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学蘭の魔法使いとスーツの魔王  作者: 砂糖 紅茶
渋谷編
7/20

2‐1 英雄の夜明け

 趣味に包囲されている。

 一面には漫画誌が。一面にはOVAが。四面ある内の二面の壁に、少年の収集した趣味の品々が並んでいる。テレビ台の棚にはゲームが眠り、おまけ程度にノベルを添えて。勉強机には日記が一冊あるばかりで寂しそうにしている。

 それぞれが部屋を狭め、ベットの上で仰向けになる少年──星都ソラを見ていた。


 一見して黒色に見える深い茶色の髪が、生まれつきで湾曲して毛先を遊ばせながらベットへ横たわる。包帯の下は、高校一年生の割には幼い顔立ちだった。

 少年の頼りなさそうな雰囲気を演出するに一役買っている、幅の広過ぎる二重が瞳を狭め、何時も眠そうではあったが、今は本当に眠かった。


 少年は目を閉じ、自室で睡眠という形を以て、一日を終えようとしていた。

 しかし。

 五分後には、少年の一日は始まる。気付いたら朝日を浴びるといったような、睡眠中の記憶や時間が切断された感覚も、星都ソラには訪れない。

 

 意識が蕩けた五分後。別のベットで瞳を開ける。瞬間移動でもない。幽体離脱でもない。

 白いドーム型空間にぽつんと建った小屋の中で、ソラは毎夜目を覚ます。

 時空移動でもない。異世界でもない。

 それは誰もが訪れることが出来る場所────夢。

 

「……夢夢はまだ来ないか」


 独り言を零してベットから身体を起こす。一部屋分を木で囲ってあるだけの狭い室内には、一台のアンティーク調の白い机に椅子が二つ寄り添う。一台の椅子は明らかに大人が、もう一台の椅子は子供用に見える。腰掛けるスペースは小さく、足が長く作られている。

 机には、一冊の日記帳と湯呑が置かれている。

 全てが彼のイメージした夢の姿だった。星都ソラは、睡眠時に見る夢を自由に操作できる。


 ソラは小屋のドアを開き白い空間へ出ると、徐に右手を伸ばして魔法陣を出現させた。白と紫色に発光する六芒星魔法陣は輝きを強めると、平面的な陣を割るように、中から赤い炎がゆらゆらと現れた。パチパチと音を立てながら、人魂型を維持している。

 するとソラは今度は左手を伸ばし、更にもう一つの魔法陣を出現させる。バスケットボール分ほどの水の球が現れると、ソラは炎と水をぶつけさせ、ジュウジュウと消化音を立てながら水は炎を食べ切った。

 残った水に向けて手を翳し、魔法陣を出すと、浮いていた水の球は今度はパキパキと鳴き始め、氷の玉へと変わった。

 彼なりのウォーミングアップを終えたところで、白い空間に来客があった。


 空間内に縦スライドして一枚の扉が音もなく現れる。上は黒、下は白が丁度半分のところできっぱりと別れており、大人が悠々と通れるほど大きい。

 その大きい扉を開け、足元の位置から小さい獏がぽてぽてと歩いて入ってきた。後から三日月がふわふわと後を追ってくる。

 全てが思い通りになる夢世界の中で、彼の存在だけが操作不能の存在である。


「──や、お疲れ様」

「ふー今日は疲れましたなぁ」

「取りあえず、お茶入れようか。綿夢わたゆめ食べるんでしょ?」

「お。気が利きますなぁ」


 ソラと夢夢は小屋へ入る。黒く野太い、一見達筆に見えるようで下手糞な『夢夢』と書かれた湯呑の、ほんの僅か上空間に、白色と紫色に発光する魔法陣を出し、ソラはお茶を注ぐ。

 夢夢は三日月型の乗り物へ乗り、子供用に見える椅子へ向けて浮き上がると、三日月を乗り捨てて座る。ソラの差し出した湯呑を、短く黒い前脚の両方で挟み込み、丸い身体を更に丸めてお茶を啜り、思わず溜息をついた。

