表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天使の溜息、108っ!  作者: 汐多硫黄
第1章「始まりの天使リンネ」
12/14

第十二輪「花と嵐と黄昏色の肝試し◆-ゆーこの場合-」

第十二輪 「花と嵐と黄昏色の肝試し◆-ゆーこの場合-」


 暑さもピークを迎える8月中旬。

 今年の夏は、僕にとっては随分久しぶりなアウトドア夏だったと言える。

 海にプール、祭りに花火にすいか割り。およそ世の中の夏休みの代名詞といっても過言ではないこれらの行事をあますことなく興じてきた僕。 

 何てこった、これじゃあまるでリア充みたいじゃないか! 

 それもこれも、きっとリンネのせいであり、リンネのおかげでもある。

 が、どうやら僕は夏の風物詩とも言える重要イベントを一つ、やり残しているらしかった。

 そう、今までと一味違う僕の夏は、まだまだ終わらない。


          ◆


「よし、皆集まりおったな? お前たちに一つ、発表したい事が有る」

 とある日の夕食。リビングへと集まった僕らに向かって、珍しく真面目な顔をした親父がゆっくりと話し始めた。

 親父がこんな風に真面目な顔して話すときは、いつもろくでもないことを考えている時なわけで。

 だからこそ僕は、たまらなく嫌な予感がしてならなかった。

「何だよ親父、そんなに改まっちゃってさ。頼むから、大人として節度を持った発言をしてくれよ?」

 僕は早々に親父に釘をさした。

「兄さん。それは幾らなんでも失礼ですよ? 父さんはきっと重要なお話が有るんです。ここは茶化さず静かに聞きましょう」

 有須がいつも通り親父を立てる。

 流石は我が家唯一の良心で常識人。彼女が居るからこそ、こんな親父でも花家は回っている。

「えー、おとーさんが真面目な話って似合わねー」

 どうやらダンゴも僕と同意見らしい。

「全く。わしの話を真面目に聞こうってやつは有須だけか? とーさんションボリ」

「ションボリとかいいからさ、早く要件を言ってくれ。早くしないと折角有須が作ってくれた夕食が冷めちゃうだろ?」

 親父のションボリ発言を受けて思わず本音が口をついてしまった。

「ぐわははは、おいおい嵐、お前ちょっとカルシウムが足りてないみたいだな? 牛乳飲もうぜ」

 そう言って、凄く良い笑顔でサムズアップする親父。

 ははは、親父は冗談が得意なんだから、あははは。

 僕が額に血管を浮かび上がらせ、ぷるぷると震える様を見かねた有須が慌てて間に入る。

「父さん、確かにその、夕食が冷めちゃいますから。ね?」

「そうだな、ちょっと溜めすぎたか。では発表するぞい?」

 それでもまだ引っ張る親父。

 僕も、有須もダンゴも、息を呑み親父の次の言葉を待った。


「肝試をするぞい」


 花家のリビングに訪れた一瞬の静寂。窓際に下げられた風鈴だけが、その存在を強く主張しているように思えた。

「有須、ソースとってくれないか?」

「どうぞ兄さん」

「にぃにぃ、醤油とってー」

「ああ、ほらよ」

 僕らに露骨に無視された親父は、仏壇に向かってぶつぶつと語り始める。

「母さん、子供達はあんなに元気に育ちました。それはもう、父親を無視するくらい元気に育ちました。だから心配せず」

 親父の十八番。母さんをだしに使われると、僕も無視し続けるわけにはいかないわけで。

「だああああ、分かったよ。分かったから、いちいちそうやって母さんに報告するのは止めてくれ」

「ぐわははは。うむ、流石は嵐だな」

「何が流石なのか分からないけどさ、もっと分からないのは何で肝試しなんだって事。そりゃ確かに8月だし、夏だし季節的には可笑しくは無いけど。そんな話、今まで一度も出なかったじゃないか」

 僕が不満を爆発させていると、隣の有須が頭を抱えながら言った。

「いえ、恐らくですけど… 昨日見た心霊番組が原因ではないでしょうか? ほら、昨日の夕食時に流れていたあの番組です」

「あの怪しさ満載のやらせ番組? あまりにくだらないから、途中から見てなかったよ僕」

 それにしても、いい大人がそんなテレビ番組に感化されてしまうとは、我が親ながら超情けないのである。思考回路が完全に小学生並みなのである。

「んー、でも団子は賛成かな。何かおもしろそーだし」

 やはりというか予想通りというか、親父の突飛な提案に賛同するダンゴ。流石は似たもの親子である。

「ちょ、ちょっとだんちゃん? あの… 私は、そういうの苦手ですし」

 そういえば有須のやつ、以前一緒に行った遊園地のお化け屋敷でも、かなり怖がってたからな。

 まぁ、僕も決して得意ではない。というか、むしろ怖い。

 天使やら悪魔やらと何やかんやで関わってきたものの、それとこれとは別問題。怖いものは怖いのです。

 ということで、すかさず援護射撃。

「僕も出来ればゴメンこうむりたいな。そもそもさ、肝試しって言っても具体的には何する気だ? 遊園地のお化け屋敷でもいくの?」

「それなら心配いらん。わしのリサーチによると、最近出ると噂のスポットが近くに有るらしいからな。そこへいってみたいと思うんじゃ」

 何だよその無駄な行動力は。

 親父のヤツ、一体いつの間にそんな事調べたんだろう。というより、その行動力をもっと仕事に生かして欲しいと切に思う。


「どーしたの嵐? そんなにくらーい顔しちゃって」

「なぁリンネ。普通、子供が面白半分で心霊スポットに行くなんて言い出したら、説教の一つでもして止めてやるのが親ってもんじゃないか? それが、止めるどころか自ら率先して、そんな得体の知れない場所に子供を連れ出す親ってどうなのかな?」

「あたしが言うのもなんだけど、変わってると思う。凄く。流石は嵐のお父さんだよね」

 そんなリンネに対して僕は、引きつった苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。


         ◆

 

 あれから数日。

 時刻はもうすぐ日付が変わろうかと言う時間帯。

 ついに肝試しの決行日となってしまったわけで。

 

 結局、僕と有須の反対も虚しく、親父の一存で開催が決定した肝試し。

 詳しい場所はついてからのお楽しみと言う事で、事前情報無しのぶっつけ本番。

 親父曰くその方が怖いからだそうだが、こちらからしたら迷惑この上ない。ああ駄目だ、この期に及んでも愚痴しか出てこない。ド畜生。

「うぉーーい、嵐。そろそろ出発するぞー、車に集合な」

 階下から親父のテンションの高い声が聞こえてくる。楽しみなのは分かるが、時間帯をもう少し考えて欲しい。

「じゃ、そういうわけでちょっと逝って来るよリンネ」

「にゃははは、楽しんできてねー」

 この手のイベントには、当然参加するだろうと思っていたリンネだったが、今回は珍しくパスしてお留守番を決め込むつもりらしい。

 理由は眠いから、だそうだ。

 真意は定かではないが、これで幽霊と天使を見間違えるなんてベタなオチは回避されたわけだ。

 どうせならこのイベント自体回避したいけど。僕は渋々準備を整え、皆が待つ車へと向かった。


「はぁ、何が悲しくてこんな時間に家族で心霊スポットに行かにゃならんのだ」

 車中、僕がぽつりと本音を漏らす。僕の隣では僕に寄りかかり、有須がうとうとしていた。

「がははは、諦めが悪いぞ嵐」

「ぷぷっ、さてはにぃにぃ、怖いんでしょー?」

 体育会系コンビが前から僕を煽る。

 で、小学生に怖いなどと言われたくらいですぐさま反論してしまう単純な僕。

「ははっ。幽霊が怖い? 笑わせるなよダンゴ。僕が怖いのはこの有」

 僕が言い終える前に、有須がジト目で僕を睨みつける。

「あ、有須さん、起きてらしたんですか?」

「むしろ兄さんのそのワードで目が覚めました」

 御立腹の御様子の有須様。いやいや、僕とした事が油断した。

「ぐわっはっはっは、おいおいお前ら、車ん中であんまりはしゃぐなよ? その元気は到着するまでとっておけ」

「はしゃいでない。全然はしゃいでないから。むしろ今ので僕のテンションは完全にマイナス状態だよ」

 再び眼を閉じ眠り始める有須。

 何だかんだ言ってもやはり眠いものは眠いらしい。そりゃそうだ、有須のやつ、いつもは日付変わる前に寝ちゃうからな。こんな時間まで起きていることなんて、大みそかくらいなものか。

