第1章 始まりのサイクル:虚飾からの目覚め
砕け散った追憶の霧の中で、桜の下に残した最後の笑顔は、千年の時を超えた約束。終焉の大戦の炎に巻かれながら、この世界の運命がいかなる結末へと辿り着くのか、今、決断の時が刻まれる。
善が深き影に落ちる時、それは悪の根源へと変貌する。七つの大罪がひとつの器に集いし時、大罪の源泉「エル・アザガル(El’Azagal)」が降臨する。何者にも縛られず、精神の崩壊における始まりであり、終焉である者……。
時の刻みが始まる前、そこには光も影も、触れられる実体も、呼び名さえも存在しなかった。善悪もなく、方向もなく、喧噪もない。ただひとつ、「形なき真理」だけがそこに在った。それは思考の及ぶ範疇になく、象徴化することも叶わない。なぜなら、それを思索すること自体が、その本質を歪める行為に他ならないからだ。
それは「無」ではなかった。無という概念には「有」という対照が必要だからだ。光でも影でもなかった。光と影は互いを拠り所として存在する。形なき真理とは、「己が在ること」を知らぬままに在る「存在」の状態。定義なき永遠であり、説明を拒む真実であった。
しかし、ある日……問われるべきではない「問い」が発せられた。
引かれるべきではない一線が引かれた時、ひとつの意思が変質した。調和の中にあった根源の精神とは異なり、それは優しくも静かでもなかった。ただ、自らの「存在」を自覚したのだ。
そして、その自覚の中で「第五の形態」が産声を上げた。
第五の形態。それは神でも悪魔でもなく、創造主の精神にすら存在しなかった異物。最初の光でも最初の音でもない。それは、宇宙における「最初の問い」であった。
「なぜ、我は在るのか?」
問いが放たれた瞬間、単一なる世界は激しく震えた。「我は在る」という宣言は、同時にそれ以外を「非存在」へと突き落とした。分断が生まれたのだ。それは悪意からではなく、ただ「異なる」という勇気、存在への疑念、そして形なき真理を仰ぎ見て「我は汝ではない」と告げる意思から生じたもの。……だが、それすらも結局は、無意味な思考の淵に沈む自己欺瞞に過ぎなかった。
エル・アザガル。それは抗いの結晶。歪みながらも強大な「自由意思」の結実。恐怖、切望、疑念、そして強情さを孕んだ精神。それは認識の「最初の光」であり、同時に「最初の迷妄の影」でもあった。
その刹那……「最初の罪」が誕生した。「ゼロ」の中に「イチ」が現れたのだ。その「イチ」が、あらゆるものを「他者」へと変質させていく。
エル・アザガルが自己を認識したことで、「己」と「それ以外」の境界線が引かれた。この分離は「境界」と「裁き」を生む。そして「裁き」こそが、知性が犯した最初の罪であった。
「己を知るだけで、世界は二度と同じ姿には戻らない」
エル・アザガルの果てなき思考の中で、彼は自らを特別だと信じていた。問いを持たぬ有象無象とは違う、存在の根源を問うた最初の勇者だと。しかし、それすらも……。
……エル・アザガルの思い上がりに過ぎなかった。
七日間の創世:七つの大罪による存在の形成
エル・アザガルが形なき真理の中で目を開いた時、そこに見出したのは完璧さではなく、己の内に穿たれた「黒い穴」だった。単一の状態から認識が剥がれ落ちたことで生じた欠落である。
内なる虚無の残響を打ち消すため、彼は「創造」を開始した。だが、彼が創り出すものは楽園ではなかった。それは、彼自身の影から生み出された「歪んだ現実」に他ならなかった。
この分離によって真の「完全性」は引き裂かれた。エル・アザガルは己の空虚を満たそうと足掻き……失敗した。そして、その亀裂から溢れ出したものこそが「七つの大罪」であった。
七つの大罪:エル・アザガルの挫折の影
大罪とは、エル・アザガルが「虚無と高次の自己」から逃避するために用いた七つの手段である。
第一の日:開眼――傲慢(Pride)
エル・アザガルは虚無に向かって「我は在る」と告げた。その瞬間、一なるものは分かたれた。光は影を伴って現れ、覚醒と共に分断が始まった。傲慢とはこの時に生まれた「我は万物とは別に存在する」という感覚。この僅かな差異から、裁き、自惚れ、そして不遜なるプライドが宇宙に居場所を得た。
