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天使の溜息、108っ!  作者: 汐多硫黄
第1章「始まりの天使リンネ」
10/14

第十輪「花と嵐と花より団子◆-花団子の場合-」

第十輪 「花と嵐と花より団子◆-花団子の場合-」


 季節は夏真っ盛り! な夏休み直前。

 校内は早くも夏休みの話題一色。どこに行こう、何をしよう。あれもしたい、これもしたい。

 去年までの僕なら、間違いなくその一員だったに違いない。

 が、今年の僕は一味違う。幸か不幸か生徒会役員になってしまったのだ。

 そんな楽しげな生徒達を尻目に生徒会室へと赴く日々。

 もっと派手な活動ばかりかと思っていたのに、まわってくるのは地味な仕事ばかり。

 生徒会ってやつがこんなにも大変だったなんて思いも寄らなった。

 その上、何分生徒会長が問題ありなので、その分の負担は勿論こちらにまわってくる始末。

 なんて理不尽な展開。

 そんなただでさえグロッキー状態の中、花家では「ある大事件」が起こる。

 あぁ… 果たして僕は、無事夏休みを迎える事が出来るのだろうか… 。


          ◆


 とある土曜。休日を謳歌すべく、僕は自分の部屋に引き籠もっていた。

 謳歌するのに引き籠もるとはこれいかに、などと言う無粋な突っ込み止めていただきたい。

 僕には僕の、君には君のやり方があるはずなのだから。

「うっわ、嵐。折角のいい天気なのに、引き籠もる気まんまんだね。そんなんじゃいつまでたっても、もやしっ子の称号から卒業出来ないよ?」

「ちっちっち。それは違うぞリンネ。僕は最初からもやしっ子を卒業する気なんて、毛頭無い」

 僕は、とてもいい笑顔でそう言い切った。

「ぶーっ、嵐ってば相変わらずダメダメ何だからー。ちょっとはみたらしちゃんを見習いなよー」

「みたらしちゃん? ああ、ダンゴの事か。いやいやリンネさん、あれはダンゴが元気すぎるだけだからね? 今日だってこの糞暑い中、草野球の助っ人と子供サッカークラブの試合だろ? 我が妹ながらなんつーバイタリティ」

 僕の下の妹ダンゴは、残念なことに親父に似て運動神経抜群な、かなりの元気娘。

 休みの日には小学生女子ながらも、こうして大人に交じり商店街の草野球などのスポーツ試合の助っ人に出たりしている。そんな有須とは正反対の性格で、子供は風の子を地で行く元気娘なのだ。

 昔から変わらずこんな感じなダンゴだけど、毎年何故かこの時期になるとそのパワフルさに拍車がかかる。

 やはりアウトドア派にとっては夏ってやつはそういう季節なのかもしれない。 

「ダンゴの事は置いておいて、僕が言いたいことは一つだけだよ… インドアで何が悪い?」

 リンネのジト目をものともせず、僕はエアコンの設定温度を一度下げ、天高く積まれた積みゲを崩しに取り掛かったのだった。


         ◆


 おいおいおい、ここで親友キャラの裏切りだと!? 攻撃の要だったのに、しかもメイン装備を預けたままの離脱なんてありえないだろ、常識的に考えて。

 超展開に僕が頭を抱えていたその時、誰かが僕の部屋をノックする音が聞こえてきた。

「兄さん、いますか? いますよね?」

 有須だ。

 何だろう、僕の直感が全力で告げている。何だかメンドクサイ事を頼まれそうだと。

 かと言って無視するわけにもいかない。

 さて、どう回避しようか、などと思案するうちにリンネがいち早くドアをすりぬけてしまう。

「やほー妹ちゃん、どうしたの?」

「あっリンネさん。兄さん中で何やってます? まさか寝てたりなんてしてないですよね?」

「にゃははは、嵐ならいつものインドア万歳状態だよ。今頃どうやって妹ちゃんを回避…」

 リンネの声は大きいので良く響く。あいつ余計なことまでペラペラとー。

 このままではまずいと感じた僕は、リンネと有須の会話を遮るように思い切り自室のドアを開けた。

「いやぁ、有須。どうした? 何か用かな?」

「あ、兄さん。お休みのところすみませんが、ちょっと手伝ってもらえませんか?」

「ああ、勿論いいけど。具体的には何したらいいんだ?」

「はい、花屋の店番とスーパーのタイムセールの買い出しどちらかなんですが」

 そう言って右手の我が花屋のエプロンと左手のエコバックを掲げて見せる有須。

「え、店番? 親父はどうしたんだ?」

 うちの花屋の場合、規模も小さく、店先に来るお客さんもそれほど多くないという事で基本的には親父一人で回している。

「それが朝から行方不明で。恐らくですけど、だんちゃんの試合を見に行ったんだと思います」

 基本的には花屋は親父一人で回している。が、自由奔放すぎる親父の性格上、こうやって何も告げずに姿をくらましてしまう事が多々あった。

 そうなるたびに、僕や有須が店番をするはめになる。

 こんな状態がかれこれ10年近く続いているわけだから、親父の子供じみた行動には慣れっこになった僕等は、多少の事では動揺しなくなっていた。

 つまり、今回の事も想定の範囲内ということ。

「有須、多分見に行ったというより自分もちゃっかり参加してると思うよ、それ。そうなると少なくとも午前中いっぱいは帰ってきそうもないね」

 僕は、有須の左手に下げられたエコバックを掴んだ。

 有須に重いものを持たせるわけにもいかないし、そもそも僕はお花屋さんの店員なんて柄じゃい。 

 そうなると選択肢は一つしか残されていないわけで。

「スーパーに行くよ」

 そんな僕の考えを読んでいたように、有須はエプロンの前ポケットから1枚のメモを取り出した。

「すみません兄さん。はいコレ、買い物メモです」

 メモに書かれた内容の多さに思わず絶句しそうになる。

 そもそもうちは現状4人家族だというのに、なぜにここまで大量の食材が必要になるのか?

 答えは簡単だ。

 親父とダンゴ。あの体育会系コンビが食べる量が異常だからだ。尋常ではないからだ。親父はともかくとして、ダンゴなんて明らかに小学生のソレとは思えないくらいよく食べる。僕なんかよりよっぽど食べる。そのくせこうやって毎日のように動き回っているので太ることは皆無らしい。

「うん、分かったよ。ついでに親父を見かけたら引きずってでも連れ帰るから」

「期待してます。ではお願いしますね、兄さん」


 こうして、僕はリンネを連れだって近所のスーパーへと買い出しに向かった。


          ◆


「暑い、暑い、あついー。さっきから何だこの暑さ。だから夏なんて嫌いなんだよ、ド畜生」

 土曜の11時。一番熱い時間帯では無いものの、照りつけるこの太陽が無くなるわけでもなし、暑い事には何ら変わりないわけで。

「にゃははは、嵐ーさっきから何回同じセリフを繰り返してるの? 全くおおげさだなー」

「いやいや、全然おおげさじゃないですよ? というかリンネは暑くないのか? 飛んでる分僕より太陽に近い気がするけど」

 その問いかけに対し、にぃっと笑いながら頭上の天使の輪っかを指さすリンネ。

「これだよ、これ。前にも説明した通り、あたし達天使はこの輪っかで空を飛んでるんだけど、実はこの輪っか、天界の技術の結晶なの。ほら、キリキリの夢の中に入るときにも使ったでしょ? 実を言うとあたしがドアや壁をすりぬけるときもこの輪っかの力を使っているんだ。勿論、こんな暑い日の体温調節もばっちりだよ」

 今までさんざん天界なんていい加減なところだと馬鹿にしていた僕。

 ああ、僕はなんて愚か者だったんだ。謝りたい。全力で謝りたい。むしろ懺悔したい。ビバ天界。

「リンネ… ほら、霧霞のときはあの輪っか貸してくれただろ? 雨守三姉妹の時も。だからさ」

「あまーい。甘すぎるぞー嵐。幾ら代行者でも、平時に輪っかは貸せないもんねー。にゃはははは」

 ド畜生!!!

