第七輪「花と嵐とアリスの休日◆-花有須の場合-」
第七輪 「花と嵐とアリスの休日◆-花有須の場合-」
季節は初夏。長かった梅雨も唐突に終わりを告げ、気を抜けば一気に夏本番がやってきてしまうくらいの晴天が続く今日この頃。
そんな今日の日付は6月下旬。そう、今日から僕らは3連休。
別に、僕がサボっているとか、ついに不登校にまでなり下がっちまったとか、そういう類の話ではない。断じてない。
単に、土日と創立記念日が重なっただけ。それだけの話。
本来ならば祝日の無い6月という月に訪れた、神からの小粋なプレゼントなのである。
とは言うものの、天使の代行者たる僕に平穏な休日など訪れるはずもなく。
次の試練の足音は、着実に確実に、すぐそこまで聞こえてきていた。
◆
「お早う」
休みの日に限って、何時もより早く目が覚めるのは何故だろう?
僕は7時10分前という奇跡の時間に、居間のテーブルで一人新聞を読む親父に声をかけた。
「おう、今日はやけに早いな、嵐。まさか、連休が楽しみすぎて眠れなかったのか? ぐわはははは、まだまだガキだな、嵐も」
そういう親父の顔には、くっきりとクマが浮き出ていた。
花屋に創立記念日は関係ないにも関わらず、である。
僕は突っ込む気にもなれず、親父の言葉をスルーして言った。
「起きてるの親父だけ? 珍しいね、有須がまだ寝てるなんて。まぁ、折角の連休だもんな。たまにはゆっくり休んだ方がいいよね有須は」
ちなみに、妹達の通う小学校や中学校も同じ創立記念日だったりする。ここいら一帯の学校は全て同一人物が建てたものなので、創立記念日が同じでもなんら可笑しくはないのであった。
「そうだな、あいつは母さんやミズキの代わりになろうと、いつも頑張ってくれてるからな。有須は兄妹のなかでも一番かあさんに似とる。だからなのか、あいつを見とるとわしは時々心配になる。あいつは常に自分より家族を優先するからの」
親父が珍しく真面目なことを言うもんだから、思わず真剣に聞き入ってしまった僕。
そして、その実親父の言う通り。有須にとって自分のことは二の次三の次。あいつは、誰よりも家族を大切にしているやつなのだ。
ちなみにだが、ミズキというのは僕の姉の名。今は理由あって花家を離れている正真正銘の僕の実姉。まぁ、彼女に関しては今は関係ないので割愛する。
「いやー、すまんすまん。朝から男同士でするような話じゃなかったな。うし、嵐、一緒にラジオ体操でもするか?」
僕はその暑苦し申し出をぞんざいに断り、二度寝をすべく部屋へと戻ったのだった。
リンネは相変わらず空中でふわふわ浮きながら気持よさそうに寝ている。
クロマルの事件から数日。次の試験が来るとすればそろそろかもしれない。連休とかぶってしまいそうだが、別段予定の無い僕にとって、それについては完全にノープロブレムな状態だった。
それはそれで虚しいのも確か。だからといって、どこかに出かける気にもなれない。
この時期どこにいっても人、人、人だろうし、何より僕には先立つものが無かった。実に由々しき事態だ。
いっそのこと連休の間、短期のアルバイトでもやってみようか? いや、世間が楽しそうに休日を謳歌するなか、それを尻目に働くことなんて、きっと僕の狭い狭い心では耐えられまい。つくづく駄目人間だな僕は。
そんなことを考えているうちに、やがて僕は再び眠りへと落ちていった。
「あらしあらしあらしあらし。お、き、てー。ねーおきてよー」
僕の耳元で天使の囁き、もとい、天使の騒音が聞こえてきた。
僕はうんうん唸りながら、近くにある目覚ましを引き寄せる。
時刻は朝10時ジャスト。
んー、二度寝にしてはちょっと寝すぎたか? それにしても、リンネのヤツ、朝から一体何を騒いでるんだ。
まさか連休だからどこか行こうなんて言い出すつもりか? 絶賛寝ぼけ中の頭でそんな事をぼーっと考える。
ん? いや待てよ。そういや、今朝自分で言ったじゃないか、次の試験が来るとしたらそろそろだって。まさか。
「あらしってばー、次の試練なんだよー起きてよー。見てみて、ほら、センサーが反応してるよー。しかも近い。ここから凄く近いよ」
僕はその言葉を聴いて一気に眠りから覚醒した。
リンネのヤツ今なんて言った? ここから近い? すぐ近く? 嘘だろ、ここから近いなんて言ったら…。
嫌な予感がした僕は、急いで階段を駆け下りた。
が、そこにいたのは相変わらず親父だけ。僕は早口でまくし立てた。
「親父、有須は? ダンゴは? まさか月美ちゃんとか来てないよね?」
「おいおい、どうした嵐。幾らいい天気だからってよ、ズボンぐらいはいたらどうだ?」
あまりに慌てていたせいでズボンをはき忘れていたらしい。
が、今はそんな事はどうだっていい。
「団子は朝から友達と出かけたぞ。有須は… 珍しいな、まだ降りてこん。それに月見ちゃん? そりゃ誰じゃ? わしは初耳だが、まさかコレか? コレなのか?」
下品に小指を立てて見せる親父を無視し、考える。
あの有須がまだ寝ているだって? 可笑しい。有り得ない。我が家の電波時計こと有須がこんな時間まで寝ているだなんて、有り得るわけが無い。
嫌な予感がするというより、嫌な予感しかしない。僕は慌てて有須の部屋まで走った。
部屋の前までくると、丁度リンネと出くわした。
「ぶーっ。起きたと思ったら急にいなくなっちゃうんだもん。ひどいよ」
「ごめんごめん。ちょっと確かめたいことがあってさ。リンネ、一つだけ聞きたいんだけど。まさか、そのセンサーが指し示す場所って、ここじゃないよな? 違うよね? お願いだから違うって言って」
そんな僕の願いも虚しく。
「え? 凄い。良く分かったね嵐。ここだよ。まさか次の試練が嵐ん家の中で起こるとはあたしも予想外だったなー。そいうえばここって、妹ちゃんの部屋だよね?」
ジーザス。
ド畜生め。
こんなの有りか?
神様酷い。酷過ぎる。
何で、何で有須が…。
いつになく動揺しまくる僕。当然だ、今回の相手は他ならぬ最愛の妹なのだ。
直後、僕の頬に強烈な痛みが走る。どうやら僕は、リンネにビンタされたらしい。
「な、いきなりなにすんだよリンネ」
「目が覚めた? というより落ち着いた? 助ける側の嵐がそんなに動揺してどーすんの。ましてや今回はあなたの大切な妹。失敗は許されないんだよ。ね? 落ち着いて冷静に行こーよ。まだどんな様子かも確認してないんだから」
リンネの言う通りだ。確かにこの事態は想定外だったけど、ここで僕が落ち着かなければ。
それにしても、リンネにそんな事を咎められる日が来るとは予想外だったものの、確かにおかげで目は覚めた。
僕は覚悟を決め、有須の部屋をノックする。
「有須、起きてるか? 大丈夫か? 何でもいいから、返事をしてくれないか?」
正直な話。僕は妹達の部屋に入ったことが数えるほどしかない。だからこそ躊躇してしまうものの、今はそんなことを言ってる余裕もない。
僕は部屋のノブに手をかける。幸いにも鍵はかかっていないらしい。ならば尚更迷っている暇はない。
「ごめん、有須。入るぞ」
僕は一気にドアを開け、有須の部屋へと進入した。
ヌイグルミがずらりと並ぶ何ともファンシーな世界が目に飛び込んできたものの、そこに肝心の有須の姿は見当たらず。
「嵐、あそこあそこ」
リンネに促されベッドに目を向ける。するとそこには、不自然に丸まった布団。
恐らく、有須だ。
「有須、いるのか? 勝手に部屋に入って悪かったけど、大丈夫か? どこか具合でも悪いのか?」
布団がもぞもぞと動いた後、中からチラリとことらを伺う有須らしき顔が一瞬見えたものの、またすぐに布団にもぐってしまった。
「え? 兄さん? 兄さんですか? どうして私の部屋に」
「どうしてって、センサーが、いや、有須が珍しく起きてこなかったから、ちょっと心配になって」
「… そうでしたか、すみません。心配をかけてしまって」
何故だろう、さっきから有須の声に妙な違和感が有る。何と言うか、いつもの有須というよりダンゴに近い声とでも言えばいいのか。
「えーと、大丈夫なんだな? 何かいつもと様子が違うような気がするんだけど。僕のきのせいか? もし、何か困ってるんだったら、言ってくれ。僕に出来ることなら何だってやる」
そう言いながら、僕はチラリとリンネの方を向く。依然、リンネのアホ毛こと天使センサーは力強く発光を続けている。
つまり、次の試練の対象者がこの部屋にいるという事実を示しているわけで。
僕は深い溜息をつき、両手で顔を覆う。
既にちょっと泣きそうな僕。頑張れ負けるな僕。兄として、男として、リンネのパートナーとして、妹のために出来ることがあるはずだ。
「分かりました。あの、兄さん。絶対に、絶対に誰にも言わないでください…… 後、絶対笑わないでくださいね」
「え? ああ、勿論約束する。僕は有須の力になりたいだけだよ」
笑う?
