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天使の溜息、108っ!  作者: 汐多硫黄
第1章「始まりの天使リンネ」
11/14

第十一輪「花と嵐と解けない真夏の雪女◆-白井天世の場合-」

第十一輪 「花と嵐と解けない真夏の雪女◆-白井天世の場合-」


 期末テストを終え、生徒会の地味で面倒な仕事をこなし、妹とのいざこざさえをも乗り越え、ついに、ついにやってきた夏休み。

 ああ夏休み。ビバ夏休み。

 早起きする必要も無ければ、灼熱の日差しの元ぐったりしながら登校する必要も無いし、一台の扇風機に群がる必要も無い。

 宿題? それがどうした。そんなものとるに足らない実に些細な問題だ。

 僕は、9月の始業式前に慌てて問題集を広げるようなテンプレ学生とは一味違う。

 そう、一味違うのだ。

 そんな夏休み真っ盛りな8月上旬。天使と過ごす夏休み。

 それは、当たり前のように平穏な日々が続くはずも無く。

 僕らの前に、あまりに季節外れな伝承を抱えた人物が現れる。

 今年の最高気温を叩きだしたこの日、僕らの前に現れたおよそ夏には似つかわしくない人物。それは。


          ◆


「嵐、あらしってばー」

 僕の隣にちょこんと座っている天使が、僕に話掛けてくる。

「んー? どうしたリンネ。やっぱり退屈?」

 僕はコントローラーを握り、画面から目を離さずにそう言った。

「それはいつもの事だからいいんだけどさー、何というか嵐、さっきから眼がすんごいマジだよね」

 マジ? 確かにそうかもしれない。僕は、今、真剣で本気なのだ。

「嵐ってさー、こう言う時に見せる集中力っていうか、異常なまでの執念みたいなのがあるよね。だってさ、あれだけあった夏の課題を夏休み始まった直後から一心不乱にやり始めて、3日間で全部終わらせちゃうんだもん。良く分かんないけど、そういうのって毎日少しずつ進めるものなんじゃないの?」

「はっはっはリンネくんや、それは甘い。実に甘い。まぁ、ごく一般的にはそういうものだよね、夏休みの課題は。だがしかし、僕はそのごく一般的ではないのだよリンネくん。僕はね、昔からこの手の奴は最初の3日間で終わらせるって決めてるんだ。勿論、残り1カ月間の休みで悠々自適なインドアライフを過ごすためにね」

 僕はサムズアップを決め、最高の笑顔でそう言い放った。

「にゃははは、何だかそれ、凄く嵐っぽい考え方だよ。… っていうか折角の夏なのに外に出る気は皆無なんだね、嵐ってば」

「ふっ、良く分かってるじゃないかリンネ。勿論、どこかに出かける気なんてさらさらないよ。必要最低限以外はね」

「そう言い切れるのが凄いよ嵐。まったくもう、もやしっ子なんだから。あたしももう諦めたけど」

「最高の褒め言葉をありがとうリンネ。はっはっは。この1カ月で全ての積みゲ積み小説を崩すのが僕の使命。誰にも邪魔はさせないのさ」

 高らかに宣言した僕は、再び視線を画面へと戻した。


 有須は家事。ダンゴは学校のプール。親父は当然店番。

 それぞれがそれぞれの活動に精を出している。

 有須に家事を任せっぱなしってところに少々の後ろめたさを感じないでもないが、家族もこんな僕の生態には慣れたものなので、用事や手伝いがあれば遠慮なく声をかけてくる筈。

 つまり、僕がこのインドアライフを円満に過ごすため、残る問題唯一つ。そう、リンネだ。

 最後に試練があったのが先月の七夕。つまりあれから3週間近くの間が空いている事になる。

 早い時は三日と待たずに試練が続いたりするのに、長い時には今回のように何週間も間があく事もある。

 このインターバルは何なのか? この間に果たして意味はあるのか? それこそ神のみぞ知るというやつ。

 こればかりは僕やリンネにはどうすることも出来ない問題なのだ。

 そんな一抹の不安を感じながらも、僕は天高く積み上げられたブックタワーの一番上から、一冊の小説を慎重に抜き取り、タイトルを確認する。

 タイトルは「バリーボッターと100人の妹」

 やたらと地雷臭がぷんぷんするけど、何と言うか、100人の妹というフレーズが僕の心を掴んで離さなかったのだ。

何だよ、100人って、両親頑張りすぎだろ。いや、そもそも人間かどうかすら怪しい。クローンとか魔法とか、そんな感じなのだろうか?

 表紙は集合写真のようにずらりと並んだ妹と思われる女性達と、真中に主人公らしき男性が一人。まるで軍隊のようにびしっと整列している妹達。凄い。タイトルと表紙だけでもこの驚嘆っぷりだ。さぞかしぶっとんだ内容なんだろうな…。

 僕はゆっくりとページをめくっていった。


         ◆


 およそ3時間弱。250Pあまりのその文庫を読み終えるのにかかった時間である。

 見た目の地雷臭とは裏腹に、奇想天外でありながらも最後まで読者を突き放す事なく、むしろぐいぐいと最後の一文まで引っ張られるような、そんなファンタジー作品だった。

 素直に言えば、面白かった。それに、以外にもかなり熱い展開だったことを付け加えておく。

 確かに面白かったんだけど、いつもの僕の趣味とはあまりにかけ離れているジャンルだったのも確か。果たして僕は、いつどこでこんな本を買ったのだろう?

 そう思って裏表紙を見てみると、そこには貸出履歴と書かれたカードが貼り付けられていた。

 ああ、そうか。思い出した。

 何週間か前、街の図書館で気まぐれに借りたものだった。成程、成程。

 ってイヤ、待てよ。何週間か前?

 僕は慌ててそのカードに書かれた返却期限を見た。… 今日?

 良かった。ギリギリセーフ。

 今日か、今日ですか。それなら話は早い。丁度読み終えた事だし、さっさと返しに行こう。

 ついでに二巻があれば借りてしまおう。むしろ無かったら買う。

 積み本を消化するどころか増やすことになっている僕。読んでは増え、読んでは増え。いつものパターン。不毛な循環である。

 そんな事を考えながら、僕は図書館へと向かった。


         ◆


 夏休み中ということで、受験勉強や夏休みの宿題と向き合う学生を始め、外回り中と思しきスーツ姿のサラリーマン、子連れの母親、新聞を熱心に読む老人等々、館内は老若男女問わず、人でごった返していた。

 冷房の利いた館内、静かな環境、ネット設備、そしてさまざまなジャンルを網羅した蔵書の数々、それらを兼ね備えた図書館は、暇を持て余した人々にとって正にうってつけの場所なのだ。それに学校の図書室とは規模が違う。

 そんな僕も、夏休みに入った今でも、この図書館だけは通い続けていた。

 僕の第二の桃源郷。ここは、僕にとって昔からのお気に入りの場所だった。

 僕は真っすぐに返却窓口に向かうと、その足で例の2巻を探し始めた。

 幾ら学校よりも蔵書の数が多いといっても、この手のジャンルの小説、ラノベは一般のものと比べると格段に少ない。

 僕は、ぽっかり空いた棚の隙間を見て溜息をつく。どうやら先客がいたらしい。

 少ないと言ってもどんな本にもファンはいるものなのである。ましてや今は夏休み中なのだ。借りられていて当然。

 僕は落胆しつつ、代わりに新たに数冊の本を選んだ後、再び窓口へと向かった。

 が、その時、先ほどまで僕がいた小説棚から少女の叫び声が聞こえてきた。


「ウッソ、なんでなんでなんでー。なんで1巻がないんですかー」

 桜ケ丘第二学園の制服を来たツインテールの少女。

 どうやら彼女も僕同様、お目当ての本を先客に借りられていたらしい。

 その気持ちは十分分かるけど、高校生にもなって図書館で大声で叫ぶってのはどうなのよ?

