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天使の溜息、108っ!  作者: 汐多硫黄
第1章「始まりの天使リンネ」
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第二輪「花と嵐と雨模様と春の空◆-雨守三姉妹の場合-」

 第二輪 「花と嵐と雨模様と春の空◆-雨守三姉妹の場合- 」


 僕がリンネの試練とやら手伝うことを承諾してから、ほんの数秒後。まるでその様子を見ていたかのようなタイミングで、それは突然起こった。

「きた、きたきたきたきたー」

 リンネが突然叫んだかと思うと、彼女のアホ毛… もとい、アンテナのように一本だけぴんと伸びた前髪が突然光り出し、矢印のごとくある一定方向を示し始めた。

「どうしたの? 今度は何?」

 正直、僕は早くも彼女の手伝いを買って出たことを後悔し始めていた。

「ふふふ、嵐、覚悟してね。早速始るみたい」

 ということは、つまり。

「最初の試練だよ」


 僕とリンネは、彼女のアホ毛に導かれるまま、目的地も分からずひたすら走っていた。

 ちなみに、彼女のアホ毛はタダのアホ毛ではなく、天使センサーなる代物で「手助けを必要とする人物」つまり天界から指示される次の試練の場所を指し示してくれるものらしい。とはいえ、所詮アホ毛はアホ毛。カーナビとはわけが違う。だからこそ、僕は本日3度目となる本気ダッシュで町を疾走しているわけだった。

 しかも、雨のおかげで全身既にびしょぬれ状態。寒い。5月だってのにこの寒さ。

「で、リンネ、その人物ってやつは、まだ、なのか、遠い、のか? はぁ、はぁ」

 僕らは、リンネのセンサーだけを頼りに雨の町をを駆け抜ける。

 気がついてみれば、既に日が沈みかけていた。

 計3度に渡るダッシュは、筋金入りの文型人間でありもやしっ子であり、インドア人間である僕にとって、拷問以外の何ものでもなかったわけで。

 僕の持病の貧血が、今にも発動せんばかりのこの状況。そりゃ、僕だって困っている人がいるのなら救ってあげたいのは山々。

 けれどその前に、どなたか僕を、この状況から救ってやってください。

「んもう、だらしないなー嵐。でもでも、近い、近いよ。あっ、この辺りだよあらしー」

 彼女のアホ毛の光がよりいっそう強くなる。その加減からして、どうやら相当近いようだ。 

 とはいえ、この辺りーとか言われても、辺りにはあるのは錆びれた小さな公園だけ。

 その公園だってこの雨の中、人っ子一人いない… いや、居た。

 雨の降り掛からないドーム型遊戯の中に、ぽつんと座る女性が一人。

 ん? あの制服、良く見ればウチの高校のものじゃないか? それに、あのリボンの色。あれは確か三年生のものだ。

 リンネのアホ毛がよりいっそう強く反応する。つまり、どうやらあの女性で間違いないということ。

 こんな雨夜の中、体育座りで一人佇む先輩が一人。

 何というか、相手は見るからに訳有りっぽいし、そもそもこんな雨の中に、こんな時間、ぽつりと一人でいる時点でただ事ではないはず。

 目の前に広がるその光景に、どう声をかけていいものか戸惑うヘタレな僕。

 どんな風に声をかけるかより、困っている人にはまず声をかけることの方が重要なはず… うちの親父理論だけど。

 えーい、もういい。どうにでもなれ。

「あのー、こんな雨の日にこんなところで、どうかされましたか?」

 僕の言葉に反応して、チラリとその顔をこちらに向けてくる女性。

彼女の髪はかなり長いらしく、その前髪が雨のおかげで顔に張り付き、ちょっとだけホラーチックなお顔になってしまっている。

 が、そんなことを気にする余裕は、僕にも彼女にも無いようだった。

 彼女はその前髪をちょっとだけ横にずらし、僕の顔をじーっと眺めている。怖い。正直言ってかなり怖い。

「あ、すみません。僕の名前は、花嵐と言います。あなたと同じ、桜ヶ丘第二学園の生徒で、その…… 天使の使いをやってます。もし、何かお困りでしたら力になりますよ」


 天使代行。天使の使い。自ら名乗っておいて何だけど、そのセリフのあまりの恥ずかしさに思わず赤面する。

 重ねて言うが、僕は電波ってわけでも、厨ニ病をこじらせているわけでもない。

 僕だって、好き好んでこんなこと言っているわけじゃないのだ。そもそも、僕は自分の名前も苗字も大嫌いな人間。

 そんな僕が顔を真っ赤にしてそう名乗った理由。実はここに来る途中、試練の対象者である手助けする相手には、必ずそう名乗るようにと、リンネに念を押されたためだ。

 なんでも、僕がそう名乗ることが、要救助者にも天使であるリンネの姿が見えるようになるための条件の一つ、なのだそうだ。

 僕は詳しく理解する暇もないまま、言われるがまま、愚直にそう名乗っただけだった。

 それにしても、恥ずかしい。穴があったら入りたい。むしろ今、この場で穴を掘ってそこでもう死にたい。

 そもそも何だよ、天使代行って。絶対、コイツ頭可笑しい人だって思われてるよ。大爆笑もんだよ。明日には学校中に噂が広がるよ。

 やっぱり引き受けるんじゃなかった。後悔先に立たずとは、正にこういうことを言うんだろうな。

 と、僕がそんなこと思っているうちに、今まで僕の顔をじっと凝視していた先輩が、今しがた僕の発したあるワードに反応した。

「てん… し? … てんし、なの? … やっときてくれたぁ、ウチの天使様」

 突然僕にがばっと抱きついてくる名も分からない黒髪ロングの先輩。

 何だろう、この状況。

 突然のことに呆然としてしまう僕。この僕が、女性に、抱きつかれているだと?

 ははは、あっはははっつはははは。べ、別に嬉しくなんか無いんだからね?

 役得じゃー、天使様のお力じゃーとか思ってないんだからね?

 僕がニタニタと気持ち悪い顔を醸しているうちに、リンネがその女性に向かって突然キスをしたのが目に入った。

 … え? 何? どういうこと? 何のために? 

 僕の妄想は膨らむばかりである。


「ちっちっちっ、本物の天使はこっちだよ、こっち。あたし、天使のリンネっていうの。ねぇ、まずはあなたの名前教えてよ」

 天使リンネが、その見事なまな板を張りながらそう言った。

 余談だが、僕は貧乳がステータスだなどとは思わない。断じてだ。自称天使を見ながら、僕はついついそんな事を考えてしまうわけで。

「あー、名前? 名前かぁ。えーとね、ウチの名前は、雨守小雨って言うんだよー天使さん達」

 驚くべきことに、彼女にも天使が見えているらしい。

 つまり、どうやらさっきのキスは、天使の姿を見せための儀式のようなものだったのかもしれない。

 いや、待て。と言うことはまさか、あいつ、僕にもアレをやったのか? 僕にもキスをしたってことか? 月美ちゃんにもされたことないのに。

そう考えた瞬間、僕の顔は、まるで沸騰したようにぼっと赤くなる。

 キスぐらいで赤くなる、僕はそんな高校生なのである。ああ、笑いたければ笑うがいいさ。ド畜生。

「? どーしたの嵐。もしかして、こんな雨の中走らされて風でもひいちゃった?」

「え? あははは、何でもない。全然全く問題ないから。むしろ有難うございました?」

 一瞬だけ脳みそがショートしたものの、僕は気を取り直し、改めて先輩の顔を見る。そう言えばさっき、雨守って名乗ってたよな。 

ん? 雨守?

 その瞬間、今朝のイタルとの会話が脳裏をよぎる。 

 間違いない、彼女は今朝方イタルに聞いたあの雨守3姉妹の一人である小雨さんだ。まさかこんな形で実物と対面するはめになるとは。

 僕は彼女の近くに座り、話しかける。

「あ、僕は別に天使ってわけじゃないんです、雨守先輩。僕はあくまでも天使代行、天使の使い。よーするに使い走り、らしいです。といいますか、いくら同じ学校の生徒とは言え、いきなり見ず知らずの男からこんなわけの分からないことを言われて、自称天使だなんていう不思議生物を見せられて、それでも混乱するどころか、すんなり受け入れてくれるとは。凄いですね先輩は」

 僕なんてリンネのことあれだけ疑いまくっていたし、現に今だって全部を全部信じているってわけじゃないのに。

 心か? 人間としての器の差なのか?

「えー? だって嵐くん、さっき自分で言った事じゃなぁい。それとも嘘だったのー? それにね、ウチ、天使って絶対に、いるって昔から思ってたから。ウチ、天使の絵を描くのが好きなんだー」

 どこか眠たげな、それでいて甘ったるいような、そんな独特な喋り方をするこの雨守小雨先輩。

 イタルの話だと確か、美術部の部長でそっち方面で有名な人らしい。うん、そう言われると、確かにそんな雰囲気を醸し出している、ような気がしないでもない。

「ねー、嵐くんてさー、天使さんの使いなんでしょ? おねーさん、ちょっと助けてほしいなー、なんて思ってるんだぁ」

 おねーさんって言っても年齢は僕と一つしか違わないはずである。

 おねーさん。姉。おねーちゃん。僕の心をグサリと抉るワード。思い出したくない過去が想起される。が、今は関係ないので一先ず捨て置く。

「ええ、勿論です。僕とリンネはそのために来ましたから。それで、こんな時間にこんな場所で、一体どうされたんですか?」

「うんうん、実はさぁー。ウチってこう見えて三つ子なんだ」

 こう見えて、とか言われても正直反応に困るけど、三つ子ってことはやっぱりあの雨守三姉妹に間違いないらしい。

 先輩には悪いけど、こんな強烈なキャラクターが後二人もいるのかと思うと、ちょっとだけ気が重たくなる。

「三姉妹でもウチは末っ子だから、おねーちゃんが2人いるの。でねでね、実はその二人と喧嘩しちゃってねー、あはは」

 ちょっとだけ恥ずかしそうに舌を出す小雨先輩。

 あの噂、どうやら事実だったらしい。となると、どうやらこの先、三姉妹全員が絡む話になりそうだ。全員雨守先輩って呼び方だと分かりづらいということで、僕は彼女を下の名前で呼ぶことにした。