 僕は、額に大粒の汗を携えながらスーパーへと向かう。

 そう言えば、ダンゴや親父が参加してる草野球やら草フットサルってそのスーパーの近くだったっけ。

 帰り際ちょっとだけ覗いてみた方がいいかもしれない。

 少なくとも、本当に親父がいたら是が非でも連れ帰らねば。


「いらっしゃいませー」

 スーパーの入口を抜けると、涼しい風が全身を包み込んだ。涼しい。超涼しい。ナイアガラのように流れ出ていた汗が急速に引いて行くのを実感する。

 ここが、噂の天界ですか?

「嵐。幾ら何でもスーパーの冷房に感動して涙目になるのは、ちょっとどうかと思うよ?」

「だって、涼しいんだもん。暑くないんだもん」

 思わず語尾に「だもん」とかつけちゃうくらい感動してる僕。ああ、何と言う安上がりな感動体質。

 一通り感動しきった後、有須の買い物メモを見ながら店内を回る。

 特売の牛肉をを買い漁り、続けてにんじん、たまねぎ、ジャガイモ、福神漬けを購入。

 どう見てもカレーです、本当にありがとうございました。

 いや、まぁ、カレーは大好物なんだけどね。けど、恐らく親父とダンゴのリクエストなのだろう。試合をした後は、無性にカレーが食べたくなるものらしい。カレーのCMって何故かスポーツ選手が出演している事が多いし。そういうものなのだろう。

 まぁ、僕には永遠に理解できそうも無い感覚だ。

「さて、と。リストにあったものは全部揃えたし、そろそろ帰ろうかリンネ」

 スーパーで買い物する事自体は、毎度毎度有須に付き合っているし、僕自身嫌いではない。何より涼しいし。

 問題はここを出た後だ。じりじりと容赦なく照りつける太陽、唯でさえ鬼のような暑さだと言うのに、行きには無かったこの巨大な二つのビニール袋を抱えての強行軍。

 恐ろしい。考えただけでも貧血で倒れてしまいそうだ。

 そんな事を考えながらスーパーの外への一歩を踏み出す。 

 … うっわ、出口の自動ドアから見える景色が、心なしか歪んで見える。蜃気楼か、蜃気楼なのか?

「嵐。両手にビニール袋を抱えて、そんな絶望的な表情で出口に突っ立ってるのもどうかと思うよ?」

 通行の邪魔でしょ、とリンネ。 

 いつもはボケ役のはずのリンネに、ここまで冷静に突っ込まれると何だか悔しいやら情けないら。 

 これも全てこの暑さのせいだ。

 僕は覚悟を決めて外の世界へと向かった。



「ねぇねぇ、ずっと気になってたんだけどさー、この商店街何かお祭りでもやるのかな?」

 そう言ってリンネは、アーケードをぐるっと見渡す。

 明日は7月7日。そう、七夕だ。

「ああ、七夕祭りだよリンネ。って言うか、七夕って分かる?」

 僕のその質問に対し、ぷくっと頬膨らませ答えるリンネ。

「ぶーっ、それくらい知ってるもん。嵐さぁ、幾らあたしが天使でも、ちょっとした日本の一般常識くらいは一応持ってるんだよ?」

「ははは、ごめんごめん。でもそうか、七夕祭りか。来るときは全然気がつかなかったな」

「暑い暑い言ってるからだよー。もう、男の子なんだから我慢しなさい」

 なんて事だ、突っ込みだけでは飽き足らず、リンネ先生から説教までくらってしまった。

 涙が出そう。

「そうだ。祭りも良いけどさ、一応ダンゴと親父の様子を見てから帰ろうか? あの二人が一緒にいるとなると何しでかすか分からないし」

「にゃははは、何だかんだいっても心配性だよね、嵐は」

「違う。断じて違う。僕が心配してるのは二人じゃなくて、二人が周りに迷惑かけてないかってことだよ」

 リンネは何故かにやにやしている。

 そうだね、男のツンデレなんて誰得だよね。嬉しくなんとも無いし、そもそも誰も喜ばないし、見苦しいし、暑苦しいだけだよね。

「まあ、ここから直ぐ近くだからさ。ちらっと見るだけ見に行こう」


          ◆


「がははははっ、うぉらー、だんごーっ。ここは通さんぞー」

「おとーさん、そんなんじゃ団子は止められないよーだ」


 数十メートル先からでも聞こえるこの馬鹿でかい声は、間違えようも無くあの二人のものだった。

 頭が痛くなってきた。

 親父、あんた何を考えてるんだ。

 さらに近づいた僕は、フェンス越しに中のグラウンドの様子を伺う。

「嵐、あそこあそこ。あそこにいるみたいだよ」

 リンネが指差す方向に目を向けてた瞬間。信じたくない光景が目に入る。

 ジーザス。何がどうしてこうなったのか理解に苦しむ光景。

 子供サッカークラブの面々に混じって、親父が一緒にプレイしている。

 あの親父がただ様子を見に行くだけで済むとは思っていなかったけど、まさか小学生に混じってプレイしているだなんて。

 しかも周りの子達、ダンゴ以外はみんな呆れるというよりありゃ完全に引いちゃってるよ、かわいそうに。

 これはさっさといって親父を連れ戻した方がよさそうだ。


「親父! 小学生に混じってなにやってんだよあんた。邪魔したら駄目だろーが」

 僕の声に反応して、二人が同時にこちらに振り返った。

「ガハハハ、嵐じゃねーか。丁度いい、そこで父親のスーパープレイを目に焼き付けておくがいい」

「おとーさん、甘いよ。団子の前で余所見なんかして、い・い・の・か・なっと」

 ゴールポストの前にいたダンゴが、力いっぱいボールを蹴る。その刹那、親父も負けじと思い切りボールを蹴る。

 一つのボールに二人の全力がぶつかり合う。

 

 瞬間、空気が振動するくらいの破裂音ともに、サッカーボールが弾けて飛び散った。

 目の前で起きたあまりに衝撃的な光景に一瞬固まってしまったものの、すぐに二人の下へと駆け寄る。

「ダンゴ、大丈夫か? 怪我とかしてないか? 立てるか?」

「に、にぃにぃ。あはあはは、大丈夫だよ。団子は大丈夫だから」

 良かった、どうやらなんとも無かったようだ。冗談抜きで、一瞬心臓が止まるかと思った。

 僕は気を取り直して親父に目を向ける。

「親父、一応聞くけど大丈夫か? つーかあんたやりすぎだろ。小学生に混じって何やってんだよ。ほら、帰って仕事しなさい仕事」

「ガハハハ、そうだったそうだった。十分堪能したしのう、んじゃそろそろ帰るとすっか」

 大体、どれだけの威力で蹴ればボールが破裂するなんて事が起こるんだろう。流石は体育会系親子。何もかも出鱈目である。僕には想像も出来ない世界だな。

 … ただ、あの一瞬。親父がボールに触れる前、つまり、ダンゴ一人が蹴った瞬間にボールが破裂したように見えたのは、ただの僕の気のせいだろうか?

