月夜と軍靴と港街:1
-§-
頑丈に誂えられた重い革靴が、速いテンポで金属製の床面を叩き続けている。その行為によって生み出された鋭く硬質な音は、少なくとも二人の人物が余裕をもってすれ違える程度には広い”陸上船”の通路内に、耳障りと評せる程の大きさで反響しながら、一定の速度で移動していた。
通路の端、曲がり角の先で壁に背を預け、警備任務に就いていた歩哨は、自分へ向かって近づいてくる騒音に気が付くとあからさまな渋面を浮かべた。ただでさえ退屈な立ち番、それもかれこれ二時間近く一ヵ所に拘束されているところへ、更に神経を逆撫でする要因が増えたのだから無理もない。
無論、彼は常日頃から国威維持の為、「一兵卒に至るまで精強に鍛え上げられた……」という文句を付けて国内外へ喧伝される帝国軍人の一人である。そもそも兵士の本領とは足にあり、歩哨という任に就く以上それが疎かな筈もなく、肉体的な疲労としては大した事はないのだ。
しかし、精神的な苦痛は如何ともし難かった。平時の艦内警備とは言ってみれば、事実上「何もしない」と殆ど同意義なのだ。敵が攻めてくる訳でも、なんらかのトラブルが起きる訳でもない。至って平穏無事の状況下で、ただ黙って突っ立っているだけ。
加えてこの歩哨、どちらかと言えば軍務経験はそこそこ長い方である。故に、軍隊生活への「慣れ」がすっかり身に染み付いている。それは新兵にありがちな余計な緊張や不安から解き放たれた一方で、良くも悪くも油断と暢気を生み易い精神状態にある事を意味している。
そこへ来て、ただでさえ『クラースヌィ連邦』との戦争が終結して三十年。
与えられる任務と言えば、『ゲルプ帝国』領内に身を潜める残党狩りや犯罪者の捕縛、そうでなければ今回の様な単純な輸送任務の付き添いくらいのもので、これでは緊張感も生まれようがない。
軍歴が長いとはいえ、戦後生まれの彼は本格的な実戦経験とはほぼ無縁である。敵対存在へ向けて小銃の引き金を引いた経験は一度や二度ではないが、それも軍の援護を全面的に受けた上での制圧射撃ばかり。収束した火力は、個人が感じる責任と重圧を極限まで分散する。彼もまた、自分が放った弾丸の行く先に興味を失った兵士の一人であった。
……ともかく、そう言った理由が重なれば、どうしてもこの手の任務に身が入らないものである。勿論、任務を放棄し、勝手に持ち場を離れたりする様な事はしない。罰則を恐れる以上に、一応は「自分の役割」を理解し遵守するだけの使命感を彼は持ち合わせていた。
だが、それはそれとして、やはり退屈なのだ。幾ら何でも待機命令が長すぎる。”陸上船”はとっくに停止している。どうやら『マドレッター港街』側からの上陸許可が中々下りず、その為に足止めを喰らっている状況らしいのだが……。
「……チッ、何時まで待たせるんだよ」
歩哨はつい、舌打ちと不満を漏らした。ただただ徒に過ぎていく時間、苛立ちは募る一方である。
本来ならば今頃は交代人員に艦の警備を任せ、同じく任を解かれた同僚と一緒に酒場にでも繰り出せていた筈だ。古くより屈強な船乗り達が利用してきた『マドレッター港街』の飯は、塩気と脂が良く効いていて美味い。内陸では塩漬けの形で缶詰にされて食される魚介類も、新鮮な物が食べられる。
思い浮かべるのは、香辛料をたっぷり練り込んだ肉団子に濃厚なソースが掛かった料理や、新鮮な白身魚を衣を付けて香ばしく揚げた物。そして何より、鉄板の上で香ばしい匂いを上げながら肉汁を滴らせる分厚い肉の塊だ。それらを、良く冷えた麦酒と共に味わう……。歩哨は自らの想像に、思わずごくりと生唾を呑み込んだ。
軍の味気ない糧食にはとっくに慣れているが、だからこそこんな機会にでも楽しみがなければやっていられない。”帝都”に帰ればそれなりの食事にあり付けるが、日頃から贅沢をしていれば給金は直ぐに底をついてしまう。
