それぞれの過去
二人がベットの上で愛し合った翌日。オスカーが目を覚ますと、アルベルトは彼の胸に顔を埋めて眠っていた。そんな夢の中にいるアルベルトを、オスカーは優しく揺すり起こす。「ふわぁ……」と小さく欠伸をし目を覚ました。
「昨日は悪かったな」とオスカーは開口一番アルベルトに謝罪をする。
「ああ、別に気にしていないよ。確かにあの時は驚いたけど、君の違う一面が見れて良かったとも思っている。わたし、また君が欲しいな」
上目遣いで妖艶な表情をするアルベルトにオスカーはゾクっとする。
「大丈夫だよ。まだ時間はあるし。君だってほら、溜まってるんじゃない?」と誘うアルベルトに、
「そこまで言うなら、分かった。朝食前の軽い運動と言ったところだな」と彼の中に入っていく。
二人はこのまま快楽の海に溺れていたかったが、視線の端に入った時計を見てアルベルトはオスカーの胸を軽く叩く。
「すまないねオスカー。わたしも本当はまだこうしていたいのだけど、もう時間になってしまった。この続きは今夜、ね?」
「……まだこれからだったんだがな。まあいい、今夜楽しみにしている」とアルベルトの口に軽くキスを落とす。
シャワーで軽く汗を洗い流した二人は、そのままダイニングへと向かった。入ると、既にクロード達が席に着いていた。
「アル、クロードさんはもう席に着いているというのに、貴方は遅刻かしら?」とベルタはアルベルトを咎める。
「すみません、母上。気を付けます」
「ベルタさん、俺は別に気にしていませんよ。それにしてもいいよなあ。もうアルベルトに気に入られたんだろう? 妬いてしまうよ」とクロードは笑いながら重い空気を和ませようとしていた。
「まあまあ。アル、オスカーくん、早く座りなさい」
エルナバスに促されると、アルベルトはカミルの隣に、オスカーはクロードの隣に着いた。ベルタはアルベルトとオスカーが隣同士で座っていた時よりは普通の顔をしているが、今はオスカーを睨みつけている。それに気付いたオスカーはベルタを睨み返した。クロードはテーブルの下でオスカーの脚を蹴飛ばす。
不穏な空気が漂っていたが、この日の朝食は平穏無事に終わった。エルナバス、ベルタ、カミルの三人はそれぞれの部屋へ戻っていく。アルベルト、オスカー、クロードの三人はそのままダイニングに残っていた。オスカーが最初に口を開いた。
「皇帝がいるところで悪いが、あの女は何なんだ? 急に睨んできて。あいつに何かした覚えはないが?」と愚痴る。
「お前が直接的にベルタさんに何かしたっていうより、お前とアルベルトの仲を疑ってるんじゃないか?」
「俺と皇帝の仲? 何もないが?」
「本当に? これは俺の勝手な想像だが、そうだなあ……関係を持ったとか?」
そう言った時だった。アルベルトが飲んでいた紅茶を落とし、真っ白なテーブルクロスが黒くなっていく。クロードは動揺するアルベルトをニヤニヤと見ていた。
「そんな分かりやすい動揺、関係を認めたのと同じだよ」
「ふふ。分かった。関係を持ったことは認めるよ。だからって、どうして母上がオスカーを睨むの?」
「アルベルトは皇帝であり可愛い息子だ。そんな可愛い息子が王国から来たよく分からない平民の男に襲われたんだ。心配で仕方ないだろう? オスカーを殺したい程憎むはずだ」
「可愛い息子……か。本当にそう思ってくれてるといいんだけど」と、片手で両目を覆い涙を流す。突然泣き始めたアルベルトにオスカーとクロードはぎょっと驚いた表情をする。オスカーはアルベルトの背中をさする。
「悪かったよアルベルト。泣かせるつもりはなかったんだ。ベルタさんとの間で何かあったのか?」
「母上はカミルばかりでわたしのことなんて愛していない。わたしが普通の人間だったら……! わたしが失敗作じゃなかったら……! ……うっ。ごめんね、こんなかっこ悪いところを見せてしまって。部屋に戻って頭を冷やしてくるよ」
アルベルトは勢いよくダイニングから飛び出していった。取り残されたクロードとオスカーは顔を見合わせる。
「アルベルトを救ってやれるのはお前しかいないかもね」とオスカーの肩をポンと叩く。
ため息をつき、オスカーはダイニングから出ていく。クロードは一人、
「俺から提案したが、オスカー、お前はすぐアルベルトの元に行くのか。あいつはいいよなあ。妬いてしまうよ」とぽつりと呟いた。
一方その頃、太上皇帝、太上皇后の部屋。
「ねえ、あのオスカーって子よね? アルと穢らわしい関係を持っているのは」
ベルタがエルナバスに泣きながら訴える。エルナバスは、
「あの様子を見ているとそうだと思うけど、アルは好きな人を見つけたんだ。あの子の恋はわたし達が応援してあげなければ、あの子が可哀想だよ」と言い聞かせるが、ベルタは聞く耳を持たない。そればかりか、激しく泣き続ける一方だ。エルナバスが戸惑っていると、そこにカミルが入ってくる。
「お母様、どうして泣いてるの? 何かあったの?」
純粋で穢れを知らないような表情でカミルは問う。ベルタはそんな彼を優しく抱きしめた。
「ああカミルちゃん。あたしの天使。貴方がこの国の皇帝になればいいのに」
「どうして? この国の皇帝はお兄様だよ。それに、僕はお兄様に比べて人の上に立てるような人間じゃないし。僕のような人間には皇帝なんてなれないよ」
そう言うカミルに、
「カミルちゃん、そんなに自分を卑下しないで。貴方も充分立派な子よ。アルを支えてあげて」と頭を愛おしそうに撫でながら言う。
「当然だよ。お兄様のこと大好きだし、僕はお兄様の力になりたいんだ」
母と子の会話をエルナバスはただただ何も言わず見つめていた。
アルベルトがダイニングを飛び出した後、アルベルトの部屋にて。