 他の場所ならいざ知らず、こと図書館とあっては僕も見て見ぬ振りが出来なかった。

 僕は溜息を一つつき、彼女の元へ向かう。

「君さ、お目当ての本が無かったその気持ちは分かるけど、一応ここ図書館だから」

 そう言って左の人差し指を口元に近づけ、静かにのジェスチャーをとる僕。

 この距離まで近づいて分かったけど、どうやらこの子が探していた1巻っていうのは僕が先程まで借りていたアレらしい。

「うー、だってー」

 だってー、って…。そもそも高校生にもなって図書館で騒ぐという、いまどき小学生でもやらないような暴挙に打って出ている時点で、普通に聞いてくれるような相手じゃないとは思っていたが。

「まぁ、落ち着いてよ。それに君が探してた本ってバリーボッターの1巻だろ?」

「そう、それですよ。つーか、あんたか。まさかあんたが借りてたんですか! こんにゃろー、貸出期間ぎりぎりまで借りてやがってー」

「あははは、ごめん。借りた事すら忘れてて。でもほら、さっき返したばかりだからさ、今ならあそこの返却窓口となりの棚にあると思うよ」

「分かってますよ、んなこと。ったく、しっかりしてくださいよ?」

「はい、スミマセンデシタ」

 もっと言ってやりたい事があったものの、何故か思わず謝ってしまう僕。

 何かもう、突然どうでも良くなってきていた。

「んじゃ、ボクは行くからね。以後、注意するよーに」

 そう言ってスタスタとカウンターへと向かうボクっ子少女。

 ボクっ子? ああ、そう言えばボクっ子なんて初めて見たな。

 空想上の生き物じゃなかったらしい。

 カウンター横の棚から、お目当ての小説を見つけたその少女は、手続きを済ませ、こちらを振り返る事も無く出口へと向かって行った。

 先ほどのやりとりのせいで、何となく居づらくなってしまった僕も、慌てて図書館を出る。

 何だか今一つ腑に落ちない気分だけど、気分を切り替え本屋へと向かう。

 何を隠そう、先ほどのタイトルの2巻を買うためだ。

 出来れば借りて済ませたかったけど、無いものは無い。ましてや返却はいつになるかも分からない。内容を忘れないうちに続巻を読むためにも、ここは一つ、購入するのが手っ取り早い。結果的にまた積み本が増えてしまう事になるわけだけど、この夏休み中には何とか崩せるはずである。


          ◆


 図書館から歩く事10分。僕のお気に入りの本屋に到着。

 品ぞろえも、立地も申し分なし、そして何より、本屋にしては革新的な試し読みスペースなる空間が設置されている。きちんと内容を理解し、納得した1冊を手に取ってほしいという店主の思想によるもので、椅子や机が設置されたそのスペースは、実際本選びの一助となるなっていた。

 それでも、不思議とそのスペースを悪用して何時間も居座ろうという輩やそこで全て読んでしまおうなどという輩が一切出てこないのは、この本屋が昔から地元民に愛され続けている証拠だし、ひとえに店主の人柄だと思う。

 そんな事を考えながら、いつものように自動ドアをくぐる僕。

「おっ、いらっしゃい嵐君。君が午前中に来るなんて珍しいね? 今日は雪でも降るのかな?」

 そう言って出迎えてくれるのはこの本屋の2代目。つまり現店主の息子さん。

 僕より一回り上の年齢だが、昔から僕を弟のように慕ってくれ、僕もまた兄のように慕う人物。

「こんちは、陽兄ちゃん。ってか、こんな真夏に雪なんて幾ら何でもあり得ないよ。普通そこは雨でしょ? 雨」

「ああ、そうだね。でも何故かそんな気がしたんだ」

 そう言って微笑みを浮かべる陽兄ちゃん。

 相変わらずの兄ちゃんである。

 そして、何を隠そう、僕のこのインドア気質はこの人の影響によるものが大きかったりする。

 元々親父とここの店主が仲が良いということもあり、僕は小さいころからこの本屋へ入り浸っていた。元来本好きという僕の性格もあって、年は離れていたものの、すぐに仲良くなった僕達二人。

 僕には姉がいるが、その人は神出鬼没で大抵家にはいない人なので、僕にとって身近で、まともで、手本にしたいような大人像は正にこの人だった。

 簡単な話、昔から陽兄ちゃんの真似ごとばかりしていたら、いつの間にか自分もこんなことになってましたという話。それでも僕は、この人に比べればまだまだまともな方だと言える。


 深町洛陽。それが陽兄ちゃんの本名。ぱっと見は、優しげな表情で常に笑みを浮かべた優男。ぶっちゃけイケメンだ。

 たぶん、外見だけなら相当なレベル。が、残念なことに、その中身はと言えば、アニメ好き、ゲーム好き、漫画好き、正真正銘のオタク。例えば漫画を買う際には、観賞用と保存用、そして布教用と三冊買うような筋金入り。一般人からすれば理解不能というより引くレベルといっても過言ではない。

 深町洛陽とは、そういう人物なのだ。

「ふーん? そうだ、陽兄ちゃん、バリーボッターって知ってる? 今日はそれの2巻を探しに来たんだ」

「嵐君、君は僕を何だと思っているんだい? 勿論知ってるさ。それにいつも言ってるだろ? 作品には愛と敬意を持って接しろって。正式タイトルを覚えていないなんて論外だよ、嵐君。N出版のバリーボッターと不死鳥の妹なら、ほら、丁度今、女の子が立っているあそこの棚にあるよ」

 そう言って遠くの棚を指し示してくれる陽兄ちゃん。

 流石は兄ちゃん、一見何だかカッコいいような事を言っているようだけど、ただ自分の知識を披露したいだけだ。

 というか2巻は不死鳥の妹というタイトルらしい。今回もツッコミどころ満載なタイトル。

 僕は、教えられた棚に近づいていく。と、どこかで見たような少女が一人。

「うげっ、またあなたですか?」

 そう言って心底嫌そうな顔をする少女。間違いない、さっき図書館にいたあの少女だ。

「図書館の君か。って、その本。まさか君もそれ買いに来たの?」

 僕は彼女が小脇に抱えた小説を見ながら言った。

「そうです。何か問題ありますか?」

「いや、無いけど、無いんだけどさ。それ、最後の1冊だよね?」

 やはりマイナーな作品なのだろうか? どうやらここにも在庫は1冊のみだったらしい。

「だ、か、ら。何か問題ありますか?」

「モンダイナイデス、ハイ」

 やっぱり図書館の時同様、反論したい事があったにもかかわらず、途中で急にどうでもよくなり、単純に頭を下げてしまう僕。

「でしょうね。それじゃ、ボクは行きますから」

 そのままレジへと向かうボクッ子。何だろう、このしてやられた感は。

 僕は、がっくりと項垂れたまま兄ちゃんのいるレジへと向かう。

 そんな僕らのやりとりを見ていた兄ちゃんは、にやにや顔で僕を迎える。

「残念だったね、可愛そうな嵐君。ドンマイ」

 そう言ってサムズアップする陽兄ちゃん。

「絶対慰めるときの顔じゃないよね、それ。でもさ、こんなことってあるのかな? 僕、さっきも図書館でもあの子に先越されたんだよね」

「へぇ、これで2度目かい。ってことはもう1度くらい何かありそうな感じがするね」

「いやいや、そんなこと言わないでよ。出来ればもう関わりたくないって痛感したところなんだから」

「なーに、ただのカンだよ嵐君。それじゃ可愛い一番弟子のために、僕が一肌を脱ぐとしよう。実はさっきの本、僕も持ってるんだ。勿論自分用でね。それで良かったら貸してあげるよ。今度来る時までに用意しておくからさ」