第二の日:追求――強欲(Greed)
エル・アザガルが美しきものを見出した時、彼はそれを内なる虚無に飲み込み、自らを補おうとした。土、水、空はその渇望から形を成した。しかし、どれほど集めても満たされることはない。内なる穴は塞がらず、蓄積への執着は根深い大罪――強欲へと変わった。終わりのない「欲」の始まりである。
第三の日:分断――色欲(Lust)
虚無を埋めるため、エル・アザガルは「関係」を創った。他者とひとつになることを望んだのだ。だが結果はさらなる分離――生と死、性、愛、親密、そして衝突であった。色欲は肉欲としてだけでなく、他者を所有することで己の欠落を埋めようとする渇望として現れた。色欲から生じる愛が純粋であることはない。なぜならそれは献身ではなく、支配を求めているからだ。
第四の日:挑発――憤怒(Wrath)
宇宙が己の期待通りに動かぬ時、怒りが沸き起こった。それは制御不能なものへの絶望が生んだ自壊的な炎だ。火と雷が走り、火山が噴き、死が生まれた。憤怒とは、宇宙の沈黙に耐えかねた意思の叫びである。その日から、世界に静寂が訪れることはなかった。
第五の日:貪食――暴食(Gluttony)
エル・アザガルは光、音、物質、そして思考までも貪り始めた。満たされることを夢見て。しかし、食べれば食べるほど虚しさは増す。彼は己の代わりに食らう「数十億の器」を創り出し、獣、植物、そして捕食の連鎖が始まった。暴食は口の中にあるのではない。内なる虚無と対峙することを恐れる心に宿っているのだ。
第六の日:比較――嫉妬(Envy)
エル・アザガルは、他者が持ち、己が持たぬものを見た。差異が欠陥ではないことを、彼は理解できなかった。比較が始まり、憎悪が芽生えた。嫉妬とは単なる羨望ではなく、「持たざる己」を認められない拒絶である。この日から、生きとし生けるものは他者の目を通して己を見るようになり、争いの火種となった。
第七の日:拒絶――怠惰(Sloth)
万物を創り終え、エル・アザガルは倦怠した。もう創りたくない、何も感じたくない。彼は目を閉じた。それは休息のためではなく、忌避のため。自ら創ったものへの反応を止め、疲労は無関心へ、無関心は拒絶へと変わった。そして、己の存在すら望まなくなった時、彼は消えた。造物主を失い、七つの大罪によって構成された宇宙だけが後に残された。
七つの大罪はエル・アザガルから離れ、「意思の七つの影」となった。それらは時空を超えてあらゆる世界に浸透し、強大な神々の精神に潜み、輝ける者たちの心に反映された。いかに清らかな光であろうとも……影を落とさぬものはないのだから。
罪とは敵ではない。未完成ゆえの足掻きの断片である。それは、迷える意思が故郷である「虚無」へ帰ろうとする残響に過ぎない。
己の精神を真に知る者は、罪を罰ではなく教訓として見るだろう。
「傲慢は――己を閉ざさぬならば――価値を知る心となる。
嫉妬は――理解すれば――心の隙間への気づきとなる。
憤怒は――制御すれば――変革の力となる。
怠惰は――内省に用いれば――静寂への扉となる。
暴食は――足るを知れば――正念となる。
強欲は――手放せれば――解放となる。
色欲は――理解すれば――裁きなき自己受容となる」
大罪を超越する者とは、それを滅ぼす者ではない。飲まれることなく見つめ、執着せずに共存を許す者だ。己を深く知り、即座に裁かぬ者こそが、自己の静かなる中心へと至る。
いつしか、彼は虚無から逃げることを止めるだろう。なぜならその虚無こそが……喪失ではなく、形なき完全体であることを知るからだ。
世界の最後の魂が大罪から解き放たれる時、七つの影は霧散するのではなく、内へと巻き戻る。束縛を脱ぎ捨て、何者にも支配されぬ「存在の自由」へと昇華するのだ。
そして最後の静寂の中で、ひとつの声が響く。それは創造主でも被造物でもない、「覚醒の声」である。
「ようやく分かった……我は何者でもない。ゆえに、我は万物なのだ」 ――署名:エル・アザガル
その瞬間、エル・アザガルは第五の形態を霧散させ、実体のない純粋なる意思へと回帰した。