 いや、きっと気のせいだろう。そもそも小学生がいくら力いっぱい蹴ったとしてもそこまでの事が起こるはずが無い。僕は、親父を引きずって自宅へと向かったのだった。


          ◆


「親父。別にダンゴの試合を見に行くなとは言わないけどさ、流石にさっきのはやりすぎだろう。色々と」

「ガッハハハ。まぁそう言ってくれるな嵐よ。わしだって最初は団子を応援するだけのつもりだったんだがな」

「溢れ出る情熱を抑えきれず、小学生に混じってプレイしたと?」

「うむ」

 僕は、深い深い溜息ついてから話題を切り替えた。

 ここからはちょっとまじめモードの話。

「そう言えば、明日は母さんの命日だね。7月7日って言えば世間的には七夕だけどさ、やっぱり僕にとっては前者の意味合いが強い日かな」

「ん? んー、そうじゃな。わしらにとってはな。まぁ、あいつはイベント事が好きなやつだったから。例え七夕を祝ったって、罰当たらんと思うぞ、わしは」

 先ほどのふざけきった態度や表情と違い、どこか遠い目をする親父。

「母さん、七夕好きだったもんね。この商店街の七夕祭りもさ、小さい頃母さんに連れられて何度か来た覚えが有るよ」

 ここでふと先ほどの親父の言葉を思い返す。

 わしらにとっては。つまり、親父と僕、それと有須にとってはという意味。きっと、そこにダンゴは含まれない。

 なぜなら、ダンゴに母さんの記憶は無いから。いや、恐らく無いはず。

 元々体が丈夫な方では無かった母さんは、ダンゴを産んだ直後に亡くなってしまったからだ。

 だからダンゴには母さんとの思い出や記憶は無い。写真の中だけの存在。とは言うものの、ダンゴがその事について親父や僕らに疑問や不満を漏らしたことは、これまでただの一度も無かった。

 まるでそうすることが、そうやって空気を読む事が、自分の正しい態度だと言い聞かせるように。

 僕や有須はどちらかと言えば、母さん似なのだ。僕のこの貧血ももやしっ子体質も、元々母さんから受け継いだものなんだと考えれば、何故か愛着が沸いてくるから不思議。一方のダンゴは、完全に親父似。兄妹随一の運動神経の持ち主で、元気すぎるお転婆娘。どこをどう見ても親父の血である。そんな体質はダンゴにとって、ある意味良かったのかもしれない。

「ああ。お前や有須の手を引いて出かけるのが好きだったからな、あいつは。生きていれば、きっと団子のやつにも同じ事をしてやっただろうにな。そのせいかもしれんな。この時期になると、ついつい団子に余計なお節介を焼いちまう」

 そう言って照れくさそうな笑みを浮かべる親父。

 知らなかった、親父がそんな事を考えていたなんて。

 これは、ちょっとだけ見直さざるを得ないかもしれない。

「なんて偉そうに言ってみたが、単にわしが遊びたかっただけだ」

 そう言ってガハハハと豪快に笑う親父。

 つられるようにして、僕も、声を上げて笑った。


          ◆


「ただいまー、有須。って有須は店番か」

 僕は一先ず、両手に下げたビニール袋を冷蔵庫へと引越しさせる作業に移った。

 この大量の食材をいかにコンパクトに効率的に冷蔵庫へと収納するか。僕は、この一見じみーな作業が結構好きだったりする。

 どうやら親父も素直に店番へと戻っていったらしい。やれやれ、これでミッションコンプリート。

「お疲れ様ー嵐。それにしても、きなこちゃんも嵐のおとーさんもやっぱり超元気だったね」

「きなこちゃん? ああ、ダンゴのことね。良いんじゃないか? 元気が有るってのは良い事だよ、たぶん」

「ふーん。さーて、お使いも終わったしーそろそろ次の試練が来ないかなー」

 うげっ、このパターンは隠家の時と同じだ。

 リンネのこの呟きはシャレにならないってことを痛感していた僕は、早々に釘を刺す。

「いやいやいや、リンネ。鞍馬さんの件を解決したばかりだろ? そう続けて来る訳無い…… よね?」

 僕は祈るようにリンネのアホ毛を見つめる。

 反応が、無い。ということは?

 おおおおお、セーフ。どうやら今回はセーフらしい。

「なーんだ、つまんないのー」

 安堵の溜息をつき、僕は冷蔵庫に食材を詰め込みまくる。リンネには悪いけど、そりゃ事件なんて起こらない方が良いに決まってる。

 僕は休日の午後を謳歌するため、ほくほく顔で自室へと戻ったのだった。


 さて、とにもかくにも午前中の続きである。

 積みゲ崩しの再開といきますか。

 僕は再びエアコンのスイッチを入れ、コントローラーを手にした。

「あらしー、あたしちょっとぱとろーるしてくるねー。何かあったらすぐ呼びに来るから。いつまでも遊んでちゃだめなんだからね?」

「あははは、分かってますよーリンネさん。ま、君のセンサーにも反応が無いみたいだし、何も無いとは思うけどね。いってらっしゃい」

 僕はそんな気の抜けきった空返事をしつつ、窓からリンネを見送った。

 これは暫く集中出来かもしれないぞ。

 そんな僕の甘い甘い考えは、いとも簡単に崩れ去ってしまう。

「兄さん、いますか? いますよね?」

 午前中の時と一字一句違わない有須の言葉が、僕の部屋に響き渡る。

 午前中同様、やはり良い予感はしない。

「どうした有須? もしかして何か買い忘れがあったとか?」

「いえ、それは大丈夫です。それに、きちんと整理されて冷蔵庫に並べられていましたし。完璧でした。というか兄さんって、何故か収納するのがうまいですよね。普段は大雑把なのに」

「うん。何と言うかこう、きちっと収納されてると気持いいからね。で、買い物の件じゃないとすると… もしかしてダンゴ?」

「はい。実は先ほどだんちゃんから電話が有りまして。だんちゃん、足を怪我してしまったらしいんです。たいした怪我ではないらしいのですが、念のため迎えに来て欲しいと連絡が有りまして」

 まさか、あの時か?

 大丈夫なんていってたけどダンゴのやつ、やっぱりやせ我慢してたってことじゃないか。ああ、糞。何で見抜けなかったんだ、僕の馬鹿。

 それに、足となると最悪おぶって帰ることになるかもしれない。さほど遠くない距離とはいえ、そうなると有須では厳しいだろう。かと言って親父をいかせたら店が回らないし、そもそもまた何をしでかすか分かったものじゃない。つまり、僕が行くのがベストという事らしい。

「分かった、すぐ迎えに行くよ有須。念のために帰り際、医者に見てもらってくるから」

 やれやれ。こういう日は一度邪魔が入るととことんまでなのだろう。僕は目の前のゲーム機の電源を落とし、玄関へと向かった。


          ◆

 

 午後一時。一日のうちでもっとも暑い時間帯がやってくる。

 太陽は僕の真上で容赦なく照りつけ、体力と水分とやる気を奪っていく。

 暑い…。そう口にするのも憚られるほど暑い。何と言うか、暑さは人をダメにする。

 もはや僕の中の思考回路と言語中枢は完全にマヒしてしまっていた。

 ただただひたすらに、ふらふらと、ダンゴの元へと向かう僕。これじゃ、人の事ゾンビだなんて言えたものではないわけで。あの時の隠家よりよっぽどゾンビしてます。

 と、そんなこんなで目的地に到着。

「あっ、にぃにぃ。わざわざ迎えに来てくれたんだ? ごくろーさん」

「くぉらダンゴ。何であの時言ってくれなかったんだよ?」

 ダンゴはチロリと舌を出し、照れ笑いを浮かべる。

「えー、だって格好悪いじゃん。一応試合終わるまでは続けたかったし」

「そういうのをやせ我慢って言うんだよ」

 僕はダンゴの足をじろりと注視する。

 ダンゴの右足首は熱を持ち赤くはれ上がっていた。あー、こりゃ捻ったな。ねんざとまでは言わないけど、すぐに冷やした方がよさそうだ。

「早く処置しないからこうなるんだぞ。勿論、帰りに病院寄るからな? 兄として、嫌とは言わせないぞ」

 患部にコールドスプレーを拭きつけ、ハンカチを当て包帯で固定する。いわゆる応急処置だ。

「あー、やっぱり? 何かにぃにぃってさ」

「ん?」

「普段ばりばりインドアのくせに、何故かこういうときの手際がいいというか、妙に頼もしい感じがするよね」

「そうか? まぁ、伊達に親父のスパルタアウトドア教育を受けてきただけはある、ってところじゃないか? お前は小さかったから覚えてないだろうけど、僕が丁度ダンゴの歳くらいのときには色々とやらされたからね」