 それに比べて、小学生の癖にこの時間になっても全くもってそのテンションを落とすどころか逆に上がっていくダンゴ。流石は似たもの親子である。

 そうこうするうちに現場に到着。


 成る程、場所はいかにもな心霊スポットの定番、トンネルだった。

「で、親父? ここにはその、噂とか云われみたいなのが当然あるんだろ?」

「おう。そりゃ、当然あるだろうな」

「あるだあろうなって、まさか知らないのか? そんな基本的なことも知らずにここを選んだのか?」

「がははは、気にするな。云われがあろうが無かろうが、出るっていう噂は本当だしな」

 全くいい加減な。そもそもこういうことって、云われとか噂とかそういう舞台背景があってこそじゃなかろうか。

 これじゃあただのトンネル。まぁ、夜のトンネルだし不気味なことは確かだから、肝試しには違いないが。

「それでどうするんです? やっぱり一人ずつトンネルの向こうまで行くとか?」

 有須が恐る恐る親父に尋ねた。肝試しの定番と言えば正にそれだ。

「その通り。距離もそんなに長くないしの。向こう端まで歩くだけ、簡単じゃろ?」

「んじゃダンゴがいっちばーん」

 我が家の特攻隊長が早々に名乗りを上げた。

「うむ。一番手は団子だな。いっちょかましてこい」

「おっけー」

 ダンゴは、親父に渡された懐中電灯を手にし、何のためらいも無く意気揚々とトンネル内部へと侵入して行った。

「だんちゃん凄い…」

「確かに。流石は元気の塊、怖いくらいの無鉄砲さだよな」

 素直に感心する僕と有須。が、それも束の間。


「ぎぃやあああああああああああああ」

 唐突にダンゴの叫び声がトンネル内に響き渡った。

「おいおいおい、まさか本当に出たんじゃ」

「で、で、出たって何がですか、兄さん」

「何って、そりゃ勿論おのつくアレだろ」

「お… 鬼?」

 怖いよ、むしろ僕にとってはお化けなんかよりよっぽど怖い。

 しかもダンゴと鬼の組み合わせとか、洒落になってないからね? 

 思いだすのは悪夢だけだから。トラウマだから。

 

 さらに、トンネル内から物凄い勢いで何かが近づいてくる音がしている。

 その音は徐々にこちらに近づいてきて。

「あばばばあばばばばばばば」

 パニック状態のダンゴが、訳のわからない事を口走りながら全力で帰ってきた。

 どう見てもただごとではなさそうである。

 がくがくと小刻みに震え、眼が泳いで、いつ泣き出しても可笑しくない状態のダンゴ。

 トンネル内に入る前の、あの元気印のダンゴは見る影もない。

「だんちゃん、だんちゃんしっかり! どうしたの? で、出たの? アレが出たの?」

 そんな有須の呼びかけに対し、白目をむきながら、ダンゴが答える。

「ナ、ナニモ、ナカッタ、ヨ?」

「嘘をつけーーー! しかも何故かカタコトになってるーーー!」

 深夜という時間帯を忘れ、思わず叫ぶ僕。

「ま、ダンゴがそう言っとるんだ。大丈夫じゃろうて。で、次はどっちだ?」

「これのどこが大丈夫なんだよ! しかもこのおっさん続ける気満々だよ!」

「今日の嵐のツッコミは切れがあるのう、腕を上げたなおい」

「あげてないよ! というか、何? 何なのこのトンネルは」

 恐怖心を紛らわせるため、尚もツッコミを続ける僕。非常に虚しい行為である。

「あ、あの、あのの、あ、のの」

「うぉ、どうした有須。一旦落ち着こう、日本語になってないから」

 大きく深呼吸したのち、有須が今にも消え入りそうな声で言う。

「……… 無理です。私一人であんな悪魔の巣窟に侵入するなんて、ぜえったいに無理です」

 あのトンネルはどうやら悪魔の巣窟だったらしい。少なくとも今の有須にはそう見えるようだ。

「そうか? ふむ、なら嵐と一緒にいっていーぞ」

「中止にするとかいう考えは一切無いんだな、親父。仕方ない、有須、とっとと行ってとっとと終わりにしよう」

 そんな僕の呼び掛けに対し、静かに頷いた有須は、僕の腕をこれでもかと言うくらいがっちりと掴んだ。

「これはちょっとくっつきすぎじゃないか? その、歩きにくいだろ?」

 ふるふると首を振る有須。というかついに喋らなくなってしまった。

 仕方がないので僕らは、ふらふらとおぼつかない足取りでトンネル内部へと侵入した。


          ◆


「このトンネル、やけに暗いと思ったら灯りが殆ど消えかかってるじゃないか。これじゃ本当に事故が起きても可笑しくないかもな」

 というわけで、手にした懐中電灯だけが頼みの綱というこの状況。

 ついたり消えたりしている内部灯が不気味さをより際立てている。

「何だか落書きだらけだね。… って有須、幾ら何でも眼は開けといた方がいいってば」

 何もそこまで怖がることないのに、そう言おうとした瞬間、目の前にカサカサと動く物体が。

「ぎゃああああああ、って何だ、ただのビニール袋か。ごめんごめん、有須、僕の見間違い」

 ふと、隣に眼をやると、白目を剥いた有須さん。

「有須ー、しっかりしてくれー。有須カムバーック!」

 だ、駄目だ、口から泡ふいちゃってるし、完全に気絶してる。

 仕方ない、このまま背負って運ぶしかあるまい。

 有須と一緒だと何故かこのパターンが多いのは、果たしてただの気のせいだろうか?


