【4】 ミーヴァ・シュテレンク
「まぁ、なんて綺麗な音色」
「またミーヴァ様が練習なさっているのよ」
「あんなに美しい音色を奏でられるのに、まだ練習段階なのですって」
「音楽の世界って、深いのね」
シュテレンク伯爵家の中庭で、流れてくる提琴の音色に聞きほれながら、ハウスメイド達がおしゃべりをしていた。
その伯爵家の敷地、中庭に面した音楽室で、一人の少女が提琴を変え、譜面を眺めながらある曲の練習をしている。
「つまらないわ」
そうもらしながらも、その提琴から紡ぎ出される音色は人の心をとろかすように甘く、ミスもほぼなかった。
だがそれでも、伯爵令嬢は退屈を感じてしまっていたのだ。
なんでもやってみれば一通りできた。
語学、数学、乗馬、剣術、そして楽器。
だがどれをそつなくこなしても、ミーヴァ・シュテレンクの心は満たされない。
「どうせその道の第一人者になったとしても、私の人生は私では決められないし」
とも思っている。
今まさに花開かんとする可憐な14歳の顔が少し歪む。
資産家であり、貴族令嬢でもある少女。
確かにこれまではその資力によって健康に、聡明に育ち、教育も受けて来た。
だがそこまでだ。
シュテレンク家の末娘である彼女は、ゆくゆくはどこかの貴族、あるいは資産家の子弟、高位の神官、そういった男性の中から父が選んだ人物の元へ嫁がねばならない。
別にお伽噺にあるような劇的な結婚をしたいなどとは望んでいない。
ただ自分の人生は自分で決めたい、そんな気持ちがいつも胸の中に渦巻いてしまう。
そしてその気持ちが、自分を育ててくれて家への、父への背信であることも自覚している。
「なんて贅沢な悩みかしら」
同時にまた、自分がそれでも恵まれていること、贅沢な悩みであることも自覚していた。
シュテレンク伯爵家の一員として、優雅に、誇り高く生きて来た、その立ち居振る舞い。
それを完璧に演じ、しかも自分よりははるかに下の下層階級についても正確な知識を得ていた。
知能や感性は健康な肉体に宿り、開化する。
そのことも十分感謝しているのだが、それでも、それだからこそ、この胸に宿る不満にいらだちも感じてしまう。
自分の役割は、家にとって有利になるような家に嫁ぎ、そことの提携によって、父や兄達の利益となるようにしなくてはいけない。
それに疑問を感じることなど、愛する我が家系、愛する我が父、兄達への背信である。
そんな胸の中によぎる不安、不満、苛立ち、それらを知ってか知らずか、音楽教師は言う。
「お見事でございます。ここまで弾ければ、もうこれ以上はないでしょう」
とんでもない話だ。
本当に音楽を極めようとするなら、まだまだこの先は長い。途方もなく長い。
これ以上はない、それは貴族令嬢、そして高位夫人としての嗜みとして、という話である。
結局はこの音楽教師も、そういう貴族社会の枠の中でのみ発言し、技術指導を行っているのだ。
だがそんな考えはすぐに消えていく。
その時、いつもは静かなこの屋敷の中で、何やら物音が聞こえた。
誰か来客かしら?
