番外編-岸辺露伴アンチ
今回は褒める編集は失敗するし貶す編集も失敗するという個人的体験談である。レビューにおいての規則として、私は褒めるレビューを重点にしつつも、基本的に作品の完成を最優先する上で、作者の成長を度外視することが多い。本題までは結構掛かる、これは個人的なポリシーも込みの話である。そう、凄く簡単に言えばアレである。
「作者の反抗期」
ワンピースという世界的漫画はもう知られている扱いで話すが、いわゆる頂上決戦以前と以後で評価が大きく変わる、人によっては空島前後を基準にすることもある。私はワンピースという神漫画で括るなら空島前後、もはやワンピースなのか分からないという点で言えば頂上決戦以後としている、ターニングポイントはあそこである、と考えている。で、作者の反抗期というもののシンプルな仕組みはまぁ想像がつくだろう。「編集の功績で成功したのが気に食わない」である。色々聞いたところによるとシャンクスの腕が食われるという流れは編集考案らしい。で、そのシャンクスが打算で腕を捨てようとしていたという流れにしようとしていたり、まぁ、他にも意味不明や意図不明、叫ぶわゴネるわでイエスマンだけ揃えたり呪術モジュロの完結祝いにコメどころかライブ行ってきた報告だったり、エルバフはそもそも巨人と巨大さを描いているのにほとんど描写が豆粒。俺はこれにどう感動せいと。しかし編集が率直に指摘するとタイパラみたいに指摘内容だけは正確な漫画が完成する、編集絶対違うだろアレ。別の人な上にその編集が嫌いな人を編集にしたんちゃうか?
そう考えるとドラゴンボールや北斗の拳の編集との相性の良さはスゴイ。あと編集と言えば二人、外せない人物がいる。先ずは壁さんこと壁村耐三、秋田書店の英雄だ。私は諸事情あって秋田書店関係の書籍を全て所有しているが今は暑さのせいで劣化対策として友人との図書館に保管している。そして阿久津邦彦、こっちも秋田書店、というか当時の少年チャンピョンは熊さんといい今なら編集長張れる一線級が五、六人いる状態で動いていた。
で、あの辺はなんか天才を集めるというよりは明らかにやべー光り方をしているものを持ってきて、異才同士で擦り合わせ編集と漫画家それぞれが独自に発展、衝突が起きる事態で、ばらつきがあったからこそそれなりに手塚治虫も失敗が多かった。私も同じメンタリティで作っているし、名作の為の叩きが最低五十作、そして五十作でさえ厳選したものである。しかし、現在の問題は漫画家の成熟が甘い、もっと言うなら早熟にしてしまった。独り立ちしてしまったのである。そして編集者が極端になってしまったのだ。
そういえば編集は理系出身も多い、あと人事の偏見次第で決まる、一次で切られるか最終で切られるか毎回極端になる。出版社全部行ってきた私が保証する。ただどこの会社かは言わんがどうせ採用しないのにあんな大学で講演して意味があるのかよってヤニ吸いながら言った奴の顔は覚えてるからな。
で、呪術のあとがき漫画にあるのだが、無下限呪術の問題点の指摘に関する会話、あの辺を見る限りちゃんと面倒見れる編集が居てクッソ雑な畳み方を二連続で行ったのだ。完成した包みは綺麗だが包む過程がヤバいのだ。待て待て編集、それは止めろ。ブレーキ押すだけじゃなくてアクセル調整しなきゃダメなんだって。編集というのは車で言うと「ハンドルは漫画家が持ってるからアクセルとブレーキを編集が扱う」くらいでやらないと基本的に失敗する。そして漫画をコンパクトにシンプルに仕上げ、「読んで重厚、見て絶景、考えて感動」の三つを達成しなければならない。小説だとこれが難しいから私は言及しない。あとこの言葉は師の言葉を独自解釈したものである、あの人ファッション誌関係だから同じだと失敗すると踏んで変えた。
