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天使の溜息、108っ!  作者: 汐多硫黄
第1章「始まりの天使リンネ」
4/14

第四輪「花と嵐と月の裏側◆-十五夜月美の場合-」

    第四輪 「花と嵐と月の裏側◆-十五夜月美の場合-」



 季節は初夏。いよいよ梅雨本番の季節に差し掛かろうという5月下旬。

 降り続く雨は人を憂鬱な気分にさせるけど、そんな僕をさらに憂鬱のどん底に突き落とすような、とある一つの事件が起こる。

 僕はこの事件を経てようやく、「天使」という仕事の本当の意味を知ることになる。


          ◆


「ねぇ、嵐。これまで二つの試練をこなしてきたけど、そろそろあたしや天使の仕事を理解してくれたよね?」

 帰宅後、自分の部屋に戻ったばかりの僕に、そんなセリフを問いかけてくるリンネ。

「まぁ多少は。全部を素直に受け入れるってのはまだまだ難しいけどさ、リンネの力にはなりたいと思ってるよ。そう言えばお前、最近ふらっといなくなることが増えたけどさ、何やってんだリンネ?」

 僕は肩に下げていたバックをベッドへと放り投げ、近くの椅子に腰かけながら能天気にそう聞き返した。

 突然、リンネは神妙な顔つきになる。

 そんな彼女の顔を見て僕は、堪らなく嫌な予感がした。


「嵐。あなたの幼馴染、十五夜月美は… 人間じゃないかもしれない」

   

 人間じゃないかもしれない。

 僕は、リンネの発したその言葉の意味が理解出来ず、ただただ気が遠くなるのを感じていた。

 月美ちゃんが、人間じゃない?

 人間じゃないだって? だったら、何だって言うんだよ。幽霊か? 宇宙人か? 未来人か? いや、まさかそんな、嘘だ、絶対に嘘だ、有り得ない。

「実は、彼女を初めて見たときからちょっとした違和感を感じていたの。でも、その違和感の正体までは掴めなかった。だから… ここ数日間、勝手に彼女を調べさせてもらったわ。それでわかった事なんだけど。まず一つ、彼女はあたしの姿が見えている」

 リンネの姿が見える? 

 そんな馬鹿な。天使を見ることが出来るのは、そのパートナーと、試練の関係者と、過去に天使と関わったもの、そして或いは、リンネと同じ…。

「嵐、ズバリ結論から言うわ。あなたの幼馴染、十五夜月美は… 堕天使よ」

 僕は、自分の血の気が一気に引いていくのが分かった。

 月見ちゃんが堕天使? 嘘だ。そんなの嘘だ。有り得ない。

 彼女は僕の幼馴染で、小学校からずっと一緒で、確かにちょっと変わっているけど、何の変哲も無いごく普通の少女じゃないか。

 そんな彼女が堕天使だと? ふざけるな。そんな話があってたまるか。

「そんなの嘘だ。だったら月美ちゃんは、わざわざ僕の前では、今までずっと人間のふりを続けてきたとでも言うのかよ? 僕をずっと騙していたってのか?」

 僕は、自分でも気がつかないうちに、声を荒らげ、力の限りそう叫んでいた。叫ばずにはいられなかった。

 そんな僕とは対照的に、リンネが努めて冷静に僕をなだめる。

「嵐、落ち着いて。十五夜月美が、嵐にとって大切な人物だってことはあたしにも分かる。だからこそあたしも、これまで一人で調べていたし、確実なことが言えるまでは嵐には内緒にしていたの。お願い、まずは落ち着いて」

 一気に血が上り、勢い良く立ち上がったせいか、急激な立ちくらみに襲われる僕。こんな時だって言うのに、流石もやしっ子だよ。

 僕はふらふらよろめきながら、その場に座り込む。

 皮肉にもこのインドア体質は、炎のように一気に燃え上がった僕の心をクールダウンさせるにはもってこいだった。

「嵐、大丈夫? ごめんね。でも嵐には分かって欲しいの。あたしだってこんなこと言いたくなかった」

 慌てて僕に駆け寄り、心配そうにこちらを見つめてくるリンネ。

 リンネに気を使われてしまうだなんて、僕は相当らしくない行動をとってしまったらしい。我ながら実に情けない姿である。

「いや、こっちこそゴメン、いきなり怒鳴っちゃったりして。月美ちゃんのこととなると、つい」

 立ち上がろうとする僕を制し、リンネが言う。

「そのままでいいよ、それじゃあ話を続けるね。嵐は、堕天使って何だと思う? あなたのイメージでいいから言ってみて?」

 僕は暫く考えを巡らせた後、率直に答える。

「また笑われそうだけどさ、僕の持ってるなイメージだと… 何かの理由で天界を追放された天使のことだろ? 天使って言うより悪魔に近いとかかな?」

 笑うどころか、僕の回答をいつにもまして真剣に聞くリンネ。

「30点ってところかな」

 30点? 

 どうやら僕は、天使学赤点らしい。つまり僕の抱くイメージと事実に相当のギャップがあるようだった。

「まずはじめに、堕天使は悪魔何かじゃないわ。それだけは決して間違えないで欲しいの。特に、代行者であるあなたにはね。でも、天界を追放された天使ってのは正解。意外に思うかもしれないけど、あたし達天使が天界を追放される理由はね、実は一つしかないの」

 僕の顔をまじまじと見つめながらリンネが言う。

「それはね、あたし達テンタマがこの試練に失敗したときだけ。つまり、試験に堕ちたから堕天使ってわけ」

 そんな。それは今の僕達にも大いに関係有る話じゃないか。それじゃぁ、もし僕達がこれからも続くであろうこの試練に失敗したら、リンネも天界を追放されちゃうってことなのか? 堕天使になってしまうってことなのか?