「流石兄ちゃん。何と頼もしい」

「そうでしょ?」

 という事で、一旦陽兄ちゃんと別れ家へと向かうことに。

 2度ある事は3度あるっていうけど、このまま真っすぐ家に帰れば二度とあの子と会うことも無いはず。

 それにしてもこの暑さ。図書館、本屋と冷房がばっちり効いた空間にいたせいか、今が真夏だという事をすっかり忘れてしまっていた。

 アスファルトからの照り返しが容赦なく体力を奪い、僕の額からはとめどなく汗が流れ出る。あぁ、まずい。ふらふらしてきた。

 そういえば今朝見たニュースで、今日は今年一番の最高気温を叩きだすらしい。というより、今年はどうにも猛暑らしく、例年より暑い日が続くとか。

 駄目だ、考えただけでうんざりしてきた。夏嫌い。

 到着するころには、持病の貧血も相まって僕は夏の蜃気楼のように左右に揺られていた。


「た、ただいまー。舐めてた。夏を舐めてた。これは苦行レベルだよ。いつから僕は修行僧になったんだ」

 僕は、扉を閉め終わると同時に、玄関にべったりと倒れ込む。

「おかえりなさい兄さん。大丈夫ですか? わざわざこんな暑い日に外出するなんて、兄さんにしては珍しかったですね」

「あー、うん。ちょっと図書館にね。どんな本にせよ、延滞するわけにはいかないだろ?」

「ちなみに、どんな本借りてたんですか?」

「…… 普通の小説?」

 別にやましい本を借りていたわけじゃないけど、妹に向かって妹100人がどうたらなどというタイトルを言うのも何だか気が引けた僕は、適当に言葉を濁すのであった。

「何ですか今の間は。それにどうして疑問系なんですか」

「有須さんもう勘弁して下さい。そして水を一杯下さい。… ふらふらします」

「え? それを早く行ってくださいよ兄さん。んもう、こんな暑いのに出歩くから」

 ちょっと待ってて下さいね、と有須。

「ふぅ… 何とか誤魔化せたみたいだな」

「ぷぷぷっ。いやいや、嵐。全然ごまかせてないよ」

 リンネだ。

 後ろからやってきたところをみると、どうやら日課のぱとろーるを済ませた帰りらしい。

「見てたの?」

「嵐って妹ちゃんにも貧弱だと思われてるんだね。事実だけど」

 そう言って憐みの表情を浮かべるリンネ。

「ふ、ふん。リンネにこの辛さは分からないさ。それはそうと、確かその輪っかが温度調節してくれてるんだっけ?」

「そうそう。だ・か・ら、ぜーんぜん暑くないよ♪」

 憎たらしいほどの満面の笑みを浮かべ、おまけにVサイン。ド畜生。

 僕は、有須に持ってきてもらったコップ1杯の水を一気に飲み干すと、すぐさま部屋へと向かい、光の速度でエアコンのスイッチを入た。

「ふはははは。人間だって負けてないさ。このエアコンという文明の利器がある限りね」

 … ん? おかしい。エアコンが反応しない。

 僕は握りしめているリモコンのONボタンを連打する。

「はっ、電池か。電池切れかっ!」

 僕は慌てて本体の方に近づき、直接スイッチを入れる。

 が、反応なし。僕は自分の顔から血の気が引いて行くのを感じた。

「あらし、それって」

「言うな。それ以上言うんじゃない」

 僕は祈るような気持ちで、げしげしと本体を叩く。治るどころか、白い煙を吹くエアコン。

「あらしー、壊れてるよね? 故障してるよね、これ」

 あまりに残酷な現実を受け入れられず、部屋の隅でうずくまる僕。

「嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ」

「にゃはははははは、あらし最高!」


 僕は、絶望した。

 エアコン無しで、これからの日々をどう過ごしていけばいいんだ。まだまだ夏は長いというのに。

 そんな僕のあまりの落胆っぷりを見たリンネが慌ててフォローする。

「なせばにゃる。なさねばにゃらない。にゃにごともって諺があるでしょう嵐。大丈夫、何とかなるよー」

 そう言って僕の背中をぽんぽんと叩く。

 というかどこの猫将軍の諺だよ、それ。

「それにほらー、これだって同じ文明の利器じゃない、ね?」

 団扇と扇風機。それは僕に残された最後の砦。

 蘇る記憶。走馬灯のように鮮やかに思い出される昔の記憶。

 そうさ、エアコンが入る前はこの二つの文明の利器で何とかやってきたじゃないか? エアコンが無いからって何だ。やれる。僕ならやれるはず。

 僕は、それらを手に取り高らかに掲げた。

「そうだ、僕にはまだこいつらがいる。やってやるぞー。うぉーー」

「うわー。嵐に変なスイッチが入っちゃったよ。ま、いっか」

 その時、リンネのアホ毛が唐突に力強く光り始める。

「キッターーーー。何週間ぶりかな?  ついに、ついにきましたー。嵐、準備おっけー?」

「はっはっは、いつでもいいぞリンネ。今の僕はやる気に満ち溢れてる」

「それはいいんだけどさ、その手に持った扇風機は、流石に置いていこうね?」

「はい」

 僕らは、日差しが容赦なく降り注ぐ、午後の時間帯、再び町へと繰り出した。


「それで、対象までの距離は? さっきはああ言ったけどさ、やっぱりこの暑さには敵いません。なるべく近ければいいんだけど」

「うーん。どうだろう。でも、嵐のよく知ってる場所だよ?」

「僕の?」

 僕の知っている場所。そこは、センサーから知らされる大まかな情報だけでも分かるほど僕にとって身近な場所らしい。

 リンネのアホ毛に導かれるまま僕らは対象と接触すべく、その場所へと向かう。

「じゃじゃーん、ここでーす」

「う、学校か」

 そこは僕の通う、桜ヶ丘第二学園だった。僕は後門の前でげんなりと校舎を見上げる。

 センサーがここを指し示しているという事は当然。

「ここの生徒ってわけか」

「断言は出来ないけど、その可能性が一番高いよねー」

 学校か。僕は何となく雨守三姉妹の事件と鞍馬さんの件を思い出していた。

 あの時は、まだ1学期の真っ最中だったから毎日顔を合わせることが出来たけど、今は絶賛夏休み中。それでも学校に来ているということは、僕のように生徒会や委員会の用事で学校に来ているか、部活動のためか、或いは…。

 そんな事を考えているうちに、リンネが叫ぶ。

「あっ、来たよ嵐。あたしのセンサーが反応してる。対象がこっち来るよ」

「えっ」


 直後、僕は何ともいえない寒気、悪寒を感じた。

 相変わらずの暑さだというのに、僕の体からは一気に汗が引き、変わりに震えが起きていた。

 寒い? 嘘だろ。こんな真夏の真昼間に、僕は寒さを感じているってのか?


「またあなたですか。ははーん、分かりました。あなた、ストーカーさんですね?」

 慌ててその声のする方へと振り返る僕。

 僕は、二度、三度と自分の目をこすり彼女を見つめなおす。

 … どうやら、目の錯覚や、見間違いの類ではないらしい。

 僕がそうまでして自分の目を疑ったのは、その声の主が、午前中に二度出くわしたあのツインテ少女だったからではない。まぁ、勿論それにも驚いたけど。

 僕が自分の目を疑った理由。

 それは、その少女の周りだけ、雪が降っていたからだった。


 言うまでも無く、何らかの伝承の仕業だろう。

 雪。なるほど、これなら先ほどの寒気も納得がいく。

 何と言うか、今の季節とはかなりミスマッチな伝承であることは間違いないようだった。

「リンネさーん。これって雪女とかスノーマンとか、そういう類の伝承だろ? そうなんだろ?」

「ピンポンピンポーン、嵐選手だいせいかーい。あたしの見立てだと雪女で間違いないと思うわ」

 やっぱりか。というか、こんなの当たっても何も嬉しくない。

「天世の質問を無視するどころか、独り言ですか? やーっぱり可笑しいですねあなた」

 そう言ってジト目で睨みつけてくる少女。

「いや、可笑しいのはどちらかと言えば君の方だよ。っと、いきなりゴメン。えーっと、じつは君に用があって待ってたんだ」

「ストーカーするために?」

「… 一度その発想を捨てようか」

 空中で大爆笑するリンネ。いいさ、こういう展開はもう慣れた。笑いたければ好きなだけ笑うがいい。

「君さ、えーっと」

「白井ですよ。白井天世。ここの1年。ストーカーなのにそんな事も知らなかったんですか? 名前なんて基礎の基礎でしょ?」

 もう反論するのも面倒なので、僕はそのまま続ける。

「あー、そうそう白井。ちょっと変な事聞くけど、君さ、寒くない?」

「馬鹿ですか? あなたは。この真夏に寒いとか、アホですか? 暑さで頭やられちゃってるんですか? 脳みそ沸いてるんですか?」

 だよね。普通そうだよね。僕だってこんな質問したくないさ。でもあんな姿を見せられたら、そういわざるを得ないわけで。

「ゴメン、変な事聞いて」

「まぁ、寒いんですけど」

「うぉおおおい、やっぱり寒いんじゃねーか!」

 またもや大爆笑のリンネ。

「流石はボクのストーカーさんですね。ボクのことならなんでもお見通しってわけですか、こんにゃろう」

「いや、殆ど知らないけど。逆に君に僕の事で知っておいて欲しい事なら有る」

「出た。はい出ました。ここからがストーカーさんの本領発揮ってわけですか?」

 もう僕がストーカーなのは決定事項ですか、そうですか。

 僕は大きく深呼吸した後、例のセリフを語り始めた。

「ごめん。自己紹介がまだだったね、僕の名前は花嵐。ここの2年、つまり君の先輩ってわけだ」

「あ、思い出した。あなた現生徒会長の推薦人やってた人でしたよね? あの人もかなーり変態チックな感じだったけど、推薦人もやっぱり変態だったか」

 イタル、お前、相変わらず酷い言われようだぞ。やっぱり会長モテモテライフなんて夢のまた夢だったな。

「うん。よく知ってたね。おかげさまで今は書記やってます。で、続きだけど。僕がやってるのは書記だけじゃないんだ。僕は、天使の使い。つまり天使のお手伝いをやってるんだ」

 あ、固まってる固まってる。

 白井のやつ、すっかりフリーズ状態だよ。氷付けみたいに固まっちゃって動かないよ。

 毎度お馴染みの反応とはいえ、素直に心が折れそうな僕。

 何かもう、全てどうでも良くなってくる。

「寒い、何だか今日は凄く寒いです」

 うん、雪女のせいだから、それ君に取り憑いた雪女のせいだから。

 リンネは笑いを堪え、お腹を押さえつつ、何とか天使のキッスを施した。

「あなた面白わー、何だか嵐と漫才コンビ組めそうな感じね。今度学園祭があったらやってみたら? と、ごほん。あたしの名前はリンネ。天使だよ。ユッキー、あなたを助けに来ましたー」