オスカーはノックをするが、「今は一人にさせて」とアルベルトの消え入りそうな声が聞こえた。それも気にせずオスカーは「入るぞ」と言い部屋に入っていく。入ると、アルベルトはベットに横になっていた。オスカーはベットに座りアルベルトの顔を撫でる。母にこうして撫でてもらったのはいつだっただろうか。そのことを思い出そうとしていると、彼の目にはまた涙が浮かんだ。
「お前が急に泣き出した理由、俺にも話せないか?」
顔を撫でながら問う。
「今はまだ、ね。心の整理がつかないんだ。そうだ、今朝の約束覚えてる? 今夜、わたしの部屋で待ってるから。じゃあ悪いけど、もう出ていってくれる?」とオスカーの手を引き離し、布団を顔まで引き上げそう告げた。
「分かった。今夜お前の部屋な」とアルベルトを布団の上から撫でると、悲しい顔で彼を見つめ部屋から出ていった。
オスカーがダイニングに戻ると、そこにはクロードの姿はなかった。レヴェルナに尋ねると、もうゲストルームに戻ったと言う。
ゲストルームに向かう途中、三人の男女、リーデンベルク姉弟が何やら話しているのが目に入った。気にはなったが、オスカーはゲストルームへと歩みを進める。部屋に入ると、クロードは椅子に座り本を読んでいた。オスカーに気が付くと本を読むのをやめ彼に近づき、
「やあオスカー、遅かったね。主君をほったらかして今迄アルベルトと熱い時間を過ごしていたようだね。ユージーンとの約束覚えているか?」と冷ややかな目で見つめながら問いかける。
「決してお前から目を離さないだったな。勿論覚えている」
「その割には目を離しすぎじゃないか? 危険なことはないだろうから大丈夫だけど。ああ、別に怒ってるわけじゃないんだ。勘違いしないでくれ。それより一つお前に忠告をしたい。あまりアルベルトと親密な関係を築かない方がいい。以前魔王復活の話をしただろう? あれにはアルベルトも関わってくるんじゃないかと思うんだ」
「あの皇帝が? 俺にはそんな風には見えなかったがな。本当にお前は小心者だな。俺と皇帝の関係を見抜いたところは鋭い観察眼の持ち主だと感心したが、今度は皇帝が魔王と関係があると妄想してビビっている。よく分からん性格だな」とクロードを鼻で笑う。
「小心者……ね。そんな話、前したね。まあ、小心者と何とかは紙一重ってよく言うじゃない」と笑いながら言い、再び本を読み始めた。
「……俺は少し外に出ている」
クロードを部屋に残し、オスカーは城の外へと出ていった。
そして夜。今日は帝国と王国の友好交流の最終日である。最終日なのだが、会食の時間はいつも通り静かに過ぎていった。
「ご馳走様でした」の挨拶でそれぞれが自分の部屋へと戻っていく。エルナバス、ベルタ、カミルが出て行きアルベルトもダイニングから出て行く。それを追うようにオスカーは立ち上がるが、クロードに手を掴まれた。
「アルベルトの部屋に行くつもりか? 朝言ったこと、忘れるなよ」
「またそれか。しつこい奴だな。気にしすぎだ」とクロードの手を振り解きダイニングから出て行く。
アルベルトの部屋に入るが、誰もいなかった。仕方なく探しに行くと、アルベルトと一緒にいた三人姉弟のうちの薄紫色の短髪の男、エーミールと出会った。
「おいお前。皇帝がどこにいるか知っているか?」
オスカーはエーミールの腕をぐいっと引っ張りながら聞いた。エーミールは顔を顰めながら、
「痛い痛い。華奢に見えて力強いんですよ貴方は。アルベルト様なら執務室にいらっしゃいますよ。皇帝としてのお仕事が立て込んでいるみたいです。行ってあげたらどうです? 俺が行くより、恋人である貴方の方がアルベルト様も嬉しいでしょうし」
オスカーの手を振り解き腕を押さえる。オスカーは目を丸くし驚いた様子でエーミールを見つめていた。
「そんな拍子抜けした顔が出来るんですね。せっかくのイケメンが台無しですよ?」
「フン。俺とあいつが恋人同士だと? 訳の分からないことを言うな。俺にそんな趣味はない」
言い捨てると、オスカーは足早にその場を去っていく。その背中を見つめながら、
「まあ、最後の夜くらい楽しんでよ。あんたとアルベルト様の本当の意味での最後の夜を」と呟いた。
執務室。オスカーはノックをせずに勝手に室内に入っていく。アルベルトは驚いた様子でこちらを見ていたが、その顔は次第に笑顔へと変わっていく。だが、その笑顔はどことなく疲れているようだった。
「仕事が立て込んでいると聞いたが、大丈夫か? いつ頃終わりそうだ?」
「分からない。結構難しくてね。勿論今朝の約束は覚えているよ。わたしの部屋で待っていてくれないか? すぐ行くから」
「分かった。頑張るのもいいが、あまり頑張りすぎるなよ。いつか体を壊す」
「心配ありがとう。君は優しいね。大好きだよ」
「ああ、俺もだ」とアルベルトの唇に優しくキスを落とし、部屋から出て行く。
アルベルトの部屋。あれから三十分くらい経っただろうか。オスカーは部屋で一人ぼうっとしていた。ベットに寝転んで天井を眺めていたが、流石に暇になって起き上がり周りを見渡す。すると、本棚の一番下の隅に置いてあるアルバムが目に入った。それを取り出すとパラパラと捲り始める。そこには若いベルタが赤子のアルベルトを抱き微笑んでいる写真など、楽しげな家族写真がたくさんあった。もう少し捲っていると、幼い頃のアルベルトとその隣で金髪の男の子が笑っている写真を見つけた。二人の男の子の後ろには若いエルナバスとベルタ。その隣に男の子と同じ金髪の男。クロードは一度友好交流に行ったことがあると言っていたし、この写真に写っている金髪の男の子はクロードだろう。だとすると、後ろの金髪の男はクロードの父か。夢中になって写真を見ていると、アルベルトが入ってきて声をかけた。
