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天使の溜息、108っ!  作者: 汐多硫黄
番外編「朔望の天使ルナ」
14/14

蛇足輪「花と嵐と美女な野獣◆-大江神尾の場合-」

蛇足輪 「花と嵐と美女な野獣◆-大江神尾の場合-」


 周囲の木々も紅色に染まり、街の様子も、天候も、人々の生活もおよそ秋、と呼ぶにふさわしい季節となった10月上旬。

 天使との、実に彼女らしい慌ただしくもあっさりとした、そして前向きなあの別れから数日。

 つまり、僕と月美ちゃんこと、天使ルナとの奇妙な共同生活が始まって数日。

 表向きには、1翼の天使が僕のもとを去り、新たな天使が僕のもとへやってきた、ただそれだけのこと。プラマイゼロ。

 そのはずなのに、かつての僕の幼馴染な天使との共同生活に、たったそれだけのことに、僕は思いのほか苦戦していた。

 天使なら×××との生活で慣れていたはずなのに。幼馴染なら月美ちゃんで慣れていたはずなのに。

 その二つが合わさった途端、僕の前に強大な壁となって立ちふさがっていた。具体的に言えば…


          ◆


 僕は目覚めが悪い。


 眠りが深い分、ちょっとやそっと周りで騒がれても全く動じずに眠り続ける自信がある。

 それは一見長所であるように見えると同時に、目覚ましの2つや3つくらいでは到底起きれないという致命的な欠陥にもなりえていた。

 僕が、毎朝毎朝妹のヒップドロップをこの身に刻んでいるのはそのため。

 つまりは、何も僕がただのロリコンのドM野郎というためではなかったのである。

 だがそれも過去の話。最近では「ある事」のおかげで、ダンゴの凶器ともいうべき御尻に頼ることなく朝を迎える日々が続いていた。

 … 最も、こちらもダンゴ同様、爽やかな目覚めとは到底呼べる代物ではなかったのだが。


「ふーーっ」


 僕は、耳元に突如として吹き抜けた南極の風が如く凍える息吹を身に受け、全身の毛を逆なで、奇声をあげた後、目を覚ました。

 それは一言でいえば、最悪の目覚めだった。

 ここ最近の僕の悩みの種。こんなことをする相手は、一人しかいない。

 僕は目の前の相手を視認し、確認する前にその言葉を放っていた。

「つ、つ、月美ちゃん! 今度は何? 何なのさ!」

「うん。おはよう、嵐」

 そう言って怒り顔の僕に対して、にっこりと微笑む月美ちゃん。

 … そんな顔されちゃ、どんな風に怒っていいのかわからなくなる。

 僕はくしゃくしゃと髪をかきあげた後、あたりを見回してゆっくりと言った。

「おはよう、月美ちゃん。ちなみに今日は、どんな方法で?」

「うん。耳元に、息、吹きかけてみた」

 天使の吐息。何だか映画のタイトルにでもなりそうな、そんなワードが僕の頭をよぎった。

 だが、この場合映画のタイトルじゃなければドラマのタイトルでもない、言葉そのままの意味だ。

 僕はある決心をして、じっと月美ちゃんを見据えた。

「成程。それで、だ。月美ちゃん、毎朝こうやって僕を起こしてくれるのは本当にうれしいし、実際助かってるんだ」

 僕がそう言うと、えっへんと言わんばかりに胸を張り嬉しそうに顔を綻ばせた。

 そんな風にいい顔されると、言いにくい。非常に言いにくい。

 が、ここで屈するわけにはいかない。僕の理性と堪忍袋と良心と、目の前のお茶目な天使のために。

「いや、うん。でもね、なんて言えばいいか… もう少し、普通に起こしてくれると嬉しいんだけどなー、なんて」

 僕はその言葉尻を濁し、言い澱んだ。最後のほうはまともに聞こえていないに違いない。

「ごめん、嵐。私、嵐に、迷惑かけてたんだね? 嵐に、不快な思いを、させてたんだね… 私、私」

 目の前の少女は、その目を潤ませ上目づかいで僕を見つめていた。

 その光景に、僕の意気込みは早くもへし折れていた。

「だぁーーーつ、ごめん、悪くない。月美ちゃんは、ぜんんんぜん悪くない。ごめん、むしろ僕がごめん。月美ちゃんが好意でしてくれていることに対して僕は、何という言い草をしてしまったのか」

「じゃぁ、これからも、嵐を起こしても、いいの?」

「いいです。むしろ起こしてください。月美ちゃんの好きなように起こしてやってくださいです、はい」

 僕の必死の弁解を聞き、再び笑顔を取り戻してくれた月美ちゃん。

「嬉しい。でも、ね? なかなか起きてくれない、嵐も、悪いと思うの」

 … 返す言葉もございません。

 耳元に吐息、背中に手を入れる、くすぐり、耳をアマガミ。この先僕は、一体どんなスピリチュアル攻撃、否、起こされ方をするのか?

 というか月美ちゃんってこんに茶目っ気に溢れる性格だったろうか? これが本当の性格? それとも天使ってやつは皆こんな感じなのか?

 というか、このままじゃ僕、どうなっても知らんぞーーーーー(勿論、性的な意ry)。

 

 僕は、そんなことを天使に祈るのだった。


          ◆


「ところで、月美ちゃん」

 土曜の朝、いつもの慌ただしさはどこ吹く風。

 … まぁ、起床時に少々の喧噪はあったものの、僕は休日の平穏さを堪能するかのように、ゆっくりまったりとコーヒーを啜りつつ、土曜朝特有の気の抜けるようなテレビ番組を視聴しながら、傍らにいる月美ちゃんに訪ねた。

「月美ちゃんの場合も、×××と同じく試練をこなしていくってことでいいの?」

 もともと月美ちゃんは×××の代わり、つまりはピンチヒッターとしてやってきた。だとすらならば、×××の時同様試練ってやつが待ち受けているのは必然なわけで。

 が、月美ちゃんの返答は僕のそんな予想の斜め上をいくものだった。

「うーん? 分らない」

 分らない?

