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姿を現わしたもの Ⅰ

 その日の朝。


 さすがにこれだけ陽が高くなっては朝と呼ぶのは少々気が引けるが、昼と呼ぶには少し早い。

 そういうことで、言葉で表現するには微妙な時間帯にあるミュランジ城。


 クペル城よりも遥か南にある交通と物流の要衝であるそこは突然の出陣命令に大混乱の中にあった。

 もっとも、慌てているのは、この地に十日ほど滞在してから出かけるつもりでいたその部隊の指揮官たる大貴族だけとも言えたのだが。


「公爵様。こちらの準備は終わりました」

「そうか」


 貴族軍。

 まあ、正式にはこの部隊には中央軍という呼称が与えられており、貴族軍という名は実際には存在しないのだが、彼らの部隊に中央軍という名を与えたボナール自身が「貴族軍」と呼んでいたので、とりあえずここではそのような呼び名で進めることにする。

 さて、その貴族軍の指揮官としてボナールに指名されたフランベーニュ公爵タルドゥノアは、自らの私兵の頭であるコーズエ・パニャックからのその報告に満足そうに頷く。


「シャンティオンの方は?」


 一瞬の後にタルドゥノアが尋ねたのは、ライバルであり、全軍の約半分を指揮することになっている同じ公爵のブリアック・デ・シャンティオンが率いる部隊についてだった。

 もちろん、タルドゥノアとしては終わっていないという報告を聞き、嘲ってやりたかったのだが、実際にはそうはならなかった。


「シャンティオン公爵の部隊も準備が終わっています。ブレソール様の指揮で」

「そうか」


 ……それは残念。

 ……そして、またブレソールか。

 ……シャンティオンには不似合いな息子だな。本当に。


 ブレソールの有能ぶりについてはタルドゥノアの耳にも届いていた。

 そして、タルドゥノアにとってそれはたいへん忌々しいことだった。

 ブレソールの才が噂通りなら、自分の息子たちはブレソールと比べるとかなり見劣りすることになるのだから当然である。

 口に出すことが出来ない言葉を心の中で吐き出すと、その代わりとして盛大に顔を歪めたタルドゥノアにうれしい知らせがやってくる。


「ただし、シャンティオン公爵の指揮下に入る各貴族の部隊の準備は相当遅れています」

「こちらは?」

「まあ、変わりませんね」


 ……ちっ。


 一瞬の喜びの後にすぐに訪れた現実に、タルドゥノアは盛大に舌打ちをしたものの、それだけで済ますわけにはいかない。


「シャンティオン公爵よりも準備が遅くならぬよう各隊にハッパをかけろ」

「承知しました」


 むろん、もう一方も、主語が違うだけの同様の会話が交わされていた。

 そして、ここはふたりの公爵の競争心が良い方向に作用する。

 それから二十ドゥア、すなわち別の世界での約三十分後という驚くべき速さで準備が完了する。

 まあ、兵たちの準備にはそれほど時間は必要ないので、その準備とはいうまでもなくその部隊を指揮する貴族の準備ということなのだが。


 整列した大軍の前に、ライバルとともに立ったタルドゥノアが口を開く。


「では、おのおの転移魔法で移動を開始せよ。なお、敵が攻めてきたときを除き、命令があるまで攻撃をしてはならぬ。守らなかった者は王都に戻ってから厳罰が待っていると思え」


「では、クペル平原で再会しよう」


 その言葉に続く自らを高める雄叫びの声が上がり、その後、次々と転移が開始され、多くの兵士たちの姿が消えていく。

 そして、貴族部隊の最後となるふたりの公爵とその一族の者が抱える一万八千人の部隊も姿を消す。


「タルドゥノア公爵もシャンティオン公爵も無事出ていきましたな。ボナール殿」

「ここはおかげさまというべきでしょうか。まあ、誰のおかげかは知りませんが。リブルヌ殿」


 目だったトラブルもなく転移が完了した安堵の気持ちから見送りにやってきたふたりの男はそう声を掛けあう。


「ボナール殿の部隊はすでに準備が出来上がっているようですから、敵がいつエサに噛みついてもいいようにはなっているようですが……」


 リブルヌはそこまで言ったところで、待機しているふたつの大集団に目をやる。


「少々疲れているように見えますが大丈夫ですか?」

「たしかに一晩ゆっくりと休むことが出来なかったのは事実。だが、これまでにも二日ほど休みなく戦い続けたことは何度もある。この程度のことで音を上げる兵たちではない」

「なるほど。さすがです」


 そう言ってそすぐにその話を切り上げたリブルヌだったが、思うところは別にあった。


 ……もちろん兵たちは休養を取っただろう。

 ……そう。私が指摘したのは兵たちではない。

 ……代えの利かない将軍たちのことだ。

 

