15話 感情が迷子である
沈んでいた意識が浮上するにつれ体の感覚が戻ってくる。何があったかを思いだし、目を覚ます前のことを鮮明に思い出し微睡みの中にあった意識は有無を言わせず覚醒させられる。
湧き上がる危機感のまま飛び起きようと身体に力を込めるが直後四肢に強烈な痛みを感じた。
ご丁寧に手首から肩と足首から股関節の関節が全て外されていた。試しに魔力で強引に体を動かせないか試すが無理だった。魔力使用を妨害する魔導具が取り付けられてる可能性が高い。
仕方ないと現状の把握に移る。まず背中の柔らかで温かな感触で床に寝かされているわけでないことはわかる。
首は動くので周囲を確認する。当然何処だかわからない。唯一わかるのは今私が寝かされている場所は、家屋のようなものではなく洞窟や洞穴のような場所だということ。岩の部屋と言っていいそこは自然のままと言うわけではなく人の手が入っていると思って良いだろう。壁には魔石を燃料した魔導ランプがいくつか掛かっている。
私の隣には無表情で虚空を見つめるミーシャがベッドに寝かされている。
「ミーシャ」
「あ、アリシア先輩おはようございます」
「動ける?」
「動けたらとっくに動いてます。手足バラバラにされてますね。魔法も封じられてます。アリシア先輩も同じですよね」
「ええ……」
「一瞬でした。アリシア先輩が抵抗の
素振りを見せた瞬間に顎先に拳打。それから私も追いつかれて意識を奪われました。で気がついたらこれです」
「あら、報告有り難う。正直自分がどうやってやられたかわからなかったの助かるわ」
「お役に立てて何よりです。これどうなるんですかね」
「成るようになるわよ」
「そうですね」
ミーシャと軽口を叩きあって居ると、何処からか足音がする。足音はこちらに近づいて来ると近くで扉が空くような音がする。
一歩、また一歩とこちらに近づいて来る足音。やがて動きの制限された私の視界にも足音正体が映り込んできた。
ボロのような外套を羽織った大柄な初老の男。格好だけ見れば浮浪者のようだが、鍛えられた体は彼の栄誉状態が決して悪く無い事を示していた。
そしてわたしとミーシャはその男を知っている。
「久しいな。アリシア、ミーシャ」
聞き覚えのある声。思わず渋面になる。
「ミーシャ、どうしよう嫌な上司の幻覚が見える」
「奇遇ですね、あたしもです」
ミーシャと共に現実逃避をしたが目の前の男がいつまでも逃避させてくれる筈も無い。
「憎まれ口は変わっとらんな。最も、体の方はだいぶ鈍っとるようじゃがな」
「幸い、今この瞬間まではそれなりに平和な時間を過ごしてましたので、ロペス軍団長。いえ、ジョン・ジョージ・ロペス公爵」
「ふん、軍が目を掛け、多大なコストをかけて伸ばしてやった技能を錆びつかせおって」
「それで、軍を去ったわたし共に今さらなんの御用でしょうか?」
「それは僕から説明するよ」
いつの間にか立っていたオーランド支部長が言った。今まで存在感が薄いだけかと思っていたが、見誤っていた。これは意図的にやっている。
「ああ、オーランド所長、先程はどうも。まだ所長で宜しいのでしょうか?」
皮肉を込めて言うがオーランド所長はどこ吹く風である。
「ごめんゴメン、お詫びに関節全部入れるから許してよ」
そう言ってわたしとミーシャの関節を嵌めていくオーランド所長人の身体をなんだと思ってるんだこの人。
嵌った関節を動かして位置の微調整をしていると、オーランド所長から回復剤を差し出された。わたしとミーシャはそれを受け取ると一息に飲み干す。
すると残っていた痛みがスッと引いた。かなりいい回復剤である。
ようやく自由に動くようになった身体をゆっくり起こす。
「言っとくけど変な動きをしないように」
しっかりと釘を刺される。
「取り敢えずは大人しくしますよ」