「私がここに居る理由は、幾つかある」

「ああ、月美ちゃんがあの鉄板を通じてやってきたときに確かに聞いたね。一つは、僕の天使病の解決のため、そしてもう一つが、君のリハビリでしょ?」

 天使病の解決。ズバリ、天使病に特効薬はない。

 解決するには、前任である天使×××自身の力の制御と、僕の意味不明な迷惑極まりない謎の才能の制御が必要。

 だが、気がかりなのは、その方法である。

 そんなきな臭い才能を、どうやら僕は持て余してしまっているのが現状らしい。かといって、月美ちゃんは特に何かをしてくれているようには見えなかった。

「うん。いぐざくとりー。でもね嵐、焦っちゃダメ。嵐の歪な才能の矯正は、実はもう始まってる」

「え? 何々? 僕、何かした覚えは全然ないんだけど」

「んーん。嵐はしたよ? 私と、契約を、した。一人の人間が、二人の天使と契約することは、普通、有り得ない」

 そう言われてしまうと、ああそうなのかと納得するしかないんだけど、本当に僕はただ契約しただけ。

 それだけで本当に何とかなるものだろうか?

「実は、それで普通に生活するだけでも、矯正にはなってると思う… たぶん。後は、おいおいやってくから、大丈夫」

 不安だ。ものすごく不安で仕方がない。とはいえ、最初から胡散臭い話なわけで、今は月美ちゃんを信じ抜くしかない。

 となると、残る問題はもう一方。

「それじゃ、月美ちゃんのリハビリの件は? 確か、テンタマ試験に復帰するための最終テストを兼ねてるんでしょ? 具体的には何するの?」

「うん。実践。つまり… だいたい、本番と同じこと」

「それってつまり、僕と彼女が今までやってきたこと?」

「いぐざくとりー」

 やっぱり、僕の目の前にはそう易々と平穏は訪れてはくれないらしい。

 確かに、かつての力を取り戻すには実践あるのみ。実に理にかなった話だとは思う。

 とは言うものの、彼女の時同様、いつ上からその勅命が下るかは分らないらしい。だとするならば、結局、僕がとるべき行動はあの天使のときと、ほぼ一緒だった。


「兄さん、ちょっといいですか?」

 僕がそんな感慨にふけっていると、部屋の外から有須の声が聞こえてきた。

「有須か? どーぞ」

「失礼します。今日は御休みなのに珍しく早いんですね? 兄さん。… それと、お早うございます。ルナさん」

 一緒に暮らしているので当然と言えば当然だけど、有須とダンゴには天使×××が一旦天界へ帰った事と、月美ちゃんことルナが代わりにやって来た事は簡単に説明してある。

 とは言うものの、有須もダンゴも彼女の人間の時の記憶、つまり十五夜月美としての彼女の記憶は一切が消えている状態。

 面白いのが、その時の二人のリアクションだった。ほぼ真逆。それが二人の反応を見た僕の正直な感想である。

 まず、ダンゴに至っては、興味しんしんといった風であれやこれやと根掘り葉掘りルナに聞き出し、質問攻めにしていた。ある意味、小学生らしい真っ当な反応である。

 一方有須は… 何故かは分からないけど、何とも言えない硬直した表情をしていた。それが何を意味しているのか僕にはさっぱりなものの、一方で何故か納得もしていた。

 実のところ、かつて月美ちゃんと有須は、それほど仲が良いとは言えない間柄だったのだ。

 僕と幼馴染と言う事は、当然有須と月美ちゃんも幼馴染。僕らが小学生のころは、まるで本物の姉と妹のようだった二人。が、ある一定時期を超えたとき、何故か二人の距離はそれとなく開いて行った。今となっては何が原因だったのか? 僕には見当もつかない。きっと、女性には女性の漢には想像もつかないような何かがあるんだろうなーと、納得していた当時の僕。

 が、ここ数日の二人を見ていると、どうしてもその当時の思いを想起せずにはいられなかった。

 記憶があろうとなかろうと、二人の間にある不思議な謎の壁は未だ健在のようだった。

 僕は、なるべくその事に触れないように、気にしないようにしつつ、有須に尋ねた。

「んで、どうしたんだ有須? もしかして配達?」

「ええ。父さんがその配達にこれから行くのですが、今回はちょっと遠出だそうで、その間の店番を兄さんにお願いできないかと思いまして」

 そーいや、昨日親父がそんな話をしていたような気がする。それに加えて、有須の奴、今日は確か用事があるとか言ってたな。

 ダンゴはいつものように、朝一番で出かけて行ったし。

 つまるところ、唯一の暇人な僕のところにお役が回って来たわけだった。

 正直言って、僕は我が家の家業があまり好きではない。むしろ嫌いと言っても過言では無かった。が、有須からの頼みとあらば断ることも出来るはずもなく。

「分かった。確か有須も予定があるんだろ? 家の事は僕に任せて、心配せずに行って来いって」

 結局のところ、僕は二つ返事で了承していた。


          ◆


「何だか、久しぶり、かも」

 花屋のエプロンを装着し、辛気臭い顔で店先に立つ僕とは対照的に、ちょっとだけテンションの高い月美ちゃんがそう言った。

「久し振りって何が?」

「うん。嵐の、エプロン姿」

「そうかな」

 昔、月美ちゃんに店番を手伝ってもらったこともあった。

 有須が店番をしてくれるようになってから、その頻度は極端に減ったとはいえ、僕と二人、この花屋の店頭に並んで立っていた時期も確かにあった。

 そんなことを思い出し、一抹の懐かしさを感じるとともに、それはもう二度と有る筈もない幻想なのだと思い到る。

 僕は何と無く気まずくなって、視線を通りに移した。

 と、通りを挟んで道の反対側からこちらを、我が家をじっと見つめる女性が一人。

 大学生くらいだろうか? 少なくとも、僕よりずっと大人びて見えたので、同年代ということはないはず。それに、明らかに僕より背が高いのも見て取れた。モデル体型ってのはきっとああいう人のことを言うんだろうな。

 そう思った瞬間、その女性と思わず目が合ってしまった。

 … まずい。幾らなんでも露骨にジロジロ見すぎたかもしれない。これじゃ、イタルのこと馬鹿に出来ない。

 が、時既にに遅し。

 女性はつかつかと店の前まで一直線で歩いてくると、店の前でぴたりと止まった。

「い、いらっしゃい」

 全身から嫌な汗が出るのを感じながら、僕は多少上ずった声で客を出迎えた。

「ふむ。花屋か。この街はもはや知り尽くしたと思っていたが、こんなところに花屋があったとは」

 そう言うと、女性客は店内をくるくると興味深げに物色していく。どうやら、僕がじろじろと見ていたことに対して文句を言いに来たとか、その類のトラブルとは無縁の、単純にただの花屋に花を買いにきた善良なる一般客なようだ。

 ああ杞憂か。そりゃそうか。

 冷静に考えてみれば、ただ目があっただけで文句を言いに来るなんて、そんなどこかの暴力集団やヤのつく自由業の方じゃあるまいし、幾らなんでもあり得ない話だった。

 いや、むしろ目が合ったってこと自体も僕の勘違いだったのでは?