「何のコスプレですか、それ? 流石ストーカー先輩のツレの方だけありますね」

 突如目の前に出現したリンネにも全く動じず、淡々と受け答えを行う白井。

 それにしても、とうとうリンネも僕と同じ変質者まで成り下がったか。はははは。

「だーかーらー。本物の天使なのー。あなたの雪女を祓いにきたんだからー」

「そーですか雪女ですか。それなんてアニメ?」

「ムッーキーちっがーう。ユッキー、さっきまで雪降らせてたでしょ? 今はあたしが干渉したおかげで止まってるけどさ」

「つーか、ユッキーってボクのことですか? 雪降らせてたからユッキー?」

 何て安直な、と言わんばかりにリンネを見下す白井。

 うわ、リンネも大分手を焼いているようだ。仕方ない、このままじゃ埒が明かないし。

「まぁ、渾名のことは許してやってくれ白井。リンネは残念な事にネーミングセンスが皆無なんだ。それより君の雪女の方が先決。さっきまで君は自分の周りに雪を降らせていただろ? 君自身も寒かったって言ってたじゃないか、それは君が雪女の伝承に取り憑かれていたってこと。さっきリンネも言ったけど、僕らは君のそれを祓うためにやってきたんだ」

「そうそう。あの雪はね、ただの雪じゃないの。あなたの体温や周りの温度を奪って雪に変質させている。だからユッキー自身も寒かったでしょ? それにあなたが近寄ってきただけであたし達も寒かった。このまま雪女の伝承が侵攻すると、雪の降る範囲も広くなるの。そうなるとどうなるか? あなたにも分かるわよね?」

 成る程、図書館と本屋は元々エアコンが効いてたから気がつかなかった。

「ふーん、そっか。ボク、そんなのに取り憑かれてたんだ…」

 以外にもあっさりとその事実を受け入れる白井。僕は疑問に思いそれを口にした。

「僕らの話、信じてくれたってことでいいのかな?」

「ええ、まあ。ボク、こう見えてもそういう話大好物なので。その手の話に抵抗が無いんですよ」

 大丈夫、あの小説を借りていた時点でそんな気がしてたから。

 でも、オタクであることと、こんな話信じられるかどうかってのは思いっきり別の話だと思うんだけどね。

「ありがとう。で、ここからが大切なんだけどさ。伝承に取り憑かれるってのはただ事じゃないんだよ。だから、取り憑かれるには、何かしらの理由ってやつが有るはずなんだ。何か心当たりとかあるかな?」

 僕は慎重かつ冷静に白井を問いただしていく。これが分かれば解決への路はぐっと近くなる。

 そんな僕の思いを余所に、白井は至極あっさりと答える。

「ある。ありますよ。思い当たる節が」

 リンネは目を輝かせて問いただす。

「えー、なになになーに」

 そんなリンネを尻目に、白井は一呼吸置いた後、僕の目を見ながら答えた。

「ボク、夏が大嫌いなんです」

 気がつくと僕は、思わず彼女の手を握り、硬く握手を交わしていたのだった。

「つーか、何ですかこの握手は? 訴えますよ?」

「ゴメン、僕も夏が大嫌いなものでつい」

「そうですか。なら許します」

 良かった。僕はその手を離し、近くを浮遊していたリンネに話しかける。

「つまり、今回の雪女は、白井の夏嫌いを克復させないと駄目ってことかな?」

「うーん、本人がそう言ってるんだから、その可能性が一番高そうなのは確かだけど」

 何となく含みの有る言い方だけど、方向性としてはとりあえず間違ってはいないらしい。

「そっか、分かった。さて、とは言えどうしたもんかね?」

 夏嫌いを克復するにはどうすればいいのか? 

 そんな事を言われても僕自身夏が嫌いなわけで、これはなかなか難易度の高い問題かもしれない。

 しかも夏が嫌いといっても、わざわざこの真夏に雪を降らせちゃうくらい嫌いなレベルなのだ。一筋縄ではいくまい。

 僕がそんな風にして頭を抱えていると、校舎の方からひょっこりと東さんが現れた。

「あれあれ? もしかして嵐君ですか?」

 その瞬間、僕の中でガチャリと音を立ててピースが嵌った。

 ブラボー。これだ。この案でいこう。

「おお、東さん。実にいいところに」

「え?」

「東さん、生徒会メンバーで親睦会を含めて海に行くのって、確か明後日だったよね?」

「そうそう。明後日の朝7時にここに集合だよ? それがどうかした?」

 僕はにやりと笑い、白井の肩にぽんと手を置く。

「うん。ほら、会計監査ってまだ決まってなかったでしょ? 実はさ、こいつを推薦しようと思ってね」

 僕のいきなりの提案に、思わずこちらを睨んでくる白井。言いたいことは分かるものの、ひとまずは放置。

「あらあら、そうだったんですか? 1年生かな、お名前は?」

 にっこりと白井に笑いかける東さん。そんな彼女の笑顔に負けたのか、僕の急な提案に疑問や反論を挟む前にその口を開く。

「い、一年の白井天世です」

「天世ちゃん。うんうん、とっても可愛い名前ね」

「っ、あ、ありがとうございます、先輩。この名前のよさが分かるとは、どこぞの先輩とは大違いですね」

 こいつ、あからさまに僕の時と態度が違うぞ。

「と言うわけでさ、皆の意見も聞いてみたいからコイツも海に連れて行きたいと思ってるんだけど、どうかな?」

「なっ、ボク、そんなの一言も聞いて」

「とってもいいと思うわ。私は賛成。こんな可愛い女の子が生徒会に入ってくれれば、私も嬉しいもの」

 僕は再びニヤリと笑い、天世の背中をばしばしと叩く。

「だってさ、白井。良かったじゃないか。それじゃ、これでけってーい」

 僕らのそんなやり取りを黙って見つめていたリンネが一言。

「こういうときの嵐ってホント凄いよね。あんな短時間でユッキーの性格を良く見抜いてるもん。ぷぷっ、本当にストーカーの才能があるかもねー」

 リンネ、せめてもう少し真っ当な褒め言葉は浮かばなかったのか?

 このところ、僕の称号がもやしっ子からヘンタイにクラスチェンジしつつある気がする。実に由々しき事態である。

 とにかく、これで下準備は完了だ。といっても実はこの後の展開は何も考えてなかったりする。つまり、海に言った後は成り行きに任せるしかないわけで。それ以前に、まずは明後日に白井が集合場所に来てくれるのを祈るしかない。

 

 こんな綱渡りで無責任な僕の計画。さて、どこまでうまくいくかな?


          ◆


 二日後


 一応、白井を引っ張り込んだ責任もあるので、集合場所に一番最初に向かうべく、まだ日も昇りきらないうちに起床する僕。

 こんな早い時間に果たして起きられるかどうか、そんな子供みたいな悩みも、目覚まし3個で何とか解決、事なきを得た。

 あぁ、窓の外では鳥達がちゅんちゅんと囀り、オレンジ色の朝陽が僕の部屋を照らしている。この時間に起きることなんて滅多にない僕にとって、例えこんな些細な出来事でも何故か感動を禁じえないのだった。