「喧嘩ですか? 僕にも妹が2人いますけど… やっぱり喧嘩はしますよ。と言っても、いつも一方的に僕がやられて終わりますけどね」

「あー、そーなんだぁ。でもねー、ウチらの場合、これが生まれて始めての喧嘩だったんだー。普段は皆仲がいいんだよ? 本当だよ? それでね」

 そう言いかけた刹那、小雨先輩の方から巨大な爆音が発せられた。

 一瞬、音の発生源が分からず焦った僕だったが、直ぐにそれが小雨先輩のお腹から発生された音だと気が付く。

 はい、ここでリンネが大爆笑。何が天使だ、小学生かお前は! 空気を読んでくれ、空気を。

僕は慌てて尋ねる。

「あ、小雨先輩、もしかしてお腹すいてますか?」

「あははは、ごめんねー。ねぇ、嵐くんっ家って今日の晩御飯なにかな?」

「カレーですよ、小雨先輩。昨日材料の買出しに行かされましたから」

「うわー、いいなーいいなー。お腹すいたよぉ、嵐くーん」

 成り行き。これはあくまで成り行きだ。

「… あの、小雨先輩。このまま立ち話もなんですし、そもそも雨に濡れたそんな姿じゃ風邪引いちゃいますし。その、もし良かったら、うちに来ますか?」

 リンネが、にやにやしながらこちらのやりとりを伺っている。言いたいことがあるならはっきり言えばいい。

 言い訳じゃないけど、下心なんて断じて無い。全く無い。ただ単純に困っている人を救いたいという純真な想いから出た言葉なのだ。やましい気持ちなんて、あるわけがない。… でも神様には誓えません。僕だって純粋な高校生男子だから。

 それはそうと、僕のその提案に対し先輩の反応はと言えば。

「うわぉ、嵐くん。見かけによらず大胆だねー。そんなこと言われたら、おねーさん、何だか緊張しちゃうなー」

 どこまでが本気なのか、何だか掴めない先輩相手にすっかりペースを握られてしまっている僕。

「いえ、うちの家族とかもいますから。ああでも、先輩のご家族の方が心配してるんじゃないですか?」

「そーれはだいじょーぶい。だって、一応喧嘩中だしぃ。それにウチ、放浪癖あるんだ。あはは。きっといつものことだと思ってるよぉ」

 それはそれで逆に問題が有るような。

「じゃ、じゃ行きましょうか。リンネもそれでいいよね?」

 リンネが頷いたのを合図に、僕らは小雨先輩を引き連れ、一旦家へと戻ることにした。


          ◆


 花家


「ただいまー」

「ただいまぁ」

 僕の挨拶の後、当然のように同じ挨拶をする先輩。

「いや、ただいまは可笑しくないですか小雨先輩?」

「あははは、まぁまぁ嵐くん。細かいことはきにしない、きにしなぁーい」

 まだ会ったばかりだというのに、すっかりペースを握られてしまっている。

 僕らが玄関でそんなやりとりをする間に、家の奥から禍々しいオーラが立ち込めてくるのを察知した。

 このオーラ、間違いない。僕は、全身から嫌な汗が流れるのを感じた。

「に、い、さ、ん」

 まるで僕を待ち受けていたかのように、我が最愛の妹、有須が立ちはだかる。その声を聞いただけで、蛇に睨まれたかえる状態の僕。

 正直言って、震えが止まらない。

「一体どういうことなんですか? 学校を早退したという連絡があったかと思えば、突然いなくなり、今度は町を全力疾走していた、なんて目撃情報があったかと思いきや、この雨の中こんな時間までぶらぶらとほっつき歩いている。いいですか、兄さん。きちんと分かるように説明してください。分かるようにですよ。ごまかそうとしても無駄ですからね。私が納得する説明をするまで、晩御飯はおろか、この家に入ることさえ許しませんよ。だいたい兄さんは花家の長男なんですから、私達のお手本になるような行動をとるべきだと言うのに、いつもいつもその間逆の身勝手な行動ばかりなんですから。だから兄さんはいつも」

 まるで早口言葉のように、有須の口から言葉が流れ出てくる。

毎度の事ながら、こういう時の有須の饒舌さには関心してしまう。きっと女子アナも舌を巻くレベルだろう。まぁ、毎回こんな怒っているような女子アナなんていたら嫌だけど。

 と言うか、目撃情報って誰からの情報だよ。有須のやつ、一体どんな情報網を持ってるんだ。

 有須のお説教はまだまだ続く。


 ……… そろそろか。

「なんですよ、分かりましたか? 兄さん、兄さん、聞いているんですか… う、うぅう、ぐすん… にぃにぃは、にぃにぃは、私をどれだけ心配させれば気が済むんですか」

 怒っていたと思ったら、急に泣き出す有須。彼女の僕に対するお説教は、毎回最後はこのパターンで終わる。

 実のところ、有須の「これ」が僕のトラウマの原因でもある。彼女の場合、この状態になるとちょっとだけ幼児退行してしまうからただ事ではないのだ。

 ダンゴは、今でも僕のことを「にぃにぃ」と呼ぶが、有須が僕のことをそう呼んでいたのはもう随分昔のこと。だから、有須の口から「にぃにぃ」というワードがでたら危険信号であるとともに、お説教タイムの終わりのサインでもある。

「ごめん、本当に悪かったよ有須。もう絶対にお前を心配させたりはしないから、だから、ね、涙を拭いて、一緒に家に入ろうな?」

 今回ばかりは、多少の後ろめたさを感じないわけにはいかなかった。

「うぅぅう、本当ですか? にぃにぃ、約束してくれますか? 指切りしてくれますか?」

 目を晴らし、顔を真っ赤にし、涙目かつ上目遣いでのお願い。そんな風にお願いされては、僕は彼女からのどんなお願いだろうと断れる気がしない。

 男にとって女性の涙ってやつは、いつだって一撃必殺のチート兵器なのだから。

「分かったよ、勿論だ。さぁ有須、小指を出して」

 コクンと頷いた有須は僕とゆびきりを交わした後、キッチンへと戻っていった。

どっと力が抜け、僕はその場に倒れこむ。

 普段から僕は、こんなにも有須に心配をかけていたのかと思うと、心がチクリと痛んだ。

「ところで… こちらはどなたでしょうか?」

 キッチンへと戻ったはずの有須が、何かを思い出したかのように急に戻ってくる。そりゃそうだ、先輩に気がつかないはずがない。

 すると、今まで僕らのやりとりを黙って見守っていた先輩が、やんわりと言う。

「いやー、何だか凄かったねぇ。愛されてるなぁ、嵐くんってば。どーもぉ、雨守だよ、美人の妹さん」

「いえ、そんな。その、美人だなんて。って、二人ともびしょ濡れじゃないですか、ちょっと待っててください、今、タオル持ってきますから」

 そう言ってパタパタと走り去る有須。

「やー、ちょっとアレだけどいい子だねぇ。すんすん、あ、ホントだ。カレーの匂いがするね。カレーだぁ、カレーだぁ」

 アレな先輩にアレって呼ばれてしまう有須がちょっとだけ不憫な気もするけど、それにしても凄い自由奔放な人だな、この先輩は。

 この感じはどこぞの天使と通じるものがある気がする。

「サメサメ、なかなかのやり手ね。これはあたしも負けてられない」

 何だか良く分からないが、闘争心を燃やすリンネ。

 それはそうと、サメサメって小雨先輩のことだろうか? いくらなんでもサメサメはないと思うんだ、サメサメは。センスの欠片も感じられない。

 タオルを取りに行ってくれた有須と入れ替わるように、何故か親父が顔を出す。

「なんじゃい、騒がしい… うぉ貞子!」

 親父。そりゃ僕も最初そう思ったけどさ、わざわざ口に出すなよ、口に。脳と口が直結してんのかよ。

 そんな親父の声を聞きつけて、僕の妹その2であるダンゴまでやって来てしまった。

「なになに、どうしたの? おとーさん… うぇ、貞子!」

 お前もか、お前もなのか? って言うより、何でいきなり親子コントしてるの? この人達は。それじゃ先輩に対して、あまりに失礼だろ。

「あっははははは。おもしろいなー嵐くんの家族は」

 わりと酷い言われようなはずなのに、全く気にしていない様子の小雨先輩。良かった、先輩がちょっとアレな人で。

「がはは、いきなりすまんかったな。で、嵐。こちらの貞… ごほん、こちらの素敵なレディは?」

「素敵だ何て、いやはや正直者ですなぁ。ウチは雨守小雨って言います。嵐くんの彼女だよ、おとーさん」

 訂正しよう。この人、皆に姿が見えている分、リンネより性質が悪いかもしれない。やっぱりアレな人だよ、先輩は。

「イエスイエスイエーーース! うぉおおおおおおおおおお、良くやったぞ、嵐。そうじゃったかー、いやー、お前もなかなかやるもんだなー、がはははははは。よぉうし、今日は祭りだ、宴だ、朝まで飲むぞワシは」

「えええええ、ウッソだー。有り得ないよそんなの。にぃにぃに彼女が出来るなんてぜっつつつつつたいに、無いよ。壷か? 宗教か? 狙いは何だ貞子めー」

「に、兄さん、どういうことなんですかこれは。か、か、彼女だなんてそんなの、い、いつの間に? いつの間に?」 

 小雨先輩の爆弾発言を受けて、三者三様の答えが返ってきた。

 一方リンネはと言えば、またもや空中で大爆笑している。はは、好きなだけ笑うがいいさ。

「嘘だよ、嘘。違うからね。小雨先輩の小粋なジョークだからね? あー、もう、ほら、よし、カレー食べよう、ね、カレー。美味しい美味しい、有須ちゃんお手製カレー。いやーもう、楽しみだなーコンチクショウ」

