10.5話 辺境鍛冶師はかく語りき
リンデルの酒場と一口に言ってもグレードというものが存在する。酒場遊園亭はリンデルでは中堅処といったところである。安くはないが平民に払えない程高くはない。
世の常ではあるが、施設の値段設定は客層と多いに関係する。遊園亭には冒険者崩れのチンピラ等が入るには些か敷居の高い値段設定である。店の中は多人数が座れるテーブルがいくつかと少人数用のこじんまりした机が整然と並べられ。店内にいくつか吊るされた魔導ランプは日の落ちた世界を優しく照らし出す。
それらの席のほとんどが埋まっているのは遊園亭にて提供される料理が顧客のニーズを満たしている事を証明していた。
街の鍛冶師ハーグも遊園亭の常連だった。王都で築いたキャリアを捨て、辺境にやってきた彼にとって遊園亭で提供される料理と酒はここに来て良かったと思わせてくれる物の一つだった。
誰に忖度するでもなく趣味でやってる武具屋を営み、毎日美味い酒と飯が食べられる。これを幸せと言わず何と言おう。そして今日、この街に来て良かったと思わせてくれる出来事がまた増えた。
ハーグは昼間に来た客の事を思い出していた。思い出すとまた笑えてくる。いい気分で飲んでいた為か酒の減りが早い。
ごった返す店内でいそいそと働く従業員に追加の酒を注文する。
「ナターシャ嬢ちゃん。エールの追加だ」
空になったカップを掲げ、大声で伝えれば。短い金髪に動物の耳を生やし、給仕服を来た少女が振り返る。スカートに上げられた穴からは毛並みのいい尻尾が出ている。
「はーい、今持っていきまーす」
元気に言うとパタパタした足取りで奥に引っ込む。暫くすると湯気を立てる皿と3つのカップを器用に持ったナターシャが現れる。
近くの客に料理を持って行ってから一つになったカップを持ってハーグの元まで駆け寄って来るナターシャ。
「ハーグさんお待たせ。これエールのおかわり。もう、5杯目だけど大丈夫なの?酔い潰れたりしないで下さいよ」
「けっ!小娘が、俺がこれしきで酔う訳ねえだろ」
「はいはい、おつまみは?」
ナターシャに指摘され、見ると摘んでた皿が空になってた。
「しっかりしてやがる。なんか適当に作って持ってきてくれや」
ハーグが顔を顰めながら言う。
「毎度!」
ニコッと笑うとそのまま奥にパタパタ消えていった。おそらくハーグの注文を伝えに行ったのだろう。
店の混雑具合からして料理がでてくるのは当分後だろう。とは言えハーグはなみなみとエールの注がれたカップを手に持つと、まるで水が何かのようにガブガブと飲み始めた。
今日はもう最高の肴があるのだ。お陰で酒が進んでしょうがない。
「ヒック!アリシアって言ってたかあの嬢ちゃん……。まさかアレを振れる奴がいるなんてな」
王都にいた際、酔った勢いで作った産物。貴重な金属をふんだんに使い作られたそれはどんでもない欠陥品であった。鉄より強度が勝り撓りのいいミスリル製の柄に重量バランスを取るために用いられたアダマンタイト製の穂先を使用したその斧槍は振えれば強力な攻撃が可能だろう。
しかし、それは振るえればの話だ。あの武器は重い。普通の斧槍の10倍近い重量がある。持つのは可能だろう。しかしアレを武器として振るうのは不可能だ。ハーグ自身もそう思っていたし、良いが冷めて完成品を見た時は貴重な金属を大量に使って実用性皆無の産廃を作り出してしまったとゲンナリした気分になった。
しかし、工芸品としての武具やデカイだけの武具を嫌うハーグではあったがその武具だけは処分出来なかった。
歴史上の英雄には身の丈程の大剣を振り回すような化け物も存在する。語り継がれるうち誇張された話かもしれない。しかし、もしそんな人間が実在し斧槍を操ったらどうなるだろう。
御伽話に憧れる少年のようだとは思いながら趣味全開の欠陥品を今日まで大事に持っていたのは笑える話だ。