 ソラが対面の椅子に腰かけると、これから祝杯に興じる様子である。


 それは、池袋の異世界化が終わった、その日の深夜から朝にかけてのことだった。


「ソラ様ぁ! 足手まとい、お疲れさんでございましたぁ!」

「スタートから失礼か!」

「むははぁ。楽白たのしろかったですねぇ」

「た、たの? 何それ?」

「楽しい、と面白いを合わせましたぁ」

「なるほど……まさかとは思うけど、面白いというのは僕の片腕切断事件のことですか?」

「ぶふぉぁっ!!」

「人の惨事に思い出し笑いか」

「や、やめ……やめてぇ……お腹痛い……クククク……」


 気が済むまで笑いを堪能すると顔を上げ、呆れる素振りの少年へ、元々備わった閉じかけているような瞳を「おや、眠ったばかりなのに眠そうですね」と弄ってみせた。


「五月蠅いなぁ……元々この顔なんだよ」

「良いじゃないですかぁ。二重と言うのでしょぅ? 人間の間では良いことの様子じゃないですかぁ」

「二重と言えば聞こえはいいかもしれないけど、いつも眠そうに見えるほどの二重なんて、常に無気力とかやる気が無さそうに見えるだけで、先入観だけで怒られるばっかりだよ。得したことは一つもないよ」


 現実主義らしい見解ですね、と夢夢は言って、再びお茶を一口含む。


「そんな頼りなさそうな少年も、今頃ヒーロー扱いじゃないですか?」

「現実主義らしい僕の見解では、両方って感じだったかな」

「両方? 魔王の異世界化を途中で終わらせた者に、英雄と後は何が相応しいって言うんですぅ?」

「──勿論、悪者だよ」


 夢夢は途端に円らだった瞳を吊り上げる。


「はぁああ? どうしますか? ぶっ殺しますか?」

「ぶっ殺しませんよ! 好戦的過ぎるだろ!」

「救ってやったんですよぉ? 何ですか悪者ってぇ!!」

「……全てを救えたわけじゃなかったからね。寝る前にニュースを見たけど、『魔法使いさんは、どうして自分の子供は助けてくれなかったんだ』とか、『魔王と何かしらの関係性があると思ったほうがいい。信頼は出来ない』とかって意見も多数あったんだよ」


 何より異世界化などという超常現象を可能にした方法など、世界には理解出来ない。五カ国で行われた異世界化も、日本国だけは三〇分と少しで終了したが、その原因もまた世間で解明される筈もない。素顔もわからない魔法使いの扱いは、敵味方区別着かず保留扱いとなっていると、就寝前に見たニュースの一部を夢夢へと伝えた。


「……で、真に受けて落ち込んでるですかぁ?」

「いや、そうでもないよ。良い報道もあったんだ。例えば、他国が日本へ向けて行おうとしてたミサイル攻撃を断念することに決めた、とかね。

 どうやら今日……池袋では二〇〇〇人近くの人を守れなかったらしい……けど、外国の被害に比べれば、凡そ半分の被害に抑えられていた。

 そのことで僕の噂が広がって、魔王への対抗手段である僕ごとミサイルで殺してしまうのはいかがなものかと警鐘を鳴らしてくれたそうだよ」


 それは良かったと、夢夢は怒りを収め、多少ご満悦に短い前脚で顎を摩る。


「あれ……もしかして……ミサイル攻撃を喰らえば……ソラ様がミサイルを打てるようになっていた……?」

「なっていた……? じゃないよ何キメ声で恐ろしいこと言ってんの」

「体験を具現化出来る魔法なのでぇ」

「死を体験してますよー!?」

「まぁ人間が減らないということは、バクの食糧が減らないことと同意義ですので、よかったです」

「日本人だけ減ったところで、夢を食べる夢夢には影響ないと思うけど」

「日本人の夢は、情緒があって味わいが複雑化していて奥深いので重宝してるんですょ」

「何か面白いね」


 話に綿夢の言葉が出た所為で、と言って夢夢は身体半分を覆う白いパンツへ前脚を両方突っ込み入れる。デザインされた土星を揺らしながら弄ると、中から割り箸に刺さった綿あめのような物体──綿夢を取り出した。