「遅くなってすまないね。全ての仕事を片付けるのに時間がかかってしまって。アルバムを見ていたの? あの頃はわたしも母上に愛されていてね。あの頃に戻りたいな」と薄らと涙を浮かべる。
「なあ。そろそろお前とあの女の間に何があったのか教えてくれないか?」
「分かったよ。じゃあ、ベットに入ろうか」
二人はベットに向き合う形で横になり、アルベルトはオスカーの胸に顔を埋める。オスカーはそれを優しく抱きしめた。そして、アルベルトは昔話を始める。
❇︎
二十年前のヴァルト帝国、帝都クラルヴァイン。四月八日、一人の男の子が産まれた。世継ぎを欲していたヴュルツブルク夫妻にとっては待望の子であった。夫妻はその男の子をアルベルトと名付けた。その日から数日、帝都はお祭り状態で露店が所狭しと並んでいた。城にはお祝いの品を持ってきた貴族や平民で長蛇の列が出来ていた。
そして長い年月が経ち、アルベルトが喋れるようになった頃、
「僕ね、大きくなったらお父様みたいな立派な皇帝になるの! 僕が立派に成長したら、お父様もお母様も少しは楽出来るでしょ?」
これを聞いたエルナバスとベルタは泣き出し、アルベルトを抱きしめた。
「ああアルちゃん。あたしの天使。なんて優しくていい子なの。目に入れても痛くない自慢の子だわ」
「アル、お前はわたし達の希望なんだ。立派に育ってくれ。愛しているよ」
それからアルベルトは二人からたくさんの愛を受け育ってきた。夜、寝る時は必ずベルタが本を読み聞かせ、おやすみと顔を撫で出ていく。アルベルトはその時間が大好きだった。
アルベルトが十歳の誕生日の時、異変は起こった。ダイニングに飾られている花が枯れていたのを見つけたアルベルトはなんとか再生出来ないかと花瓶に手を伸ばした。その時だった。光が枯れた花を優しく包み込む。光が消えると、さっきまで枯れていたのが嘘のように花瓶に美しい姿勢で飾られている。アルベルトの魔力は人を治癒出来るところまでいき、最終的には荒れ果てた大地を元の緑が生い茂る美しい大地に戻せるまでに覚醒した。その様子を見ていたリーデンベルク姉弟は、
「荒れ果てた大地を戻す。曽祖母から聞いた通り、まさしくあの力はヴィルヘルム様そのものですね」
「まさかアルベルト様がヴィルヘルム様と同じ魔力を持っていたとは思わなかったわ。彼さえいればヴィルヘルム様を復活させられる。曽祖母が望んだ魔王復活、そして帝国統一が果たされるのよ。エーミール、凄いと思わない?」
「え? あ……。ああ、そうですね。曽祖母もきっと喜んでいると思います」
エルトリアとアデルははしゃいでいたが、エーミールはどこか浮かない様子だった。
アルベルト十歳の誕生日、そして魔力が覚醒した時から一ヶ月後の五月八日、夫妻の間に二人目の男の子が産まれた。その男の子はカミルと名付けられ、アルベルトと同様深い愛情をかけて育てられた。
アルベルト十五歳。彼の伴侶となる女性を見つける為、ベルタはパーティを毎晩のように開催していた。そのパーティには美しい貴族の娘は勿論、平民の中では美しいとされる娘も参加していた。だが、アルベルトはどの娘にも気が乗らず、断り続けていた。
ある日、その理由をベルタは尋ねる。
「ねえアルちゃん? どうして断るの? 皆美しくていい子ばかりよ?」
アルベルトの口から出てきた言葉にベルタは目を丸くする。
「母上、わたし男性が好きなんです。パーティに来ていた女性達は美しいと思いますよ。ですが、どうしても恋愛対象として見れないんです。折角パーティを開いてくださったのに、すみません」
「大丈夫よアルちゃん、謝らないで。あたしの方こそ悪かったわ。貴方の気持ちに気付かないなんて、母親失格ね。本当にごめんなさい」とアルベルトを抱きしめ髪を撫でる。じゅうぶんに撫でた後、ベルタはアルベルトに向き直る。
「もうパーティは開かないわ。それより、貴方は本当に好きな男性を見つけて結婚して? 貴方には幸せになってほしいの。アルちゃんの幸せはあたしとエルナバスの幸せよ」
ベルタは笑っていたが、その表情はどこか貼り付けただけの笑顔のようにも見えた。心の中ではこの事実に悲しんでいるような。この時、アルベルトも母の表情に少し気づいていた。
その日の夜、アルベルトはベルタへ花をプレゼントしに夫妻の部屋に向かった。手に持っているのはアルジナの花。ベルタが大好きな花で、赤色の小さい花である。ちなみに、アルベルトという名前はこの花の名前から取っている。夫妻の部屋の前に立ちノックしようとした時、部屋の中から微かに啜り泣くベルタの声が聞こえた。アルベルトは扉に耳をくっ付け、全神経を耳に集中させる。
「ねえエルナバス、あの子がどうしてパーティに来る女の子達を断り続けているのか知ってる?」
「さあね。まだ若いしアルには女性経験がない。接している女性といえば王家に仕えているエルトリアとアデルくらいだ。他の女性とどう接したらいいのか分からないんじゃないか?」
「そういう可愛い理由ならまだ良かったわ。男が好きなのよ、あの子。育て方を間違えたのかしら、あたし? とにかくあの子は普通じゃないの! 失敗作だわ! エルナバス、あたしはどうしたらいいの?」
「誰を好きになろうがあの子の自由だろう? 好きな相手と一緒に居させてやったらどうだ?」
「アルは皇帝になる子なのよ! 世継ぎを作らなきゃヴュルツブルク家の歴史は終わってしまうし。それとも何かしら? 男同士でも子供は出来ると仰りたいの?」
ベルタの声は徐々に大きくなる。それを聞いてエルナバスは
「ベルタ、もっと声のトーンを落として。誰かに聞かれてしまうよ。これを聞いているのがアルだっていう可能性もある」と注意する。
「あの子が聞いている筈ないじゃない。あの子達はもう寝ている時間よ」
ベルタは一旦落ち着きを取り戻し、深呼吸をする。