僕は、自分の肩に掛かったプレッシャーの大きさを、改めて自覚させられる。

「厳しいと思う? 酷いと思う? でもね、テンタマの試験はちょっとやそっとでは、そう簡単には失敗にはならないわ。それに、実を言うと制限時間ってのも無いの。だからよっぽどのことが無い限り失敗扱いにはならない」

「待ってくれ。それじゃつまり、そのよっぽどのことを、月美ちゃんがしたってのか?」

 一瞬の沈黙の後、リンネは重たい口を開いた。

「そうだね。彼女は、テンタマにとって、一番のタブーを犯してしまった」

 僕は、その話の続きを聞きたくは無かった。思わず耳を塞いでしまいたい、正にそんな気分だった。

 リンネは、そんな僕の気を知ってかしらずか、しっかりと僕を見据えたまま答えた。

「十五夜月美は、テンタマにとって一番重要な存在「自分のパートナー」を死なせてしまったの」

 死なせた? 月美ちゃんが? 

「何があったかは、今はまだ言えないけど、十五夜月美が自身の代行者を死なせたのは紛れも無い事実。そうして天界を追放されたのも事実。でもね、嵐。勘違いしないで欲しいのは、天使が天界を追放されるのは単なる罰というわけじゃないの」

 「罰じゃない? それじゃあいったい何のために、月見ちゃんは天界を追われたっていうんだよ」

「さっき嵐が言っていたことにも関係してくる話なんだけど。天使が天界を追放されるとき、その天使は天使の力と記憶をほぼ剥奪されて、代わりに人の体と記憶が与えられるの。つまり、あなたの幼馴染は、体は確かに人間だけどその中身は天使のそれってわけ。だから、普通に人間として成長するし普通に人間として生活だって出来る。安心して、彼女との記憶は作られたものや嘘偽りなんかじゃない。そうやってただの人間として生活することにより、人間のことをより深く識るってのが目的ね」

「その話が事実だとして。追放ってやつは、いつまで続くものなんだ? 普通の人間として生活するって事は、まさか人として死ぬまでとか?」

リンネはふるふると首を左右に振り、神妙な顔つきで言う。

「天使の大切な仕事の一つに、人間界へと追放された堕天使を、再び天界へと送り返すってのがあるわ。それは、テンタマだけに許された仕事なの。逆に言えば、堕天使を天界に送り返すことができるのは、テンタマだけ」

 堕天使を送り返す? 待ってくれ、だとしたら、月美ちゃんは…。

「堕天使は、その堕天使が人間として生きていくのに、都合のいい場所や環境に落とされるらしいけど。嵐、私が何を言いたいか分かる?」

 僕は答えの代わりに、沈黙を持って答える。

「本物の十五夜月美は… とっくの昔に死んでるのよ」


 僕の中で、何かが音を立てて壊れたのが分かった。それでも、リンネが止まる事は無い。

「彼女の場合、交通事故だったらしいわ。記録上は奇跡的に一命を取り留めたってことになってるけどね。実際はその時、追放された天使の魂が、十五夜月美の体に入ったってわけ。亡くなった十五夜月美の記憶を引き継いているし、見た目も十五夜月美そのものなんだけど、中身は記憶の無い天使。いくら記憶を引き継いでいても、以前の十五夜月美とは全く違う存在ね。十五夜月美の両親は、その事故のせいで月美が変わってしまったって思ったみたいだけど。だからこそ彼女の環境をリセットするために引越しをした。そこが、花家の隣だったってわけね」

僕の頭はますます混乱していた。言いたいことや反論したい事も多々あった。けれど、リンネに対して、今、一番言いたいこと。それは。

「何故それを僕に言うんだ? 僕に、僕にどうしろっていうんだよ……」

 僕の目は、焦点を捉えてはいなかった。その視線の先に、何があったとしても。ただ一点、虚空だけを見つめていた。

「堕天使を送り返すには、あたしと嵐、両方の力が必要だからだよ。それと、あたしはね、このテンタマ試験をあなたと一緒に突破して本物の天使になりたいって、心の底からそう思ってるの。だから、だからこそ十五夜月美の中の天使にも、2度目の機会をあげたいと思ってる」

 リンネの言いたい事は分かるし、恐らく正しいのだろう。けれど、それでも、僕は。

「でもね、それって完全にあたしのエゴだし、完全に天使目線のお話なんだ。結果として、嵐から大切な幼馴染を奪ってしまう事になる。だから、十五夜月美を天使に戻すか、あえて見過ごしてこのまま人間として生きるか。……それを決めるのはあなたよ、嵐」



 全く、酷い天使もいたものである。

 こんなの、僕に決められるわけ無いって、知ってるくせに。

「もしも天使に戻すなら、彼女は人間界を離れ天界にいくことになる。二度目のチャンスが与えられることになるけど、その後は中の天使次第ね。逆に、人間としてこれまで通り生きて欲しいと願うなら、あたしは、彼女に関しての一切にもう二度と関わらない。それは約束するし、嵐を責めたりなんかしない。いずれにしても、あたし一人の力では彼女をどうすることも出来ないわ。だから、決めるのはあなたよ、嵐。でもね、これだけは言わせて? あたしは、彼女を天使として天界に戻したいと思っている。彼女にチャンスをあげたいの。同じ、天使として」

 その時、まるでタイミングを見計っていたように有須の声が聞こえてきた。

気がつけば夕刻過ぎ。どうやら夕食の時間らしい。

「まだ時間は有るわ、ゆっくり考えてくれればそれでいいよ。さぁ、妹ちゃんが呼んでるわ、早く行ってあげて?」

 