いまいちその言葉の意味が理解できなかったものの、僕の言葉を聞き、何かを覚悟したように有須がゆっくりと布団から出てきた。
が、有須の姿を見た瞬間。僕は、出掛かっていた全ての言葉を失った。
確かに、そこにいたのは紛れもなく僕の妹である有須だった。
ただし、どこか懐かしさを感じさせるその姿は、まるで10年前の有須の姿そのものだった。
驚くべき事に、有須は、ロリ化していた。
成る程。どうやら僕は、まだ夢から醒めていないらしい。
やれやれ、折角の休日に思いっきり2度寝をしてしまったせい罰があたったのかもしれない。
僕は思い切り自分の頬をつねる。
痛い。凄く痛い。
それが意味するところは一つ。つまりこれは現実。紛れも無い現実だということ。
一人でうんうんと唸っている僕に向かって有須が言った。
「やっぱり兄さんにも、私の姿、その、変に見えますか?」
「変というか、ロリ… ごほん、まるで小さい頃の有須を見ているようだよ。懐かしいというか、可愛らしいというか」
5,6歳の姿かたち。有須よ、お前はどうしてそんなロリっ子になってしまった。
だが、そんな有須の顔には涙の後がくっきりと見て取れた。
何とかしてあげたい。僕は、心の底からそう思うのだった。
とはいえ、ここで僕が一人で悩んでいても答えは出ないし助けることも出来ない。これはどっからどう見ても何らかの伝承の仕業だろう。
僕は有須には見えていないであろう、リンネをちらりと見た後、例のセリフを言い放つ。
まさか、有須に向かってこのセリフを使うことになるとは思いも寄らなかったな。
というか正直かなり恥ずかしいし、こんな状況とはいえ、有須がどんな反応を示すか非常に気になる。
「あのさ有須。さっきの有須の言葉をそっくりそのまま返すようだけど、今から言う事は全部真面目な事だからさ、笑わないで聞いてね」
「何ですか。もしかして私のこの姿と関係有る話ですか?」
「うん、関係有る。凄く関係あるよ。ごほん、じゃあ行くぞ?」
僕は大きく深呼吸した後、一気にまくしたてた。
「にわかには信じられないだろうけど、僕さ、何の因果か天使代行、天使の使いなんてやってるんだ」
「ぶっ」
あぁ、お笑い番組を見ても殆ど笑わない鉄面皮のあの有須が噴出した。酷い。
「兄さん、頭大丈夫ですか? 私の姿があまりにショックだったせいで可笑しくなっちゃったんですか? 私がこんな姿になってしまったばかりに、兄さんまで、私の兄さんまで」
いつの間にか有須の後ろに移動していたリンネが大爆笑しながら天使のキッスを施す。
「にゃはははははは、やっぱりは嵐の妹ちゃんだね」
リンネのヤツ、何もそこまで笑うこと無いのに。
突如現れた天使の姿に戸惑う有須。そう、それが普通の反応だ。
「あ、え? これってどういう? え?」
ただでさえ自分の姿がロリ化しているというのに、その上、兄はいきなり変なこと言い出すわ、目の前に天使は出てくるわで有須のやつすっかり混乱状態のようだ。
「やー、嵐の妹ちゃん。あたし天使のリンネっていうの。よろしくねー」
相変わらずあっけらかんとした挨拶を交わすリンネ。さて、これからどうするべきか。
「天使? 兄さん、これはどういうことですか、この人誰ですか? きちんと分かるように説明してください」
あ、姿はロリロリだけどその言動だけはやっぱり有須のそれと相違ないようだ。
と言ってもいつもと違って全く迫力が無いけどね。
「う。だからさ、人じゃなくて天使なんだよ、一応。で、僕は何故かこのリンネの仕事を手伝うことになってね。だから天使代行なんて名乗ったってわけなんだけど」
すかさずリンネが割ってはいる。
「妹ちゃん、妹ちゃん、あなたがそんなロリロリな姿になったのは、あなたが伝承に取り憑かれちゃったからなの」
「天使の次は一体何ですか? あまりに非現実的な話で頭が痛いです。正直、兄さんが私をからかっているとしか思えません。… と言いたいところですが、私のこの姿と、あまりに真剣な兄さんの顔と、どんな原理かわかりませんけど宙を浮いてる自称天使さんの言葉を信じるしかないみたいですね、この状況では」
流石は僕の妹。実に物分りがいい。
「ありがとう有須。ここで信じてもらえなかったら、僕、本当にただの頭の可笑しい人になっちゃうからね」
「ふふ、兄さんはいつでも可笑しな人ですけどね」
そういって笑う有須。
どうやら気分的にも大分落ち着きを取り戻したようだ。
雷九の時のように、媒介者の精神状態により症状を進行させる場合もありえるからな。ここは一つ慎重にいかないと。
リンネが真面目な顔で言った。
「話を戻すけど、妹ちゃん、あなたに取り憑いた伝承は… アリス。不思議の国のアリス。有須って言うあなたのその名前も、ただの偶然じゃないと思う。因みに、妹ちゃんのその姿は若返ったというより、縮んだという表現が正しいわ。伝承に憑かれる人には、それなりの理由があるものなの。その原因を見つけることが、祓うための第一歩。今回の場合は、妹ちゃんのその姿そのものに何かヒントが有りそう」
「待て待て待て、不思議の国のアリスってルイスキャロルのあれ? 児童文学のあれか?」
「勿論そう。文学だって立派な伝承だよ。しかも聖書の次に世界中で読まれている本だったら尚更よね。知らない? 薬を飲んだアリスが小さくなるエピソードがあるんだよ? 後、不思議の国のアリス症候群って病気もあるくらいだし」
知ってるさ、どっちも知ってるけど、まさか有須がアリスに取り憑かれるなんて洒落にすらならないわけで。
「取り憑かれた理由…」
有須はその言葉を反芻するように呟いた。
今の有須の見た目は5,6歳くらいか?
だいたい10年ほど昔の姿ということになる。
10年前。
僕はとある事件が頭をよぎり、顔をしかめた。
10年前、有須にとっては一番幸せだった時期なのかもしれない。
そして何より、母さんも姉さんも一緒だったのが10年前。
「有須、もしかして」
僕がそう言いかけたそのとき、1階から親父の大声が聞こえてきた。
「うぉーい、嵐。どうだー、有須のやつはまだ寝とるのかー? いい加減飯にしようぜー」
あー、そういえば朝飯まだだっけ。確かにお腹がすいた… なんて悠長なことを言っている場合じゃない!
