【7】 悪夢
魔王から提供された新居の中へ入っていく、ゲルン、ニレ、トルカ、フリーダ、そして案内役のヘルホーン。
玄関口はそれ自体が一つの広間のような広さで、正面奥には二階への曲がり階段、右脇には一階各部屋へと通じる扉、左脇には用具室へと繋がる扉。
広い玄関を支える六本の石柱、そしてこれから装飾されることを期待するかのような、灰色の壁。
だが、急に決まったせいか、清掃はまだ行き届いておらず、うっすらと埃もたまっている。
「清掃はすぐにでも始める予定です」
とヘルホーンの解説。
一階各部屋へと通じる扉を通って、奥の各部屋へ。
一階では来客やらイベントやらを想定してか、生活空間としての部屋と言うより、広い空間の部屋が2つ。
それらの控室と思しき各小部屋、調理場、浴場などがしつらえてある。
こちらも清掃がまだなので、床に少しゴミらしきものも落ちていたが、清掃後は豪勢になることが見てとれる。
続いて二階。
こちらは生活空間で、寝室が4部屋、寝台備え付けの執務室、図書室、対座付きの執務室兼講義室、休息用の小部屋、などなど。
二階にも調理室兼食堂があったが、一階の調理室と吹き抜けで繋がっており、料理のやり取りが上下でできるようになっている。
三階も生活空間だったが、物見櫓が供えられた一室があり、そこからはさらにはしご階段でその上に出られるようになっている。
三階も生活空間として使えそうだったが、部屋数は2つ、それに小さな物置部屋があるだけ。
一階に戻って、今度は正面左の用具室へ。
そちらはその名の通り、馬具、農具、その他簡単な大工仕事の道具などがあり、さらに奥へ進むと鉄扉があった。
ものものしい雰囲気を出している鉄扉だが、鍵はかからず普通に開く。
ただし、いささか蝶番が錆付いているようで、ギギィーと、少し不気味な音を立てた。
「これもご用命あれば付け替えます」とヘルホーン。
扉の向こうは部屋ではなく、地下室へと続いていた。
地下室は2部屋あるが、どちらも道具入れとして使っていたらしい。
今は何にもなく、がらんどうであったが。
一通り見て回ったあと、玄関口に戻り、ヘルホーンに清掃と用具室奥の扉の付け替えなども頼み、新居を後にした。
「清掃はどれくらいかかる?」
「通常ならば一週間というところですが、火祭に間に合わせよ、との魔王様のお言葉ですので、三日でできます」とヘルホーン。
「それじゃ一日余裕を見て、四日で頼む」
一行が馬車に乗り込むと、元気が戻ってきたトルカがウキウキしながら言う。
「当面は剣士様とニレちゃんの家だけど、遊びに行ってもいいですよね?」
「もちろんだ。思ったより広いから、むしろ皆にも来てほしいくらいかな」
「やったー! じゃ、お泊りしてもいですよね?」
などと言い出したので、少し懸念していたことを聞いてみる。
「かまわないけど、おまえ今は実家住みじゃないよな?」
「今は宮殿の魔法剣士女子寮ですけど、あそこ、狭くって。もっと広いところがいいなぁ、と」
「住む気満々かよ」
とゲルンが笑っている。
魔法剣士隊は魔王直属の近衛集団という位置づけでもあり、剣士の中でも魔力や魔法戦闘に秀でた者が選ばれる。
年齢、性別、種族、出自が問われないため、下は十歳に満たない者から、上は百歳を超えた魔族、獣人らもいる。
有事以外は訓練が主となるが、希望するものにはさらに研鑽を積むべく教養講義も無料で受けられる。
有事の際は解決するまで24時間拘束されるが、それ以外はいたってのんびりしたもので、ゲルンが旅に出る前は、トルカは実家から通っていた。
その実家も、宮殿近くの町にあったため、今見た新居と宮殿の距離よりも近かった。
「私もよろしいかしら?」
と、フリーダも聞いてきた。
快諾すると
「私も少し手狭に感じています。トルカと違って住み込むつもりはありませんけど」