「… ところで、少年。君はここの店の関係者か? バイト君か?」

 その女性の一言で、話は再びキナ臭い方向へ流れて行った。

 月美ちゃんが反応を示さないところをみると、どうやら伝承の類にに取り憑かれているとうわけでもなさそうだし、僕の目から見てもどう見ても一般人。むしろちょっと美人なくらい。不審なところは別段ない、はず。

 それでも僕は、慎重に言葉を選びつつ答えた。

「ええ、バイトではありませんが確かにこの店の関係者です」

「ほう。なかなか含みのある言い方だな? そうか、分かったぞ? … つまりは、ここの店主の別れた女房の再婚相手の連れ子の友達の弟だな!」

 訂正しよう、この人… 変人だ。なぜだ、なぜ僕が店番をする今日に限ってこの手の客が来る? 親父、カムバーック。

「いや、ただの息子ですからね? 極々普通に」

 僕はツッコミを入れる気にもなれず、ただ事実だけを述べた。

「なっはっは。これは一本取られた。そーか、ただの息子か。なっはっは」

 顔に似合わず豪快な笑い方をする女性。何となく、親父と気が合いそうだなと思った。

 僕は愛想笑いを浮かべ、何となく視線をそらした。僕の中の何かが、この人には関わるなと全力で訴えているような気がしたからだ。

「は、ははは」

「時に少年、ここで会ったも何かの縁。折角なので何か花を買って帰ろうかと思うのだが、どうだろう? 何かお勧めはあるのかな?」

 花屋の店員をやっているものにとっては、避けては通れないこの質問。これは客から店員への挑戦なのである。

 最初の言動から察するに、ようするにこのお客さんは僕を試しているのである。僕の力量を図るつもりなのである。

 そして、僕も曲がりなりにも一応は花屋の店員。ここでミスをするわけにはいかない。親父の看板に泥を塗るわけにはいかないのだ。母さんの夢だったこの店を貶めるわけにはいかないのだ。

 僕は冷静を装いながらも、内心パニック寸前だった。全身の毛穴から嫌な汗が出てくる。

 はっはっは。冷静になれ、僕。今は10月。単純に言えば、旬の花がお勧めということになる。つまり、秋の花である。

 キンモクセイ、ムラサキシキブ、シロシキブ。無難にこのあたりを勧めるべきか?

 …  いや、待てよ、待て。相手は妙齢の女性だぞ? 季節の花の一つや二つ、当然知っているに違いない。知らないわけがない。

 と、いうことはだ。私に見合う花をどれなのよ? ということを問うているのではないか? あなたのセンスを見せてみろ、そういうわけか。

 成程。危ない危ない、危うく騙されるところだった。流石は曲者、一筋縄ではいかないわけだ。相手に見合った花を選ぶ場合、まずその相手をじいいいいいっと観察するところから始まる。

 年齢は、僕より年上、おそらく大学生くらい。髪型はショートカット。服装はラフ。どことなくボーイッシュな感じのする人。

 身近な人で例えると、雨守五月雨先輩に雰囲気が似ている。そして先ほどの、物おじしない喋り方は。

 ふっふっふ、こういう一見女性らしくない人に限って、やたら可愛いものが趣味だったりする。間違ってもバラの一輪ざしなどではない筈。

 よし、ここは一つ…。

「おい、おーい、大丈夫か少年?」

 気がつけば、僕は彼女の目の前でじっと彼女の方を見たまま立ち尽くしていた。

 しまった、我を忘れて凝視しすぎた。自分の世界に入り込みすぎた。

 そんな僕が心配になったらしく、いや、不審に思ったらしく、彼女は逆に僕の顔をじっと覗き込んでいた。

「あ、あ、あの、ですね」

「ふむ? それで、少年の回答は?」

 僕の頭は、それまでの思考は、悲しいかな一瞬にして霧散していた。

「… キンモクセイなんていかがでしょう、か。一応、今が旬の花なんですけど」

 結局、何の策略もない至極単純に旬の花、しかも僕の目の前にあったキンモクセイを勧めてしまった。

「ほぅ、キンモクセイか。うむ、いいな。頂こう」

「え? いいんですか? 本当に?」

 こうして僕と彼女の勝負は、あっさりと幕を閉じた。何だかんだで僕のセンスも捨てたもんじゃないってことか?

「何だ、意外か? なっはっは。見た目通り、私は女性らしさってやつがどこか抜けていてね。ファッションセンスもなければ、季節の花の一つも知らないんだな、これが。それにな、花は嫌いなんだ実は」

 えええええええ。僕の予想、大外れ。は、恥ずかしい。さっきまでの僕を殴ってやりたい。穴があったら入りたい。むしろ埋めてほしい。

 というか花が嫌い? 嫌いなら花屋になんてくるか? 普通。

 などとはおくびにも出さず、淡々と作業をこなしていく僕。

 流石に何度も手伝わされているだけあって、この当たりの作業は慣れたものだった。

「おまたせしました、っと」

「うむ、いい香りだ。悪くない。流石は二代目だな」

 いや、二代目じゃないです。むしろ継ぐつもりもないです。… 少なくとも今のところは。

 が、それよりなにより、僕は目の前の花を携えたお客さんに目を奪われていた。やはり、女性には花。絵になるのは必然か。

 花が嫌いなんて勿体ない。

「やっぱり、似合う。似合いますよ、おねーさん」

 お世辞じゃない。僕の本心だった。と言っても思った事をそのまま口にしただけだけど。

「ふっ、そうか? 世話になったな、少年。なかなかに楽しかったぞ。では、またな」

「いえいえ。ありがとうございました」

 … また? またって今言った?