「んー、やっと半分か。不気味ではあるけど、やっぱりただのトンネルだよね。何にも出やしないじゃないか。さっきのダンゴだって、どうせごみか何かと見間違えただけだろう。ははは」

 ゴールが見えてきたという事で、若干油断していた僕は思わずそんなことを口走っていた。

 が、その余裕も束の間。

 僕の目の前には、何故か白衣を着た男性が倒れていた。

 思わず声を上げそうになるも、背負った有須を起こすわけにもいかないので、根性で耐える紳士的な僕。

 …… 幽霊? いやいや、倒れてる幽霊なんて聞いたことないぞ、しかも足もちゃんとあるし、幽霊にしてはやけにリアルだ。

 まぁ、幽霊見たことないから分からんけど。ってことはまさか死体? 勘弁してくれ。肝試しで死体を見つけるとか洒落にならない。

 いや、ここは一つ、円周率でも数えて落ち着こう。1.16…

 僕が100桁まで数え終えたとき、その死体もとい倒れていた男性がぴくりと動いた。

 どうやら死んではいなかったらしい。

「あのー、こんなところで寝たら風邪ひきますよ?」

 何とも間の抜けたセリフを吐く僕。

 僕は有須を背負ったまま、男性に近寄る。

 と、男性に触った瞬間、手に何かべとりしたものがついたのに気がついた。

「ん? 何だこれ、水?」

 懐中電灯で自らの手を照らし詳しく見てみると、僕の手は何故か真っ赤に染まっていた。

「赤… 血!? お、おいあんた大丈夫…」

 男性を起した瞬間、僕の眼に入った男性の顔、そして姿。

 顔中真っ赤で、そのお腹には見事なまでに直角に包丁が突き刺さっていた。

「ほぎゃああああああああああああああああ」

 今回ばかりは僕の中の紳士も耐えきれなかったらしく、大声を上げ叫んでしまった僕。

「んみゅぅ、何ですかもう? 五月蠅いですよ、兄さん」

 どうやら、気を失っていた有須が眼を覚ましたようだ。

 が、ビニール袋くらいで気を失ってしまうような有須がこの光景を見たら当然。

「きゃあああああああああああああああああああ」

  眼の前の光景を見て、再び気を失う有須。

 僕は有須を担ぎあげ、そのまま後ろを振り返ることなく、元来た道を死に物狂いで全力疾走。



「おう、お帰り嵐。どうだった? お化けはおったか?」

「お、お、おおおお、おおお、おおおお、おおお」

「何言ってるのかさっぱりわからんが、予想以上に楽しんだようじゃな。良かった良かった。ほらこれでも呑んで落ち着け」

 そう言って1本の缶ジュースを放り投げる親父。

 叫び過ぎて喉がからからだったこともあり、疑うことなく一気飲み。

「アツアツのお汁粉缶だけどな」

「ぶーーーーつ」

 壮大に吹き出した後、むせる僕。

「何でだよ! 何故このタイミングでわざわざあつあつのお汁粉を渡すんだよ! 悪意しか感じられないよ! というか、わざわざ温めながら待ってたのかよ!」

 あまりの恐怖のせいで、こういう親父だってことすっかり忘れてた僕。

「ガハハハハ、すまんすまん。ほら、麦茶だ」

 今度は中身を確認しつつ、水筒の中身を一気に飲み。

「ひどいなぁ、嵐君。僕を置いて行っちゃうなんて」

「ぶーーーーーつ」

 突如として目の前に現れた、顔面真っ赤白衣男。トンネル内に居たあの男である。

 僕は再び壮大に吹き出したのだった。

「うわっ、汚いよ嵐君。ほらぁ、よく見て、僕だよ、僕」

 真っ赤男は懐からタオルを取り出し、その顔をごしごしと拭きだした。

 すると、そこには見慣れたあの顔が。

「え… もしかして陽兄ちゃん?」

「ご名答。そう、僕だよ」

 トンネル内の謎の白衣の顔面赤男の正体は、何と深町洛陽その人だった! いやいやいや、そんなバカな。

「ど、どうして陽兄ちゃんがここに? いや、それよりなんつー格好してんだよ!」

「ガハハハハ、ごくろーさん洛陽君。計画とちっと違う展開になっちまったが、まぁ、概ね成功だな」

「ですねぇ。僕もなかなか楽しませてもらいましたから」

 そう言って笑いあい、ハイタッチを決める二人。 

 成程、今回の肝試し、つまりは親父と陽兄ちゃん二人の仕組んだことだったわけか。

 陽兄ちゃん、昔世話になったからって、何故か親父の頼み事は素直に聞いちゃうんだよなー。

 加えて、陽兄ちゃんの趣味の一つにコスプレがある。インドアの癖にだれに見せるんだよって話だけど、それはそれこれはこれ。

 見せると言うより、自分で自分の姿を見て楽しむらしい。ま、イケメンだからこそ出来る趣味。

 僕には到底理解出来ない領域だと思うわけで。

「ところでその格好は何なの? 何で白衣なの?」

「これかい? ただのお化けじゃセンスがないと思ってね。とある研究所でバイオハザードが発生して、ウィルスによって顔面から血を噴き出した研究員っていうテーマなんだ」

 未だ顔面の半分を赤くしたまま、爽やかに微笑む陽兄ちゃん。

 やってることは最悪なのに、こんな格好でも物凄く様になって見えるからイケメンの力は恐ろしい。

「ふーん、それじゃあそのお腹の包丁は?」

「研究に没頭するあまり、奥さんをほったらかしにしちゃって、ヤンデレ化した奥さんに刺され出血多量で死んだ、っていう裏設定かな」

「バイオハザードどこいっちゃったんだよ! しかもそっちが死因かよ!」

「おっ、嵐君、今日のツッコミはいつもより気合いが入ってるね」

 大の大人が二人も揃いもそろってこんなくだらないことを考えている、そりゃツッコミにも気合いが入るというもの。

「ところで、トンネル内で倒れてたのも演出?」

「いやいや、本当はもう少し演出やらトラップを用意してたんだけどね、最初に来た団子ちゃんから問答無用で一撃食らっちゃってねー。いやいやあれは実にいいパンチだった」

 あぁ、あれ本気で倒れてたんだ。

 恐るべし、ダンゴ。いや、むしろ二人の計画を半壊させたわけだし、ナイスだ、ダンゴ。

「ところで洛陽君、例のものはばっちりかね?」

「ええ、つつがなく見琴さん」

 そう言って白衣からビデオカメラを取り出した陽兄ちゃん。ま、まさか。

「よーし、よしよしよし。帰ったら早速見てみよう」

「僕にもコピーして下さいね?」


 ふ、ざ、け、ん、な。

 側で一部始終を聞いていたダンゴが、顔を真っ赤にしながら二人にボディーブローをお見舞いした。

 いいぞダンゴ、もっとやれ。

「全く、おとーさんも、洛陽おぢさんも、いい加減にしてよね!」

「本当、下らないよな」

 僕の言いたいことは、全てダンゴが代弁してくれた。

 へなへなとその場にへたり込む僕。もはや悪態をつく気力も無く、とっとと帰りたい気分でいっぱいだった。


          ◆


「ただいま」

「おっかえり~嵐。どう? 楽しかった?」

「リンネ… 君には今の僕の顔がどう見える? この顔が楽しかった顔に見えるか?」

「うん、見えるよ? どっちかというとかなり楽しんだように見えるよ」

 僕の質問に対して反射的にそう答えたリンネ。そうか、今、僕はそんな顔してたのか。

 結局何だかんだ言いつつも、親父主催の意味不明なこのイベントを楽しんでしまったと言う事か。

 それって腑に落ちないような、悔しいような。

「それに、ちゃっかりお土産までもって帰っちゃって。にゃははは、嵐ってばそんなに楽しかったのー?」

「は? お土産?」

 リンネのその発言に、思わずキョトンとしてしまう僕。

 だが、そう言われたとたん急な寒気とともに、何だか背後から異様なオーラを感じるような気が。

「リ、リンネさん? そ、それってどういうことなのかな? ぼ、ぼ、僕の後ろに、何か、居るのかな?」

「にゃはははは、何言ってんだよう嵐」

 そう言い終えると同時に、リンネのアホ毛センサーが唐突に光り始めた。

「は?」

「嵐ってばすっごーい。次の試練の対象者を連れてきちゃうなんて」

「だから僕は何も… 連れてきた? 今、連れてきたって言ったの?」

「嵐ー、後ろ向いてみなよ」

 怖い。いろんな意味で後ろを向くのが怖いよ僕。

 大きく深呼吸した後、ゆっくりと振り向く。

「あ、どーもでっす!」

「……」

 僕は再び視線をリンネへと戻した。何故だろう、全身から嫌な汗が止まらない。

 依然としてリンネのアホ毛は、僕の間後ろを指して力強く光り続けている。

「何も言わずに視線をずらすなんて、酷いですよーぅ。しくしく」

 そう言って、僕の後ろからひょっこり姿を現した遊体X。

 その姿は、見事なまでに半透明。後ろの家具がくっきりと見えるくらいに半透明。この姿、雷九の事件を思い出す。

 が、今回は単にそれだけではない様子。何故なら。

「足が… 無い」

 次の対象者であることはどうやら間違いなさそうだけど、これってどういことだ?

