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追憶の霧、眠りの淵への道   作者: Rurusia Lulihime
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第6章 地震、なのかな?

地底深く、地上の喧騒から遠く離れた場所に、いかなる重機の痕跡もなく穿たれた巨大な空洞があった。周囲の岩壁は無数の亀裂に覆われ、折り重なる地層が長い歳月を物語っている。所々の岩肌には、埋もれたエネルギーが淡い微光を放ち、この空間を完全な暗闇から救い出していた。


空洞の端に、一人の男が立っていた。頭の先から爪先までを深い色のローブで包み、そのフードは目元も表情も完全に覆い隠している。ただ、その佇まいだけが、彼が人間、あるいはそれに類する存在であることを示していた。彼は岩壁に背を預け、両腕を身体の脇に垂らし、長い間何かを待ち続けているかのように微動だにしなかった。


そこからほど近い場所で、ミカエルが上空へと向かって飛翔していた。空洞のただ中に開いた巨大な穴を、彼女の体が貫いていく。凄まじい力が巻き起こす逆流の風が、彼女の髪と衣服を激しくなびかせた。空気が切り裂かれる轟音が響き渡り、彼女の姿が高くなるにつれて、その音は次第に遠ざかっていく。


ローブの男は顔を上げた。人知を超えた速度で高度を上げるミカエルの姿が、わずかに視界に入る。彼はその動きを、彼女が視界から消え去る寸前までじっと見守っていた。彼女の身体から溢れるエネルギーの残光が穴から降り注ぎ、岩壁と彼のローブを不規則に照らす。そのたびに、彼の影が凹凸の激しい地面に長く伸びた。


ミカエルが高く、より高く昇っていくにつれ、謎の男の周囲の空気がわずかに変質した。かつての静寂は、目に見えない何かに取って代わられ始める。彼はゆっくりと片手を上げ、その指先で冷たく硬い岩壁に触れた。それは、数えきれないほど繰り返してきた、慣れ親しんだ感触を確かめるかのようだった。


ミカエルが残した力の残滓がまだ空気に漂っている。薄れつつあっても、それは確かに感じ取れた。かつて死の世界のように静まり返っていた地底が、一瞬だけ揺り動かされ、そして再び深い眠りへと押し戻されていく。


ミカエルが穴の彼方へ消え去ると、風の音も震動も次第に収まっていった。謎の男は首を元の位置に戻し、その場から動こうとはしなかった。追跡もせず、何のアクションも起こさない。地底に再び静寂が戻り、フードの奥に隠されたその表情には、読み解くことのできない複雑な色が差していた。


「無事でいろよ……バカ娘」


ミカエルの超高速飛行は、凄まじい空気の圧縮を生み出し、連続した衝撃波を発生させていた。幾重にも重なるソニックブームが激しく轟き、その圧力波はあらゆる場所を容赦なく襲い、地表へと伝播していく。


その震動は近隣に留まらなかった。地球の裏側に位置する遠く離れた地においても、その影響は明確に現れた。


ルリヒメのアパートメント内。突如として襲った激しい揺れ。盤石であったはずの床が、小規模な地震のように震え出した。机の上の小物が踊り、次々と倒れていく。ガシャガシャという物音が部屋中に響いた。


一人で座っていたルリヒメは、即座に顔を上げた。そのあどけないはずの瞳は、説明を求めるまでもなく、ある一点を静かに見据えていた。しかし彼女は、椅子に深く背をもたれ、リラックスした様子で急ぐ素振りも見せない。


「驚く前に……とりあえずイチゴミルクでも飲もうかな……」


彼女は近くにあった飲み物の容器に手を伸ばし、ラベルも見ずに持ち上げた。一口流し込む。しかし、喉を通った瞬間に感じた不慣れな苦味に、彼女は動きを止めた。唇から液体が滑り落ちた刹那、彼女の表情は一変した。


「ぺっ……これ、イチゴミルクじゃない……美味しくない。苦い」


――場面は、少し前の出来事へと遡る。


震動が発生する少し前、ルリヒメは喉の渇きを感じていた。彼女は席を立ち、足取り軽く冷蔵庫を開ける。中には何種類もの飲み物が並んでいたが、彼女の視線は迷うことなく、見慣れたピンク色のパッケージを捉えた。