「ごめんなさい。少し取り乱してしまったわ。……そうだわエルナバス! こうしましょう! アルは死んだってことにするの。そしたら王位はカミルが継ぐことになるわ。将来カミルが皇帝になって、子宝に恵まれて。そんな幸せな未来が待っているかもしれない」
言い終えたところで、ベルタはまた泣き始める。今度は嗚咽混じりであった。
「おいベルタ、今の君は普通じゃない。もう今日は寝て疲れを取ったらどうだ?」
「そうね。今日はもう寝ることにするわ。でも明日が楽しみね。だって、新しい皇太子のパレードをするんだもの。カミルちゃんには立派な衣装を着させなきゃ。……でも待って。よく考えたら立派な衣装なんて必要ないかもしれないわ。カミルちゃん自身が輝いているんだもの。どんな立派な衣装を着ても服が霞んでしまうわ」
「ベルタ……」
ベルタは今度は大口を開けて声高らかに笑う。エルナバスはそんな彼女を支えながらベットに寝かせた。
夫妻の部屋の扉の前。アルベルトの頬に一筋の涙が伝う。わたしは普通じゃない。わたしは失敗作。
“そうだわ! こうしましょう! アルは死んだってことにするの“
ベルタの言葉がアルベルトの中で反復する。わたしは生きていても意味がない。死んでくれた方がいい。わたしが死ぬことで母上は幸せになる。愛するエルナバス、カミルと共に。そんなことを考えていると、目からボロボロと涙が零れ落ちる。無意識に拳を握っていた為、アルジナの花はくたくたになっていた。先程のベルタの言葉がまだ頭から離れず、それを思い出すと胸が張り裂けるような哀しい感じがし、アルベルトは床に崩れ落ちる。そんな彼を現実に引き戻した声があった。
「アルベルト様、そんな所で何してるんです? そこで寝ると風邪引きますよ」
エーミールだ。この少し高くて、でもどこか落ち着きを感じさせる声のトーンが何とも心地良い。アルベルトは咄嗟にエーミールに抱きついた。そんな彼をエーミールは優しく抱きしめ返した。
「貴方が泣いている理由、何となく分かりますよ。男が好きなことが分かってベルタ様が貴方のことを悪く言ったんでしょう?」
「その通りだ。よく分かったね。わたしは普通の子じゃなくて、失敗作なんだ。それより、どうしてエーミールはわたしが男性が好きだって分かったの?」とエーミールの胸に顔を埋めたまま問いかける。
「見ていれば分かりますよ。だって、姉上達と城下町に出かけた時、貴方ずっと見かけた美しい男に目を奪われていたじゃないですか。姉上達も気付いてるんじゃないですか? それより、今から俺の部屋に来ませんか? 貴方の傷を癒したい」
エーミールの提案にアルベルトは首を縦に振り、分かった、と答えた。エーミールはアルベルトの顔をクイっとあげ、親指で涙を拭う。そして、部屋へと歩き始める。
エーミールの部屋。彼の部屋にはあまり物がない。置いてある物といえば、ベットやクローゼットなど、生活に必要な物だけである。アルベルトは壁に掛かっている鏡の下に置いてある洋ダンスの上にいくつか写真が飾られているのを見つけた。近づいてよく見てみると、その写真には全てアルベルトが写っていた。それをマジマジと見ていると、エーミールが後ろから抱きしめ、耳元で囁いた。
「俺、貴方のことが好きです。敬愛するエルナバス様とベルタ様のご子息としても、男としても。誰かに取られるぐらいなら、俺が貴方を手に入れたい。ですが、俺はただの王家に仕える魔道士。貴方と釣り合わないのは分かっています。本気じゃなくても、誰か好きな人が出来るまでの遊びでいいんです」
これを聞いたアルベルトは、彼に向き直りこう告げた。
「すまないエーミール。君の気持ちはとても嬉しいけど、応えることは出来ない。わたしも君のことは好きだけど、これは同い年で気の合う友達という感じの好きで、恋愛感情ではないんだ」
「そう、ですよね。何言ってんだろ俺。すみませんアルベルト様、突然変なこと言ってしまって。……あ、もうこんな時間ですね。アルベルト様の部屋まで送りますよ」
エーミールはいつも通りの軽い感じを醸し出しているが、その中に少しの震えがあったとアルベルトは感じた。部屋まで送るというエーミールに
「大丈夫。自分で行けるよ。じゃあエーミール、おやすみ。いい夢をね」と断り部屋を出ていく。
アルベルト様、とエーミールはアルベルトを引き止めた。
「たとえ貴方の好きな人が誰にも理解されなくて陰口を叩かれていたとしても、俺達リーデンベルクは永遠に貴方の味方ですから。それだけは忘れないでくださいよ」
「うん。ありがとう」
アルベルトは部屋を出て行きドアを閉じる。それを確認すると、エーミールはベッドに仰向けに倒れ込んだ。
「ああ、神様。どうしてアルベルト様が器なのですか。ヴィルヘルム様の強大な魔力に耐えられる者が他の人間だったら良かったのに」
エーミールは泣きながら呟いた。
「それに、アルベルト様も意地悪です。あんな行動とられたら好きだって勘違いしちまうよ」
❇︎
「わたしは男性が好きだということを理解されなくてね。これを告白した時から母上はわたしを愛してくれなくなった。オスカーに抱きしめられた時とか顔を撫でられた時とか、かつての母上を感じたんだ。とても懐かしかったよ。母上は愛してくれないけれど、今わたしはとても幸せなんだ。カミル、エーミール、エルトリア、アデル、それに何よりも君がいる。今日が最後だなんて。ずっとこの時間が続けばいいのに」
「いくらお前の頼みでもそれは出来ない。今王国はユージーンというクロードの側近が全てを担っているからな。流石のクロードもそろそろ心配になるだろう。それに俺はあいつに直々に王家付きの魔道士になってほしいと頼まれた。俺だけここに残るわけにはいかない」