 ごめんね、嵐。

 最後に天使がそう呟いたのを、僕は聞き逃さなかった。


          ◆


 シンキングタイム一日目


 いつも通り、いつもの時間に月美ちゃんを迎えに行く。情けない事に、結局昨日は一睡も出来なかった。

 リンネのヤツ、月美ちゃんの処遇を僕に決めろだなんて、今までで一番酷い無茶振りだ。

 そんなの、僕に決められるわけが無い。このヘタレな僕に。

 花家から時間にして約10秒の位置にある十五夜家。そんな彼女の家の前で立ち尽くす僕。

 十五夜家の玄関チャイムを押す手がいつもより重い、確実に重い。まるでここだけ重力が違うように重たい。

 僕は、大きな溜息を一つつき、長年押し続けてきたそのチャイムを押した。


「あら。お早う、嵐ちゃん。ごめんねぇ、月美ったらまだ準備が出来てないみたいなの。ちょっと待っててあげてもらえる?」

 僕を出迎えてくれたのは、月美ちゃんの母である月子さん。

 … もし、僕が月美ちゃんを天界に還してしまったら、残された月子さんやおじさんは一体どんな思いをすることになるんだろう。それ以前に、2人は月美ちゃんが既に本当の月美ちゃんじゃないってことすら知らないはず。

 そう考えると、僕は月子さんの前でどんな顔をしていいのか、それすら分からなくなってしまった。

「あ、すみません月子さん。今日はいつもよりちょっと早く来すぎちゃったかもしれません」

「あら、すみませんだなんて。こっちこそ、いつもいつも月美を迎えに来てもらって助かってるんだから。まったく、嵐ちゃんには迷惑掛けっぱなしねあの子ったら。そうね、こうなったらいっそのこと、嵐ちゃんに一生面倒見てもらうってのも」

 月子さんが冗談交じりにそんなことを言いかけたとき、家の奥からこちらに向かってくる足音が聞こえて来た。

「おかーさん、何、言ってるの。は、恥ずかしいこと、言わないでよ。わ、私は、別に、そんなこと」

 いつもと変わらない月美ちゃん。それなのに何故だろう? 何故僕は、この場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになっているんだろう。

「あらあらー月美ったら、そんなに顔を真っ赤にしちゃってー、それじゃ説得力が無いわよ?」

「こ、これは、怒ってるからだよ。本当、だもん」

 果たしてこの僕に、彼女らの日常を壊す権利なんてあるのだろうか?

 なるべく平静を装いながら、いつも通りの笑顔で僕は言う。

「それじゃあ行こっか、月美ちゃん。忘れ物はないよね?」

「あ、カバン、忘れた。ごめん、嵐、もう少しだけ待ってて」

 すたすたと階段を駆け上がってく月美ちゃん。そんないつも通りの彼女を見て、どこか心が痛んだ。

「全く。相変わらずね、あの子は。それと… 嵐ちゃん、何かあった? 今日はちょっと元気が無いみたいだけど」

 実はこの人、あの月美ちゃんの母親とは思えないくらいに勘が鋭かったりする。

 それに、小学校の頃からほぼ毎日こうして顔をつき合わせているわけで。

 もしかすると家族の次くらいに、僕のことに詳しい人物なのかもしれない。

 恥ずかしい話、早くに母を亡くした僕にとって、母親に近いような感覚すら抱いている。そんな人物なのだ。

 … だからと言って、おいそれと真実を言えるはずも無く。僕はおどけて答える。

「いやー、流石は月子さん。相変わらず鋭いですね。実は、ちょっと寝不足でして」

「あら、それは良くないわ。でもね、それでもこうして時間通り月美を迎えに来てくれるんですもの。嵐ちゃんになら、安心して月美を任せられるわ。冗談抜きで、いつでもあの子貰ってくれていいのよー。ね?」

 爆弾発言を投げつけ、ウインクまでかましてくる月子さん。僕は、思わず照れ笑いを浮かべてしまう。

 そんなやり取りをするうちに、階段から月美ちゃんが下りてきた。

「嵐、おかーさんから、また変なことでも、言われた?」

「失礼ねー月美。そんなことばっかり言ってると私が嵐ちゃん、とっちゃうわよ?」

 でた、月子さんの口癖。

 小学校の頃から散々言われてきたこのセリフ。月子さんが月美ちゃんをからかうときには必ず使われるこのセリフ。

 毎度、月美ちゃんの反応が面白くて、その度に僕と月子さん二人して笑いあっていた。

「だ、駄目だよ、そんなの。嵐は、駄目、あげないもん。それに、お母さんには、お父さんが、いるでしょ」

「なによームキになっちゃってー、あら、もうこんな時間ね。さぁ2人とも、気をつけていってらっしゃい」

 そんなお茶目な月子おばさんに送り出され、学校へと向かう僕達。

「嵐、お母さんが言ったことは、忘れていいから、ね」

「月美ちゃん、僕は月子さんの言ってたこともまんざらじゃないよ?」

「……え?」

 ぼん。

 と、まるでそんな音が聞こえてきそうな勢いで、顔を真っ赤にする月美ちゃん。全く、からかい甲斐があるんだから。

「あ、あの、あ、あ、嵐、で、で、でも、でも」

「なんてね?」

「酷い。嵐、酷いよー」

 赤い顔をさらに赤くして怒る月美ちゃん。 こうして彼女を弄るのが、僕の密かな楽しみだったりする。

「ゴメンゴメン月美ちゃん。機嫌直してよ、ね?」

「知らないもん、嵐、なんて」

 すっかりご機嫌斜めになってしまった月美ちゃんを諌めるうちに、あっという間に学校到着。

 とはいえ、意外と気持ちの切り替えが早い月美ちゃん。教室に入る頃にはすっかり元通り。

「おっ、メガネ夫婦の登場だ。お早うさん、2人とも」

「お早うイタル。だからさー、別にかけたくて掛けてる訳じゃないんだよコレ。目が悪いんだから仕方なくだよ。ね、月美ちゃん」

「え? …勿論」

「何、その間は? 伊達なの? そのメガネってまさか伊達なの? 月美ちゃん」

 僕の質問をスルーしてスタスタと自分の席に向かう月美ちゃん。

「つーかお前ら、夫婦ってのは毎度否定しないのな。ひゃっひゃっひゃ」

 いつも通りの日常。

 ちょっと前までの僕は、こんな何気ない日常がいつまでも続くと思っていた。勝手にそう思っていた。

 でも、今の僕は違う。この日常を自らの手で壊してしまうかもしれない。

 天使としての幸せ、人間としての幸せ。

 僕は、どうすればいいんだろう?



