第34章:血と生(ちとなま)
重厚な足音が試験ホールに響き渡る。侵入者たちの手首や首筋に刻まれた煤色のタトゥーが、焚き木の中でくすぶる炭のように不気味な光を放っていた。彼らの多くは顔に痣があり、肩には生々しい縫い傷が見える。
「やるぞ」
リーダーの男が卑屈な笑みを浮かべた。手の甲のタトゥーから、火のついた煙草のような濃紫色の煙が立ち昇る。「まずはあの女の首を獲れ。一番の厄介者だ」
紫色のエネルギーの槍が、紙を貫く針のように空気を切り裂いた。それは、ソフィアが身構えるよりも早く彼女の脇腹を貫いた。彼女の体は崩れ落ち、頭が大理石の床に激突する音が響く。
「ソフィア!」
サエルが悲鳴を上げ、駆け寄った。友人は、周囲の組織をじわじわと侵食し始めた紫色のエネルギーを必死に押さえている。ソフィアはまだ意識を保っており、目を見開き、何かを伝えようと唇を動かすが、声は出ない。
「上出来だ……」リーダーが歩み寄り、タトゥーの光を強める。「さて、次は――」
(ドォォォン!)
エンマが全身の力を込めて体当たりした。リーダーの体は三歩後退したが、それが精一杯だった。その刹那、傍らで構えていた別の男が、紫黒色のエネルギーを纏った拳をエンマの左肩に叩き込んだ。
エンマの体は吹き飛び、試験机を粉砕して叩きつけられた。
彼は這い上がったが、その左肩は……異常だった。
肉の深くに突き刺さった紫黒色のエネルギーは霧散せず、コップの水に落ちたインクのように、小さな黒点となってゆっくりと拡大し始めた。皮下の血管は紫に変色し、1ミリずつ確実に首へと這い上がっている。
エンマは歯を食いしばり、冷徹な眼差しで己の肩を見つめた。
「……呪詛系の魔法か」
「察しがいいな」リーダーは頷く。「ルシファー様から授かったこの力は、内側から食い尽くす。動けば動くほど、マナが拡散を早める。足掻いても無駄だ。犬のように跪いて命乞いをするなら、逃がしてやってもいいぞ」
サエルがソフィアの傍らで顔を上げた。瞳は震え、傷ついた仲間、そして包囲網を狭める強盗たちを見つめる。
立ち上がろうとするが、ブレイン・ヒートで痛めつけられた神経が思うように反応しない。
「どうして……」彼女は囁いた。「一番必要な時に……力が、出ないの!」
「全員、下がれ」
ホールの入り口から、重厚な鋼鉄の扉を開くような威厳に満ちた声が響いた。
担任の先生がそこに立っていた。管理室の窮地を救った名残か、袖は焼け焦げている。鋭い眼光が惨状をなぞり、エンマの肩の呪いに一瞬だけ留まった。
「先生、いいタイミングだ」リーダーは鼻で笑った。「ちょうど楽しんでいたところですよ」
「楽しいだと?」先生は一歩ずつ歩み寄る。規則正しい靴音が響く。「貴様のその救いようのない放言、しかと記憶に刻んでおこう」
他の5人の教師たちも、言葉を交わさず静かに背後に並び、戦闘隊形を展開した。
強盗たちは待たなかった。一斉に手を掲げると、身体のタトゥーが暗い炎を上げ、紫黒色のエネルギーで室内の温度が跳ね上がる。周囲の調度品が凄まじいプレッシャーで軋み、ひび割れていく。
「エナジーバリア:多層ガラス(マルチレイヤー・グラス)!」
エネルギー担当の教師が叫び、手を広げた。
生徒たちの周囲に幾重にも重なるマナの鏡盾が形成される。しかし、敵の放った力はあまりに重く、第一層のシールドは瞬く間に粉砕された!
