4【二月十九日 月曜日 午前十一時五十六分】
「ありがとうございました」という店員の声と共にコンビニを出た。
相変わらず外の風は冷たい。
しばらく歩いてから、何か温かいものを買えばよかったと少しの後悔をした。その矢先に、あることを思い出す。
「あ、そういや飲み物買い忘れた」
ちょうど五十メートル程先に白の自販機が見えた。そこで温かいコーヒーでも買おう。
十数秒ほど歩いて自販機の前に立つ。
財布から500円玉を取り出して投入口に入れる。
コーヒーのボタンを押そうとして手を伸ばすが、おしるこが目に止まった。
逡巡する。
おしるこの方に手を伸ばしてまた迷う。
同時押しするか。
ピッと音が鳴ってガコンと落ちてくる。取り出し口に手を入れて取ろうとする。そこで違和感を覚えた。
冷たいのだ。
慌てて取り出して確認するとコーヒーだった。おかしいと思って顔を自販機の商品の方に向ける。
どれを押したっけと考えると、間違えて温かいコーヒーではなく冷たいコーヒーを選んでいたことを思い出した。
「やらかした上についてねえな……」
そうボヤきながら会社までの道を辿って行った。
その道の途中で、僕は小野木さんの話を思い返していた。
「わたしの父は、上の指示で殺されたんだ」
その言葉とともに頬が光っていた。
小野木さんが僕の前で初めて泣いた。あの男勝りだった先輩が泣いたのだ。その事実だけでも十二分に驚ける。
だかそれだけでは無い。
小野木さんは懇願するような目をしていた。それはまるで、僕に救ってくれと言わんばかりの。
僕の口からは言葉は出てこなかった。まるで喉が乾ききったかのように口を開いてもそれだけで終わってしまった。その空間はしばらく沈黙が流れていた。
その沈黙を破るかのように小野木さんが言葉を紡いだ。
「ごめん、今のウソ」
そしてニパッと笑って見せた。
そこで僕はようやく言葉を発せた。
「は!?」
はははという笑いとともに小野木さんは続ける。
「すまんな、少し脅かしたくて。まさか絶句するとは思わなんだ」
嘘だ。取り繕ってはいるが、助けてと懇願するあの目は変わっていなかった。
そんな僕の思案など気にせずに小野木さんは続ける。
「今のは忘れてくれ」
「え、本当に嘘なんですか?」
「ああ、全てニュースの通りだよ」
これもきっと嘘だ。だが僕は、「ということは、やはり寿命で……?」と思ってもいないことを口にする。
「そうだよ。あのニュースに偽りはないよ」
あくまで隠そうとしているのなら、僕もそれに従うことにした。
「そうなんですね」
「というか、総理大臣の上ってなんだよって話だと思わないか?」
小野木さんは笑いながら言った。
「たしかにそれはそうですね」
「君は意外と騙されやすいんだな」
返答に困った。
最初の『上に殺された』というのを信じたことに対してなのか、それとも『今のウソ』という言葉を信じたことに対してなのか。そのどちらに対しての『騙されやすい』なのかがわからなかった。
小野木さんの顔を見ると、ひどく悲しそう様子だった。
後者だ。そう確信した。
しかし、それでも返答に困っていた僕は、「変な冗談よしてくださいよ」と笑いながら言うことしかできなかった。
「ごめんって。さあ、説明は終わりだ。だが、まだご飯には少し早いな」
「そうですね……。先週残してるやつがまだ上がってないのでその作業でもしてます」
「そうか。私はもう次の場所に行かないといけないから」
「大変なんですね」
「まあそういう仕事だからな。ああ、あとこれを渡しておく」
そう言って小野木さんはメモ用紙の切れ端を渡して来た。
携帯の番号が書いてあった。
「何かあったらここに連絡してくれ」
「あれ、番号変わったんですね」
「あー、それは業務用のやつ。私用のは前のままだよ」
そうなんですね、と相槌を打ちながらメモ用紙を手帳にしまった。
「それじゃあ解散だ」という小野木さんの声と共に僕は会議室の外へ出た。
その後、先週残していた仕事をしているうちに時間が流れ昼休憩になった。ご飯を持ってきていない僕はコンビニへ弁当を買いに行って、今に至るというわけだ。
助けてと懇願していたあの目は脳裏に鮮明に焼き付いている。ではなぜそれを取り繕おうとしていたのだろう。
僕の頭の中では、既に一つの結論に到達していた。
仮に小野木さんの父親が本当に上の指示殺されたのだとしたら。
「その情報が流れたら、小野木さんが上から殺されるから……なのか?」
尋ねるように言葉を零したがらその道路に歩行人はいないので答えは返って来ない。
だとしたら政府は一体何のためにそんなことをしたんだろう。といよりそもそも、小野木さんが言っていた通り総理大臣の上の組織なんて聞いたことがない。
だがやはり、小野木さんのあの目は嘘とは思えなかった。
上の組織が本当にいたとしても、何のために総理を殺したのだろうか。国民目線で考えると、真野総理は悪い政治ではなかった。というよりもむしろ、国民からの支持率は高かったと思う。
なぜそんな人が上からの支持で殺されてしまったんだろう。
考えてもその問いの答えは出なかった。
刹那、冷たい風が吹いた。
「寒いな……」
僕が零したその声は誰に投げ掛けたものでもなかった。