「あはははは、嵐くんも、嵐くんの家族もおもしろいなーもう」


 それから数十分。ようやく事態を収拾させた僕は、揃ってテーブルにつき有須のカレーを頬張っていた。

「んぐんぐ、んーおいしいなぁー。有須ちゃん、やるねー」

「がははは、そうだろうそうだろう。有須の料理は最高だからな、がはははは、あ、ワシおかわり!」

 親父、相変わらず食べるの早すぎ。フードファイトをやろうってんじゃないんだから、もっとゆっくり食べればいいのに。

「おとーさんに負けられるかー、有須ねぇ、団子もおかわりー」

 お前もか。この体育会系親子が。

「ウチもウチもー」

 いつも騒がしい食卓だけど、そこに小雨先輩が加わったおかげで、いつも以上に騒がしい食卓となった。

「げふっ、もぉー食べれられないよー、嵐くん」

「そりゃ、あれだけ食べれば十分だと思いますよ、小雨先輩。その細い体のいったいどこにあれだけの量が入ったのか」

「もー嵐くん。スタイル抜群だなんて、言いすぎだよー正直者なんだからぁ。どうもー、ごちそーさまでしたぁ」

 それはいくらなんでも歪曲しすぎです先輩。突っ込む気にもなれません。

「それじゃあ、ひとまず僕の部屋で例の話を聞きますよ」

 リンネの言う試練ってやつが始まってるというのに、天使らしい仕事はおろか、僕たちときたらまだカレーしか食べてないじゃないか。

 果たして、こんなゆるゆるでだらだらな展開でいいんだろうか? こんな体たらくでいいのだろうか? 正直言って僕には良く分からない。

「やー、ごめんねぇ、すっかりご馳走になっちゃって。そうそう、これからが本番だもんねー」

 僕は残っていたコップの水をぐいっと飲み干し、立ち上がろうとした。

「嵐、ファイッ」

 そう言って、ここ一番の笑顔でグッとサムズアップしてくる親父。

 気がつくと僕は、口に含んだ水を盛大に噴射させていた。

 水はやがて虹を作り、親父の笑顔に華を添える。

「は? え、な、ば、ち、ち、違うから、そういうのじゃないからね? 勘違いも甚だしいからね? というか何言ってくれちゃってんのこの馬鹿親父は?」

 僕の言い分を無視し、さも訳知り顔、もといにやけ顔、ドヤ顔で頷きながら続ける親父。

「あーあー、何も言うな嵐。分かっとる。ワシには全部分かっとるよ。これからが本番なんじゃろ? コイツめ」

 僕の顔は怒りと羞恥でみるみるうちに赤くなっていった。繰り返すが、僕はこんなことで顔を真っ赤にするような、それはもう残念な感じの高校生なのだ。笑いたければ笑うがいいさ。

「あっははははっはは。く、苦しい、嵐くんってば、最高だよぉ。これ以上笑ったら、か、カレーがー」

「先輩もいつまで笑ってるんですか、ほら、行きますよ」

 僕は爆笑する先輩を引きずりながら、自分の部屋へと向かった。



 疲れた。ただ夕飯を食べただけなのに、何だろう、この疲労感は。何て長い一日なんだろう、今日と言う日は。

「ふーっ、先輩、もうさっきまでのことは忘れていいですからね、ここからが本番なんですよ?」

「そうだよー、やっとあたしの出番ってわけね。さぁー、サメサメ、思いのたけを思う存分ぶちまけちゃってー」

 天使は地上で食事はしないらしく、先ほどのキッチンでは僕らの頭上で終始ぷかぷか浮いていて、僕らのやりとりを暇そーに見守っていたのだった。

 先ほどまでと違い、ちょっとだけ神妙な顔をした小雨先輩が、こくん、と頷く。

 … と、その前に。僕はおもむろに部屋のドアを開けた。

「うぉら、お前ら! いいからあっちいけ」

 わー、と階段をかけ下りていく親父とダンゴ。全く、子供か。ってダンゴは子供だった。

「ごほん、すみませんでした先輩、ではどうぞ」

「えーと、公園でどこまで話したかなぁ? あ、そうそう、喧嘩したんだ。いやー、はるちゃんとさみちゃんがあんなに分からず屋だったとはねー」

「はるちゃんと、さみちゃんっていうのは小雨先輩のお姉さん、つまり春雨先輩と五月雨先輩のことですよね?」

「んー、そうだよ。あれー嵐君、もしかしてファンだった? おねーさんというものがありながら、酷いなぁ」

 僕は小雨先輩の一部の言動を華麗にスルーして続ける。

「いえ、僕の友達に五月雨先輩のファンな奴がいましてね。そいつから聞いたんですよ、先輩達のこと」

「ふーん、そうなの? でね、今となって何が原因だったのかわからないんだけど、その喧嘩が思いのほか長引いちゃって。何だかさぁ、家に居づらくなっちゃってねー。で、ウチの別荘に避難してたんだぁ。あはは」

 そう言ってはにかむ小雨先輩。ん? 別荘?

「あの、別荘ってまさか公園のドーム型遊戯のことじゃないですよね?」

「わぁお、良くわかったねー嵐くん。ウチ、公園で絵を描くのが好きなんだぁ」

 リンネが憐みの表情を浮かべ答える。

「変わってるのね、サメサメって」

 いや、先輩もお前にだけは言われたくないと思うぞ、きっと。

「だから今日もあんなところにいたんですね、通りで。それで先輩、お姉さん達と仲直りがしたいって事ですよね?」

「ぴんぽーんぴんぽーん。さっすがぁ、嵐くん。ウチが見込んだだけのことはあるよー。おねーさん嬉しいなぁ」

 姉妹喧嘩の仲裁か。小雨先輩の言い分は分かったけど、これって果たして天使の仕事なんだろうか?

 これが本当にリンネの言う天使になるための試練なのだろうか?

 僕はたまらずリンネに問いかける。

「リンネ、これってどういうことだ? 喧嘩の仲裁が君の言う試練なのか? まぁ、君のセンサーが反応した以上、先輩達が絡んでいるのは確実なんだろうけど」

「嵐。言い忘れてたけど、あたし達天使の主な仕事は、人間に取り憑いた <伝承> を取り祓う事なの」

「伝承? 悪魔とか幽霊じゃなくて?」

「ちっちっち。あたしが天使だから相手は悪魔だー、なんてのはちょっと軽率すぎだよ、嵐。伝承って言い方のほかには、フォークロア、都市伝説、スーパースティション、民話なんて言い方をする場合もあるけどね」

 天使が出てきた時点で悪魔も出てくる可能性は大いにあるとは思っていたけど、どうやら事実は僕の予想の斜め上を飛び越えて行ったらしい。

 どこから持ってきたのか、リンネは黒板を使って伝承についての説明を始めた。

「いえーい。リンネ先生の授業の始まり始まりー。いい? 二人ともよーく聞いてね?」

「はい先生」

 僕は思わず反射的にそう答えていた。

 眼鏡に白衣に黒板にチョーク。のりのりな天使に対して突っ込む気にもなれない僕なのだった。

「あたし達天使の言う伝承は、人間が長い年月や強い想いで語り継ぎ、想像した空想上の生物や現象の事ね。広義で解釈すれば、あたし達天使だって、嵐がさっき言った悪魔だってそう。日本で言えば、鬼だとか天狗だとかね」

「分かったような分からないような。で、そいつらが何だって言うんだ?」

「人間の言葉には言霊が宿るなんて言うでしょ? それと同じで、伝承にも力が宿る場合があるの。同じ伝承一つとってみても、人の解釈や、語られる地方によってもその力のベクトルが異なってくる。あたし達天使が払うのは、そんな負の力を宿してしまった伝承達なの」

「人間に取り憑くって言ったけど、具体的には?」

「これがちょっと説明しにくいんだよね。そもそも伝承によって違うからさー。共通して言えるのは、人間の心に空いた隙間に勝手に入り込んで、宿主の行動を助長させたり、時にはその宿主の体を狂わせたりしながら、人の心に寄生する影みたいなイメージかな」

ここで僕は、最も気になる疑問をリンネにぶつける。

「つまり、小雨先輩は、その伝承ってやつに取り憑かれてるってこと?」

「ピンポンピンポーン」

 嬉しくない。全然嬉しくない。というか本人が目の前にいるんだからさ、もっと空気を読め… って先輩寝てるよ!

 流石は小雨先輩。物凄く強いメンタルである。ハガネの精神力である。むしろ一番空気を読めてないよこの人。

 仕方がないので、当事者睡眠中のまま話を続ける。

「それで? 具体的には、どうすれば先輩の体からそれを追い出せるんだ? まさか、僕に戦えとか言い出すんじゃないだろうなリンネ? 自慢じゃないが、僕は小学生の妹との喧嘩さえ、一度も勝った事がないんだぞ」

 小学生に本気で泣かされる高校生。笑いたければ笑うがいいさ。何度だって笑うがいいさ。

「ぷぷぷ、分かってるわ。それに私は天使よ? そもそも体を張った戦闘なんてナンセンスね」

 明らかに馬鹿にされたのが気になったけど、どうやら戦闘は無いらしい。良かった良かった。

「それじゃあどうするんだ?」

「いい? 伝承や民話、都市伝説に元となる逸話があるように、取り憑かれた人間側にも何らかの理由があるものなの。 つ、ま、り、サメサメがこの伝承に取り付かれたのにも何か原因があるってこと。まずはそれを探りましょう? それに、今回に限って言えば、その原因も解決方法もはっきりしてるでしょ? ここ最近降り続いているこの雨。この雨はね、サメサメが降らせてるんだよ。正確には、サメサメに取り憑いた雨女の伝承が降らせてるんだけど」

「雨女? 雨女ってあの雨男とか雨女とかの? 何かの行事のときにタイミング悪く雨が降ったりするアレ?」

 そういえばイタルのやつが言っていたっけ、先輩達3姉妹はとてつもない雨女だって。

「そうだよ。その話の元となるのが、雨女って妖怪。知ってる? 雨女って。子供を失った女が妖怪になって、その涙が雨となって降り続ける。今回の場合、恐らくサメサメ達の姉妹喧嘩が原因で取り憑かれた可能性が高いかも。つまり、その喧嘩を止めない限り、今降っているこの雨が止むことは無いわ」

「もしかして、小雨先輩のお姉さん達、つまり春雨先輩と五月雨先輩も同じ伝承に取り憑かれてるってことじゃないか?」

「うんうん。鋭いね、嵐。アタシもそう睨んでるの」

 どうやら僕達は、最初の試練からとんでもない大物を釣り上げてしまったらしい。

 その上、相手はあの雨守三姉妹で、僕の先輩達だ。果たして、僕に何とか出来る問題なのだろうか?