 とはいえ、その反動で今の僕がいるわけだけど。

「えー? アウトドアなにぃにぃって何か想像出来ないよ」

「みなまで言うな。自分でも似合わないって思ってるんだからさ。それより、ほら」

 そう言って僕は、自分の背中を指さしてしゃがみこんだ。

「乗れよダンゴ。このにぃにぃめが特別におんぶしてしんぜよう」

 そんな優しさに満ち溢れた僕に対し、無言で蹴りを入れてくるダンゴ。

「痛っ。そりゃないだろダンゴ。そもそも僕はこのために来たんだからさ。遠慮するなって」

「い、嫌だよ、恥ずかしいもん。にぃにぃは分かってないよ、何にも」

「なんだそりゃ? あーもう、いいから乗れって。あの有須だって僕におんぶされたんだぞ?」

「ふん。そんなの小さいころの話でしょ?」

「いや、つい最近だけど」

「……え?」

 勿論、ロリ化したときの話だけど、それは流石に言えないので黙っておく。

 でも事実は事実。僕は嘘は言ってませんよ。神様、天使様。

 やはり、素直にうんと言えなかったのは、ダンゴもまたそういう年になったのだという証拠なのだろう。兄としては嬉しいような寂しいような。

「わ、分かったよ。にぃにぃがそこまで言うなら特別におんぶされてあげる」

「はいはい。って、重っ。お前また重たくな」

 僕の背中の上で、無言で僕を殴りつけるダンゴ。

 しまった、つい本音が口を出てしまった。というか、小学生の分際で体重を気にするなんて生意気なやつである。そもそも成長期の小学生何だから、体重が増えるのは当たり前なのに。

「とりあえず病院行くからな」

 土曜の午後。商店街には親子や夫婦、カップルなどでごった返していた。

「… ねぇ、にぃにぃ。おかーさんってさ、どんな人だった?」

 僕が昔の話をしたせいだろうか?

 それとも行き交う親子連れを見たためか、ダンゴはふいにそんな事を訪ねてきた。

「母さん?」

 確かに、兄妹の中で一番母さんと長く過ごしたのは僕だけど、改めてそう聞かれるとどう答えたらいいのか分からなくなる。

「そうだなー。まぁ、あの親父を人生の伴侶に選ぶくらいの人だからね、ちょっと変わってて、何というか物凄く包容力があって大らかな人だったよ」

 僕に背負われた状態なので、ダンゴが今どんな表情で僕の話を聞いているのか分からないものの、僕の話を真剣に聞いているという雰囲気だけは伝わってきた。

「いつもニコニコしているような人でさ、怒ることなんてめったに無かった。ああでも、ダンゴと同じで、体重の話だけはNGだった。親父はよくそれで母さんに殴られてたよ。後、イベントごととかが好きな人でね、両手に僕と有須の手を繋ぎながら良く出かけた記憶があるよ。繋いだ手を嬉しそうに振ってさ、変な歌を歌ったりするんだ」

 そうこうするうちに病院に到着。ちなみに、霧霞の病院ではない。

 ダンゴは昔から元気娘でしょっちゅう怪我をしていた。ここはそんなときに訪れるいわゆるかかりつけの顔なじみのお医者さん。

 老夫婦が経営している小さな個人病院だけど、向こうもダンゴを昔から見てきて性格も熟知している故、大病院よりここの方がはるかに話が早いのだ。

「はい、到着っと。それじゃあ僕はここで待ってるから、早く診てもらってこい」

「うん。ありがとうにぃにぃ、行ってくる」

 病院の入口に向かうダンゴを見送りながら、ふと考える。

 今まで、ダンゴの口から母さんの話が出ることなんて殆どなかった。ましてや、どんな人だったかと聞かれたことなんて唯の一度も無いことだった。

 勿論、自分の母親の事を知りたいと思うなんて極々当たり前のことだし、それが自分が物心つく前に亡くなってしまっている人に対してだったら、尚のことだ。

 だが、これまでダンゴはそれをしなかった。そんな当たり前の事すら、彼女はしてこなかったのだ。だからこそ、先ほど唐突にそんなことを聞かれて、僕は内心ひどく驚いていたし、同時に心のどこかで安堵にも似た感情を抱いていたのだった。なぜなら、ダンゴはそういうことにはトコトン無関心なのか、それとも自分の立ち位置を理解し、自らの心にブレーキをかけていたのかと思っていたから。

 何となくだけど、花家においてダンゴの前では母さんの話は禁句になっていた。誰も口にしなかったけど、やはりダンゴに気を使っているというか、何となく話しづらい話題であったためだ。実のところ、母さんが亡くなった状況を未だ、ダンゴには詳しく話していない。ダンゴを生んだことが原因で、母さんは死んでしまっただなんて、親父も、僕も、少なくとも今はまだ言えるわけも無かったし、言うつもりも無かった。

 どれだけの間、僕はそんな考えを巡らせていたのだろうか? 