 あっという間に昼休み。

 僕は、気分転換がてら校内をあてなく徘徊していた。

 気がつくと、いつの間にか校舎の一番端である例の美術準備室の前まで来てしまっていた。

 ついでとばかりに、なんとなく中を覗くいていみる僕。すると。

「あれぇー、嵐君だぁ。どうしたのー?」

 案の定、雨守小雨先輩がいた。

「あ、すみません。特に用件は無いんですが、考え事しながら歩いていたら、いつの間にかここまで来ちゃいまして」

「あはははは、ウチもよくやるよー、それ。そうだぁ、折角だからちょっと寄っていってよぉ」

 言われるがまま準備室へと入る。

「そこの椅子に座ってねぇー。はい、じっとしてぇー」

 そう言うなりペンとスケッチブックを構える小雨先輩。

 どうやら、僕の似顔絵を描いてくれるらしい。

 普段の彼女からは想像も出来ないくらい素早く、そして激しくペンを動かす先輩。

 そう言えば、小雨先輩がちゃんとした絵を描くところって初めて見るけど、やっぱり凄い。

「嵐くんさぁー、何か悩み事?」

「… はい、実はちょっと」

「ふぅーん。ウチはさぁ、こんな性格だから、嵐君の相談にうまく乗ってあげられないけどさー、っと、出来たぁ」

 そう言って、出来あがったスケッチブックを見せてくれる先輩。

 そこに描かれていたのは、満面の笑みを浮かべた僕の顔だった。

「例え悩んでいてもさぁ、こうやって笑っていたらいいと思うよー。うまく言えないけどぉ、笑う門には福来るって言うでしょ。ね? はい、コレ」

 いましがた書いてくれた僕の似顔絵を手渡してくれる小雨先輩。満面の笑顔の僕の絵。きっと、先輩なりに僕を励ましてくれたのだろう。

「そうか。僕ってこんな風に笑ってたんですね。ありがとうございます小雨先輩。危うく忘れるところでした」

 似顔絵通りの笑みを浮かべてみせる僕。

「おねぇーさん、昼休みは大体ここにいるから、いつでも会いに来ていいよぉ。嵐君ならいつでも大歓迎だぁー」

 小雨先輩と別れて教室に向かいながら尚も考える。

 小雨先輩にも気を使われるくらい、僕は酷い表情をしていたらしい。

 駄目だな。確かに月美ちゃんの問題は難しいけど、こうして1日中難しい顔をしていては、答えなんか出ない。出ないどころか、周りにも気を使われてしまう始末。しっかりしろ、花嵐。

 一日目は、そんなことを考えるのが精いっぱいで、明確な答えを出すことが出来ず暮れて行った。


          ◆


 シンキングタイム二日目


 昨日と違い、ちょいと遅めに十五夜家へと向かう。あまり早く行ってしまい、月子さんと顔をあわせるのが何となく躊躇われたためだ。

 相変わらずの軟弱思考。駄目人間的逃げの思考である。

 

 チャイムを鳴らしたその瞬間、勢いよくドアが開かれる。

 運動神経が皆無の僕は、当然避ける事も出来ず顔面強打。玄関でうずくまる僕に、月美ちゃんが言った。

「遅いよ、嵐。昨日は遅れちゃったから、今日は、早めに、待ってたんだよ… おなか痛いの? 嵐」

「ごめんごめん月美ちゃん。今日はちょっと遅過ぎたよね、もしかして結構早くから待っててくれたの?」

 その時、奥からぬーっと出てくる人影。月子さんだ。

「聞いてよ、嵐ちゃん。月美ったら、昨日は遅れて嵐ちゃんに迷惑かけちゃったからって、今朝なんて七時からここで待ってるのよー。極端よねーこの子って」

「え、嘘? それは幾らなんでも早すぎでしょう月美ちゃん。ちゃんと朝ご飯食べた? 疲れてない?」

「愛のなせる技よ、嵐ちゃん」

 そんな月子さんの言葉に、顔を赤くして反撃する月美ちゃん。

「おかーさん、余計なことは、言わないでよ。それより行こう、嵐。遅刻しちゃうよ?」

 そんないつも通りのやりとりをしつつ、学校へと向かう僕ら。

「そう言えば、もうすぐ実力試験があるよね。はぁー、高校も2年ともなると、やっぱりテストや追試はどうしても増えるよね」

「うん。この間、終わったと思ったら、もう、次のテスト。早い」

「月美ちゃんさ、勉強してる? 僕、今日はちょっと図書室で勉強していこうかな」

「うん。頑張って、嵐」

 サムズアップで答える月美ちゃん。まるで他人事みたいなリアクション。


 放課後


結局のところ、僕は一人で図書室へとやって来ていた。

 ただでさえ、考え事で授業に集中できていない今の状況。少しでも集中して勉強しないと、次のテストで地獄を見ることになる。

 天使の使いである前に一学生である僕。… ごめんね、月美ちゃん。今だけは勉強させて。

 適当な席につき、テキストを開く。

 が、やはり集中なんて出来るはずもなく。開始五分たらずで思わず頭を抱える僕。


「あら、こんなところで会うなんて珍しいですわね、花さん」

 うんうん唸る僕を見かねて話しかけてきた人物。それは雨守春雨先輩だった。先輩とはあの事件以来の再会となる。

「ははは、僕だって勉強ぐらいしますよ、春雨先輩」

「それは失礼しましたわ。でも、あまりはかどっていらっしゃらないようですわね?」

 そう言って、白紙に近い僕の問題集を指さす先輩。

「考え事で、勉強が手につかないといったところかしら?」

 流石春雨先輩、非常に鋭い。

「意外ですわ、あなたにも悩みなんてあったんですのね? いいですわ。わたくし当ててみますわ、あなたの悩み」

 僕を上から下まで見渡し後、頷きながら答える先輩。

「分かりましたわ、ズバリ、その身長ですわね!」

 泣いていいですか? 図書室で号泣してもいいですか?