「ふん、なまった貴様ら等片手で無力化出来るわ」
ロペス軍団長が鼻を鳴らしながら言った。
「はいはいロペス軍団長閣下はあんまり挑発しないで下さい。面倒くさくなるから」
オーランド所長が割って入る。
「それで、さっきのアリシアちゃんの疑問に答えるとすれば答えはイエスだ。表向き僕は冒険者ギルドドナレスク支部の支部長オーランドだ。この肩書は公的なものだからそこは安心して欲しい。君達は本部からある程度動ける事務員を寄越して欲しいと言うわたしの要請に応え君達をドナレスクへ送った事になっている」
何を安心するのだろうか。含み有りまくりだろう。ミーシャも同じように感じたのかジトッとした視線をオーランド所長に向けている。
「本当の所属は軍の情報科ですか?あたし達も軍が働きかけて恣意的にここに配属になったと」
ジト目で放たれたミーシャの言葉に死んだ目をしたまま拍手をしたオーランド所長。
「素晴らしい。その通りだよ。優秀な部下を持つと僕も楽が出来ていいねぇ。まぁ君達の配属ひ積極的に関与したのは僕と言うよりも軍団長閣下だよ。僕としてはほら頑張って限界集落のにある零細ギルドでいようと思ってのにギルドの健全化とかしようとするから扱いに苦労したよ」
「ふん、軍に目を付けられた人間が普通に生きられと思うな」
軍団長閣下は以前とお変わり無いようだ。糞右翼が。内心のイライラを隠しながら。オーランド支部長に先を促す。
「ドナレスクが寂れたのってもしかして軍が手を回したんですか?」
「軍ってより国だよ。ドナレスクの魔鉱石も本当はまだ充分な埋蔵量があるんだけどなくなったことにして事情を知らない住人には国からの手厚い保障と引き換えにご退去願ったわけ。今ドナレスクに住んでるのはアリシアちゃんとミーシャちゃん以外全員情報部の工作員だね」
「は!?そこまでやります?ハンスさんも?クレアおばさんも?」
「そうだよ、完全に普通の住人みたいでしょ?彼らもプロだからね。他にも普通の街に見せる為に偽装結婚したり子供作ってみたり、本当苦労してるよ。子供は生まれた瞬間から軍の所属になるから可哀想だけどね」
そこまでやるのか?情報科……、流石にドン引きだ。そして私がドナレスクで過ごした3年間は何だったんだ。
「ちょっと常軌を逸した話過ぎて処理しきれないんですけど」
感情が迷子である。騙されたと怒ればいいのか。軍の介入でここに配属になった事に怒ればいいのか。街中に野生の軍人が潜伏してた事に驚けばいいのか。任務の為に作られた子供を哀れめばいいのか。自分がどうしたいのか分からない。
ミーシャも視線だけがここではない遠いどこかに旅立とうとしている。おい、ミーシャ戻ってこい。
「うん、気持ちはよくわかる。ドナレスクは例外なんだよ」
「例外?」
「わかりやすく言うとドナレスクには国家滅亡スイッチがあって僕らはそれを街ぐるみで生涯かけて隠蔽するのが任務なの。でもこれだけは言わせて。ハンスさんもクレアおばさんも街の皆もアリシアちゃんとミーシャちゃんの事を本心で可愛がってるよ。もちろん僕もね。だから巻き込んじゃってゴメンね」
そう言って頭を下げるオーランド支部長。正直、驚き過ぎてもうどうしていいのかわからん。
「お前等をここまで誘導させたのはワシだ。逃げようとしたら拘束するようにしたのもワシの指示だ。オーランドはワシの命令に従ったに過ぎない」
「クソ爺ですね」
「ふん」
わたしの中傷を鼻で笑い飛ばす。ドナレスクの住人も被害者なのかも知れんな。共感はできないが。
「それで国がそうまでして隠す物はなんなんです?」
「迷宮って言えばわかるかい?数十年前、突然ドナレスク周辺に現れんだ」
「うわぁ……」
ミーシャが心底嫌そうな顔で言う。
「国境付近に迷宮ですか。本当……ですよね」
