第六話 眠れぬ夜に見える愛
寝室の一つ下の階にある玉座の間。その奥にあるバルコニーで、余は一人夜風を感じていた。
ほのかな月明かりと、髪を撫でる空気の感触が心地良い。夜に溶けてしまいそうなその時間さえも、余を眠りに誘うほどの力はなかった。
……駄目だ、目が冴えて仕方がない。
ざわつく胸を落ち着かせる様に、余は大きく息を吸う。
あやつが言っていた十年前に余が口にした言葉は、いまだに思い出せていなかった。
余の思考を遮る様に、コツコツと規則正しい靴音が聞こえてくる。
……タイミングがいいのか悪いのか、相変わらずよくわからないやつだ。
足音の方へ体を向ける。
月明かりに照らされた銀髪が、妙に眩しく感じられた。
「ターニャ、眠れないのか?」
くまのできた目を細め、オスカルはふわりと笑う。
「たまたまだ。お前こそ、眠れていないのではないか?」
「まあね。でも、眠れないのは今に始まった事じゃない。もう慣れたよ」
「慣れるものではないだろう。……何か、あったのか」
「何でもないさ。少し、寝るのが怖いだけだよ」
肩をすくめるオスカル。その指先は、微かに揺れている様な気がした。
……仕方のないやつだな。
余は腕を組んだまま、オスカルの方へと歩み寄る。
「楽になるかも知れん。余が話を聞いてやろう」
オスカルは目を見開き、そしてふっと、視線を逸らした。
「まさか、君の口からそんな言葉が聞けるなんてね。妻として、夫を労わってくれるのかい?」
「茶化すな愚か者。……無理に話せとは言わん。だが、王とは孤独なものだ。同じ王同士だからこそ、理解できることもあるだろう」
民の命を背負う責任感や、復讐への恐怖心。そこに至るまでの心を追い詰める記憶の数々。余にもそれらに心乱され、眠れぬ日々があった。気持ちは、痛いほどわかった。
「君には敵わないね。じゃあ、少しだけ聞いてもらおうかな」
オスカルは前に歩み、バルコニーの手すりに体重を乗せる。その後夜空へ視線を投げ、ぽつりぽつりと語り出した。
「十五年くらい前かな。ターニャに負け続けた俺を、周囲は段々疎んでいった。何も知らないくせに勝手だよな。当時は俺だって、さっさと英雄になりたかったさ」
嘲る様にオスカルは笑う。
乾いた笑みは、ひどく痛々しい。
「俺は、そこで理解してしまったんだ。悪とされた魔王は争いを終わらせ民に慕われる英雄で、俺を祭り上げた国王は争いを生み私腹を肥やす愚王なんだってね」
当時に思いを馳せる様に、オスカルは柵に頬を乗せた。
「ある日ふと思ったんだ。……俺はなんのために、生きているんだろうって。俺は勇者だと言われたけど、君を倒せなかったし、倒したいとも思えなかったから」
オスカルの声が揺れる。
その不安げな音に誘われ、余の脳の奥底から、一つの記憶がぷかりと浮かび上がってきた。
……そうだ。あれはオスカルが来なくなる直前のことだった。こやつに一度、似た様な事を問われた事がある。
確か、やつはこう言っていた。
『俺は、何のために生きれば良いんだ』と。
オスカルは柵から顔を離し、余の方へと振り向いた。
縋り付く様なその視線に、どきりと鼓動が跳ねたきがした。
「自分の存在意義を見失いかけた時に、ターニャが言ってくれたんだ。『お前の人生はお前のものだ。他の誰のものでもない。操られるな、惑わされるな、自分のために生きろ』ってね」
「まさか……それが、余を欲する理由か?」
出てきた声は、驚きで揺れていた。
ただ自身の考えを述べただけの事だった。
そのたった一言で、こいつは十年かけて王になり、余を妻にすると決めたと言うのか?
