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平穏の狭間

 ……今度こそは!って気合入れたはずなのに何でこうなるかなぁ~?






 オリンピックの開会式に着る制服を忘れてしまったことに気付いた私は、慌てて家に電話し無理やり弟に持って来てもらえるように頼んだ。

 弟は渋々ながらも了承し、届けてもらえることになった。


 何とか開会式に間に合わせることが出来そうで浮かれ。

 スキップ交じりの歩調で角を曲がった私は、思いっきり誰かにぶち当たり尻もちをついてしまった。


「いってー……」

「I'm sorry. Are you OK?」(すみません。大丈夫ですか?)


 そう言われて紳士的な相手は手を差し出してくれたけど、淑女でもない私はその手を取らずにさっさと立ち上がってしまった。


 もちろん手を差し出してくれた人には思いっきり失礼な態度だったりもするんだけど、差し出された手を取るだんなて自分のキャラじゃないしね。

 逆にそっちが恥ずかしい。


「Thank you.OK」(ありがとう。大丈夫)


 そう言って汚れてしまったGパンのお尻をぺしぺしと払って顔を上げ、思わず固まってしまった。


「アレク……」


 顔をあげて見た相手。

 目の前にいて手を差し出してくれた紳士は、銀の髪の持ち主のアレクだったのだ。


 よりによって洗いざらしのGパンに擦り切れたパーカー姿の時に、どうしてアレクと会っちゃうんだよ~。


 情けない気分の私の前でアレクは表情を険しくした。


「Being called by nickname is unpleasant.」(愛称で呼ばれるのは不愉快だ)


 冷たい表情は言葉を氷のように変えて相手を突き刺すけれど、「アレク」と呼んでいいと言ったのはアレク自身だしアレクの冷たい物言いにも慣れている。


『アレクって呼んでいいって言った』

「why?」


 いきなりロシア語で話し出した私になのか。

 アレクと呼んでいいって言った私になのか。

 驚いているアレクは私を上から下まで探るように見た。


『だから、アレクサンドルって言い難いって言ったらアレクが短くしていいって言った!』

『僕が? ……君は誰だ?』


 訝しげなアレクに開き直った私は腰に両手を当て、えらそうな態度で自分より背の高いアレクを見上げた。


『ヒカリ・タカヤマだ!』

『!!』


 そう名乗ったとたんアレクは目を大きく見開いた。







『ヒカリ?』


 自分の名前を名乗ると、アレクはそんな私に驚いたと言うよりまるで自分が嘘をついているような気分になるぐらい訝しげな表情で確認するかのように私の名前を呼んだ。

 ずっと会わなかったしアレクは私を男の子だと思っていたんだろうから仕方ないんだろうけどね。


『うん、そう。久しぶりだね、アレク』


 にっこり笑って挨拶する。

 久しぶりに会ったアレクはすっかり成人した男性だった。


 クールに見える碧眼の瞳が私を見下ろす。

 色素のあまりないアレクの表情は乏しく、整った表情がアレクを近寄りがたいものにさせている。


 スラリとした長身、1つに結んでいる銀の長い髪が薄茶のジャケットの上に流れ気品を漂わせていた。

 この碧眼の瞳は、プレイ中に突き刺さるほど気迫を伴うと冷たく光り大抵の人は怯えてしまう。

 まさに氷のグランドマスターと呼ばれるに相応しい。


 私はそんなアレクにも懐かしさを覚えるばかりだけれど……。

 