 薄い桃色の綿の中では、何かが動いている。映像とも言えるようなものだった。

 それらを無視して、夢夢は丸い鼻の下に隠れている小さい口で噛り付くと、目を輝かせ耳をパタパタと動かし歓喜の程を現わした。


「っはぁ……んめぇえです!!」

「それイケミミズクのやつ?」


 いいえぇと言うと夢夢は綿夢をソラの顔の前へ近づける。綿には一人の人間がゾンビのような死霊から逃げ惑う姿が映されていた。


「獏は悪夢を食べるってやつか……」

「悪夢のほうが美味しいだけで、普通の夢も食べますけどねぇ」


 はむ、と言ってまた一口、綿に噛り付く。


「んめぇです……強い甘味の奥側から爽やかな香りが押し寄せてきて、一口のインパクトの割に飽きさせない、何重構造にもなった深い味わいがありますねぇ」

「食レポ上手かよ」


 話を行いながら。徐に、ソラは机上にあった日記を開く。昨日書いたところにペンを挟んである為、次に記載するページを開き易くしている。

 ペンを走らせつつも、夢夢との会話に興じる。


「あ、あとね……一人、人間の友人が出来たよ……」


 日記を書き始めたのは、毎日書くことを義務付けている為でもあったが、照れ隠しでもあった。ソラは頬を赤らめ、まるで視線を日記に集中させているように装い、唖然としている夢夢から如何なる祝福の言葉が飛び出すか、楽しみに待った。


「……久しぶりに幻覚症状ですか?」


 非情で辛辣な言葉だった。


「そんなにか? そんなに奇跡体験か?」

「遂に孤独さあまって、魔法陣から友人出してしまいましたか!?」

「人間生成出来てたまるか!!」

「ソラ様。元居た処に戻してきなさい」

「誰が捨て犬をヒト科と見間違うか」

「そ、ソラ様……自首するなら早めに……」

「誘拐何かするか。本人の合意の上だよ!!」

「……額に葉を乗せたり、下半身が魚だったりしませんか?」

「どんだけ信じないんだよ!! 狸、狐、人魚、ついでに幽霊でも恩返しの鶴でもメタモンでもないよ!!」

「え……じゃあ本気で言ってるですかぁ?」

「本気だよ。まぁ確かに、誰より僕がびっくりしてるけどね」

「っはー。あ。もしかして今日出会った女性のことですか?」


 途端にソラの筆が止まる。厭味とツッコミの応酬で、話を盛り上げていたソラの顔色は暗いものへ変わる。次に口を開くまで空いた、少しの間が何処か避けては通れないことを分かっていた様子を感じさせていた。


「友人は……あの女性じゃないんだ。彼女、あの後……異世界化と一緒に消えちゃったんだ」


 ソラは寂しそうに言うと、夢夢は途端に神妙な面持ちに変える。


「……え? それって……」

「うん……多分彼女は、異世界化の一部だ」


 最後に聖真白と名乗りだけを残し、異世界化終了と共に消えた彼女は、魔王側の存在であるであろうことが、夢夢とソラの理解に及んだ。

 夢夢は綿夢を口にしながら、湧き出た謎を紐解く為に、「じゃあ魔王は人間も作れるってことですかねぇ」と投げかけた。


「恐らくね……」

「ただ、そうなると疑問が出ますねぇ」

「そうなんだよね。彼女は魔物を倒すことに尽力した。それは魔王の意図とは真逆の行動の筈なんだ」

「人を殺そうという魔王から……人を助けようとする存在が生み出されている……ですかぁ」


 思慮を巡らせるも、答えが出る議題ではない。魔王に聞くまでは分かる筈もないことだった。

 それよりも聖真白が魔王から生み出されている存在と判明すると、夢夢は本日、人間世界で失態を犯していたことを自覚した。


「あ……バクやっちまいましたぁ」

「どしたの?」

「今日、彼女と二人で地下に居た時、ソラ様の魔法の話になったんですぅ。

 あー……今思えば納得ですね。彼女がゲームという単語について知らないような振る舞いを取ったことも、魔法を使うにあたって、『神族の加護を授かっている』と言ったことも。

