【1】 奴隷市場
夕闇迫るギデオの町。
年に一度の夏祭りの中、立ち並ぶ市では人々でごった返していた。
その一角にある奴隷市場も例外ではなく、各種急造小屋やテントなども張り巡らされ、鎖につながれた奴隷が売られていた。
ギデオの町はこの近在では随一の人口を誇るため、商売の規模も大きく、奴隷の数も多い。
市目当てにイベントとして参加しているところや、常設の奴隷販売処、などもこの一角を形成している。
奴隷は主として労奴で、若く健康な男に高値が付くが、用途によっては女の労奴、小柄な者、子どもの労奴なども売られている。
それぞれの小屋やテントに、急造のショーケースが出され、そこに奴隷が繋がれ、それを見る人達もかなりの数になっている。
そんな中、全身を黒衣に包み、顔までも深いフードで隠した二人連れの人影が、店を物色していた。
夕方と言うこともあり、この祭りにはふさわしくない二人組も夕闇の中に溶けこむため、人の目はひかない。
だがもしその二人を観察する者があれば、片方の人物がなにやらしきりに右手の中のペンダントを眺めながら、店を回っていることに気づいただろう。
そのペンダントには、大きな赤い宝玉がはめ込まれていた。
「剣士様、いかがですか?」
後ろにいた人物が、ペンダントを握る男に小声で尋ねる。
「反応がない...どうやら表には出されていないのかもしれない」
二人連れはそう言って、あるショーケースの前に立ち止まる。
「ここですか?」
背後の男が尋ねるが、そこは労奴ではなく、性奴隷を売っている店だった。
ショーケースの向こうは、妙齢の女性たちがシナを作って買われるのを待っている。
だが同時に、怯えて片隅に蹲っている少女もいる。
労奴売り場とはかなり空気が違っており、他の客たちも、ほぼ青年から壮年の男に限られている。
「いや、表には出されていないようなので、ひょっとしたらバックヤードかもしれない」
奴隷商と交渉した後、彼の後についてバックヤードに入っていく黒衣の二人。
二人を案内する奴隷商があまり乗り気ではない顔で解説する。
「ここにはキズモノや、まだ躾のすんでない奴隷を置いてるんですが、正直価値のある者なんていやせんぜ」
そう言って、ランタンをかざしながら地下に設けられた隔離所を歩いていく。
檻の中には反抗的に彼らを睨みつける者、怯えて隅っこで震えている者などが見て取れる。
奥に進むに従って、怪我人の数が増え、やがて重傷者の檻になり、最後には瀕死同様になり動かない者が集められていた。
「こいつらは売れないでしょ? なんで生かしてるんで?」
後方にいた黒衣の男が奴隷商に尋ねる。
「いやぁ、錬金術師がときどき買いに来るんですよ、生き胆を使うとかで」
なるほど、臓器売買用か、と思い聞いていると、
「瀕死の個体でもガキや若い女の生き胆、心臓なんかは売れることもありますから」
そう言われて見てみると、瀕死組の中に成人の男はいなかった。
たぶん、それらは早い段階で処分されてしまうのだろう。
「旦那方も、錬金術の方々で?」
と奴隷商が聞いてきたので、後方の男が
「まぁ、そんなところだ」
と答えている。
最奥部の檻の前でペンダントを握る男が、その赤い石を見つめ、そして視線を檻の中の、ある一角に注ぐ。
「あれだ」
そう言って、奥に見えた布の塊を指さした。
「あれですかい?」
奴隷商が少し呆れたような声を出して檻の鍵を開け、近寄っていく。
檻が開けられたというのに、その最奥部では誰も逃げ出そうとしない。
もはや生きる気力もなく、カラダさえ動かせなくなっているようだ。
奴隷商はペンダントの男が指さした布の塊に近づき、よいしょ、と抱え上げる。
布の間から足首が零れ落ちるのが見えて、ようやくその襤褸布の塊が人間を覆っていたことが分かった。
「それじゃ、上で手続きをしますんで」
と奴隷商がそれを抱え上げ、檻を閉めて一階に戻っていった。
事務用に設けられたと思しき一階の一室で、奴隷商がソファの上にその襤褸布を解く。
中から出てきたのは子ども...の死体のように見えた。
だがうっすらと息はしており、生きてはいるものの、もう数日のうちに死体になりそうな状態だった。
ペンダントの男が近寄って息を確認して、手続きのテーブルにつく。
「旦那は運が良かった。もう明日にでも処分しようと思ってたんでさ。こいつ、病気になってて、他の錬金術師の方々も否定的だったもんで」
「そうだな、我々は生きたまま欲しかった。死んでたら用なしだ」
卓についた男は、交渉に入ろうとするが、
「銅貨7枚ってとこでけっこうでさ」
と言って投げやりに言うと、黒衣の男は「ふむ」と言って、しばらく考える様子。
それを見て(瀕死の個体に値段をつける気か?)と言う拒絶意志に見えたため、
「いや、こんな処分前の品物だ、銅貨5枚でどうですかね」
と譲歩する。
しばらく考えていた黒衣の男が
「こいつの歳と名前は?」
と聞くと、奴隷商は困ったように、
「いやぁ、それがこいつ、この国の言葉が通じないみたいなんでさ、歳はたぶん6歳以上、10歳以下ってとこかと」
と、手元のメモを束ねたものを見ながら言う。
黒衣の男が奴隷商に視点を移して、呟くように言った。