「破壊力はかなりのものだ」エネルギー担当の教師が掠れた声で言った。「だが、制御があまりにも雑で稚拙すぎる」
彼は戦略を変えた。分厚いシールドを作る代わりに、**薄いマナの網**を展開した。衝突したエネルギーは細い筋に分散され、ザルを通り抜ける水のように、精緻に横へと逸らされていく。
「無駄だ!」
強盗の一人が咆哮し、肉薄する。格闘担当の教師は無駄のない動きで応戦した。拳が届く前に相手の手首を押し下げ、力を左へ受け流すと、一瞬の隙を突いて顎に肘を叩き込み、一撃で沈めた。
だが、一人が倒れると、同時に三人が襲いかかる。
「トレント・クラッシュ!」
筒状の黒い衝撃波が放たれた。格闘担当の教師は避けきれず、壁まで吹き飛ばされて漆喰が舞う。彼は口の中の血を吐き捨て、顎を引いた。
「この程度か……。我々を倒すには足りんな」
ホール中央では、担任の先生がリーダーの男と激しい乱闘を繰り広げていた。衝突のたびに空気が歪み、残っていた机が床を滑っていく。
「熟練度では物量には勝てませんよ、先生!」リーダーが叫ぶ。
担任は微かに微笑んだ。「15年も教鞭を執っている。その程度の基本、知らないとでも思ったか?」
彼は突如として抵抗を弱めた。全体重を預けていたリーダーは均衡を崩し、前へつんのめる。担任は右へ身をかわし、相手の勢いを利用して、瞬時に脇腹へ鋭い肘打ちを突き刺した。
「ぐふっ!」
リーダーはうめいたが、倒れない。タトゥーがさらに眩しく輝き出す。
均衡しているように見えたが、6人の教師たちは少しずつ削り取られていた。激突するたびに、彼らは一歩の後退を余儀なくされる。ルシファーからもたらされた力は、通常の人間が長く耐えられる密度を超えていた。
部屋の隅で、エンマはその事実を冷徹に見抜いていた。
「サエル」彼は静かに呼んだ。「呪いが首まで来た……。あと少しで心臓だ」
「エンマ……」サエルの声が震える。隣に座るケレンの体から微かな冷気が漂い始め、カナタの指先で銀色の光が明滅するのを彼女は見た。
「フォーメーション・シグマ!」
担任の先生が命じた。
その一言で、6人の教師は説明なしに連動して動き出した。
エネルギー担当が中央へ走り、床に両手を叩きつける。マナが放射状に広がるが、それは直線ではなく、あらかじめ用意されていたかのようにタイルの目地に沿って走っていく。
他の4人の教師が等間隔に立ち、ほぼ同時に床に手を置く。すると、目地を走るマナが4つの地点からエネルギーを吸い上げ、幾重にも重なり合い始めた。
宙に浮かび上がったのは、透明感のある乳白色のカーテン。それは単なる壁ではなく、約10センチ間隔で10層に重なり合い、それぞれが微妙に異なる周波数で振動していた。
「多層エネルギー膜……」
床に伏したソフィアが、正確に状況を分析する。声は弱々しいが、頭脳は冴えていた。「減衰器と同じ原理よ。多層防音材と同じ仕組みで衝撃を逃がしている」
「静かに……これ以上喋ったら死んじゃうわよ」
ルリヒメが呟きながら、ソフィアの傷口を布で押さえる。
「死なせておけばいい」
リーダーの男は、形成された膜を値踏みするように眺め、笑った。
「賢いが――『トレント・クラッシュ・レベル2』!」
先ほどより二倍は太い紫黒色のエネルギー波が放たれ、第一層に激突した。
第一層が震える……だが、砕けない。衝撃を吸収し、異なる周波数で振動する次層へと受け渡すことで、エネルギー波自体のコヒーレンス(一貫性)を喪失させていく。第三層が残りを吸い込み、第五層を抜ける頃には、エネルギーは10%も残っていなかった。