 ……いや。


 ……一番疲労が見えるのはボナール殿自身だ。

 

 ……注意力散漫。そして、視野も噂よりもだいぶ狭い。

 ……おそらく、これはすべて疲労によるもの。

 ……そして、これはギリギリの戦いをするときには命取りになるもの。

 

 ……だが、だからと言って私にはどうすることもできない。


 もちろんその言葉は実際に口から吐き出されることはなく、ボナールの耳に届いたのは、リブルヌが口にしたそれとは別のものだった。


「さて、十万人の兵が姿を現わしたら、魔族たちはどう動くか。ボナール殿はどう考えていますか?」

「そうだな……」


 前置きのようにそう言ってから、ボナールは少しだけ考える。


「それなりの者が眺めれば、貴族軍が数だけは揃っているが、ただそれだけの存在だとわかるだろう」


「貴族軍には魔術師長のルルディーオを貴族軍につけてあるので魔法攻撃でやられる心配ない」

「つまり、奴らが草原で陣を張る貴族軍を葬るには自分たちも草原に姿を現わし剣で叩くしかないというわけですか?」

「そうだ」


 その言葉に大きく頷いたリブルヌは、少しの間の後、再び口を開く。


「もうひとつ心配なのは……」

「自分たちの数に酔った貴族たちが調子に乗ってキドプーラに攻めることだろう。だが、それは両公爵に十分に言い含めてある」


 ……つまり、ボナール将軍もそれを懸念材料と思っていたということか。

 ……まあ、才はないが血気と功名心だけは山ほどある貴族たちが相手だ。普通の将なら言わなくてもわかることでも言わねばなるまい。


 自らの言葉を遮ってやってきたボナールの言葉に薄い笑みを浮かべて応じ、心の中でそう呟いたリブルヌはもう一度口を開く。


「どのような言葉で?」


「この戦いの肝は草原でおこなうということ。それを台無しにしないように、と」

「命令されることに慣れていない彼らが指示に従いますかね。というか、そもそもその意味を理解ができるのですか。彼らに」


「多くの手柄を手に入れられるのは野戦が一番とつけ加えてあるが、それでは足りなかったかな」


「……いいえ。それで十分です」


「ということは、あとは魔族が姿を現わすだけということですか?」

「そうなるな」


 さて、ボナールによって名誉ある先陣という名の餌役として送り出され、最初にクペル城前の草原に姿を現わしたフランベーニュ中央軍、つまり貴族軍であったが到着早々重大な問題があることが発覚する。