 確かに強烈なお客さんだったものの、僕は1日を終えるころにはこんな出来事事態、すっかり忘れ去っていたのだった。


          ◆


 それから数日後、伝承ってやつは忘れたころにやってくるもの、らしい。

 その日は何故かお客さんの入りがよく、その上有須が学校の用事で帰りが遅くなるということで、僕が再びピンチヒッターとして店番を手伝っていた。

「がっはっは。繁盛繁盛。たまにはこういう日がないとな」

 そう言いながら、仁王立ちで豪快に笑う親父。

 そう、こんな親父のこんな店でも、何の巡り合わせか、はたまた神様の悪戯か。月に何度かこういう日があった。

「確かにね。こんな変態親父の経営する花屋なのに。不思議なこともあるもんだ」

「がっはっは。そりゃどうみてもワシの仁徳だろ。それに」

「それに?」

 親父がそう言いかけた時、僕らの目の前には一人の女性客。そう、例のあのお客さんだ。

「おお。美しいお嬢さん、いらっしゃい。何かお探しですかな?」

 早速飛びつく親父。うむむ、嫌な予感しかしない。

「いや、別段。というか、私は花が嫌いだ」

「がっはっは。こりゃ一本取られた。それじゃお嬢さん、今日はどういった趣ですかな?」

 流石は親父。動じてない。むしろ何故か喜んでる。そうだ、親父なら、親父ならきっと何とかしてくれる。これは僕の出る幕じゃないな。

「何、近くを通ったんだが、気がついたら何故かここに足が向いていてな。柄にもなく、またここにやってきてしまったらしい。というわけで、また会ったな少年」

 そう言ってにやりと視線を僕に投げかけるおねーさん。

「おっ、なんだなんだ嵐。お前の知り合いか? がっはっは。なかなか隅におけん奴だなー。ああ、もしかして」

 親父が小指を立てようとした瞬間、僕は慌てて親父を蹴り飛ばし接客を買って出た。

「あっはっは。いやどうも、おねーさん。また来ていただいてありがとうございます。ほら、親父なんて年甲斐もなくあんなにはしゃいじゃって」

「いや、私の眼にはものすごい勢いで少年が蹴り飛ばしたように見えたんだが… うむ、気のせいだな」

「もちろん気のせいです。というか、お客さん、花嫌いだーなんて言ってましたけど、本当は好きだったりして。こうして2回も来てくれたし」

「… さぁ? 実際、私自身もよくわからないんだが、まぁ、こうやって寄らせてもらった以上は、手ぶらで帰るつもりはないから安心し給え」

 一瞬の間が多少気になったものの、僕は再び彼女に対してオススメの花を紹介するのだった。

 何だかんだでまじめに花屋の店員をする僕。ああ腑に落ちない。

 清算を終え、彼女に花束を渡した瞬間、ふと彼女の指先に視線が止まった。

 僕の気のせいだろうか? 爪が長い。妙に長い。これってネイルアートってやつか? それにしては違和感。特に着色があるわけでも、形が整えられているわけでもなく、どちらかといえば、獣の指先のような、そんな感じだった。

「どうかしたか? 少年」

 じっと指先を凝視したままの僕の顔をぬっと覗き込まれる。いかん、僕としたことがまたしても露骨すぎたか?

「いえいえいえ。ナンデモナイデスヨ?」

「そうか? ふむ、だがこうして2回君のもとで花を買った。いつまでもお客さんなどと呼んでいてはツマランと思わんか? ちなみにな、私の名は大江神尾というんだ、少年」

「これはご丁寧に。僕は花嵐といいます」

「花屋だけに?」

「ええまぁ。花屋だけに、です」

「なっはっは。しかし、花嵐か。いい名だな。むしろ出来すぎだ」

 出来すぎ? ああそりゃ花なんて名字で花屋やってりゃ出来すぎかもしれないよ。僕にとっては言われ慣れたワード。

「私のことは姉さんでも、ねーちゃんでも、姉貴でも好きに呼んでいいぞ」

「姉縛り! 何で姉限定なんですか!」

「くははは、なかなか良い突っ込みっぷりじゃないか。何故ってそりゃ私の趣味だ。性癖だ」

「オープンすぎでしょ! 大江さん… 大江のねーさんってとこで勘弁してください」

 疲れた。何かすごく疲れた。

「ふむ。修行が足りんな、少年。ま、今のところはそれで妥協しよう。今のところはな」

 最終的には何て言わせたいんですか! なんて、とてもじゃないが怖くて聞けなかった。

「ではまたな、嵐少年。おそらくだが、また近いうちに厄介になると思うぞ」

 … やっぱり彼女、花、好きなんじゃないだろうか?

 そんな大江さんの後姿をじっと見守る月美ちゃん。

「月美ちゃん、どうかした?」

「あの人、ちょっと、気になる。たぶんだけど」

 僕と月美ちゃんとの最初の試練が、今、始まろうとしていた。


          