「そうだよね。すまない、わたしが我儘だったよ。この流れでなんだけど、また我儘を聞いてくれる? わたし、君のこともっと知りたい。最後なんだし、ね? 君の昔の話を聞かせて?」と上目遣いでオスカーに迫る。
「チッ。俺はクロードといいそういう顔に弱いんだ。分かった。別に構わないが、俺は自分のことを話すのが苦手なんだ。それでもいいか?」
「苦手でもいいよ。わたしは君の話を君の言葉で聞きたいんだ」
「俺の話をする前に、一つ気になることがある。あの女はお前が女に興味がないことを知ってるんだよな? だが、最初の会食の時に伴侶となる女はいないのかと言っていた。それは何故だ?」
「うーん。これはわたしの勝手な想像なんだけど、出来のいい弟と失敗作の兄を比較したかったんじゃないかな? ほら、わたしの話はもう終わり。早く君の話を聞かせてよ」
❇︎
二十年前のクリミナ王国。カルディナ地方、ラディン村。四月八日、平凡な夫婦の間に一人の男の子が産まれた。彼はオスカーと名付けられ、平和な村で普通に暮らしていた。だが、平凡というのは表向きの顔。この夫婦には裏の顔があった。それは、村のはずれにある小屋でクリーチャーを育てているということ。夫婦と少年は昼は村で、夜は小屋でという生活を繰り返していたが、ある日の夜クリーチャーを育てているところを村人に見られてしまう。そこからこの家族は『変わり者の家族』と呼ばれるようになった。それ以来、この家族はずっと小屋で暮らしている。オスカーは夫婦に問う。
「ねえパパ、ママ。どうしてこんな化け物を育てているの? 僕は皆と普通に遊びたいのに、皆僕を気味悪がるんだ」と。
「ごめんねオスカー。でもこれは国王様から直々に頼まれたとても大切なお仕事なの。内容は今は言えないけれど。貴方にはこれからも迷惑をかけてしまうかもしれない。でもね、貴方にも是非手伝ってほしいな。だって貴方は生まれつき強大な魔力を持っているんだもの。貴方が協力してくれたらわたし達はとても助かる」と母のリンナがオスカーの頭を撫でながら言う。
「うん、分かった! 僕、ママとパパが楽出来る様に頑張るよ!」
その様子を見ていた父のジャヤが二人を抱きしめた。その時、小屋の扉をノックする音がした。ジャヤが扉を開けると栗色の髪を後ろで一つに束ねた可愛らしい少女が立っていた。ゼルダである。
「おや? 君は確かサザンクロスさんのところのゼルダちゃんだね? どうしてこんな所に? 一人で来たの?」
「ううん。弟のマルセルとラルトも一緒よ。今日はオスカーくんと遊びたくて来たの。ねえ、一緒に遊ぼう?」
ゼルダがドアから覗き込みオスカーに話しかける。マルセルとラルトと呼ばれた二人の少年もゼルダの後ろから顔を出した。
「あ、あの……。君は僕が怖くないの?」
オスカーはオドオドしながらゼルダに話しかける。
「全然怖くないわ。ただの可愛い男の子じゃない。他の子の言うことなんて気にしなくていいのよ。行きましょ」
「でも……。僕と一緒にいたら、君も気味悪がられちゃうかも」
「もう! 男の子なんだからしっかりしなさいよ! ほら、行くわよ!」
ゼルダはオスカーの手を取り外に引っ張り出す。「わっ」と無理矢理手を引かれたオスカーはよろけると、ジャヤの方を振り返った。
「良かったね、オスカー。遊んでおいで」とオスカー達を見送る。リンナも大きく手を振っていた。
その日からオスカー、ゼルダ、マルセル、ラルトの四人は毎日遊ぶようになった。ゼルダの家に行くことも。小屋でリンナとジャヤの手伝いをすることも。小屋に行くたびにマルセルとラルトは泣き叫びゼルダに抱きつくので、リンナとジャヤはその様子を微笑ましいといった顔で見守っていた。
夜。ゼルダの母、セナは村の女達と話していた。
「そういえば、セナさんのところのお子さん達、ランゲージさんのところのお子さんといつも一緒に遊んでいるわね?」
「もしかして、言ったら悪いけど、ゼルダちゃん達も少し変わってたりして?」
「あたしは人を差別しないように、皆と仲良くしなさいって子供達に教えているの。優しいあの子達をあたしは誇りに思っているわ」
セナは笑って女達に言い返す。
「でもあれだよな。やっぱあのオスカーと遊んでるんだからゼルダも変わってるよな」
「こら! セナさんの前よ! そんなこと言わない。それに、オスカーくんの悪口を聞かれたら化け物に食べられてしまうわよ?」と女が子を脅す。
というのも、クリーチャーを育てているところを誰かが目撃した時からこの脅し方は子供に言い聞かせる為の常套句になっていた。言うことを聞けないのならランゲージさんのところの化け物に食べられてしまうわよ、と。
「じゃあねセナさん。もう遅いしそろそろ帰るわ」
「わたしも。おやすみセナさん」
女達が家に戻っていくのをセナは黙って見つめる。その間、セナは握り拳を作って怒りに震えていた。これは我が子を馬鹿にされたという意味もある。だが、一番の理由は『変わり者の家族』の子供と遊んでいる我が子達に対してだ。子供達が変わっていると言われると、それを育てた親、つまり自分も変わっていると思われる。あの子達が勝手にあの穢らわしいランゲージ夫婦のオスカーと遊んでいるだけ。あたしは普通に育ててきた。あたしは変わってなんかいない。そう自分に言い聞かせているが、村のあちこちで自分を噂している声が聞こえる気がする。否、気がするのではない。実際そうなのだ。それはゼルダ達がオスカーと遊ぶようになってから。村は狭い。噂はすぐに広がる。
「最近ゼルダちゃん達がオスカーと遊んでいるところをよく見るね」
「あそこの家族も変わってるんじゃないかしら?」
「しっ。セナさんが近くにいるわ」
「あら、おはようセナさん。今日もゼルダちゃん達は元気ね」
もう限界だ。セナは家に帰ろうとする。すると、村では見たことのない謎の男に声をかけられた。
「どうかしたんですか? 元気がなさそうだ」