有須のこんな姿親父やダンゴに見せるわけには行かないのだ。
が、そんな思いとは裏腹にどたどたと階段を登ってくる親父。そして、ドアのノブに手をかけた瞬間。
… 今だ。僕は有須の手を取り、思い切りドアを開けた。
「おい、あら… ぶへぇええあああ」
親父の顔を思い切り強打してドアを開く。
「すまん親父。突然だけど有須とちょっと出かけてくるよー。朝飯はてきとーに食べて」
僕は有須をお姫様だっこして外へと飛び出した。
そんな僕らの後ろ様子見て、親父が鼻をさすりながらぽつりと呟く。
「何じゃ、嵐のやつ。なんだかんだいってもやっぱり楽しみにしとったんじゃないか、3連休」
◆
その場の勢いで、とりあえず町へと出てきた僕達。勿論その後のことなどノープラン。
「兄さん、兄さんっ! あの、この格好凄く恥ずかしいんですが」
「ん? そう? 確かに今の有須にはちょっと大きすぎるかもしれないけど、似合ってるぞ。そのパジャマ」
水玉模様が可愛らしいく、涼しげで清楚な感じが有須によく似合っていた。
「え? そうですか? 良かった、それは嬉しいです。… って違います! いつまで私をお姫様抱っこしているつもりですか。それに、私パジャマ姿なんですよ? 似合ってる似合ってないという問題じゃ有りません。確かに、父さんにこんな姿を見られたら、余計話がややこしくなっていたかもしれませんけど、だからといっていきなり家を飛び出して何か考えが有るんですか、兄さん?」
「そーだよ嵐。只でさえ連休で人がいっぱいいるのに、そんな格好じゃ目立っちゃうよ? 今の嵐はどう見ても児童誘拐の変質者ロリコン野郎にしか見えないよ?」
相変わらず酷い言われようだが、確かに二人の言う通り。
このまま町をさまようわけには行かないし、さて、どうしたものか?
ああ、こんなとき月美ちゃんがいてくれれば。だが、相変わらず我が家の隣は空き地のまま。月美ちゃんは遥か空の上。
だったらイタル… は今頃別荘か。何だかんだいってもぼんぼんなイタル。連休ともなると家族で別荘地へレッゴーらしい。ド畜生。まぁ、例えいたとしても、妹のこんな姿を見せたら、あのロリコン野郎何しでかすか分かったものじゃない。やはり却下だ。
霧霞の病院は… 連休だから休業中。それに結構距離がある故、ここからだと聊か人目につきすぎてしまう。
雨守先輩達に至っては、家の場所すら知らない始末。
贅沢はいえないが、有須を匿ってもらうとしたらやはり女性の知り合いの宅がいいんだけど… そんな知り合い、当然僕にいるはずもなく。
ああ、僕の友好範囲は何て狭いんだ。
僕の世界はなんて小さいんだ。流石駄目人間である。
僕を助けてくれそうな女性…。
いや、待てよ? もしかしたら。
僕は一縷の望みを託し、とある場所へと向かった。
◆
「いやー、助かったよ雷九。いきなり押しかけちゃってごめんね。とりあえず家を出たのはいいけどさ、どうしたもんかと途方にくれてたところだったんだ。それに、元気そうで何よりだよ」
とる場所とはズバリ雷九の家だった。
家からもほどよい距離で、僕の事情を知っていて助けてくれそうな女性。そんな条件に正にピッタリ当てはまる女性、それが雷九だった。
「いえいえ、私もこうして嵐さんのお役に立ててよかったです。でも、最初ドアを開けて、必死な顔で小さな女の子を抱きかかえている嵐さんを見たときは、流石にちょっとびっくりしちゃいましたけどね。でも、直ぐに天使様絡みなんだなって分かりましたから」
そういって優しく微笑んでくれる雷九。ああ、今は君が天使に見える。
それにしても必死な顔か。僕もそれだけ無我夢中だったわけで。
「ぷぷぷっ、だよねートオルン。嵐ってば、どうみても変質者だったよねー」
リンネのヤツ、どうしても僕をヘンタイにしたいらしい。と、ここまでされるがままでやってきた有須が、業を煮やして口を開いた。
「ごほん、あのー兄さん? そろそろ説明してくれませんか? 一体ここはどこで、この方はどなたで、その、兄さんとどういった関係なのか」
僕の変わりに雷九が答える。
「え? お兄さん? あっもしかして、この前お話されてた妹さんですか? 確か嵐さん、中学生と小学生の妹さんがいらっしゃるんでしたよね? ということは、小学生の妹さんですね? へぇー、可愛い。小学校の1年生くらいですか?」
違ーう。そう勘違いするのも無理無いけど、微妙に違うんだよ雷九。
僕は恐る恐る隣の有須の顔を一瞥する。
うが。
思ったとおり物凄く機嫌が悪そうだ。ここは一つ、早々に雷九の誤解を解いてやらねば。
「あー、あのな雷九、実は」
「に、い、さ、ん? 私は兄さんに聞いているんですよ。このやけに兄さんと親しげな女性徒はどこのだれなんですか? このロリコン!」
時既に遅し。
有須のやつ、何がそんなに気に食わないのか、相当ご機嫌斜めらしい。可哀想に、雷九なんて口開けたまま固まっちゃったよ。
何だろうこの状況は?
「ごめんごめん、紹介が遅れちゃったな。えーそれでは改めて。こちら雷九透ちゃん。桜ヶ丘第二中学の1年生、つまり有須の後輩だよ。この前、天使の仕事絡みで知り合ったんだ。で、雷九、こちらは僕の妹の花有須。雷九の先輩で… 今はとてもそう見えないかもしれないけど、中学3年で君より年上ってことになるね」
雷九は一瞬信じられないというような顔をしたものの、ロリっ子にギロリと睨まれ、恐る恐る答える。
「あ、もしかして。その、何かの伝承の仕業、ということでしょうか?」
有須は答えてくれそうもないので、僕が変わりに答える。
「どうやらそうみたいなんだ。正直僕もまだ良く分ってないんだよね、この現状が。ああ、そうそう。雷九、お願いついでにもう一つ頼んでもいいかな?」
すっかり萎縮してしまっていた雷九が元気を取り戻し答える。
「はい、勿論です。嵐さんと天使様にはすっかりお世話になりましたから。何でも言ってください!」
雷九はそう言ってくれるけど、実際のところ僕らはそんなに恩義を感じてもらうほど、何かしたってわけじゃない。
だからそんな風に言われると、逆に何だか照れくさいわけで。
「それじゃ雷九、君の私服を僕に貸してくれないか?」
瞬時に凍りつく空気。
何故かぽっと赤くなり、急にもじもじしだす雷九。
え? 何? 僕変なこと言ったか?
「嵐、やっぱり変態さんだったんだね」
「兄さん、自分が何を言っているのか分かってますか? 分かってますよね? 絶対分かって言ってるんですよね?」
ロリっ子のくせに有須さんの視線とオーラが怖いよ。とても小学生とは思えない。
いや、実際小学生じゃないけどね。
僕は、有須にポカポカ殴られながらも必死に弁解する。
「だーっ、違う。違うから。ほらっ、有須がパジャマ姿のままだろ? とりあえず雷九に服を借りようかと思っただけなんだって。正真正銘、本当にそれだけだから。他意はないんだって」
「え? あ、私のために? そうですか、そうですよね、私ったら勝手に勘違いしちゃって。すみません兄さん。えへへ」
えへへって有須さん。まさかお前が笑って誤魔化すなんて日がこようとは。これってロリ化のせい?