と言うが、やはりトルカは住み込むつもりだったようだ。
「ルルなんかは持ち物が少なくて、ただ寝るためだけの部屋みたいですから、不満はなさそうなのですが」
「そうだよねー、女の子にとっては、狭いよね」
「女の子?」といたずらっぽくフリーダがつっこむものだから、
「女の子だよっ!」
などと言いあっている。
「御主人様は女子寮に行かれたことがありますか?」
と突如ゲルンの膝の上でニレが聞いてきたので
「まさか。さすがにそれはない」
と答えると、今度はフリーダがニレに、
「女子寮の部屋は、今日見た二階の部屋よりも狭いのですよ」
などと説明している。
「ベルカなどはフリティベルン殿下直属の魔術隊なので、それぞれかなりの広さの部屋が宮殿に与えられていますけど、私たちは、ちょっと」
などとフリーダの追加説明。
魔術隊は前面に出て戦う必要がないので、剣士の技量はそれほどには必要ないが、その分、強い魔力が求められる。
するとこれを御者台で聞いていたヘルホーンが、
「男子寮の部屋も狭いものでしたよ。私がいたのはずいぶん前ですけど」
などと言って、顔こそ見せないが、話に参加してきた。
「ヘルホーンさんも、昔は魔術剣士だったのですか?」
とニレが尋ねる。
「大昔の話です。まだ剣士様が『山』に来られるはるか以前、フリティベルン殿下がお生まれになる前のことです」
と、しみじみ思い出しているかのような口調で話してくれた。
「今はもう魔力も衰えていますので、殿下の御側に仕えさせて頂くのが精いっぱいなのですが」
と、御者台の老人は笑っていた。
はなれに着くと、ルルとシュリクがいささかふくれた様子で待っていた。
「剣士様、私だけ、はみごですか?」
「ルル、今日は新居を見ただけですよ。私たちがついていったのは強引に剣士様にお願いしたからで、誘われたわけではありません」
フリーダが説明してくれたものの、ルルは納得していない感じ。
「あそこだろ? 前グルガン卿が住んでた館」
「グルガン卿?」
ゲルンが尋ねると、
「グルガン卿はまだ剣士様が来られる前に亡くなられた魔術剣士の方です」
とフリーダが説明した。
「確かにまだ清掃は入ったなかった感じだったが、そこまで古い感じではなかったが?」
とゲルンが重ねて問うと、
「ああ、それは年に一~二度、殿下が清掃されてて、別荘のように使っていたこともありましたから」と教えてくれた。
「それでさ、私も遊びに行っていいよね?」とルルが言うと、
「おいらも行きたい」
などとシュリクが手を上げる。
「おまえらもか」
と少し頭を抱えるゲルン。
「ルルはいいけど、おまえはニレにちょっかいかけそうだからダメだ」
ゲルンに言われて、シュリクは
「そんなあ」
と言いながら、羊の蹄で周りをジタバタと走り回っていた。
夜になった。
しばらくはまだこの宮殿のはなれで暮らすため、ゲルンはニレを抱えて就寝しようとしていた。
「ニレ、そう言えば少し気になったのだが」と言って、ニレに話をする。
「答えられる限りでかまわないんだが、おまえの父親はどうなったんだ?」
「父親?」
眠そうな声で、聞き直す。
「ナイラーガの件でもあまり覚えていないようだったが、おまえの父親については、ナイラーガは何か言ってなかったのか?」
「わかりません。私にお父さんの記憶はないです」
そう言ったあと、しばらく考えていると、ニレはいつものように安らかな寝息を立てて、眠り込んでしまった。
もう永久にわからないかもしれないけど、ナイラーガはどういう気持ちで宝玉をニレに託したのか。
そして、ニレの父親とはどういう経緯で知り合ったのか。
ニレの父親はまだ生きているのか、死別したのか。
そして、ナイラーガと、あの曲芸団との関係。
