【5】 捕囚
惑いの森。
ペスターたちが根城にするこの森は、かつて地域住民たちにこう呼ばれていた。
しかし、隣接する住民の数も減り、今ではその名の言われ、あるいはそこに何があるのか、などはほとんど忘れ去られている。
ところどころにある大きな古木の洞、木の茂みが途切れたところにできる『妖精の踊り場』、あるいは洞窟。
だが全体は高い木々と濃い緑に覆われた、ほとんど全体が黒い森、そんな森だった。
森の奥深く、巨木の一つ、樹齢千年は越えようかと言う巨大な古木に、ペスターの庵があった。
街道から森に入った二つの影が、毛布に包まれた荷物を担いでその庵に飛び込んでくる。
「うまくやれたようだな」
庵の奥深くで待っていたペスターが、のっそりと現れる。
彼の目の前には、二人の人影があり、大きな毛布に包まれた何かを担いでいた。
だがペスターが声をかけたのは、この二つの人影ではなく、彼らの足元、膝程度の高さで動いている魔物だった。
「でも、追ってくるよ」
そのひざ下程度の小さなものが、甲高い声で答える。
それはキノコだった。
赤緑の頭部、笠の部分に白っぽい胴体、そしてそこから胞子のように伸びている細い手足。
人影の片方の足首にしがみついていたが、庵に到着して、ピョンと飛び降りる。
そのはずみに白い胞子が周囲に少し飛び散り、キャラバン隊の不寝番達を眠らせた甘い香りが漏れる。
ペスターがのろのろと庵を出てきて、二人の人影が毛布で包まれたものを抱えてついてくる。
庵の前には、既に何体かの魔物が集まっていた。
ペスターと毛布の塊を見つけて、巨大なカエルの魔物が近寄ってくる。
「ペスター、ペスター、魔女姫つかまえた? おいしそうな臭い」
ペスターはそれには答えず、毛布を解いて。その中からキノコの眠香で意識を失っているブレンダを引きずり出す。
「カスパー!」ペスターがこう叫ぶと、庵の古木を背景にして、青い人影が現われる。
全身が緑で、人の成人ほどの身体だったが、ひょろ長く、骨が通っているようには見えないゆらゆらと揺れるカラダ、キノコと同じく細い腕。
そのカスパーと呼ばれた魔物に、ペスターが命じる。
「こいつを吊るせ、そして固定して逃がすな」と。
カスパーは声を発することなく、全身から緑の蔓草を生やして、ブレンダを包み込む。
そして両腕にからみつき、上へつるし上げて、庵のあった古木の幹から吊るしていく。
腕を吊るした数本の蔓草に続き、今度は茶褐色の蔓草がブレンダのカラダを支え、古木の幹に張り付けるようにして縛り上げ、包み込んでいく。
「アンネルル、薬箱をもってこい」
ペスターの近くに、カスパーとよく似た、しかしはるかに人間に近い姿をした緑の少女がやってきて、薬瓶の入った木箱をペスターに渡す。
ペスターがそこから小さな瓶を取り出し、綿片に少ししみこませて、ブレンダの鼻先に近付ける。
「う...うん...む...」
くぐもった吐息を出しながら、ブレンダが意識を少しずつ取り戻していく。
ブレンダは最初ぼんやりした意識だったが、少しずつ周囲の状況が見えてきた。
