第三話 愛で歪んだ十年間
「それはね――結婚することが、俺にとってもターニャにとっても、最良の選択肢だからだよ」
オスカルは柔らかな笑顔を浮かべたまま、さらりとそう言い放った。
思わず眉間に力が入る。
「何故だ? 貴様は王の愚策で失った他国からの信頼を取り戻し、腐敗した王家の代わりに国の頂点に立った。忌み嫌われる魔族の王と婚姻は、その名を汚す行為に他ならん」
先代魔王は人間に対し悪逆非道の限りを尽くしていた。
魔族と人間の争いが終わったのは、余が魔王に即位した七十年前だ。未だ魔族への偏見は根強いだろう。
しかし余の意見を聞いたオスカルは、呆れた様子で首を横に振った。
「ターニャは案外人間のことがわかってないんだね」
ぴくりと、自身のこめかみが動く。
余は他の種族と共生するため様々な事を学んできた。その余に対し、『人間をわかっていない』だと?
余はずい、とオスカルの方へと体を傾ける。
「興味深い。話してみろ」
余は魔族だが、まだ百年しか生きていない若輩者だ。やはり知識で劣る面は否めない。
オスカルは余の言葉に満足げに頷いて、淡々と語り出した。
「人間の寿命は五十年かそこらだ。何百年と生きる魔族と違って、七十年もすればほとんどの人間は死に絶える。今生きてる人間は何、魔族が恐ろしい生き物だったことなんて、本か伝承でしか知らないんだよ」
「つまり、魔族は恐ろしいと言う事に対して実感がわかないと?」
「そう言う事だ。人間はよくわからないものを一番に怖がる。得体の知れない生き物が隣の国にいるらしい、なんて不気味でしょうがないだろう?」
余が治めるノヴォルーニエ魔国は実質鎖国状態だ。
怯えさせないためには、関わらないのが最善だと考えていたのに。
まさか裏目に出るとはな。
人間とは難しい生き物だ。
「俺は隣国とは上手くやっていきたいし、魔族の能力を高く評価してる。魔族は魔法も上手いし力も強い。上手く同盟を結ぶことが出来れば、他国への軍事的牽制にもつながる」
「魔族を利用するということか?」
「もちろん、ターニャにもメリットはあるよ。俺と結婚する事で、魔族は案外無害であることを示すことができる。俺も協力は惜しまない。俺も君にも悪い話じゃないと思うよ」
「ふむ……人間はそう考えるのだな」
内容を聞く限り、大きく論理的に破綻しているとは思わない。最初は何をふざけた事をと考えていたが、案外しっかりとした理由ではないか。
「もちろん君との結婚は国民にも周知してあるし、家臣の了承もとってある」
どうやら人間は、余が思っているほど怨みを募らせる種族ではないらしい。
なるほど、話が見えてきたぞ。
「つまりこれは『政略結婚』だと。貴様はそう言いたいのだな」
それならば合点がいく。
余は頷きながら、これまでの話を頭の中で繰り返す。
お互いに利用するため夫婦を演じるのは、魔族同士でもままあることだ。やっと話がわかってきたぞ。
「違うね」
「ここまで話して違うのか!?」
さらりと返すオスカル。
それならば、あのやりとりはなんだったんだ……!
「あれはあくまで『この婚姻で俺は損をしないし、君にも損はさせない』という話だよ。俺は君を愛してるから妻にするんだ」
「愛っ……!?」
オスカルの言葉に、余はぴしりと固まる。
こやつ、よく恥ずかしげもなくそんなことを……!?
「意外と純情なんだね。顔、赤いよ」
「貴様が意味がわからない事を言うからだろう! そもそも、一体何処に貴様が余を愛する道理があるというのだ!」
「それはおいおい知っていけばいいさ。少なくとも結婚に反対する理由は無くなった。今はそれでいいだろう?」
「いい訳があるか……!」
論理的には納得できる。
しかし心がついてこない。
「何故俺が君を愛したのか、すぐに言ったら面白くないだろう? 時間はある。お互いに知っていけば、いずれわかる事だよ」
オスカルは再び余の手を取ると、その手に頬を擦り寄せた。
「っ、何を……!?」
先ほどのように勢いよく振り払おうとする。しかし余の手はガシリとオスカルの両手で抱え込まれていて、びくともしなかった。
やつは余の腕に指先を這わせ、嬉しそうに目を細める。
「君はこれから、ゆっくりと俺に惚れてくれれば良い。少しずつ、互いの溝を埋めていこう」
まるで歩み寄る気があるような態度。
それにもかかわらず、肌がぞわりと泡立った。
オスカルはそっと余の指先に口付ける。
生温かい吐息が指先を湿らせる。ねっとりと絡みつくようなそれに、腹の底を撫でるような感覚がした。
「俺はどんな手を使ってでも、君の心を手に入れる。人間の二十年分の愛は重いんだ。……覚悟してくれ、魔王サターニャ」
先程までの理性の色など感じさせない、深い欲を称えた声。あまりにも強烈なそれに、余は一言も言葉を発することができなかった。
この十年で、こやつに一体何があったのだ?
何が、ここまでこやつを歪めたのだ?
そんな疑問だけが、ぐるぐると余の中で渦巻いていた。