などとぼんやり思っていると、伯爵の執事末席の若いストコロフが音楽室のドアをノックして入ってきた。
「お嬢様、お稽古のお邪魔をしてしまい、まことに申し訳ありません。お父上がお呼びです」
何かあったのかしら、と思いつつ、
「わかりました。すぐ行きます」
と言って、提琴を片付け、ストコロフについていった。
父・シュテレンク伯爵の書斎へ連れていかれたミーヴァは、そこに父だけでなく、長兄、筆頭執事のカルルセンとともに、見知らぬ男女が二人いた。
「お父様、参りました」
ミーヴァが入室してそう言うと、伯爵はどうにも浮かない顔を見せて「ああ」とだけ頷いて、書斎書机の椅子に深々と座り直した。
(なんだろう? 少なくとも父にとってあまり良くないことで呼ばれたみたい)
と思っていると、伯爵はその見知らぬ男女に向かって、
「末娘のミーヴァだ。先ほどの話をおまえ自身の口から述べてくれ」
そう言って、恐らく来客であろう、その男女に向かって言った。
「ミーヴァ・シュテレンク様。私は聖トマソ教会に所属する王都筆頭魔導官ゲオルク・ラメンタインと申します」
そういって恭しくお辞儀をして、もう一人の女性も紹介した。
「こちらは私の助手をしているタイスと言う者です」
紹介されたミーヴァは礼を返しつつ、失礼にならぬよう気を配りながら、その二人を観察した。
どちらも若い男女である。
自分よりは年上だろうが、女の方はそう変わらない歳に見えた。
男の方は二十歳を少し過ぎた程度であろうか。
髪は黒、瞳は青味がかった黒。
長身で、顔の彫りは深く、整った目鼻立ちともいえるし、癖の強い濃い顔とも見える。
声は高めのテノールで、彼女がイメージしている魔導官からはかなり離れていた。
タイスと呼ばれ女の方も黒髪黒瞳だったが、こちらはボディラインを強調した沙羅の布に身を包んでいる。
コケティッシュと見えなくもなかったが、自分が今まで見たこともない世界の住人らしく、顔は美しくはあったが、どこか淫靡な感じを抱かせた。
言ってみれば、高位の紳士と、場末の女、のように感じてしまい、甚だちぐはぐな感じである。
ラメンタインと言うその魔導官が話し始める。
王都トマソ教会での星室庁・占星視官が、空に大いなる妖星を観測しました。
それは恐るべき力を秘めた妖星で、その力を手中に収めれば天を統べ、敵となれば亡国の星となる、と予測されました。
その妖星が今我々の目の近くに現れつつある、というのです。
そしてその力を授受するには、特異な魔力を内に秘めた少女が必要であること。
その少女を12人集め、その中からたった一人、依り代となる者を選び出し力を授ける、と言うことなのです。
我々は秘密裏にその魔力を秘めた者を探しております。
そして今、私たちは類稀なる資質をもったお方を発見したのです。
そこで少し間を置いて、ラメンタインが荷物の中から、木の台座に固定された、黒い金属の箱のようなものを取り出して、卓の上に置いた。
「魔力と言うのを御存じでしょうか」
「ええ、教科書に載っている程度のことでしたら」
「依り代となるには、その魔力量が豊富で、かつ純な魂を持つ者でなくてはならないのです」
そう言ってラメンタインは卓上に置いた黒い箱を見る。
「それは魔力測定器、なのです」
「わたくしがここに呼ばれた、ということは、その魔力の量と関係しているのですか?」
ミーヴァの問いに、魔導官が少し驚いたような顔を見せる。
「さすがにご聡明でいらっしゃる」
今度はタイスと言う女が話しだす。
「一部には偏見もまだございますが、この魔力というのは民族や貴賎に関係なく現れます」
「私どもの観測では、この屋敷に、類稀なるその力が内包している女性がいる、と判明いたしました」
そこまで言ってラメンタインは「どうぞ」と黒箱へミーヴァを誘導した。
「どうか、その蓋の上にある水晶ののぞき窓に、御手を触れていただけますでしょうか」
ミーヴァは父の方を見たが、父はゆっくりと頷いている。
「わかりました」
ミーヴァがその箱の水晶眼に掌を乗せると側面にある窓から、光が漏れだす。
その光は最初は赤く、次に黄色、紫、緑、と変わって行き、最後に青い光になる。
「お嬢様、ありがとうございます」
ラメンタインがそう言って検査が終わったとを告げるが、その顔は興奮したように輝いていた。