彼女はその箱を取り出し、冷蔵庫を閉めると、確認もせずにストローを刺した。これまでの経験から「ピンク色の箱」といえば、大好きなイチゴミルクだと決まっていたからだ。


だが、彼女が手にしたものはイチゴミルクではなかった。それは、ラベルをよく見ない人間を欺くために、小学生並みの雑な手つきでピンク色に塗り潰された「ブラックコーヒー」の缶だった。


――場面は再び現在へ。


ルリヒメはコーヒーの箱をゆっくりと置いた。表情こそ冷静だが、その周囲にはどこか苛立ちの入り混じった空気が漂っている。


「誰よ、コーヒーの缶をピンクに塗ったのは……最悪」


不満げな眼差しで手元の箱を見つめていた彼女は、ふと何かを思い出した。そして記憶の断片が、さらに少し前へと遡る。


少し前の時間、ルリヒメの部屋は静まり返っていた。やることもなく、面白い出来事もない。彼女はベッドの上で、左から右へ、右から左へと、のろのろと転がっていた。掛け布団は彼女の動きに合わせてくしゃくしゃになり、髪は枕の上に散らばっている。


「退屈……」


不規則なジタバタとした動きとともに、不満の声が漏れる。足を空中に蹴り出し、腕を伸ばしては引っ込める。あどけない表情には、はっきりと苛立ちが表れていた。彼女はしばらく天井を睨みつけていたが、やおら起き上がった。


視線の先には、ベッドサイドのテーブルに置かれた一本のコーヒー缶。地味な色合いの、何の変哲もない缶だ。ルリヒメはそれをじっと見つめ、何かを閃いたような顔をした。


彼女はベッドを抜け出し、その缶を手に取ると、まじまじと眺めた。そして、近くに放り出してあった絵の具セットを掴む。ためらうことなく、鮮やかなピンク色の絵の具を筆にたっぷりと乗せた。


筆は丁寧に缶の表面をなぞっていく。ピンク色が金属の地肌を覆い隠していく(はずだった)。彼女は缶を回しながら、元の色が残らないよう執拗に塗り重ねた。そしてついに、普通のコーヒー缶は、缶全体がピンク色になった(……というのは彼女の主観で、実際にはロゴも、黒も、赤も、茶色も、はっきり見えたままだった)。


ルリヒメは自慢の作品をしばし眺めると、満足げに小さく頷いた。そして特に深く考えることもなくそれを机に戻した――かと思えば、数歩下がり、勢いよく「ライダーキック」を放ってその缶を冷蔵庫の中へと蹴り込んだ。


――場面は再び現在へ。


ルリヒメは手元の「ピンク色のコーヒー缶」を再び見つめ、わずかに眉を寄せた。部屋を支配する沈黙。そして、すべての問題の元凶は、自分自身だった。


衝撃波の第二波が押し寄せ、窓ガラスに亀裂が走った。空気が震え、低い重低音が室内に響き渡る。それでもルリヒメは、無表情のまま座り続けていた。


一方、ある屋敷では、療養中のエンマが震動によって跳ね起きた。ベッドが激しく揺れ、彼の身体も不意に揺さぶられる。一瞬呼吸が止まったが、すぐに元に戻った。身体を動かそうとしたが、大気を伝う重圧のせいで、身体が異常に重い。まるで外側から何かに押し潰されているかのようだ。


「何だ……何が起きてる……」


教室にいたサエルは、激しい揺れに耐えるべく机の端を必死に掴んだ。開口部から流れ込む風に髪と制服がなびく。外からは空気が層ごとに引き裂かれるような凄まじい破砕音が響いていた。彼女は知らず知らずのうちに生唾を飲み込んだ。説明のつかない重圧に、鼓動が速まる。


「地震、なの……? 60年以上前の世界最大級の地震よりも、今回の方が酷いんじゃないかしら」


大広間に立っていたソフィアは、衝撃波が襲った瞬間に眉をひそめた。巨大な石柱が震え、石の破片が降り注ぐ。彼女は状況を見極めるかのように立ち尽くし、天井を見上げた。発生源を特定しようとしているかのようだ。


「超音速移動による衝撃波ソニックブーム……?」


隣にいたカレンは無意識に拳を握りしめた。彼女の周囲の空気が、押し寄せる波動と同調するようにリズミカルに震えている。


衝撃波は止むことなく続き、その轟音は終わりのない雷鳴のように天と地を震わせた。各地で建物が揺れ、容器の中の水が大きな波を立てる。やがて最後の波動が静かに遠ざかると、再び静寂が戻ってきた。