 実は、この後彼らがどのような配置で戦いに臨むのかについては決められていなかった。

 いや。

 ボナールからタルドゥノアには特に伝えられていなかったというのが正しい表現だろう。


「私の配下とリブヌル殿からお借りした兵が現れた魔族を取り囲むように公爵たちの左右に展開します」


「多くの方々が功を立てるようにするためには横に広がることをお勧めします」


 ボナールは短く不明瞭な言葉で助言らしきものを口にしたあと、このような言葉をつけ加えた。


「ですが、決定は中央軍の指揮なさる公爵がおこなうことです」


 つまり、決定権という名の責任はすべて司令官のあなたにある。


 ボナールはそう言ったのだ。


 だが、大軍を動かした経験も、そのような才もないタルドゥノアはどうしたらいいのかがわからない。

 そうなれば本来であれば副司令官たるシャンティオン公爵に相談すべきところなのだが、タルドゥノアにはそれができなかった。

 もちろんシャンティオンに対するライバル心ということもある。

 だが、それ以上にシャンティオンの息子ブレソールの存在が大きかった。


 そう。

 シャンティオンに相談すれば、シャンティオンは間違いなく息子に助言を受ける。

 そこであっさりと正確な陣形を示されてしまっては司令官である自分の立場がなくなるというわけである。

 結局タルドゥノアが相談するために呼び寄せたのは、自らの私兵部隊の指揮官パニャックとなるわけなのだが、パニャックだってせいぜい数千人を率いる程度の経験しかない。


 つまり、この規模の軍全体を動かすだけの度量はない。

 自らの力を認識しているパニャックからやってきた言葉に渋い顔で応じたタルドゥノアが全軍に伝えたのは……。


 ボナールの怪しげな助言。


 そして、その結果どうなったかといえば……。


 右半分がタルドゥノア公爵に近しい者たち。

 左半分がシャンティオン公爵に近しい者たち。


 大まかに分ければそうなる。

 ただし、横並びになったそれは単に並んでいるだけで戦術や連携などを考慮されたものではない。

 それでも、ブレソールの声が届く左半分はそれなりの秩序を保っていたのだが、タルドゥノアが直接指揮する右半分はひどかった。

 遠方からそれを眺めた魔族の将アドリアノ・バンデラッタが嘲り半分に口にした「主のいない羊の群れ」と言葉が似合うくらいに。


 まあ、そうなるだろうというのがボナールの予想ではあるし、希望でもあったのだが。


 それからしばらく後。

 敵前とは思えぬくらいにタップリと時間をかけて完了した長く横に伸びる戦列のやや後方。

 少しだけ盛り上がった丘のような場所に置かれた本陣に並んで座るふたりの公爵が少しずつ会話を交わす。


「……我らの陣容に恐れをなしてやってこないなどという事態にはならないといいですな」

「いや。ボナール将軍は必ず来ると言っていた。ただし、敵は我々が痺れを切らして渓谷に近づいてくることを待っている。勝つためには絶対に動いてはならんと言われている」

「まあ、戦いの専門家がそう言うのだからそうなのでしょう。だが、肝心の将軍の部隊も随分と遅いようですがどうしたのでしょう」

「これも策のひとつらしい。敵の総数は我々と戦うこともできぬくらいの少数。将軍の軍まで並んでしまっては穴倉から出てこないことも考えられるそうだ。この策の肝は敵の全軍をおびき出し叩きつぶすこと」

「しかる後に、我らは堂々と渓谷内を進むわけですか」

「そうだ」


 そう言ってタルドゥノアは重々しく頷き、それからふたりの公爵は待つ。

 待たせることはあっても待つことはないと言ってもいいふたりにとっては悠久と思える時間を。


 それから、少しだけ時間が進む。


 キャンプ地から前日に完全な形で確保した渓谷地帯を通り、キドプーラからクペル平原に姿を現わした魔族軍。

 その様子を見てニヤリと笑うふたりのフランベーニュ人がいた。


「ボナール殿。魔族が巣穴から出てきましたぞ」

「やっとだな」


 これから大いくさの舞台となる草原地帯を俯瞰することができるクペル城の最上部。

 その物見櫓からその様子を眺めていたそのふたりの男はともに将軍の地位にある者だった。

 ひとりはエティエンヌ・ロバウ。

 むろん彼はこのクペル城の主であるからこの場にいてもまったく問題ない。


 だが、ロバウの隣に立っている男がなぜこの場にいるかは少々の説明が必要であろう。


 アポロン・ボナール。

 先ほどまでミュランジ城にいたボナールがなぜここにいるのか。

 もちろん転移魔法をしたわけなのだが、ここで問われるのはその手段ではなく、理由であろう。


 さて、その理由であるが……。

 ボナール自身が少し前にミュランジ城主リブヌルと交わした会話からそれを読み解くことができる。


「……戦場全体がよく見える場所で指揮を執りたいということですか?」

「まあ、そういうことだ」

「ですが、ボナール殿が離れたこちらの部隊の指揮はどうするのですか?」

「それは心配いらない」


「指揮をする者たちにはよく言ってあるし、彼らもよくわかっている」


「問題はいつ我が軍が転移するかということだ。まあ、遅い分には許される。だが、早く来てはダメなのだ」

「魔族が貴族軍に食らいついてすぐに離れられない状況になるまでは本隊は現れるわけにはいかないというわけですね」

「そのとおり。本隊は左右ともに十五万。さすがに転移が完了し攻撃を移るには多少の時間がかかる。嚙み具合が浅いと逃げられる可能性があるからな。そして、それと同時に大事なのは伏兵の存在」