 僕は、今日の予定を反芻しながら窓を開けじっと外を眺める。

 が、そんな様子をにやにやしながら見つめる天使が一匹。

「にゃははは、あらしってばー柄にもなくなーに黄昏ちゃってるの? はっずかしぃー」

 … しまったー。あまりの清々しさに、リンネの存在をすっかり忘れてた。

 僕は、なるべく平静を装いつつリンネの方を見ずに答える。

「べ、別に黄昏てたわけじゃないぞ。ただこう、ほら、ね、ちょっとだけテンションがさ… ZZZ」

 寝たふりでごまかす僕。カッコワルイ。というか恥ずかしい。普段こんな時間になんて絶対起きないからな、妙なテンションになってしまった。

「こらー、あーらーしー。寝たふりでも、本当に寝てても駄目だよ。今日はユッキーを助けるんだからね! いつまでも寝ぼけてないでさっさと起きてー」

「はい」

 僕は、リンネの言葉に素直に従い、いそいそと準備を始める。

 流石にこの時間では親父も有須もまだ寝ているらしく、花家は静寂に包まれている。

「さて、と。白井のやつ、素直に来てくれりゃいいけどな。それじゃ、行こうかリンネ」

 集合場所は桜ケ丘第二高校の校門前。

 約束の時間まではまだ大分あるものの、やはり、白井が来なかった時のことも考え、僕は集合場所に誰よりも早く着くつもりで向かっていた。

「ねーねー嵐、海ってここから遠いんでしょ? どーやっていくの?」

「んー、それなら心配いらないよ。やっぱりここからだと一番近い海でも結構時間掛かっちゃうからね。勿論車でいくんだけど」

 僕がそこまで言いかけた時、リンネが学園の校門を指さし、叫んだ。

「嵐、あれあれっ、アレ見てよー」

 リンネが指さす先、校門に小さな人影。間違いない、アレは。

「白井? まさかお前が一番のりだったとは驚きだよ」

 白井はどこか不機嫌そうな顔で僕の顔を睨みつける。ふむ、睨みレベルはダンゴ以上有須未満。つまり、びびるレベルじゃないってこと。

「たまたまです。偶然早く起きてしまっただけですから。つーか、みなさんが遅すぎるだけじゃないですが? 海舐めてますよ絶対」

 そう言う白井の眼には明らかにくっきりと隈が浮いていた。

 口ではこう言ってるけど、本当はめちゃくちゃ楽しみにしてたのか? だとしたら、今回の試練。もしかしたら意外と何とかなるかもしれない。

 が、そんなことはおくびにも出さず、僕は何食わぬ顔で会話を続ける。ここで彼女の機嫌を損ねることだけは避けなければならない。

「ごめんごめん。そうだよな。誘った側が遅れてくるなんて問題外だよな」

「そうです。その通りです。分かればいいんですよ、全く」

「もしかしてユッキーってば。海に行くの一番たのし」

 リンネー。おーいリンネ。空気を読め。読んでくれ。僕は必死に話題をそらす。

「あー! っと、ごほん。えーっと、アレだ、そうそう、白井、水着はちゃんと持ってきただろうな? それ忘れたら話にならないぞ?」

 白井はハァーと溜息をつく。

「当然、準備して有るに決まってるじゃないですか。それとも先輩には、ボクが海に行くのに水着を忘れるようような、そんなドジッ子キャラに見えますか?」

「いや、残念ながらドジッ子には見えないな」

 そもそもボクっ子だし。それに、ドジッ子なら月美ちゃんや雷九で十分間に合ってますから。

 それにしても、水着か。

 今更だけど、海なんだから皆当然水着なんだよな。となると、目の前の白井を始め、鞍馬さんや東さんの水着姿を拝めるという事実。

 ……… 夏ってイイネ!

 何かもうそれだけで、今までの糞暑かった日々も許せてしまうから不思議。

 むしろ今まで嫌っててごめんね、夏さん。

 あーあ、白井も僕くらい簡単に心変わりしてくれれば今回の試練は簡単なのになー。

 でもそうか、水着か。皆どんな水着を着るんだろう。

 そう考えると凄くわくわくしてきてしまう現金な僕。

 鞍馬さんは、あの性格ならきっとビキニタイプだろう。東さんはきっとパレオタイプとか。で、白井は…。

「先輩、何か今いやらしー事とか考えてませんでした? 例えばボクの水着は何だろーとか」

 白井がジト目でこちらを伺う。こいつ、エスパーか? いや、今のは完全に僕が悪いな。幾らなんでも本人を目の前に考えることじゃ無かった。多分、物凄い顔に出てたに違いない。

「あは、あははは。ご名答。考えたよ確かに、白井はどんな水着かなって。ごめんごめん、本人を前にして失礼だったかな? でも気になったんだからしょうがない」

「はあ。普通に認めるんですね。そこは誤魔化すところじゃないんですか普通。………それじゃ、見ますか?」

 何故か上目遣い、しかも妙顔を赤らめもじもじした態度でそんな事を言い放つ白井。

 ナンデスカソレハ。

 ちょっと何言ってるのか僕には理解できない。理解の範疇を超えている。

 天使も悪魔も許容してきた僕の脳が、彼女のそんなたった一言によってオーバーヒートしてる。

 僕はどうしたらいいか分からず、あわあわと行ったりきたりしている。

 そんな僕の様子を気にも留めず、こんな校門前で上着のボタンを一つずつ外し始める白井。

 えー、あー、うー。どうやら僕の言語中枢は完全に崩壊してしまったようだ。

 と、何だかんだ言いつつもそんな白井の様子をガン見する事で落ち着いた僕。

 白井の上着の下から光臨したモノ、それは。


 スク水だと?


「し、白井… 何でこんな道端で水着を見せるんだとか、そもそもどうして既に水着来てるんだよとか、そんな野暮な事は聞かない。でも、一つだけ僕の質問に答えてくれ。どうして、なんで、何故、スク水なんだ? しかもウチの高校って水泳の授業ないから、それって中学の時のだろ?」

「つーか、何うろたえてるんですか先輩は。確かに中学のときのものですけど、別にスクール水着なんて珍しくも何ともないでしょ?」

「あ、ああ。スクール水着なんて珍しくないよ。僕の妹も現役で着てるし。でもさ、高校生であるお前が着てるってのが問題だろ」

「何ですか差別ですか。先輩の妹さんは良くてボクが駄目なんて不公平です。それに、理由なんてないですもん。別にいいでしょ? スク水好きなんですから」

 うん。そっか。好きならしょうがないな、好きなら。

 僕もシチュエーションに惑わされてついつい取り乱しちゃったけど、人の趣味をとやかく言うのは良くないな。それに、悪くない。むしろいいじゃないかスク水。いえーいスク水。

 僕は白井の肩に手を置き、わざとらしく改まった顔で言う。

「スマン、僕が悪かった。白井の言う通り、人の趣味は千差万別」

「だから何ですか、その妙に腹立つに訳知り顔は!」

 僕らがそんな不毛なやり取りをする中、こちらに近づいてくる人影が一つ。

「お早うございます。嵐さんに、天世ちゃ……」

 生徒会の天使こと東さんである。

 やはり彼女は時間より早めに来るタイプだと思ったよ、などと暢気に言ってる場合じゃない。

 どうしよう。最悪のタイミングで最悪な場面を見られてしまった。

 凍り付く東さん。空中で大爆笑するリンネ。上半身半脱ぎで何故かスク水の白井と、そんな彼女の肩に手をかけている僕。


 駄目だ、終わった。

 この状況を覆すだけの能力を、僕は持ち合わせていない。

 それでも何とか悪あがきだけはしてみようと乾ききった口を開く。

「あ、あの、あのね東さん。これは」

「あ、あはは。大丈夫、安心して嵐君。嵐君がどんな人でも、私、生徒会の仕事を途中で投げ出して辞めたりしないから」

 そう言いつつ、半歩下がる東さん。

 半べそ状態の僕をよそに、冷静に上着を着直す白井。

「お早うございます東先輩。今日はどうぞよろしくお願いします」

 そう言ってぺこりと頭を下げる白井。何故だ、何故お前はそんなにも落ち着いていられる?


 その後、丸々30分かけて何とか誤解は解けたものの、既に披露困憊状態の僕。

 これだけで今日1日分のエネルギーを消費したのは言うまでも無い。

 そうこうするうちに、鞍馬さん、イタル、そして最後に車で到着したのが陽兄ちゃん。

 そう、今回僕らは陽兄ちゃんの同伴の元海へと行くことになった。

 本来なら生徒会顧問の先生に連れて行ってもらうべきなんだろうけど、今回のこれはあくまで生徒会の活動外、親睦会という名のお遊び会なのだ。流石に先生には頼れない。

 そこで僕が適任として推したのが陽兄ちゃん。

 この人、今では筋金入りのインドアだけど、信じられない事に昔はかなりのアウトドア派だった。親父と一緒に僕を海へ山へと連れ回してくれたものなのだ。だからこそ、この辺の海にもかなり詳しかったりする。