『僕の聞いた話だと、ヒカリ・タカヤマは交通事故で死んだということだが?』


 きっと人伝いに噂が流れて途中で話が捻じ曲がり、死んだってことになったんだろう。

 確かに交通事故で重体にはなったけどこうして生きてる。


『勝手に殺すなよ。確かに交通事故に遭ってリハビリでしばらく動けなかったけど、ちゃ~んと生きてるよ』


 そう言ってアレクの目の前でくるりと廻ってみせるが、アレクはそれでも信じていないような表情で私を見ている。


 アレクって結構疑り深いんだな。


『ヒカリは男の子だが? それについてはどう説明してくれるつもりかな?』


 にっこり笑いながら瞳は笑っていない笑い方。

 アレクが一番言いたかったことはそこだろう。


 私は流暢とは言いがたいロシア語の上に、言いにくい話題だったせいもあって曖昧に笑ってしまった。


『あ~う~ん。それについては男の子って言ってたけど、実は女の子だったんだよね』

『何?』


 アレクは私の説明に「そんな説明で納得出来るものか」と、いわんばかりの表情で私を睨む。


 もちろん自分でもそれは判っている。

 私が自分を男の子だって言っていただけで体はちゃんと女の子だった。

 トイレも男子用のを使っていたけれど、アレクと一緒に入ったことはない。

 つまり私はアレクが男の子だってことをバッチリ見ていても、アレクは見たことはないって事。


『アレクだって俺が男の子だって証拠見てないだろ?』


 言葉だけじゃわからないかと思って、ちょいちょいと股間のあたりを指差したんだけど、アレクはそんな私の態度に「……下品だぞ」と言って微かに怒った顔をした。

 笑って誤魔化してはみたけれどアレクの硬い表情は変わらない。


 さすがに貴族の坊ちゃんには下品すぎたかな?


 アレクはチェスでもサラブレットだけど、身分もサラブレットで国でも力の持っていた貴族の末裔らしい。

 まったくもって何から何までいやみったらしいぐらい王子様なのだ。


『つまり、騙したのか?』

『人聞きの悪い事を言うなよな! あの時は自分が男の子だって信じてたんだし、別に騙そうとして嘘を言ったわけじゃないんだから』


 確かに自分でもバカだったとは思うけど騙そうとか思って言ったわけじゃない。

 結果的に嘘を付いたことになるからそれは後ろめたいけれど……。


 むっとした私を見てアレクは少し表情を緩める。

 さすがにそれだけは信じてくれたのだろうか?


『では、ここにいるってことは君も大会に出るのか?』

『うん、日本代表でね。あっ、そうか! 対戦表とかで名前が出てるからそれで確認できるじゃん!』

『そうだ』


 対戦表を見れば、私が高山 光かどうかは別としても、高山 光が生きている証拠にはなる。

 死人の名前が出ることはないのだから。


 それなのにアレクはまだ疑っているような表情を私に向ける。

 でも自証拠は部屋に行かないとない。

 さすがのアレクもパスポートを偽造しただなんて思わないだろうからね。


 私は自分の左腕の袖を上げて、まだ生々しく残った大きな傷跡を見せた。


『左利きだったからさ、結構大変だったんだ。でも……生きてる』


 そう、生きてる。

 目の前の助手席に座っていた祖父は死んでしまったが、私はこうして歩いてチェスも出来るのだ。


 別に祖父のかわりに死にたかった訳じゃない。

 祖父だけが死んでしまったことが哀しかった。


 大好きな祖父は大好きな祖母の元へと逝ってしまったのは、考えようによっては喜ばしいことなのかもしれないけれど、それでもやっぱり生きていることを望んでしまう。


 命ある喜びを感じた自分だからこそ命のある事を望む。






 そう言えばアレク、このホテルのどこに部屋があるんだろう?


『アレクもここに泊まってんだろ? 部屋の番号は?』

『1024号室だ』


 アレクは比較的まともな部屋の番号みたいだけど、私のはすごく変なのだ。

 このホテルはワンフロアーに100部屋もあるわけじゃないのに、部屋の番号が変なんだよね。


『あ、いいなぁ~、眺めがいい方じゃん。俺の893号室って山しか見えないんだよね。夜なんて真っ暗で全然つまんないの』

『ヒカリ、僕は用があってここを歩いていたんだ。もう用がないなら行かせてもらいたいんだが?』


 アレクの言葉で自分がホテルの廊下で立ち話をしていた事を思い出した。


 確かにホテルの廊下なんて何か用がないと歩かない。

 ましてフロントから戻ってきた私とぶつかったってことは、アレクもフロントに何か用でもあるのだろうか?

 別にこの先にはフロントしかない訳じゃないから、フロントに用があるとは限らないのだけれど。


『そうか、ごめん。じゃ、またな!』


 そう言って、さっさと自分の部屋に戻る。


 何年かぶりにあったアレクはずいぶんあっさりとした態度だったけど、もともとアレクは騒ぐタイプではなかったし昔からクールだった。

 どうせチェスに関わる限りお互い顔を合わすんだし、用があるっていうのに邪魔してたのは私なんだから、気にしたりはしない。


 とりあえずアレクが嘘を付いていたことに怒らなかったことの方が重要で、アレクと話せたことの方が嬉しかったのだ。


 ずっと大人びたアレクだったけれど、やっぱりアレクはアレクだった。


 俺の大好きなチェスの王子様。


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