          ◆


 翌日。

 僕は率先して自ら店番を買って出ていた。にやける親父、心底驚いた表情の有須、そもそも聞いちゃいないダンゴ。三者三様の反応。

 とにもかくにも、僕は店番を志願したのだった。


「確かに変わった人ではあったけど、やっぱり伝承絡みなんだね? 月美ちゃん」

「うん。私の、カンが、そう囁いてる。だから、必ずまた、ここに来る」

 月美ちゃんが天使として戻ってきてから初の試練。

「カンね。っていうかやっぱりまた来るんだ?」

「来る。私が、ここにいるから。ここに、来る」

「成程ね… え?」

「?」

「月美ちゃんがここに居るから?」

「うん。そう。私が、居るから。それが、私の、天使としての、属性」

「属性? よく分かんないけど、つまり月美ちゃんと×××とでは天使としてのタイプが違うってこと?」

「そう。先代の×××は、センサーで伝承を見つける。私は、伝承を、惹きつける、呼び寄せる、の」

「静と動だね。何となくわかる気がするけど」

「うん。だから、また来る。その時、はっきりする、と思う」

 こうして僕は、大江さんが三度我が家に訪れるタイミングを、今や遅しと待ち構えるに至るのであった。


 天気は雨。雨脚は強くは無いものの、暫くは止みそうもない。

 こんな日は、お客さんの入りも少ないもの。

 僕はイスに座り、ぼーっと降り続く雨を眺めていた。時折、傘をさした通行人が通りかかるものの、大江さんらしき人物はいまだ姿を現さない。

 大江さんどころか、普通のお客さん事態、今日はまだ数えるほどしか来店していない。開店休業状態。

 雨は降り続く。

 僕は、頬杖をついて視線を通りの反対側に移した。 

 が、その瞬間、雨の中でよく映える黄色の花柄の傘を差した人物が一人。

 その人物は道路を横切り、迷うことなく一直線にこちらへと向かってくる。傘で顔が隠れているものの、間違いない、大江さんだ。

 来た。やっぱり来た。いや、違うか。きっと月美ちゃんに惹きつけられたんだろう。それはつまり、彼女が取り憑かれているという確固たる証明なわけで。

 雨は先ほどより激しさを増している。

 僕は月美ちゃんに向かい一度だけ頷きかけた後、椅子から立ち上がり店先へと向かった。

「こんにちは、大江のねーさん。足もとの悪い中、わざわざありがとうございます」

 花柄傘にレインコート、そして、何故か革の手袋と帽子という井手達の大江ねーさん。

 僕は彼女に近寄り準備していたタオルを手渡した。

「おぉ、嵐少年。少年自ら出迎えてくれるとは恐悦至極だ。ふっ、まるで今日私がここに来るのが分かっていたようじゃないか、なぁ、少年」

「ははは、偶然たまたま気のせいです。ええ、どう見ても気のせいですよ大江のねーさん」

「そうか? まぁ、私も気がついたらここに足が向いていたからな。こんな雨の日にも関わらず、な」

 大江のねーさんがそう答えたその時、どこからともかくぬぅーっと月美ちゃんが現れ、そっと彼女にくちづけを施した。

 保魔者に対して天使の姿を認識させる術。天使のキッス。天使としてのタイプが違うとはいえ、どうやらこの行為に違いはないらしい。

 というか、月美ちゃん、今、僕のいつものテンプレ説明なしでキスしたよね? リンネのときはいつも、決まって言わされたあのセリフ無しでやったよね?

 これもタイプの違いなのか? 僕は若干戸惑いつつも、一応通過儀礼として例のセリフを吐きだした。

「大江のねーさん、突然ですけど僕の隣に何がいるか見えますか?」

「隣? 何を言う、少年は一人寂しく店番をやっていたじゃないか… ってうぉおおお」

 うぉおおって。可笑しいよね。妙齢の女性の口から出るセリフじゃないよね、どう考えても。

「ねーさん、信じられないかもしれないですけど、この子、天使なんですよ。名前はルナ」

 僕の説明と同時にぺこりと頭を下げる月美ちゃん。

 どうやら、リンネと違いこの当たりの説明は僕に一任してくれるらしい。それはそれでプレッシャー。

「ふむ。確かに天使と呼んでも遜色がない位可愛いかもしれないが、やはり言い過ぎではないか? ノロケか?」

 大江ねーさんの一言に対して、ぽっとその白い肌を赤く染める月美ちゃん。

「ちっがあああああああう。違くないかもしれないけど違うんですよ。ってかよく見て、見てくださいよこの羽根とか、輪っかとか、ね? ね?」

「コスプレ? 彼女にそういう格好をさせるのはやはり少年の趣味なのか? ふむ、実に興味深い」

 さらに赤くなる月美ちゃん。うつむいてもじもじし始めた。

「だらっしゃああああああああ。か、か、彼女、じゃねえええええええ。いやいや本当はちょっと嬉しかったりするんですけど、そうじゃねーーーー。それならほら、足元見てくださいよ、足元。ね? 浮いてるでしょ? コスプレじゃこんなマネ出来ないでしょ?」

「成程、愛の力か」

「あqwせdftgyふじこlp;@:」

 月美ちゃんの頭からは明らかに白い煙が立ち昇っていた。天使って凄いね!

 と、冗談はここまでにするとしても、さてどうしよう? 完全にはぐらかされている。これは僕の勘だけど、理解していないというより分かって言ってる気がしてならないのだ。目の前に天使が現れても驚かないような状況。つまり、自分の身にそれ以上のことが起きたということ。

「分かりました。大江のねーさん、さっきから気になってたんですが… その帽子、取ってみてくれませんか?」

「おぉ、コレか? どうだ、似合うだろ?」

 似合っている。確かに似合ってはいるが。

 自分には女らしさやファッションセンスが無いと言っていた人物が急にこんな可愛らしい帽子をかぶってきたりするだろうか?

 自分の言動を覆したとしても隠さなければならないもの。

「大江のねーさん。その帽子の下、何か隠してたりしてませんよね?」

「少年、何を言うかと思えば。少年はこの帽子の下に一体何があると思う? 角か? 輪っかか?」

「それは…」

「あなたは、伝承に取り憑かれている、の」

 僕が答える代りに、月美ちゃんがゆっくりと、だが凛とした声で答えた。

「伝承? 少年、どんな人間にも、天使的な側面も悪魔的な側面もある。そうは思わないか?」

「いや、そうなんですけど、そうじゃないんです」

 一体どこまでが本気なのか? やはりどこまでもしらを切り通す大江ねーさん。

 このままでは拉致が明かない。と、その時月美ちゃんが核心を突く一言を放った。

「あなたは、狼?」

「分かるのか? 月美ちゃん」

「うん。たぶん、だけど。狼男。ううん、彼女の場合は、狼女、ね」

 半人半獣。狼、ダンゴの鬼同様、暴力的なイメージしか浮かばない。

 具体的にはそれはもうボッコボコにされるイメージ。もちろん、僕が。

 月美ちゃんの発言に対して、感慨深げにひとしきり頷いた後、大江ねーさんはその口を開いた。一瞬だけ鋭い奥歯が見えたような、そんな気がした。

「狼。確かに、私という人間を有体にいえばそうかもしれない。的を得ているよ… ふむ、何だか興がそがれたな。今日のところは手ぶらで帰るとするよ、少年。また来るかどうかは、確約しかねるがな」