「見たまんまを答えるなら… 幽霊?」

 死に装束、青白い顔、半透明な体、そして足がなく空中に漂っているその様から導き出される答えは、幽霊の一択のみだった。

「もう、それが初対面の女の子に言うセリフですか? ぷんぷん」

「え、ご、ごめん。というか、君、誰?」

「……………… はて、わたしって誰なんでしょーか? あせあせ」

 僕の質問に対して、たっぷり間をおいた後、質問で返してきた幽霊。

 そもそも幽霊にまともな質問をぶつけた僕が悪かった。

「とりあえず、僕の名前は花嵐って言うんだけどさ、一応その、天使の使い、見たいなことをやってます」

 僕のセリフに合わせ、リンネが天使のキッスを幽霊に施す。

「天使さん? ほへぇー、それじゃあ私、死んじゃったんですか? ってよく見りゃ私、足がなーーーい、しかも体が透けてるーーーー」

 今頃気づいたのか? 

 そう言えば心霊番組か何かで、幽霊は自分が死んでること気がついてないやつもいる、なんて話聞いたことあるけど。

「そもそも記憶喪失? ってか幽霊に記憶なんてあるのか? あのトンネルにいたのが憑いてきちゃったってのか?」

 僕はぷかぷかと浮いてこちらの様子を見守っていたリンネに疑問をぶつけた。

「リンネ。天使の仕事ってさ、迷子になった幽霊をあの世に導く事なんかも含まれてんの?」

「んー、あながちまるっきり関係がないとも言いきれないんだけど、基本的には天使の仕事じゃないよ、それは。ほら、テレビでよく天使が死んだ人を天へ導く! みたいな描写があるでしょ? あれは無いわ。あんなのは人間の想像にすぎないもの。夢を壊しちゃって悪いけど、この手の仕事は死神の領分ね」

 確かにそれは聞きたくなかった。

「つまり、基本的には天使の仕事じゃないんだな?」

 うんうんと頷くリンネ。そうなると次の疑問が浮かぶ。

「それじゃあ何で、次の試練はこの幽霊が対象何だ? 僕らは、どうすればいいんだ?」

「さぁ?」

 さぁってリンネさん。あんたそれでも天使ですか? あ、今はまだ天使の卵か… ってそんなことは、この際どうでもいいわけで。

「実を言うと、あたしもさっからずっと考えてたんだけどねー」

 そうなのだ。いつもなら自ら率先して名乗り出て、あたしが助けてあげるーなんて、どこから沸いてくるのか分からない自信と根拠を基にした彼女の自己紹介が入るのだが、今回は珍しくそれがない。

 どうやら今回の対象者は、天使にとってもレアケースなのかもしれない。

「うーん、死神の領分に関しては専門外だから、あたしも詳しくは無いんだけど。それでも記憶が全くないってのは可笑しいと思う。それに、幽霊が対象者だなんて聞いた事が無いわ」

「そうなのか? 分かった、こういしていても埒が明かないし、一先ずこの幽霊ちゃんの記憶を探すって方向で動いてみるか」

 僕は改めて幽霊の方に向き直り告げる。

「あー、幽霊さん、いや幽霊ちゃん? … あー、もう。名前も覚えてないってのは不便だな」

「にゃははは、それならあたしに任せてよ嵐。よーし… うん、決めた。幽霊だけにゆーこなんてどう?」

「そんなまた安直なー。しくしく」

 ゆーこ、ね。確かに安直だけど、リンネのネーミングセンスにしては悪くない気がした。

「よし、それじゃあゆーこちゃん。僕らは君を助けたいと思う。それにはまず君の記憶が肝心なんだ。ここにくる以前、どんな小さなことでもいいんだ、何か記憶はあるかい?」

「はいー。それが全然なんにもおぼえてないんですよねー、これが。きがついたらトンネルに居て、気がついたら花嵐さんの後つけていて、気がついたらこの家に居たんですよー。てれてれ」

「そうなのか。やっぱり普通に考えれば、あのトンネルで何かあったと考えるのが普通だろうな。それと、僕の名前を砂嵐みたいに言うのは辞めてくれ」

「えー、私がどう呼ぼうと私の勝手じゃないですかー、砂嵐さん」

「今、完全に砂嵐って言ったよね?」

 はい、ここでリンネが大爆笑。

 その時、僕の部屋の扉がいきなり開かれた。

「五月蠅いですよ兄さん! いま何時だと思ってるんですか! リンネさんもその笑い声を何とかして下さい!」

「ご、ごめん有須。ほらこいつのせいなんだってば、次の試験の対象者で幽霊なんだけど」

「こいつ? とはどいつのことですか? 私には兄さんとリンネさん、お二人の姿しか見えませんけど」

「え?」

 てっきり有須になら、その姿が見えるんじゃないかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 僕がゆーこの姿を視認出来るのは、やはり天使の力あってこそなのか? それとも何かほかに原因でもあるのだろうか?

 別段僕は、霊感がある体質と言うわけではない。

「ははん、そうやってごまかそうとしても無駄ですよ? それともまさか本当に、トンネル内で何かに取り憑かれちゃたんですか? それともそれとも驚きすぎて、兄さんが可笑しくなっちゃっただけですか? いずれにしても静かにしてください。私は今、猛烈に眠いんですから!」

「ごめんなさい。猛省します」

 僕の謝罪を聞いたのち、パジャマ姿に枕片手の有須は、そそくさと部屋へと戻って行った。

 再び大爆笑する二人。

「というかお前まで笑うなゆーこ! ほぼ君のせいなんだからな? リンネも笑うな。また有須が来ちゃうでしょーが! 全く、この浮遊コンビときたら」

 今日何度目か分からないツッコミを入れる僕。ああ、今日は良く突っ込む日だ。

 部屋に浮遊物が二つもあると言うのはどうにも落ち着かないもので。

 天使が眠るのだから幽霊だって眠るものらしく、すやすやと寝息を立てながら空中で直立して眠るゆーこ。

 今日はあれだけ突っ込んだんだ、これくらいじゃ僕は突っ込まないぞ。

 そんな事を考えながら、僕の意識は夜の闇へと吸い込まれていった。


          ◆ 


 眼が覚めたら、昨日の出来事は全て夢でしたー。

 そんな展開を期待して、恐る恐る眼を開ける僕。

「ちぇっ」

 目の前にはゆーこ。何故か逆さになって空中に浮いている。同じく何故かリンネも逆さになって空中に浮いてる。

 僕の部屋はいつから宇宙空間になったのだろう?