今のこの状況が迷宮の存在に妙な現実感を与える。迷宮は突然現れる。何故突然現れるのかは解明されておらず、様々な説が飛び交っているが今それはどうでもいい。
「迷宮遺物は魅力的だからね。国どこの国も欲しい。国境付近に迷宮なんてもう攻め込んでくれって言ってるようなものだよね」
迷宮遺物は迷宮で得られる装備や魔道具だ。現在の技術では作れないような性能をしたものも多く。当然高値で取り引きされる。尋常な額ではない。迷宮運営に成功した迷宮保有国は迷宮遺物を流通させて莫大な利益を上げる事になる。それこそ国家間のパワーバランスを塗り替える程に。
さらに、本当に有用……というかヤバい品は迷宮保有国が独占して保有している。迷宮とは国に富をもたらす側面もあるのは確かである。しかし、迷宮運営に失敗すると悲惨である。ある弱小国で迷宮が発生し、迷宮運営を始めた事がある。その時は即座に周辺諸国に連合を組まれて攻め滅ぼされた。さらにその後の迷宮の保有権を巡って周辺諸国が長きに渡って争う事態になった事もある。
そうまでして欲しい程、迷宮とは魅力的であり、それだけに他国に保有されるのは脅威なのだ。
シルドラント王国の国力は低くは無い。周囲と比較しても相対的に裕福であるがやはり迷宮は荷が重い。なんせ迷宮の北方。国境線のむこうには幾つかの緩衝国を挟んでゴリゴリの覇権主義国家。クレイル帝国がある。クレイル帝国と言えば巨大な軍隊を保持しており。その資金繰りの危うさが以前から指摘されて来た。
周辺国家に定期的に戦争を仕掛け、賠償金を得ることでどうにか軍の希望を維持している状況だが、それでも近い将来軍縮か経済破綻かの二択を迫られるだろうと言われているがあくまで将来の話であり現在は大陸有数の軍事国家である。
覇権主義を掲げる国家にのしかかる財政難。そこに降って湧いたダンジョン発生である。おそらく血眼になって攻めてくる。
「お話は分かりました。それで、なんで私たちにこの話を?」
もしそうなら私たちに話す必要あるまい。というか話してはいけないだろう。
「うん、それなんだけどねえ。迷宮の存在を第三王子がクレイル帝国にお漏らししちゃったんだよ。困ったことにね」
「………………は?」
わけが分からない。一国の王子が何故仮想敵国に自国の急所を漏らすんだ。
「いや、第三王子の妃がクレイル帝国のお姫様だった人なんだけどね。何処で知ったか迷宮の情報を知った第三王子がその人に嬉々として情報漏洩しちゃったの。その妃経由で漏れたらしいよ。クレイルに忍び込ませてる密偵からの情報だ」
クレイル帝国の中枢に密偵を忍ばせる王国もえげつない。考える事は同じなんだね。
情報をお漏らしした王子に対する感想?
「馬鹿が」
私の短い物言いに苦笑いで答えるオーランド支部長。
「こらこら、一応腐っても王族だから露骨に罵らないように、第三王子を捕らえて何処で情報を得たのか尋問した所、王国の機密文書の保管庫に忍び込んで盗み見た事が分かったよ、まったくもう。見張りを買収したらしいね」
多分、この中で一番キレてるのは人生をかけて秘密を守って来たオーランド支部長だろうな。
「機密文書保管室へ忍び込んだ……?」
ミーシャが唖然と呟く。無理もない。かく言うわたしも国家機密の漏洩と聞いてちょっと胃が痛い。そりゃ王族だろうと問題無用で尋問だろうよ。
「要するに、もう隠してもしょうがないって事。それどころか急ピッチで開発しないとならないからもう大変だと思うよ。まだ正式に公になってないけど時間の問題だよね公表するのも」
「事が公になれば忙しくなる。軍備を増強し物資を掻き集めドナレスクへの絶え間ない輸送を行う事になる」
ロペス軍団長が言う。この爺さん。嫌な上司ではあったが偉い。軍の最高責任者である。そんな爺さんが何故リンデルに来たのか疑問に思っていたがある程度の事情を聞いてみると納得である。