故に、この歩哨は”陸上船”に乗り込む前から、僅かな休息時間を『マドレッター港街』で過ごすのを心待ちにしていたのだが、
「このままじゃあ、店も閉まっちまうぜ……。あまり遅くなると、そもそも外出許可が出ないかも知れねぇし」
歩哨は軍用の腕時計を確認。既に午後六時をとうに過ぎている。
「ただでさえ荷の積み下ろしには時間が掛かるんだぞ……ああ、糞……」
再び舌打ち。焦れる気持ちが歩哨の神経を尖らせている。
そこへ来て、先程から響いている例の靴音である。一体どこの誰だ、喧しいにも程がある。靴音は先程よりも近付いてきており、それに比例するかの如く歩哨は益々苛立ちを強めていく。
あと数秒もせず、靴音の主は通路の角から姿を現すだろう。歩哨は憎々し気な表情を、そこでふと悪意に満ちた笑みへと変えた。もしも姿を現したのが自分より階級が下の兵士だったならば、いちゃもんを付けてやろうと考えたのだ。
艦内風紀の厳正化、という名目も一応は立つ。作戦行動中でもないのに無意味な騒音を立てる様な間抜けには、ヤキを入れてやらねばならない。歩哨は自らの思い付きに正当性がある事を――少なくとも彼自身は――確信し、ここへ来てむしろ足音の人物がやって来るのを待ち構えるようになる。
さあ、あと数歩で辿り着くだろう。早く顔を見せろ、どうせ締まりのないアホ面に決まっている。あまり油断をしている様ならいっそ、出会い頭に鉄拳制裁でもくれてやろうか……。
そうして、遂に足音が曲がり角に差し掛かり、歩哨の視界の端に軍服のカーキ色が映り込んだ。歩哨は平常よりもよっぽど厳めしい表情を意識して顔面に貼り付け、やってきた人物へ誰何の声を上げようとして、
「――こちらにバッハ将軍は来ていないか」
「……ッ!?」
思わず息を詰め、頬を引き攣らせた。言葉を先んじられたからではない。歩哨の前に立ったのは、彼が良く知る人物……それも、及びも付かない程に階級の離れた上司であったのだ。
-§-
歩哨は見る。目の前に立った人物は、歳の頃は五十代程の男性であった。
ぴっちりと隙なく着込んだ上下の士官服に、几帳面なまでに整え撫で付けられた灰銀色のオールバック。ややこけた頬と、鋭角な鼻筋と、何よりも睥睨されるだけで身を刺し貫かれる様な錯覚すら覚える冷たく鋭い視線。
痩躯長身の身から余りある程の威圧感を放つ彼の名前を、歩哨は半ば放心して呟いた。
「ら、ラムス、将軍……?」
ラムス・シュレーダー将軍。『ゲルプ帝国』屈指の”帝式魔技”使いにして、その頂点に立つ”六帝剣”が一人。打ち立てた武勇は数知れず、先の大戦に於いても獅子奮迅の活躍をした事で帝国中にその名を知られた、れっきとした大英雄である。
完全な不意打ちに言葉を失い立ち竦む歩哨へ、ラムスはその冷ややかな翠玉色の瞳を、じろり、と向けた。そうして凍土に吹く寒風の如き低い声を発する。
「……他に誰だと思うのかね?」
「え、あ、いえ! に、任務お疲れ様です!!」
「ああ、そちらもご苦労」
しどろもどろになる歩哨に対し、ラムスはあくまでも冷静である。彼は歩哨の狼狽振りには頓着せず、再び先程の問い掛けを繰り返した。
「それで、バッハ将軍を見かけなかっただろうか」
「バッハ将軍、ですか……? え、えーっと……」
歩哨は混乱する頭で、なんとかラムスからの問い掛けに応えようとする。バッハ・アーベライン将軍。彼もまた歩哨にとっての上司であり、ラムス・シュレーダー将軍と肩を並べる英雄の一人だ。やはり”六帝剣”に名を連ねる有名人、当然顔も名前も知っている。
あの大柄で陽気な老人は、どこへ行ってもとにかく目立つ。確か数十分ほど前、通路の向こうが騒がしくなったので様子を窺ってみたところ、お供の兵士やらを引き連れてどこかへ向かっていったのを覚えている。だがその時、彼はどこそこへ向かうと明言していただろうか……?
