第17章:列車の汽笛と海の香り
早朝の淡い霧の間から、柔らかな朝日が差し込む。静寂を破ったのは、それぞれの居場所で鳴り響く目覚ましの音だった。
二人の姉弟が暮らす家では、サエルが清潔感のあるシャツと仕立ての良いパンツに身を包み、活き活きと目を覚ましていた。彼女は携帯食料を準備し、旅行カバンの最終チェックを三度目となる念入りさで行っていた。
一方、エンマは重い瞼をこじ開け、ふらふらしながらベッドから這い出した。昨夜遅くまで議会の生中継を見ていた影響だ。そして仮住まいの部屋の隅では、カナタが寝癖だらけの頭でソファから転げ落ち、新しい朝への挨拶代わりにクシャミを一つ放った。
名門の屋敷では、ソフィアとカレンが気品漂うブランドのカジュアルウェアに身を包んでいた。彼女たちはコールドブリューコーヒーを啜りながら、列車の運行スケジュールを秒単位の精度で確認している。
しかし……街の反対側にあるピンクのアパートでは、ルリヒメがキングサイズのベッドで大の字になって眠りこけていた。アヒルのぬいぐるみと空になったイチゴミルクの瓶に囲まれ、彼女は抱き枕を人質に取りながら「世界統一」の寝言を呟いている。黄色いアヒルの目覚まし時計は、小さな手に払いのけられ、床の上で沈黙していた。
クラシックな雰囲気漂う古い駅のホーム。鉄の匂いと微かな蒸気が空気中に漂っている。カナタ、エンマ、サエル、ソフィア、そしてカレンが、保存されていた蒸気機関車の前に集まっていた。皆、バックパックや荷物を抱えて準備万端だが、一人だけ足りない……。
「出発時刻まであと3分。列車はダイヤ通り正確に動くわ」ソフィアが腕時計に目を落とす。「ルリヒメが今から間に合う確率は0.02%ね」
「あいつ……まさか寝過ごして旅行のこと忘れてるんじゃないだろうな」エンマは溜息をつき、駅の入り口の方を覗き込んだ直後。
「いたぞ! 来たぁぁぁ!」カナタが通路を指差して叫んだ。
ピンク色の影が群衆をかき分け、猛スピードで突進してくる。ルリヒメが顔を真っ赤にして走り、おさげ髪が宙に舞っている。手に持った小さなカバンは今にも手からすり抜けそうだ。彼女は改札を突き抜け、「ボーーッ!」という汽笛が響き、鉄輪が回り始めたまさにその瞬間、列車のステップに飛び乗った。
「ハァ……ハァ……危なかった! 道路をこんなに渋滞させるなんて、これは神による妨害工作に違いないわ!」ルリヒメは手すりに寄りかかり、肩で息をしながらも、手にはしっかりと切符を握りしめていた。
古い木造の車両に全員が落ち着くと、ガタンゴトンという規則正しい振動が心地よいリズムを作り出した。
サエルは座席の間の小さな木のテーブルに青写真のような地図を広げた。鉛筆で座標とルートを書き込む彼女の瞳は、まるで遠足前の子供のように輝いている。「見て、みんな! この絶壁を越えれば、一番美しいフリーエリアの海域に入るわよ!」
その隣で、エンマは柔らかい背もたれに身を預け、大きな窓の外を眺めていた。灰色のビル群や都会の汚れた煙は徐々に緑豊かな森へと変わり、ついに……視界が開け、キラキラと輝く紺碧の海が姿を現した。太陽の光を反射する水面は、まるで零れ落ちたダイヤモンドのようだ。「綺麗だな……」彼は独り言のように呟いた。
そんな情緒ある雰囲気の中、カナタはちゃっかり眠りについていた。窓枠に頭を預け、口を少し開けて微かな寝息を立てている。その腕の中には「皇帝の秘策レシピ」と書かれたポテトチップスの袋が大切そうに抱えられていた。
向かい側に座るルリヒメが、隠密作戦を開始する。ガチャゲーが起動したままのスマホを置き、小さな手をカナタの菓子袋へと忍び込ませた。二本の指でポテトチップスをそっと挟み出し、口の中へ。
(バリッ!)
「あぁ……勝利の味ね」ルリヒメがニヤリと笑う。
カナタが跳ね起きた。「おい! ルリヒメ! それは俺が並んで買った限定品だぞ!」
「寝てる方が悪いのよ! 世界の理は、強き者が食らうことにあるの!」ルリヒメは言い返しつつ、もう一枚に手を伸ばす。「それに、このカロリーは私のゲーム脳に必要不可欠なのよ!」
「返せ、この食い意地の張ったガキめ!」二人は座席の上でポテトチップスの袋を奪い合い、破片がシートに飛び散った。
サエルの笑い声、エンマの呆れた呟き、そしてカナタとルリヒメの言い争い。それらが潮風に乗って流れる列車の汽笛と混ざり合う。少し開いた窓から塩の香りと陽光が吹き込み、目的地で待ち受ける何かへの期待が、全員の心の中で膨らみ始めていた。




