2‐3 変人の足跡 上
①
数人の子供が一人の子供を立ち囲み、罵倒を投げつけていた。中心に位置する子供はムキになって、「サンタさんは居るよ!」と怒鳴って返した。
しかし、怒りをぶつけるほどにクラスメイトの爆笑は大きくなって返ってきて、中心の子供は最後に泣き始め、争いの幕を惨めに下げた。
そんな子供も、小学六年生になった時には、フィンランドにおいて実在するサンタクロースではなく、靴下にプレゼントを入れ込んでくれるサンタクロースを信じていた自分を恥じるようになった。子供はそれを成長だと誇っていた。
しかし、子供の成長は端に過程だったらしい。
趣味に囲まれた部屋の中。勉強机上にノートパソコンを広げ、モニター前でショックの余り項垂れていた。モニターには、『三〇歳まで貞操を死守出来れば魔法を使えるようになるのは嘘』という文字が映し出されていた。子供はマウスを強打し、ヒステリーな様子でタブを全て閉じ切った。
────サンタクロースはいなくても、世界の何処かに魔法はあるだろう。
そう信じ込んでいた子供の夢は砕かれ、それほど変化を遂げていなかったことを知る。むしろ変化を遂げていたのは周囲だった。
「魔法って……無いらしいね」と、クラスメイトへ向けて心から放った子供の言葉は、その日から、軽度ないじめの対象となった。
夢見がちな星都ソラの心へ、初めて現実という苦い味わいが突き刺さった。
「あいつ頭おかしい」「やべぇ奴」「魔法信じてるとかウケる」
軽く阻害され、軽く陰口を叩かれ、軽く孤立られたソラの心は、重く傷ついていった。独りの幻想を多くの者が罵るという──自然発生した多数決に、成す術もなく。ソラは数の正しさによって惨敗した。
────ということは、正しさに負けた自分は悪なのかもしれない。
『自分が変なんだ』と、ソラは周囲の陰口の洗脳を鵜呑みにして、屈折を続けた。
中学生に上がった頃。ソラは自分が成長したとは感じる自信はないものの、それでも学習した実感があった。中等学校への入学という行事は、今までの生活を一変させる好機のイベント──ソラは発言に慎重さを持った。
──魔法の存在を信じてはいけない。
──夢見がちな想いを周囲に吐いてはいけない。
同年代が抱える現実的視野に追いついていたものの、何処か自分を信じきれず、自分の想いをしまい込むように育っていた。
────自分の不用意な発言の、何が孤独感となって返ってくるかわからない。
そんな危機管理能力ばかりが向上する。反比例して、ソラは口を開く回数が減っていく。何を喋って良くて、何を喋っては駄目なのか──区別に混乱する。
そうやって。ソラは孤独へ陥った。
──いや────自ら入り込んだのだ。
周囲の正義を忘れることなく、謙虚か自虐か──自ら孤独に足を突っ込んだのだと、自責した。
そんなソラにとって、アニメの味は甘かった。
周囲へ言葉にして出せば否定され馬鹿にされるような想いを、堂々と描き、想像力が形を成し、縦横無尽に動き回っていた。孤独で渇いた心では、勉学に励む気も起きず、唯々無気力に襲われ、下校してはアニメや漫画で精神を潤して、次の日に来る現実に備えた。
人はそれを、現実逃避と言うのだと、心の何処かでは知りながら、それでもその日常を繰り返したのだった。
中学二年生の春。新学期開始と共に配られた進路相談用紙を前に、ソラは頭を抱えた。
────僕の未来に、一体何の希望があるのだろう。僕には、何もない。正義に立ち向かう頭脳や話術、コミュニティーに参加する勇気。人を惹きつける特技やルックス。それらを遮ってでも、熱を通わせられる将来の夢ってやつ。全てがない。
────嗚呼、そうか。僕が夢見がちなのは、現実で生き辛いと感じている、その反動だったのかもしれない。
学び舎は社会の縮図だと聞く。だとすれば、この現実世界においての不適合感という孤独、その苦悩は永遠だと知るべきだ。もしかして。
────もしかして僕には、生きていても苦痛しか待っていないのではないか。