「報告は正確かつ簡潔に、速やかに行う様にせよ」
必死に記憶を漁る歩哨へとラムスは催促をした。目尻には微かだが、焦りと苛立ちが滲んでいる。その様子と声色に「急ぎの要件」を感じ取った歩哨は益々焦る。彼の望む返答が出来なければ不興を買いかねないと、意味のない恐れが爆発的に膨らんでいく。
しかし、幾ら記憶を漁ってもバッハ将軍の所在地についての情報など見つからない。背中がじっとりと濡れる程の冷や汗をかきつつ、答えに窮した歩哨は喘ぐ様に数回口を開閉し、
「……す、数十分程前に、この先の通路を通って行きました! む、向こうの……格納庫へ向かったのだと思われます!」
後半は推測でしかなかったが、つい言ってしまった。そして直後になって、その報告が誤りである可能性に思い当たって歩哨は慄然とする。虚偽報告は重罪……と言っても軍務に関わる類の物ではないので、罰則を受ける様な事はないだろうが、間違いなくラムスの心証は損ねるだろう。
しかし、意外にもラムスは歩哨の答えにある程度の納得を得たらしく、一度頷くと、
「……あいつ、またか。了解した、情報提供感謝する」
とだけ述べて、再びけたたましい靴音を響かせつつ、足早に歩き去っていった。
通路の先へ消えていく背中を見送り、歩哨は暫く息を詰めたまま直立不動の姿勢を保っていたが、ラムスの姿が見えなくなると同時に盛大に溜息を吐き出した。まさか、あんな大物が自分に話しかけてくるとは……。
実は今回、ラムスとバッハの両将軍がこの”陸上船”に同行しているのは彼自身も事前に知っていた。単なる一兵卒に過ぎない自分にその理由が教えられる筈もないのだし、別に関わる事もないだろうと意識からは外していたのだが、それがまさか、こうして目の前に現れたのだから分からないものだ。
「それにしても、すげぇ威圧感だったな……。どちらかと言えば、ひょろい方なのに、あのオッサン……」
気が抜けた為かつい独り言ち、それが失言に当たる内容である事に気が付いて歩哨は口を抑えた。恐る恐るラムスの去って行った方へ視線を向けるが、あの痩躯が引き返してくる様子はない。
歩哨がその事実を確かめ、やれやれ、と肩を落としたのと同時であった。
《――根本的に階級とはあくまで形式的な物に過ぎないが、それを蔑ろにして良い訳ではない。また、不測の事態に対応できない様では警備の意味はない。その事を胸に留め、引き続き勤務に集中せよ》
耳元から、とっくに去って行ったはずのラムスの声が聞こえた。その奇襲性と内容に、歩哨は腰を抜かしかける。
「うわっ!? も、も、申し訳ありません……ッ!?」
歩哨は慌てて周囲を見回し、直後に気が付く。ラムスが”帝式魔技”でも比較的ポピュラーな《遠隔会話》を行使したのだ。離れた地点に居る相手との会話を可能とする、汎用性に優れた魔技である。
どうやらラムスは、こちらの勤務態度に緩みが生じているのを正確に見咎めていた様だ。しかし、油断したタイミングで警告を送って来るというのは、人が悪いにも程がある。或いは戒めとしての意味も込めていたのだろうが……。
「……もう、行ったよな?」
流石に二度目の不意打ちは送られてこなかった。だが、どちらにした所で、もうだらけた態度を取っていられるような余裕は消し飛んでしまった。
膝が笑い出すのを抑え、歩哨は再び直立不動の姿勢を取る。最早、退屈だのなんだのと言っていられなかった。少なくとも、ラムスがこの船から降り、二度と彼の前に現れない事が確定するまでは。
歩哨は、急速に麦酒と豪勢な料理の数々が並んだ風景が遠ざかっていくのを感じ、情けない顔で溜息を吐いた。
-§-
「……やはり、兵士の質が落ちている」