「ははは、僕の方こそ言い方が悪かったからね。うん。ナイスパンチだったよ有須。それ、いつ鍛えてるの?」
リンネは相変わらず空中で大爆笑している。
僕はそんなリンネを無視し、雷九に言った。
「ちょっと遠回りになっちゃったけど、改めて。雷九、有須に服貸してやってくれないか? 雷九? らーいーくー。とーるさーん。おーい、雷九さーん。どうしたー、話聞いてる?」
「嵐さんが私の服で、私の服で、あんなことやこんなことを…」
あれー、雷九さんが可笑しな妄想状態になっちゃってるよ。
僕の知ってる雷九はこんな子じゃなかったのに。それとも、こちらが本来の雷九の性格なのだろうか?
雷九カムバック。
僕は彼女に脳天チョップをお見舞いする。勿論、ダンゴにするような本気のものではなく、ちょいと小突く程度のもの。
「はへ? あ、う、す、すみません。服、服ですよね? はい、大丈夫です。私小さい頃の服、捨てられずにずっと持ってるんです。サイズがあうか分かりませんけど、今持ってきますね」
そう言って階段を下りていく雷九。
「… 面白い子ですね」
さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、ちょこんと体育座りをして答える有須。
「イヤ、僕の知ってる雷九とは大分違うというか、キャラが違うというか。何だか妙に明るくなったというか、ちょっと変わったというか」
僕の疑問に対して、すかさず答えるリンネ。
「新たな関係や繋がりが出来たことで、本来の彼女が前面に出てきたのかもしれないよー。良いことだと思うよ、あたしは」
相変わらずあっけらかんと答えるリンネ。
でも、恐らくそういうことなんだろうな。ぶっちゃけ、あのみやちゃんって同級生の子からの影響が大きい気がするが。
「あの子も、私にみたいに、その、何かに取り憑かれていたんですか?」
有須が側でぷかぷかと浮いていたリンネに質問する。
「トオルンの場合はねー、体が透明になっちゃったんだよ。あとさ、あたしのことはリンネって呼んでよ妹ちゃん」
そんなやりとりをするうちに、とたとたと雷九が階段を登ってくる音が聞こえてきた。
「お待たせしました。有須先輩に気に入ってもらえると嬉しいんですが」
そういって雷九が差し出してきた服は。うん。やっぱり雷九も女の子。
それは、ちょっと派手めなふりふりの可愛らしいフリルのついた、白のワンピースだった。
そういえば、有須は小さい頃から地味目というか大人しめな服ばかり着ていたので、こういう女の子女の子した可愛らしい服をきているとこってあまり見たこと無かった。
「へぇー、かわいー。妹ちゃん着て着て」
「ちょっと、これを私に着ろというんですか?」
案の定、難色を示す有須。
「今の有須なら似合うと思うけどな。ほら、有須って昔からこの手の服あまり着たことなかっただろ? だからちょっと見てみたい、ってのもある。僕の個人的願望だけど」
「… に、兄さんがそこまで言うのなら仕方有りませんね。この服、お借りしますね雷九さん」
不安げな表情でこちらのやりとりを見ていた雷九が嬉しそうに答える。
「はい、勿論です。良かったー、この服私のお気に入りだったんですよ。サイズが合わなくなった今でも、手入れしておいて正解でした。それに、他にも何着かありますから、良かったら好きなのを選んでください」
「そうと決まれば、ほらほら嵐。とっとと出てけー。妹ちゃんが着替えるんだから」
そりゃそうだ。僕は一目散に雷九の部屋を出て階段をのしたで待つことにした。
「覗いちゃ駄目だよー、あらしー」
安心してくれリンネ。そんな勇気、僕は持ち合わせちゃいない。
そんな事を思いつつ待つこと1時間。
女性の身支度ってのは、なんでこんなに時間がかかるんだろう?
それとも、雷九が持ってきた服全てを試着してるんじゃないだろうな?
とは言えここは雷九の家。ふらふらと勝手に出歩くわけには行かないので、ひたすらにじっと待ち続ける僕。
こう言うときはあれだ、円周率でも唱えて心を落ち着かせよう。
「お待たせーあらしー、入ってきていいよー」
僕が眠い目をこすりながら108ケタ目の数字をを口にした瞬間、リンネの声が家中に響き渡った。
階段にもたれてうとうとしていた僕の脳が一気に覚醒する。
僕は階段を駆け上がり、再び雷九の部屋に侵入した。
そこには、不思議の国のアリスならぬ、不思議な顔した有須がいた。
「まるでルイスキャロルの世界だ。なかなか似合ってるよ有須」
主人公、アリスに似た格好の有須。確かに似合っているけど、これはもはや、コスプレの領域なのでは?
だが、そんな僕の返答に満足したのか、ニコニコ顔のリンネが得意げに答える。
「でしょでしょー、あたしもここまで似合うとは思っても見なかったわ。ね、トオルン」
「はい、有須先輩可愛いから、何着ても似合うんですよー」と雷句。
「ま、まぁ、たまにはこういう服も悪くないですね」と有須。
どうやらまんざらでもない様子。ま、これなら僕も1時間待ったかいがあったというもの。
「何だか、3人の親睦も深まったようだし。よし、じゃあ本題に入ろうか」
ちょっとだけ前置きが長くなったものの、ここからが本番だ。
そのタイミングで雷九が遠慮がちに言った。
「あの、私、お邪魔でしたら席を外しますので」
「いえ、大丈夫よ。部屋に上がらせてもらい、その上服まで貸してもらってしまいましたし、それに雷九さんも私と同じだったんでしょ?」
有須がOKを出している以上、僕らがどうこう言う筋合いは無い。それに、正直言って雷九にもいてもらった方が何かと心強い。
「朝もちょっと話に出たけど、やっぱり有須のその姿にこそ意味があると思うんだ」
僕はそう言いながら、早くも胸の奥がズシリと重たくなるのを感じた。
「兄さんが言いたいことは分かります。この姿、およそ10年ほど前の私の姿そのものですから」
そう言って、忌々しいといわんばかりに自分の体を見渡す有須。
「10年前か、あの頃は確か母さんも体調が良かった頃だったし、3人で良く一緒に遊んだっけ? 懐かしいな。母さんって元々体の弱い人だったからね、3人で遊んだ記憶ってそんなに多くは残ってないんだよね」
「そうでしたね。たぶん、花家にとって色々な事がありすぎた頃でしたから。だんちゃんが生まれて、お母さんが亡くなって、ミズキ姉さんが出て行って…」
有須がまるで自分に言い聞かせるように、呟くようにそんな事を言う。
「どっちにしても、今回はあなた達花家の家族の問題かもね」
… ああ、やっぱりそうなるよね。どうにも気が重い。
「兄さん、私、どうしたらいいんでしょうか?」
正直言ってどうしたらいいか分からない。
このまま10年前の出来事やら、有須の気持を突き詰めていけば、何か分かる気がするけど、あまり気が進まない。
僕が答えを出せないでいると、有須が言う。
「あの、こんなときに言い出すことじゃないと思うんですけど、私、行ってみたいところが有るんです」
有須がこんなことを言い出だすなんて珍しい。もしかすると何か考え合っての事なのかもしれない。
「勿論良いよ。で、どこに行きたいんだ有須?」
「はい。その、遊園地に」
これまた意外すぎる回答。
まぁ、連休だし可笑しくは無いけど。今の状況を考えると疑問符しか浮かんでこないわけで。
「遊園地ー、うわー、あたし遊園地って始めてー。いこいこ、ねぇ、嵐行こうよー」