不思議と、憶測が正解した気がしてならない。やけにしっくり来てしまう。
生きていても仕方が無い、と思うと身体が重力を感じなくなり、心が闇で澄み渡った。闇が世界を空っぽにすると、何だか静かになった。
その日から、ソラの学校生活は不真面目になった。授業中寝る。サボる。仮病を使う。元々避けてきた教師やクラスメイトとの会話の回避っぷりにも拍車がかかる。死んでいた瞳は、自分の部屋で趣味に没頭する時だけ蘇る。
それでも進路相談用紙の提出は強制され、気持ちに掛かる重圧からは逃れられない。
逃げる、逃げられないの繰り返し。部屋の灯りを消し、瞳を閉じ、寝転がればいつも同じ想いが顔を出しに来る。
──異世界転移、起こりますように。
──異世界転生という、不慮の事故で一度死ぬような痛みを負うケースでも構いません。
勿論のこと、少年の逃亡は叶わない。異世界転生も転移も起きない。日常は闇の深みを増す一方だった。闇には、一筋の光りという、定番イベントも射したりしなかった。
しかし代わって──闇の深部で悪魔が囁いた。
────嗚呼、死んでいるって、こういうことを言うのだな。
囁いた悪魔は、自分自身──星都ソラだった。
────僕は死んでいるようなものなのだ。それならば、どんな馬鹿げたことに一生を懸けて死んでも、今既に死んでるようなものなのだから、別に支障はない。元々が無価値の僕なのだから。誰の迷惑にもならない筈だ。
何その変なポジティブ。と自分に失笑する。
どうせなら、思い切り馬鹿げた絵空事を追って、本当に野垂れ死ぬのも良いかもしれない。無価値な僕が、独りきり戯れているようにしか、他者には映らない筈なのだから。
────魔法。
真っ先に魔法の存在が頭に浮かぶ。
魔法はない。それが定説かつ正義。どうせなら、それを否定してやろうと試みる。
────魔法はない、なんてことはない。
ソラは暗闇の中で瞳を開けた。瞳を開けたのは、随分と久しぶりのような気がした。
②
一兎が開いたノートには、既に一頁の半分を埋めるメモが残されていた。ソラに関するキーワードは、『孤独』や『死』などの、中々に不憫さや不吉さを持った単語ばかりが書かれているが、書いている本人は興奮気味の様子で、「分かる! 分かる星都君!」と大声を上げながら、ペンを荒々しく運ばせていた。
「……わ、分かるんですか?」
「分かるとも! 俺を誰だと思っている! 孤独の権化だぞ!」
「な、何て悲しい自慢……」
「ふっ。今や孤高へクラスチェンジを遂げているがね」
「……うん、何か……納得です」
いつものように豪快に一兎は笑う。まるで孤独が善いことのように笑う姿を見て、ソラの頬も自然と緩んでいた。
「なるほど。君が魔法を手にしようという経緯はまぁ理解できた」
「恐縮です」
「では、どのような発想で魔法を手にしたのだね? うん!? 俺はその思考回路が知りたい! その回路こそが人間性を現わすものだよ星都君!」
大した話ではない、といった素振りで、ソラは申し訳なさそうに話を続ける。その顔には照れがあるものの、楽しみに続きを待つ一兎の嬉しそうな顔を見ると、ソラはぎこちなく饒舌へと入る。
「えっと……魔法がないなら、魔法がある世界から持ち帰ればいいんじゃないかって考えたんです」
「魔法がある世界だと……? それこそアニメやゲームのことか?」
「いえ、もっと誰もが強制的に訪れてしまう世界です」
「……ふむ。わからんな」
「それは……夢です」
若干、“夢”などという言葉が出てきたことに、まさかの夢オチかと、一兎は興ざめの様子を見せ、信じたくない気持ち一心で、「それは未来軸にある目標といった意味合いではなく、睡眠時に見るという意味の……夢か?」と、尋ねる。一応、メモにも、『夢』の文字を取る。
「はい。その夢です」
「な、なんと……」
「夢であれば、誰もが魔法を使えます。あり得ないことが平気で起きます」
「それは分かるが……だが、あくまで夢だろう?」
