深淵を覗く時、深淵もまた、あなたを覗いているのだ。
《深淵を覗く時、深淵もまた、あなたを覗いているのだ》
文豪が死ぬ理由が分からない?
分かりました。とりあえず、座って楽にしてください。
リラックスして。
座りましたか。
じゃあ、説明していきますね。
そうですね、まず、あなたは文豪ってことにしておきましょう。
(パンッ)手を叩く音。
はい、今からあなたは文豪です。
だから、小説を書きます。
その小説のテーマは『死』ということにしましょう。
文学らしく重いテーマは売れますからね!
しかし困りました。
あなたが書く小説はどうしても嘘っぽいんです。
読者が言います。『死』を書いているけど、手触りが薄っぺらいって言うんです。
困りましたね・・・。
小説が売れないと家族を養えません。
・・・でも、安心してください。一緒に書けるようになりましょう。
え、どうやってって?
落ち着いて、想像すればいいんです。
一緒に、見に行きましょう。
一旦、深呼吸して、すー、はー。では、場面を切り替えますよ、はい!
(パンッ)手を叩く音。
あなたは彼女と同棲している青年です。
年は・・・30前後ですか。
あぁ、彼女はちょっと精神的にマズイみたいですね。処方箋と薬を持っています。
あなたは炬燵に入っている。彼女は・・・向かいで深刻そうにあなたを見ていますね。
想像できましたか。ちょっと空気がピリついてますよ。とっても静かです。
彼女が言います。
「生きるのが辛いの。ねぇ。○○君(あなたの名前です)、一緒に死んでくれない?」
さて、あなたはなんて答えますか?
元気出せよ? 大丈夫だよ?
あぁ、そんな言葉では、死んでほしいという人を止められないですねぇ。
心臓がドキドキしてきた。いいですね。リアリティが出てきました。胸がつっかえて、言葉が出ない。
「えっ」か「はっ」という言葉が出て、止まりましたね。いい感じです。リアルです。
時間は進みます。
一人で死ぬのは怖いと呟いて彼女が視線を落としました。髪の毛の下の表情が見えません。
どうしましょう?
逃げますか。抱き締めますか。
金縛りにあったように動けないですか。なんて言ったらいいか分からない。いいですね。リアルです。
彼女がふらりと立ち上がりました。泣いているようです。可哀そうですね。
でも、危機感もある、どうしたと思いましたね。正解です。
彼女が台所に向かい手に取ったのは、包丁でした。
困りましたね。誰を刺すつもりでしょうか。誰でしょう?
刃先は自分ではなく、あなたを向いていました。えぇ、そういうことでしょう。
彼女がごめんと呟いています。何度もぶつぶつと、仕方ないとも言っていますね。
どうしましょう?
おっと、逃げないで。集中してください。目をそらしたら、刺されますよ?
視線はどこを見てますか? 外の景色?部屋の様子?顔? 違いますよね。
包丁です。
自分に向けられたその包丁だけしか見ないはずです。
ほら、今、ゴクリと唾を飲んだ。それがリアルです。
息が上がってきましたね。いいですよ。
あぁ、時間切れです。
動けなかったあなたの方へ、彼女が一歩ずつ歩き始めましたよ。
どうしましょう?
・・・
殴りますか?逃げますか?蹴りましょうか?
あぁ、手を掴んで止める。いいですね。やりましょう。
立ち上がったあなたは、彼女の手を取って制止しようとしました。
彼女は・・・包丁をふるいましたね。
──ザシュッ
刃物を持つ人の手を掴むのは難しいですね。
ポタリと、あなたの親指が落ちましたよ。どんな気分ですか。
もう二度と、利き手で物を掴めないですね。あ、そんなこと考える余裕はなさそうだ。
「痛い。痛い。痛い」
そうですね。
指が切れたら痛いですもんね。
切れただけで痛いんです。落ちたらどうなりますか?