「その年にしてその身長、確かに平均から逸脱していますわね。でもね花さん、大切なのは周りがどう思うかではなく、あなた自身がどう思うかよ。周囲を言い訳にしてはダメ、大切なのはあなた自身の気持ち。ね?」

 ずれているようで、ずれていない。

 それは、今の僕にズシンと響くアドバイスだった。

「そうですね、確かに。僕は周囲を言い訳にして、自分の気持ちを覆い隠していたのかもしれません。助言、ありがとうございました先輩」

「あら、いいのよ。だってわたくし、あなたのより歳上で先輩ですからね」

 そう言って胸を張る先輩。つまり、あの事件の時、僕に説教じみたことを言われたのが相当悔しかったらしい。

「それと、花さん。こちらの問題集の問2、間違ってますわよ? 確か、二年はもうすぐ実力テストがあるんでしたよね? いいですわ、こうなったら、この間のお礼も兼ねてわたくしがビシバシ鍛えて差し上げますわ。さ、ペンを持ってください、始めますわよ」

 ええぇーっ。

 

 春雨先輩の勉強会は、日が沈むまで続いた。

 あの春雨先輩と一対一の勉強会、見る人から見れば相当羨ましい光景なのかもしれないが、春雨先輩は僕に対して容赦がまったく無かったわけで。

 おかげで勉強ははかどったものの、答えは未だに出せず仕舞い。でも、あと少し。あと少しで解を導ける筈。決断出来る筈。

 僕は、自分自身にそう言い聞かせる。


          ◆


 シンキングタイム三日目


 一昨日と昨日の教訓を生かし、ベストな時間に月美ちゃんを迎えに行く。彼女の行動パターンからして、間違いない時間。完璧な時間。

僕は自信満々にチャイムを鳴らす。

「ナーイスタイミング、嵐ちゃん」

 サムズアップで僕を迎える月子さん。相変わらず、朝一からめちゃくちゃテンションが高い御仁である。

 逆に、月美ちゃんがあれくらいのテンションに成長したのも何となく分かる気がする。

「やっぱり嵐ちゃんは月美のこと良く分かってるわー。幼馴染は伊達じゃないわね。それとも、二人の間にはそれ以上の何かがあるのかしらー、むふふふふふふふ」

「おかーさん、朝から、何言ってるの? 恥ずかしいこと、言わないで」

「あらあらあらー、朝からだなんて、それじゃあ朝じゃなければ言ってもいいってことかしら?」

 にやにや笑う月子さん。思わず僕も照れてしまい、月美ちゃんと一緒に顔を赤く染めながら、互いに顔を見合わせる。

 これまで何百回と繰り返されてきた光景。僕にとって当たり前の日常であり、決して外すことのできない日々の一コマ。かけがえのない、大切な生活の一部。

 月美ちゃんが、僕にとっていかに大切な存在で、僕の生活の一部分を担っているということを今更ながらに痛いほどに理解する。

 僕は一体どうしたいのか? 彼女をどうしたいのか? 僕は、本当に決断する事が出来るのだろうか。

 

 そんなことばかり考えているうちに、午前中の授業はあっという間に過ぎさっていく。どうやらいつの間にか3時限目が終わっていたらしい。にも関わらず、僕のノートは依然として白いまま。

 全く集中できない。こうなったら、いっそのこと保健室で時間を潰していた方がましかもしれない。

「ごめん、月美ちゃん。ちょっと気分が良くないから保健室へ行ってくるよ。ノートお願いできる?」

「うん。大丈夫? 嵐」

「大丈夫、いつもの貧血だよ」

 月美ちゃんに続けてイタルにも言伝。

「委員長様も先生に伝えといてくれよ」

「お、何だ? サボりか?」

「いつものもやしっ子の持病だよ」

 そう言い残し教室を出た直後、思わずノートを月見ちゃんに頼んでしまったという事に気がつく。

 今更ながら、自分がいかに彼女に頼りきっているかを自覚させられる思いである。

 何もかも投げ出して、どこかへ逃げだしてしまいたいような気分。どん底ブルー。

 月美ちゃんにとって何が一番なのか? たったそれだけの問題。その筈なのに。


 戻すべきか、戻さずべきか、二つに一つ。


 こんな大切なことを僕に決めろというリンネ。勿論、天使と代行者二人の力が必要ということもあるが、リンネが僕を信頼してくれているという証しでもある。条件だけでみれば、どう考えても月美ちゃんを天使に戻すのが正解なのだろう。それでも、僕がそう即答出来ないのは…。