「待ってください、ねーさん。大江ねーさんってば」

 僕の呼びかけも虚しく、大江のねーさん再び傘を開いたと思うとあっという間に消えてしまった。

「ごめん、月美ちゃん。僕がうまく説得できなかったせいで…」

 月美ちゃんは黙って首を左右に振る。

「違う。今回は、その時じゃ無かった、だけ、だよ。必ず、また来る」

「そうだよね。でも狼ね。爪、歯、帽子の下には耳ってとこかな。これって狼に近づいてるってこと?」

「狼女、だからね。おそらく、満月までが限度。チャンスは後、多くて2回ってとこ」

「成程。納得だ」

 いずれにしろ、僕の最初の説得は尽く失敗に終わった。

 大江ねーさんの素性が分からない以上、ねーさんが再びこの花屋へとやってくるのを待つしかない。

 それでも、そのチャンスさえ多くてあと2回が限度だと、月美ちゃんは言う。満月が限度だと彼女は言う。

 満月まであと数日。実際のところ1週間も残っていない。おそらく、次に彼女が現れるときには尻尾が生えていても可笑しくはない。

 いや、今日までの進行具合から考えても間違いなくそうなっているはず。およそ、狼の特徴ともいうべきパーツは出そろってきている。

 どう考えても、残り時間は少ないと言える。

 それでも僕に出来ることはじりじりとした焦りと緊張を抱えながらも次の機会をただただ待つだけだった。


          ◆


「お、大江の姉さん… とうとう、とうとう狼になっちゃったんですね?」

 僕は暗闇の中で一人たたずむ大江のねーさんの後姿に話しかけていた。

 その後ろ姿は、もはや人間の姿とは言い難く、その姿かたちは完全に狼のソレと一致していた。

「ああ、そのようだ。何、君が心を痛める必要はない。私がこうなったのも自業自得… それはそうと少年。君は童話の赤頭巾を知っているか?」

「ええ、勿論知ってます。小さい頃、母さんに読んでもらったことがあります」

 僕の言葉を聞き、大江のねーさんは笑った。いや、笑ったような気がした。僕は先ほどから彼女の後姿に話しかけているので正確なところはわからない。

 でも、何となくそんな感じがした。

「赤頭巾に出てくる狼は最後どうなった?」

 狼の最後? 確か。

「赤頭巾を飲み込んだ後、猟師に腹を裂かれ、代わりに石を詰め込まれた、とかですよね? 確か」

「正解だ」

 彼女はそう答えると同時に僕をその場で押し倒し、上へと圧し掛かってきた。

「丁度、こんな風にな!」

 僕は重みに耐えかね叫び声を上げながらも目の前の大江ねーさんもとい、1匹の狼に見入った。

 ねーさんの変わり果てた姿はもとより、その腹部は、大きく引き裂かれ血を垂れ流しながらも、大量の石が詰め込まれていた。

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


          ◆


 僕は、大粒の汗を全身から流しながら目を開けた。

 僕の目の前には一人の天使。僕は、天使と目が合った。

「嵐、おはよう。朝、だよ?」

 僕は、自分の現状が理解できずただひたすらに目の前の月美ちゃんと見つめあう。

 何故か僕のベッド、もとい寝ている僕の上に乗りじっと正座しこちらの顔を見つめる月美ちゃん。

 そんな珍妙な時間が数刻過ぎたのち、僕のまだ半覚せい状態の頭はやっと理解した。あ… 夢か、と。

 どうやら、月美ちゃんにのしかかられていたおかげであんな悪夢を見てしまったらしい。

 が、ただの夢と切り捨てられないのはあの夢が現実になりえるという事態があるからだ。

 そう。何とかして大江のねーさんを救わなければならない。狼になぞしてなるものか。

「おはよう、月美ちゃん。うん、まずはありがとう。今日も僕を起こしてくれたんだね?」

「うん。起こした」

 得意顔でそう言う月美ちゃん。正直、この前の時と言い、そんないい顔で言われると怒る気も失せてしまう。

 起こし方はともかくとして、行為自体は彼女の善意そのものなのだ。むしろ全てを許そう。

 僕は気を取り直して近くのカレンダーに目をやった。たぶん、今日必ず大江のねーさんはやってくるだろう。

 タイムリミット。今日は、満月だった。

「ところで、月美ちゃん。そろそろ降りてくれない?」

「…」


 この日、親父が配達を終えるまでの間、僕はまたもや店番を志願した。もちろん、大江ねーさんと会うためだ。

 あいにくの曇り空。いまにも雨が降ってきそう。こういう日はお客さんの入りは少ない。はたして、ねーさんは来るだろうか?

 が、僕のそんな心配をよそに、僕が店番として店先に出た瞬間、目の前には大江のねーさんの姿があった。

 正夢とはいかなかったまでも、その姿は確実にまた一歩本物の狼へと近付いているようだった。

 大江ねーさんに、尻尾が生えていた。

「ねーさん、その尻尾…」

 大江ねーさんは笑って答える。

「ああ尻尾だ。いわゆる獣のしっぽってやつだろうな。君たちに言わせれば、そう、狼だったか?」

「大江ねーさん。そんな姿になっても、まだ僕らの言っていることが信じられませんか?」

「ああ、信じられない。私はね、少年。非科学的なことと、人の心理ってやつが大嫌いなんだ。今の君は私の大嫌いそのものだな」

「そんな」

「それよりどうだ? この前のように、この尻尾も耳も、少年はまた似合っていると言ってくれるのかい?」

 この前褒めたのは確か帽子だ。が、今日の彼女はその帽子すらかぶっていない。だからこそそのケモノ耳がはっきり見て取れる。

 とはいえ、傍目にはコスプレか何かにしか見えていないのだろう。

 そりゃ似合うかに合わないかでいえば、抜群に似合っている。似合いすぎている。だからこそ色々と危ない。

 僕の知るあるキャラクターに似すぎているのだ。瓜二つ。まるで二次元の世界から飛び出てきたよう。

 いや、ねーさんの場合背が高いからぎりぎりセーフか?

「で、どうなのだ? わっちに似合ってるか?」

 はいアウトーーーーー! これはもう完全アウトー!

「ねーさん、二度と、二度とわっちとか言わないでください。というかそんなキャラじゃなかったでしょ!」

「ふむ。すまんすまん、ちょっと悪ふざけが過ぎたかな?」

 ねーさんキャラ変わってる。というかキャラがぶれぶれだよ。… これってねーさんも実は焦ってるってことか?

 口ではああいっても実は不安でたまらないってことか? だとしたら…。

「ねぇさん、嘘、ついてますよね?」

「……はて?」

 一瞬だが、ねーさんの表情が歪んだ。間違いない。これが突破口だ。

 そもそも、なぜ狼なのか? ということを考えればおのずと答えは導き出されるはずだったのだ。ねーさんの強烈なキャラクターについつい主導権を握られ、翻弄され、そんな簡単なことすら僕は見失ってしまっていたらしい。

 狼。狼少年。嘘付き、ほら吹き。それは狼のもう一つの側面じゃないか。

 初めてねーさんと会ったときから感じていた違和感。それは彼女が僕に対して本音を話していなったというところにあったのだ。

 思えば、彼女の行動は最初から矛盾だらけだった。

 花が嫌いと言いながら花屋にきて花を買い。女性らしい恰好が苦手と言いながら、その実可愛らしい帽子や趣味をしている、そしてしきりに

 その格好を褒めてほしがっていた。何より、全てをけむに巻くその態度が何よりの証拠。

 僕はある決心と確信をもって彼女の説得を試み始めた。

「ねーさん、分かりました。いきなり伝承だとか、天使だとか、あんな話をすべて信じてほしいとはいいません。でもせめて、僕のことは信じてもらえませんか? そりゃ、つい数日前にあったばかりのこんな得体のしれない高校生の言うことなんて信じたくないかもしれませんけど、ねーさんを助けたいって思ってるのは本当ですから。それだけは信じてください!」