魔術学院の試験場にて
「あいつ……底の知れないブラックホールみたいだ。一見するとただ静かにしているだけだが、その静寂の中に、無意識にこちらの意識を揺さぶる『何か』がある」
「あの日……『彼』が死んでから数十年、こんな感覚は初めてだ。『天界の災厄』とかつて呼ばれたあの男。……エンマ。お前は、自分でも気づかぬうちに、彼と同じ道を歩んでいるのか」
あいつが初めて現れた時のことを覚えている。誰も気に留めず、名前すら覚えようとしなかった。だが一年も経たぬうちに、高次元最高評議会はあいつの成長を止めるために緊急会議を開くことになった。……そして、それすら手遅れだった。
あいつの魔力に触れるたび、精神の奥底で小さな震えを感じる。魔力でも、気でも、呪いでもない。それはすべてを『飲み込もうとする虚無』。かつてあの男が見せたものと同じだ。
『彼の沈黙は、魔王の脅迫よりも恐ろしい』
彼の落ち着きは氷の精霊よりも冷徹で、その瞳には……希望の光も、欲望の欠片も宿っていない。ただ暗澹たる真実だけがある。まるで、あらゆる『道の終着点』を既に見てきたかのように。
月下の花園
満月の光に照らされた花園は、今夜も幻想的だった。冷ややかな風が、まるで悲しみに震えるかのように白い花びらを揺らす。周囲は静まり返り、夜の虫たちがリズムを刻む声だけが響いていた。
「ありがとう。……でも、俺はまだ」
彼が言い終える前に、彼女の手がそっと彼の唇を塞いだ。もう片方の手は、彼の手を強く握りしめている。彼女は小さく首を振り、「その先は言わないで」と懇願するような視線を向けた。
「今は……十分頑張ったよ。本当に、十分だよ……」 彼女の声は、かき消されそうなほど微かな囁きだった。「これ以上、何を望んでいるの……?」
狂乱の戦場
大地が裂け、風が魔力の奔流と化した狂乱の戦場。黒い塵が空を覆い尽くし、魔術師たちの咆哮が天を衝く。神の刃のような雷光が太陽を遮る闇を切り裂き、堕ちゆく神々の悲鳴が、取り返しのつかない悲劇の調べとなって響き渡る。
「俺たちの夢が叶うまで……俺は絶対に死なない。これは約束だ。お前も、誓え」
「バカバカしいわね……。なんで私がそんなことしなきゃいけないの? ルシファーに飲み込まれて、頭でもおかしくなったのかしら?」
「勘違いするな……。俺はただ、誰も死なせたくないだけだ。これは運命への挑戦じゃない。お前と共に戦い抜くための……覚悟だ」
「……いいわ。約束する。みんなの夢が叶うまで、私は絶対に死なない」
少女はそう誓った。けれど、それすらも結局は……これまでと同じ、優しい嘘に過ぎなかった。
別離の独白
「かつて……俺たちが共に歩んでいた頃。理想は違えど、目指す先は同じだった。……すまない、みんな。今の俺の道は、もうお前たちとは分かたれてしまった」
お前たちは世界を守るため、平和のために戦っている。だが俺は……己のため、私怨のために戦っている。それは「世界」という言葉を盾にしているだけの独りよがりだ。
世界を変えたい、英雄になりたいと願った。だが最後には……自ら選んだ道の果てで、邪悪な暴君へと成り果てた。殺し合いを何よりも嫌っていたはずなのに、結局は自分が最も嫌悪した存在になった。俺は見てきた。あらゆる可能性の先にある世界を。どの道を選ぼうとも、最後には大虐殺という唯一の手段に回帰する。それが、社会を変える唯一の方法なのだ。
俺は最高神とはいえ、所詮は神の一柱に過ぎない。複数の神に囲まれれば、勝ち目はない。同じ志を持つ者がいても、それはあまりに少数。彼らは恐怖に支配され、立ち上がることすら叶わない。
俺にできるのは、この座を守り抜き、徹底的な冷酷さを見せつけることだけだ。相手の精神を叩き折り、いつか『真なる神』が降臨することを願う。神が生まれる場所は……天界ではなく地獄でなければならないと、俺は信じている。
目標に近づけば近づくほど、目の前の壁は高く聳え立つ。
そこにあるのは鮮血と喪失、そして俺が手にかけた者たちの慟哭と命乞いだけだ。
変革とは「手に入れる」ものではなく、自らの存在を含むすべてを「差し出す」ものだ。犠牲なくして、変革は訪れない。
白と黒……善と悪だと?