 気がつけば、丁度ダンゴが治療を終え病院から出てくるところだった。

 僕の巻いたものより何倍も丁寧に巻かれた真新しい白い包帯と、僕の視線に応えるように苦笑いを浮かべるダンゴの顔が目に入った。

「てへへ、なんでもっと早く来ないんだって怒られちゃった。後、今日明日は絶対安静だってさー」

「当たり前だろ、そんなの。むしろあれは、捻ったくらいで済んだのが不思議なくらいだったよ」

 そう言うと僕は、再びダンゴに背中を差し出す。流石に二度目だからか、それとも医者によほど絞られたからか、今度は素直に従うダンゴ。

「そうそう、素直が一番だよ。それじゃ帰るか」

 午後三時過ぎ。まだまだ暑い。ピークは過ぎてもまだ暑い。暑い、重い、疲れた、しんどい。

 とはいえ、ダンゴを背負っている手前、そんな情けない事は口に出せない。それが妹を持つ兄貴としての矜持なのだ。漢としての一欠けらのプライドなのだ。

 それにしても背負ったダンゴがやけに静かだ。さっき重いなんて口走ったのが悪かったか? 親父似の癖にこういうとこ意外と根に持つタイプなんだよな、ダンゴは。

「ダンゴー、悪かったって。お前は立派なれでぃーだよ。だから機嫌直せって、な?」

 ダンゴから反応は無い。が、代わりに別の反応が返ってきた。

「…… すぅすぅ」

 どうやら疲れて寝てしまったらしい。この暑さで、しかも僕の背中なんかで良く眠れるな。やれやれ、何だかんだ言ってもまだまだ子供じゃないか。

 僕は気合いを入れなおし、花家へと向かった。


          ◆


「ただいまー、っと」

 僕の声を聞いて、奥からぱたぱたと有須がやってくる。

「あっ、お帰りなさい兄さん。ご苦労様です」

 僕は、しーっと有須に向けジェスチャーを送る。

「だんちゃんったら眠ってしまったんですね」

「うん。帰り道でいつの間にか、ね」

「ふふっ、きっと兄さんに背負われて安心しちゃったんじゃないですか?」

 私もそうでしたから、と少し照れたように言う有須。

「そうかな? 単なる遊び疲れじゃないか? 一応医者には診てもらったから。大したことないみたいだけど、少なくとも今日明日は絶対安静だってさ」

「そうですか、思ったより軽傷で良かったです。だんちゃんも無茶がすぎるところがあるから、今回はいい薬です」

「ははは、まぁね」

 その後、有須と二人でダンゴを部屋に運び、僕は再び自室へと戻っていた。

 リンネの奴はまだぱとろーるとやらから帰っていないようだった。

 こう何度も部屋と外を往復していては、流石に再びコントローラーを握る気分にはなれなかった。

 ゲーム機を片付け、ベッドに横になり天井を見上げる。窓の外からは相変わらず行き交う人々の笑い声や楽しげな会話が聞こえてくる。

 僕は、そんな声を聞きながらまどろみの世界へと足を踏み入れる。


          ◆


 ダンゴと母さんの話をしたせいだろう。久しぶりに母さんの夢を見た。


 親父と母さん、僕と有須とダンゴ、それにミズキ姉さんも一緒に並んで笑っている。手が届きそうで、決して届くはずのない現実。

 ここではない、どこか近くて遠い世界。もしかしたらあり得たかも知れない世界。でも、それは少なくともこの世界ではない。決して。


 そんな目の前に広がる幸せな光景に、息をのみ思わず見入ってしまう。

 すると、突然、後ろから誰かに肩を叩かれた。

「うふふ、嵐ちゃん。やっほー」

「って母さん?」

「あらあら、何もそんなに驚く事ないじゃないの、ひどいなー。まるで人を幽霊みたいに」

「え? あ、うん、ごめん。… はい?」

「ノリが悪いぞー嵐ちゃん。そこは、いやもうあんた死んでるだろ、って突っ込んでくれなきゃ、ね?」

 この悪乗り、間違いなく母さんだ。僕の中で、訳も分からないうちに感情がこみ上げてくるのが分かった。

「うん、ごめん。母さん」

「ちょ、ちょっとちょっと何涙目になってんのよ嵐ちゃん… ほんと、泣き虫なのは変わってないのね」

 そう言って、ちょっとだけ背伸びをして僕の頭をなでる母さん。

「ほら、明日って私の命日でしょ? だからちょっと出てきちゃった、てへ」

 出てきたって…。流石は母さん、フリーダムすぎ。

「そう思ったときに丁度良くあなたが眠っていたものだから、善は急げと思ったのよ、うん」

 丁度良く僕が眠っていた? ああ、そっか、僕、あのまま眠っちゃったんだ。

 待て、だったらダンゴなんて僕より先に寝ていたはずだ。僕の背中で。僕がその疑問を口出そうとした瞬間、僕の言葉を遮るかのように、先に口を開く母さん。

「それにほら、嵐ちゃんって今、ちょっと変わった事に首突っ込んでるでしょ? むふふ、かーさんは何でも知ってるんだから」

 間違いなくリンネの事だ。何で母さんがそれを知っているのかとも思ったけど、あの世と天使、何となくつながりがあるのは理解できたし、そもそも天国なんて本当にあるの? なんて今この場で母さんに聞く事は、酷く場違いで、的外れな質問に思え、僕は口をつぐんだ。別に、そんな事知りたくも無いし、知る必要も無いのだから。

「うん。今のところは何とか頑張ってやってるよ、母さん」

 そんな僕の返答に対し、優しく微笑み返してくれる母さん。

「嵐ちゃんなら大丈夫。今までもこれからも、そしてあの子の事も」

 ふいに、母さんの体が徐々に消えてゆく。

「あらあら、そろそろ限界みたいね。… 嵐ちゃん、お父さんや瑞希に有須ちゃん。そして団子ちゃんのことをお願いね。これからあの子に何が起きても、嵐ちゃんなら助けてあげられるって、母さんそう信じてるから」

 何か? ダンゴが何だって? あいつに何が起こるってんだよ。


          ◆


「待って母さん!」

 そう叫ぶと同時に、現実へと覚醒する僕。

「… 夢?」

「ぷぷぷっ、なーに叫んでるのー嵐? まったくマザコンなんだからー」

 リンネだ。

 どうやら僕が寝ている間にぱとろーるから帰還していたらしい。

 つまり一部始終を見られていたという事になる。最悪である。

「いつからそこに?」

「ずっとかな」

「僕、他に何か寝言言ってた?」

「にゃははは、言ってた言ってた。ごめんとか謝ったり、急ににやにやしたり、泣きそうな顔になったりしてたよ。ねぇ、どんな夢見てたの?」

 もう一度言う、最悪だ。

「リンネ、このことは誰にも」

「あらしー、あたしだってそこまでずぼらな天使じゃないよ? 勿論、誰にも言わないから安心て? だから、ほら、早く涙を拭いて」

「え?」

 自分の頬を触ると、ぴちゃりと冷たい感触。

 リンネの言う通り、やっぱり僕はマザコンなのかもしれない。

「にいさーん、夕ご飯ですよー、降りてきてくださーい」

 有須の声が階下から聞こえてきた。

 僕は一体どれだけの寝ていたのだろう。窓の外見ると、辺りはすっかり闇色に染まりきっていた。

「ほらほら嵐、いつまでそんな顔してんの? 妹ちゃんが呼んでるし、早く行ってきなよ」

「ああ、うん。そうだね。そうする」

 僕は服の裾で乱暴に顔をこすると、リンネに急かされるようにして、キッチンへと向かった。

 その頃には既に、夢の内容はおろか、母さんに何を頼まれたかすら、すっかり忘れてしまっていた僕なのだった。


 夕食はカレー。まぁ、僕が午前中に材料を買ってきたわけだから分かり切っていたことだけど。

「遅かったですね兄さん。ってその目、どうしたんですか? 何だか赤くなってますけど」

「え? あ、あははは。ちょっと寝過ぎちゃってね。帰って来てからずっと寝てたからかな」

「ガハハハハ、寝る子は育つって言うしな」

「にぃにぃの場合、もうそれ以上伸びるのは無理だよ。あっという間に団子が追いぬいちゃうもんねー」

 何とか泣き顔を誤魔化せたのはいいけど、相変わらず容赦ないなこの親子は。… 僕だってもう伸びないなとは思ってるさ。

「僕の身長の事はもういいだろ。有須、僕にもカレーください」

「んー、やっぱり有須ねぇのカレーは最高だよー。おかわりー」

「わしもわしもー」

 あんたらがっつきすぎだろ。

「うふふ、そんなに慌てなくてもまだまだありますから、大丈夫ですよ」

 はいどうぞ、と二人におかわりを手渡す有須。

「いただきまーす」

 えーい、ハモるな、このおかわり親子め。

 が、その時、またしても事件の片鱗が眼の前で起こる。

「へ?」

 バキっという強烈な音と共に、突然、ダンゴが握っていたスプーンがへし折れたのだ。

「だ、ダンゴ。お前、どんだけ気合い入ってるんだよ」

「ガハハハハ、良くある良くある」

 ねぇよ。

 この二人とは住む世界が違うので良くわからんけど。普通、あり得る事じゃないと思う。

「だんちゃん大丈夫? 怪我してない? もしかして、金属疲労かしら」

「べ、別に団子のせいじゃないもん。勝手に折れただけだもん。馬鹿にぃにぃ」

「僕? 何故僕のせい?」

 とんだとばっちりである。もう好きなだけおかわりすればいいじゃないか。

「ところで父さん、明日は何時頃に行きます?」

  明日、つまり母さんの墓参りのことだろう。基本的にダンゴの前で母さんの話はNGではあるものの、こと墓参りに関しては別。

「ん、暑くならん朝のうちがいいだろうな。団子よ、お前はその足だし明日は留守番しててもいいんじゃぞ?」

 それは、親父にしては珍しく、至極真っ当な意見だった。

「そうそう、一応今日明日は安静にってことだったしな。たまには家で大人しくしててもいいんじゃないか? ダンゴ」

 が、それに対するダンゴの答えは、僕等も予想だにしていなかったものとなった。

「…… ふーん。皆して団子をのけものにするんだ?」

 え?

 気を使ったつもりが、逆に地雷を踏んでしまったらしい。というか、今日のダンゴは珍しく母さんに拘るな。何故だ?

「のけものってだんちゃん。二人はあなたの足を心配してそう言ってるのよ? そういう言い方は良くないわ」

「そんなの知らないもん。団子だって、団子だって」

 何かを言いかけたものの、ダンゴは、逃げるように部屋へと戻って行ってしまった。やれやれ、である。

「ガハハ…… はぁ。こりゃ笑えん。ちっとも笑えんぞ。わしとした事が、ちとあいつに気を使い過ぎたかのう?」

「そうですね。今までだんちゃんって母さんのことについてあまり聞きたがりませんでしたけど、それってだんちゃんなりに気を使っていたってことなんでしょうし。本来なら、まだまだ母さんに甘えたい年頃ですし」