「おはよーごぜーます花嵐さん。っていうか今、私の顔見て舌打ちしましたよね? しくしく」

「おはよう。というか何? その格好は。はやってんの? いまその格好がブームなの?」

「いえ、全然。そんなことより、今日は土曜日です。元気よく私の記憶を探しに行きましょう!」

「幽霊の癖にやけに元気だなおい」

「にゃはははは、ほんとほんと、この際その元気を少しでも別けてもらったらどう?」

 何だよその漫画みたいな展開は。

 親父にダンゴ、リンネにゆーこ。今の我が家は、元気キャラで満ちている。

 その上僕までそんな元気はつらつ熱血野郎になってなったらどうするんだよ? 暑苦しくてしょうがないだろ。

「いや、いらん。むしろいらん。タダでもいらん」

「ひどい。花嵐さん、ひどい。えーんえーん」

「…… って嘘泣きだろ?」

「てへ」

 危ない。危うく騙されてトラウマが発動するところだった。

 てへなんて、その死に装束と青白い顔で言われても、全然可愛いと思えないのが逆に気の毒だった。

 と、いつまでもミニコントを展開してもなにも解決しないということで、ゆーこの記憶が戻ることを期待して、まずは昨日のトンネルへと行ってみる事にした僕ら。

 土曜とはいえ、仕事中の親父や陽兄ちゃんに頼むわけにもいかず、バスで現場へと向かう事に。地味に痛い出費である。


         ◆

 

 肝試しトンネル

 

「で、何か思い出せそうか、ゆーこ? ここに居たってのが君に残っている最古の記憶なんだろ?」

 僕は隣で浮かぶ青白いゆーこに問いかけた。どうやら昼の日差しってやつは幽霊にとって耐えがたいものらしい。

「うーん。わかりましぇーん。それよりトンネルは涼しくていいですねぇ。はぁー、落ち着く。ずっとここにいたいくらいですねぇ」

「わかった。ここが気に入ったのなら、君はここに永住したまえ。これにて一件落着。はははは」

「じょーだんですょーう。リンネちゃんも何とか言ってやって下さいよー」

「いやー、ゆーこ。幾ら何でもそれはひくわー。あたしはトンネルより嵐の部屋の方がいいかなー」

「そっちじゃなくてー。えーんえーん」

 ゆーこが自力で記憶を取り戻すのは困難だと悟った僕は、何か手掛かりがないかとトンネル内部をより詳しく探ってみる事にした。

 土曜の昼間だと言うのに殆ど車が通らない。

 昨日の夜見た通り、トンネル内はいたるところに落書きがありゴミも散乱していた。

 昨日の陽兄ちゃんは、こんな中で僕らが来るまであんな格好で、しかも一人で待っていたのか。どんな罰ゲームだよそれ。

 ゴミに交じって、ところどころにガラス片や車の部品のようなものがおちているところをみると、どうやらここで事故があったというのは確実ではないかと思えた。とはいえ、それがこのゆーこに関するものかどうかまでは、判断する事は難しい。

 頼みの綱のゆーこ自身も、この様子を見て何も思い出せない以上、別の方向から事を進めていくしかないわけで。

 そんなことを考えていた時、突然リンネの叫び声が聞こえてきた。

「嵐ー大変だー、大変だよー」

 慌ててその声のする方向を見ると、昨日の陽兄ちゃんのようにぐったりと倒れこんでいるゆーこが眼に入った。

 急いで駆け寄って声をかける。

「おい、どうしたゆーこ、何か思い出したのか? それとも幽霊にとってこの日差しはきつかったのか?」

 実体のない幽霊だけに、触って抱え起こすことが出来ず、こうやって近寄って声をかけることしか出来ない。

「だいじょーぶれす。ちょっと悪寒がしただけでふから。やっぱりここ、あんまり居たくない気がしまふ」

「いや落ち着けゆーこ。そもそも幽霊は悪寒とか感じないだろ。とにかくここには居たくないんだな? 良し、リンネ、取り敢えず移動しよう」

 僕は触れなかったが、ゆーこに触ることが出来るリンネは、彼女の手を取ってトンネル外へと移動する。

 ゆーこが倒れたのは丁度トンネルの反対側出口付近だった。そこに何かがあるのかもしれないが、とにかく、あのトンネルが何かしらゆーこと関係していることは明らか。そうなってくるとやることは一つ。

「二人とも、一旦町まで帰るぞ? 図書館へ行こう。ちょっと調べたいことがあるんだ」


          ◆


 ということで町へと戻り、その足で図書館までやって来た僕ら。

 そんな僕が、pc前の席に座ろうとした瞬間、とある人物に声を掛けられた。


「あれ? 先輩? へぇー、珍しいですね、この暑い日に先輩が外に出歩くなんて」

 白井天世である。

 そうか、このボクっ娘も図書館大好き人間の一人だったっけ。

 というか白井の場合、冗談抜きで1日中図書館篭ってる姿がイメージ出来てしまうから怖い。

「よぉ白井。数日ぶりだな、宿題はちゃんとやってるか? 夜更かしとかしてないか?」

「何ですか、そのお父さんみたいなセリフは。それより先輩、何か調べ事ですか? コスプレ天使が一緒のところをみると、只事ではないみたいですが」

 ここで会ったのも何かの縁。こうなったら白井にも一つ協力してもらうとするか。

「白井、リンネは見えるよな? それじゃあその隣にいる幽霊は見えるか?」

 リンネの隣で思い切り変顔を浮かべるゆーこ。

 馬鹿にしてる。見えないのをいいことに完全に白井を馬鹿にしてるよこの幽霊。

「幽霊? いえ、残念ながらボクにはコスプレ天使しか見えませんね。… いえ、待って下さい、確かに見えませんけど、ああ、何だこれ、何故だか無性にいらいらしてきます。先輩、一発殴らせて下さい」

「何でだよ! 普通に嫌だよ! とにかく、僕は今この幽霊の件でちょっとした調べ物をしようとしていてね。もし暇だったら白井も手伝ってくれないか?」

「つーか先輩、図書館に居る後輩を捕まえて暇か? はないでしょう。普通何か用があるからここにくるんですから。… まぁ、ボクは暇なんですけど」

「結局暇なのかよ! まぁいいや、それじゃあ頼むよ白井。後で何かおごるからさ、な?」

「し、仕方がないですね。駄目先輩だけじゃ何時間かかるか分かったもんじゃないですから、特別にボクも手伝ってあげます。有難く思ってくださいよ?」

「ああ、頼りにしてるよ」

 僕のセリフに、ちょっとだけ耳を赤く染める白井。

 そんな僕らの様子をにまにましながら見守る二つの浮遊物体。

「いやぁ、暑いですなぁゆーこさん。ここだけエアコンが故障しているみたいですなぁ」

「まったくそのとおりですなぁリンネさん。暑くて暑くて死んじゃいそうですなぁ。まぁ、私もう死んでるんですけど」

 そう言って空中で大爆笑する二人。

 いかんいかん。この程度で精神を乱されては調べ事なんて出来やしない。今はとにかく集中するんだ。

「それで先輩、ボクは何を調べればいいんですか?」

「うん。白井、この町の外れにある幽霊が出るって噂のトンネル知ってるか?」

「勿論知ってます。一時期噂になりましたからね、あそこ。それに、あそこって事故が結構多いんですよ。確か死者なんかも出てたはずです。おかげで今じゃ、殆ど使う人もいなくなっちゃいましたけどね」

