1【二月十九日 月曜日 午前五時三十六分】
昨日が終わった。
刻々と、僕の命は削れていく。もうあと一週間しか残されていない。腕に巻かれたそれは『0'007』と表示している。これは終年告知式腕時計と言って、通称“寿命メーター”と呼ばれている。今この寿命メーターが示しているのは、僕があと零年と七日の命だということ。
「はあああああ」
途端、大きな溜め息が零れた。別にこれに絶望しているということではない。この寿命メーターは生まれた時から付けられていた。つまり、自分の寿命なんてとうの昔から知っていたのだ。それでもやはり、終わるのかと自覚したら溜め息も出る。
ふと窓を見る。ここ数日は、随分と寒い朝が続いている。空は濁っていた。雪が降っても何らおかしくはない。そんな色の空だった。
机に目をやる。朝食に使ったパンの皿とコーヒーカップが机の上に取り残されている。片付けるか、と考えて数分後にようやく腰を上げた。
カチャカチャと皿のぶつかる音が妙に心地よかった。鼻歌を刻む。
「ほんと、七日後に死ぬなんて思えないな」
そう、言葉を零した。誰かの返事が欲しいという訳でもないが、声が辺りを反響して消えると少し寂しいものを感じる。水道から水の流れる音と皿のぶつかる音は消えずに響いている。
「冷たいな」
その声は他の環境音にかき消される。
洗い物も終わったので再びリビングのソファに腰を下ろした。出勤の時間まで、特にすることもなくなってしまったので呆然としている。
飽きた。
テレビのリモコンを握る。テレビに向ける。ボタンを押す。その動作を二、三回繰り返した。しかし、テレビはつかない。仕方なく立ち上がり、テレビの上のボタンから電源をつけた。
テンポよくチャンネルを回す。朝はどの局もニュース番組ばかりだ。特に面白いものはなかったので、いつも見ているチャンネルに戻した。今日の天気だとか、最近の流行はどうだとか、そんないつも通りのことが放送されている。暫く見ていると、あるニュースが目を突いた。
『終年告知式腕時計により本日をもって逝去なさる真野総理は、午後三時より入棺が行われる予定です』
真野先輩──僕の中学高校時代の部活の二歳上の先輩だった人の父親のニュースだった。真野先輩は部活も同じでかなり良くしてもらった記憶がある。今ではもう会うことはなくなってしまったのだが……。彼女は今はどこでどう暮らしているのだろうか。
『また、総理の生前宣言により、衆議院解散は佐野官房長官に委ねられています』
生前宣言とは、この寿命メーターの装着が国民の義務になったことによって変わった制度の一つだ。因みに、国民の義務の一つに寿命メーターの装着がなったのは三十七年前、僕が生まれる十五年前の話だ。本題に戻ろう。生前宣言を出すと、後の総理の業務を指名した人に一任せることが出来る。とは言ってもかなりの制約があるらしいのだが。
その後、ニュースに見入っていた。やけに時間が過ぎるのが早かったような気がする。自分の死が目前に控えていると、こうも他人の死に敏感になるものなのか。
何分経ったのだろう。それを確認するべく、時計に目をやる。
「げっ」
そんな声を漏らす。早く家を出ないと電車に乗り遅れる時間だった。
急いでマフラーを巻き、手袋をはめる。
ああでも、もうどうせ残りも少ないのなるら少しくらい遅刻したっていいか。
「いや、駄目だろ」
自分に対してツッコミを入れる。玄関に向かってドアノブに手をかけたところで、テレビを切り忘れていることを思い出した。
靴を履いたのは、それから一時間後だった。
ドアノブを捻り、誰もいない部屋に「行ってきます」と声を放つ。もちろん返ってこない、が今は初めて遅刻するという事実によって、今までに無かった緊張感を味わっているせいか、そんなことを気にしていなかった。
外は冷えきった空気と濁った空が支配していた。だが、マフラーを巻いて手袋をしている僕には特に問題はない。駅に向かって歩く。緊張で少し早足になる。アパートの階段を賭け降りる。勢いがつきすぎて少しよろけた。信号を待つ時もどこかそわそわしている自分が居た。それに対して幼いな、という感想を覚えたのは電車に乗った後のことだった。
会社に着く前に空を見上げる。濁っているのに変わりはなかったが、少しだけ光が差し込んでいた。
ようやく、僕の残りの一週間が幕を開ける。