 僕は、大きく溜息をつきながら横で眠る小雨先輩を揺り起こす。

「先輩、先輩、起きてください。先輩、雨女に取り憑かれてるらしいですよ」

 先輩はぼけーっとした顔で目をこすりながら言う。

「なにそれー、怖いなー、もう」

全然怖がってそうに見えないのは、僕の気のせいではないはず。

「この喧嘩ってさぁ、ウチが思っていた以上に色々と複雑みたいだねー」

 そう言って立ち上がる小雨先輩。

「ウチ、今日は一旦帰るね。ねぇ、嵐くん。明日はウチも学校行くからさ、その時までに二人の様子を見てみるよー」

「分かりました。それまでにこちらも、何か対策を考えておきますから。それじゃあ、明日学校で会いましょう」

 見送りは玄関までで大丈夫だという小雨先輩を送り出し、僕はふと考える。

 3人がお互いにいがみ合っているとすれば、まずそれぞれの言い分を聞きだす必要がある。そして、何よりもそもそもの喧嘩の原因を探る必要があるわけだ。

 が、さっきの小雨先輩の話を聞く限り、喧嘩の原因はほんの些細な事柄らしい。そこはやはり伝承とやらが事を大きくした可能性が高い。

 解決を望むには、僕らがフォローしつつ小雨先輩に直接動いてもらい、姉二人に働きかけていくしかないのかもしれない。

 何にせよ、このままこの雨が降り続くようなら、規模の大きい問題に発展しかねない。早急に何とかする必要がある。

 それにしても、まだ見ぬ春雨先輩と五月雨先輩とは、一体どんな人物なのだろう。

 小雨先輩の強烈なキャラクターから察するに、共に一筋縄ではいかない気がする。イタル情報によれば春雨先輩は、試験で常に学年1位をキープし続ける秀才らしい。五月雨先輩は確か、運動系の部活で有名な人だったような。うーん、どう考えても一癖も二癖もありそうだよね。

 僕は大きなあくびをしつつ、時計を見上げる。いつの間にやら、もうすぐ日付が変わる時間になっていた。

 そう言えばあれだけ騒がしかったリンネが、今は随分と静かだ。気になった僕は、部屋を見回す。

 すると、空中でぷかぷか浮きながら気持よさそうに寝ているリンネを発見。

 どうやら天使ってやつは空中で浮かびながら寝るものらしい。

 魚って水中で泳ぎながら眠るらしいど、リンネの姿を見ていてふとそんなイメージが頭をよぎった。

 そんなことを考えながら、僕は、自らの意識の手綱を手放した。


          ◆


「昨日はお楽しみでしたね」

 腹が立つほどの満面の笑みを浮かべながら、開口一番親父はそう言い放った。

 朝から欝だ。猛烈に欝だ。

 呆れて突っ込む気にもなれない僕は、そのまま椅子に座る。

「ねぇ、おとーさん。お楽しみって何さ?」

 ダンゴが純真無垢な瞳で親父に尋ねる。親父のせいだ。全部親父のせいだ。

「がははは、つまりだな、嵐と昨日の貞… 小雨お譲ちゃんが、セ」

 はいアウトー。

 と言うか小学生に向かって、よりにもよってド直球かよエロ親父。

「だーーーーっ。朝から何言い出すんだよ、馬鹿親父。それに、小雨先輩あの後すぐに帰っただろ? 何にもありませんでしたよ? 本当に」

 僕達の馬鹿騒ぎを聞きつけたのだろう。キッチンの方から、有須が朝飯片手にやってきた。

「もうっ、兄さんも父さんも、朝から何大きな声出しているんですか。近所迷惑ですよ。まったく、子供じゃないんですから。… で、本当のところどうなんですか、兄さん」

「勘弁してくれ。花家唯一の良心がそんな親父みたいなこと言わないでくれよ、有須」

「ふふっ。すみません、冗談ですよ。さぁ、早く食べないと遅刻しちゃいますよ」

 いやいやいや、冗談では済まされないような鋭い目つきでしたよ、有須さん。


 リンネはまだ僕の部屋で寝ている。

 多少の不安はあたものの、彼女を部屋に残したままにして、僕はいつものように月美ちゃんを迎えに行くことにした。


「おはよう、嵐。今日も、雨、降ってるね」

「おはよう月美ちゃん。そうだねー、もしかしたらの話だけど、まだしばらくはは降り続くんじゃないかな? ははは」

 もしも、解決が長引いたら、ね。

「そうだ、月美ちゃんは雨守三姉妹って知ってる?」

「うん、常識、だよ? 有名人、だし」

 やはり、月美ちゃんでも知ってるレベルの有名人だったんだらしい。それほどの人物を知らなかった僕の学園生活は、よほど残念なものだったようだ。

 月美ちゃんと話しているうちに、やがて教室へと到着。

「おはようさん、嵐。早速だが聞いてくれ。こいつはたった今仕入れた情報だが、例の雨守三姉妹。今日は三人とも登校してるって話だぜ。結局、昨日の喧嘩の話はデマだったってことか?」

 仕入れたとかいってるけどイタルのやつ、恐らく三年の教室まで確かめに行ったのだろう。

 まぁ、こっちも助かるからいいけど。というより、本当にデマだったらどれだけありがたかったことか。

「ふーん。そういえば、その3人ってそれぞれ別のクラスだったよな?」

 イタルがずずいとこちらに近づく。

「お、何だ何だ。嵐にしては珍しく興味津々じゃないか。まさかお前も偵察に行く気か? ちなみにだが、長女の春雨さんが3のA。次女の五月雨さんが3のC。三女の小雨さんが3のDだぜ、心の友よ」


          ◆


 昼休み。

 結局名案は浮かばなかったものの、ひとまずは小雨さんに会いに行かねばならない。

 そう言えば、小雨さんと学校で会う約束をしたのはいいが、どこで会うかまでは決めていなかった。

 さて、どうするべきだろう? 

 一先ずは小雨さんのクラス、えーと、今朝のイタルの話だと確か3のCだったっか。そこに行ってみるしかない。

 そんな事を考えながら、正に僕が席から立ち上がったその瞬間、教室のドアが勢い良く開いた。

「おまたせぇー嵐くん。おねぇーさんが迎えに来たよー。あーいたいた。やー、嵐くんが2ーAで良かったよー。昨日嵐君のクラス聞いてなかったから、二年の教室を端から順番に訪ねて行こうかなーなんて思ってたんだぁ。さーさー、おねぇーさんと一緒にいきましょうねー」

 2ーAで良かった。本当に良かった。僕は、生まれて初めて神に感謝した。

「うぉおお、どこの美女かと思えば、雨守小雨先輩じゃないですか。どうしてこのような場所に? つーか嵐貴様、コラ。小雨先輩とどういう関係なんだこの野郎」

 突然の珍客にクラスが一気に騒がしくなる。

 今はとにかくこの場から離脱すべく、小雨先輩の手をとり教室を飛び出た。

 後ろから響いてくるイタルの罵詈雑言はきっと幻聴ではないはず。

「嵐くん、こっちだよ、こっちぃ」

 僕は、小雨先輩に案内され、三階隅の美術準備室へとやって来ていた。

 一息ついた僕は、入り口近くの椅子に腰掛け先輩に尋ねた。

「それで小雨先輩、お姉さん方の様子はどうでしたか? こちらの話は聞いてもらえそうですか? 仲直り出来そうですか?」

 先輩は可愛らしく小首を傾げ、笑顔で答える。

「んーとね、わかんない」

 そんな、身も蓋もない。小雨先輩は僕の近くの椅子に座り、続けて答える。

「やっぱりさー、ウチ一人じゃ無理かもねー。だから、呼んじゃった」

「え? 呼んだって、誰をです?」

 とても嫌な予感がする。そして、ここ最近の僕の嫌な予感ってやつは、悲しいかな大抵の場合当たってしまうのだった。

 その時、準備室のドアが突然開くとともに、その人物と僕の目線があう。

 いや、この場合ガンをつけられたという方が正しい。

「おまえ、何もンだ」

 リボンの色からして小雨先輩と同じ三年生なのは確か。加えて、初対面の人物に開口一番そんなことが言えちゃうようなこの人物はまさか。

「あ、さみちゃん。良かったぁ、ちゃんと来てくれて」

 ぶんぶん手を振って答える小雨先輩。

 さみちゃん。つまり、雨守三姉妹の次女である五月雨先輩の事だろう。まさか、当の本人を連れてくるとは思いも寄らなかった。

 作戦会議に来たつもりが、いきなりぶっつけ本番になってしまったらしい。

「ふん、小雨がアタシに謝りたいっていうからわざわざ来てやったんだ。つーかさ、謝るんだったら、普通そっちから来るのが常識なんじゃねーの?」

 やはり喧嘩中ってのは事実らしい。初対面の僕でも分かるくらい、見るからに機嫌の悪そうな先輩。

 三つ子のはずなのに小雨先輩とはあまり似てない気がする。ぶっちゃけ小雨先輩より背丈が大分小さいのだ。その口調とは裏腹に小動物チックなオーラを醸しだしている。

「まぁまぁ、ひとまず落ち着いてくださいよ、先輩」

 五月雨先輩が再びギロリと僕を睨む。

 とはいえ、悲しいかな有須のそれと違いたいした威力は無い。

 小動物に睨まれたところで、恐れるに足らない。威力が無いどころか、逆に和んでしまいそうなくらいだ。

「だ、か、ら、お前は何もンなんだよ」

 試練の最中、しかもその関係者に何者だと聞かれたらば、例の「あのセリフ」を言わざるを得ないわけで…。

 どうしようかなー。この人、シャレが通じ無そうだし、何よりこの場にリンネも居ないし。

「呼んだ? 嵐」

 何もない空間から、いきなりボンと現れるリンネ。

 呼ばれて飛び出て何とやら。天使ってのは何でも有りな存在らしい。

「何驚いちゃってるの。あたし達ってばラインが繋がってるんだから、嵐が心の中で願えばあたしはいつでもどんなに離れていても、こうして隣に瞬間移動出来ちゃうんだよ? にゃはははは、天使って便利だよねー」