 やはり、というか当然というか、僕らが知らなかっただけでどうやら有名なトンネルだったようだ。

 それに、死者まで出ているとなると、その中にゆーこに関する事故もあるかもしれない。

「分かった。全てを調べていたらきりがないからな。あのトンネル内での死亡事故に的を絞って調べようと思うんだ。白井はpcを使って関係ありそうな記事を調べてもらっていいか? 僕は新聞やトンネルについての関連資料を当たってみる」


 それから数時間。僕らは一つの結論に到達した。

 それは、「ゆーこはトンネル内での死亡事故とは無関係」と言う、およそ僕の推論とは大幅に食い違う結論だった。

 まず、ここ数十年、確かにトンネル内での死亡事故は何件か起きていた。

 が、そのどれもが男性ドライバーばかりでゆーこくらいの年齢の女性が亡くなった事故は起きていなかった。事故当時入院していて、暫くした後に亡くなった可能性もあるとして、重体事故の記述も調べたものの、ゆーこくらいの年齢ではいずれも該当者はいなかった。流石に軽傷者まで探すとなると数が多すぎるし、可能性は低いだろうし、何より時間的にも情報人手の観点から言っても難しかった。

「ありがとう白井。決定的手掛かりは見つからなかったけど、少なくともこの事故とは無関係だと分かっただけでも収穫だった。助かったよ」

「流石に1日調べ事をすると疲れますね。いい暇つぶしにはなりましたけど。それと先輩、奢りの件忘れないでくださいよ?」

「はは、分かってるって。その時は前もって連絡入れるからさ、ま、期待しないで待っててくれ」


          ◆


 手伝ってくれた白井と別れ、一旦家へと戻ることにした僕ら。辺りはすっかり夕闇につつまれていた。

 ゆーこはトンネルの事故とは無関係だった。

 その事実は、僕をちょっとだけ安堵させたものの、手掛かりを無くした僕を余計に悩ませるのも事実だった。

「なぁ、ゆーこ。やっぱりまだ何も思い出せないか? 無理に思い出させようとは思わないけどさ、何かヒントになるようなことだけでも思い出してくれると非情にに有難いんだけどな」

「そんな都合良い部分だけ思いだせなんて無理ですよぉー。あせあせ」

「ですよねー」

「でも、やっぱりあのトンネルが無関係とは思えないんです私。例えそれが直接的では無いにしても、です」

「… それは分かったけどさ、君達、ちょっとは落ち着こうよ。さっきから何で僕の部屋の中で暴れまわってるの?」

 ゆーこは僕の部屋で何故かぐるぐる回ったり、飛び跳ねてみたり、歌ったりと実に元気に動き回っていた。

「んー? なんでですかねー? 何故かこう、無性に体を動かしたいって言う衝動にかられまして。今の私、明日に向かって叫びたい気分なんです!」

 そんなこと言われても正直困るわけで。

 まぁ、幽霊だからどれだけ暴れまわっても周りの人間には見えないし音は聞こえない。実害を被るのは確かに僕だけなんだけどね。

 とは言え、死んでからも尚元気とは、本当にこいつ死んでるのか? 幽霊なのか? って思わず疑いたくなるわけで。

 

 …………え?


 我ながら今、何か重大なことを言ったような気がする。

 そうか! そうなのだ。そもそも僕達は、勝手にゆーこを幽霊と決めつけていた。何もゆーこが自分からそう名乗ったわけじゃない。

 そして、何よりゆーこは今回の試練の対象者なのだ。

 関係のなかったトンネル内死亡事故。対象者として選ばれた事実。伝承。つまりはそういうことなのだ。

「あっはっはっはっは」

 僕はとある事実に辿りつき、思わず声に出して笑ってしまた。

「うわっ、嵐が急に笑い出した。なになに思い出し笑い?」

「いやいや、どんだけ豪快な思い出し笑いだよ」

「も、もしかして、私のこの儀式が成功して、花嵐さんの笑いが止まらなくなったとか? どきどき」

「うぉーーい、それって儀式だったの? っていうか何してくれちゃってるの? なんで僕を呪おうしてんの?」

 またしても大爆笑のリンネ。

 しまった。まずい、非常にまずいぞ。このパターンは非常にまずい。

 そう思ったものの、時すでに遅し。僕の部屋の扉は力一杯に開けられた後だった。

「兄さん! いい加減にしてください。今何時だと思ってるんですか? 昨日からいったいぜんたい何なんですか? 浮かれてるんですか? 夏の陽気に誘われて、ついうっかり羽目を外しすぎちゃってるんですか? それとも何でもすか、やっぱり昨日何か悪いものにでも取り憑かれちゃったんですか 死ぬんですか? 可笑しくなっちゃったんですか? 良い機会ですからこの際とことん言わせてもらいます。いいですか? 兄さんは花家の長男としてですね…」

 一度始まった有須の説教は、例え雷が落ちようと隕石が落ちようと、月が落ちようと止まることは無い。

 僕とリンネ、そして何故かゆーこも揃って正座し、延々と夜明けまで有須の説教を受け続けたのだった。


          ◆


「お早う、二人とも」

「嵐ー、まだまだねむいよー。ねむねむ状態だよー」

「ごめんなさいごめんなさい」

 爽やかな眼ざめとは言い難い日曜の朝。

 リンネはまだまだ眠そうだったし、ゆーこに至ってはまだねぼけているのか、何故かひたすら謝っていた。

 だらけきった雰囲気を打破すべく、僕は朝から作戦会議を開いていた。議題はもちろんゆーこに関してだ。

「いいか諸君、今日こそはゆーこ隊員の記憶を戻し、真実へと辿りつきたいと思う。そこで二人にはある推理してもらいたい。いいか? よく聞くんだぞ? 昨日の調査で分かったこと、それはゆーこ隊員はあのトンネル内で起きた事故で死んだわけではない。かといって事故と関係がないわけではない。そして、ゆーこ隊員はあくまで今回の試練の対象者だと言う事。死者を導くのは天使の仕事ではないと言う事。加えて、僕らは今まで色々なタイプの伝承を祓ってきたという事。一筋縄じゃいかない伝承も大勢いたはずだ。これらから導き出される結論、さぁ思う存分推理してくれたまえ」

 僕が話終えると同時に、リンネの手がすっとまっすぐに上がった。

「おぉ、早いなリンネ隊員、流石は天使だ」

 リンネはニヤリと自信ありげに微笑んだ後、単刀直入に答えた。

「隊長、ヒントください」

「早いよ! 絶対考えてないだろリンネ。… 全く、仕方がないな。いいかよく聞け、リンネ隊員。ゆーこ隊員は元気すぎる幽霊だ。それに幽霊は普通眠ったりしないだろ? だがゆーこ隊員は違う。つまり?」

「分かった!」

 眼を輝かせ、興奮気味のゆーこ隊員が嬉々としてその両手をあげてアピールした。

「おっ、いよいよ本命ゆーこ隊員の出番だな? さて、それじゃあ聞かせてもらおうか、ゆーこ隊員の推理とやらを」

 ゆーこは敬礼した後、その推理を語り始めた。

「はい隊長。私は」


          ◆


 僕らはある建物の前にやって来ていた。

 僕らの推理が正しければ、ここに解決の糸口がある可能性が高かったからだ。

 その場所とはどこか? 