「で、どうなんだ。妹は、その...魔力があるのか」
と長兄が尋ねている。
「特上の魔力です。量もさることながら、その品質も最上級かと」
ラメンタインの言葉を聞いて、その興奮が兄や執事たちにも伝わっていく。
ただ一人、父だけが苦虫をかみつぶしたような、複雑な表情を見せてはいたが。
「お嬢様。ここからはわたくしども星室庁からのお願いなのですが、我が国の、そして我が魔導の力になっていただけませんでしょうか」
少し間を置いて、しかし表情はほとんど変えずにミーヴァが答えた。
「それはわたくしが貴女の言う力の『依り代』となるように望まれている、ということでしょうか」
淡々と返していたが、ミーヴァの脳裏では、人生の転換を感じて興奮していた。
(これよ これによって、私は第二の人生を歩むことになるのよ)
「さようでございます。ただ、その依り代になるかどうかは、妖星玉の力が選びますので、お嬢様が選ばれるかどうかはわからないのです。ただ...」
「ただ?」
説明でありながら、少し含みのある言い方だったので、続きを促すと、
「仮に依り代として選ばれなくても、候補として挙げられた残りの11人には、その妖星玉から新たな力が授与されます」
「その力でもって、依り代様、つまりの力の玉姫様と協力していただきたいのです」
「嫌だったら断ってもいいんだぞ」
ここで父が告げる。
「父上、何を言っているのですか。ミーヴァが我が国最高峰の魔導の者、神官の乙女になるかも知れないのですぞ」
父が逡巡しているのが信じられない、といったように、嫡子である長兄が言う。
「おまえはわかっておらぬのだ。これを受けるということにどれほどの危険性があるのか、ということが」
「わかっていないのは父上だ。筆頭魔導官が頼みに来られたということは、国王の意思でもあるのですぞ」
この言葉を聞いて、シュテレンク伯爵はグッと言葉に詰まってしまう。
「いえ、これは国家事業ではありません。我ら魔導官の意思です。ですから断っていただいてもかまわないのです」
ラメンタインが「強制ではない」と言って、ミーヴァの意思を確認しようとする。
「国王様の御命令ではないのですか?」
ミーヴァは重ねて尋ねた。
「現国王様は先代と違い、平和主義者です。御関心は経済や貿易の方ですので」
こう言ってタイスの唇が笑ったように少し歪んだ。
「わかりました。お受けしたく存じます」
まだまだ詳細な説明を続けようと思っていたのに、予想外に早くミーヴァから肯定の返事を聞き、少し驚いたような表情を見せるラメンタイン。
驚いたのは父伯爵も同様で、
「ミーヴァ、良いのか?」
と確認する。
「お父様、私の行く末を思っていただいているのは、痛いほど理解しております。でも、それでもわたくしはこのお話を受けたく思います」
決められた人生ではなく、自分の意思で、自分の天賦の力で切り開いていく。
その心がミーヴァの中から沸き起こってきたのだ。
それから「依り代」や「器の少女」達のことについて、細々と説明を受けた。
選ばれなくてそれでお役御免、ということにはならず、残った少女達は、その選ばれた少女の補佐をしていく。
従って、仮に選ばれなくても、別の役目がついてくる。
そんなところもミーヴァには魅力的に映っていた。
候補となる少女達も、既に何人かは目星がついているという。
下層階級の娘、孤児、貧農の娘、異国の少女、などなど。
ミーヴァは三年前、自分がスカウトされた日のことを思い出していた。
今、彼女と同じ頃に招かれた少女・ノクトゥルナがその特異な「見る」能力で、逃げた宝玉少女達を追跡している。
連れてこられた時、彼女は怯えていた。
しかし孤児院育ちで、帰る故郷も親族も知らない彼女はすぐに順応していった。
タイスによると、自分と、宝玉少女に選ばれたレレカ、そしてこのノクトゥルナが特に強い魔力を秘めている、ということだった。
そしてノクトゥルナの千里眼により、ようやくその所在が絞られつつあった。
なんと、宝玉少女は二人とも王都にいる可能性が強い、と言う。
王都は故郷でこそないものの、幼い頃から何度も来ている土地だ。
そこで残りの宝玉少女との対決になるのか?
ミーヴァの頭の中では、次の対戦へのシュミレーションが始まっていた。