 恐るべきご都合主義。

 覚悟を決めた僕は、例のセリフを語ることにした。

「… どうも、初めまして五月雨先輩。僕は二年の花といいます。ヒジョーにお節介だとは思うんですが、御三人方の喧嘩の仲裁に馳せ参じた天使の使いでございます」

 五月雨先輩はニコリと笑い答える。

「そうか。よし、帰れ」

 酷っ。

 とはいえ、姉妹喧嘩にのこのこ他人が出てくれば、そりゃそうも言いたくはなる気持ちも分かる。その上、自分のことを天使の使いとか名乗っちゃう電波野郎となれば尚更か。

「そんなー、酷いよぉさみちゃん。ウチがせっかく連れてきた大事な仲介役さんなんだからぁ」

「仲介役なんていらない。それに、いきなり天使がどうとか言い出すんだぜ? ぜってー頭可笑しいだろ。流石はお前が連れてきただけはあるよ、小雨」

 返す言葉も無い。この時点で僕の胃は既に限界寸前だった。

 リンネはおもむろに五月雨先輩の真横に移動し、間髪いれずに頬にキッス。

 天使の姿を目視出来る様にするためのものだと分かってはいても、見ているだけの僕が思わず赤面してしまう。

 加えて、何のつもりか、五月雨先輩の目の前、顔と顔がくっつきそうな距離でじっと五月雨先輩の顔を凝視するリンネ。

 いくらなんでもそれは近すぎだろ。天使の考えることは、さっぱり分からない。

「わーわー、天使のキッスだぁ。ウチもあんなことされたのかなぁ。あはは」

「あ? 急に何言い出すんだよ、小雨? ってうおわ、何だ、何だコイツは。幽霊か? 幽霊なのか?」

 物凄い速さで部屋の隅へと飛び退いた五月雨先輩。見掛け通りかなり素早い動きだ。

 その時、小雨先輩がぼそっと僕に耳打ちしてくる。

「さみちゃん、ああ見えて実は幽霊とか怪奇現象とか大の苦手なんだぁ」

「むっ、あたしは幽霊じゃないよ、天使だよ」

 そういって頬を膨らませるリンネ。

 こんな風に頭に輪っかを浮かべた謎の浮遊生物なんて、五月雨先輩にとっては幽霊でも天使でも大差ないのかもしれない。

「こ、こここここ小雨、こ、ここここれはどういうことだ?」

 部屋の隅ですっかり震えてしまっている五月雨先輩。

 先輩のその質問に小雨先輩に代わって答えるリンネ。幽霊と呼ばれて機嫌を損ねたらしく、わざわざ五月雨先輩の目の前にずずいと寄っていく。

「あなたがサメサメの姉その1ね。よし、何だかつんつんしてるから、つんさみと命名するわ。ぷぷぷぷぷっ。震えてないでよーく聞いていね、つんさみちゃん。あなた達3姉妹は今、伝承にとりつかれてる。そのおかげで、あなたたちの姉妹喧嘩はただの喧嘩じゃなくなってるの。ほら、外を見てよ」

 そう言って窓の外を見るよう促すリンネ。

 こうしている今現在も、勿論雨は降り続いている。それどころか、その勢いが増してきているような気さえする。

「何だよ、ただの雨だろ? アタシ達と何の関係があるってんだよ。だから、それ以上寄るなって。くんな、こっちくんな」

 まるで獲物をじわじわと追いつめるように、徐々に先輩を壁際に追い詰めていくリンネ。

 こいつ、天使のくせに意外と根に持つタイプのようだ。

「さっきあなた達が取り付かれてるって言ったでしょ? その原因が雨女。その名の通り、雨に纏わる多くのエピソードを生み出した伝承ね。今回のシナリオは、あなた達3人に取り付いてその喧嘩を起因として雨を降らせてるってわけ。 だ、か、ら、さっさと仲直りしてね? つんさみちゃん」

「伝承? 雨女? そ、そんなの知るかよ。アタシ達が喧嘩しようと、仲直りしようと、そんなのアタシ達の勝手だろーが。いいか?  オカルト研究会なら、お前らだけで勝手にやってくれ。アタシには関係ないからな」

 そう言い放つと、逃げるようにして部屋から飛び出ていく五月雨先輩。あーあ、やっちまったな、リンネの奴。

「こんの分からず屋ー。待てやこらー」

 すぐさま後を追うリンネ。

 どうやら、先輩のことがよほどお気に召さないらしい。

「うぉわああああー、ついてくんなー」

 五月雨先輩の悲鳴が、廊下中に響き渡る。そんな中、ぽつんと準備室に取り残されてしまった僕と小雨先輩。

「はっ。そういえば僕達、追いかけなくてよかったんですかね? ついつい二人を見送っちゃいましたけど」

「あはは、そうだねー、さみちゃんにはちょっと気の毒だけど、たぶんすぐに戻ってくるんじゃないかなぁ」

 などと悠長なことを至ってマイペースに言い放つ小雨先輩。

 その根拠がどこにあるのかさっぱり分からないが、喧嘩中とはいえ三つ子の姉妹である。そんな先輩が言うんだから、きっと問題はないはず。たぶん。

 でもなぁ、あのリンネだからなぁ。このまま放っておいたら、何をしでかすかわかったものじゃない。

 僕はいてもたってもいられなくなり、おもむろにイスから立ち上がった。

 その瞬間、再び準備室のドアが勢い良く開かれる。

「うぉい、お前ら何とかしてくれ。アタシ、本当に幽霊にでもとりつかれちまったのか? この浮遊物体、アタシ以外誰にも見えねーみたいなんだよ」

 小雨先輩の言った通り、すぐに戻ってきた五月雨先輩。と言いうか、既に半べそ状態。恐るべし、暴走天使リンネ。

「分かりました。分かりましたから、まずは落ち着いてくださいって先輩。それに、リンネ、お前ちょっとやりすぎ、先輩から離れなさい。これじゃまともに話も出来ないだろ」

 何とか二人を落ち着かせることに成功したが、これじゃあ、誰と誰の仲裁をしにきたのか分かったものじゃない。

「やり方にはちょっと問題がありましたけど、これでさっきの話は信じてもらえましたか、五月雨先輩?」

 五月雨先輩は髪の毛をぐしゃぐしゃとかきあげ、溜息をつき答える。

「ああ、分かった、もう十分かったよ。怖いくらいに分かったから。… えーと、花だっけ? お前、今後一切そいつをこっちに近づけるなよな。話くらいは聞いてやるからよ」

 未だ膨れ面のリンネ。この二人、相当相性が悪いらしい。

「分かりました。それと、本題の方なんですが、そもそも3人は何故喧嘩なんてしたんですか? これまでに喧嘩なんて一度もなかったそうじゃないですか」

「ああ、そうだよ。こう見えてもアタシ達は案外仲が良かったんだ。あんま似てないけど、一応三つ子だしな。それと、喧嘩の原因? それがよく覚えてないんだよ。ちょっとしたことが原因だったとは思うんだけどよ。いつの間にか、喧嘩が始ってさ、良く分かんないけど、とにかくイライラしてたんだよアタシは。つーかさ、小雨の場合はアタシと春ねぇの喧嘩に巻き込まれただけかもしれねーけどな」

 確かに、このほんわかした先輩が怒りに身を任せている姿なんて想像できない。

「ともかくさ、アタシもその、雨女? ってのにとりつかれたままってのは気分が悪い。それによ、何かもう色々メンドクセーわ。やっぱりよ、慣れない事はするもんじゃねーよな。喧嘩なんてよ。おい、小雨。アタシ達は一応、ここで仲直りしとこーぜ」

 小雨先輩に握手を求める五月雨先輩。

 先ほどから黙って僕らのやりとりを見ていたはずの小雨先輩が、何やらぷるぷる震えている。

「… う、う、うわぁーーーーーーーーーん。良かったぁーーー良かったよぉーーー。寂しかったよぉーーーーー」

 五月雨先輩に抱きつく小雨先輩。顔中、涙と鼻水でえらいことになってる。

 やっぱり内心かなり不安だったのだろう、それの感情が一気に爆発してしまったらしい。

「うわっ、小雨、お前酷い顔になってるぞ。汚っ、鼻水つけんなよ。ほら、このティッシュ使え」

 僕とリンネはしばらく黙って二人をの様子を見つめていた。残すは長女、春雨先輩か。

 二人と春雨先輩が仲直りすれば、この事件は解決。あと1歩だ。

 僕はそんな暢気なことを考え、窓の外を見た。 

 は? 何だか雨の勢いが強くなってないか?

「おいリンネ、雨の勢いが強くなってるみたい何だけど、これってどういうことだ? 少なくとも二人を和解させたんだから、この雨だって少なからず沈静化に向かうはずじゃないのか?」

 しばらく思案した後、リンネは答える。

「たぶんだけど、今までサメサメ、つんさみ、姉その2っていう3人に、雨女の力はそれぞれに並列状態で繋がれていたんだけど、二人が和解してその輪から外れたでしょ? 今は、姉その2に、直列に近い形で力が繋がっちゃってるんじゃないかな?」

 成程、分散されていた力が一つに集束されたってわけか。こうなってくると、今日中に何とかしないとまずいかもしれない。

 僕らはここで一旦別れ、放課後再び会う約束をし解散した。

 五月雨先輩いわく、姉妹で一番厄介なのはその春雨さんだとか。とはいえ、二人が喧嘩の原因を覚えていない以上、春雨先輩がそのカギを握っているという可能性が高いわけだ。


 午後の授業は全く頭に入らず、僕はただただ窓の外の雨を眺めていた。

 そうこうするうちにあっという間に放課後。雨は依然降り続いている。このまま雨の勢いが強くなり、何日も降り続くことになってしまったら、この町はいったいどうなってしまうのだろう?

何だか、当初思っていた以上に大ごとになりそうな予感がしてきた。

 僕はぐっと握りこぶしを作り、席から立ち上がる。その瞬間、教室のドアが今日1番の勢いで開かれた。

「おい、花、いるか? 迎えに来てやったぞ、さっさと出てこい」

 今日、このパターン多くない?