 僕が代行者としてリンネと関わってからと言うもの、何度となくお世話になっているこの施設。

 ある時は、土砂降りの中怪我をした先輩をここに運んできたり、ある時は喋る黒猫と一緒にその恩人を探したり、ある時は、睡魔を抱えたある女性を助けるため、その夢の中へと侵入したり。

 そして今度は。

「遅かったのね、嵐。あなた、相変わらず私を待たせるのね? あなたには学習能力というものがないのかしら」

 そう言って挨拶の一撃を僕に見舞う霧霞。

 やはり、僕の周りには些か元気すぎる人物が多すぎるようだ。

「ご、ごめん霧霞。それと、今日は宜しく頼むよ。また君の力を借りたいんだ」

 ここは霧霞総合病院。この町一番の総合病院で、僕はある目的のためこの病院を訪れていた。

 昨日のうちに霧霞に電話をし、ある程度の話と確約と、段取りをつけておいたのだった。

 すなわち、僕の推理は間違っていなかったという事となる。あとは、そう、本人次第という事か。

「隊長、尻に敷かれてるー。にやにや」

 … 本当に大丈夫か、これ?


 霧霞の案内でとある病室へと向かう僕ら一行。

「キリキリひっさしぶりー、元気してた?」

「ええ、一応ね。あなたは相変わらず元気そうね」

 僕は何度か会ったり、電話したりメールしたりしてるのでそれほど久しぶりってわけじゃないけど、リンネにとってはクロマルの件以来ということになる。

 まぁ、霧霞の性格上、そもそもあんまり相性のいい二人とは言えないわけだけど。

「昨日も言った通り、こいつがゆーこ。と言っても僕とリンネ以外には見えないだろうけど」

 病室に到着する前に、一応ゆーこを紹介する。白井の時同様、自分の姿は見えないだろうとたかをくくり思い切り変顔を披露するゆーこ。

 凄い、見えていないとはいえ、あの霧霞を馬鹿にしている。何と言うチャレンジャー、何と言う勇者。

「へぇ、さっきから思いっきり私を馬鹿にしているこの子が?」

「そうそう… って、え? 見えてる? 霧霞、ゆーこが見えるのか? 有須も白井も見えなかったのに? うーん、何でだろう」

「さぁ? 何故かしら。私、こういう環境で育ってきたから霊感は強い方よ? でも、そんなことより嵐、幽霊にはやっぱり塩かしら? それとも聖水?」

 ぎゃー霧霞さんってば、ゆーこを成仏させる気満々だよ!

「アワワワワ、コノオネーサン、コワイ。ユーコ、トッテモコワイ。ガクガクブルブル」

 そうこうするうちに、とある病室の前へと辿りついた僕ら。

 と言うかこのパターンは一体何度目だろう? 何度経験しても、知らない人の病室に入るってのは緊張するものである。

 ま、今回の場合知らないってのは語弊があるけど。

 ネームプレートには「霊岩寺夕子」の文字。

 リンネが適当につけたゆーこって名前は、あながち間違ってはいなかったという事か。これってただの偶然?

「準備はいいかゆーこ? 僕らに出来るのはここまでだ。無責任なようだけど、後は君次第だからな」

 僕の呼び掛けに際し、力強くうなずいた後、病室へとするすると侵入したゆーこ。続けて僕らも扉を開けて中へと入る。

 

 僕らの目の前には、ベッドによこたわり、人工呼吸器や医療機器が厳重にとりつけられた少女が一人。

「この子の場合、本来は家族以外に面会は謝絶の状態なのだけど、今回は私の友達と言う事で特別に許可を得たわ」

 呆然と少女を見つめる僕に対し、霧霞がそう言った。 

 僕の眼の前の少女。

 少女の顔は、ゆーこと瓜二つ、いや、つまりは、ゆーこそのものだった。

「え? え? これってどういうこと? ねぇねぇ、嵐どういうこと?」

 ただ一人、この場で事情を把握していない様子のリンネが僕に訪ねてきた。

「どういうことってリンネ、家を出る前に説明しただろ? 聞いてなかったのか?」

「あー、聞いてなかった。だって推理しろーなんて嵐が言うから、あたしずっと考えてたんだもん」

「それって僕が悪いのか? まぁ、簡単に説明するとね、ゆーこは死んでいなかった。それだけだよ」

「ああなるほどー、ってどいういこと?」

「だからさ、そもそもゆーこは幽霊じゃなかったんだよ。僕らが勝手にそう思い込んでいただけなんだ。現にゆーこは自分から幽霊ですなんて言わなかったろ? まぁ、そんなこと自分で言う幽霊が居るかは疑わしいけどね。それに、あのトンネル内での死亡事故とは関係がなかった、でもトンネルと無関係と言うわけじゃ無かった。そもそも僕らはあのトンネルと、死亡事故について拘りすぎていたんだよね。トンネルってのはその内部も勿論だけど、その出入り口での事故も多いんだよ。つまり、事故はトンネル外で起きていたんだ」

 僕は一枚の新聞記事のコピーをポケットから取り出し、リンネに見せた。

「なになに? 桜丘町正面衝突事故… 負傷者は意識不明の重体が一名、霊岩寺夕子」

「うん。ゆーこは死んでなんかいなかった。けど、まるきり無事ってわけでもなかった。正面衝突事故でシートベルトをしていなかった後部席のゆーこだけが、衝撃で何十メートルも飛ばされて、あのトンネルの出口付近に叩きつけられた。確か、当時は後部座席のシートベルトって法律で定められてなかっただろ?」

 ぽかんとするリンネに向かい、続けて説明を続ける。

「図書館で僕らは、トンネル内の死亡事故だけに的を絞って調べてたんだ。そりゃみつかるわけないよね。そもそも死んでないんだからさ。それと、元気すぎる幽霊ってのも気になってたんだ。ほら、リンネいつも言ってただろ? 伝承に取り付かれるには何かしらの理由があるって。それに加えてゆーこが今回の試練の対象者に選ばれたという事実。つまりさ、例えるなら今のゆーこって、実は生きてて、何らかの理由によって、例えば、伝承の力によって無理やり生霊に近い状態にさせられたんじゃないかなって思ったんだ。だからこそ記憶がなかった。伝承ってやつは決して親切なんかじゃないからね」

 そこからこの病院に辿りつくまではあっという間だった。

 伝承は人の潜在意識、心の隙間に入り込んでくるもの。例え意識は無くても、体は動かなくても、その心の奥底にある隙間や願いを嗅ぎつけ、捻じ曲げ間違った方向で叶えてしまう。

 僕がリンネに説明している間も、ようやく終えた今も、ゆーこは終始ベッドに横たわる自分自身の姿を見つめていた。

「担当医によると、意識がずっと戻らないとはいえ小康状態を保っていた彼女の容体が、ここ数日は何故か悪化する一方だそうよ」

 霧霞が淡々とゆーこの症状を語った。

 肉体とその霊魂、つまりはその魂が離れている今のこの状況は、当然と言えば当然だけどゆーこの体に深刻な状況を招いているのだろう。

 このままの状況が続けば、冗談ではなく、今度こそ間違いなく本物の幽霊そのものになりはててしまうの。

 僕らは確かに伝承を祓う事が出来る。

 だが、今回の場合はゆーこが元のこの体に戻ると決意したときが、そのタイミングであり、必要不可欠なキーなのだ。

 僕らは黙ってゆーこを見守った。

「すみません皆さん、ちょっとだけ外の空気を吸ってきてもいいですか?」

 お前、そもそも呼吸してないだろ? そんな野暮なことを言う輩は、少なくともこの場にはいないようだった。

 僕も気分転換がしたくなって、病院の屋上へと向かった。

 すると、夏の強い日差しの中、きらきらと輝く半透明な背中が僕の目に入った。

 このままの状態でいれば、少なくとも霊体として仮初の自由を手にする事は出来る。最もその場合、二度と生身の体には戻れなくなるが。

 一方、彼女に取り憑いた伝承を祓い、元の体に戻れば幽霊になることは回避できるものの、またいつ意識が戻るとも分からない肉体という名の牢獄に閉じ込められ、ひたすらに自由を夢見て眠りにつく日々を再会する事になる。