「ターニャの言葉を聞いた時、まるで電撃が走ったみたいだったよ。その時決めたんだ。俺は俺のしたい様に生きる。欲しいと心が望むまま、君を俺の妻にするんだと」
さも当然のことかの様に語るオスカル。
とても正気とは思えない行動に、余の理性が警笛をならし続ける。
それにも関わらず……何故か、オスカルの気持ちを否定できない自分がいた。
「それは本当に、お前のための人生なのか? ただ、依存する相手が変わっただけではないのか?」
自分に言い聞かせる様に、余はオスカルに語りかける。
そうでもしないと、言語化できない感情に飲み込まれてしまいそうな気がした。
「そうかも知れないね。でも、俺はそれでも良いと思ってる。ターニャがいなければ俺は英雄にも王にもなれなかった。目的が何であれ、素晴らしい成長だと思わないかい?」
「結果だけ見ればそうだが……」
「なら良いだろう。何より、今、俺はすごく幸せなんだ。やっと、愛する君の隣に来れたんだから」
オスカルはゆっくりと、余の元へと歩み寄ってくる。
「君のためなら何でも耐えられた。なれない貴族の真似ごとも、醜い権力争いと化かし合いも」
しっかりしているはずなのに、おぼつかない様にも感じられるその足元。何処か不気味なその動きから、余は逃げる事ができなかった。
「全部自分で選んだ道だ。……でもたまに、怖くて仕方なくなるんだよ。きっとそれはこれからも変わらない。君が俺の元から居なくならないと、そう確信するまでずっとね」
オスカルの手が余の頬に伸びてくる。
何度も見たはずのその動き。普段なら振り払うだけのその仕草。
しかし余は――この日初めて、その手を取った。
自分でも理由はわからない。体が、勝手に動いた。
見開かれたオスカルの目。その視線を受けながら、余はぐいとその手を引き寄せる。
「それならば、今日だけは余が貴様のそばにいてやろう。導いた者の責務としてな」
体の動きを誤魔化すように、パッと思いついた理由を口にする。
余は王だ。自分の放った言葉の責任を取る義務がある。
故に、余がオスカルの気持ちを拒絶しないのは、致し方のない事なのだ。
「ターニャ……」
頬を綻ばせるオスカル。先ほどまでと違う明るい表情が、余の心をぐしゃりとかき乱した。
「勘違いするな。ただ、寝かしつけてやるだけだ」
「それでもいい。俺は、君がそばにいてくれるだけで良いんだ」
オスカルはしがみつくように、余の体に腕を回す。
初めて会った頃より遥かに逞しくなったその体。
しかしその姿は、あの頃よりもずっと小さな幼子のようだった。
「愛してる、ターニャ」
耳元で小さくこぼれたその声。
それが、ひどく心地よかった。
* *
翌朝、余の寝室。
あの後オスカルは『眠れないのに慣れた』なんて言葉が嘘のように、ベッドに入って即座に眠りについた。
寝かしつける間もないほどの快眠具合だった。
少し警戒していた余の気持ちを返して欲しいほどに。
まあいい。発言者としての責務はひとまず果たしたのだから。そう思って余はソファで静かに眠りについた。
なのに、何故こうなった。
「良い加減離れんか! いつまでひっついているつもりだ!」
「いいだろう、寝かしつけてくれると言ったじゃないか。今度は一緒のベッドで寝ながら、ゆっくりと寝かしつけてくれ……!」
「黙らんか愚か者! 八時間近く寝こけていた癖に二度寝など必要あるか!」
何故か、余はベッドに引きずり込まれようとしていた。
ベッドの淵に膝をかけ全身で抵抗する余と、余の腰に腕を回し引っ張るオスカル。
しばらくしても目を覚まさぬから、起こして思ったらこの様だ。しかも腕の力が強い。寝起きの癖に何処からこの力が出てくるんだ……!
「こんなはずじゃなかったんだ。だから、もう一度。もう一度だけやり直させてくれないか?」
「しつこいぞ! 職務はいいのか職務は! 貴様仮にも王であろう!?」
「王としての責務より、ターニャとの時間の方が大切なんだ!」
「さも当然のことかのように言うなこのたわけ! 今日は隣国の聖女が来るのだろう?」
個人の職務なら後に回すことも可能だ。しかし客人がいる以上そうはいくまい。
「だから嫌なんだ。毎回あしらう俺の身にもなってくれないか……」
オスカルは蚊の鳴くような小さな声で、忌々しそうにそう言った。
「仮にそうだとしても、会わぬ訳にはいかぬだろう!」
余はバッと腕を振り解き、そのままオスカルを片手でガシリと抱き上げた。
ふむ、思ったよりは軽いな。
「布団から出られないと言うのなら、余が手伝ってやろう」
「ま、待ってくれ、ターニャ!」
「知らん。勤めを果たしてこい」
余は部屋の扉をガチャリとあけ、暴れるオスカルを部屋の外へと放り投げた。
どさりと廊下に落ちるオスカル。扉の外で控えているメイドが凄まじい顔をしていた気がするが、まあ、気のせいだろう。
そのまま、ガタンと音を立てて扉を閉め、開かないように背中でおさえた。
聖女がそんなに嫌なのか、あやつは。
まあ、気持ちはわかる。特に男関連ではいい噂は聞かん。王族すら手玉にとり、他国の貴族がやつを巡り揉めている等、表には出ない黒い噂が山ほどあるからな。
そろそろ余とオスカルが婚約したと言う話が他国に広まり始める頃だ。タイミングを考えるとおそらくそれに関する話だろう。
最近は、聖女は異性関係を整理していると聞いた。もしかしたらオスカルに何か仕掛けてくるかもしれない。
ドンドンと叩かれる扉の振動を感じながら、余は小さく息を吐く。胸の中に渦巻くモヤと、奇妙な感情。理解し難いその二つを、自分の中で噛み砕くように。




