第21章:紺碧の海と陽光下の復讐鬼。万象を覆う日食と、民意蹂躙者への審判
最後の列車の汽笛が遠ざかり、プラットフォームには数人の若者たちの影だけが残された。潮風が塩の香りと湿気を運び、彼らの顔をなでる。白い砂浜に足を踏み入れた瞬間、ロリータは軽く背伸びをして、まるで天気予報でも話すかのような気楽な調子で言った。
「政治的なゴミや記者が私たちの休暇を邪魔しないように……。たった今、このビーチをまるごと買い取って貸し切りにしておいたわ」
「ビーチを貸し切り!? 金の力が異常すぎるだろ!」カナタが自分のバッグを抱きしめて絶叫した。ロリータは楽しげに言い返す。「異常だなんて心外ね……。あなたの家だってできるでしょう? ここにいる全員の家族なら、海そのものをプライベートエリアとして購入することだって可能だわ」
その時、一人の警察官がエンマに歩み寄ってきた。「お坊ちゃん、列車内での強盗退治、感謝いたします。あなた方がいなければ、あの列車は凄惨な惨劇の舞台となっていたでしょう」
警官は慇懃に礼を述べた。しかし、彼が立ち去り際、その視線はサエルへと向けられた。それは称賛ではなく、疑念と品定め、そして背筋が凍るような冷ややかな笑みを含んでいた。彼はすぐに顔を伏せ、足早に去っていった。
「今の視線……」エンマは目を細めた。隣に立つ姉は、何事もなかったかのように穏やかな笑みを浮かべたままだ。
崖の上にそびえ立つ豪華な別荘へ向かう道中、漁村の静寂は古い木造建築の隙間から漏れる罵声によって破られた。
「おい、マコ! よくもアニキの党を裏切って、太陽党なんかに投票しやがったな!」
迷彩服を着た巨漢の男が、一人の気弱そうな青年、マコの胸ぐらを掴み上げて叫んでいた。
「どうして僕がどこに投票したか知ってるんだ! それは機密事項のはずだろ!」マコが震える声で抗議する。
「俺は何でも知ってるんだよ! お前の親の名前から住所までな! 喋るだけ時間の無駄だ……」男はヤニにまみれた歯を見せて笑った。「アニキはお前に250ルーレットもバラまいてやったんだ。それなのに票を入れないとは、俺たちの金が空から降ってくるとでも思ってるのか!」
男は金属製のバットを肩に担いだ。陽光に反射する金属の光が冷たく光る。彼は周囲のエネルギーを収束させ始めた。バットの周囲に歪んだ熱波が立ち上る。魔力強化(Mana Enhancement)――チンピラレベルとはいえ、一般人の頭蓋を粉砕するには十分すぎる威力だ。
「死ね、ゴミ屑が!」バットがマコの頭部めがけてフルスイングされた。
(キィィィィィィィン!)
凄まじい金属音が響き渡り、カモメが一斉に飛び立つ。しかし、そこに血の海はなかった。バットと犠牲者の間に割って入ったのは、小さなロリータだった。彼女は特注の防護用金属バングルだけでその衝撃を完璧に受け止め、足元は1ミリたりとも動いていなかった。
金属バットとバングルの衝突が衝撃波を生み、周囲の砂を巻き上げる。巨漢の男は、魔力を込めた一撃を無傷で受け止めた少女を見て目を見開いた。
「票を買うこと自体が哀れだけれど……」ロリータの声は氷のように冷たく、周囲の熱気を一瞬で氷点下へと叩き落とした。「忠誠心を暴力で取り立てようなんて、下劣の極みね」
彼女は女王が蟻を見るような冷徹な眼差しで男を射抜いた。「あんたたちの『アニキ』とやらは、一体どこの政党なの?」
「の、野郎……このガキ! 何者だ!」
「おかしいわね。政党の汚い仕事を引き受けておきながら、私を知らないなんて。ニュースも見ないで、井戸の中で腐っていたのかしら?」
路地の暗がりからホイッスルの音が響き、さらに5人の仲間が魚倉庫の影から姿を現した。彼らは素手ではない。静電気を帯びた電磁チェーンや、超高周波で振動し残像を残す短刀など、高度な魔力付与(Mana Enchantment)を施された武器を手にしていた。
「いいタイミングだ!」リーダーが叫ぶ。「こいつらを片付けろ! 党の活動を妨害した罪だ、骨も残すな!」
「5人……それから肥満気味のリーダーが1人ね」ソフィアが冷ややかな目で前に出た。「塩分濃度12%のこの空気なら、一瞬で効率的な導電体へ変質させられるわ」
「皆さん、焦らないで」ロリータが甘い声で遮った。しかし、その微笑みは男たちの足をすくませた。
「ルリちゃんをお願いね。私の可愛い妹に傷一つつけさせないで」
言い終わるや否や、ロリータの足元の影が巨大に膨れ上がり、そこから無数の**影の分身**が這い出した。
電磁チェーンを振り回す一人目の男に対し、影のロリータ1号がミリ単位の精度でスライディングし、攻撃を回避。直後に掌底を男のみぞおちに叩き込んだ。
(ガハッ!)巨漢の男は悲鳴を上げる間もなく、その場に沈んだ。
同時に、2号が古いトタン屋根へ跳躍し、猛虎のようなしなやかさで急降下キックを別の一人の首筋へ見舞う。男は空中で意識を失った。
ロリータ本人は、バットを構えたまま硬直しているリーダーをじっと見つめている。彼女は肉体的に戦うのではなく、高級スマートウォッチのボタンを一つ押した。
「票を250ルーレットで買ったと言ったわね?」ロリータは静かに告げた。「知っているかしら。今から10秒前、私の売り注文によってルーレット通貨は暴落を開始したわ……。今、あんたたちが懐に入れている金も、党の口座にある金も、魚の血を拭く紙屑ほどの価値もなくなった。……泥棒政治には、自由競争資本主義の制裁が必要でしょう?」
「何だと!?」リーダーは慌てて端末を確認した。残高通知と為替チャートが真っ赤に染まり、価値が指数関数的にゼロへと向かっている。……ように見えた。だが、彼が目にしたのは一時的な操作による幻影。その混乱の隙を突き、影の拳が彼の腹部に沈み込み、巨体を吹き飛ばした。
残った3人の男も逃げようとしたが、無数の影が退路を断っているのを見て、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
「アニキとやらに伝えなさい……」ロリータが短く告げる。
「次、私の前でその不細工な面を晒したら、次はあんたたちの肉体そのものの主権を奪ってあげるわ」
リーダーは砂の上にバットを投げ出し、恐怖と絶望に震えながら、気絶した仲間を抱えて村の闇へと消えていった。助けられた青年マコは、目の前の少年少女たちを神か何かを見るような目で見つめていた。
「怪我はありませんか?」サエルが優しい微笑みを浮かべ、マコに歩み寄った。
「は、はい! ありがとうございます、高橋様!」
エンマの隣でポテトチップスを抱えたまま事の顛末を見届けていたルリヒメが、大きな溜息をついた。「ふぅ……やっと部屋に行けるわね! 海よ、待ってなさい! ルリちゃんが行くわよ!」
一行は夕日に照らされながら、崖の上の別荘へと再び歩み出した。それは、このビーチという戦場における最初の勝利の証だった。
「ねぇ、ロリータ……。あいつら、本当に逃がしてよかったのか?」カナタが不思議そうに尋ねた。
ロリータは不敵な笑みを浮かべ、鈴を転がすような声でさらりと言った。
「逃がすわけないじゃない。……私の『影』を、もう追跡させてあるわ」