時は流れ、午後の陽光は黄昏へと移り変わる。空の色は澄んだ青から橙色混じりの赤へと変貌し、太陽は地平線の近くまでその高度を下げた。建物や街路樹の影がアスファルトの上に長く伸びる。時折吹き抜ける冷ややかな風。昼間とは対照的に、街は目に見えて静まり返っていた。


サエルは普段よりも急ぎ足で帰路に就いていた。学生カバンを片方の肩にかけ、コートが歩調に合わせて揺れる。学校を出た瞬間から、彼女の顔には隠しきれない不安が色濃く滲んでいた。頭の中を占めているのは、たった一つのことだけだ。


――エンマ。


宿舎に到着すると、彼女は迷わず中へと踏み込んだ。扉が勢いよく開かれ、静かなホールに彼女の足音が響く。


「エンマ!」


サエルは足を踏み入れるなり彼の名を呼び、彼が休んでいる部屋へと直行した。


扉を開けると、そこにはベッドに横たわるエンマの姿があった。状態は朝よりは幾分良さそうに見えるものの、依然として力なげな様子だ。サエルは無意識に安堵の溜息を漏らすと、ベッドの傍らへ歩み寄った。


「気分はどう……今日は」


その声は、明らかに優しく、そして小さくなっていた。


エンマは身体をわずかに動かし、彼女の方を向いた。


「まあ……まだ全快ってわけじゃないけどな」


サエルはベッド脇にカバンを置き、近くの椅子に腰を下ろすと、彼をじっと見つめた。


「心配してたのよ……分かってる? 学校にいても、ずっとそのことばかり。よりによって、こんな時に地震まで起きるなんて」


エンマは力なく微笑んだ。


「悪いな。また心配かけて」


サエルは静かに首を振った。


「謝らなくていいわよ。……ただ、早く良くなってほしいだけ」


彼女は言葉を切り、窓の外に目を向けた。夕陽が淡いオレンジ色の光となって室内に差し込んでいる。


「もう夕方か……」と、エンマが言った。


「ええ……日が暮れるわね」


サエルは再び彼に視線を戻した。


「何か食べたの?」


エンマは首を振る。


「いや……まだあんまり食欲がなくてな」


サエルはわずかに眉を寄せた。


「ダメよ。何か口にしないと。……私が、お粥でも作ってあげるわ」


「そんな、手間をかけさせるわけには――」


「手間じゃないわ」 サエルは即座に遮った。


「私が戻ってきたんだから、少しは頼ってよ。可愛い弟が病気なんだもの」


エンマはしばらく彼女を見つめていたが、やがて小さく頷いた。


「あ……ああ……。じゃあ、頼むよ」


サエルは立ち上がった。先ほどまでの不安げな表情は、少しだけ和らいでいた。少なくとも今、こうして傍にいて、エンマの無事を確かめることができている。窓の外では太陽が完全に姿を消し、静かな夜の時間が始まろうとしていた。


静寂に包まれたある場所。カナタは一人、すべての出来事が過ぎ去ったかのような空気の中に立っていた。周囲に喧騒はなく、戦いもなく、成すべきこともない。ただ、時が止まったかのような果てしない静寂が続いている。


彼は、何かが起きるのを待っているかのように、確信の持てない様子で周囲を見渡した。しかし、待ち人は来ない。数分が過ぎても、何も変わることはなかった。カナタはわずかに身体を動かし、諦めたように溜息を漏らした。


「あれ……お、俺の出番、これだけ……?」


その声には困惑と信じられないという色が混じっていた。彼は自分の手を見つめ、それから誰かを探すように顔を上げた。


「カナタの役割、数行喋るだけなのかよ……。ソフィアやカレンにはあんなに見せ場があったのに……なんで俺にはないんだよ……」


その言葉は虚しく静寂に吸い込まれていった。返答はなく、誰かが現れる予兆もない。周囲の景色は、指先ほども変化しなかった。


カナタはその場に立ち尽くし、逃れようのない現実を受け入れるしかなかった。今のところ、彼の出番は本当にこれだけなのだということを。


少なくとも……今は。(――永遠に、なんてことはないよね?)

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