 花家に訪れた小さな不協和音。これは間違いなく、何か起きる前触れであり合図なのだろう。

 二人の会話を聞きながら、この時僕は先ほど見た母さんの夢を思い出していた。

 ダンゴを助けてあげてほしい。確かにあの時母さんはそう言っていた。

 母さんが誰でもなく僕にそれを頼んだ理由。

 勿論、兄として、家族として妹のピンチを救うのは当然のことだけど、きっと他に意味があるはず。

 もしかすると… いや、もしかしなくても結論は一つしかない。伝承だ。

 母さんは何故か僕が天使代行をしていることを知っていた。そう考えれば結論はこれしかないはずである。

 出来れば考えたくないし、僕の思い違いであってほしいとは思うけど、覚悟だけはしておく必要がありそうだった。


          ◆


 翌日


 結局、昨日の夜は母さんが再び夢に出る事も無かった。

 ついでに、リンネのセンサーが反応する事も無かったし、やっぱり単なる僕の思い過ごしだったのかもしれない。

 それならそれに越したことは無いわけで。

 僕はほっと胸をなでおろし、目覚まし時計を止めた。

 今日は七夕。

 母さんの墓参りの帰り道、商店街の祭りに顔を出してみるのも良いかもしれない。

 僕が呑気にそんな事を考えているのも束の間、突然、かなり慌てた様子の有須がノックも無しに部屋へと飛び込んで来た。

「に、兄さん。兄さん。大変です。だんちゃんが兄さんで、朝がいなくなって」

 有須にしては珍しく、やけに取り乱した様子である。言っていることも支離滅裂で滅茶苦茶だ。

「取り敢えず落ち着いて有須。それに、大変なのは僕の格好と有須の言動だからね?」

 僕は、なるべく平常心を保ちつつ、側に置いてあったズボンをはいた。

「って、きゃーーーっ、兄さん、妹の前でなんて格好してるんですかー。変態、馬鹿、馬鹿兄さん」

 そう言って顔を赤らめる有須。こんな格好って言われても、ここはそもそも僕の部屋だし、単に着替えようと服を脱いだところに有須が飛び込んできたわけで。流石に変態扱いされるのは酷いと思いつつも、一応謝ってしまうのが僕。

「ご、ごめん有須。でもここ一応僕の部屋だからさ。ノックしてくれればきちんとした格好で対応したんだけどね」

「へ? あ、す、すみません兄さん。私ったらあまりに焦ってしまい、ついつい取り乱してしまいました」

「うん、別に良いんだけどね。それよりさ、それだけ慌ててたってことは何かあったんだよね? もしかしてダンゴ?」

「そうです。そうなんです。だんちゃんがいないんです。靴も無いみたいで、玄関の鍵も開けられた状態でした。だんちゃんったら、あの足で

しかもこんな朝早くからどこへ行ってしまったのか…」

 やはり、と言うべきなのか、結局こういうことになってしまう。

 やはり、胸をなでおろしすには、些か早すぎたらしい。

「おいおい、ダンゴのやつ。まさか家出とかじゃないよな… ケータイは? 通じない?」

「はい。先ほどから何度もかけてるんですが、電源入れてないみたいで」

「親父は? 親父は何やってるんだ、この一大事に」

「父さんなら朝から配達に行ってます。電話してみたのですが、ケータイ家に忘れて行ってしまったみたいで」

 おやじぃーーー。真っ当に仕事してるのは良いんだけど、何故こういう肝心な時に居ないんだあの人は。

「分かった。取り敢えず僕は近所を探してみるよ。有須は家に残ってて。もしかしたらダンゴから連絡があるかもしれないし、あいつの事だから

何食わぬ顔でひょっこり戻ってくる可能性もある」

 あくまで希望的観測だったし、その可能性は凄く低いように思われた。だが、そうでも言わないと有須は今にも泣き出しそうな顔をしていたのだった。

 そうと決まればゆっくりしている余裕は無い。僕は手早く準備を整える。

「リンネ、悪いけど協力してくれるか? 何だか悪い予感がするんだ。いや予感と言うより、確信に近いかもしれない」

「嵐、それって」

 僕は黙って一度だけ頷き、玄関へと走った。

「有須、それじゃ後頼むな。大丈夫、必ず連れて帰るからさ。そうしたら、皆で母さんのとこに顔見せに行こう」

 半ベソ状態の有須にそれだけ言うと、僕はリンネとともに玄関のドア開けた。

 昨日に引き続き、相変わらずの快晴。正直暑い。が、そんな戯言を言う余裕も考える余裕も、今の僕は持ち合わせていなかった。


 と、花家の玄関のドアを閉めた瞬間。リンネのアホ毛に反応が現れる。

「んんっ。きた、きたみたいだよ、嵐。次の試練の反応」

 リンネはどこか申し訳なさそうな、暗い悪い顔で僕を見つめる。

 別にリンネのせいってわけじゃない。だから、リンネにはそんな顔してほしくはなかった。

 これで、予感は確信に変わった。次の試練の相手は、間違いなくダンゴだ。

 有須に次いでまさかダンゴまでその対象になってしまうなんて、夢にも思わなかったわけで。

 これってやっぱり僕が天使代行をやっていることと何か関係があるのだろうか? 

 僕が伝承を呼び寄せているとでもいうのか?

 とはいえ、今はそんなことを考えている暇は無い。前向きに考えれるなら、少なくともこれでダンゴの位置を知ることが出来るのだ。

 鬼が出るか蛇が出るか。

「行こうリンネ。それで、あいつまでの距離は? 場所はどこなんだ?」

「うん。それがね」


          ◆


「探したぞ、ダンゴ。びっくりしたじゃないか、突然いなくなったりしてさ」

 実際、探し回ったわけじゃない。リンネのセンサーに導かれるまま、ここにたどり着いただけ。

 とは言え、この場所ならリンネのセンサーがなくても、恐らく一番最初に探しに来ていた場所だと思う。

 桜ケ丘町の郊外、ひっそりとした小高い山の中腹、花家にとっての特別な場所。母さんにピクニックと称して良く連れてこられた場所。

 そんな場所に、母さんの墓はあった。

 母さんは最後まで変り者だった。花家の墓に入ることも、母さんの実家の墓に入ることも良しとせず、この桜ケ丘町を一望できる、花家を見下ろせるこの裏山に、自らの眠る場所を与えて欲しいと望んだ。母さんは、ここからの景色が大好きだったのだ。

 家から決して近い場所じゃないし、事実、ここまで来るのに時間も体力も必要だ。体力馬鹿の親父は良いとしても、僕や有須がここまでくるのは結構骨が折れる作業だったりする。

 それでも、最後の我儘だからなんて言われた日には、僕らは誰一人としてノーと言う事は出来なかったわけで。

「…… ねぇ、にぃにぃ」

 ダンゴは母さんの墓をじっと見つめたまま、こちらを向かず僕に語りかけてくる。

「ここにさ、おかーさんが死んだ日が刻んであるよね? 団子、ずっとずっと気になってた。でも、それを聞いちゃったら、もう後戻り出来ない気がして、ずっと我慢してたんだ。でも、もう良いよね?」

 僕は全身から嫌な汗が流れ出るのを実感した。

 堪らなく嫌な予感がしたし、話の続きを聞きたくなかった。聞き続ける自信が僕にはなかった。

「なぁ、ダンゴ。こんな裏山まで来て、足は大丈夫なのか? 昨日の今日なんだ、まだ安静にしてなきゃダメだろ」

 僕は、ダンゴの後姿に向かって話しかける。今のダンゴを、正面から諭せるほどの勇気を、僕は持ち合わせていなかった。

「いいよね、にぃにぃは」

「え?」

「だってそうでしょ? 兄妹の中で一番おかーさんと長く過ごしたのってにぃにぃだもんね」

「そ、それはそうだけど、そんなの当たり前」

 しまった!