「そう見える? もう疲れてしまって。それより貴方は? 見ない顔ね」
「ラーゴ村から来ました。ノア=ラウラといいます。僕、神殿とか大好きでアルバン神殿を探しに来たんですが、そこにいくにはこの村の隣を通らなきゃいけないんですよね。しかも、その唯一の道には例の小屋がある。そこで飼われてる生き物が怖くて行けないんですよ。困りました」
ノアと名乗った男はセナに近づくと、セナが手に持っていたランプでノアの顔が照らされる。年齢はセナより少し年下だろう。顔立ちはとても美しく華奢である。彼女はその時あることを考えていた。この村での生活なんか捨てて、彼とどこか遠い所で暮らしたい。嫌な陰口を聞かなくてもいいように。誰も自分のことを知らない所へ。残された我が子達は……変わり者の子供なんてどうでもいい。父のギルガが面倒を見てくれる。その考えは、彼女の日々のストレスからか。
「ねえノアくん。神殿は知らないけど、地下にある洞窟にパミラ様という神様を祀っている祠があるの。興味あるかしら? 案内するわ」
「地下の洞窟? とても興味あります! 案内お願いします!」
二人はそのまま地下のカヴェルヌ洞窟へと姿を消した。その日から、セナとノアは二人きりで会う時間が増えていった。
数日後、オスカーは今日もいつものようにゼルダの家で遊んでいた。
子供達は時間を忘れて夢中で遊んでいた。辺りが暗くなってきたところでゼルダの父、ギルガが声をかける。
「可笑しいね。いつもならこの時間はリンナさんが迎えに来る筈なのに。忙しいのかな? オスカーくん、今日は僕が送るよ」
「あたしも一緒に行く!」とゼルダが手を大きく振ってアピールする。
僕達も、とマルセルとラルトもゼルダに続く。
「じゃあオスカーくん、一緒に行こっか」
「うん!」
ギルガ達は村の入り口の門を抜け、小屋への道を進んでいく。進んでいると、ギルガは足を何かに掴まれたような感じがした。視線を下に落とすと、血だらけの男が何かを言いたげにこちらを見上げている。ギルガは男に耳を澄ます。
「この先は行かないほうがいい。化け物がいる。あそこにいた男と女は殺した。あそこの住人は化け物を生み出す悪魔だ。早く引き返せ。命はないぞ」
男はそう言い残し息絶えた。ギルガは男に向かって十字架を切る。
「あそこにいた男と女って、リンナさんとジャヤさんのことだよな? 皆、急ごう」
五人は走って小屋へ向かう。
小屋に辿り着くと、血生臭いにおいが五人の鼻の奥を突いた。小屋の中に入るとそこには首を掻っ切られ、血溜まりの中に横たわっているリンナとジャヤの無惨な姿があった。その近くには夫婦が創り出した可愛らしい犬のような姿をした生き物が二人の傷口を舐めていた。無惨な姿の夫婦を見たゼルダは叫び、マルセルとラルトは腰が抜けその場に崩れ落ちる。オスカーはただただ立ち尽くしていた。それを見ていたギルガは子供達を一箇所に集めて抱きしめ、大丈夫だよ、落ち着いて、パパがついてるから、と言い聞かせる。
「明日、リンナさんとジャヤさんの為にお墓を建ててあげよう」という提案に、子供達は首を縦に振った。リンナとジャヤの遺体に向かって十字架を切り、小屋を後にした。村へ帰る途中、ギルガは楽しめるような話をいくつか披露したが、子供達は小屋で見た衝撃的な光景がまだ忘れられないようだった。
村に着くと、二人の男女に出会った。セナとノアである。それを見たギルガはさっきまでの穏やかな表情は一変し、険しい剣幕でセナに詰め寄る。
「おいセナ! 誰なんだその男は!」
「ノアくんよ。あと、急で申し訳ないけど、あたし達は彼の故郷のラーゴ村で暮らすことにしたの。もう陰口を叩かれる生活から逃れたいの。ねえギルガ、あたしの気持ち分かってくれるわよね?」
「子供達はどうなる? この子達のこと考えたのか?」
「ママ、この村から出て行くの? 嫌だよそんなの。あたし、ママと一緒に暮らしたい。あたしもついてく!」
ゼルダはギルガから手を離し、セナに抱きつく。だが、セナはそんなゼルダを
「あたしはね、毎日のように陰口を言われてもう疲れたの。誰のせいか分かる? ゼルダ、マルセル、ラルト、貴方達のせいよ。あたしは普通に育ててきたつもりなのに。ゼルダは一度間違えたことを反省せずヘラヘラしてまた同じ失敗を繰り返すわよね。それに、変わり者のオスカーと遊ぶようになって。あたしの子育ては失敗したと言われたこともあるわ。もう耐えられないのよ。ねえ、貴女ならあたしの気持ち分かってくれるわよね?」と突き放す。
大声で泣き叫ぶゼルダをギルガは抱きしめた。
「君の気持ちはよく分かったよ。もう出ていってくれ。それと、二度と子供達の前には現れないで。これだけは約束してくれ」
「ありがとうギルガ。ええ、分かったわ。あたしももうこの村には戻らないつもりよ。じゃあね皆。元気でね」
セナはギルガ達に手を振り歩き出す。これには誰も応えなかった。ノアは一礼して先を歩くセナを追いかけた。
「ごめんねオスカーくん。カッコ悪いところを見せたね。さあ、帰ろうか」
家に着くと、子供達を寝かしつけた後、ギルガは自室に篭った。
翌日。サザンクロスの家。長女のゼルダが最初に起き、弟やオスカーを起こしていく。昨夜、あんなことがあったのだ。いつも元気なゼルダも流石に顔色が悪かった。
「あたし、パパ呼んでくるね」
ゼルダはギルガの部屋に向かった。すると、ゼルダの叫び声が響き渡る。オスカー達は駆けつけると、そこには血溜まりの中に倒れているギルガの姿があった。ギルガの手には小型ナイフが握られており、血は首元から流れていたようだった。どうやら、自分で首を切り裂いたようだ。
ゼルダはオスカーに抱きつき静かに泣いていた。オスカーはゼルダの頭をポンポンと撫で、
「大丈夫だよ。これからは僕がゼルダちゃんを守るから」
