【2】 朝食
ストレボーンの町、二日目、早朝。
空は白みかけていたが、太陽はまだ顔を見せていない。
昨晩が早く寝すぎたこともあり、ゲルンは男部屋で目を覚ました。
見るとメルシュも既に起き始めていて、
「どうも年を取ると、朝が早くなってしまいます」
などと言って、着替え始めている。
ゲルンは自分の傍らで、まだ熟睡しているニレを見て、
「まだこちらはたっぷり睡眠時間が必要な年頃だな」
などと呟いている。
ザックハーは、と見ると、ベッドはあてがわれていたのにも関わらず、部屋の隅で蹲るようにして眠っている。
「あっしはこういうふかふかの寝床は少し苦手で」
などと昨晩言っていたことを思い出したが、本当に部屋の隅で寝ているとは思わなかった。
ともかく三日ぶりに四肢を伸ばして熟睡できたので、すっかり疲れもとれ、頭もクリアに動き出している。
「二泊三日で宿をとられましたので、今日はまだここに滞在の予定ですね?」
メルシュがそう聞いてきたので、
「そうだな、昨日コートブルクに着いてから『山』に連絡しよう、と言ったが、移動の時間差を考えて、今日のうちにしてしまうつもりだ」
ゲルンはそう言って、少し伸びかけたニレの髪を触れるか触れないかの位置で軽くいじりながら
「昨日のうちにかなり距離は稼げたし、トルカ達もいるから追撃されても大丈夫だろう」
そう言うと、着替えを終えたメルシュが近寄ってきて、
「少し髪も伸びてきましたな」
とニレの短髪頭を眺めている。
丸刈りにしてから一か月と少し。
まだまだ短髪という状態にすらなっていないが、奴隷商で見つけた時の、鳥の巣が頭に乗っていたような状態からは脱している。
「綺麗な黒髪だ。害虫がついていたとは言え強引に刈ってしまったからな。フリーダに頼んで、伸びてきたら綺麗に結えるようにしてもらおう」
ニレはゲルンの手の下で、まだ幼い寝息を立てていた。
徐々に光が強くなっていく朝の中で、ぼんやりと寛いでいると、まずザックハーが起き出した。
「こ、これは。剣士様より遅くまで寝入ってしまって」
などと妙な恐縮をしている。
さらにしばらくすると、隣の女部屋でも物音が聞こえだし、トルカ達が目覚めたことがわかった。
ゲルンも着替えを終えて待っていると、ノックの音が聞こえ、トルカ達がやってくる。
「おはようございます、剣士様」
こう言って、それぞれ卓の周りに座り込んだ。
「ニレちゃんはまだ眠っているのですね」
フリーダがそう言って、顔を覗き込む。
「今もメルシュと話してたんだが、この娘の髪が伸びたらおまえが結って、手入れをしてくれないだろうか」
ゲルンに言われてフリーダがニッコリと微笑んだ。
「喜んでやらせていただきます。でもあと半年は待たないといけないかもしれませんね」
「そうだな」
そう言って、二人で優しくその眠り姫を見ていた。
「さて、朝食の前に、今日の予定だ」
そう切り出して、ゲルンは全員に『山』と連絡を取ることを伝えた。
「なるほど、コートブルクで船を待ちながら交戦、なんてことになると少し面倒ですしね」
ルルがそう言って、頷いている。
「ニレの顔も、ベルカに見せておきたいので、連絡は朝食後にする」
そう言って、ゲルンがしめくくった。
ニレがようやく目覚めて、全員が部屋に揃っているのを見て、少し恥ずかしそうにする。
「その...疲れて眠りこんじゃって...」
ゲルンがニレを持ち上げて膝の上に乗せ、
「ニレの歳だといっぱい睡眠をとることもすごく大切だ。恥ずかしがらないでいいよ」
と言って、特に汚れていたわけではなかったが、いつものように布で顔を拭いてやる。
嬉しそうにされるがままにしているニレを見て
「良く見ると、すごく可愛いね」
とトルカが言う。
「ニレちゃん、これからは私もあなたのお世話をするからよろしくね」
とフリーダが微笑みかける。
ニレがカラダをそらしてゲルンの方を見ると
「この前も行ったが、この三人は私の信頼している仲間だ。おまえも信頼して大丈夫だ」
と言われて、フリーダに向き直り、
「はい、お願いします」
と、小さな声で言う。
「ちぇっ、フリーダ優先かよ。ゲルン様、私も世話していいよね」
と言うトルカに対して、フリーダの冷たい一言。
「あなた達がすると粗暴さが移らないか心配だわ」
「なにおうっ!」とトルカ。
「あなた『達』ってどういうことだ、フリーダ」とルル。
「そういうところなのですよ」
フリーダは意に介さずニレの方を向いて