膜の後方の壁が爆発するのではなく、ただひび割れるに留まる。
「衝撃を分散させたぞ」エネルギー担当が汗を拭う。「だが、長くは持たん」
「了解だ」
担任が防御陣から一歩踏み出した。「リーダーは私がやる」
「二対一か、公平でいいな」リーダーが肩をすくめる。「来いよ」
担任は走らず、ゆっくりと歩み寄った。左手は脱力させ、右手の人差し指と中指を揃える。
「なぜ多くの魔術師が巨大なエネルギーを好むか、知っているか?」担任が問う。
「興味ねえよ」リーダーが吐き捨てる。
「その方が見栄えがいいからだ」担任は自答した。「だが巨大なエネルギーには欠陥がある。基本原理だ……デカければデカいほど、分散する」
彼は指を弾いた。
針のように細く凝縮された白いエネルギーの線が、レーザーのように射出された。断面積あたりのエネルギー密度が極限まで高められている。
リーダーは慌ててエネルギー盾を展開したが、白い線は紙を貫く針のように盾を易々と貫通した。彼の右肩に灼熱が走り、貫通した衝撃に体がのけ反る。
「なっ、何だと――」
「圧力とは、力を面積で割ったものだ」担任が淡々と言った。「私の出力は貴様より低いかもしれんが、魔術の基礎運用能力においては、貴様より百万倍上だ」
リーダーが初めて一歩、後退した。
だが強盗側の余力はまだある。三人がかりでエネルギー膜の一点に集中攻撃を仕掛ける。
第一層が砕け散った。
「一層消失!」エネルギー担当が叫ぶ。ネットワークを伝う反動で、彼の体が微かに震える。「残り九層。だが、あと四、五回これを受ければ――」
「四、五回もさせないわ」
声は後方から響いた。
研究担当の教師が、マナの方程式がびっしりと書かれた紙を手に前に出た。「奴らの力のパターンを解析したわ。このエネルギーは一定の周波数を持っている。……感情で揺れ動く一般人のマナとは違う。だから、弱点があるのよ」
「弱点だと?」
「**逆位相による打ち消し(デストラクティブ・インターフェレンス)**よ」
彼女は眼鏡を直した。「全く同じ周波数で、位相が逆の波をぶつければ、エネルギーはゼロになる」
「問題はリアルタイムで調整しなきゃならないことね。誰か、周波数の微調整を手伝って!」
エンマはあることに気づいた。リーダーは馬鹿ではない。彼は打ち消し魔法の発動を防ぐため、研究担当の教師を狙おうとしている。
「サエル! リーダーの手首を狙え!」エンマが叫ぶ。
「でも、まだ制御が完璧じゃ――」
「完璧じゃなくていい、一瞬でいいんだ!」
サエルは目を閉じ、慣れ親しんだあの冷気を思い浮かべた。指先に氷の粒が集まる。彼女が指を弾くと――小さな氷の塊が空を切り、リーダーの手首を直撃した。わずか一瞬、彼の狙いが逸れる。
「今よ!」
「放て!」研究担当が宣言した。
白いマナの波動が、空中で紫黒色の波動と激突した。爆発音はない。二つのエネルギーが干渉し合い、互いを打ち消して虚空へと消えていく、不気味なほどの静寂だけがそこにあった。
「嘘だろ……本当にやりやがったのか」リーダーが目を見開く。
「エネルギーは波であり、波には位相がある。逆位相は互いを滅ぼし合う。それが基礎だ」研究担当が冷ややかに告げた。
しかし……エネルギー膜の第二層が砕け散り、残りは8層。
そして、エンマの体を這う紫黒色の呪いは、すでに彼の左頬まで達していた。
「戦いは、まだ終わっていない……」
エンマが呟く。呪いの影響か、彼の瞳は底知れぬ漆黒へと染まっていた。「だが、奴らの時間はもうすぐ尽きる」