「お姉ちゃん、僕達もついてるよ!」とマルセルとラルトも声を上げる。
「ぐすっ……。うん、ありがとう、皆。大好き」
*
「で、俺の両親は見知らぬ男に殺されて、ゼルダの母は他の男と村から出ていって、父は自殺したんだ。ん? なんか俺の過去を話すつもりがゼルダのことばかり話してないか?」とオスカーは首を傾げる。
「そのゼルダさんっていうのが、前言ってたマントをくれたっていう女性だね。確か酷いことを言ったって言ってたね? ちゃんと謝らなきゃね」
「ああ。王国に帰ったらまずはクロードに言って村に一旦帰らせてもらおうと思ってる」
「いいことだね。ふわぁ……、すまないオスカー。もう眠たくなってしまった。最終日の夜に何もしてあげられないなんて、本当に申し訳ないと思うよ」
詫びるアルベルトに、
「別に詫びる必要はない。まあ、何もなくて寂しくないと言えば嘘になるが。だが、お前の話が聞けて楽しかった。おやすみ」
オスカーはアルベルトの額にキスをし、二人とも夢の世界へと入っていった。
翌日。クロードとオスカーが王国に帰る日だ。クロードとリーデンベルク姉弟はもう外に出ているが、アルベルトは「君に見せたいものがある」と言い花瓶が置いてある一角へとオスカーの手を引いていった。その花瓶には庭の花壇で見た赤色の小さい花が刺さっている。
「これはアルジナの花というんだ。母上が大好きでね。アルベルトという名はこの花から取ったと教えてもらったよ。それに、ブローチも作ってもらったんだ。母上は縫い物が得意でね。可愛いだろう?」
アルベルトは衣装の襟に付いているアルジナの花のブローチを見せてくれた。可愛らしい刺繍が施されている。
「確かに、お前に似て可愛いな」
途端、アルベルトの顔は真っ赤に染まる。アルベルトはそれをサッと腕で隠した。オスカーは腕をどかそうとするが、力が強くなかなかどかせない。
「やめてくれよ。今とても情けない顔をしてるんだ。そんな顔を君に見せたくない」
「あの夜あんなに情けない顔を見せておいて今更何を恥ずかしがることがある? その腕をどかしてくれ。俺にお前の色んな表情を見せてくれないか?」
「ふふ。意地悪な人……」
アルベルトはグーでオスカーの胸を軽く小突く。
「それで、君にこの花を見せたかったのもあるんだけど、一番の理由はこれなんだ。受け取ってくれ。頑張って作ったんだよ」
アルベルトの手には彼の襟に付いているブローチと同じ物が。それをオスカーのマントに付ける。
「王国に戻っても、このブローチを見てわたしを思い出してくれたら嬉しい」
「馬鹿か。俺がお前のことを忘れるはずがないだろ。大切な恋人なんだ」
「恋人……、とても嬉しいけど照れるね。ねえオスカー、わたしは家族にアルと呼ばれていてね。君にもそう呼ばれたいんだ。いいかな?」
「分かった。アル、愛してるよ」
オスカーはアルベルトの唇に優しく触れるキスをする。そして、クロード達が待つ庭へと手を繋いで歩いていった。
二人が外に出ると、四人は既に門の所にいた。クロードは馬車に乗り込んでいる。気付いたクロードが「二人共やっと来た。遅いよ」と声を上げる。
「じゃあなアルベルト。それと可愛い姉弟達。楽しかった。定期的にやってもいいかもな」
「わたしもこんな素敵な会合定期的にやりたいけど、それだと王が不在の日が続いてしまって民が不安がってしまうよ」
「いやいや、たまにはお前も王国に来ればいい。それに何か困ったことがあれば連絡を寄越せとユージーンに言ってあるが、何の連絡もないということは俺がいなくてもやっていけてるんだろう。優秀な側近で誇らしい。次の王はあいつで決まりだ」
「そのユージーンは代々王家に仕えるアリア家の者なんでしょう? 側近を王にするなんて馬鹿な話、聞いたことありませんよ」とエルトリアがツッコミながら呆れる。
「ねえ貴方、オスカーと言ったかしら? こんな適当な王様に仕えているなんて大変ね。嫌になったら帝国に来てくれてもいいのよ?」というアデルの誘いに
「それもいいかもな」と乗る。
「おいオスカー、賛同しないでくれよ。じゃあ、そろそろ帰るとするか」
「さよなら。オスカー、クロード。また会えるといいね」
オスカーが馬車に乗り込むと、御者は馬を走らせる。馬車が見えなくなるまで、アルベルトは手を振り続けていた。
一方その頃、クリミナ王国。クリミナ城、玉座の間。
帝国と王国の友好交流の間、王国王家に代々仕えるアリア家の末裔であるユージーン=エドマンド=アリアが、国王クロードに代わり国を治めていた。この日は各村々で起こった事柄や村が発展していく為の助言などを求めに平民達が城に集まってきていた。そして、最後の平民達に助言をしユージーンの国王としての仕事は終わりを告げたのであった。
「ユージーンって、上から目線なところは癇に障るけど、平民達のことをちゃんと思ってくれているよね。もう君が新しい国王でいいんじゃないかな?」
男が言うと、同行していた村人達が一斉に笑い始める。周りにいた兵士達も釣られて笑い始めた。
「うるさい。これが僕の性格だし、この国の王はクロード様しかありえない。さあ、終わったからもういいだろう? 帰ってくれ」
ユージーンは少し不機嫌気味に応える。それを聞いた村人達は、「分かってますよー」「きゃー。怖い怖い」などと、笑いながら玉座の間から出ていった。二人の兵士が扉を閉めると、ユージーンは伸ばしていた背筋を楽にし背もたれに寄りかかり、息を吐いた。
「ふう、やっと終わった。もう国王の仕事は懲り懲りだ。側近としての方が気楽でいいよ」
「おっと? なんか凄いことを聞いたな。ユージーンは王の側にいることを気楽な仕事だと思っているのか」