で、もう一つ怖いのが漫画家がイヤイヤしているケースと、漫画家が説得力を持っているパターンである。特に後者。ろくな結果にならない。前者は痛い目を見ればなんとかなるのだが。先に言った言葉をもう一度繰り返すが「漫画家の早熟」が問題になるのだ。しかもこれはAI関係で体裁だけ、例え使いこなしたところで早熟になるという問題は深刻になるだろう。説得力を持つと厄介なパターンとは、サム8である。ネームバリューもそうだがあの手は設定の飽和、アレは普通に説得に成功してしまったのでは、と踏んでいる。その結果体裁を気にしなかった結果のズッコケである。あらゆる雑誌はそのブランド性じゃなくて内容に惹かれるものであってジャンプを持ってたところでグッチみたいな価値は発生しない。それが推し活のぬいぐるみやキーホルダーと比較すれば一目瞭然、商品展開というブランド化の概念を雑誌に持ち込むことはあってはならない。まずブランドを目指すなら猶更圧倒的に優秀な職人と修理者と設備が無いとそれはブランドではなく贋作工房でしかない。そこにおいて編集が怠って良い余地は当然存在していい筈がない。
ただ、創作はそこかしこに狂気があり、引き返せないものである。取り込まれれば自らを顧みることは出来ないし、その時に説得力を持ってしまう可能性がある。その際に自分が最も理解しているという妄想を作家はしてしまう、どう見ても隔たれた壁から離れてどっかに迷走しているだけだ。高みを目指すといって真横に進んでいってしまっている。登山みたいに進んでなんとかなる訳じゃないのだ。登山の様な従来の辛さがあって成長するものを別ベクトルで成長して明らかに無駄な時間にしかならんのだ。
だから私は作家を出来るだけ狂気に陥らせない背中の引っ張り方と押し方に苦悩している。また、解決は容易である。「率直、素直、誠実」この三つをどれだけ守るか。文章が余計な表現で濁らず、小賢しい誤魔化しでなく、一貫したものである。それをどれだけ実行出来ているか。
で、この上で私が感情を直接記入したら減点する理由が分かる。そうじゃないと長いじゃないか!と言われてもそれだけだと仕方がない。だが、それを私が許さない明確な理由がある。感情移入による阻害が発生するからだ、そして感情移入というものは人間の狂気の様な混沌としたものは説明し切れない。もっと生物学的な話をすると私が以前触れたOrchOR仮説、アレが答えである。人間の脳はパソコンのCPUと大きく異なり、一個で数GHzかつ高熱のCPU、人体に800億個存在するフレーリッヒ仮説内に収まった今のところ8Mhzとされる微小管の並列。正直人類はGPUとかと比較すべきなのである。そしてそれらが複数集まり感情を形成する、だから多くの感情は常に混沌を渦巻かせる。初回レビューでも言った通り「化学反応の積み重ね」であるのだ。だから単純に事実で示すことが最も最短となる。その過程において観察力が必要になり、そして要約等で切れ味は感情の観察だけでは得られない、事実に即した無慈悲な言葉でなければならない。自分に感情移入したり他人に感情移入して直接的に表現すると発展性が無くなる。私がモノローグを嫌うのはその辺が理由である。何より、感情移入を断絶しないとリアルは実現出来ないし、セリフに共感性を絞ることでそのセリフに感情移入が出来る。その刹那に嫌味も全て乗せられる。地の文には出来ない、むき出しの人間性を示せるという訳だ。
で、ここで段階を積んで「キャッチーな感情の表現を取り除いて失敗しちゃうじゃん!」という話になる。確かに今の話は文章としての彼是であって、商売としては基本的に悪手である。私も普通に感情名は使う。結構嫌々使っている。個人的に気に入っているのはオマージュだが「憤怒、憤怒、憤怒、憤怒」である、ちなみに公開する前にそのシーンは丸ごと消して無くなった。ポンコツ魔女と音漏れ暗殺者の魔女エルミラがナイフで刺された時に心が折れるどころか魔術を紐解き、慌てる心拍に合わせてそう繰り返すシーンである、寄り添い方がろくでもないが。オマージュ元はそんな使い方はしていないが。リアリティじゃ説明不足だから間違っている、私は先の意見もひっくるめてそう言いたい。