「や、お早う皆。とりあえず時間も無いから、挨拶は中でね? さ、乗って乗って」


「急かしてしまってごめんね。今回皆を引率する深町です。嵐君やイタル君がお世話になってます」

 こちらこそー、と女性陣。流石は陽兄ちゃん。その顔と人当たりの良さで生徒会女性陣からの反応も上々。

「やっぱりつえーな陽さんは。あいつら、俺らの時と全然反応が違うぜ、嵐」

「そりゃそうだろ。陽兄ちゃんイケメンだし。流石に慣れてるけど、毎回何とも言えない気分にはなるな」

 不意に僕の隣に座っている白井からの視線を感じた。おっと、そうでしたそうでした。僕は慌てて口を開く。

「改めて紹介するけど、この子白井天世って言うんだけどさ、会計監査に推薦しようと思って連れて来たんだ」

 僕はそう言いながらぽんと彼女の背中を軽く叩く。

「白井、天世です。一年です。この鬼畜先輩に騙されてやってきました」

 だっ、おまっ。

 確かに騙し討ちには近かったかもしれないけど、自分だって本当はかなり楽しみにしてた癖に。何てひねくれ者。素直じゃないヤツ。

 白井の自己紹介に微妙にしんと静まりかえる車内に、陽兄ちゃんとイタルの笑い声が響く。

「ひゃっひゃっひゃっ。あらしー何だおい、お前ついに一線を踏み越えちまったのか?」

「嵐君、成長したね。師としては嬉しい限りだよ」

 三者三様の答えが返ってくる。

 ただ、鞍馬さんだけは僕の近くで浮いているリンネの姿を見て、彼女が取り憑かれていると気づいてくれたようだった。

「皆どんな想像してるんだよ! それに陽兄ちゃんは白井の事見た事あるだろ? 一昨日本屋で僕と言い争ってたあの子だよ!」

「ははは。知ってる、ちょっとからかっただけだよ。カルシウムが足りてないのかな嵐君。牛乳飲んでる?」

 そんな和気あいあいとした雰囲気の中、車は進み、時刻はお昼に近づきそうな頃。ついに、僕らは目的地へと到着した。


 潮風の匂い、照りつける太陽、打ち寄せる波、人気のない砂浜。

 海である。しかもかなりの隠れスポットのようで、この時期にこれだけの良い場所に人がいない。

 陽兄ちゃんに感謝しつつ、僕らは早速海へ向かう。


 僕らが荷物を脇に運んでいる間、女性陣は近くの更衣室で着替えを済ませる。

 が、既に私服の下にスク水を装備していた白井に隙は無く、またたく間に準備を整え、一番手でそのまま海へ直行。

「うぉいコラー、待て待て待て白井ー。準備体操くらいしろー」

 慌てて止めに入る僕。というかコイツ本当に夏キライなのか? 今朝からの様子を見る限り、これじゃあまるで。

「むっ、今からしようと思ったんですよーだ。全く、先輩は姑ですか? おかんですか?」

「ひゃっひゃっ、そりゃ言えてるぜ白井。コイツは変なとこ細かいからなー」

 準備体操しろと説教しただけでえらい言われようである。というか普段、僕ってそんな風に見られてたのか。若干ショックだ。

「あんた達、何騒いでんのよ? 海くらいではしゃいじゃって、ガキね」

 そうこうするうちに鞍馬さんと東さんがやってきた。

 ビンゴ! 僕の今朝の予想通り。鞍馬さんは目のやり場に困る赤のビキニ。東さんは白のパレオ。どちらも甲乙つけ難い。おお目の保養。

 それにしても相変わらず棘ある言い回しの鞍馬さん。とはいえ、生徒会でも特にイタルに対しては常にこんな感じなのでいい加減僕も慣れていた。

 が、一方のイタルは違うようで。

「おおおおお、あずねちゃん! 可憐だ。天使だ。まるで一枚の絵画のようだ。まさに生ける芸術。今日、あなたと海にこれば俺はなんて幸せモノなんだーー! … で、鞍馬。お前今、何て言った。あん? 海くらいだぁ~? よーし、そこまで言うなら俺とどっちが遠く前で泳げるか勝負だ」

「いーわ。受けてあげる。その代わりアタシが勝ったら生徒会長の座譲ってもらうから、覚悟しなさい!」

 うっしゃおらーという掛け声とともに、海へと飛び込んでいく二人。準備体操は…… もういいです。二人ともまるで子供だ。

「あの二人、相変わらず仲良いな。まぁ、単純に会長と副会長の仲が良いってのは良いことだけどね」

「その通り。紅ちゃんもあんなにはしゃいじゃって」

 僕の隣には東さん。普段制服姿しか見慣れていない僕にとって、今の彼女の姿は緊張の対象そのものなわけで。

「あはは。それはそうと東さん、その水着良く似合ってるね。イタルも言ってたけど、本当に天使みたいだ」

 どこかの天使とは大違いなのである。

「あらあら、お上手。ふふっ、安心して下さい、別に今朝の事は本気にしてませんよ? 嵐君はあんなことする人じゃない。そうでしょ?」

 そう言ってにっこりと微笑んでくれる東さん。天使だ、本物の天使がここにおる!

 と、冗談はほどほどにして、無事誤解が解けたのは実にめでたいんだけど、大変なのはこれからだ。

 こうやって無事に海まで来ることはできたけど、後はどうやって白井の雪女を祓うかだ。行き当たりばったりで何とかなるかと思っていたけど、どうやら僕の考え方は大分甘かったようだ。

 ここから先どうすればいいかなんて、全く思い浮かばなかったのだ。

 まぁ、折角海まで来たんだからやることなんて一つだけどね。

「よし、白井。準備運動はすんだか? 僕達も泳ぐぞ」

「ふっ、ボク達も勝負でもしますか先輩?」

 勝負か。いくらインドアな僕でも年下のしかも女の子に負けるわけにはいかない。

 これでも親父や陽兄ちゃんに鍛えられてるんだ。それに、もしかしたら何か突破口がみつかるかもしれない。

「自信あるのか? いいよ、僕が完膚なきまでに叩きつぶしてあげよう」

 僕は大人げも無く勝利宣言をし白井の隣に並ぶ。

「二人とも、あんまり無茶しちゃだめよ~」

 浜辺では東さんが手を振っている。別にかっこつけるつもりはないけど、午前中の僕のマイナスイメージを払拭するにはいい機会だ。

「準備はいいか白井? んじゃ行くぞー」

 僕は勢いよく海へと侵入。

 海の水が心地よい。体も心なしか軽い。これならどこまででも泳げそうな気がする。

 あっはっは。悪いなー白井。言葉通り、手加減無しでぶっちぎらせてもらうぞー、… って白井は?

 可笑しい、後ろから全く音がしない。

 幾ら何でもスタートして数秒でそこまで距離が空くはずがない。

 まさか?

 僕は慌てて泳ぎをストップし、水面に顔を出した。

 浜辺の方を凝視すると、浜から数メートルの時点にぷかぷかと浮く白井と、慌てて近寄る東さん。

 おいおいおいおいおいおい。嘘だろ。

 ああ糞、僕の馬鹿野郎。白井は夏が嫌いなはずだろ? まさかとは思うけど、その可能性もあったのだ。

「白井、大丈夫かーしらいー」

「天世ちゃんしっかり!」

 一先ず彼女を掴んで浜辺に寝かせる。

 いつの間にかというか、今までどこに行っていたのか、騒ぎを聞きつけた陽兄ちゃんが僕らの側に来ていて、白井を冷静に介抱する。

 ぺちぺちと頬を叩いてみると、まるで漫画のようにぷぴゅーと口から水を吐き目を覚ます白井。

 よ、良かった。何と言うか、間違いなく僕の寿命は縮んだに違いない。

「白井、まさかとは思うけど、お前泳げないのか?」

「…… はい。カナヅチですけどなにか?」

 真顔でそう言い放ったボクっ子。何のつもりだ? へたすりゃもっと大ごとになっても可笑しくは無かったっていうのに。

「良かったー天世ちゃん、もうもう心配させちゃだめだよ」

「まぁ、無事で何よりだけどさ。そういことは早く言ってくれよ白井。皆心配するだろ?」

 僕の言葉に対して、難しい顔をして白井が答える。

「正論ですけど、先輩に言われると何故かむかつきますね」

 む、むかつくって。それはあんまりだろう白井。というか随分ストレートだな。

「白井ちゃん、泳げないことは恥ずかしい事じゃないさ。それに、もし克服したいなら、嵐君に教えてもらうといいよ」

 えっ、そこは年長者として自分で教えるんじゃないの? というか陽兄ちゃん、水着すら着てないし。泳ぐ気ゼロだよ。

 折角海まで来てパラソルの下で漫画読んでるとか、僕もインドアを自称してるけど、この人には一生勝てない気がする。

「まぁ、教えるのはやぶさかじゃないけどさ、どうする白井?」

 そんな僕の呼びかけに、ちょっとだけ逡巡した後、僕の目を見ながら答えた。

「しょーがないですね。先輩、教わってあげてもいいですよ」

「そりゃどーも。そうだ、東さんも一緒にお願いしていい? 僕一人じゃ何となく不安だから」

 唯でさえイタルという爆弾を保有している生徒会に、また一人こんな問題児を迎え入れて、果たしていいものなのかどうか。

 今更ながら物凄く不安になってきた。自分で出したアイディアなのにね。


 白井に泳ぎを教えて1時間が経過。

 駄目だ、コイツ。流石にカナヅチを自認するだけあって浮かぶ事すら難しい。これは骨が折れるなんてレベルじゃないかもしれない。

 と、僕が深刻な顔をしていると白井がぽつりと呟く。

「つーか、分かってましたよ最初から。ボクなんてどーせ泳げないんですよ。無理なんですよ。だから夏なんて嫌いなのに」

 その瞬間、辺りの温度が一気に落ちる。一瞬、海の水が凍りつくんじゃないかと思ったほどだ。

 だがまずい、雪女の侵攻スイッチが入ってしまったらしい。

「えっ、え? 私、何だか急に寒気が… 」

 その時、ぼんっと音を立て何故か水着姿のリンネが現れる。

 天使らしく、白のレオタード。へぇ、リンネのヤツ意外と胸があ… 何て暢気に言ってる場合じゃない。僕のアホ。

「あらしー大変。雪女の力が強まってきちゃってるー。ユッキーから冷気が溢れちゃうよー」

 僕は横にいる東さんに慌てて言った。

「東さん、長時間水の中にいたから冷えたんじゃないかな? ごめんね、つき合わせちゃって。ここからしばらくは僕が教えるからさ、浜辺で陽兄ちゃんと休んでいてよ?」

 僕はともかくとして、一般人である東さんを巻き込むわけには行かない。

 それに、今のところ白井の力の効力有効範囲はそれほど広くない。浜辺までは影響が及ばないはず。

 さて、ここからは寒さとの勝負。

 ここで僕が投げ出したら、彼女の伝承を取り払う事は一生出来ない。是が非でも諦めるわけには行かないのだ。

 とはいえ、こんな真夏に寒さで震える事体になろうとは夢にも思っていなかったわけで。

 暑いのも嫌いだけど、寒いのだって好きじゃない。そんな事を愚痴りつつ、僕は唇を紫にしながら白井の練習を続ける。

 