兵士の一人がニヤニヤしながらユージーンを問い詰める。その兵士の様子にイラッとしたが、この数日間国王として働いたせいで、何も言い返す気力は残っていなかった。代わりに、その兵士をひと睨みし、大きな溜息を吐いた。
その時、玉座の間の外から兵士と女の声が聞こえた。そして、扉が開くとロングスカートを履いた華奢で美しい女が立っていた。ゼルダである。
「オスカー! 会いにきたわよ! ……って、あれ? オスカーは?」
ユージーンはゼルダを見るや否や疲れきって険しくなった顔を更に険しくさせる。溜息も大きくなる。
「クロード様とオスカーはまだ帰ってきていない。多分明日には帰ってくるだろう。教えてやったんだから貴様は早く帰れ」
「あんたせっかくイケメンなんだから、そんなに怒っちゃ台無しよ? それに、こんな男臭い室内に美しい女が一人。あんたも興奮するでしょ?」
ゼルダは玉座に座っているユージーンを見下すようにして喋る。ユージーンはそれを舌打ちして睨め付けた。
「ユージーン! 話を聞いてほしいという村人だ。今から通す」と兵士につれられやってきたのはおさげ髪の少女だった。
「ジャバル村のフォティア=セシル=ヴァレンティンです。ベラハ山がまた噴火したのですが、皆さんと協力してなんとか綺麗になりました」
「ああ……、そう。それは良かった。だから何なんだ」
「もう、あんたって小さい女の子にも冷たいのね。冷たい男はモテないわよ?」
「女にモテないから何だと言うんだ。別にモテなくても僕には何も関係ない。そんなことより、早く帰ってくれ。疲れてるんだ」
ユージーンは完全にゼルダのペースに飲まれ、イライラはピークに達していた。その様子をフォティアはコロコロと笑いながら見ている。兵士達もまた、ゼルダとユージーンのやりとりを笑いながら見ていた。と同時に、「もしかしてあの二人、デキているのでは?」という考えが皆の脳裏に浮かんでいた。
クロードとオスカーと別れたその日の夜。ヴァルト城地下、聖廟。
アルベルトは生まれて初めて聖廟に足を踏み入れた。そこは薄暗い場所だった。だが、どこか神秘的で美しい。
「聖廟って初めて見たけど、美しい場所だね。あの真ん中にあるのが魔王のお墓? あの魔法陣は?」
アルベルトは真ん中にポツンと置かれた棺を見つけた。棺の周りには魔法陣が描かれている。「ええ、そうですよ。魔法陣のことはお気になさらず。よろしければ中をご覧になりますか?」というエルトリアの問いに首を縦に振ると、エルトリアは棺に向かって歩き出し棺を開けた。中に入っている魔王ヴィルヘルムの遺体は、何年も前に死んでいるにも関わらず、どこにも腐敗している場所は見当たらなかった。魔王は普通の人間の男のような見た目で、今にも動き出しそうな安らかな顔で眠っていた。
「君達に魔王の話を聞いた時、ずっと怖い見た目だと思っていたけど、優しそうなお兄さんって感じだね」
「アルベルト様がヴィルヘルム様をご覧になるのはこれが最初で最後ですから。その美しい姿を目に焼き付けてください」とポツリと呟くアデルに
「え? それってどういう……」とアルベルトが訊こうとした時だった。リーデンベルク姉弟が呪文を唱え始めると、棺の周りに描かれた魔法陣が光り始めた。光は徐々に強くなる。すると、アルベルトは全身から力が抜けたように棺の上に倒れ込んだ。胸が焼けるように痛い。息が出来ない。力が上手く入らず、立ち上がることも出来ない。だが、それでもアルベルトは微かに声を上げた。
「どう……して……。こんな……ことを……」
アルベルトは無意識にエーミールの方を見る。彼は目を逸らし、こう告げた。
「すみませんアルベルト様。これも曽祖母の悲願達成の為です。帝国の統一という悲願の。俺達は王家に仕えながら魔王復活の為の器となる人物を探していました。そして、彼の十歳の誕生日。彼は突然魔力が覚醒した。それもヴィルヘルム様と同じ魔力が。それがよりによって貴方だったんです。すみませんアルベルト様。曽祖母の為、貴方の力をお貸しください」
「そ……んな……。わたしは君達を信じていたのに……」
エー……ミール……、アルベルトはエーミールに縋りつこうとわずかな力で手を伸ばしたが、それも虚しく地面の上に倒れ込み、そのまま動かなくなってしまった。姉弟達は動かなくなってしまったアルベルトを見つめていた。
「失敗かしら? それとも、器となる人物は他にいたとか?」
「そんなはずはありません。確かに器はアルベルト様です。魔法陣か呪文を間違えてしまったのでしょうか?」
「姉上、あれを」
エーミールが指を指す方を見ると、アルベルトの手がピクリと動いた。そしてよろけながらも確かに立ち上がる。
「ここはどこだ? 吾輩は確かあの忌々しい女神に殺されたはず」
「ヴィルヘルム様、貴方様の復活を心待ちにしておりました。かつて魔王様に仕えていた一族、リーデンベルクの長女エルトリアと申します。曽祖母のことを覚えていらっしゃいますか?」
エルトリアはヴィルヘルムに向かって叩頭する。それに倣ってアデルとエーミールも叩頭した。
「リーデンベルク……。ああ、そうか。お前らはナズナの曾孫か。ナズナは元気か?」
「残念ながら、曽祖母は亡くなりました。ですが、ヴィルヘルム様。曽祖母は貴方様が王国を支配し再び帝国が統一する世界を望んでいます。どうかわたし達に力を貸してくれませんでしょうか? 天国の曽祖母に、彼女が望んだ世界を見せたいのです」
「ああ、吾輩も現世に蘇ったことで昔のことを思い出してきた。色々あるが、あの憎き女神アイリーンは許せん。この手で殺してくれる。エルトリアと言ったな? 吾輩は蘇ったばかりで魔力が充分ではない。今日は休み、明日王国に攻撃を仕掛けようと思う。良いな?」
「はい。わたし達リーデンベルクは、この一生を貴方様に捧げると誓います」
エルトリアは再び叩頭した。