暗がりの中、何か得体の知れない者が周囲にいて、それが人ならざる怪物であることがわかってきた。
「ひっ」
最初、息をのむように声を出したが、囚われの状況下で叫び声を出すまでには至らなかった。
頭の中で徐々に自分が攫われていること、周囲に魔物がいることを理解し始めていると、一人の背の高い男が近づいてくる。
男の周囲には、蛍のような光源がさまよっていて、夜の森ではあっても、姿が識別できる程度には明るい。
ペスターはブレンダの髪をつかみ、顔を上向かせる。
浮遊する光源を近づけさせて、その顔を観察しているようだ。
漆黒の髪、少し青みが乗った黒い瞳、輝くような褐色の肌、整った目鼻。
「良い女だ」
ようやく言葉が聞けた。
しかも、ブレンダでも理解できる共通語だ。
「あなたは、誰? 私をさらってどういうつもり?」
「黙れ」
それに対するペスターの言葉は、低く、冷たい響きだった。
「ペスター、ペスター、食べたいよ、かじりたいよ、血を吸いたいよ」
ペスターの周囲にいる魔物たちが声を上げた。
巨大な苔に覆われた緑の巨人モートン、人ほどの高さがあるカエルのスタッチ、光源となって周囲に浮遊する蛍のオージェル、などなど。
「まぁ待て、こいつの魔術刻印を抜いてからだ」
そう言って、ペスターは片方の手で髪をつかみ、あいたほうの手で頭頂部からゆっくりと指でなぞっていく。
額、頬、顎、頸部、鎖骨...。
「やめて、触らないで」
思わず声を上げたブレンダ。
しかしその言葉が発し終わるや否や、ペスターがその頬を張り飛ばす。
「黙れ、と言ったはずだ」
ペスターの瞳に、強い攻撃的な光が宿り、ブレンダは声を失ってしまう。
続けようとしたペスターだったが、後ろでスタッチが声を上げる。
「ペスター、早く食わせて、生意気な女、大好き、食わせて」
ペスターは髪をつかんだまま振り返り、
「おまえも少しくらい待て。魔女姫の肉体は食わせてやるが、魔術刻印は俺がいただく、そう言ったはずだ」
ペスターの声が強かったので、スタッチはあっさりと引き下がった。
「うん、待つよ、ペスター、だから早くして」
ペスターは再びブレンダに向き直り、
「おまえはどこに刻印を隠しているんだろうな」
と言いつつ、指を下におろしていく。
ブレンダの寝衣の上、胸部を通り、下腹部に来た時、ペスターの指がピタリとまる。
「ここか」
そう言って、つかんでいた髪を離し、ペスターはしゃがみこむ。
身動きできないように蔓草で吊るされ、縛り上げられ、指が寝衣の上からとは言え、カラダの上を這わされた恐怖と屈辱に耐えているブレンダ。
顔は紅潮し、瞼は強く閉じられてはいたが、頭の中では仲間たちに連絡ができないか、必死で考えている。
「おまえの魔術刻印は何だ」
再び髪をつかみ上げて、ペスターがブレンダに問う。
「魔術刻印?」
ブレンダがその言葉を繰り返すと、ペスターは舌打ちしながら、
「おまえの刻印の種類と、読出しのコードだ」
と言って、ペスターがブレンダの瞳を睨み付ける。
この男は何を言ってるの?
私に魔術刻印?