ハーグがアリシアの手を見た時は素人ではないがそれだけだと思った。あの欠陥品を渡したのも振れると思っての事ではない。
知った風な口で俄仕込の知識をひけらかしに来ただけの小娘に対する嫌がらせのつもりだった。売るつもりも無かったし振れるとも思わなかった。せいぜい取り巻き共にみっともない姿を見せて恥じでも掻きやがれ。
そんな気持ちだった。
そんな思惑が吹っ飛んだのはアリシアが素振りをした時だった。
素振りそのものは大したものではない。ゆっくりと、間合いと武器の重心を確認するように行われたそれは決してスピードのあるものではない。普通の素振りだった。
通常の10倍近い重量の長柄武器を普通に振るった。体幹のブレもなく。武器に振り回されてる気配もない。それどころか「へぇ」等と言いながら次第に単発的だった素振りは流れるような連続的なものへ変わっていた。その光景を目にした時には最初の思惑等何処へやら、ハーグは胸を膨らませていた。あの武器が使われる瞬間が見られる。
しかし、素振りを終え、何やら考え込みながら巻藁に向かいあった アリシアの立ち位置を見た時、違和感があった。
少し遠い。
アリシアの立ち位置は斧槍の届く間合いより幾分遠い。間合いを測り違えたのか?そんなハーグの思いは、次にアリシアがとった行動で一気に吹き飛んだ。
斧槍の柄尻付近を掴んだアリシアは斧槍を頭上で振り回す。振り上げの勢いを利用し、片手で頭上を振りまし始めたと思ったら次第にそれは速度をまして行き終いには斧槍を両手で保持しながら頭上でぐるぐると回し始めたのだ。鋭い風斬り音が聞こえる程に。
柄尻を握ってである。そして充分に勢いのついた斧槍はそのままで斧槍の間合いギリギリに大きめにしかし素早く踏みこむと巻藁を袈裟斬りに両断してみせた。振った得物が制御出来ず地面に直撃する等と言った見っともない結果にもなっていない。振り抜かれた斧槍は巻藁を両断するとピタリと止まり動かなくなった。力技にも程がある。直後に大笑いしてしまった程だ。
結果として酔と悪ふざけで作られた欠陥品は一人の怪力娘の手に渡り武器となった。当時、つぎ込んだ材料費を考えると大赤字も良いところだが何構わない。それどころか鎧と剣までオマケしてしまったがまぁ良いだろう。今日はとても機嫌が良い。
「まさか、こんな田舎であんな化け物と会えるなんてな……。人生何があるが分かったもんじゃねえ。おーい、ナターシャ嬢ちゃん、エール追加」
何処からか「はーい!」と言う声が返ってくる。器に残ったエールを飲み干し空になったカップを机に置く。
「しかし、まぁ流石に年頃の嬢ちゃんにゴリラは可哀想だったな」
勢い余ってゴリラ等と言ってしまった後、のアリシアを思い出す。チンピラ程度の恫喝では眉一つ動かさないハーグだが、あれは怖かった。
「何が申し訳無かったんですか?」
声のしたほうがを見ると追加のエールと料理を持ったナターシャが立っていた。
「ああ、いやこっちの話だ」
「ふーん、なんかハーグさん今日機嫌良いですね」
「おお、わかるか?実は今日御伽話の英雄みたいな嬢ちゃんと会ったんだ」
真っ赤な顔で嬉しそうに語るハーグを胡乱げな目で見つめたナターシャ。
「やっぱりハーグさん飲み過ぎじゃない?」
「何言ってるんだよ。まぁ、座れ。一から聞かせてやる!」
「やっぱ酔ってるじゃん!絡み酒だー!退散!」
絡まれててはたまらないと足早にハーグから離れるナターシャ。全く最近の若いもんは年寄りの話を軽んじおって、等と見当違いの思いを抱く。
しかし今日は機嫌が良い、ハーグはエールを一瞬で空にするとご機嫌な声で言った。
「ナターシャ嬢ちゃん、エール追加!」
「ええ?今持ってったばかりですよ!ちょっと本当飲み過ぎだって」
「馬鹿野郎!今飲まずにいつ飲むんだ」
「何時も浴びる程飲んでるじゃない」
「それはそれ、これはこれってながははは!」
遊園亭の夜はまだまだ長い。