リアリティというものにはベクトルがある。「生々しい」「整合性のある」「没入感」「同一視」「共感」といった様々なベクトルが存在し、で、こういうものが作品を支える一方で基本的に需要って「生々しさ」じゃなくて「等身大で感情移入や応援が出来る」キャラであるべきだ。有馬かなとか有馬かなとか有馬かなとかは生々しい奴だが、自分の周囲にいそう、とか、その点では炭次郎は優秀である、一人はいそうな理想である。しかしここで発生する問題もある。リアリティはあったところで自分という存在を正しく把握出来ている人ってどれだけいるのか。だから私は事実を絶対視する。母が泣くよりも玄関先にそれ以降一年もずっと使われなかった靴が置いてある方が良い、後悔したと残すよりも指輪のサイズという余計なものを一生覚えている方が良い。私は友人の浮気に関しての小説に一文付け足し、友人が盛り上がって全て作り直してしまったことがある。それがこれだ。「毎朝六時に弁当を二人分作り、七時になると一つだけ冷蔵庫へ戻す。」これだけで全て察せる彼女は確かに優れているが、そこまでしなくても。無慈悲な現実の味を噛み締めてみてはどうか、作品を書くような人間には、いつだってそこに辛い現実があっただろうに。なぜそのリアルから目を背けるのか。そして事実を全て描いて、そこに初めて発展性が生まれる。
共感があり、その最たるものとしてリアリティは存在する。更にそれを経由して整合性とかに連結している。つまり岸辺露伴の主張って言うなれば「インフラにおいて最重要なのは道路である」でしかなく、「いや車の方が大事だし車なけりゃインフラ作らんやろ」って感じになる訳だ。ポケットの無いドラえもんだ。リアリティって共感性に即したもの、そして共感性の為に感情名を単純にするのは良いが、それで得られるのは共感であって感動ではないのでより強い共感にならないという点で競合に負けてしまう。
さぁ、諸君。素直であれ、率直であれ、誠実であれ。それは事実を集積するだけで良い、小説は無駄に考えることではない。ただ事実の選択を繰り返し、どう切り取るかでしかないのだ。その言葉に共感がある様に願って、創作をしてみるのが良い。私の様に共感も出来なくなるくらいに滅多打ちにされ、人間とは思えない生活を送ってしまった人間にはとても出来ないであろう偉業と傑作を願っている。どうか君達に幸あれ。それが面白い事実であることを。
Q.近況報告A.ついに会社五件目っすよ潰れたの。おうまだ新卒四か月目やぞ。面接中に潰れたの初めてなんだが。面接中に爆発事故はあったけど。
おまけ私は別の大学のサークルに十か所位入って色々コネを作って某有名小説家と麻雀打って「なんで誘っとけって言ったのに七対子出すことに力入れてんだよ」といういい思い出がある。結局役に立たなかったが。ノウハウは大体そこでの三十分くらいに圧縮して行った。ついでにおすすめの本をせびられたので「ポール=ディエナハの未来予知」という海外でも全然知られていない書籍を渡しておいた。あと面白いからドイツ語を覚えて買うといい。500ページくらいものによってはあった筈だ。次回レビューするか。そもそも大学でも複数部活に入って運動部と文化部左右しながらオリンピック出る友人を応援したり途中でサボってイタリアに行ったりと楽しんでいた、スポーツ系の経験はここに由来する、というのも私の体は大体壊れているのでそもそも頼りにならんのだ。
ちなみにあのめんどい作家を説得するために色々研究した結果がこれです。
ついでだけど私色々出版社いってた時に「とりあえずレビュー統制して批判してる奴全部消そう」っていうのが割とどこでもあったので打ち切りの可能性どころか唐突にアカウント消される可能性があります。Note以外。インターンの時以来の友人が結構強めに繰り返してたから割と警戒してる。