「半包囲して叩き始めたところをさらに背後から襲うということですか?」

「もちろん負けることはないだろうが、余計な損害は出したくない。なんといっても我々の目的はここで魔族を叩きつぶすことではないのだからな」


 むろんボナールが口にしなかった部分が何かをリブヌルは知っている。

 何も言わずに小さく頷くと、それに応えるようにボナールはさらに言葉を続ける。


「そういうことで、私自身がそれを見極め、転移をするときを決めたいのだ」


「なるほど。では、次に会うときにはマンジューク戦の土産話までが聞けるわけですね」

「そういうことになるな。ただし、それほど時間はかからない」

「では、そのときのためにすぐに準備を始めることにしましょう」

「それを楽しみに行ってくる」

「ご武運を」


 そこでふたりは別れるわけなのだが、ここまでくれば理解できるであろう。


 ボナールは戦域全体を把握できる場所であるクペル城に移動し、本隊である両翼の転移タイミングを完璧なものにしようとしていたのだ。


 もちろんこれができるのは旗下の将軍たちへの信頼がなければできないことであり、それとともに将軍たちもボナールの期待を応えるだけの力量を備えていた。

 ちなみに、左翼部隊の指揮官はフレデリック・ロカルヌ、右翼部隊の指揮官はアラン・ギリエとなり、最終的な追撃態勢になったときは多くの人狼を抱えたギリエの部隊が先陣となる算段がされていた。


 そして、ボナールがクペル城から眺めていた隊列であるが、それはもちろんグワラニー部隊である。

 むろん、こちらも無策で姿を現わしたわけではない。


 先陣となる三千人のプライーヤ隊が草原に現れたときより少しだけ時間を戻したキドプーラの見張り台。


「堂々たるものだ」


 例の双眼鏡で草原に広がる敵軍を眺めたグワラニーの口からその言葉が漏れるものの、もちろんこれは皮肉である。


「まったくですな」


 それを十分に承知しているペパスは同じような言葉で応じたが、こちらはそれでは終わりにしなかった。


「もちろん数だけの話だが」

「ほう」


 ペパスのその短い言葉には表面上の意味とは違う香りが混ざり込んでいることを感じ取ったグワラニーは言葉を続ける。


「では、あの部隊に対する専門家としての評価は?」


「ハッキリ言って素人ですな」

「素人?」

「特に左半分は無秩序に並んでいる。そして、さらに注意して見るとさらにおもしろいことがわかります」

「なんでしょうか?」

「横並びに陣をしているが、左右で指揮官が違う。そして、あの様子では連携がまったく取れていない」


 ……そういえば……。


 その言葉を聞いたグワラニーは公爵の旗が二本あることを思い出す。


 ……同格の公爵が片方の指揮下に入ることをよしとするはずがない。

 ……妥協の産物ということか。


 グワラニーの顔に薄い笑みが浮かび上がる。


「ということは?」

「敵があれだけなら、魔術師長の一撃を食らわせてから攻撃すれば二万人でも簡単に打ち破ることができるでしょう」

「それは頼もしいかぎり」


 グワラニーの賞賛の言葉に頷くとペパスはさらに言葉を続ける。


「それを踏まえてグワラニー殿にひとつお聞きしたい。敵は我々を誘い込むために敢えてあのような無様な陣を敷いているとお思いか」

「いや」


 やってきた問いにグワラニーは即座に答える。


「傲慢なだけの貴族たちにそこまでの献身性などあるはずがない。そうかと言って我々を誘うために陣を崩すほどの頭もあるはずがない。総指揮官であるボナールが彼らに明確な指示を与えなかっただけでしょう」

「指示されなかったので好き勝手に陣を敷いていると?」


 ペパスの言葉にグワラニーは頷く。


「そして、そのような状況であれば右半分を指揮する者は左を指揮する者に比べて多少知識があるということでしょう」

「なるほど」


「ですが、我々がここから出ていったところで、急進するということはありませんか?または、攻撃魔法を撃ち込んで混乱したところを襲いかかるとか」


 ……なるほど。


 グワラニーは思う。


 ……多くの可能性を消したが、まだまだこちらを叩く方法はあるのだな。

 ……特に私自身は戦いのプロではない。

 

 ……この辺が今回の反省点だ。

 ……そして、今後も自らの策を将軍たちに提示して揉みこんでもらうのが大事だな。

 ……だが……。


「あの部隊にペペス将軍がいればそうなるかもしれませんが、そういうことはないでしょう。それに魔法に関しては魔術師長が完璧に防御していますから心配はいらないでしょう」

「では、そろそろですか?」

「そうですね。私たちが出ていかねば、ボナール将軍の顔も見られませんから」


「ということで、留守をよろしくお願いします。ペパス将軍」


「まあ、それほど時間がかからず終わりますから」


 グワラニーが口にしたその言葉は、期せずしてボナールのものと同じであった。

 そして、それは実際にその言葉どおりとなるのだが、その結果といえば、一方にはとっては受け入れがたいものとなる。


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