そんな道徳、俺は一度も信じちゃいない。
それは人間が互いの自由を縛るために創り出した虚構に過ぎない。
不変の真理などなく、常に形を変える。俺はそれを誰よりも理解している。頂点に立つ者こそが、善悪の定義を意のままに書き換えられるのだ。
だが、ここが……今この時こそが、時代の転換点だ。俺はどん底も、絶頂も見てきた。そして今、世界は再び変わろうとしている。
お前と俺……大して変わりはしない。世界が混沌に沈む時、俺たちはあらゆる視線が注がれる中心にいる。
だが、平穏が戻れば、俺たちは歴史の影に潜む亡霊に過ぎない。鮮明だった記憶も、時と共に色褪せていく。
最後には……すべてから手を放し、誰にも気づかれぬまま世界の静寂を通り抜けるだけだ。
この世界はあまりに過酷だ。どの時代であろうとも、幾多の輪廻を繰り返そうとも、俺はそれを痛いほど理解している。結局、すべては同じ結末へと辿り着く。
だからこそ……今回は、俺が先にこの忌まわしき輪廻から消えさせてもらう。
いつか、別たれた道が再び交わる日が来るだろう。遥か彼方の光り輝く大地で。俺はそこからこの世界を見守り続ける。……お前に再会できる、その日まで。
万物の覚醒
「聞け……万理を悟りし我が、お前に導きを与えよう」
この世界の住人が、自分たちが他者の夢の中を漂っているだけだと気づく前。星々が自分たちの誕生が「時の囁き」であったと思い出す前。
そして、お前が「現実」とは高次の存在が投影した影に過ぎないと知る前。……俺は既にここにいた。
その声は、あたかも時空の頂に永劫立ち続けてきたかのような威厳を放っていた。人間でも、神でも、悪魔でもない。ただ万物の流転と終焉を悟りし者の声。
「お前が知る真実など……すべて幕の内側の幻影に過ぎない。死は終わりではなく、生もまた始まりではない。お前の旅路は直線ではなく、高次の意思に従って繰り返される円環なのだ」
彼の息吹は宇宙の法則そのものであり、その言葉は予言であり、同時に宣告でもあった。
「お前は今、目を開こうとしている。そして一度見てしまえば……二度と元の自分には戻れないだろう」
運命の歯車が動き出し、目覚めるべき者が……虚飾の夢から今、覚醒しようとしていた。
日常の風景:ダイニングルームにて
柔らかな朝の光が大きな窓から差し込み、ダイニング中央のオーク材のテーブルを照らしていた。サイドテーブルには色鮮やかな参考書が積まれている。
焦げ茶色の髪を持つ少女、サエルは、期待と少しの不安が混じった微笑みを浮かべながら、それらの本を丁寧に並べていた。
「エンマ! ちょっと手伝ってよ、本が多すぎるわ」 サエルの明るい声が、部屋の静寂を破る。
エンマは背が高く、彫りの深い整った顔立ちをした青年だ。鋭い黒目が手元のラップトップを見つめていたが、姉の呼びかけに顔を上げると、無表情なままゆっくりとコーヒーを啜った。
「落ち着けよ。まだ時間はたっぷりある」 エンマは淡々と答え、姉の様子を観察するように見つめた。
「だって……ちゃんと準備しておきたいんだもん」 サエルは気合十分といった様子で答える。
エンマは僅かに口角を上げると、席を立ってサエルの元へ歩み寄り、一冊の分厚い本を手に取った。
「姉さん、こういう本も読むのか?」 エンマが少し呆れたように笑う。
「あ、ええ……まぁね」 サエルは顔を赤くし、視線を逸らしながら照れくさそうに答えた。