既に行く気満々なリンネ。こうなっては宥めるのも困難だろう。
と、なると答えは一つ。
「それじゃぁ、行こう。たまには連休らしいことをするのも悪くないよな」
目を輝かせ、がしっと僕の手を握ってくる雷九。
「わ、私も御一緒してよろしいですか?」
いつになく積極的な雷九。というか鼻息が荒い。
僕の知っている雷九のイメージがどんどん崩れていく。
「雷九。君、遊園地好きなのか?」
そんな僕の質問に対し、猛烈に首を上下させ頷く雷九。
「あ、あははは。まぁ、いいんじゃないかな?」
一瞬だけ、有須がむすっとしたような気がしたが直ぐに元のすまし顔に戻った。
うん、きっと気のせいだろう。
「それはそれとして、どこの遊園地に行きたいんだ? やっぱりYOUSJとか? 定番の夢の国か? この辺で遊園地と言えば、小さいとこしかないんだけどね。それとも、折角だからちょっと遠くまで行ってみる?」
僕の提案にふるふると首を振って否定する有須。
「いえ、桜ヶ丘ランドに」
今日は想定外の大安売りらしい。
桜ヶ丘ランドと言えば、この近所に有るどう贔屓目に見ても小さな寂れた遊園地。最近では大手のテーマパークに押しに押されて閉園寸前とか。
「本当にそこでいいのか?」
「はい。そこがいいんです」
有須は力強くそう言い放った。
「了解。天気もいいし、時間的にも丁度いいかもな。早速行こう」
◆
遊園地なんて何年ぶりだろう。下手すれば10年ぶりくらいかもしれない。流石インドアな僕である。
「うわー、何かこう凄い廃れた感が漂ってますね」
雷九が一ミリも気を使うことなくそう言う。
「はは、そうだね。でもこれなら並ぶことなくどれでも好きなやつに乗れそうだけどね」
幾ら今は廃れているとはいえ、結構前までは大人気の遊園地だったのは確か。
その証拠に目玉である大きな観覧車はもとより、ジェットコースター、おばけ屋敷、廻るコーヒーカップなど、定番どころが一通り揃っている。
「うっわーおっきいー。ねぇねぇ、嵐あの大きくて廻ってるのが噂に聞く観覧車?」
「天界でどんな噂が流れているのか想像も出来ないけど、そうだよ」
うわーいと歓声を上げながら飛んで逝ってしまったリンネ。まぁ、天使だしそもそも他人には見えないから入園料も要らないわけで。
「それじゃ、僕らも入ろうか」
こうして実際に遊園地まで来たというのに、心ここに在らずといった感じの有須。
「有須、どうかしたか? 具合でも悪いとか?」
「いえ、何でもないです。さぁ、私達も行きましょうか兄さん、雷九さん」
やっぱりここは1日フリーパス券がいいのだろうか? つーか7000円ってリアルに高いなコレ。某テーマパークより確実に高いよねコレ。
僕はちょっと涙目になりながら言う。
「二人とも先に入って。ここは人生の先輩として、僕が出させていただきます故」
「そんな、そんなの悪いですよ、私なんて勝手についてきただけですし」
遠慮がちに答える雷九。が、ここで引き下がる僕ではない。漢として、時にはひけないこともあるのだ。
「おいおい、そんなこと言うなよ雷九。君には色々と助けてもらってるんだからさ、気にすんなって。もし有須に何かあった時とか、やっぱり雷九の手を借りると思うから」
ようやく雷九も納得してくれたようで、僕らは揃ってゲートを潜った。
有須がロリ化して、いったいどうなってしまうのか分からないと言うかなり緊迫した状況にも関わらず、何だかんだいってもちょっとわくわくしてる僕。相手はあの有須。何も考えなしにここにやって来たわけではないはず… たぶん。
「よーし、折角だから1日遊びつくそう。有須、最初はどれからだ? どれからいく?」
「そうですね、やっぱり最初はジェットコースター。そうでしょう? 兄さん」
そういって悪魔の微笑み浮かべる有須。
やっぱりかやっぱりそうなるか。有須ならそう言うと思った。
「ふっふっふ。有須、昔の僕とは思うなよ。確かに昔、僕は絶叫系のマシンが大嫌いだったよ。というより苦手だったよ。だけどさ、それはあくまで昔の話。こうして高校生にもなって絶叫マシンが怖いなんて、そんな格好悪い姿を君たちに見せられるわけが無い。いいよ、乗ろう」
勿論、只の強がりだ。そもそも、僕が遊園地に来なくなった理由の一つが絶叫マシンが苦手っていうのがある。
あの頃以来乗っていないわけだから、突然乗れるようになるわけもなく。
「そういえば雷九、君は絶叫系とか大丈夫?」
雷九なら、雷九ならきっと僕のこの気持を理解してくれるはず。そんな淡い期待を込めて。
「私、実はジェットコースターって今まで乗ったこと無いんです。そもそも遊園地って一人で来るところじゃないですからね」
地雷。
し、しまった。変わって来たとはいえ、そういえば雷九ってこういうやつだった。
「あ、そっかそっか。初めてならこれくらいのジェットコースターが丁度いいかもしれないよ」
そう、ここ桜ヶ丘ランドにあるジェットコースターはお世辞にも迫力満点とか言えるレベルではない。そんながっかり度満点の代物だった。
これなら僕だって余裕で乗れるに違いない。きっとそうだ。
園内の人込みはGWにも関わらずまばらだ。そんな様子を見せられたらやっぱりここの経営がちょっと心配になってしまう。
「お、やっぱり並ばなくてもよさそうだな。それじゃ早速乗ろう」
と、そこでいきなり係りの人に呼び止められる僕達。
「お客様、まことに申し訳ございませんが、こちらの身長を超えていないお客様は、危険ですのでご遠慮いただいているのですが」
そう言ってニコニコ顔でピンク色の不思議生物(桜ヶ丘ランドのイメージキャラクタらしい)の立て札を見せてくる従業員さん。
すっかり忘れていたけど、今の有須はロリ状態。彼女の身長では到底届かないわけで。
僕は、恐る恐る有須の様子を盗み見る。
何故かぴくぴく小刻みに震える有須さん。
一瞬のうちに、何とも言えないオーラが周囲に立ち込めたのが分かる。
こ、怖い。とてもロリっ子とは思えない。
「… 兄さん。雷九さんと二人で乗ってくればいいじゃないですか、二人で楽しんでくればいいじゃないですか、何なら私、ここで待ってますから。はいはい、どーせ私なんてのけ者ですよ」
うっわ、有須さんってばすっかりご機嫌斜めだよ。
だが、こんなときこそ雷九の出番。同性として、何とか宥めてくれるに違いない。
「あははは。しょうがないよな、こればっかりは。雷九、他に行こうか?」
「何寝ぼけた事を言っているんですか嵐さん! さぁさぁ、ここはお言葉に甘えて行きましょう」
初めての絶叫マシンを前にして、すっかりテンションが上がってしまっている雷九。テンションと言うよりキャラが変わってる。そんなはっちゃけすぎな雷九。
「嘘だろ?」
僕は、雷九にひっぱられながらジェットコースターに乗り込んでいく。
こうなってしまってはもはや逃れようも無い。
何とか耐えるしかない。頑張れ僕。
否応なしにコースターのシートへと据わらされ、絶望への路をひた走る。
カタカタと音を立てて動き出すマシン。
徐々に絶望に包まれていく僕。きゃっきゃとはしゃぐ雷九。そんな僕らの様子をじとっと眺める有須。
尚も段々と登っていくマシン。眼に映る景色がどんどん変わっていく。
………… あ、駄目だコレ。
~5分後~
おえーっつ。うえええええっ。
僕は、吐いた。全力で吐いた。それはもう泣きながらリバースしていた。
そんな僕を余所に、上機嫌な雷九。