切断された断面から血が出ますね。どのくらい出てますか。
あ、痛くてそれどころじゃない。なるほど。そうですね。リアルです。
あなた、今、なんて言ってますか。右手の親指が落ちた。左手で握り込んでますか。止血、いや、咄嗟に掴んだんですね。
おや、いつの間にか、跪いてますよ。立っていられない? 痛いから。
なるほどです。
彼女に何か言いましょうよ。
痛い、止めて、助けて・・・あれ、呻き声しかでないですね。
じゃあ、彼女は止まりませんね。
──トンッ
彼女が抱き着いてきましたよ。温かいですか。
残念ですが、お腹に包丁が刺さっていますよ?
どんな気持ちですか。痛さは増えましたか? 視界が真っ赤になった。いいですね。そんなもんですよ。刺されたら。
しかし、臍の上、鳩尾の下ですか。腹筋を突き抜けて、内臓に達してますよ。これ。致命傷でしょう。
急いで病院にいかないと死んじゃいますよって、聞いてますか?
返事がないですね。苦悶の表情で冷や汗を垂らしていますね。とってもリアルですよ。いいです。
ねぇ。何か言ってください。
なんていいますか。今の感覚でも、感情でもいいです。教えてください。
「痛」
・・・まぁ、そんなもんでしょうね。
あら、すいません。よく見たら刺さったのは胸でした。
あなたの心臓に包丁がかすめて、破裂していました。
痛いですか。心臓麻痺って人生最大の激痛みたいですし、僕の声も聞こえないくらいに痛いですよね。
あなた、あと後2~3秒で意識を失いますよ。
ねぇ、今、どんな気持ちですか。
視界は?全身の感覚は?刺された痛みと心臓が破れた痛みのどっちが痛いですか?
答えがないですねぇ。
だって、あなた、もう──
『死』にましたから。
(パンッ)手を叩く音。
はい、お疲れ様でした。
少し、『死』の感覚がイメージできましたね。
これで、リアルな死が書けそうです。
小説をリアルに書こうとすると、こういうことをするわけですよ。
これが、文豪が死に至る理由です。
え、ぞっとしたけど、死ぬほどじゃないって?
センスありますね。ここまで死に近づいて、案外大丈夫って、文豪の才能が有りますよ。
勘違いしないでください。これは初歩です。色んな死に方があります。そういうのを何パターンも考えるわけですよ。
毎日。
それが消耗させるんです。
例えば・・・
(パンッ)手を叩く音。
あなたは今から自殺します。
何故、自殺するのでしょうか。
考えてみましょう。
失恋した? 恋人が死んだ? 借金ですか?
ねぇ、あなた、どういう状況なら自殺してくれますか?
考えてください。教えてください。あなたが死ぬ条件を。
おや、右手に包丁がありますね。
それで自分を刺すわけですか。痛いですね。さっき刺されて知っているからなお痛い。
それを首に、なるほど。
ねぇ、その包丁で首を裂く理由を教えてください。
どうして自殺できるんですか?
考えましたか。答えは出ましたか。
・・・出ない?
それじゃあ、主人公が自殺するシーンは書けませんねぇ。。。
え? 辛い? ギブアップ?
(パンッ)手を叩く音。
お疲れ様でした。
怖くなりましたか。ドキドキ、キツかったですか。
すいません。
まぁ、そういうことを毎日やっているから、文豪って病むわけですよ。
自分が自殺するシーンを考えるとね、分かるんですね。
この瞬間、この状況で、きっと僕は首を裂けるって。
納得するんですよ、自分の死に。その気持ちが分かるんです。
あなたは踏みとどまった。
僕はその先に進んだ。
文豪たちも進んでいった。
だから、死んでいくんです。
そろそろ、帰りますか。
理由が分かった? それは良かった。話した甲斐がありました。
じゃあ最後にお土産です。
あなたはギリギリまで深く覗き込みましたね。
自分が自殺するときの気持ちまでは踏み込めませんでしたが。
『死』までは潜った。あの時、あなたは『死』と出会ったわけです。
《深淵を覗く時、深淵もまた、あなたを覗いている》
ニーチェの厨二病溢れる言葉です。
今のあなたなら、この言葉を、実感を持って書けるはずです。
それでは、良い執筆を!
お礼?
そうですね、お代は、帰る前に☆を付けていただければ、と思います。