「くっはっはっ。何をいまさら。言っただろう? 私は最初から君のことは気に入っていたんだ。もちろん、少年のことは信じているとも。だが、それとこれとは話が別。君のことは信じたいが、君の言う支離滅裂で非現実的な話はやはり鵜呑みにはできない」

「いや、確かに非現実的ですけど今、実際に、ねーさんの体に起きていることですからね?」

「あなどるなよ少年。これは…… 進化だ!」

 どこの世界に、そんなめちゃくちゃな進化があるんですか。ポ○モンじゃないんだから。オーキド博士もダーウィンもびっくりだよ。

「ねーさん、ねーさんに何があったのかは知りません。聞いても教えてくれないでしょーし。でもね、ねーさん。ねーさんはもっと自分を曝け出していい。そんな風に、自分を包み隠す必要はないと思うんだ。人とちょっとくらい趣味が違ったって、人とちょっとくらい考え方が違ったって、人に否定されたって、ねーさんはねーさんでしょ」

「…  知ったような口をきくんだな。少年。ちょっとえらそーだぞ」

「ええ聞きますよ。分からず屋の誰かさんを口説き落とすためなら、なんだってします。僕だって必死なんです!」

 僕の必死の形相での訴えがちょっとは通じたのか、ねーさんはうつむき黙り込んでしまった。

「何度でもいいますよ。僕は、大江ねーさんを助けたいんです。あなたにもっと素直になってほしいんです!」

「狼、ね。自業自得さ。私にはお似合いなんだよ、少年。誰にも責められる是非もない。なるべくしてなったんだ。私のこと何て、ほっておいてくれていい」

「ねーさんは最初から嘘をついている」

「ほぅ? それはききづてならないな。私が何時、君に嘘をついた?」

「違う。僕にじゃ有りません。ねーさんは、この世でももっとも嘘をついてはならない人物に対して、ずっとずーっと嘘をつき続けている」

「…」

「ねーさんは、自分自身に嘘をついる。違いますか?」

「何を言い出すかと思えばそんなことか。」

そのねーさんらしからぬ言葉を聞いた時、僕の中の何かが音をたてて弾けた。

「自分の姿が変わっていって、怖くないわけないだろう!不安を感じないわけないだろうが! 自分に似合わないから自分の好きなことをしないだって? ふざけるな。そんなの勝手に決め付けるな! 自分自身を偽ってどうするっていうんだよ」

柄にもなく、キャラにもなく、僕は叫んだ。声の限りに叫んだ。通行人の何人かが驚いてこちらに視線を向けたが、そんなの構うものか。も、有須もダンゴも留守でよかった。

 そんな僕の恥ずかしいくらいの心の叫びを受け、ねーさんは目に涙を浮かべた。

「う、ヴううううう。わ、わたじは、可笑しいのだろか?」

「可笑しいはずがない。本音をそのまま言える人なんて、なかなかいませんよ。でもね、自分の素直な気持ちくらいもっと表に出していいと思うんです」

「そうか… そうか」

 うんうんとしきりに頷いてくれるねーさん。彼女なりに、納得してくれた部分があったようだ。

「うん。流石、嵐だね。後は、仕上げ、だね」

 どこからともなく、ぬーっと現れた月美ちゃん。

 が、その時だった。あたりはすっかりオレンジ色から闇色に変わりつつある刹那。雲の切れ目から大きくそして妖しく輝く満月が姿を現した。

「満月だ! 月美ちゃん急いで」

「… ごめん、ちょっと、遅かった、みたい」

「え?」

 月美ちゃんのその言葉を皮切りに、大江ねーさんの姿が狼のそれへと変化していく。タイムアップ。… そんな。

 僕はがっくりと肩を落としその場に座り込みながら、ただ茫然とねーさんの姿を見つめ続けることしかできなかった。

 満月と狼。これ以上ない組み合わせ。もうどうすることも出来ないのだろうか?

「見て、嵐」

 この状況の中、唯一ひたすらに冷静な月美ちゃんが落ち着いた声で言った。

「彼女、完全な狼化はしてない」

 月美ちゃんの言う通り、大江ねーさんはその両手両足を完全な狼のそれへと変わってしまったものの、顔と胴はまだかろうじて人間のまま。

 つまり、まだ挽回のチャンスはあるということ。

「月美ちゃん、どーすればいい?こんな状況じゃ、どうみても話なんて聞いてくれそうにないよ?」

「うん。後は、仕上げだけだから。こっちも、力で、悪魔を払う」

「どうやって?」

 月美ちゃんは、にっこりとほほ笑んだのち、まるで修道女が祈りを唱えるかのように、スペルを唱え始めた。


「月は村雲花に風、月夜に提灯夏火鉢… 今宵の我が月は、満月!!」


 一瞬の閃光ののち、目の前には… 一本の刀を携えた月美ちゃんが佇んでいた。

 僕は、何がなんだかさっぱりわからず、ただただ茫然とその光景を見つめることしかできなかった。

 が、変化を終えた大江ねーさんがそんな僕らを待っていてくれるはずもなく。その狼の両手両足を存分に使い、人間離れしたスピードで駆け出す。

「うぉら! なにぼーっとしてんだ、嵐! とっととおわねーか!」

「! え、は、はい、すぐに」

 … 僕の聞き間違いでなければ、今のは確かに月美ちゃんのほうから聞こえた。つまり、月美ちゃんが発した声だ。本当に?

 というか、完全にキャラ変わってるよね?でも、よく見ると微妙に顔つきも変わっているような。

 僕は走りながらも、横の月美ちゃんらしき天使に話しかけた。

「あのー、月美ちゃん?」

「あ? オレか? … 確かにオレは月美だが、月美じゃねーよ」

 その返答にますます困惑した僕は、口をぱくぱくさせながらひたすら思案していた。そんな僕の様子を察した月美ちゃんらしき天使がめんどくさそうにその口を開いた。

「ちっ、しゃーねーな。一度しかいわねーからよく聞けよ? オレは月美の人格の一つだ。月美の一部であり、月美とは別の人格。満月だ」

「満月さん? それって月美ちゃんは二重人格ってこと?」

「惜しいが違う。二重人格じゃねーな。それを言うなら、多重人格。ま、それも微妙にニュアンスが違うんだか、簡単にいえばそんな感じだ。月美が伝承を払う際、その伝承によってオレ達のうちだれかの人格が表に出るんだよ。月美にいくつの人格があるのかはオレも知らねー。月美が無月でオレが満月だからな。その間にゃ、結構な人数がいそうな気もするがな。… と、やっこさん止まりやがった。どうやら、オレ達を迎え撃つ気満々らしいぜ。ほら、お前もしっかりやれよ」

 そう言って手にしていた一振りの刀を投げてよこす月美ちゃん、もとい満月さん。

 僕は慌ててそれをキャッチする。ああ、やっぱり結局のところ戦うのは僕なんですね? 分ります。

 場所は町はずれの荒地。一戦交えるにはもってこいの場所だけど。この刀一本であの狼と渡り合えっていうのだろうか?