「うぉおおお、おおおおお、五月雨先輩、きたあああああああ。って、き、貴様嵐コラ。お昼の時は小雨先輩で、放課後は五月雨先輩だと? 一体お前何をした。俺の知らぬ間に、一体何があったんだぁああああ」

 吠えるイタルを無視し、僕は五月雨先輩と小雨先輩の元へと向かう。ああ、そういえばあいつ、3人の中では五月雨先輩が好みだっていってたっけ。

 うーん、確かにボーイッシュでそれでいてちっこくて小動物的で可愛いけど、言葉遣いがどうもなぁ。

「ん? 何だお前? もしかして今、物凄く失礼なこと考えていなかったか?」

「ははは、そんな滅相も無いですよ。それより、よく僕のクラス分かりましたね。小雨先輩に聞いたんですか?」

「いや。あいつには春雨との交渉にあたってもらったからな。お前を連れてくる担当がアタシ。んで、小雨から聞くの忘れちまってな、2ーAから順番に訪ねて行こうかと思ってたんだが、いやー、お前がAでよかったぜ、手間が省けたからな」

 流石姉妹。考え方もやり口もそっくりだ。心底2-Aで良かった。僕は、本日二度目となる神への感謝をした。

「それで、春雨さんは来てくれそうなんですか?」

「まぁ、一応な。でもよ、仲直りするってのはよ、互いに非を認めて謝りあうことだろ? あのエセお嬢様が素直に頭下げるとは思えねーけどな」

 エセお嬢様? 何だか不安げな単語が五月雨先輩の口から出てきたのが気になるけど、僕達は再び美術準備室へとやってきた。

「そういえば、ここって放課後部活で使われたりしないんですかね?」

「あー、それはだいじょーぶいだよ、嵐くん。美術部は皆普段から第2準備室の方を使ってるからぁ」

 準備室で待っていた小雨先輩が答えてくれる。

 と、その隣にいる、ウェーブのかかった茶髪の女性。成程、お嬢様なオーラや雰囲気が漂っている。漂いまくっている。

「ふぅーん、あなたが花嵐さん? わたくし、雨守春雨と申します。何やら、妹達がお世話になったみたいですね」

 その頭をちょこんと下げる春雨先輩。その物腰からはとても彼女が喧嘩の主犯とは思えない。どちらかと言えば、三姉妹の中でも常識人な人のようだ。

 これなら事件解決もすぐそこではなかろうか?

「いえいえ、お世話だなんてとんでもない。二年の花です。訳あって、先輩方の喧嘩の仲裁役をやらせてもらってます」

「それでさ、春ねぇ。別にこいつのおかげってわけじゃ全くないんんだけどさ、アタシと小雨は、まぁ、その、何だ、一応、くだらねぇ意地を張るのは辞めたんだ。ま、アタシもちょっとどうかしてた部分もあったしな。それでよ」

「悪いですけど、わたくしは謝りませんわよ?」

 五月雨先輩の言葉をさえぎるように、春雨先輩が早口でそう答えた。

 やはりと言うべきか、どうやら一筋縄ではいかないようだ。

 それに、例のセリフもまだ春雨先輩に対しては言ってないしな。

 それにしても、まさか一つの試練で三回もこのセリフを言うことになるなんて思いも寄らなかった。

 いい加減、このセリフを言うときの恥ずかしさってやつもマヒしてきちゃったよ。

「あの、それともう一つだけ」

「何です? 外野はちょっと黙っていてくださる?」

 ギロリと僕を睨みつけてくる春雨先輩。うわ、これは五月雨先輩と違い、有須タイプの睨みだ。つまり、僕にとって効果抜群ってこと。

「春ちゃん、お願い、嵐君の言葉を聞いてあげてよぉ」

 小雨先輩ありがとう、今はあなたが天使に見えます。というより本物の天使は一体どこで道草食ってるんだ。

 そう思った瞬間、ぼんっと音を立てて僕の目の前に現れるリンネ。

「うわっ出た」

 過剰なまでにリンネに対し反応する五月雨先輩。先輩にとってお昼の出来事はトラウマ級だったらしい。

「失礼ねー嵐ってば。いつ呼びだされてもいいように、こうしてあたしなりに準備してたんじゃない」

 何故か、枕とナイトキャップ持参のリンネ。

「つまり、寝てたんだな?」

「にゃははは、そうとも言うよね」

 そんな僕とリンネの不毛なやり取りをよそに、今はまだリンネの姿が見えていない春雨先輩が答える。

「分かりましたわ。小雨がそこまで言うのなら、一先ず仲裁役さんとやらの話、聞くだけ聞きましょう」

 僕は一度深呼吸し、春雨先輩の目を見ながら話していく。

「ズバリ、先輩方三人は… 雨女の伝承に取り憑かれています」

 僕は窓の外を指さして続ける。

「今、雨が降っていますよね? ね? この雨っていつから降り出したかご存知ですか? 実は、丁度先輩方が仲たがいを始めてからなんです」

 そんなの偶然でしょ? そんなことを言いたげな顔をしいる春雨先輩だが、一先ずは最後まで僕の話を黙って聞いてくれるようだ。

「つまりですね、この雨は雨女の伝承により、先輩方3人の喧嘩を起因として降っている雨なんです。僕はですね、そんな雨女の伝承を払うためにやってきた天使の使いなんです」

 僕のその言葉をきっかけに、すかさず春雨先輩にムチュッと接吻を施すリンネ。

「うげ、あたしもあの不思議生物にあんなことされたのかよ」

「あなた先程から一体何を言って… きゃあああーーーーーーー」

 五月雨先輩のとき同様、春雨先輩の顔面5センチのところに顔を異常接近させ、にぃいっと笑っているリンネ。

「にゃはははは、ごめんごめーん。ずっと待ちぼうけだったから退屈だったんだもん。ちょっとだけからかっただけだよー。んで、あたしが天使のリンネでっす。ハルルン。あなた達の伝承を払いに来ましたー」

「あ、あなた、どこからやって来たんですの? いえ、そんなことよりどうやって浮いてるんですの? それ以前に、そもそも何者ですの?」

 案の定、ちょっとヒス気味にまくし立てる春雨先輩。

「えー、天使だもん、天界からだよ。どうやって浮いてるかって言われたら、この輪っかでだよ」

 は? それは個人的に聞き捨てならない。僕はすぐさま反論する。

「嘘だろ、リンネ。じゃあ、その羽根は? 羽根は一体何の為についてるんだよ」

「何よ、嵐。そんなにむきになっちゃって? この羽根は、いわば補助輪みたいなものなんだよ。よーするに飾りねー。だってー、一応天使だしー、翼はは必要でしょ?」

 知らなかった。そんなの全然知らなかった。というか知りたくなかった。僕の中の天使像が音を立てて崩れていく。

「い、言いたいことはそれだけですの? 天使だか悪魔だか知りませんが、わたくしには関係ありませんわ。わたくし、あなた達に従う気なんてさらさら有りませんから」

「やっぱりな、こうなると思ってたよ春ねぇ」

 大きな溜息をつく五月雨先輩。

「それに、あなたがたの謝罪も、わたくしは受け取りませんから」

「あのー、横からすいませんけど、これだけは教えてもらえませんか? そもそもこの喧嘩の原因は一体何だったんですか? 実は、小雨先輩も五月雨先輩もよく覚えていないという事だったので」

 仲裁役としてこれだけははっきりさせおく必要があるということで、僕は思い切って質問した。

「原因? さみに小雨、わたくしにあれだけのことをしておいて覚えていないの? やはり、仲直りへの道は遠いようですよ、花さん」

 そう言い残し、すたすたと帰ってしまう春雨先輩。

「あーあ、行っちゃった。にゃははは、どーしよっか、嵐?」

 僕は春雨先輩が出て行ってしまったドアを見つめながら言う。

「やっぱり、というか思った通りというか。向こうはしっかり覚えているみたいですね、この喧嘩の原因」

「あはは、そうみたいだねー。うーん、どうしよっかぁさみちゃん」

「いや、どうしようって言われてもな。どーすりゃいいんだ?」

「先輩方は本当に覚えていないんですか? 原因」

 僕のその問いかけに、揃って腕組みして考え込む先輩2人。

「そう言われると、もしかしてって思うことがあるようなないような」

「そうだねー、あるようなないような」

「でも、確信は出来ないと?」

 同時に頷く二人。

 駄目だ。原因が分からない以上、何か他の解決方法を探すしかない。

 雨は、相変わらずその勢いを弱めることなく降り続いている。

「僕、とりあえず春雨先輩の後を追いかけてみます。その間、お二人は原因を思い出してみてください」

 僕は急いで春雨先輩の後を追う。悪あがきかもしれないが、今はこうするほか手がないのも事実。

 と、ちょうど校門を出るところの春雨先輩を発見。ここで、声をかけてみるのもいいけど、しばらく様子を見てみるとしよう。

 僕は、先輩の後ををそっとつける。雨が降っているのが幸いして、ちょっとやそっとじゃ気付かれそうに無かった。

「リンネいるか?」

「いるいる。いるわよー。ねぇ、嵐。気が付いてると思うけど、この雨、結構強くなってきてるよね」

「ああ、ゲリラ豪雨ってやつだな。このままいくと、シャレじゃなく交通機関に乱れが出そうだ。ゲリラ豪雨ってやつは、都市機能が麻痺するような被害も出るやっかいな雨なんだよ」

 こうして話している最中にも、雨は降り続く。

 確か時間雨量50ミリを超えると、内水氾濫、つまり都市機能が麻痺するって聞いたことが有る。この時点で既に、雨水は僕の膝辺りまでせりあがってきていた。

雨音は強く、その勢いは留まる事を知らない。

 学校を出た時点ではまだ歩ける程度だったものの、気がついてみれば、普通に歩くことすら困難なほど、足元の雨水は増加していた。

 春雨先輩が怒って教室を出てしまってから一段と雨の勢いが増している。やはり、彼女の感情をさかなでてしまったのがまずかったのかもしれない。

 それにしても、とんでもないことになってきてしまった。これじゃ交通機関の麻痺どころか怪我人が出ても可笑しくない。

 僕は、水浸しとなった靴とズボンを気にするまもなく、ひたすら眼の前の対象を追いかける。 

 と、そのとき、前方を歩いていたはずの春雨先輩が突然姿を消した。

しまった、気づかれたか?