こんなやばい非公開情報、伝言ゲームできねえ。
「戦争準備ですか?」
「備えねばならん。軍としても人手が欲しい」
「軍に戻れと?」
「不服か」
不服だ。物凄く不服だ。しかし国家存続の危機である。クソ馬鹿王子のやらかしが王国民の未来を狂わせた。わたしも被害者ではなかろうか。
「政治で解決は出来ませんか?」
ミーシャが言う。
「無論、一部の高官が各国を駆け回って少しでも周辺諸国を味方につけようと奔走しとる。まぁ安心しろ。馬鹿王子と違ってルドルフ王は聡明だ。側近も優秀なのが多い」
「問題は帝国ですか」
帝国は大陸の最北に位置する。全軍を南方進出に向けても背後を突く敵は居ない。
「まぁ、政治は文官に任せて我々は我々の領分ですべき事をするだけだ」
終わった。戦争が現実的な今、個人の自由等紙くず程の価値もない。王国国民は戦時において国家の礎となる事を余儀なくされるのだ。
「ふん、軍で優秀だった貴様らを不安定な場所に置いたのは正解だったわ。アリシア、ミーシャ両名を直ちに軍に復帰させる、当面はオーランドの指揮下に入りドナレスクの治安維持を行うように。これは王命である」
どうしよう。ロペス軍団長を物凄くぶん殴りたい。やったらひどい目に遭うからやらないけど。しかし王命かよ。反抗したら反逆である。観念するしかないか。
「と言う事で改めて宜しくね。アリシアちゃん。ミーシャちゃん」
「ということはアリシア先輩とあたしの所属は情報科になるんですか?」
「そう、2人は取り敢えずギルドの受付として働いて欲しい。これから人も増えるだろうからね。他国の工作員なんかも紛れ込んで来るだろうね。ああ、ヤダヤダ」
「あの、わたしは諜報とかあまり得意じゃないんですが」
「あたしもでーす」
テンション低めに答えるミーシャとわたしを見たオーランド支部長は苦笑いすると言った。
「違う違う、君達に任せたいのはダンジョン内部の事。君達を代々的に戦える受付嬢としてプロデュースするから僕の指示でダンジョン内部で発生した問題の調査や対処をお願いしたいの。時々、人の拘束とかもお願いするからそのつもりで、受付兼ギルドの調査員って言った所だね。調査をするのに冒険者との繋がりは重要だから受付業務もしっかりこなすように」
単純にこちらの負担が増えてますがな。
「サヨナラわたしの受付ライフ」
「もう戻らない。ぬるま湯環境」
「大袈裟だな。今までと変わらないでしょ」
うるせぇ。
「それじゃあミーシャちゃんとアリシアちゃんが正式に僕の部下になったところで最初の仕事をしようか」
「え?急になんです?」
「いやいや、君達元々ゴブリンの巣穴がきっかけで僕を付けて来たんでしょう。巣穴の対処をしにいくんだよ。僕らで」
ああ、忘れてた。
「ああ、そう言えばそんな事もありましたね」
「ああ、そうだ。後さ。アリシアちゃんか最近可愛がってた3人組だけど、なんか僕の事を嗅ぎ回ってたから捕まえてあるんだけど、処分しちゃダメ?」
何言ってるのこの人。そして何やってるの3人衆。
「ダメですって言ったらどうするんですか」
「まぁ、軍の監視下に入る事になるよね。強制入隊。秘密厳守の素敵な職場」
他言したら殺されるけどね。本当、何やってるの3人衆。
「まぁ、軍属になれば取り敢えず食べていけるから悪い話じゃないんじゃない?アリシアちゃんちゃんと面倒見てね」
「わたしですが?」
「元々アリシアちゃんが拾って来たんじゃない。拾った人間が面倒見てよ」
「あの、それで彼らはどこに」
「すぐ会えるよ。さて、それじゃぁゴブリン巣穴に行こうか」
こうして、わたし、ミーシャ、オーランド支部長、ロペス軍団長の五人はゴブリンの巣穴へ向かう事と相成った。因みに、ロペス軍団長が何故ついて来たのかはさだかではない。