「心配すんな、嵐。確かにやるのはおめーだけどよ、オレがきっちりサポートしてやる。オレはいわゆる対戦闘用の人格だ」

 だと思った。などとは口にも出さず、僕は黙って頷き、刀を鞘から抜いた。刀は月に照らされ怪しく輝いた。

「安心しな。そいつは伝承だけを切る妖刀霜触。そいつを使ってあのオーカミ野郎を昇天させてやんな!」

 僕が刀を構えた瞬間、大江ねーさんがその鋭い牙で襲いかかってくる。

 ガキーン

 何とか刀で受け流す。重い。これではそう何度も受け流せる自信がない。

「おっと、忘れてた。… イージス、発動。これで多少かじられようが、食いちぎられようが、飲み込まれようが耐えられはずだ。ま、頑張んな」

「そんな無責任なー。ってまた来た」

 ガキーン

 ねーさんの牙を受け流す、が、続けて今度はその爪が僕に襲いかかる。

 だめだ、よけきれない。平平凡凡、むしろそれ以下しかないぼくの運動能力ではそれをよけきることが出来ない。

 僕の体に深く突き刺さるねーさんの長く鋭い爪。

「痛っつつうう」

 僕は力を振り絞り、ねーさんの体を蹴り飛ばす。

「大袈裟だな。確かに痛みは消えねーが、見てみろ。一滴も血は流れ出てないだろ? それと、嵐、お前なぜ刀を使わない? それで切らない限りはやつを救うことはできねーんだぜ?」

「そんな、こと、分かってますよ、分かってるけど」

 分かっていても、出来ないことはある。

 何も刀で切ることに対して註所しているわけではない。文字通り、切れないのだ。正確には切る機会がない。

 相手は狼の伝承。そのスピードたるや人間の比ではない。とはいえ、このままでは防戦一方どうあがいても勝ち目はない。

 何とか立ち上がり、ふと満月を見上げる。…… 雲。そうだ、今日は1日曇り空だった。空には無数の雲。

 その雲の一つが、今まさに満月を覆い隠した。相手が狼女である以上、チャンスはこれしかない。

 僕は意を決して大江ねーさんに向かい全力で向かう。

 案の定、満月が隠れた瞬間、ねーさんの体は一瞬その動きを止めた。

 僕はそのチャンスにすがりつくように、全力で彼女の体に妖刀を突き立てた。


 グサッ


 突き立てた刀と大江ねーさんの体のすきまから光が洩れる。


 やがてその光は彼女全体を覆い、包み込んだのち、一瞬のうちに光りを放ち、やがて、消えた。


「はん。はじめてにしちゃ、まぁまぁだな。相手は下級で半端な状態の悪魔、もっと早く処理出来てもおかしくはねーが。次に会うときまでにちったあ鍛えとくんだな。… そいじゃな」

 そう言うと、ふっと、その場に倒れこむ満月さん、同時に僕の右手にあった刀も消えていた。

「ん… おはよう、嵐。どう、だった?」

 どうやら役割を終え再びもとの人格、つまり月美ちゃんが顕現したようだ。

「ははは、何とかなったみたいだよほら。っといけない」

 僕は慌ててねーさんのもとへと駆け寄った。

「ねーさん、大丈夫ですか? 大江ねーさん? ねーさんの狼は僕たちが責任もって追い払いましたからね? 安心してください」

「むにゃ、その声は花嵐少年か。何だか、長い夢を見ていたような気がしたが、君の姿を見る限り、どうやら夢じゃなかったようだな?」

「え?」

 僕は改めて自分の姿を見る。体中に擦り傷と、左肩にはねーさんに突き刺されて爪のあとが痛々しく残っていた。

 … あ。確かあのイージスって魔法は一時的にその傷をごまかすもの。つまり、その術を解けば、当然、痛みと傷は甦るわけで。

「いってええええええええええええええええええええええええ」


 僕は、その痛みに耐えかね奇声をあげ気を失った。何ともしまらない顛末である。


          ◆


 数日後。

 大江ねーさんの一件で僕が積極的に花屋を手伝う気になってくれたと勝手に勘違いした親父は、その後もたびたび僕に店番を任せるようになった。

 もちろん、あの時のように僕一人ということはほとんどないのだが、それでも、僕が店頭に出る回数は飛躍的に増していた。

 何だか、このまま花屋を継いでくれと言われそうな気がして、妙に落ち着かない気分ではあったものの、何となく、僕も僕でこの花屋の仕事が好きになりつつあった。人の心理とは不思議なものである。

 今日は10月の最終日、加えて日曜ということで花屋は珍しく混雑していた。

 あれから数日、流石に大江ねーさんはあれ以来姿を見せていない。月美ちゃんの力と伝承のせいとはいえ、一時期はあれだけ毎日顔を見せてくれていただけにこなくなるとまたさびしい気もする。

 客足もひと段落し、僕がそんな事を考えながら作業をしていると、後ろからふと声をかけられた。

「少年、久しぶりだな。と言ってもあれから1週間もたっていないが」

 噂を言えばなんとやら、この声としゃべり方は、間違えようもない。

 僕は後ろを振り向きながら言った。

「今晩は、大江ねーさ… ぎゃあああああああああああああああああああああああああ」


 大江ねーさんは狼の姿でそこに立っていた。


「おいおい、幾らなんでも驚きすぎだろ。トリックオアトリート。今日はハロウィンだろ?仮装だよ、仮想。くははははは、しかし大成功だな」

 ねーさん、そこまで素を出してくれて、僕はとっても嬉しいです。はい。

「ちょっと兄さん、店先で何騒いでるんですか… ってきゃああああああああ」

「どーした有須ねぇ? ぎょわあああああああああああああああ」

「くはははは、そこまで喜んでもらえれば、私も家からこの格好でここまで来たかいがあったってもんだ」

「ねぇ、ねぇ、嵐。私も、コスプレ、したい」


 我が家は今日も今日とて、どこまでも賑やかだった。


THE END …… ?


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