「では、金貨一枚出す」
奴隷商は「は?」と言う顔になり、驚いて男の目を見つめる。
「ただし、この子どもに関するそこの記録を全てこちらによこすこと、この奴隷について全て忘れること、そして呪符をおまえ自身の手で解くこと」
こう言われて、奴隷商は、我に返った。
「へへ、旦那にはかなわねえな。ようがす。それでけっこうでさ」
そう言って、紙束の中からその子供についての記録を全て渡し、解呪の準備をする。
「うちはそこいらの悪徳業者じゃねえから、売ったあとに難癖つけたりしませんぜ」
と言いながら、その子どもの額に薄く香油を塗り、詠唱する。
「え...あぐっ...う......あう」
苦しげに、うめくように、その皮と骨だけになった子どもが声を上げて、身もだえる。
見れは見るほど悲惨な状態だ。
首から下は、胴体と言うより、枯れ木かなにかのように固く萎んでおり、胸にはアバラが浮いている。
四肢は人間の肉体というより、枯れ枝のような骨が付いているだけの状態。
かろうじて顔だけが、人の子の顔、と言うのが判別できる程度。
儀式が終わり、子どもの額に宿された呪符が解呪された。
奴隷が逃げ出さないように、主人に反旗を翻さないように、奴隷商は売れるまで、この「服従の呪い」を奴隷に刻印する。
だがそれは魔術的なものなので、術をかけた者が解くと、元の状態になる。
奴隷の売買においては、この解呪と新たな主人による「服従の呪い」の再刻印が必須なのだが、黒衣の男は念のため、目の前でやらせたのだ。
そして、次は男の番。
ぐったりとなったその子供の額に、詠唱し、刻印する。
続いて、喉にもう一度刻印し、自らの指先を少し切って、血を垂らす。
奴隷商が聞いたこともないような言葉で何かを唱えると、子どもは再び深く、苦し気にうなり声をあげ、失神する。
「旦那の魔術は見たことがありませんが、そりゃいったい」
男は人差し指を上に向けて、ゆっくりと振る。
「詮索も無用だ。今日ここで起こったことは、全て忘れること」
そう言って、卓上に金貨を一枚置いて、影が走り去るようにその奴隷商の店から立ち去って行った。
時刻は既に深夜となった。
ギデオの町から少し離れた郊外の農地、そこの離れに二人の男が布包みを抱えて帰ってくる。
灯りをともし、湯を沸かせて、その合間に布包みから棒切れのようになった死にかけ奴隷を藁敷きの上に下ろし、布をはぎ取る。
「ゲルン様、食事を先に与えますか?」
従者メルシュが黒衣の主人ゲルンに問うと、
「いや、たぶん消化器官が機能していないだろうから、煮込んだスープからだ」
そう言ってゲルンは風呂用に沸かした湯とは別に、薬草を小鍋に入れて煮込んでいる。
湯で絞ったタオルを持ってきて、奴隷の顔を拭くと、本来の地肌が少し現れる。
幼い顔立ちながら、綺麗に整った目鼻、柔らかく丸い頬の輪郭などが見えてくる。
だがゲルンは「ち」と舌打ちして鋏を取り出し、少女の髪を刈っていく。
「ゲルン様、髪を剃るのですか?」
メルシュがこう尋ねると、
「ああ、髪がひどいことになっている。ダニと虫の巣窟だ」
そう言って髪を切り、水で濡らして剃っていくが、少女は目覚めているのにまったく反応ができない。
それほどまでに体力が落ちていて、手を上げることも、身を起こすことさえできない。
やがてメルシュが小さな椀に野菜を煮込んだスープをもってきた。
ゲルンがその椀を受け取り、さました後に少女の口にあてる。
すると少女はありったけの力でその椀に口をつけ、飲み込んでいった。
「食欲はなんとかあるようだ」
吐き戻さないようゆっくりと野菜スープを飲ませた後は、少量の肉汁を飲ませてみた。
獣脂は胃腸に負担をかけるかもしれないので少し不安だったが、なんとか飲み干せた。
しっかりと胃に届き、反応するまで時間を待って、その後、盥に湯を張った。
そしてカラダを覆っていた襤褸布をはぎ取り、ゆっくりと少女の身体を湯につけていく。
四肢を動かすことも、身体をそらすこともできないため、不安な目でゲルンを見てくる。
やがて首までつけると、湯が体温にいきわたるまで少し待って、さきほどの煮込んだ薬湯を足の方から注いでいく。
少ししみるのか「うっ...あっ...」と声を漏らす少女。
ゲルンは薬湯をしみこませるように、左腕で体を支え、右腕で肩、背中、腿、などに軽く揉みながらすりこんでいく。
「なんて萎れたカラダだ」
ゲルンは揉みこみながら思わず声をもらしてしまった。
肉がまったく感じられない。
骨と皮だけ、と言うより、首の下に枯れ木の人形がついているような感覚だった。
刷り込んでいくと、垢や瘡蓋がはがれていく。
だが最初のしみこみに慣れてくると、少女は湯が気持ち良いのか、瞼を閉じて安らかな顏になっていく。
十分温まったことを確認して引き上げ、タオルで全身を包み込むと、水気を取り除いて敷藁の上に乗せた。
しまってあった膏薬を取り出し、全身に塗り込んでいく。
衣服もまったくない全裸だったため、納屋から襤褸布をメルシュに持ってこさせて全身を包み、休ませる。
息は弱く、まだ完治には程遠いが、危険水域は脱したようだった。
「明日は粥を食べさせてみよう」
そう言って、二人は遅すぎる睡眠をとった。