 霧霞に聞いた話によると、ゆーこが事故にあい、今の意識不明状態になって3年がすぎているらしい。当時13歳だった彼女にしてみれば本来なら今頃は16歳、白井と同学年の高校1年である。

 最初は声をかけるつもりは無かった僕だけど、その背中があまりに儚げで今にも消えてしまいそうだったため、気がつくと僕は思わず彼女に声をかけていた。そうすることが正しいような、そんな気がした。

「ごめんな、ゆーこ。途中まではさ、僕がお前を助けてやるーなんて偉そうなこと言ってたのに、最後はゆーこに丸投げ。こんなのってずるいよな?」

 そんな僕の弱音に対して、ゆーこは持ち前の明るさと、幽霊らしからぬ元気さで答えた。

「なーに言ってんですかぁー隊長。隊長は私のために十分頑張ってくれたじゃないですか。後は、後は私が決断するだけですから。うるうる」

「ゆーこ…」

「そりゃー記憶もぶっとんじゃうわけですよー、だって3年ですよ? 3年。そりゃ私だってお年頃の乙女ですもん。3年も経てばあれやこれや成長しますもんね。私自身、自分で自分が分からなかったのにも納得です。寝たきりでも体は成長するもんですねぇ… 見ましたか隊長? ベッドに寝ていた私、結構巨乳でしたよ? にやにや」

「そうなのか? そりゃまぁ、けしからんな、うん」

 何となく照れ臭くて、下手に言葉を濁して視線を遠くへと向ける僕。というか何て答えれば正解なんだ、これ?

「あれあれー、何で赤くなっちゃってるんですかー隊長? …………… ふふ、私、決めました」

「うん。そっか」

 僕はゆーこのその真剣な眼差しを見つめ、ひたすらに次の言葉を待った。

「私、元の体に戻ります。もう一度、この青空を、風を、温もりを、肌で感じたいから。私、生きてるんだって、実感したいから。実を言うと私、暗闇の中で、毎日毎日願ってたんです。どんな形でも構わない、もう一度だけでもいい、青空の元へと出てみたいって。お恥ずかしい話、そんな中途半端な私の願いがこんな状況を呼んじゃったんですよね? だから、今度はもっと欲張ります。一度だけなんて言わない、生身の体できちんと眼を覚まして見せますから! きりっ」

 僕は真っすぐにゆーこを見据えた後、ゆっくりと頷き、小声でリンネを呼びだした。

「呼ばれて飛び出でリンネちゃん登場でーす。むー、ゆーこもういいの?」

「リンネちゃんにもお世話になりました。ええ、私の気が変わらないうちに、さ、とっととやっちまいましょう! どきどき」

 こくんと小さく頷いたリンネはいつものセリフを語り始めた。

「いいゆーこ? 今からあなたにとりついた伝承を祓うから。何があってもあたしと嵐を信じてね? さ、眼をつむって」

「そんなのとーぜんでっす。最初から最後まで、私は隊長とリンネちゃんを信じてますから!」

「にゅふふふ、照れるぜー」

 そう言いつつ、どこからか天使の矢を取り出し、ゆーこ目掛けて射った。

 矢は見事命中、ゆーこの半透明なその体から黒いもやの塊が吹き出した。

 彼女に取り憑いていた伝承の正体はゴースト。いわゆる悪霊である。

 その靄を認めた瞬間、僕の右手に鋭い痛みが走り、光り輝き始める。

「悪霊退治か、これってかなり天使の仕事っぽいよね。さて、何が出るかな?」

 期待を込めて右手を見守る僕。

 そこに現れたもの、それは… 一枚のお札。

 ちょっと頼りないような気がするものの、悪霊って言ったらこれか。

 内心、ちょっとだけゴーストバスターネタを期待していたのは内緒だけど。

 僕はそのお札を握りしめ、疑くことなく、一目散に黒靄に向かってダッシュ&ジャンプしお札を張り付けた。

 その瞬間、ゆーこを包んでいた黒い靄は空中で離散し、やがて消えていった。

 がしかし、それと同時に、ゆーこの姿も徐々に消えていく。


 つまり、その魂が病室のゆーこの体の元へと戻っていくという事なのだろう。

「隊長、リンネちゃん、お世話になりました。私の我儘に付き合ってもらっちゃってホントありがとーごぜーました。短い間でしたけど、とーって楽しかったです。今度は、きちんとした生身の人間として、お二人に会える日を楽しみにしてますからっ。だから私、頑張ります! それじゃ、それまでバイビー。うるうる」

「頑張れよ、ゆーこ。僕もリンネも、ずっと待ってるからな? 君がこの世界に帰ってくるのを、ずっと待ってるから。だから… 頑張れ!」

 最後ににっこりと微笑んで、その姿を完全に消したゆーこ。

「お疲れ様、嵐。嵐は凄く頑張ったよ。それはこのあたしがよーく分かってる。だからほら元気出して、ね?」

 またもやリンネに慰められる僕。今の僕、そんなに酷い顔してたのだろうか?

 僕らがゴーストの伝承を祓ったところで、ゆーこが眼を覚ますわけじゃない。

 僕らがやったのは、彼女についた悪い虫を祓う程度の、そんな極々小さな些細な事にすぎないのだから。

 果たしてゆーこが眼を覚ますのは、これから何日先か、何週間先か、何か月先か、何年先か、何十年先か?

 僕とリンネがゆーこの病室へと戻ると、霧霞が黙ってゆーこを見守っていた。

「彼女、決断したのね?」

 僕は黙って頷く。

「皮肉なものね。件の伝承を祓ったっていうのに、彼女についての根本的な問題は、何一つ解決していないなんて」

「うん、そうだね。僕らが出来ることなんて、ほんの一握りだけ。こうして折角知り合う事の出来た少女の、笑顔一つさえ守る事が出来ない」

「でも、こうして彼女をお見舞いする事くらいなら出来るでしょ? 私があなたにそうされたように。それって結構重要な事なのよ?」

 お見舞いか。

「ありがとう、流石は霧霞だよ。君の言う通りだ。僕達にだって、まだ出来る事はあるかもしれない」


 僕は病室の窓を開け、外の風を病室へと取り入れた。

「分かるか、ゆーこ? 夏ももうすぐ終わるぞ、秋がすぐそこまで来てるんだ」


 辺りはすっかり夕暮れ時、ゆーこの名前と同じ、オレンジの光が病室を包み込んでいた。

「また来るよ」

 そう言い残し、僕らは病室を後にした。

 その時、ほんの一瞬だけど、ゆーこの顔が笑顔になったような、そんな気がした。



END 

















         ◆


「さぁ~て、ラクヨー? 今日の報告を聞かせてちょうだいな?」

「まぁまぁ、そう慌てないでよベルモットさん。結論から言うとね、恐らく、もうすぐかな」

「うふん、それは吉報ね。その時、その瞬間、天使とその代行者がどんな結論を下すのか、見物ですわぁ~ん」

「そうかな? 嵐君とあの天使なら、何となく乗り切れちゃう気もするけどね」

「あらん? ラクヨー、あの二人の肩を持つつもりかしらん? このわらわという者がありながらん」

「拗ねない拗ねない。どっちにしろ、答えはもう直ぐ出るんだから。… さぁ、嵐君、君ならどうする?」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