 そんな不毛な思考を巡らす間に、僕の足はいつの間にか保健室へと達していたらしい。

 こうしていつまでも、扉の前で突っ立っていても仕方ない。

 僕は頭を抱えたまま、ノックをしつつ中へと足を踏み入れた。


「あ? 誰かと思えば花じゃねぇか。ホント、お前もサボり魔だよな」

 雨守五月雨先輩である。先輩とは事件以来、何故かこの保健室で会うことが多々あった。

 僕の場合は貧血7割、サボり3割だけど、先輩の場合は、100%サボりにきているわけで。

「だから貧血ですって五月雨先輩。先輩みたいにただ単にサボりに来てるわけじゃないですってば」

「はん。相変わらずのもやし野郎だな。もっと体鍛えろよ」

「疲れるから嫌です。それに、保健室登校な不良先輩に言われたくはないですね」

「お前、殴られてーのか? 別にいーんだよ、アタシは。ちゃんと出席数日数管理くらいしてるからな」

 流石は雨守3姉妹、腐ってもそういうところは抜け目がない。

「先輩らしいですよ、そういうところ。まぁ、先生はいないみたいですし。勝手に寝ます」

 僕は、五月雨先輩から二つ離れたベッドに横たわりカーテンを閉める。

 どうやら、僕と先輩以外に、ベッドを使用している人物はいないようだった。

 先輩のベッドからは、早くもいびきが聞こえてくる。毎度の事とはいえ見事な早業である。

 そんな先輩を尻目に、どうやら僕は眠れるような気分ではないらしい。授業が終わるまで後数十分。これじゃ、教室にいるのと何も変わらない。

 僕は大きな溜息をつき、真っ白な天井を見上げ寝返りをうつ。

 そんなことを繰り返しているうちに、僕の口からは自然と言葉が出ていた。

「五月雨先輩、もし、もしもですけど。自分の大切な人が、遠くに行ってしまうとして、それを止められるのが自分だけだとしたら、先輩ならどうします?」

 曖昧な質問。帰ってくる筈の無い答え。僕は再び天井を見上げ、目を閉じる。

「随分曖昧な質問じゃねーか。アタシだったら、そうだな、その理由にもよると思うぜ。もしそいつが、例えば自分の夢や目標を叶えるために、自分から離れていっちまうんだったとしらよ、そりゃ、めそめそしてねーで、笑顔で送り出してやるってのが漢ってもんじゃねぇのか? 後先のことや周りのことなんて、考えたってしょうがねぇからな」

 先輩から寄せられた実に漢らしい回答。いや、五月雨先輩らしい回答。

 僕はベッドから飛び起き、カーテン開けっぱなしでベッドの上であぐらをかく先輩を見つめる。

「あ? 何だよ?」

「流石は先輩。実に漢らしい回答です。僕、先輩のことちょっとだけ見直しましたよ」

 気がつけば僕は、保健室を飛び出していた。

「ま、一応先輩だからな。でもよ、幾ら何でも漢らしいってのは失礼だろ、っておい、どこいくんだよ、てめーこら、逃げんなー」

 後ろから先輩の怒鳴り声が聞こえてくる。

 僕は振り向かずに言う。

「先輩、ありがとうございましたー」

 授業終了まで後、十分。僕は屋上へと向かっていた。

幾つかの階段を上り、幾つかのドアを開けた先。

 そこは、突き抜けるような青空が広がる我が校の屋上。

 天使の一人や二人飛んでいても可笑しくないほどのどこまでも続く快晴。

 通り抜ける風が実に気持ちいい。捕まえて手元にずっと持っていたいくらいに。

 しばらくぼーっと空を見上げた後、僕は、おもむろに手すりを掴み大きく息を吸い込み、そして。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーっげほっげほっげふぇ」


 僕は、叫んだ。大声で叫んだ。それこそ、これまでの人生で一番というくらい力の限りに叫んだ。学校の中心であああと叫んだ。

 あまりに息を吐き出し過ぎて、頭がくらくらしてしまい、一瞬手すりから滑り落ちそうになるというお約束のイベントが発生するくらいに叫んだ。

 広大な宇宙から地球を見下ろしたとき、自分がどれだけちっぽけな存在なのか思い知らされた、なんて宇宙飛行士の言葉を聞いたことがあるけど、僕にとっては、学校の屋上から見るこの青空だけでも十分すぎるほどだった。本当、器の小さな人間だな、僕は。

 勝手に叫んで、勝手に満足して、勝手に納得した僕は、妙に晴れやかな気分で教室へと戻って行った。


 時刻は十二時ちょっとすぎ。丁度昼休みに入った時間である。

教室に入り、自分の席に着くと、月美ちゃんが心配そうに駆け寄ってくる。

「嵐、体調良くなった? 朝から、顔色良くなかった、から」

 どうやら気付かれていたらしい。

「うん。おかげさんでね。あ、ノートありがとう、月美ちゃん」

 その時、両手にパンを抱えたイタルが教室に入ってくる。

「おい、聞いたか嵐? さっきの時間、屋上で大声出してた馬鹿がいるらしいぜ。暖かくなってくるとこれだから… って痛っ、何故殴る」

 すまん、イタル。思わず手が出ちまった。

「さて、昼飯にしようか?」


          ◆ 


 僕は、答えを決めていた。

 僕は、覚悟を決めていた。

 この三日間、あれやこれやと考えて、雨守三姉妹にも助けられながら、僕は何とか決断することが出来た。

 