「楽しかったですね、嵐さん。あのふわーって感じが癖になりそう。もう1回乗りましょうか? もう1回」
一方、有須はと言えば。
「天罰でも下ったんじゃないですか? いい気味ですね、兄さん。次行きますよ!」
相変わらずのご機嫌斜め。
僕はふらふらになりながら有須の後を追う。情けない。ああ、情けない。
そんな有須が次に向かった先、メリーゴーランド。
「これなら、私でも問題なく乗れますから」
そう言って何故か胸を張る有須。
まぁ、ロリ化する前からそもそも胸無いんですけどね。げふん、げふん。
「メリーゴーランドか。うん、遊園地の定番だね。でもさ、男子高校生が乗るのはちょっと厳しいよ、ここは二人に任せようかな」
僕はこの場に残るつもりで近くのベンチに腰掛けようとした。
「駄目です。そんなのズルイ。さっきは私が我慢したんですから、次は兄さんの番です。さ、私と一緒に乗ってくださいね?」
そう言ってにっこり微笑む有須。そんな顔で言われたら、断れるわけが無いわけで。
そんな僕らは有須の言葉通り、二人で一つの木馬に乗った。
そういえば、さっきから雷九が見当たらない。もしかしたら本当にまたジェットコースターに乗ってるのかもしれない。
「うわ、やっぱりちょっと恥ずかしいなコレ」
「何言ってるんですか兄さん。兄さんなんて誰も見てませんから安心してください。というより、お客さんなんてほとんどいなかったじゃないですか。大丈夫です。ほらほら、動き出しますよ」
まぁ、妹とメリーゴーランドに乗るなんてこと事態、それこそこうして有須がロリ化しなければ2度と訪れることも無かった機会だろうし。
気分的には悪くない。
ほどなくして、ぐわんぐわんと廻りはじめる回転木馬。
僕らの他には親子が一組。
今の有須よりさらに小さな女の子と、その母親の組み合わせ。回転木馬の外では父親らしき人物が、ビデオカメラを構えている。
そんな光景を見て、僕は言う。
「子供の頃はさ、メリーゴーランドの何が面白いのかさっぱり分からなかったけど。今ならちょっと分かる気がするよ」
「そうなんですか? 私は知ってましたよ。ずっと昔から」
段々とその動きを止める木馬。落ちないようにと、ぎゅっと握っていた有須の体から手を離す僕。
小さくなったって、昔の姿になったって、有須のその温もりは、体温は、やはり有須そのものだった。
「兄さん、そろそろお昼です。一旦休憩しましょうか?」
「早っ。時間の経過が早いってことは、僕も存外楽しんだってことか」
時刻は12時手前。正直、廃れたテーマパークと舐めていたところがあったらしい。
ぶっちゃけ楽しい。超楽しいのだ。
「お昼にするとして、そういえば雷九は何処に行ったんだろうな? あ、嘘だろ。あいつまだジェットコースターに乗ってるぞ」
丁度何度目か分からないジェットコースターから降りてくる雷九。
「おいおい、大丈夫か? いくらなんでも遊園地初心者の君がいきなり乗りすぎじゃないか? 気分悪くなったりしてない?」
「いえいえ、全然大丈夫です。むしろ気分爽快、実に晴れやかな気分です。絶叫マシンってこんなに楽しいものだったんですねー」
どうやら僕らは、雷九の新しい扉を一つ開けてしまったらしい。
◆
ランチタイム。
僕らは、園内に有る売店でお昼を購入することにした。勿論、僕の自腹であることを付け加えておく。
「こういうところの食べ物ってさ、高い割りにあまり美味しくないイメージが有るよね」
「そうですか? 確かにちょっと割高かもしれませんが、味は分かりませんよ? あ、折角なので私は桜ヶ丘バーガーで」
「あの、私も有須先輩と同じもので」
いかにもなネーミングである。桜ヶ丘なんて謳ってるけど、そもそもここの特産品って何かあったっけ?
その名の通り、桜はちょっとだけ有名だけど。基本的に特産物があったなんて記憶は無いんだけどな。
僕は訝しげに、その桜ヶ丘バーガーを3つ注文した。3つで2枚札が飛ぶ値段。大手のハンバーガーショップなら数倍の数が買えるっていうのに。
僕はぶつぶつと、あくまで心の中で文句を言いつつ2人が座るテーブルへと向かった。
雷九と有須、お互い相手に慣れて来たようで、普通に会話をしている。そんな様子にちょっと感動を覚えたりする僕。
こうしてみるとまるで姉妹みたいだな。
勿論、事情を知らなければちんぷんかんぷんな会話なんだけどね。
「お待たせ、2人とも。さぁ、この超胡散臭いバーガーを検証してみようじゃないか」
そう言いながら、早速かぶりつく僕。
「… うまっ!!!」
美味しかった。意外なほどに美味しかった。
どこら辺に桜ヶ丘らしさがあるのか分からないが。
ちょっとこってりしている和風てりやきソース、シャキシャキレタスと輪切りトマト、2枚重ねの大きな牛肉、ほどよく柔らかく妥協の無いパンズ。それらが奇跡的なハーモニーを奏でながら互いに互いを高めあい、一つとなり、何ともいえない味をかもし出している。
呆れ顔の2人を余所に、僕は追加で2つほど平らげたのだった。
「兄さん、次はあれにしましょう、あれ。テーブルから入り口が見えていてずっとちょっと気になっていたんです」
そう言って有須が指差す先に有るもの、お化け屋敷だ。
「お化け屋敷か。でもさ、遊園地には何でお化け屋敷なんてあるんだろうな? 他のアトラクションとは一線を画しているような気がするというか、何というか」
「そうですね。こればかりはどこの遊園地にも必ずあるってわけじゃありませんし。でも方向性としてはジェットコースターと同じだと思いますよ、怖いもの見たさとでも言えばいいのか」
有須の言葉に頷きながら、僕らは入り口へと向かう。
「お嬢ちゃん、お兄ちゃんの手を離したら絶対駄目だよー。お嬢ちゃんにはちょーっと怖いかもしれないけど、頑張ってね。それじゃあ、逝ってらっしゃい」
そう言って笑顔で見送ってくれる係員さん。その言い草にちょっとむっとする有須。まぁ、今の有須じゃそう言われても仕方が無いのである。僕はそっと有須の手を握り、入り口へと入っていった。
「に、兄さん、本当に手なんか繋いでくれなくてもいいですから。私、一人で大丈夫です」
既に暗がりなのでその顔は見て取れないけど、有須が僕の手をぎゅっと握りながら言った。
「はは、そう言うなよ。ほら、僕は方向音痴だから。こうして有須と手をつないでいれば迷わずにすむだろ?」
「そ、それなら仕方が無いですね。兄さん、昔から方向音痴でしたもんね」
僕の手をいっそう強く握り返す有須。
「雷九、しんがりを任せたけど大丈夫か? もしかして、お化け屋敷に入るのも初めてだったりする?」
「はわはわわ、真っ暗で、何だか寒いです。何かでてきそうな」
既に僕の話を聞いてない。
と言うか雷九さん、お化け屋敷何だからそりゃ出るでしょう。むしろ何も出なかったらぼったくりだよ。
そんなことを考えていると、突然、床から煙が噴出した。うん、ありがちな演出である。
「きゃーーー、何か出た。床から何かでましたよ、今」
お次は、横路が火の玉で明るく照らされる。これもまぁ、定番だ。
「うわーーーっ、何か光って揺れてますよー。えくとぷらずむだー」
いやいや、火の玉でしょ普通。
と、そこへ、コツンコツンとこちらに何かが近づいてくる音がする。これは。
「ぐぉーーーー」
突如、前からフランケンシュタインっぽい大男が現れた。
何でだよ! そこは幽霊だろ普通。世界観無視かよ!