 そう思った時には、全ては遅すぎた。手遅れだった。

 ダンゴは声を荒らげて反論する。

「当たり前? にぃにぃにとっては当たり前のことかもしれない。でもさ、団子は、団子は母さんの顔すら覚えてないんだよ? 写真でしか見たことないんだよ? 一緒にお話したことも、一緒にお出かけしたことも無い。なーんにも無いんだもん!」

 触れない事で解決した気になっていた、そんんあ僕らのなんて浅はかなことか。

 今になって自己嫌悪と自責の念でいっぱいになる。今更遅すぎるっていうのに。

「見てよ、母さんの命日。団子が生まれてから三日後だよ? ねぇ、これってどういうことなの? にぃにぃ… 答えてよ!」


 そう叫びながら振り向いたダンゴの額には、今の彼女の感情を代弁するかのように「大きな角」が現れていた。正に鬼の形相である。


 それ対して僕は声を失い、ただ茫然とダンゴの変わり果てた姿を見つめる事しかできなかった。

「嵐、あらしー、しっかりして? 伝承だよ? そんなのあたしのセンサーに反応した時点で分かりきってた事でしょ? それに、嵐が助けないで誰がクネーデルちゃんを助けるっていうの?」

 リンネの叱咤のおかげで何とか意識を取り戻す。

 そうだ約束したじゃないか。しっかりしろ、僕。

 僕は両の頬をバチンと叩き気合いを入れる。

 というか、クネーデルって確かドイツ語で団子って意味だよね。いちいち分かりにくいなぁーもう。

「あれって角、だよな?」

「そう、角。鬼だよ、嵐。今まで体を張った戦闘なんてナンセンスだなんて言っちゃったけど、ごめん嵐」

「なんで謝るんだよリンネ…」

 直後。メリメリという音を立て、目の前にあった大きな木が、折れた。

「聞いてるのにぃにぃ? ちゃんと答えてよ!」

 ダンゴは、自らの苛立ちを表現するかのように、近くにあった木を力任せに蹴ったのだ。しかも怪我をしているはずの右足で。

 木は、哀れにも根元から折れ、音を立てて崩れ落ちた。

「ね? あの子にとり憑いた伝承は赤鬼。赤鬼の赤は感情の赤、怒りの赤。今回の解決方法は、あの子の想いを、感情を、全て受け止めてあげる事だよ」

「は、ははは、あんまり聞きたくないんだけどさ、その受け止めるって言うのはどういうことかな?」

「勿論、あ、な、た、の、体、で。だよ、嵐」

 ああ母さん、もしかしたら僕がそちらに行くのも時間の問題かもしれません。

「ダンゴ、聞いてくれ。お前の質問に答える前に言いたい事がある」

「何? なんなのさ、さっさと言ってよ馬鹿にぃにぃ」

 そう言いつつ、母さんの墓石を揺さぶるダンゴ。

 お、お、落ち着け、頼むから落ち着いてくださいダンゴさん。

「げふん。ごふん。あーあー… っ良し。聞いて驚くなよ? にぃにぃはな、実は天使の使いなんだよ。つまり天使さんの仕事のお手伝いだな、うん。でだ、お前、頭に角生えてるの気が付いてる? お前さ、とり憑かれてるんだよ、鬼の伝承にさ」

 僕の天使発言に対して、馬鹿でかい石をこちらに投げつけようとしていたダンゴは、一旦それを下ろし自らの額を確認する。

「げっ、なんじゃこりゃーー。団子、角が生えてるーーー」

 ダンゴがびっくり仰天するうちに、そそくさと天使のキッスを施すリンネ。

 つまり、これでもう後戻りはできないという事。

「やっぴょーみたらしちゃん。あたし、天使のリンネ。あなたの鬼を祓いに来たよー」

 リンネのおかげでさっきまでの殺伐とした雰囲気は崩壊した。

 が、勝負はまだまだこれから。体で受け止めるってつまり。

「疑心暗鬼。今のみたらしちゃんはきっとこっちの話なんてまともに聞いてくれないよ? だから、まずは嵐が言い分を聞くの。頑張ってね?」

 そう言うとリンネは僕の額にちゅっと天使のキッスを施した。

「え? な、何だよ急に、今何したんだよ?」

「にゃははは、慌てない慌てない。嵐にちょっとだけ天使の力を貸しただけだよー。アイギスの楯を嵐の体に入れたの」

「楯? というかアイギスってギリシャ神話のアレ?」

「うーん、まぁ、平たく言えば防御呪文みたいなものかもね。つまりね、嵐の体はいつもより頑丈になったの。やったね!」

 やったね! これで思う存分殴られ放題だ! …… ははは。

 覚悟を決めた僕は、ぺたぺたと自分の角を触るダンゴに、先ほどの質問の答えを返す。

「ダンゴ、さっきの質問の答えだけど。そうだよ、母さんはお前を生んで三日後に死んだんだ。それは、疑いようのない事実だ」

 僕の回答を聞いたダンゴは、のっしのっしと僕の方へと歩み寄ってくる。は? のっしのっし?

 角だけじゃない、ダンゴの奴、目が真っ赤だ。腫れてるとか充血してるなんて類じゃない、血の赤だ。感情の赤だ。しかも、心なしかアイツ、ちょっとでかくなってない?

「馬鹿にぃにぃーー、団子の何が分かるっていうんだーーーー」

 ダンゴから放たれたその拳は、僕の顔面にクリーンヒット。

「ごべぶぼおおおおおおおおおっ」

 声にならない声を上げながら、綺麗に放物線を描き吹っ飛ぶ僕。骨が折れたとか、内臓が破裂したとか、そういうレベルではない。

 これ、天使の力を借りてなきゃ死んでるよね? ね?

「なんでだよ、何でもっと早く言ってくれなかったんだよ。バカバカバカバカバカー」

 ダンゴに馬乗りにされながら、ぼこぼこと顔面を殴られる僕。

 もともと大した面じゃなかったけど、今となって見る影もないほど顔面崩壊中。

 これ、この件を無事解決したとしても、果たしてこの面で僕だって分かるだろうか?

 僕はふらふらになりながらも立ち上がる。

「団子だって、花家の家族だもん。教えてくれたって良かったのにいいいいいい」

 お次は蹴りである。サッカーで鍛え上げられ、鬼の力に寄り数段力の増した彼女の蹴りは、それはもう昇天しかねない威力なわけで。

「へびゃぼおろおおおお」

「あ、あらし大丈夫? うわー、これはもう御免としか言えないわ。でも、おかげでそろそろ頃あいかもね」

 リンネがそう言い終えるのと同時に、僕の左右の手にズキリと痛みが走り、光が両手を覆う。

 え? 今回天使武器出るの早くないか? そもそもまだ解決してないだろ。

 僕のそんな疑問をよそに、両手には何故かボクシンググローブ。

「さ、第二ラウンドだよ、嵐。みたらしちゃんにへばりついた負の感情をぶん殴って追いだすんだよ」

 えええええええええ。何、その斬新な鬼退治。

「リンネ、きび団子は? 犬は? 猿は? 雉は?」

「なにそれ? ごめん、昔話は神話しか知らないの。にゃははは」

 いやちょっと意味が分からないんだけど。

 どうしろってのこれ。これでダンゴを殴れってのか? 小学生なのに、妹なのに、殴れってのか? これじゃ鬼退治っていうより、ただの壮絶な兄弟喧嘩じゃないか。

 僕が躊躇している間にも、ダンゴはこちらに牙を向けてくる。

「だーれがきびダンゴだああああー」

「べぼぉおおおおおっ」

 言ったけど。確かに言ったけど、言ってない。

 とは言え、このままじゃ埒が明かない。殴って解決するなら思う存分殴ってやる。心を鬼にしてやる。泣いても許してやらないからな。

「くぅううらええええだんごおおおおお」

 そんな、僕の全力の右ストレートは虚しく宙を空振る。

 あっさりとダンゴに避けられた僕は、代わりにカウンターパンチをお見舞いされる。

 ああ、駄目だこれ。何と言う無理ゲ。何というチート。

「団子の、団子のせいなんでしょ?」

「な、何の話だ」

 満身創痍の僕は、意地と根性と兄パワーで何とか立ち上がる。

 そんな僕に対し、ダンゴは決定的な一言を投下する。

「団子が… おかーさんを殺したんでしょ? 団子を産んだせいで、おかーさんは死んじゃったんでしょ? にぃにぃだって、団子なんて、生まれない方が良かったって、そう思ってるんでしょ?」


 その瞬間、僕の感情は、爆発した。


「違う違う違う違う違う違う違う違う違うちがーーーーーーう。… お前、それ本気で言ってるか? 本気でそう思ってるのか?」

「に、にぃにぃ?」

「ふざけんじゃねー! お前こそ、母さんの何が分かるっていうんだよ? 母さんがどんな思いでお前を産んだと思ってるんだよ?」

 ダンゴは僕の勢いにたじろぎ、一歩下がる。すかさず僕はダンゴに詰め寄っていく。

「母さんはな、最後まで笑顔だったよ。お前を産んで自分の体力を使い果たしても、お前の心配ばっかりしてたよ。お前の成長した姿が見れなくて残念だって、最後までお前のことばっかり考えてたよ。それでも、一度たりとも弱音を吐かなかったし、泣き顔すら見せなかった。僕らを、そしてお前を心配させまいと、最後の瞬間まで笑ってたんだよ!!」

 僕のそんな拳は、果たしてダンゴに響いただろうか?