ラムスは通路を早足で歩きつつ、普段から顰め面気味の表情を益々厳しい物にした。内心の神経質さがもろに滲み出た所作が示す通り、彼は規律、風紀と言った概念をまず第一として考える性質であった。いや、むしろ「それが行われている事が当然である」とすら考える程である。
そこで再び、ラムスは艦内警備を行っている歩哨と出会う。二人組の彼らは何事か談笑をしていたのだが、近付いてくる痩躯に気が付くと弾かれた様に通路の両端に身を寄せ、直立不動の敬礼姿勢を取った。
二人の歩哨の間を通り過ぎる際、ラムスは彼らの冷や汗の浮いた顔をそれぞれ睨み「私が来た途端にそうしても、意味はないぞ」と短く訓告した。すっかり恐れ入ってしまった彼らは、只管真面目な顔を作ったまま「申し訳ありません!」と叫ぶ。
ラムスは一度首を振り、一応の労いの言葉を――多分に皮肉が混じっていたが――掛けつつ歩みを再開。そうして背後から、先の二人が気を抜いた気配を感じ取ると、忌々し気に鼻息を漏らした。
「こんな有様では、有事の際にどれだけ役に立つというのだろうか……」
潜めた声には明かな嘆きが籠っていた。若い頃から幾度となく戦場に臨み、また大戦の修羅場を経験したラムスにとって、現在の帝国軍内部の状況は「弛み切っている」の一言に尽きた。
彼自身、そんな思いが自分の押し付けに近い事も、戦後三十年を迎えて平和への機運が高まりつつある事も理解してはいるのだ。しかし、そんな状況にあるからこそ、平和の守り手となるべき軍人が気を抜くのは言語道断であるとも固く信じていた。
「民を守るべき槍にして楯がここまで軟弱でどうする……」
そう呟くラムスの足は、一直線に”陸上船”の下部へと向かっていた。そこには輸送物資を収める集積所や、装甲車両の類が保管される格納庫が存在する。今回ラムスが目指すのは後者であった。
「それにしてもバッハめ。この面倒な時に、奴は……」
齢五十をとうに過ぎながらも、その健脚ぶりは健在。階段を勢い良く駆け下り、通路を渡り、数分後ラムスは格納庫の前へ辿り着いた。すると、入り口の前に困惑した表情を浮かべた歩哨が立ち尽くしている。
どうしたのか、とラムスは訊ねなかった。格納庫の奥から、何やら賑やかな笑い声と、金属同士を打ち合わせる音が彼の立つ場所まで届いて来たからだ。中で何が起きているのかは明白で、故にラムスは無言のまま、能面の様な無表情を貼り付けると格納庫へ足を踏み入れる。
途端、ラムスの鼻腔に強い酒精の匂いが感じられた。
「……ッ」
ラムスの額に、びしり、と青筋が走る。彼は足を止め、蟷螂が鎌を擡げるのにも似たゆっくりとした動きで首を動かし、格納庫の奥の一角を見た。そうして、視線の先に繰り広げられている馬鹿騒ぎと、その主役として君臨している顔見知りの老人の姿を認めた。
同時、無言で目の前を通り過ぎて行ったラムスの姿に、怖れと好奇心を刺激された歩哨が格納庫内を覗き込んだ。そして、全身から怒りの雰囲気を漲らせているラムスの背中を視界に収めて息を詰め、次いで彼の向こうに目をやって絶句する。
目を剥いて硬直した歩哨が見守る中、ラムスは通路を歩き回っていた時とは正反対の静かな足取りで、歩いて行く。足音一つ立たないその一歩一歩は、しかし巨人が歩む様な迫力をもって積み重ねられていく。
やがて、彼は騒ぎの中心となっている格納庫隅の一角の付近まで来た。砂上戦闘用に黄土色の迷彩塗装がされた戦車のすぐ脇、車座を組んで盛り上がっている一団は、今だラムスの到来に気が付かない。めいめい酒を飲んだり、糧食からくすねたと思しき塩漬けの肉やビスケットを齧ったりしながら、賑やかに『ゲルプ帝国』の国歌だの、民謡だのを調子っぱずれな調子で歌っている。