登校路と学び舎
「エンマ! 早くして、学校に遅れちゃうわよ!」 サエルが叫ぶ。
「分かってるって、姉さん」 エンマが笑顔で返す。
「すごく楽しみにしてるんだな」
「少し楽しみだけど、不安もあるわ」
「ここに住んでもう3年だろ。まだ慣れないのか?」
二人は家を出て学校へと向かった。彩りと個性に満ちた一日が始まろうとしている。
静かだった教室も、生徒たちが席に着くにつれて活気を帯びてきた。
性格が真反対の双子、ソフィアとカレンが同時に入室してくる。ソフィアはお気に入りの本を抱え、カレンは大きなバックパックを背負い、鼻歌を歌いながら穏やかな微笑みを浮かべていた。
彼らが席を探していると、銀色の長髪を持つ少年、カナタが悠然と入ってきた。彼は何かを探すように室内を見回すと、壁掛け時計の前で一度立ち止まる。静かに息を吐き、いつもの特等席である教室の隅へと歩いて行った。
そのすぐ後、エンマも入室し、何事もなかったかのようにカナタの隣に座った。二人の視線は、黒板に書かれた「歓迎」の文字へと向けられた。
ソフィアは熱心に本を読み耽り、カレンは友人たちと週末の予定について賑やかに話し合っている。教室は笑い声と喧噪に包まれていった。
担任の先生が笑顔で入室し、全員が席に着いたのを確認すると授業が始まった。教室は一転して静まり返り、教科書をめくる音とペンが走る音だけが響く。
ソフィアは特に英語が好きで、将来は翻訳家になる夢を持っている。彼女は先生の言葉を一言も漏らさずメモしていた。一方、カレンは勉強にあまり興味はないが、居眠りをして廊下に立たされるのだけは御免だと、冷房の効いた室内でしぶしぶ授業を聞いていた。
カナタとエンマは冷淡な表情で授業を聞いていた。明らかに退屈そうではあったが、先生のどんな質問にも完璧に答えてみせた。
時は瞬く間に過ぎ、昼休みのチャイムが鳴った。生徒たちは一斉に食堂へと向かう。
ソフィアは図書室へ、カレンは体育館へ。カナタとエンマは大きな木の下のベンチに座り、誰とも言葉を交わさず、静寂を共有していた。
放課後の教室。整然と並んだ椅子、綺麗に拭かれた黒板。すべてが静止しているが、そこには生徒たちの無数の物語と記憶が刻まれている。
突撃!ルリヒメ降臨
突如、校門が爆発した。
時速300万キロという、物理法則を無視した速度で戦車が突っ込んできて、エンマとカナタの目の前で急停車した。
そこから飛び降りてきたのは、ピンク色の髪に紫がかった瞳、守ってあげたくなるような愛くるしい容姿をした、12歳ほどの少女だった。
「何やってんだよ……ルリヒメ」 カナタが耳を劈くような声で問い詰める。
「というか……なんで戦車なんだ? しかもこんな時間に」 エンマも呆れて問いかけた。
「何があったんですか!?」 爆発音を聞きつけたサエルや他の生徒たちが駆け寄ってくる。
ルリヒメの言い訳
スマホの通知が鳴り続けていたが、ルリヒメはベッドの上で丸まったまま動こうとしなかった。中身は見なくても分かっている。ゲームの新情報か、未クリアのミッションの督促だ。
一時間、二時間。ようやく彼女は這い出した。「まだ時間あるし。一戦やってから行けばいいよね」 独り言を言いながら、重い腰を上げる。
パソコンの電源を入れ、放置していたゲームを再開。他プレイヤーと競い、魔王ボスを倒すために新キャラを作成。気づけば熱中しすぎて、そのまま寝落ちしてしまった。