 人の世界で暮らしているわけではない彼女だから言えたことだったわけですねぇ」


 その内容が初耳であるソラは、「まるで異世界で暮らしている人間みたいだ」と印象を口にした。


「で、その時、ソラ様の魔法のルールについて喋ってしまったんですよぉ。ごめんなさい」

「な、なんで急に謝るの」

「だって魔王側の存在であるならば、今頃ソラ様の魔法についての情報が魔王にリークされてる可能性が高いじゃないですかぁ」

「別にいいよそれくらい。だからって僕の魔法を奪えるわけでもないしさ」

「ほむ。じゃあ謝罪返せです」

「鮮やかなほど身を翻したな」


 ソラの心配の焦点はズレていた。

 彼女が敵側の人間であるということを共有すると、途端に自分の中に疼いている恋心の行き場を迷わせていた。

 それどころか、魔王に作られているといった現実世界で生活している存在ではない。存在しない者へ好意を寄せているといった──それはまるでアニメキャラというテレビの中から出てくる筈もない存在に恋をしていたと、今になって知ったような、そんな報われなさを理解し虚しさに包まれていた。


「彼女……敵なのかな」

「そう思っておいたほうが危険は避けられますよねぇ」

「……そっか……そうだよね」

「え……何をショック受けてるんですか」

「あ、いや別に……」

「まーさーかぁあああ!! 絆されたんじゃないですよねぇ!?」


 怒りを溜めている様子で夢夢は、丸みを帯びて尖る黒い鼻をソラへ向ける。

 人間が人差指を対象へ向けて怒るようにして、ソラを詰めようとしたものの、肝心のソラの頭には、彼女の笑顔が浮かび離れなかった。

 池袋で見た──命の危機にありながら涙を浮かべ、そして笑っていた狂気的な笑顔が。

 理解の及ばない彼女の闇の部分に惹かれている。

 ソラは、「や……可愛い人だったから」と、肯定と言い訳の両方で答え、夢夢の抱えている怒りの爆弾に点火した。


「いやホント何度言っても足りないですけど……阿呆なんですかぁ!?」

「う……ご、ごめんなさい」

「魔王の部下かもしれないんですよ!?」

「……は、はい……」

「こーれーだから人間は!! 敵と理解したならば、自分の感情に整理をつけて、恋なんて気持ちの一切を無くせばいいだけの話でしょうがぁ!」


 人間関係の中で生まれる感情──特に恋愛感情を持つことにも不慣れなソラにとって、簡単に感情を整理することにもまた不慣れだった。

 今の内に言って聞かせなければ、深刻な事態へ繋がる恐れがある。夢夢はそう危惧して綿夢を摘まむ黒い前脚を止めた。


「ソラ様に人類の未来が懸かってること理解出来てますかぁ?」

「そ、そんな大袈裟な……」

「むしろ適切ですよ! 過言でもなんでもないですぅ!」

「うー……は、はい……」

「っはー何て阿呆で馬鹿で間抜けで……この童貞野郎が!」

「ぐはっ!!」

「今後、ソラ様ではなく童貞殿下と呼びます」

「や、辞めてくれ……」


 どうやらソラに緊張感が足りないらしい。そう見受けた夢夢は、自分たちが掲げた当初の目的を見失っているのではないかと、「バクたちの目的は何ですかぁ?」と、目的の復唱をソラへ迫った。