「あの二人は狂暴で下品だけど、戦いになると頼りになるので、嫌わないであげてね」
「フリーダ、てめえ、ケンカ売ってんのか」
立ち上がったルルを見て、ゲルンが仲介に入った。
このやりとりを見て目を白黒させていたニレだったが、ようやく彼らの関係性がわかってきて、初対面の時ほどには驚かなかった。
「はい、皆さん、面倒かけますけど、よろしくお願いします」
と、ゲルンの膝の上で、微笑んだ。
「このフリーダは髪を結うのが得意なんだ。おまえの髪が伸びてきたら、綺麗にしてくれるはずだよ」
ゲルンが優しく頭を撫でながらこう言うと、
「はい...でも、ご主人様から引き離さないでほしいです」
と、少し不安げに言った。
それを聞いてフリーダが、少し悪そうな笑みを浮かべて
「そういうことでしたら、ニレちゃんのお相手は、常に剣士様のいるところでしましょうね」
と、いたずらっぽくゲルンを見る。
「あ、ああ、そうしてやってくれ」と、ゲルン。
フリーダがその悪そうな、美しい笑顔のまま、トルカとルルをちらりと流し見たので、二人の頭に相当血が上っている。
「トルカとルルも、ニレが奪われないように頼むぞ」
この空気を見て、ゲルンもなんとか助け船を出してみた。
「はい! はい! 私もいつも剣士様の側にいますね」
とトルカは喜んでいるのだが、ルルは面白くなさそうに、フリーダを睨みつけている。
宿屋の朝食は、男部屋でとることにした。
あっさりとした芋と穀物類、それに朝採れの野草などを添えて、ミルクもついた。
そこにゲルンが魚料理をリクエストして、ニレの膳に一皿加える。
「ご主人様」
ニレはそう言って嬉しそうにゲルンを見て、満面の笑顔。
「しっかり食べるんだ」
その言葉を受けて、ニレは椀を口につけ、料理をほおばり始める。
「私も追加、いいかな?」
と言って、ルルがゲルンを見て許可をとったあと、獣肉を焼いたものを所望した。
「まぁ。朝から肉だなんて」
とフリーダが少し顔をしかめるが、
「いいじゃないか。貴族の園遊会でもないんだから、スタミナがつくものを食べていいぞ」
とゲルンが宥める。
「へっへー」
と言って、フリーダを得意げに見るルル。
「それじゃあっしも肉料理を一品もらえますかな」
とザックハーが部屋に料理を運んできた給仕の男に言う。
「私は白パンがほしいです」とフリーダ。
「私はニレちゃんが食べてる焼き魚を食べてみたいなぁ」とトルカ。
それぞれが自分の好みの追加。
昨晩食べていなかったこともあって、一同たっぷり時間をかけて、朝とは思えないほどたくさんの量を詰め込んでいった。
朝食を終えて一息ついた頃、いよいよ連絡となる。
さすがに水盤は大きすぎてもってこなかったため、宿に頼んで大きめの陶器水盤を借りてくる。
卓の上にそれを置いて水を張り、白い石を沈め、ゲルンが詠唱する。
トネリコの枝を水中に差し入れ、石と接したところで、水盤に絵が映る。
「漆黒の剣士様、御無事でしたか。トルカ達とは合流できましたか?」
前回同様、紫色の瞳を持つベルカが映り、応対する。
「ああ、なんとか合流できた。しかし宝玉の娘を狙う一味と交戦になっている」
ゲルンが応答する。
「そこで、コートブルクから海路で向かいたいので、ベルトルドに迎えをお願いしたい」
「ベルトルド? ということは、コートブルクで待機しておけばよいのですか?」
「そうだ。コートブルクまではなんとかこのメンバーで切り抜けていく」
「わかりました。ベルトルドと魔王さまに報告し、許可がおり次第ベルトルドをコートブルクへ向かわせます」
するとゲルンの後ろから、トルカが身を乗り出してきて
「ベルカー、あたし、あたし」
そしてニレをぐい、と水盤の前に出してきて
「宝玉の娘、ニレちゃんでーす」
と言って、強引に顔を出させる。
ニレが驚いてしまい、声を失っていると、フリーダがトルカを押しのけて、
「ベルカさん、ごめんなさい。粗暴な山猿がいきなり」
「ムカー」後ろからフリーダに殴りかかろうとするトルカをメルシュが笑いながら抑えている。
「ニレちゃんの顔を見せておいた方が良い、と言う剣士さまのご判断です」
そう言って、フリーダはニレと一緒に水盤に映り、微笑んだ。
「あらまぁ」
と、ベルカも笑いながら
「わかりました。ニレさん、ベルカと言います。『山』の方でお待ちしておりますね」
そう言ってにっこり微笑み、通信が終了した。
その間、トルカとフリーダが取っ組み合いになりかけていたが、ゲルンとメルシュが二人を押さえつけていた。