 さらに1時間が経過。寒さに震えつつ、つきっきりで指導した結果、白井の泳ぎは何とか様にはなっていた。奇跡である。

 一方、僕の体力が限界寸前。後は彼女が納得してくれれば一時でもこの冷気を止める事が出来るはず。

「ど、ど、ど、どうだ白井? ち、ちゃんと練習すれば、ば、泳げるように、なった、だろ、ろ?」

 僕の唇は紫を通り越しどす黒くなってきている。もはや呂律がうまく回らない。

「ふふん。ま、ボクの能力を持ってすれば、泳ぐ事なんて簡単ですよ」

 言い返したい衝動を必死に抑え、僕は彼女の言葉に耳を傾ける。

「そうだ先輩。もう一度勝負しましょう。今度はボクの本気で勝負してあげますから」

「あ、ああ。の、望む、と、と、ところ、だ」

 僕は歯をガチガチと鳴らしながら何とか答える。

 あれだけ太陽がギラついているのに、どうして僕は一人で真冬気分なのだろう。

 意気揚々と少し先に見えるブイを指さしながら白井が言う。

「あのブイまで先に着いた方が勝ちですからね? よーい、ドーン」

 ばしゃばしゃと覚えたてのクロールで少しずつ前へと進む白井。

 一方、泳ぐ体力さえ残っておらず、逆に浜辺へと流される僕。

 結果は明白。

「あーっはっはっはー。やったぞこんにゃろー。どーですか先輩、ボクの実力はー」

「うん…… いいんでない?」

 彼女の満面の笑顔を見届けたあと、僕はぶくぶくと音を立てて海底へと沈んでいったのだった。


         ◆


「よし、スイカ割りすんぞー!」

 浜辺でぐったりする僕をよそに、ようやく戻ってきたイタルが叫ぶ。

「ちょっと待てイタル。そもそもスイカなんて誰も持ってきてないだろ?」

 イタルはニヤリと笑い、スイカを天高く掲げた。

「え? 何で? まさかわざわざ買ってきたのか?」

「おいおい嵐。こうして実際にスイカがあるんだからよ、細かい事は無しにしよーぜ」

 鞍馬さんと勝負していたはずなのに、何故かスイカを片手に帰ってきたイタル。謎過ぎる。

 一方の鞍馬さんも僕同様、浜辺でぐったりして先ほどから独り言を呟いていた。

「…… あんなやつに負けたあんなやつに負けたあんなやつに」

 やはり、ここは追求しないのが吉だろう。

「そうなると、あとスイカ割りに必要なものと言えば、てきとーな長さの棒と、目隠しかな」

「おぅ、棒ならあるぞ嵐。ほれ」

 そう言って木刀をこちらに投げてよこすイタル。は? 木刀?

「イタル、何で木刀何だよ。しかもこれどこぞのお土産屋で良く売ってるアレじゃないか。お前ら一体どこまで行って来たんだよ!」 

 体育会系の考える事はさっぱり分からない。というか理解出来ないし、したくもない気がする。

「ひゃっひゃっひゃ。まー、俺が勝ったってのは確かだから気にすんな。えーっと、後は目隠しか」

 と、先ほどからずーっと体育座りでうわ言のように独り言を呟いている鞍馬さんに向かって一言。

「おい、鞍馬、その水着ぬ」

 イタルが言い終える間もなく、鞍馬さんの拳がイタルを海の藻屑へと変えていた。

 ぷかぷかと海を漂う生徒会長。イタル… 無茶しやがって。

「アホですね」

 白井が呟いた。

「ああ、アホだ」

 僕は同意した。心の底から。


 その後、元気を取り戻した鞍馬さんと東さんと白井と僕でスイカ割りを続行。

 木刀の一撃を頭上に受けるというお約束をこなすうちに、気がつけば日が沈みかけていた。そろそろお開きだろうか。


「完全無欠の生徒会長、ただいま帰還!」

「さーて皆、そろそろ帰り支度しようか? ゴミはちゃんと持ち帰ろうね、後忘れ物に注意して」

「無視か? 無視なのか?」

 イタルを無視し、いそいそと片付けと着替えを済ませた僕らは、陽兄ちゃんの待つ車へと戻った。

「やぁみんな、海は楽しかったかい?」

 結局、アレ以降一度も車から降りてくる事が無かった陽兄ちゃん。

 僕が言えた義理じゃないけど、折角海に来たって言うのに外に出ない陽兄ちゃんのインドア気質には並々ならぬものがあるわけで。

「楽しかったぜー。誰かさんのおかげで危うく遭難するかと思ったけど」

「べーっだ。そんなの200%自業自得でしょ」

 顔に血管を浮かび上がらせながら、鞍馬さんがイタルを睨みつける。

「ま、まぁまぁべにちゃん。至君も、悪気があったわけじゃないんだから、ね?」

「イグザクトリー。その通りです、あずねさん。流石に俺の事を良く分かってらっしゃる」

 いやいや東さん、むしろこいつには悪気しかないですから。悪気の塊ですから。

「ははは。楽しんでもらえたようでなによりだよ。それはそうと、帰り道なんだけど、どーやらこの近くでお祭りをやってるみたいなんだ。寄ってくかい?」


          ◆


「流石にこの時期だけあって混んでるなぁ。皆、はぐれないようにしないと、っていないし。既に皆いないし」

 陽兄ちゃんの提案に満場一致で賛成した僕らは早速祭り会場へやってきた。

 単純に人が多いってのも去ることながら、海の時もそうだったけど、僕らは何てまとまりの無いチームなのだろうか。こんなのでこれから生徒会としてやっていけるのかどうか多少不安になる。

 そんな事を考える中、誰かが僕のTシャツをくいくいと引っ張っている事に気がついた。

「ん? ああ良かった、白井、迷子になったのかと思ったよ」

「それをボクに言いますか先輩。この状況、どう考えても先輩が迷子になったと言った方が適切でしょ? 全く、ガキですか先輩は」

「ですねよね? ごめんなさい、お手数おかけしました」

 だって認めたくなかったんだもん。この年で迷子とか。ケータイも車内に置いてきちゃったしさ。

 二人でとぼとぼと合流地点まで歩く。

「白井、今日はどうだった?」

「もがもががもが」

 白井は、先ほど僕がお詫び代わりに買ったたこ焼きを口いっぱいに頬張りながら答えた。

 正直、何言ってるのかさっぱりわからない。

 というか一度に頬張りすぎなんだよ。お前はリスか? リスなのか? 誰も取りゃしないってのに。

「ごめん、食べ終わってからでいいから」

「もが」

 待つこと数秒。白井の口から出た答えは。

「イマイチですね」

「うぐっ」

「何がうぐですか。このたこ焼きがイマイチだって言ったんですよ。これじゃーお詫びの品にはなりませんね」

 その割には美味しそうに食べてた気がするんだけど。

「ああそう、なら別の」

「だから、だから、また今度、こうやって遊びに来てやってもいいって言ってるんです」

「… そっか。勿論喜んでお連れしますよ、天世様」

 どうやら、思った以上に楽しんで貰えたようだ。これは成功ってことでいいんだろうか?

「ほ、本当ですか? って、ふ、ふん。仕方ないですね、気が向いたらついていってあげます」

 そんな捨て台詞を吐いて一人走り去ってしまった白井。

 入れ替わるようにして目の前に現れるリンネ。

「よっ、リンネ。これで良かったのかな? お前の眼にはどう見えた?」

「流石は嵐ってとこかなー。今のユッキーならだいじょーぶそうだよ」

「良かった。でも、今回も雷九の時同様、僕は何もしてないけどな」

「またまたー嵐ったら謙遜しちゃってー。一応、あたしなりに解説するとね? ユッキー最初夏が嫌いだって言ってたでしょ?」

「ああ、僕も嫌いだ」

「それって、つきつめれば、夏が嫌い=暑いのが嫌い、海が嫌い、プールが嫌い、祭りが嫌い、花火が嫌い、夏のイベントが嫌いってこと。ユッキー、嵐と違ってアッパータイプのオタクちゃんみたいだし。嫌いだからこそ、相手の気力を奪ったり、この雰囲気をぶち壊してやろうと思ったんじゃないかなー。だから正反対の季節の現象を持ってきたの。だから雪」

 確かに、白井の降らせていた雪は一般的な自然現象の雪ではなく、自分の周りに居る人の温度を下げ、その奪ったエネルギーの象徴のようなもので、一般人の眼には見えないものだった。

 つまり、雨守三姉妹のときの雨のように本物の自然現象を呼び寄せたわけではない。雪はあくまで飾り。肝心なのは彼女が周囲の温度を奪う事で、彼女の周りにいる人たちの雰囲気や、やる気をぶち壊そうとしていたところだ。