ラムスは思わず眩暈を覚え、額を抑えた。栄えある帝国軍の軍人が、なんたる様か。
そしてなにより、それを主導したと考えられる人物は……、
「……バッハ・アーベライン将軍」
ぼそり、と発せられたラムスの言葉は、酒盛り集団の生み出す喧噪に紛れて消えた。しかし、流石に何かを感じたのか、ふと赤ら顔のまま一人の兵士が振り返った。そして、折角のお楽しみを邪魔しに来た無粋者へ罵声を浴びせようと口を開いた所で冷然と見下ろすラムスと目が合い、一瞬にして蒼褪める。
一人が気が付けば、次第に二人、三人と連鎖していく物である。彼らは一様に表情を困惑と驚愕の入り混じった物に固め、目を泳がせながら口をぽかんと開いた。次第に騒ぎのトーンは収まっていき、とうとうその場のほぼ全員がラムスの存在を知った事で、格納庫内には張り詰める程の沈黙が下りた。
「……ん、んー? おいおいどうした諸君、急に黙り込んだりして」
そんな中、事態に気が付いていない人物の暢気な声が上がった。彼は鼻の下に蓄えた立派なカイゼル髭を指でしごきつつ、酒で赤らんだ顔をしまりのない笑顔に緩めたまま周囲を見回した。
「まだまだ酒も食い物も残っとるぞ。なに、遠慮することはない。あとで私が上手く言っておく。さあ、次は君の番だぞ。そうだな、ここらで景気付けに「帝国進軍歌」でもどうだ? 知ってるだろ?」
水を向けられた兵士は、青くなった顔を左右に振る。彼の視線はチラチラと、腕を組んで自分達を睥睨しているラムスへ向いているのだが、カイゼル髭の人物は気が付かない。
「なんだ、ノリの悪い奴だな……。それとも、もしかして、あの仏頂面に見つかると思ってるのか? 安心しろ、どうせ奴は書類仕事に忙殺されとる。暫くは部屋に籠りっきりだろうし、ここで私達が呑んでる事にもまだ気が付かんさ」
がはは、とさも愉快そうに笑い声を上げた彼は、更にこうも言う。
「それにしてもラムスの奴、頭が固いと思わんか? ん? 軍規だのなんだのと理由を付けて、私らの楽しみを片っ端から奪っていくんだからなぁ! だから結婚生活も上手く行かんし、毎日毎日あんなつまらなさそうな顔をしとるんだ。あれじゃあ遠からず、愚痴と説教しか垂れ流さん偏屈爺になるのが関の山で……」
「成る程、確かにそうかも知れませんな」
「おう、お前もそう思うか。なら今度、直接言ってやると良いぞ。なぁに、その程度で怒る様なら忍耐と寛容が足りん証拠……」
……そこで、カイゼル髭の人物は自分の長広舌に口を挟んだのが誰なのか思い当たったらしい。きょとんとした顔を浮かべると、酒の為にとろんとした目を動かし、ラムスの顔を見つけて口を開く。
「……おや、ラムス将軍」
「随分と楽しそうですね、バッハ将軍」
視線をかち合せた二人の将軍の間に、濃厚かつ名状しがたい雰囲気が流れる。少なくとも、周囲で様子を見守っていた兵士達にはそう感じられた。彼らがゆっくりと腰を持ち上げ、酒瓶や食い物の類を手に持ちながら退避の準備を開始する中、ラムスはこれ以上ない程に軍規を蔑ろにした同胞へ言葉を続けた。
「将軍。色々と言いたい事はありますが、まず、ここがどこか理解しているのでしょうな」
愛想の欠片もない、絶対零度の敬語口調である。対し、それを受けたバッハはにやりと不敵な笑みを浮かべた。彼はすぐ近くに転がっていた未開封の酒瓶を掲げて見せると、どこまでも暢気な口調で。
「おう、お前も呑むか?」
……ラムスが稲妻の如き怒号を口から迸らせたのは、その直後であった。
-§-
20180820:一部表記修正。
20181013:文章修正。