 帰宅後、僕はリンネに答えを告げた。

「リンネ、僕は、僕の中で答えを得た。覚悟を決めたよ」

 僕の言葉を聞いたリンネはにっこりとほほ笑んだ後、優しく語りかける。

「嵐なら、きっと答えを導き出せると思ってた。それにね、あなたが納得して出した答えなら、それがどちらの選択肢でもあたしは何も言わないわ」

「ありがとう。その前に一度、月美ちゃんと二人で話をさせてくれないか? 月美ちゃんと、きちんと向き合いたいんだ。もう、逃げたくないからさ」

「いいわ、もしあたしが必要になったらいつでも呼んで。いってらっしゃい、嵐」

 笑顔の天使に見送られ、僕は例の公園へと向かった。ケータイで連絡を取り、月美ちゃんとここで待ち合わせをしたのだ。

 僕は、これまでの自分が嘘のように落ち着いた気分で、彼女が来るのを待った。


「ごめんね、嵐、待った?」

 恐らく、学校の帰り道からここまで急いで来てくれたのだろう。仄かに息を切らせ、頬を上気させた制服姿の月美ちゃんが僕の前に現れた。

「いや、こっちこそごめん。何だか急がせちゃったみたいだね」

 辺りを一度見回した後、月美ちゃんが静かに言う。

「懐かしいね、ここ。小さいころ、嵐と、ここで、良く遊んだ記憶がある」

「そうだね。月美ちゃんが隣に引っ越してきた頃ってさ、僕の母親が亡くなったばかりの頃でね。すっかり元気をなくしちゃった僕は、外で遊ぶこともほとんどなかったんだ。そんなとき、月美ちゃんが突然家にやってきて、無言のまま僕の手を引っぱってさ、公園まで無理やり連れてかれたんだよ。月子さんと一緒に挨拶にきてたから、隣に自分と同い年の女の子がいるってのは知ってたけどさ、幾らなんでもいきなりだったからね。あれにはびっくりした」

 顔を真っ赤にした月美ちゃんが慌てて弁解する。

「あ、あれは、おかーさんが、そうしろって言うから。それに、私も、どうしたらいいのか、分からなくて」

「それで無言で僕を引っ張ったの? 月美ちゃんらしいよ。あの頃はさ、まぁ、今もなんだけど、月美ちゃんの方が身長が高かったからね、小さい頃は特にその差が大きかった。だから、あれは引っ張るって言うよりか、拉致だよね」

「も、もう言わないで、恥ずかしいよ」

「公園に着いたらさ、今度はシーソーを指さして、「あれに乗るの」の一言、日が暮れるまでずっと二人でシーソーに乗ってたよね。まぁ、乗ってたというか、おろしてもらえなかったというか」

「だって、思ってたよりずっと、楽しかった、から。今思うと、かなり強引だった」

「でもね、そんな月美ちゃんのおかげで悲しい出来事も忘れられたし、立ち直れた。大げさかもしれないけど、月美ちゃんがいなかったら、今の僕はいないんだよ」

「わ、私も、毎日嵐と一緒で、嬉しかったし、楽しかった。勿論、今だって、そうだよ?」

 自分の眼から自然と涙が溢れてくるのが分かる。 

 自力では止められそうもないし、そもそも止める気もない。

 そんな僕の顔を見て、黙って涙を拭いてくれる月美ちゃん。

 そんな優しい沈黙が僕らを包み込む。

「月美ちゃん。僕が君を呼びだした理由、聞かないんだね?」

 長い沈黙の後、月美ちゃんは口を開く。

「このところ、嵐、ずっと悩んでるみたい、だったから。苦しそう、だったから。私、小さいころから変なものが、見えた。今でも、そう。それに、知らない誰かの記憶や、知らない景色が、頭をよぎることもあった。それも、どう見ても、現実とは思えないような、光景ばかり。私は、なんとなくだけど、普通じゃないって思ってた。それでも、嵐といるときは、そんな気分も忘れられた。でも、最近になって、嵐が、わたしの知らないところで、変わった生き物と一緒にいるところを見るようになった。だから、なんとなく、こんな日が来るんじゃないかと、確信してた」

 そして、月美ちゃんは、決定的な一言を発する。

「嵐、私。人間じゃ、ないんでしょ?」

 その質問に対して僕は、黙って頷くことしか出来なかった。

 僕は、唇を血が出るほど食いしばり続け、何とか涙を止める。

「月美ちゃんの言う不思議生物ってのはね、天使なんだ。丁度僕たちが二年に進級した頃、僕はリンネっていう天使と出会ったんだ」

 僕の話を黙って真剣に聞いてくれる月美ちゃん。

 辺りが、オレンジ色の光に覆われてくる。

「月美ちゃんはね、そのリンネと同じ天使なんだ。とある理由で天使としての記憶と力を封印されて、こうして普通の人間として暮らしている、元天使なんだ」

 僕が突拍子もないことを言っているのは重々分かっている。それでも、彼女と真剣に向き合うと決めた以上、僕の口から全てを語るのが、僕の責任であり義務だ。

「月美ちゃん、本当の自分を知りたいと思う? その覚悟が出来る?」

「私、小さいころから、自分は何者なんだろう、って考えてた。本当の自分の正体を、知ることは、怖くない。それに、嵐はずっと、私の事で、悩んでいてくれたんでしょ? 覚悟は、とっくに出来てるよ」