「でもね? 嵐がかなーり強引にユッキーを引っ張ってきたでしょ? そもそも本当に嫌いなら嵐のことなんて無視しちゃえば良かっただけだもん。本当は心のどこかで期待していたのかもしれないし、誰かにこうしてほしかったのかもねー。だから、その雪は彼女なりのメッセージでもあったのね」

「何だそりゃ? 今一つ納得できないんだけど、構ってちゃんってこと? 何て素直じゃない。何て寂しがり屋。そして、何て天の邪鬼なやつだ。まぁ、僕がやったことが無駄じゃ無かったってんならそれでいいよ」

「にゃははは、嵐に繊細な乙女心を理解出来る日なんて来るわけないよねー。嫌よ嫌よも好きのうちってね。嵐がユッキーに、夏嫌いを払拭させたそれでいいじゃない。それに、前にも言ったでしょ? あたし達の仕事は、一歩を踏み出せないでいる人たちの背中を、そっと押してあげる事だって。天使だって、毎回毎回荒療治ばかりするわけじゃないもん。ね?」

「そうだね。暫くはダンゴの時みたいなのは勘弁してほしいよ。今でも時々夢に出るレベルなんだぞ?」

「ぷぷっ。時々うなされてるなーって思ってたけど、みたらしちゃんにボコボコにされてる夢見てたんだ? 情けないな~嵐ってば」

「ああ自覚してるさ。さて、そろそろ集合場所に行こうか。これ以上皆を待たせたら、今度は何奢らされるかわかったもんじゃないぞ」


          ◆


 数日後。

「おまたせ白井、待たせちゃったか?」

「別に待ってません。今来たとこですから。つーか何ですかこの定番のやりとりは。これじゃまるで、でで、デートみたいじゃないですか」

「それを言うならお前の答え方だってデートの定番のやつだろ。お、偉いぞ白井。ちゃんと持ってきてるな」

 そう言って妹達にそうするように、彼女の頭を撫でる僕。

「し、仕方ありませんから。一応約束は約束ですし。ボクは約束は守る女なんです」

 彼女が手にしているもの、それは生徒会への入会届だった。

 本来なら夏休み中の今、わざわざ学校まで持ってきてもらう必要はなかったのだが、彼女の気が変わらないうちに受理しようと考えてのことだった。

 何せ、こうして一緒に居る今でも彼女の考えていることは今一つ分からない。

 リンネの言う通り、女性の心は複雑なのだろう。それとも僕が朴念仁なだけか。

「うん。確かに受け取ったよ、これで今日から君も生徒会役員だ!」

「別に嬉しくは無いですね」

「ですよね。まぁ、僕も成り行きというか流れで生徒会に入ったってのもあるし、気持ちは分かる。でも何事も経験さ、白井。やる前から嫌ってちゃ、前には進めないのだよ」

「それは、まあ、はい」

「さーて、んじゃどこか人気のない教室にでも行くかー」

 直後、僕の後頭部を凄まじい衝撃が襲った。

「ついに本性をあらわしたな、この変体が!。エロいことか? エロいことしようってのか?」

「いってぇえええ。ちょ、白井、お前全力で殴るやつがいるか。というか騒ぐな暴れるな興奮するなー」

「だあああれが興奮するかー」

「わるかった、僕が悪かったから落ち着いてくれ。僕の説明不足だ。これからお前の雪女を祓うから、どこか人気のない場所に行こうって言っただけだ! 他意はないんだって」

 案の定、リンネは空中で大爆笑している。まぁ、リンネがフォローしてくれるなんてこれっぽっちも思っちゃいなかったが。


「さて、何だか既に疲れ切ってる僕だけど、そろそろ始めるか」

 僕ってどうして毎回こんな役回りなのだろう。どう考えてもイタルが適任でしょう、こういうのは。

 僕がげんなりしながら答えると、リンネが元気よく答える。

「おっけー。ごほん、いいユッキー? 今からあなたの中の雪女の伝承を取り払うから、何があってもあたしと嵐を信じてね?」

「今さらですけど、本当にコスプレじゃないんですかそれ?」

「むきー、失礼だぞユッキー。いいから目をつむるのだー」

「ふむ、ボクは別にこのままでもいいんですけどね? 涼しいし」

「涼しいというより寒いだろ? それに周りの僕らがそれじゃ良くない。そもそも冬だったら凍死するぞそれ」

「何してるんです、とっとと始めてください」

 ころころ態度を変えやがって。相変わらず訳分からんやつだ。

 僕らがこんなやりとりをするうちに、懐から矢を取り出し、慣れた手つきで白井を射るリンネ。

 次の瞬間、白井から黒い靄が立ち込める。

 出たな雪女。

 次いで、僕の右手に痛みが走る。さて、雪女に対抗出来る武器はなんだろう?

 僕は期待しつつも右腕の光が収まり、形作っていく様を見守る。そんな僕の右手に現れたもの、それは。

 …… カイロ? ほっカイロだろこれ? どーみてもホッカイロだ。

 これまでも、目覚まし時計に猫じゃらし、団扇などおよそ武器とは言えないものが出てきたことはあったけど、幾ら何でもこれは酷過ぎる。間違いなくワーストワンである。どう考えたって可笑しいだろ、これ。しかもこれ地味に熱いし。

 雪だけに、何か熱そうなものが出てきそうだってのはちょっと予想してたけど。何故にカイロ? 

 これ、どーすりゃいいんだろう。

 僕がホッカイロにうろたえていると、離れた位置に居たリンネが何やらジェスチャーしている。

 なになに、よくもんで、温かくしたら、思いっきり、投げろ。

 成程。いや、成程も何もない、残念ながらいつものパターンだった。

 僕は腑に落ちない気分になりつつも、思い切りふりかぶって勢いよくカイロを投げつけた。

 そんなカイロは見事命中。黒い靄は空中で光を放ちながら、やがて離散していった。

 いつものこととは言え、本当にこんなのでいいのかと心配になってしまう僕。

「あらしーおっつかれー」

「やれやれだよ」

 そう言って僕は白井に駆け寄った。

「おーい白井大丈夫か? 生きてるか? お前の中の雪女は取り除いたぞ」

「みたい、ですね。体の違和感が抜けたような気がします。何となくですけど」

 そう言うと白井は、脇の鞄をごそごそと漁り、何かを取り出しこちらに差し出してきた。

「先輩、これ」

「こっ、これは… バリーボッターと不死鳥の妹じゃないか」

「何と言いますか、借りの作りっぱなしは性に合わないので、特別に貸したげます」

「ねぇねぇ、ユッキー。それ最後どうなんの?」

「それはですね、妹の」

「だー、言うな、絶対言うな。口が裂け言うんじゃないぞ」

 僕のあまりの慌てようがツボに入ったらしく、爆笑するリンネ。

「全く、ネタバレなんてそれこそ人でなしのする行為だ。それはそうと白井、折角だからお前にも何か貸してあげよう。どうだ? これからウチくる?」

「行く行くー」

 いやリンネ、お前には聞いてないし、そもそもお前はいっつもウチいるだろが、と心の中で突っ込む僕。

「いいでしょう。先輩のレベルがどれくらいのものか見極めてあげますよ」

 てっきり断られるかと思いきや、意外とすんなり提案を受け入れる白井。

 その顔がどこか嬉しそうに見えるのは、僕の気のせいではないはずだ。

 そんな僕も、周りに陽兄ちゃん以外にこういうディープなネタの話を出来る人がいなかったので、正直ちょっと嬉しかったりする。

「ああ望むところだ。陽兄ちゃんレベルとはいかないまでも、白井に負ける気はまったくしないからね」

「それは聞き捨てなりませんね、先輩。どう考えてもボクの方が上に決まってます」

「じゃあ聞くが、一巻の後半に出てきた、101人目の妹の目的って結局何だったと思う?」

「簡単ですよそんなの。あれはですね、単に主人公を」

 そんな僕らの濃ゆいやりとりを傍目で見ていたリンネが一言。

「まったくー、二人とも熱くなっちゃって。お子ちゃま何だから」

「お前に言われたくない」

「コスプレ天使に言われたくないです」


 夏休みも残すところあと半分。

 その半分は退屈せずに済みそうな、そんな予感がした。


END 













          ◆


「うふん。それで、ラクヨー。実際にその眼で見た感想はどうですのん?」

「いやー、驚いたねやっぱり。君の話だけじゃ今一つ信じられなかったけど、この眼で見てしまうと流石に否定は出来ないよ。彼が天使のパートナーになったって事を」

「それは何よりですわん。ラクヨー、あなたにはもう少し彼らの行動を監視していただくことになりますけれど、文句は有りませんでしょ~?」

「そうなのかい? やれやれ、仕方ないねそれは。ごめんよ、嵐君。だけどこれは仕方のない事なんだよ。何と言っても僕は、ベルモットさんの… 魔女のパートナーなんだからね」



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