「嵐、あそこあそこ」

 リンネの指差す方向に慌てて目を向ける。いた。確かに春雨先輩だ。

が、なにやら様子が可笑しい。

 作戦変更。何だか嫌な予感がした僕は、尾行を辞め、春雨先輩に走ってかけより慌てて声をかけた。

「春雨先輩、大丈夫ですか?」

 恐らく、この豪雨で流がされてきた漂流物で切ったのだろう。

 先輩の右足ふとももはぱっくりと割れていて、見るからに深そうな傷口からは大量の血液が流れ出ていた。

「やっぱり。あなた達、わたくしの後をつけていたんですのね。… ご覧の有様、わたくしの自業自得ですわ」

「自業自得? 先輩、とりあえず病院へ行きましょう。この傷はちょっと深すぎます。ちょっと痛むかもしれませんが、我慢してくださいね」

 僕は自分のシャツを引き裂き、彼女の足に巻きつけ、一先ずの応急処置とした。

 かなり痛むはずなのに、あくまで気丈にふるまい弱みを見せない春雨先輩。

「さぁ、先輩どうぞ」

 そう言って、僕は先輩をおんぶする体勢になった。

「い、いやですわ。そんな、おんぶだなんて… は、恥ずかしいもの」

 先輩、そんなこと気にしている場合じゃないでしょうが。

 彼女をおぶることを諦めた僕は、有無を言わさず先輩をお姫様だっこする格好で運び出した。

「え? ちょ、ちょっと、お姫様だっこだなんて、これならおんぶのほうがましですわー。今すぐおろしなさい、おろせー」

 僕の腕の中でじたばた暴れる春雨先輩。

 ただでさえ雨のせいで張り付いているすけすけ状態のその制服。当然、下着までもがくっきりと浮かび上がっている。

 流石は春雨先輩。思った通り、黒だ。

 僕は、なるべく平静を装いながら答える。

「駄目です。漢のプライドにかけても、絶対におろしませんからね。それに、そんなに暴れたら足の怪我に響きますから、じっとしててください」

 最初のうちは文句を言いつつ暴れていた春雨先輩だったが、諦めがついたためか、今は素直に僕に運ばれている。

 そんな春雨先輩が、僕の腕の中で言う。

「ねぇ、花さん。先ほどわたくしの足を応急処置してくれた時、その手つきが随分手馴れていたように見えましたけど」

「ああ、あれですか。実は以前にも同じような経験があったので。まぁ勿論、こんな豪雨の中ってわけじゃないですけど。いつだったかなぁ、妹が足を怪我したことがあったんです。その妹ってヤツがめちゃくちゃ元気なやつでして、怪我ばっかりしてるんです。1度や2度じゃないから始末に終えない。だから、この手の処置に慣れてたってのは確かですね。お前は男であり兄貴なのだから、お前が妹たちを守れって、この手の技術をたっぷりと親父に仕込まれましたから」

 小さい頃はボーイスカウトや少年団、山林キャンプ何かに無理やり連れて行かれたものだった。

根っからのインドア派の僕にとってまさに悪夢でしかなかったわけだけど、今となってはその技術がこうして役になっているのだから、あのエロ親父にも多少は感謝するべきなのかもしれない。

「そう、あなたにも妹さんがいらっしゃるのね。花さんもご存知のように、わたくしたちは3姉妹。しかも3つ子です。先ほどわたくしが自業自得と言ったのを覚えておいでで? わたくしあの場で、今回の喧嘩の原因はあの2人にある、なんて言ってしまいましたけど… 二人が喧嘩の原因を覚えていないのも当然ですわね。だって、具体的な原因なんて、本当はありませんもの」

 やっぱりか。小雨先輩も五月雨先輩もその原因が分からないなんてこの状況は、どう考えても可笑しいと思ってはいたけど。

「そうですね、それでもあえて原因があるとしたら… わたくし、あの二人に嫉妬していたのかもしれませんわ」

 力なく笑う春雨先輩。相変わらず、右足からは血がにじみ出ているが、どうやら彼女の顔色が悪いのはそれだけが原因というわけではなさそうだった。

「花さん、学校でわたくし達がなんて呼ばれているかご存知? 才色兼備の雨守三姉妹。そうね、確かにそうかもしれない」

 自嘲気味に笑う先輩。僕は、言葉を挟まず黙って耳を傾け続ける。

「さみは、わたくしたちに比べて小柄ですけど、抜群の運動神経を持っていて、スポーツなら何をやらせても大抵こなせてしまう才能を持っています。小雨は、独自のセンスと類稀な表現力で将来を有望視される美術部のエース。羨ましい事に、あの2人には才能があり、そしてわたくしには無い大きな夢を持っている。… それに比べてわたくしは、わたくしは、からっぽなんですの」

 春雨先輩の声が涙声へと変わっていく。

「わたくしは、そんな2人と肩を並べるために、いえ、一緒に居ても恥ずかしくないように、必死になって自分にできること、必死になって勉学に励みました。わたくしには、それしか出来なかったから。わたくしは、不安で不安でたまらないんです。三姉妹、三つ子、そんな風にいつでも比較され、セット扱いされるわたくしたち姉妹。わたくしは、わたくしは、足手まといなんじゃないかって、いつかおいてけぼりにされてしまうんじゃないかって」

 僕は、慎重に言葉を選びつつ口を開く。

「僕なんかが偉そうなこと言えませんけど、でも、春雨先輩の努力は決して無駄じゃないと思います。むしろ、春雨先輩の努力は今じゃ皆が認めていますし、現に結果として現れてるじゃないですか。むしろそれは、姉妹である五月雨先輩と、小雨先輩が一番良く分かってるんじゃないですかね? 兄弟は一番近い他人だ何て言う人も居ますけど、僕はそうは思いません」

 春雨先輩は、黙って僕の話を聞いてくれる。

「さっきお話しましたけど、僕にも妹がいますから分かるんですが、兄弟の絆はそんな柔なものじゃないと思います。時には友達のように、時にはライバルのように、時には叱られて、時には助け、助けられて。大丈夫、先輩が思ってる以上に、先輩達の絆は深いと思いますよ。部外者の僕が言うのもなんですけどね。と、すみませんでした、説教臭くなっちゃいましたね」

「いいえ、そんな事有りませんわ。今のセリフ、わたくし、ちょっとだけあなたを見直しましたもの。ふふっ、年下の男の子にこんなこと言われるなんて、わたくしもまだまだね」

 そう言ってにこりと微笑む春雨先輩。そういえば先輩の笑顔を見たのはこれが初めてかもしれない。

 そんなわけで、すっかり気の抜けてしまった僕。

「あ、やば、持病の貧血が」

「え? ちょっと、あれだけ威勢のいいこと言ったのだから、最後までしっかりなさい」

 先輩が僕の顔をぽかぽかと叩いてくる。

 あれだけクサイセリフを吐きまくったくせに、今は先輩に叱咤されながらふらふらと歩く僕。我ながら、涙が出るほど情けない虚弱体質っぷりである。

 人一人を抱えて歩くだけでもかなり大変なのに、その上この豪雨で足場も悪く視界も悪い状態。

 ただでさえ体力のない僕の貧弱ボディは、忌々しいことに限界に近づこうとしていた。

 どうする? どうすればいい?

姉妹喧嘩を解決していない現状、この雨は止まないわけだし、まずは先輩だけでも無事病院へと送り届けなければ。

 試練だとか、雨女だとか、そんなのはもう関係ない。ここからはもう、僕の漢としてのプライドの問題なのだ。

 僕は体力を振り絞り雨の中を突き進む。ただひたすらに突き進む。歯を食いしばり突き進む。背中に当たる先輩の見事な双丘を微妙に意識しながら突き進む。

 その時、僕の右手の甲に痛みが走り、閃光を放つ。

「う? 何だ? え? は?」

 僕の頭上には天使の輪っか、僕の背中には六枚重ねの天使の翼。

 まるで天使のような格好。

 成る程、どうやら僕は飛べるらしい。

「ちょ、ちょっと花さん。あなた翼が」

「ははは、何ですかねコレ」

「何ですかねって、あなた自分の身に起こったことなのに理解してないんですの? 仮にも天使の使いなんでしょう?」

「ええ、まあ、一応そうなんですけど。実は、先輩方の事件が僕とリンネが受け持った最初の事件だったもので。自分でも何が何だかさっぱり」

 とはいえ、十中八九リンネの仕業に違いない。

もしかしたら僕らを助けるために、何かしてくれたのだろうか?

「先輩、良く分かんないですけど、僕飛べそうです。アイキャンフライです。こうなったら、一か八か、このまま病院まで飛んでみます」

「飛ぶっていってもそんないきなりそ… きゃああああ」

 僕は必死になって翼を動かす。

「おぉ、浮いた、浮きましたよ、先輩」

 そう思ったのもつかの間、すぐにバランスを崩し思わず先輩を落としそうになる。

「ちょっと嵐さん、しっかりなさい。わたくしを落としたら承知しませんから」

「そんなこと言われましても、どうにもうまく飛べないんですよ先輩。あ、もしかして先輩がおもた」

 あ、しまった。が、時既に遅し。

 そう口を滑らせた瞬間、僕の顔面に拳が飛んでくる。

「特別に、聞かなかったことにしてあげます」

 先輩の有難いお言葉を噛み締め、再度飛行にチャレンジする。

 そう言えばリンネのやつ、羽根は飾りだって言ってたよな。本当は確か、この輪っかで飛んでいるとか。

 僕は試しに輪っかに意識を集中してみる。

「きゃっ、また浮きましたわ。… 今度はちゃんと飛んでくださいね」

「大丈夫、いけそうです。まさか本当に羽根じゃなくて輪っかで浮いていたなんて」

 そう、これは飛ぶというより、浮くといった方が正しい。恐らくこの輪っかの正体は、重力を操る装置か何かなんじゃないだろうか? つまり、羽根はその補助輪。この二つを合わせることで宙に浮き、飛ぶことを可能にしているのかもしれない。

「しっかり捕まってていてくださいね、先輩。それじゃ、れっつゴー」

 先輩を抱えたまま見事に空中を舞う僕。にわかには信じられない光景だ。

「こ、こわっ。自分で飛んでおいて何ですけど、これ怖いです。下見ちゃだめだ下見ちゃだめだ」

「わ、わたくし、超常現象の類はまるで信じていなかったのですけど、こうして目の当たりにしてしまった以上、考えを改める必要があるようですわね」

空中浮遊にも少しだけ慣れてきたその頃、眼の前に見知った病院が見えてきた。

「や、やった。何とかつきましたよ、先輩。病院です」

 霧霞総合病院。この町一番の大きな病院である。

 地面に降りると同時に、僕の輪っかと羽根はいつの間にか消えていた。全身から力の抜けた僕は、病院の玄関でへたれこむ。

 と、僕達の姿が見えたためか、病院の中から飛び出してくる人物が2人。五月雨先輩と小雨先輩だ。

「さみに、小雨。あなた達、どうしてここに?」

「さっき僕が連絡しておいたんです」

「なによー、嵐。実際に二人に伝えに行ったのはあたしなんだからねー」

 そう言って頬を膨らませるリンネ。

 あの状況下、もしものことも考え、僕はリンネに二人を呼ぶようお願いしていたのだ。

 すぐにケータイ番号を聞いておけばよかったわけだけど、僕にそんな手際のよさがあるわけもなく。結局リンネに頼んでいたのだ。

「大丈夫か春ねぇ。ごめんよ、完全にアタシらの責任だよな。ごめん、何でもするからさ、許してくれよ」

「ううええええん、春ちゃん。ウチ、こんなのもういやだよぉー。仲直りしようよぉー、ね? ね?」

 春雨先輩にすがりつき泣きじゃくる小雨先輩。

「… わたくしこそ、ごめんなさい。2人に迷惑を掛けてしまって。全てはわたくしの責任ですわ。この喧嘩だってそもそもわたくしが」

 僕はそんな春雨先輩の口に手を当て、口を塞いだ。

「春雨先輩。一先ずは、その怪我をなんとかしましょう。それに、喧嘩両成敗って言うでしょ? これでいいじゃないですか、ね?」

 春雨先輩は、一筋の涙を流しながら、大きく一度頷いた。

 あれだけの勢いで降っていた雨もいつの間にか止み、雲間から一筋の光が彼女達を照らしだしていた。

 僕はその光景に思わず見入ってしまう。何と言うか、凄く神秘的な光景。

 僕がアホ面下げてその光景を見つめていたその刹那、空から雨の代わりに珍妙なものが降ってきた。

 飴玉?