そういったことを一つ一つ頭に浮かべながら、ゲルンも眠りについていった。
夢の中。
ニレは誰かが眠っている自分を見ている気がした。
「だれ?」
ニレは身を起こし、周囲を見る。
これは夢の中だ...そういう意識はあったのだが、誰かが呼んでいる妙な感じは、やけに生々しかった。
周囲は真っ暗闇の中、自分が眠っていた寝台だけが目に入る。
だがそこにはゲルンの姿はなく、自分だけがその寝台に身を起こして腰かけている。
「ニレ...ニレ...」
そうだ、声は自分の名前を呼んでいるのだ。
「ニレ...ようやく枷が外れたか」
「ニレ...あるべきところに戻れ」
「ニレ...おまえ自身を燃え上がらせよ」
「ニレ...浄化せよ」
などと、自分の名前の後にいろいろな文言をつけてくるのだが、さっぱり意味がわからない
だが、次の一言がニレの胸の中に刺さった。
「ニレ...ナイラーガの守りは解けた」
ナイラーガ、という名前が出てきて、ニレはハッとして、意識が戻っていくような感覚になる。
これは夢の中だ、という意識はあるのに、まるで目が覚めるかのような強い言葉。
急に恐ろしくなって、
「ご主人様、剣士様、ゲルン様、助けて」
と叫んでしまった。
そこで意識はとだえ、闇がぐるぐる渦巻き、その中に自分を溶かし込んでいくような感覚になる。
うっすらと目をあけると、もう朝だった。
心配そうにゲルンが自分の顔を覗き込んでいる。
「どうした? 大丈夫か? 朝方、ひどくうなされていたが」
と言ってくれる。
「え...わたし?」
気が付くと、全身汗びっしょりで、寝衣が水を被ったみたいに濡れている。
ゲルンが手を肩に優しく置いて、
「どうした? 悪い夢でも見たのか?」と聞いてくれる。
ニレは「はい」と頷いたものの、それ以上は話せない。
その様子を見てゲルンは無理に聞こうとはせず、汗まみれのからだを柔らかく抱きしめた。
「おまえ生まれてから辛いことばかりだった。そんなこともあるさ。だが、今は俺がいる。側にいる。だから頼れ。頼ってくれ」
そう言われて、ニレの瞳に涙があふれてきた。
「言いたくなければ言わなくていい、しかし本当にどうしようもなくなったら」
こう言いかけたゲルンを止めて、
「言いたくないなんてことではありません。でもうまく説明できなくて」
しばらく頭で見たことをまとめようとしたが、うまくできない。
「誰かが私を呼んでいたんです。ニレ、ニレ、って」
ゲルンに抱きしめられたまま、ニレが覚えている断片だけをポツリポツリと言う。
「枷が外れた、とか、浄化しろ、とか」
ここに来てゲルンも、ただの悪夢ではない可能性に行きついた。
「そして、ナイラーガの守りが解けたとか。私、言われていることがわからなくて」
ゲルンはニレの汗まみれのからだを抱きしめながら、ニレが落ち着くのを待っていた。
「少し湯浴みしよう。衣装も着替えてな」
そう言って、浴室へと送り出した。
一緒に来てほしい、と言うニレに対して、
「ずっと戸の前にいてやるから、簡単に体だけでも、湯で拭いてきなさい」
と言って浴室に入れる。
しばらくして、肌着を着替えてきたニレは、かなり落ち着いていた。
「こんなことは初めてか?」
「はい」
その答えを聞いて、ニレに部屋着を着せていくゲルン。
「ただの夢かもしれない。いろんなことが終わって、それらの記憶が混ざりあって、おまえの上に不安が落ちてきたのかもしれない」
頭を拭いてやりながら続けた。
「だが、それ以外のことも考えておいてやる。心配するな。何かあったら、些細なこと、つまらないと思えることでも、私に報告しろ」
かなり伸びてきた頭髪を拭き終えると、
「大丈夫だ。私がいる。安心しろ」
と言って頭を抱きしめてやる。
するとニレも手を伸ばしてゲルンの胸にあて、
「はい、はい」
と小さく頷いていた。




