでいた魔物を退治した。
男は嘆き、悲しんだ。なすすべもなく殺された魔物。彼女が何をしたのだと憤った。
だがしかし、村人は自らの子供・夫を殺されたのだと言って意見を変えなかった。
男は村から姿を消した。
ただその時に…魔物の子供を一人逃がしたとも書かれてあった。
魔物を殺した瞬間。森は以前と同じ魔の森へと姿を変えた。
入ったら二度と出られぬ森に。
我等はやむなく住む場所を変えた。森の反対側にあったサエラの村に受け入れてもらったのだ。
だから村人よ。わが子孫達よ。これだけは忘れてはならない。
『決して森に入るな。』
全てを読み終えた隼人は、震える手を押さえつつ、足早に建物を出た。
もし。
もしもその子供が生きていたとしたら。
森の中へ住んでいたとしたら?
この災いはその魔物の子供かもしれない…
確かとは言えないが、ここまで原因不明な病が広がりだしたのも、もしその魔物の復讐なのだとしたら?
じっとしていても仕方ない。
(確かめるべきだ…)
自分にできる事は、もう他に何もないのだから。
隼人は逸る気持ちを抑えつつ、村に帰るべく足を速めた。