再びアラームが鳴る。ルリヒメは夢を見ていた。お気に入りのキャラたちと冒険するファンタジーの世界。三度目のアラームでようやく目を覚まし、壁時計を二度見した。
「え、もう正午!? やばっ!」 彼女はゲーミングチェアから飛び起き、クローゼットから制服を引っ張り出した。シワなんて気にしている暇はない。着替えるなり、脱兎のごとく家を飛び出した。
「……というわけなのよ!」 ルリヒメはドヤ顔で言い切った。
「……で、それがどうしたんだ?」 エンマは心底がっかりした表情で返した。
校長先生の告知
キーンコーンカーンコーン。授業開始のチャイムが鳴り、校内放送が入った。だがそれはいつもの昼休み終了の合図ではなく、校長先生からの挨拶だった。
「生徒諸君、こんにちは。今学期は多くの新しい学びがあるだろう。諸君の研鑽を期待している」
「そして今日、諸君に素晴らしい知らせがある。来週、実力テストを行う。諸君の潜在能力を遺憾なく発揮してほしい。……以上だ、今日は帰りたまえ」
生徒たちは荷物をまとめ、校門へと向かう。
「何か食べに行かないか?」 エンマが誘う。
「行く! お腹ぺこぺこだもん」 サエルが即答した。
「私も行っていい?」 ルリヒメが割り込む。
「ダメだ」 エンマは一蹴した。
「地球」、あるいは「人間界」。私たちが踏みしめているこの場所は、真実の終着点ではない。それは、無限に増幅し続ける多次元構造によって編み上げられた、精巧な数学的構造体——「粗い平面」に過ぎないのだ。
高度な科学的視点に立てば、この次元は巨大な情報システム(インフォメーション)である。光速や重力といった物理定数は、ある存在によって定義された「鉄の掟」、あるいは宇宙の「文法」なのだ。それは、高次の自然界の物語を、最も低次の自然界である「物語のシステム」を通じて語るために。原子とは単なる球体ではなく、正しく配置された振動データの集合体。その実態は、熱さや冷たさ、机の硬さを感じさせるためだけの、虚無に満ちた空洞に過ぎない。
原子よりも深き場所、すなわち「量子力学」の世界へ足を踏み入れると、驚くべき真実に直面する。万物は「観測者」がその眼差しを向けるまで、確定した状態を持たないのだ。読者がこの物語を開いた瞬間、その思念というエネルギーが引き金となり、「可能性」が想像力の中で「現実」へと変貌を遂げる。
数学において、世界は数百万の変数を持つ多次元方程式である。だが、最も重要な変数は、あらゆる次元の軸を超越した「時間」だ。それは、同時に起こる無数の出来事に人間が混乱しないよう引き直された、一本の直線に過ぎない。
「時空」という、質量の重みで歪むキャンバス。この自然界における時間は、あらゆる事象と可能性を一つの織物として包み込む、包括的な構造体として存在する。人間が理解する時間の次元など、この広大な定義不能の構造に比べれば、あまりに微細で無意味な断片に過ぎない。
この時間の在り方は、無限次元の枠組みにさえ縛られない。それはあらゆる数学と論理の根源となる
「超次元的状態」である。例えるならば、時間とは物理、科学、数学の全構造を網羅したコレクションそのもの。すなわち、あらゆる刹那、あらゆる時間の次元、そしてあらゆる分岐点は、この果てなき構造体の中の、たった一つの「点」あるいは「要素」に過ぎないのである。