見は日本風なお化け屋敷だったのに、中は何でも有りらしい。そのうちキョンシーとか吸血鬼も出てくるかもしれない。
「ぎゃーーーーーーっ、出たー、出ましたーーー。変質者だーーー」
そういって一人先に行ってしまう雷九。
僕はむしろ雷九のそのテンションに驚いたよ。
雷九のテンションにも驚いたけど、手をつないでいるおかげで、何だかんだいってもびくっびくっと驚いている有須の様子が手に取るように分かった。
「大丈夫か、有須? 雷九はともかくとして、有須も実はさっきから内心びびりまくってるだろ?」
「わ、わわわ私なら全然大丈夫です。それより、早く雷九さんをお、追いかけましょう」
そう言いつつも、今まで以上に僕の手を強く握ってくる有須。素直じゃないな、相変わらず。
ちょっと進んだところで雷九らしき後姿を発見。
と、僕が声をかけようとしたその瞬間。雷九の前方から突如ぬぅーーっと出現した白い影。
「こんなところにいたんだ? 探しちゃったよーー」
アレ、どこかで聞いたような声だな。なんて思っていたのも束の間。
ぶくぶくと泡を吐き、白目をむき倒れる雷九。
… 正直、こんな漫画みたいな倒れ方する人間ってやつを始めてみたわけで。
僕は、咄嗟に走ってその体を支える。
「あれ? どうしたのトオルン? こんなところで急に寝ちゃって」
「リンネ。タイミング悪すぎ」
そして、雷九。君はエンジョイしすぎ。
何だかんだいって一番今回の遊園地を楽しんでいるのは彼女なんじゃないだろうか。
僕らは倒れた雷九を背負ってお化け屋敷を後にした。
「すみません、すみません、すみません。私、お化け屋敷あんなに怖いものだとは思いませんでした。皆様にごめいわくを掛けてしまって」
「いやいや、全部リンネのせいだから気にしなくていいよ。お化け屋敷に1体だけ本物がいたんじゃしょうがない」
「むっ、嵐。本物って何よ、本物って」
頬を膨らませながらそう言うリンネ。確かに、リンネにも悪気があったわけじゃないんだろうけど、あれは本当にタイミングが良かったというか、悪かったというか。
そんなやりとりをしているうちにも時間は進み、気が付けば夕刻近く。
そろそろ帰りのことを視野に入れる時間帯である。
「兄さん、そろそろ時間も遅いですし。最後はあの観覧車に乗りましょうか」
そう言った有須の横顔は、何かを決意した女性の顔だった。
観覧車。これも遊園地の定番中の定番である。この物語の最後の締めとしてはもってこいなのかもしれない。
「あの、私はさっきの件もありますし。天使様とここで休憩しています。ですから、最後はお二人で楽しんできてください」
「分かった。うん。その方がいいかもな。じゃ、リンネ、雷九を頼んだぞ」
何か言いたげな表情のリンネだったが、僕ら2人の顔を見回した後、静かに頷いた。
その時、リンネが雷九に目で合図を送る。すると、雷九は僕に一つの紙袋を渡してくる。
「必要になるから渡して欲しいって天使様が」
僕らは二人揃ってゴンドラへと向かった。
こちらもやはり待ち時間無しで乗ることが出来た。
僕らの乗った3番ゴンドラは、徐々にその高度をあげていく。
「兄さん、今日は本当にありがとうございました。私の無理を聞いていただいて」
「こっちこそ、ごめんな。今朝方、親父にも言われたんだけどさ、有須はいつも自分のことより家族を優先しているだろ? 僕達は母さんや姉さんがいなくなった後、その役割を無意識のうちに有須に押し付けちゃったんじゃないかって思ったんだ」
有須は黙ってゴンドラの外を見つめる。
「だからこそ、母さんも、姉さんも居た幸せだった10年前のあの頃に戻りたがってるんじゃないかって」
オレンジ色の夕焼けが僕達のゴンドラに差し込む。もう少しで天辺までたどり着きそうだ。
「私も最初この姿になって、兄さんやリンネさんから天使や伝承の話しを聞いた後、すぐにそのことを考えました。でもね、兄さん。それは違うんです。だって私、無理やり母さんや姉さんの役割をしようなんて思っていない。だって、私は私ですもん。どんなに頑張っても、2人にはなれない。なってあげれらない。それに、私。家族を優先してるなんて言われますけど、それだって私が好きでやっていることなんです。無理なんてしてない。兄さんだって、私やだんちゃんが困っていたら、自分のことなんてお構い無しに助けてくれるでしょう? それとおんなじです。私、父さんも、だんちゃんも、兄さんのことも大好きなんです」
そう言い切る有須の横顔は、夕日に照らされとても美しく輝くのだった。
「この言葉に、嘘偽りなんてありません。10年前は母さんも姉さんも居たし、確かに幸せでした。でも、やっぱりそれは私にとって過去形なんです。大切なのは今。だって、私、今も十分幸せですもん」
僕の頬を一筋の涙が伝う。
有須は僕が思っている以上に、強く逞しい妹だったらしい。
ゴンドラは、ついに天辺に到達していた。
「ねぇ、兄さん、見てくださいよ。私たちの家があんなに小さく見える。それに、夕日に照らされてとっても奇麗ですよ」
うん。僕は涙をぬぐいながら頷くことしか出来なかった。相変わらずの、実に情けない兄っぷりである。
「でもね、兄さん。私、実は一つだけ嘘をついてました。もし昔に戻れるとしてら、一つだけしたいことがあったんです。… 兄さんは覚えていないかもしれませんが、10年前に1度、家族みんなでこの桜ヶ丘ランドに遊びに行くっていう約束をしたんですよ? 結局、それは叶わぬ夢となってしまったわけですけど。当時は本当に残念で残念で」
そうだったのか。有須は小さい頃からやけに聞き分けのイイヤツだったからな、そんなのおくびにも出さなかった。
「最近までそのことすら忘れていたんですが、ここの閉園が決まったというニュースを聞いたら、ついつい、その当時の記憶が蘇ってしまって…。そう考えると、やっぱり原因は私自身にあったのかもしれませんね。すみませんでした」
そう言って僕に対してその頭を下げる有須。
「それでも私、今日こうして兄さんと、そして雷九さんと一緒にここに来れてよかったと思っています。胸のつかえがとれたような気がしました。それに、今日1日私の名前のとおり、まるで不思議の国のアリスになったような気分で楽しかった」
そう言った有須の体は、夕日に照らされオレンジ色に輝きながら、点滅していく。
何故かは分からないが、どうやら彼女の体が元に戻っていくらしい。
良かった。本当に良かったよ有須。
………… え?
ちょっとまてよ。今、ここで、僕の目の前で、元に戻るのか?
それってかなり不味いような。
5歳→15歳へ。有須の体はまるで魔法少女の変身ポーズのような光に包まれ、徐々に大きくなる。
体の膨張に伴い、当然、サイズの合わなくなった服が破れていく。
服が… 服がああああああああーーーー。
僕は、半狂乱になりながら何とか目を逸らそうと体を後退させる。
とその時、ガサッという音と共に、僕の足元に何かが置かれていることに気が付く。
… !
流石リンネ。何だかんだいっても天使の名は伊達じゃないらしい。こうなることも見越していたってことだろうか?
袋の中には、桜ヶ丘ランドというネーミングの入ったダサいジャージが入っていた。
恐らく、この時、この瞬間のため、雷九に伝えて事前に準備したものだろう。
そして、その瞬間にも、目の前にはあられもない有須さんの姿が。
ああああああああああああああ。
イヤ、落ち着け僕。落ち着くんだ。
こういうときは素数… じゃない円周率を数えるんだ。
うわあああああ、3.14159 26535 89793 23846 26433 83279 50288…。
そんな僕を余所に、すっかり元の姿へと戻った有須は、意識を失ってゴンドラのシートでぐったりしている。
… 41971 6939937510 5820974944 5923078164 0628620899 がべっ。
舌かんじゃったよ。血が出てきたよ。
僕は、自分で自分をぶん殴りながら、何とか有須にジャージを着せる。
僕は、何も、見て、いない。ホントウダヨ?