 月美ちゃんは、僕が考えていたよりずっと強い人間だったらしい。

 僕は一度頷いた後、リンネを呼びだした。

 ぼん、という音とともに何も無い空間から突然現れる天使リンネ。

「嵐、この答えでいいんだね?」

 僕は黙って一度頷く事で、その答えを返した。

「あ、不思議生物。私の本当の姿も、こんななのかな?」

 やはり、月見ちゃんにはリンネの姿が見えているようだ。これで、最後の迷いもふっきれたよ。

「リンネ、月美ちゃんの記憶を戻してあげて。彼女を天界へ戻そう」

「あなたの意思、確かに受け取ったわ」

 リンネのアホ毛が強く光を放ち始める。いつもと違い、虹色の光を帯び美しく七色に輝いている。

「十五夜月美、あなたはこれから本当の自分を知ることになる。それには、嬉しいことや楽しいことだけじゃなく、悲しい記憶やつらい記憶も含まれているけど、覚悟はいい?」

 一度だけこちらを振り向いた後、静かに頷く月美ちゃん。

 その様子を見届けたリンネは、大きな弓を構え、一気に月美ちゃんを貫く。

 その刹那、辺りが虹色の光で溢れた後、月美ちゃんの姿は跡形も無く消え、その後には、三日月形の月美ちゃんのペンダントと眼鏡だけが地面に残された。

必死に辺りを見回す僕。そんな僕に向けて誰かがが言う。

「上だよ、嵐」

 その声の持ち主は、紛れもなく月美ちゃん… だった天使のものだった。

 リンネと同じような格好、つまり光の輪っかと純白の羽根携えたを月美ちゃんが、そこに居た。

 そんな月美ちゃんの姿に、思わず息をのむ僕。

「月美ちゃん。その羽根、凄く似合ってる。それに綺麗だ」

 まるで天使みたい。そんな言葉が喉から出かかって、寸前で止まった。だって、それってもはや褒め言葉じゃなくて、ただの事実だから。

「ありがとう嵐。私、全部思い出した。私が何者なのか何をしてきたか、どうして堕天使になったのか」

 人間だった時の月美ちゃんの特徴である、独特の間のある言葉遣いはすっかりなくなっていた。

 そんな変化が、どこか悲しい。

「リンネ、ありがとう。私を天使に戻してくれて、こんな私に二度目のチャンスをくれて」

「にゃははは。いいってことよ。あなたがあたしの立場でもきっと同じことしてくれたでしょ? それに、最後に決断してくれたのは嵐だし」

「嵐、ありがとう。あなたには、今までも含めて、言葉では言い表せないくらいに感謝してる。勿論、人間として私を育ててくれた両親にも感謝しているけれど、やっぱり私にとって嵐は特別だったから」

 照れながらにっこり笑う月美ちゃん、だった天使。

 その時、彼女の足元が徐々に消え始める。


「あちゃー、天界への転送が始ったみたいね。もう、あんまり時間がないよ」

 そんなリンネの言葉にも、消えていく足元にも動じず、月美ちゃんは続ける。

「知ってた? 私ね、私、ずっとあなたの事が好きだったんだよ? 可笑しいでしょ? 天使のくせに人間を好きになるなんて。私、毎日あなたと過ごせて幸せだった。私の本当の名前は、ルナって言うの。私が天界に戻ったら、人間だったころの私を覚えていくれるのは、嵐だけになると思う。でもね、嵐が覚えていてくれたら、私はそれだけで十分」

 皆の記憶から月見ちゃんの記憶が消去されてしまうってことか? そんなの、あんまりだ。

「私のしてしまったことは、決して消えることじゃない。私の罪は消えない。それでも、嵐とリンネのくれたこのチャンスを、絶対に無駄にはしないから。いつか必ず、正式な天使になって、必ずまたあなたのもとへ・・・・も・・ど・・」

 もう殆ど消えかかったその姿で、最後に彼女は言う。

「嵐、大好きだった。また会えたらいいね」

 微笑を浮かべ、消えるルナ。

 オレンジ色の夕陽を見つめながら、僕は呟いた。

「そんなの、ずっと知ってたよ」

 僕とリンネは、辺りが完全に暗くなるまで、その場に立ち尽くしていた。


 一体どんな手段を使ったのか想像も出来ないが、僕達が家路につくころには、天界による記憶改変・記録改変は既に終わっていた。

 花家の隣に十五夜家はなく、ただただからっぽな空き地だけが広がっていた。

 最後に彼女が言っていたことはこういうだったようだ。

「大天使の力が働いたみたいね。あのクラスともなると、何でもありだから」

 程なくして、僕の心にぽかんと穴があいたような大きな喪失感の波が押し寄せる。

 僕は、疲れ果てた体で玄関を開ける。

「あ、兄さん、お帰りなさい。ってどうしたんですか? 何だか、疲れ切った顔してますけど」

「有須、うちの隣ってさ、十五夜さんっていう家が建ってなかったか? 十五夜月美っていう僕の同級生が住んでたんだけど」

 有須はぽかんとした顔で答える。

「十五夜? 何を言ってるんですか、兄さん。隣は私が生まれる前から今まで、ずっと空き地ですよ?」

「そっか、うん。そうだよな。ごめんごめん、変なこと聞いて」

「はあ、別に良いですけど。疲れてるなら、晩御飯まで寝てていいですよ兄さん。時間になったら起してあげますから」

「ありがとう有須。そうだね、お言葉に甘えさせてもらうよ。ちょっとだけ休むから」


 分かっていたことだけど、いざ、事実に直面するとやはりショックを隠しきれない。

 それでもこれは、僕が自分自身で決めたことだ。

 こうなることは分かっていたはず。覚悟はしていたはず。

「嵐、あなたは今日、天使代行としてまた一つ成長したと思うわ。伝承を祓うだけが天使の仕事じゃない。あなたは、それを知ったの」

「うん。分かってる、分かってるよ、リンネ。それに、これからは月美ちゃんを毎朝迎えに行くことも無ければ、朝から月子さんにからかわれることも無い、一緒に授業を受けたり、お昼を食べたりすることも無いんだってことも、分かってる。全部分かってるはずなのに、何で涙が出るのかな?」

 僕は、彼女がその場に残した彼女の眼鏡とペンダントを持ち帰っていた。

ペンダントの方は、僕が高校入学の祝いに月美ちゃんにプレゼントしたもので、月美ちゃんの名にちなんで、月の形を模したものだった。

 感傷に駆られた僕は、月美ちゃんの、その黒ぶち眼鏡をかけてみることにした。当然、度数が違うわけだから、見えるはずなんて無いわけだけど。

「… 月美ちゃんの嘘つき。これってやっぱり、ただの伊達眼鏡じゃないか」

 そんな僕の姿を見ながら、リンネは窓の外を指差して言う。

「見てよ嵐。今夜は満月だよ」

 涙で濡れた月美ちゃんの眼鏡を胸に抱き、すっかり暗くなった外を眺めた。


 夜空に浮かぶその満月に、月美ちゃんの照れ笑いが見えたような、そんな気がした。



END

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