「うわっ、飴玉だ、雨の代わりに飴が降ってきたよ。とんだ親父ギャグだけど、これって、ファフロツキーズってやつか?」

「へぇ、よく知ってるね嵐。大正解。これが雨女の最終段階。間に合ってよかったー」

 ファフロツキーズ、つまり「何故降ってきたのか分からないもの」

例えばオタマジャクシが空から降ってきたり、魚がふってきたりってやつが有名。アニマルレインズなんて言葉もあるくらいだ。当然、飴玉が降ってきたなんてパターンは初めてに違いないだろうけど。

 もし、僕らが姉妹の喧嘩の仲裁に間に合わなかったら、雨女の伝承の力によって、一体なにが降っていたのか… 考えただけでぞっとする。

 やがて、三姉妹が泣き止み、治療のため病院に入っていくと同時に、その飴玉の雨も止んでいだ。

空には眩しいくらいの五月晴れが広がっていた。

 その空を見上げながら、リンネが言う。

「人間同士を喧嘩させることなんて、案外簡単な事なのかもねー。心にちょっとだけ疑心と違和感を与えてやればいいんだもん。ましてや、元々心の底に黒いものを抱えていたのなら尚更だよ。でも、そこから立ち直ることが出来るのもまた、人間の力なんだよねー」

「妹達への嫉妬心が、雨女の伝承の力によってしらずしらずのうちに不協和音へと変わっていったってわけか。それにしても、雨の中の先輩を抱えての進軍はやっぱりちょっと疲れたかな。一先ず帰ろっか、リンネ」

 気力も、体力もどちらも酷使した僕は、ぐったりしつつ帰路へとついた。

 リンネの話によると、突如として僕に生えたあの翼と輪っか、アレもやはり天使とラインを繋いだ事によるものだったらしい。

 つまり、リンネの天使としての力の一部を僕が引き出し使ったということらしい。

いきなりそんなことができるなんて凄いよ、なんて言われたものの、僕もかなり必死だったためか、一体どうやったのか良く覚えていない。

まぁ、ここは一つ結果オーライということで。


         ◆


 翌日。今日は土曜と言うことで学校は休み。

僕とリンネは小雨先輩の別荘、つまり例の公園へとやって来た。

 僕らの目の前には、五月雨先輩をモデルにして絵を書いている小雨先輩と、近くのベンチでその様子を見守る春雨先輩の姿があった。

 僕とリンネの姿に気がついた春雨先輩がこちらに歩いてくる。

「先輩、足は大丈夫なんですか? 結構深そうな傷でしたけど」

「ええ、痛みはまだ引きませんけど。この通り、日常生活に支障はありませんわ。花さん、リンネさん、昨日はありがとうございました。わたくし、自分のことばかり考えていたというのに、妹達はそんなわたくしをあんな風に心配してくれていて。わたくし、自分が恥ずかしかった」

「でも、それに気がつけたって事は、変われたって事ですよ、春雨先輩」

 そんな僕の臭いセリフに対し、やさしく頷いてくれる先輩。

「さーて、3姉妹。最後の仕上げをやるわよ」

 リンネの号令の下、公園のブランコにそれぞれ座る三姉妹。

「いい、三人とも、これから最後の仕上げをするわ。つまり、あなた達の中にいる雨女の伝承を祓うってこと。原因を取り除いた今、雨女は大分弱ってる。こうして雨も止んだわけだし、今が絶好のチャンスってわけ。ではでは、今から何がおきても絶対に目を開けちゃダメだよ。あたしと嵐を信じて、落ち着いてリラックスしてー」

「ええ」「ああ」「はぁーい」

 三者三様の答えが返ってきた後、互いの目を見合わせ、同時に目を瞑る三人。

 リンネの話によると、これからその件の伝承ってやつを取り除く作業に入るらしいけど、実際その作業を見るのも初めてなわけで。

 僕はどうしたらいいかわからず、リンネの行動を見守るしかなかった。

 そうする間に早速始まるその儀式。

 リンネが何かの呪文を唱えた後、一体どこから取り出したのか、金色に光り輝く大きな弓を取り出し、春雨先輩、五月雨先輩、小雨先輩の順番に云っていく。

 矢が見事にそれぞれに命中した後、三人の体から、黒いもやが出現する。あれが伝承? 雨女? 

 やがてそれぞれ三人分のもやが一つに重なり、巨大な大きなもやが出現した。

「リ、リンネ、これがそうなのか?」

「そう、これが負の力を持った伝承だよ。あたしの矢が命中してその本体が出てきたんだ。さ、嵐、ここからはあなたの出番だよ。手を、こう伸ばしてみて?」

 僕はリンネに言われるがまま、右手をぐっと伸ばす。

「イタッ」

 またもや、右の手のひらにチクリと刺激が走った後、何故か、光り輝く傘が僕の右手に出現した。

「さぁ、嵐、最後の大詰めだよ。ちゃちゃっとあいつにぶちかましちゃって」

 僕が、あれを? 

 ちょっと、ちょっと待ってくれ、そもそも何で傘なんだよ。仮にも天使の武器だろ、コレ。もっとこう、剣とか、槍とかさ。せめて僕にもリンネみたいな弓をプリーズ。というか、この水玉模様は誰の趣味なんだよ。

「おいおいおい、聞いてないぞリンネ。お前、体を張った戦闘なんてナンセンスだとか言ってたじゃないか」

「やだなぁ、嵐。別に戦闘するわけじゃないんだって、あの伝承にもう力なんて残ってないもん。そうね、いわば儀式の一つみたいなもの。いくら天使と言えど、伝承を払うのはテンタマ一人じゃ出来ないの。最後の大詰めはやっぱりパートナーであるあなたがやるんだよ、嵐。さ、覚悟は決まった?」

 儀式? 儀式だって? そもそもどこの世界に傘を使う儀式があるってんだよ。いや、ちょっと有りそうな気もするけどさ。

 僕は一度大きく深呼吸した後、気合を入れて傘を握りなおす。というか、傘をどうすりゃいいんだ? 相手が雨女だから、傘ってのは何となく分かるんだけどさ。実際どうすりゃいいんだ?

 僕がそんな事を考えていると、閉じたままだった傘がみるみるうちに変化し、傘型の剣へと変化した。

 つまり、これで切れってことらしい。というかだったら最初から普通に剣でもよかったのでは? とか思ってしまうわけで。

 ええええい。こうなりゃやけくそだ。

 僕はその傘剣、アンブレラソードを件の黒靄に突き立てる。

いい加減な天界の、いい加減な武器らしく、いい加減に切っても良い加減に命中するらしい。

 一際大きなな音を立て、空中で離散する黒い靄。それはさながら黒い花火のように、五月晴れの蒼く大きな空に凛と咲いていた。

 役目を終えたためか、同時にアンブレラソードも、音もたてず消えていった。どうやら、うまくいったらしい。

「お疲れさまー嵐。よかったー、うまくいったね」

 僕はほっと肩をなでおろし、思わずその場に座り込む。すると、ぐったりとうなだれている三姉妹が目に入った。僕は慌てて彼女達に近寄る。

「先輩、先輩、大丈夫ですかー。先輩達にとり付いていた雨女の伝承ってやつは僕らがぶっ飛ばしましたよ。もう大丈夫ですから」

 三人ほぼ同時に目を覚まし始める。

良かった、どうやら三人とも無事らしい。

 春雨先輩が答える。

「これで、本当に終わったのね。今でも嘘みたいな話だけれど、何だか心の奥底がすっとした感じがしますわ」

「そうだねぇー」

「なぁ、自称天使。お前さ、アタシらの記憶とか、やっぱり消したりすんのか?」

 記憶を消す? そうか、彼女らの伝承は取り払われたとはいえ、天使が見えるという効果は続いている。それに、天使に関わったなんて記憶は、平穏な日常生活を送る上で何らかの妨げになる可能性が無くは無いわけで。

「ダメダメ、消さないわ。例え、消してくれと頼まれても消してあーげない」

 だが、リンネからは意外な回答が返ってきた。

「逆に、あなた達にはこれから一生、自分達が伝承に取り憑かれたという記憶、天使と出合ったという記憶を心に刻んでもらうわ。それが対価の一つでもある。そうするれば、これから先また伝承にとり憑かれるなんてこととにはならないでしょ? それに、折角こうして出会ったのに記憶を消して全て無かったことにしちゃうなんて、寂しいでしょ?」

 出た。リンネの天使スマイル。

相変わらずいい笑顔、思わず拝みたくなる。ありがたやー。

「そうか、ならいい」

 微笑みを浮かべる五月雨先輩。どうやら先輩は記憶を消して欲しかったわけではないらしい。

 リンネはそんな彼女達を見ながら、満足そうに呟く。

「見てよ嵐。あたし達が救ったんだよ? 彼女たちの満点の笑顔を」

 そう言って、ほっと可愛らしい溜息をつく天使。

 

 果たして僕は、この先何度「天使の溜息」を聞くことになるのだろう?  

 とはいえ、あんな笑顔が見られるのなら、それも悪くは無いのかもしれない。

 そんな気分に浸りつつ、こうして僕と天使の初試練は幕を閉じたのだった。


END

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