第18章:鉄路の死の契約と、乗客に化けた処刑人
列車の穏やかな空気は、後方の車両から響き渡った悲鳴によって切り裂かれた。
「助けて! カバンを盗まれたわ!」
騒ぎに全員が反射的に振り返る。黒いコートを纏った大柄な男が、乗客の財布を握りしめて通路を突き進んできた。
「あれは!」サエルが目を見開く。
「泥棒か?」エンマが首をかしげ、鋭い視線をその男に固定した。
鉄道員が追いかけるが、男は驚異的な速さと身のこなしで追跡をかわしていく。
「捕まえろ!」係員が叫ぶ。
その時、男が背後に手を伸ばした。全員の背筋に凍りつくような緊張が走る。
銃だ!
「死にたくなければ下がれ」男は歯を食いしばり、銃を振り回して鉄道員を射殺した。
車内は悲鳴に包まれ、人々は座席の影に身を隠した。しかし、エンマとその仲間たちだけは微動だにせず座っていた。
「武器持ちか」エンマが平然と言い放つ。
「ハハッ! 度胸があるな、坊主?」泥棒は不敵な笑みを浮かべ、威嚇するように引き金に指をかけた。
「ねぇエンマ、どうする? すっごく怖いんだけど」カナタがのんびりとした声で尋ねる。
「……棒読みすぎるわよ」エンマが肩をすくめる。
「お、お兄ちゃん、泥棒が……死ぬの? 私たち死ぬの?」
ルリヒメが震える声で言い、目に涙を浮かべながらイチゴミルクのボトルを抱きしめた。そして一口啜る。「イチゴミルクはすべてを癒やすわ……」
「……」エンマは黙って彼女を見た。(本気か……? この疫病神、恐怖心なんてあったのか?)
エンマが静かに立ち上がると、泥棒は警戒して目を細めた。
(ババァン!)
銃声が響くと同時に、放たれた鉄球が泥棒の手に激突した。弾丸はエンマの頬をかすめ、かすり傷を残して通り過ぎた。
「おっと、驚いて手が滑っちゃった」カナタが言った。
一瞬の隙を突き、エンマが泥棒の手首を掴んで捻り上げると、銃が床に転がった。だが男も反応が早い。隠し持っていた短刀を抜き、エンマの喉元へ一閃!
エンマは紙一重でかわし、男の腹部に強烈な蹴りを叩き込んだ。
男はよろめいたが、容易には倒れない。
「貴様、タダ者じゃないな!」
男が銃を拾い直そうとした瞬間、エンマが先んじた。足先で銃を跳ね上げ、空中でキャッチする。
勝利を確信したエンมาだったが、その時、座席から一人の赤髪の屈強な男が立ち上がった。男はエンマに銃口を向け、引き金を引こうとした――しかし、弾丸が放たれる直前、サエルが男の横腹に鋭いキックを食らわせた。重心を崩した男の放った弾は、自らの足を撃ち抜いた。
「野郎ども、囲め!」赤髪の男が叫んだ。
その声を合図に、乗客に化けていた仲間たちが一斉に姿を現し、エンマたちを取り囲んだ。
「10人か」エンマが淡々と告げる。「フェアじゃないな」
「ハッ! 冗談を言ってるのか!?」一人がナイフを抜いて嘲笑う。
「いや……あんたたちにとって、フェアじゃないって意味だよ」
十人の男たちが襲いかかろうとした瞬間、奪い取った銃から放たれたエンマの弾丸が天井を貫き、穴を開けた。
立ち上る硝煙の中、差し込む一筋の光が戦いの幕開けを告げる。赤髪の男の合図で、十人の刺客がエンマ、サエル、そして背後のカナタへ殺到した。
サエルは広げていた巨大な革製の地図を丸め、突っ込んできた一人の首筋を強打して怯ませた。彼女はエンマと視線を交わす。
「エンマ! 右30度!」
揺れる列車の重心を瞬時に計算したサエルは、テーブルのガラス瓶を掴み、半開きの窓から投げ捨てた。跳ね返る海風が瓶の軌道を変え、死角からエンマを狙っていたナイフ使いの額に正確に直撃した。
眠そうにしていたカナタも、ついにその仮面を脱ぎ捨てる。「あーあ、この白い服、洗濯が大変なんだよね」
彼はダンスを踊るような軽やかな足さばきで、敵の拳を次々とかわしていく。
カナタは素早く外した「ベルト」を、回転する天井の扇風機に引っ掛けた。遠心力で振り回されたバックルが二人の男の首に絡まり、勢いよく転倒させる。「即時遠心分離理論、ってね!」彼はひび割れた眼鏡を指で押し上げながら笑った。
仲間たちが作った隙を逃さず、エンマは銃身で敵の急所を的確に突いていく。座席を蹴って大男の頭上を飛び越え、放置されていたワゴンから金属製のトレイを奪ってナイフを防いだ。
(ガキィィン!)金属音が響く。エンマは赤髪のリーダーの腕を掴み、その巨体を車両の連結ドアに叩きつけた。ガラスが粉々に砕け散る。
「カレン、断面積4メートル。準備して」ソフィアが冷静に命じた。
「了解!」カレンは食べかけの菓子の袋を放り投げた。
ソフィア自身は手を下さない。しかし、ポリエステル製の傘を座席の隙間に差し込み、突っ込んできた三人の足元に障害物を作った。バランスを崩した三人に対し、待ち構えていたカレンのハイキックが一閃! 三人まとめて首筋を刈り取り、一瞬で気絶させた。
「エネルギー効率98.5%ね」ソフィアは襟元を整えながら分析した。
戦場の中心で、ルリヒメだけは震えながらスマホを抱きしめていた。「ひぃぃ! 私のイチゴミルクがこぼれちゃうじゃない!」
その時、生き残った最後の一人がルリヒメを人質に取ろうと突進した。エンマは金属トレイを投げ飛ばし、男はそれを踏みつけた。
「うわあああ!」
滑った男は、先ほどエンマが天井に開けた穴の真下で止まった。正午の太陽が真上から差し込み、男の目を焼く。悶絶した男が立ち上がり、なおもルリヒメを捕らえようとした。
そこへカナタが投げた鉄球が男の背中に激突。弾みで男の手がルリヒメのピンクのスーツケースを叩き落とし、中身がぶちまけられた。
男はそのまま、スーツケースの中身に顔を突っ込んだ。そこには、ルリヒメが護身用に(使うのを忘れて)持っていた**「アヒル型の高電圧スタンガン」**が入っていた。
男は「ビビビビッ!」と激しく痙攣し、そのまま沈黙した。
「……えっ? 勝ったの?」
ルリヒメがイチゴミルクのストローをくわえたまま、ポカンと顔を上げた。
半壊した車両の中、エンマは少し息を切らして立っていた。足元には、まるで壊れた人形のように積み重なった十人の男たち。
「……この旧式列車、思ってたよりサービスが過剰だな」彼は頬の血を拭いながら言った。
「そうね。私の地図によれば、あと10分で海岸沿いの駅に着くわ。現地の警察が十分な手錠を用意しているといいけれど」
サエルは微笑み、地図を畳み始めた。
潮風が強まり、硝煙の匂いを爽やかな香りがかき消していく。列車は安定した走りを取り戻し、彼らを待つ紺碧の水平線へと突き進んでいった。




