起承転結
暗い闇が体にまとわりついてくる。
嫌だ!!
誰か、誰か助けて!
闇が、闇が俺の腕と足を掴む!
その闇から走って逃げ出す。
ぬめりとした感触。
ひやりとした空気。
闇に触れられた足と腕が痛かったけど、恐怖から逃げたい一心で必死に足を動かして闇から逃れた。
「光……」
後ろから救いを求めるような聞き慣れた声が自分を呼ぶ。
恐る恐る振り向いた闇の中には……。
「おじいちゃん!!」
引きつるような痛みが喉に走り悲鳴をあげる。
そして闇は私の見ている前で祖父を飲み込んでいった……。
視界に天井が目に入って自分が布団から飛び起きたことがわかった。
いつの間にかうたた寝をしてしまったらしい……。
また夢を見ていたのだ。
祖父はもうずっと昔に亡くなったが、それは私の中で深い傷として残っている。
事故の後、病院から目の覚めた私に待っていたのは、大好きな祖父の死と辛く長いリハビリ。
左腕が切れたことにより筋が切れ。
左利きの私はしばらく右手での生活を強いられ、祖父を亡くしたショックも重なって精神的なストレスからか震えが止まらず、チェスの駒を持つことも出来なくなっていた。
チェスは、祖父に喜んでもらいたくて覚えたものだったからかもしれない……。
それから3年間、チェスを見ると祖父を思い出し涙が止まらなくなった。
私にとって祖父はかけがえのない大切な存在だったのだ。
再びチェスに触れることが出来るようになったのは、事故の時に運転していた兄の言葉がキッカケだった。
事故の責任は相手側にあるし、たまたま運転していただけなのだからと言っても、兄は私のリハビリに付き添い何度も助けてくれたのだ。
悪夢を見て震える私をどんな時間でも飛んできて抱きしめてくれた。
遊びに来た友人に兄がいつも通り男の子の格好をしている私を妹だと紹介してくれた時。
驚いている相手に、『妹はチェスの大会に出たほど頭が良くて自分の自慢の妹だ』と言ってくれた。
そして私に、『いつかまたチェスをして欲しい』って優しく笑ったのだ……。
チェスが出来なくなって、初めて自分がどんなにチェスを好きだったか思い知った。
けれど、チェスに触れることが出来ない。
そんな辛さを抱えていた私を兄は知っていたのだ。
それからは震えが止まり、チェスに触れる事が出来るようになっていった。
時間と共に祖父の死から立ち直り少しずつチェスの対戦をするようになって、私はゆっくりとした時間をかけてチェスの道を歩み出したのだ。
家が会社経営をしていたので、私は経理の手伝いをしながらチェスの対戦をしていく。
チェスはオリンピック競技になったほど盛んで、しかも誰でも簡単に競技に参加出来るという気軽さがある。
国際タイトルには参加しなかったけれど、FIDE(国際チェス連盟)、国際統一団体直属のJCA(日本チェス協会)の主催している正式種目として「快速チェス」や、「電撃チェスブリッツ」などは、タイムリミットの状態で勝敗を決めるものもあり、国際大会に出なくても十分楽しむ事が出来るのだ。
もちろん参加すればランキングを表すレイティングがつく。
チェスの対戦にはそこそこ出ているが、国内対戦しかしていない私はレイティングが低い。
レイティングがNo1のアレクは、目の前にいる対局者か強い者にしか興味を持たないのだから……。
アレクの視界に入るには、国際大会で、アレクの対戦相手になるしかないのだ。
だからこそ私は迷っていた。
国際大会に出るか出ないか。
私のレイティングなら充分参加可能だ。
それこそオリンピックにすら出られるだろう。
アレクに会いたいという気持ちはある。
幼い私がアレクを慕った気持ちは初恋のようなものだった。
でも、私は自分を男の子だと思っていたしアレクにもそう信じさせたのだ。
女の姿でノコノコとアレクの前に出たら、彼は騙したと怒るだろうか?
それも気になって今まで国際大会に顔を出したことがなかったのだ。
でもやっぱりアレクを見たくて、とうとう国際大会を見に来てしまった。
私は、偶然アレクが泊まっているホテルと同じホテルに部屋を取っていて、今、そのホテルのベットの上で明日着る服を目の前にものすごく悩んでいた。
1つは今日着たような、サンドレス。
もう1つはジーンズにデザインパーカー。
普段の格好からすればジーンズにデザインパーカーみたいな男の子の格好をしているけど、誤解されたままでいたくなければサンドレスを着るべきだろう。
中世的な顔つきと男言葉のせいで男の子と間違えられる事が多かったので、髪を伸ばすようになって男の子には間違われる事はなくなったが、やっぱり大人の女性らしくは見えない。
もちろん、今日アレクが連れていたような女性と比べてしまうと月とスッポン。
比べたりしたら相手に失礼だろうと、つっこみが入るぐらいだ。
私がその女性に勝てるとこがあるとすれチェスの強さだけ。
全然女らしく出来ない自分にへこむ。
「はぁ~いやんなるなぁー。本当に男の子に生まれてればこんなに悩まねぇのに~」
ベットの上に広げていた服を両方掴むと、ソファーへと投げてベットにひっくり返る。
夕方に会ったアレクを思い出し私の鼓動が早くなった。
アレクは昔からずっときれいだったし、大人になってカッコ良くもなっていた。
そんなアレクと話したい。
会わなかった月日が長すぎて、ここまで来てアレクに会うのが怖い。
迷いだけが私を悩ませる。
それはやっぱり乙女心からなのだろうか?
私は起き上がってソファーへ向かい、服を1つ手にとってハンガーにかけた。
明日はこっちじゃない方をどっちを着ていくか決めた……。
「帰ったぁ~!?」
由緒正しきホテルのロビーに自分の声が響き、慌てて口を抑えて回りを見た。
何人かはこっちを見てたけどすぐに視線が逸らされてほっとする。
なんだよーアレクのヤツ。
せっかく覚悟を決めたっていうのに、何でこんな時に限って朝早く帰るかなぁ~?
別に約束があったわけじゃないんだからアレクが帰ってしまっても仕方ないんだけど、サンドレスのすそを引っ張ってついむくれてしまう。
ちえっ!
せっかく女らしい格好をしたのにな……。
淡いオレンジのサンドレスにビーズの飾りがついた薄茶のサンダル。
顔には珍しく、少しだけ化粧もしている。
シンプルだけど、GパンやチノパンにTシャツ姿ばかりの私には、精一杯の女の子らしい格好だ。
帰国しちゃったんだったらここにいても仕方ないので、私も帰国する準備をするために自分の部屋へと戻る。
次に会うのはオリンピックかぁ……。
よし!
次こそは!!