そんなものは聞いたことがない。
何か勘違い、人違いしているのでは...。
だがそれを言っていいものかどうか。
自分を攫ってきて、しかも対応は極めて暴力的。
加えて周囲には自分を「食いたい」と言っている魔物がいる。
たぶんそれは文字通りの意味、人が魚や獣肉を食べるように、食物として「食べたい」と言っているのだろう。
どういったものか躊躇していると、
「お前の中に魔術刻印があるってのは、わかってるんだ、今確認もしたからな。だから正直に言った方が、痛い目をしなくてすむぜ」
とペスターが言う。
それでもしばらく沈黙が続くと、ペスターは痺れをきらして、片方の手を指を、広げてブレンダの顔の前に出す。
五本の指の先端が、青白く光り始めている。
「お姫様はだんまりのようだ。なので今からこいつの腹を割く。オージェル、飛び散る血はお前たちが飲んでもいいぜ」
周囲に飛んでいた小さな光源、蛍のような彼らが、嬉しそうに乱舞し始める。
「まず、叫ばれると鬱陶しいから、喉をつぶしてからやるか」
そう言ったとき、キノコのイゴンが、ペスターに御注進する。
「だめだ、ペスター、追手が来たよ」
フーゴ達四人が森の中を進んでいく。
戦闘にはエレオノーラが立ち、パスカラが影法師に放った蜘蛛の糸をたどっている。
「どうやら連中、蜘蛛の糸には気づいてないみたいだ」
エレオノーラがほくそ笑むが
「しかし急がねば。姫が何をされているか」
とブルーノが心配気に言い、フーゴに魔剣の準備をさせる。
「街道から来たのではなく、この森の中に逃げ込んだっていうのは、人じゃないかもしれない」
ブルーノの言葉を聞いて、フーゴが了解し、魔剣バルドゥングを鞘ごと胸に抱き寄せた。
「だが、陽動の可能性は?」
殿につけていたジャックがブルーノに問う。
だがそれには先頭のエレオノーラが答えた。
「ラーベフラムが残っているから大丈夫だろう。もし何かあれば合図がくるはずだし」
しばらくして、森の中から仄かに光が漏れてきた。
「あれか?」
フーゴが見つけると、ジャックが
「間違いねえ、ブルーノの言う通りだ。人ならざるものが集ってる」
「気づかれないよう近づこう」
エレオノーラが小声で後ろの三人に言うが、ジャックが
「だめだ、急がないと、姫が吊るされている」
この言葉を聞くや、フーゴがつっこんで行った。
今まさにブレンダの喉をつぶそうとしていたペスターだったが、イゴンの報告を受けて中断し、急ぎ迎撃態勢を指示する。
彼はブレンダを運んできた二つの影法師に向かい、
「おまえらの役目はすんだ」
と言って、指をパチンとはじく。
するとその影法師は、吊糸をなくした人形芝居の人形のように、バタリとその場に倒れる。
オージェルの光の中で、ブレンダはその二人の顔を見た。
グント! ゴトラ!
ブレンダを眠香の中から盗み出したのは、中継地点の仲間、グントとゴトラの老夫婦だった。
「カスパー、包め!」
ペスターがカスパーに命じると、ブレンダを吊っていた蔓草が緩み、彼女のカラダを地面につけた。
しかしそれと同時に無数の蔓草が彼女のカラダを包まんと迫ってくる。
目の前にブレンダが吊るされているのを見て、フーゴが全速力で切り込む。
既に鞘は投げ捨てられ、魔剣バルドゥングがブレンダを包み込もうとしていた蔓草を切り捨てる。
だが反動でブレンダの身体が転がり出てしまった。
立ち上がってフーゴの元に戻ろうとするブレンダ、そちらに向かって手を伸ばしながら駆けてくるフーゴ。
「アンネルル、迷い霧だ!」ペスターの声が暗闇に響く。
すると今まで見えていた森の風景が、ぐにゃりと歪み、遠ざかって行く。
ブレンダの姿が消えかかるのを見て、フーゴは彼女にブルー・ヴォルトを鞘ごと投げた。
「ブレンダ様、ブルー・ヴォルトを!」
ブルーノが打ち、魔剣としてブレンダの御神刀としたブルー・ヴォルト。
フーゴはブレンダに届かない、と判断してそれを投げ込んだのだ。
しかしブレンダがそれをつかむや否や、彼女の姿もろとも、闇の中に飲まれてしまった。
「モートン、スタッチ、あいつらを殺せ」
闇の中でペスターの声が響く。
エレオノーラは剣を抜いて腰をかがめ、地面に這いつくばる。
フーゴが切り込む一瞬、ブレンダの周りに巨大な影を見ていたからだ。
加えて、あの眠香のことも気になっていた。
戦闘力の低いジャックは木陰に隠れ状況を見つめている。
ブルーノは聖剣を抱えながら、声のする方を折っていった。
ブルーノも、フーゴやエレオノーラに比べると戦闘力がそれほど高いわけではなかったが、魔物相手ならこの聖剣が力を発揮するかもしれない。
そう思い、声のする方向に迫っていく。