「……魔王の夢を、夢夢に食べさせること……です」

「です! そもそも、魔王を殺してしまえば済む話なのに、何故バクが魔王の夢を食べることになったのですかぁ!?」

「僕たちの世界で定められている法律というものに違反するから……」


 異世界化を止める為に魔王の存在を亡き者にする。当然とも思える夢夢の提案は、二人が出会った頃に既に破談となっていた。

 それは魔王が一人の人間であることが理由であり、魔王を殺せば殺人罪に問われることを気に留めるソラだったが、本音としては人を殺めるということに抵抗があった為だった。

 二度の異世界化に渡り、凡そ四〇〇〇〇人近くの人間を殺害した者であっても、ソラには人を殺すなどということはできなかった。

 人間として当然湧き出る抵抗感は、夢夢という獏には理解できない。


「そぉです! そもそも魔王とソラ様の二人に関係性は無いものの、お互いが自力で夢を介して能力を得る方法を身に着けました。

 その夢を食べてしまえば、能力もまた失われる。

 だからバクは一度ソラ様と出会う前に、魔王の夢へ乗り込んで夢を食べてやろうと思いましたが、それは出来ませんでした。話したこと憶えてますねぇ?」

「う、うん……夢夢が人の夢に訪れる条件は、顔を一度見ていること。

 見つけた予知夢の映像内で、魔法を使って戦ってる僕を見たから、僕の夢には来れたけど、いくら探しても魔王の姿はなかったからだよね?」


 気まずそうに返答を続けるソラを見て、夢夢は湯呑を啜ってお茶と怒りの両方を飲み込んだ様子で、子供用らしき椅子の背もたれに寄りかかり、丸いお腹を可愛く震わせた。


「そぉです。で、バクがどうしたかと言えば、ソラ様の夢に来訪して、ソラ様を脅迫したわけです。魔王を殺せ。さもなくばお前の夢を食べて魔法を奪うぞ、と」

「しっかり覚えてるよ」

「しかし法律とかいうもので殺せないと。だから仕方なく、バクが魔王の夢を食べられるように、ソラ様が現実世界で動き回って魔王を炙り出せと言って、この協力関係が始まったわけです」


 記憶を遡りながら、自分たちが課した目的の大元をソラへ理解させていると、夢夢にはどうしてこのような話が始まったのかと、再び怒りを露わにしてテーブルに前脚を強く叩きつけた。


「そもそも! その甘っちょろいところに着地してるんですよぉ! 敵側の雌に色香をかけられてる場合かってんですよぉ!」

「は、はい……以後気を付けます」


 夢夢は、「分かれば良いんです」と言って、自身の身体の四割を包み込む白いパンツに両前脚を突っ込んだ。少しの間弄り、再び前脚を引き抜いた時には、その手には新たな綿が持たれていた。

 夢夢は、「さて、じゃあ次の戦に備えますかぁ」と言った。


「ってことは、その綿夢は予知夢かな」

「ですです」


 何時何処で起きるともわからない異世界化が、今日池袋で行われることを予め知り、そして駆けつけられていた理由は綿夢にあった。


「しかしながら、本当に予知夢を見る人って居るんだね」

「そりゃ居ますよぉ。起床後に記憶しているかどうかは別として、予知夢自体を見てる人間は結構存在します。

 精度の程は、今回でソラ様にも理解していただけたことでしょぉ」


 池袋での戦いを頭に浮かべながら、確かに、と頷きながらソラは、テーブル上に置かれた綿の表面を除きこむ。綿の表面で映像のようなものが動いている。

 映像の中では今日訪れた池袋のように人々が走り回り、その背中を犬型の魔物が追い回している。

 魔物は眉毛部分に立派な麿眉を携えている。地面スレスレまで伸びる牙と、敵意の表れを寄せた口皺さえなければ、一見可愛くも見えそうである。

 映った建物の一部に、『渋谷駅』の文字を発見すると、ソラは両腕を組んで眉尻を上げた。


「っげ。渋谷か……」

「何か問題でもぉ?」

「僕、渋谷に住んでるんだ」

「ぉお。通勤が楽ですねぇ」

「仕事か。このモンスターはもしかして……忠犬を模したのだろうか」


 夢夢が綿夢の端を前脚で小さく千切り、口に放り込むと法悦とした表情で味を堪能しながら、「六月十日の午後八時」と言った。


「前回の時は聞かなかったけど……どうして食べると分かるの?」

「はむはむ。賞味期限ってやつですぅ」

「……何の……関係が?」

「はむ……んぐっ……予知夢に関しては、その予知夢が実際の出来事として起こった時、効力を無くして綿夢は消失してしまうんですよ。バクは一口食べればそれが何時なのか分かります。

 つまり、異世界化が起きる日時も同様に判明するわけですぅ。はむはむ」


 未知の生物から未知の法則を聞くソラは、そういうものなのかと頷き、食事中の夢夢へ向いていた視線を、食べられている予知夢へと戻す。


「母さんが心配だ……」

「次の作戦憶えてますか? 大丈夫だと思いますよぉはむはむ」

「幾ら魔王もビックリの作戦だとは言ってもさ……やっぱり心配だよ」


 余裕余裕と言いながら、遂には夢夢は予知夢の綿を全て平らげた。

 背もたれによりかかり、真ん丸なお腹を突き出して溜息を零し、湯呑を両前脚で掴んで啜っている。

 話が終了するとソラも再びペンを取り、日記を書き進める。

 お茶を啜る音と零れる溜息、筆を進めるカリカリとした音が、暫しの間、白い空間に流れていた。


 其処は夢世界。

 起きても決して記憶から零れない、現実世界の一部とさえ言ってしまえる──夢の中でのできごとだった。


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