一番下まで戻ってきたゴンドラから降りる僕。有須はまだ気を失ったままなので、僕が背負って出ることに。
… あのときの係員さんの驚きようと言ったら、暫く忘れられそうに無かった。
そりゃそうだよね。
乗るときは小さいロリっ子だったはずなのに、降りる頃にはすっかり大人にっているんだから。
加えて僕の顔面。自分で殴りすぎて、それはもう偉い事になっていたわけで。
下で待ち構えていた2人も、元に戻った有須の姿よりまず僕の顔の方に驚いていたくらい。
「うわっ、嵐。どーしたのその顔。ゴンドラの中で12R戦ったみたいな顔になってるよ」
「うん、ちょっと自分の中に巣食う伝承と戦っててね。それにしてもリンネ、伝承って怖いよね。本当に恐ろしい。後、ジャージありがとう。コレが無かったら、それはもう色々なところが色々と大変だったよ」
「でしょでしょ。もっと褒めてもいいんだから! それじゃ皆、まだ仕上げも残っていることだし、一旦トオルンの部屋に戻りましょー」
僕は夕焼けに照らされながら、有須を背負ってトオルン宅へ向かっていた。
「なぁ、リンネ。結局今回の伝承ってなんだったんだろうな? 今までと違って何か変というか、変わったタイプだったような気がする」
「こればっかりは、私も断言は出来ないけど。伝承にも色々あるってことね。今回みたいに、ちょっと風変わりなタイプもある。大抵のヤツは対象者の願い、願望に巣食って捻じ曲げた形でその願いを叶えてしまうわけだけど。今回はたまたまというか。結果論というか。でもやっぱり、伝承は伝承。私が天使で有る以上、それを祓うのがあたしの仕事であり使命。それだけは忘れないで、嵐」
「そっか。覚えとくよ」
僕は後ろに背負われ、眠ったままの有須に向かって独り言のように呟く。
「有須、お前もいつの間にかこんなに大きくなったんだな。昔はさ、にぃにぃ、にぃにぃって言いながら、僕の後ろばかりくっついて歩いていたのに。母さんが亡くなって、姉さんが居なくなって、ダンゴが生まれて。気が付けば、有須が花家一番のしっかり者になってたよね。今のお前はさ、花家の中心なんだよ。お前は無理してないなんて言ってたけど、本当は僕らがもっとしっかりしなきゃいけないんだよね。だからさ、僕なんかが言えた義理じゃないけど、有須はもっと僕らを頼ってもいいと思うんだ。勿論、僕も兄貴として、有須に負けないように、もっとしっかりするからさ」
「………… 馬鹿にぃにぃ」
僕らの顔が赤く見えたのは、きっと夕日が赤かったためだろう。
そんな僕らのやりとりをそばで聞いていた雷九がぽつりと呟く。
「いいですね、兄妹って。私も兄さんと昔みたいに…。いえ、これから築いていけばいいんですよね」
◆
雷九宅。再び雷九の部屋
僕は雷九のベッドにそっと有須を寝かせる。
「それじゃあ仕上げね」
リンネが何か呪文を唱えたあと、有須の心臓に向かって矢を放つリンネ。
と有須の体から、黒い煙が噴出してくる。
やがてその煙は有須の体から切り離され、空中で実体化していく。
「リンネ、頼む」
僕はその煙を睨みつけながら言った。
リンネが頷くと同時に、僕の右手は発光し始め、やがてその光はひとつ卵となる。
「卵? 何で卵? と言うか、卵でどうしろってんだよ、コントじゃないんだからさ」
「ちっちっち。当然ただの卵じゃないよ、嵐。むしろ食べたら一気にあの世逝きね」
リンネの言う通り、卵から異様な機械音が響く。よく見るとタイマーらしきデジタル表示も見て取れる。
つまり、爆弾。
天使と爆弾。何ともミスマッチな組合せ。
卵ってのはアリス的に考えて分からなくもないけど、何故爆弾なのか。
だが、あれこれ詮索する暇も、考える時間もそもそもあまりないようだった。
カウントダウンは残り5秒。
迷っている暇は無い。僕は、目標に向かって卵こと謎の爆弾を全力で投射する。
あ… そもそもここは雷九の部屋じゃないか。こんな空間で爆発したら。
が、時既に遅し。
放たれた卵は、空中で破裂。中から大量の光が溢れ、伝承の黒き靄を飲み込み、やがて、空中で離散していった。やはり腐っても天使武器。ただの爆弾ではないわけで。
「ふぅーっ。緊張したー」
「はた迷惑な卵だった。一瞬本気で焦ったよ」
僕はすやすやと眠る有須を見守る。
「雷九、また一つお願いしたいんだけど、いいかな?」
雷九はにっこり笑いながら答えてくれる。
「大丈夫です。有須さんは私が責任もって回復まで見届けさせていただきますから」
「そう言ってくれると助かるよ。雷九になら安心して任せられる。それに、有須の手前あんな事言っちゃったからね、僕は一旦家に戻るよ。親父やダンゴも心配しているかもしれないし」
そう言って、雷九と一旦別れ花家へと向かう僕とリンネ。
「そういえばリンネ。遊園地じゃ、すぐに居なくなっちゃったけどさ、お前何してたんだ?」
「あー、あれね。観覧車の天辺まで飛んで見たの。あそこからだと、この桜ヶ丘が一望できるでしょう? 奇麗だったなー、あの景色。あのね、嵐。あたし、この町が大好きだよ。町だけじゃない、嵐も、妹ちゃんもトオルンも、キリキリだって大好き。この試練が始ってみて、やっぱり天界で習っていたのよりずっと大変だって感じてるけど、あたし、今までよりずっと強くこの試験を成し遂げたいって思うようになったの。これからも嵐には迷惑かけちゃうかも知れないけど… 最後まで付き合ってくれる?」
「当たり前だ。僕だって最初は戸惑ったけどさ、今はこうやってリンネに会えて良かったとさえ思ってるんだ。色々な人たちと出会うことで、僕自身も変わっていけるような、そんな気がする」
そんなこを言い合ううちに、どうやら家の前まで到着したようだ。
「さて、今日の夕飯は僕が腕を振るうことになりそうだな」
「へぇー、嵐って料理出来たんだ。ちょっと意外かも」
「そうか? リンネに食べさせられないのが残念だよ。ま、僕の場合、大分おおざっぱな正に男の料理って感じだけどな」
◆
翌日
早朝。有須を迎えに雷九宅へと向かう僕とリンネ。
「嵐さん、お早うございます。有須先輩なら昨日のうちに目が覚めて、すっかり元気になられましたよ」
一先ずどうぞ、上がってくださいという雷九。
「あら、兄さん。珍しく早起きですね。わざわざ迎えに来てくれたんですか?」
「一応ね。あ、着替え持ってくれば良かったかな?」
そういえば、最初ここに来たときパジャマ姿だったっけ?
「それなら大丈夫です。どーせ兄さんのことだからそこまで気が廻るとは思っていませんでしたし。それに、既に透ちゃんに服を借りちゃいましたから。ほら? どうです? 似合ってますか」
そこにお茶を持って上がってきてくれた雷九が答える。
「有須先輩って何来ても似合っちゃうんですもん。羨ましいです」
「へぇ、でも良く雷九の服とサイズが合ったね。成る程、こうしてみると2人とも身長はそんなに変わらないのか。それに、胸のサイズが2人ともペタ」
時既に遅し。
「兄さん。あなたって人は、いつもいつも一言多いんですよ!」
「嵐さんの、ばかーーーー」
「にゃはははははは、流石嵐。最後まで抜け目無いなー」
僕は、有須と雷九、両人両方向から全力の鉄拳制裁を受け、そのまま意識を失ったのだった。
どうやら僕という人間は、変わるどころか全然成長すら出来ていないのかもしれない。
END