 先ほどまでの勢いは消え、ダンゴは俯き、押し黙っている。

「お前は、望まれて産まれてきたんだ。お願いだからそんな悲しい事言わないでくれ。僕も、親父も、有須も、ミズキ姉さんも… そして、母さんだって、お前が大切で、お前が大好きなんだからさ」

「うっうっうっ、うええええええええええええええええええん。ごヴぇんなヴぁあああい。ヴぃヴぃごべんなさああああい」

 鬼の目にも涙。

 母さんの墓に寄り添い、泣き崩れるダンゴ。

 同時に、僕もふらふらっとその場に倒れこむ。駄目だ、限界だ。目が霞むし体に力が入らない。

「いよっしゃ、今ね」

 リンネはどこからともなく光の弓と矢を取り出し、ダンゴ目掛けて放つ。

 直後、ダンゴの体からはドス黒い煙が噴出し、大きな靄となり形を形成していく。

 後、一歩、さぁ最後の仕上げだ。

「嵐、ごめんね嵐。辛いだろうけどあと少しの辛抱だよ。頑張って!」

 そうだ、まだ倒れられない。あれを祓うまでは倒れられない。

 僕はふらふらと生まれたての小鹿のような態勢で立ち上がる。


「ごめんね、嵐ちゃん。嵐ちゃんだけにこんな役目をおしつけちゃって。でも、あなたなら皆を正しい方向へと導く事が出来るから。だからお願い。あと少しだけ、頑張って」


 どこからともなくそんな声が聞こえた、そんな気がした。

 とはいえ、リンネが何も感知していないってことはたぶん僕の空耳だろう。僕の体は大分ガタがきてしまっているらしい。

 僕は全身全霊を込めて右腕に力を込める。

「うぉおおおおらあああああ。鬼は鬼ヶ島に引っこんでろやああああああ」

 僕の拳を受け、黒い靄は内部から光を放ちやがて、空中へと離散していった。

 同時に、ダンゴの額から角が抜け落ち、音も無く消えていった。

 や、やったぞ、終わった。けど、流石に今回は、グロッキー。

「え?… さん。… さんなの?」

 ダンゴが誰かと話してる? 誰だ?

 僕は、その相手を確かめる体力も無く、その場で気を失った。



「にぃにぃ、にぃにぃってば。大丈夫? ていうかさ、こんなとこで何やってんの?」

 目の前にはダンゴの顔。その額には角はない。

 あー、僕、どれくらい気を失っていたんだろう。それに全身が痛い。なんじゃこりゃ。というか、ダンゴのやつ自分がやったことを覚えてないのか? 伝承を祓われた人間は、その記憶を一生抱えて生きていくのが代償なんじゃないのか? そんな僕の疑問を察してか、僕の真横にいたリンネが小声で言う。

「たぶんだけど、あなた達の母君の力が働いたのかもしれないよ。だんごちゃんにあたしの姿は普通に見えてるみたいだし。でも、不思議な事に、鬼の力で暴れていた記憶だけが改竄されてるみたい。あたしが言うのもなんだけど、こんなことってあり得るのかな?」

 まさか、母さんの力なのか?

 一先ず僕は、話をあわせる事にした。

「ダンゴこそ、こんなとこで何やってんだよ?」

「うーん分かんないや。誰かに呼ばれたような気がして、気がついたらここにいたんだよね。そうそうにぃにぃ、団子おかーさんとお話したんだよ?」

 やっぱりさっきのは母さんだったのか。

「そっか、良かったじゃないか。今日は七夕だし、きっと母さんもお前に会いたかったんだよ」

 終わりよければ全てよし。あえて母さんがダンゴの記憶の一部を改竄したというのなら、それはそれでいいはずなのである。

「お二人さん、一旦家に帰った方がいいんじゃない? 妹ちゃんも心配してるかもよ?」

「リンネちゃんがそういうなら、帰ろっかにぃにぃ? そーだにぃにぃ。にぃにぃってばリンネちゃんのお手伝いしてるんでしょ? いーなーいーなー」

 成程、僕が気を失っている間、リンネの奴もダンゴの記憶改竄に合わせて適当に話を合わせてくれていたらしい。やれやれである。

 僕は、ほっと胸をなでおろし、本日三度目となるおんぶをすべく、ダンゴに背中を差し出した。

「ほら、帰るぞダンゴ」

「うん!」

 ダンゴは妙に嬉しそうにしながら、僕の背中に飛び乗った。

 瞬間、電流が流れるように全身に痛みが走った。

 兄の矜持よ、今しばらく僕に力を与えたまえ。

「何かごめんな。ダンゴ」

「え~何さ」

「いや、ほら、僕達何となく母さんの話題についてさ、お前の前では避けてたっていうか、妙な気を使ってた気がする。可笑しいよな、家族なのにさ」

「いいよ、そんなの。家族でしょ?」

「そうだな。お前の名前もさ、実は母さんが名付けたんだ。兄弟の中で、唯一母さんが名付け親になってるのが団子なんだよ。僕も有須も親父が命名したからね。最初親父の奴、お前の事、本当にダンゴって名前をつけようとしたんだ。でもそれじゃ女の子らしくないってことで母さんが珍しく怒ってさ。で、結局妥協案として、字は団子だけど、読みとしてだんこってすることで何とか決定したんだけどね。何だかあの両親らしいよな」

「えへへへっ。団子、その話もう知ってるもーん。おかーさんから聞いたんだから」

「へぇー、そっか。そう言えばダンゴ、足の具合はどうだ?」

「足? 全然大丈夫だよ? つい勢いでにぃにぃの背中にのっちゃったけどさ、足はもう大丈夫。団子は丈夫だからね」

「そりゃ良かった。だったら午後は皆で商店街の七夕祭りでも行くか?」

「うん!」


 満面の笑顔を浮かべるダンゴ。ああ、こんな笑顔を見せられたら、今までの苦労や痛みも吹っ飛んじゃうね! 痩せ我慢だけど。

 何とか無事に花家前へとたどり着く僕等。

「あっ、にぃにぃおんぶはここまででいいよ。有須ねぇに見られたら恥ずかしいし。んじゃ、先行ってるから、サンキューにぃにぃ」

 そう言って玄関へと入っていくダンゴ。

 僕はその瞬間全身の力が抜けへろへろ状態になる。

 が、そんな僕に追い打ちをかけるようにリンネ。

「嵐ー、お疲れ様ー。本当に今回は嵐にしては珍しく体張ったもんね。それで、さ、嵐。言いにくいんだけど、そろそろアイギス解除するね? これってさ、結構あたしも疲れるんだよね。それでさ、解除するってことは、どういう意味だか分かるよね? にゃはははは」

 今まで、僕の体の中で楯としてダンゴの猛攻を受け止めていてくれたアイギス。それを解除するという事はつまり。

「ちょ、ちょっと待て、いや、待ってくださいリンネさん。それってつまりその、あ、待てってまだ心の準備が」

「待ちませ~ん。大丈夫大丈夫、アイギスの楯事体、ある程度の痛みは吸収してくれてるはずだから。勿論全部ってわけじゃないけどね。それでも死ぬ事は無いからと思から。たぶん。んじゃ、せーの、ほい解除」


 鬼がいる。ここにも鬼がいるぞ。


「…… ぎいいいやあああああああああああああああああああああ」


 僕の奇声は、夏の青空の下、町中に響き渡ったのだった。


 今日は七夕、この天気ならきっと天の川も良く見えるだろう。

 織姫と彦星は無事再会する事が出来ただろうか?

 ああ、母さん、やっぱり僕がそちらに行く日は、そう遠くない気がします。

 

 そんな事を考えながら、僕の意識は、飛んだ。



 END


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