「はい。順序があるんです。先ず見たい夢を見れる必要があります。それには少しばかりやることが有るんです」
一兎の興奮は微かに復活する。それは魔法に近づいていく話の内容にではなく、ソラが何を考えていたのかという──ある種、人の変態性を覗き見るような、下品な興奮だった。
「夢日記をつけるんですよ。ここまではネットとかでもよく書かれてます。見た夢を日記に綴り続けると、その内、夢の中で、あぁ、これ夢だ。と自覚できるようになるんです。更に続けていくと、夢の内容を操作できるようになります。明晰夢と呼ばれています」
大体一ヵ月もすれば、と淡々とした様子でソラは話しを続ける。
「──加えて二ヵ月も続ければ、寝る前に見ようとイメージした夢が見れないなんていう失敗もなくなってくるんです。
見たい夢を見れるのは凄い楽しかったです。何でもアリなので……即座に魔法を使いまくりました。手から炎を出して、氷を出して、雷を走らせて、空を飛んで……魔法らしい魔法を使いまくりました。
正直な話、下品で卑猥な夢も、何度も見ました」
俺も絶対にそうする、と一兎は強く同意した。
あはは、と少し笑ったかと思うと、ソラの眉間に皺が寄り、顔が歪む。
「──ただ」
「ただ……?」
「──幻覚、幻聴の症状が発症します。ここもネットに書かれています」
「……ネットに書かれていた……つまりリスクに関しては、事前に知っていたが、君は将来の自分がどうでもいいあまり、リスクに囚われなかったというわけか?」
死んでも別にいいか、と思って始めたことですから、とソラは元々の眠たそうな目を更に細め、仕方なさそうに笑った。
「……ちなみに、幻覚というのは、どういう感じだ?」
「幻覚っていうと、ちょっと語弊があるのですが……夢と区別がつかなくなるって意味なんです。
簡単なことで言えば、ご飯を食べた夢を見たとします。すると朝、朝食を食べずに登校してしまったりとか。すっかり、ご飯を食べた気になってるんですね」
ほうほうと、一兎は面白がって頷く。
「──もう少し酷いものだと……一回スクランブル交差点を歩いてる時に、足元に凄く巨大な影ができたので、ぱっと上を見たら、ピンクの鯨が空を飛んでたことがあって」
一兎は息を飲んだ。
「……二度見したらいなくなったんですけどね……他にも授業中、静まり返ってるところへ、いきなりドアが強く開いて、黒い人型の影だけが入って来たりしたこともありました。影がツカツカ歩いて来て、ずっと見下ろされたりとか。
母さんや先生に説教を受けている時、母さんや先生の両肩の肉が割れて……肉を突き破って顔が二つ出て来て、三つ別々の内容の説教を受けたこともありました」
「……こ、怖すぎる……」
あはは、とソラは笑い、「そんな話が大袈裟じゃなく、一〇〇個くらいあります」と付け加えた。既に一兎のメモを取るペンの動きは、恐怖で止まっていた。
「──その中でも一番危なかったのが……僕、よく空を飛ぶ夢を見るんです。飛ぶ夢って凄い気持ちが良くて、ストレス解消になるので。
それでいつものように、学校の屋上から飛ぶ夢を見てたんです。自分の知ってる場所を飛ぶのって気持ちよくて……それでいざ、フェンスを乗り越えた時に、下から『辞めろー!』 って声が聞こえて。他にもグラウンドに沢山人が居たりして、僕はそんな風に夢をイメージしてないのに、何故だろうと思って……」
一兎の手が小刻みに震える。
「ま、まさか……実際の……」
「──はい、現実のほうでした。夢だと思って、屋上の地面を蹴る寸前でした」
一兎から、既に堂々とした雰囲気は消え、両腕を身体に巻き付けて怯えていた。そんな自分が美意識に反したのか、直ぐに平然な様子で、両足を大きく開いて座り直すと、「うむ。星都君。安心したまえ、試してみようなんて絶対思わん」と言った。
ソラは笑って安心した様子を見せた。
「その日から、僕は自殺未遂を起こした腫物扱いを受けるのですが」
「それはまぁ……そうだな……」
「つまり、それこそがリスクってやつだったんです」
「ん?」
「幻覚、幻聴症状が起きているのは、勿論のこと僕にしか分からない。しかし他人から見れば、誰もいないのに誰かと喋っているようだったり、誰も驚かないところで独り怯えたり驚いたり……更には自殺未遂。そんな変人を見れば周囲が遠ざかっていくのは当然です。
僕の孤独感は増しました。そして孤独が増すほどに、夢を現実逃避に使う気持ちは加速して、抜けられなくなっていく。その孤独の中でも、幻覚や幻聴は続いていく……心が、どんどん擦り切れていくんです……」
まるで覚せい剤についての話のようだ、と一兎は思わず感想を零す。
「僕も同意です」
「そうか……それでも君は……魔法を追うことを辞めなかった」
「……はい。本当に、死んでもよかったんです」
「星都君……」
カラオケボックスの密室を、暗い雰囲気が包む。その気配を察知して、「次の手順です」と言って、ソラは話しを切り替えることで重たい空気を裂いた。
そして一兎も、「うむ」と、言って乗っかった。
「──プラシーボ効果って知ってます?」
「すまん。知らぬ」
「いわゆる、脳の暗示ってやつなんですけど……例えば、風邪を引いた患者に内緒で、風邪薬と偽って、何の効果もない粉を渡したとします。でも直ぐに効果が出た。なんていう話が、世の中にはあるんですよ。
それをプラセボ……和訳すると偽薬、という意味から由来して、プラシーボ効果と名付けられた、未だ解明されていない脳内現象の一つです」
恐怖に包まれていて一兎から、興奮が帰り咲いた。子供のように続きを強請る。
「逆に治すわけじゃなくて……とある人の前で、鉄箸を熱します。次にその人に目隠しを施します。隠しておいた熱していない箸を、その人の身体に充てたら火傷を負った、なんていう例もあるんです」
「なんと!!」
脳自体に暗示をかけられれば、身体にも影響が出る。というわけか、と一兎はまとめた。
「──僕の脳は、その頃既に、夢と現実の区別がつかなくなるほどに認識を見誤っていました。このまま明晰夢と夢日記を続ければ、脳が魔法を使える身体という暗示にかかってくれるんじゃないかと……それはイコール、現実で炎を手から出したりするような魔法が使えるようになるんじゃないか……そういう身体に変わっていくんじゃないか……僕が狙ったのはそれでした」
「……す、凄い発想だ……」
一兎は立て続けに、「それで魔法を手にしたわけか!」と納得を見せたが、ソラは首を横に振った。
「──全然駄目でした。使えるようにならなかったんです。中学二年に上がって進路相談用紙を突き付けられ……そこから半年続けたんですけど駄目でした」
「な、何ぃ!?」
「でも、今思えば当然ですよね。そんなことで、存在する筈のない魔法が手に入るわけがなかったんです」
「それはそうだが……更なる方法があるのかい?」
「……はい。僕は──」
話そうとするソラの顔が、再び歪んだ。ただソファーに腰掛けているだけの身体に、何か苦痛が走ったようだった。ソラは指先を軽く首元に充てた。
「……僕は、単純に足りないと思ったんです。もっと強烈に刻みついて離れないような……現実に容赦なく介入して来るような、そんな夢の中の体感が必要だと考えました」
「……もっと現実と混濁してしまうような夢での出来事……」
それが「痛み」という感覚を除いて、他には思いつかなかったとソラは語った。
「確かに……幸せな記憶よりも、辛い記憶のほうが残るというからな……」
「はい……半年間、成果なしだった僕は、そうやって新たな作戦を実行することにしました」
「……具体的には、どんな?」
ソラは少し黙り、一兎の顔を心配そうに見ると、「本当に友達辞めないで下さいよ?」と聞いた。一兎は拳を作り、自分の胸をドン、と叩くと「くどい!」と一蹴してのけた。
それでも安心しない様子のまま、暫くの間、ソラは口を閉ざした。沈黙が二人を包み切った頃──まるで懺悔室の中で罪を告白するように、「毎晩……自分の腕を焼きました」と、ソラはようやく口を開いた。