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騎士とメイドと砂の上:5



 -§-



「……酷いですよぅ、主様」 


 白銀の騎士によって”爪土竜(ツメモグラ)団”の食卓から無理矢理引き離れた銀髪のメイドは、不満の表情をありありと浮かべた。

 彼女は、腕を組んで壁に背を預ける主を見上げ、口を尖らせる。


「私、まだ、お腹が空いているのに……」


 対する白銀の騎士は憮然とした表情を決め込んだまま、銀髪のメイドに目も合わせず、


「胃の容量限界まで食料を詰め込む事を食事とは言わん」


 そう冷たく断言するが、銀髪のメイドは尚も食い下がる。


「む……で、でも! 折角のお誘いを断る方が失礼だと思います。出されたものは残さず食べるのが、食材に対する礼儀ですよ!」


「……その理屈で言うなら、お前には今後一切食物の類を見せない方が良さそうだな。世界丸ごと食われかねん」


 すると、銀髪のメイドは心外だ、とでも言う様に頬を膨らませた。幾らか抗議の意を込めた声で、


「私、そこまで見境ないわけじゃないですよぅ」


「どうだかな、噛み砕けて味のある物なら、椅子やテーブルでも食いそうだが」


「……主様は、私を破砕機か何かと勘違いしておいででは?」


「そう思うだけの前科があるからだ」


 白銀の騎士は嘆息しながらそう言った。どうにも、このメイドは何に付けても食欲優先、それも際限がないのが困りものだ。思い返してみれば、その事で生じた余計な問題や出費は今までに数え切れない。


 例えば、


「俺がふと目を離した隙に、商店の店先に置いてあった果物を粗方食い尽くしたりな……」


 白銀の騎士が銀髪のメイドを伴い、ある街へ買い物に出かけた時の事だ。所用を済ませる為に彼が数分程銀髪のメイドを一人にした際、その事件が起きたのだ。戻ってきた白銀の騎士が見た物は、茫然自失の状態でへたり込んだ商店の主と、腹を膨らませたメイドのご満悦な姿であった。


「あれは、一籠で100ゴルトなんて書いておく店の方が悪いんですよぅ。それに私、ちゃんと確認しましたしね」


 確かにメイドの言は事実だが、その「一籠」の基準とは傍らに重ねて置いてあった小さな籠を指していたのであり、断じて果物全部を纏めて入れてあった大籠を指している訳ではなかったのだが……。


「大体あんな小さな籠でそんな値付け、ぼったくり以外の何物でもないですよぅ。それに見た目はともかく、全然甘くないのが殆どでしたし……。未熟な実を外見だけ整えて売ろうとしてたんですよ、あれ。詐欺ですよ、詐欺」


 あくまでも、銀髪のメイドに悪びれる様子はなかった。白銀の騎士は半狂乱で泣きながら食って掛かってきた店主の顔を思い出し、なんとも言えない気持ちになる。


「店主の商売があくどいかどうかの論議はともかく、普通はあの量を一人で食おうとは思わん……」


 結局、その時は所持品を幾らか売り払って作った金で補填をする事になった。以来、白銀の騎士は買い物の際、銀髪のメイドを自身の傍から離さない事を心掛けている。


 他にも、祭りをやっている村に立ち寄った時、住民が「食べ放題」と言ったが為に大鍋に入れられていた数十人分はある芋煮を殆ど食い尽くしたり。野盗の集団が野営しているのをやり過ごそうとした時、焚火にくべられている獣の肉に反応したメイドが突っ込んで行き、結局乱戦になったり。


 それ以外にも、挙げていけばキリがない。彼女と出会った頃はまだ、ここまで酷くはなかった筈だが……。


「……食い物の味を覚えさせ過ぎたか。こんな事なら、もう少し粗食に慣らしておくべきだったか」


「それならそれで、多分それを食べ尽くすだけですねぇ」


「自覚があるならもう少し自重しろ。牛や豚じゃあないんだ……ブクブク太って動けなくなったら、俺が困る」


 眉をひそめた白銀の騎士に対して、銀髪のメイドは笑顔を浮かべた。それはどこか、試す様な色を帯びて、


「そうなると、旅が出来なくなるからですか?」


 その言葉に白銀の騎士が横を向けば、銀髪のメイドが笑みのまま彼を見上げている。白銀の騎士は、頭二つ分低い位置にあるその双眸を見つめ返し、


「無論だ」


 躊躇の素振りすらも見せず、断言した。彼は己の旅の道連れである存在の、蒼い瞳を真っ直ぐに見据えたまま口を開く。


「この旅は俺一人が目的地を巡れば済むものじゃない。むしろ、本来なら、お前が主体となって為すべきものだろうよ。……それが、何故、俺がお前の手を引いてやらなきゃならんのか」


「だって、面倒臭いじゃないですか」


「お前な……」


 声の調子に険を滲ませた白銀の騎士が、更に何か言おうとした時である。銀髪のメイドは浅く目を伏せると、それまでのどこか気楽な調子とは懸け離れた真剣な表情を浮かべ、口を開いた。


「面倒臭いですよ。どうして私が、主様が、そんな事をしなきゃならないんです? 私達にそんな義理はないでしょう、なにもかも、事が済むまでのんびりしていればそれで良い筈です」


 彼女の口調は投げやりなものであったが、同時に本心から発言しているのだという明確な感情が込められていた。銀髪のメイドは、いっそ明らかな不快感すらも寄せた眉根に表し、尚も言う。


「知った事じゃないですよ、この世界の行く末なんて。人間なんて、勝手に死んで、滅んでしまえば良いじゃないですか。文句があるなら、自分達で何とかすれば良いんです。その結果どうなったって、私達には関わりのない事ですよーぅだ」


 不貞腐れた様に言う彼女は、そして「大体ですね」と、前置きして、


「あいつらだって、さっき殺してしまえば良かったのに」



 -§-



 それがまるで当然の、ごく当たり前の自然の摂理であるかの如く。明日の夕飯を決める様な気軽さで、銀髪のメイドは言ったのだ。白銀の騎士の目元がほんの微かに強張る。


 銀髪のメイドは視線を主から外すと、簡易的な食卓に着いている”爪土竜(ツメモグラ)団”を見た。先程から何かを小声で相談していた彼らは、今は妙に気落ちした様子で食事を続けているが、銀髪のメイドが見ている事に気が付いたのか一様に緊張した面持ちとなる。


 それでも面倒を避けたいのだろう、彼らは何かを言ってくる訳でもなく、むしろ明るい口調で他愛のない雑談を開始。二人の旅人の事など気にも留めていないという態度で、食事へ集中し始めるが、


「……酷い猿芝居だと思いません? 先程からチラチラ、こちらを窺っていたようですし、話していたのは私達の事ですよ。下卑た妄想で好き勝手な事を噂していたんでしょうけど、やはり生き方なりの品性しか持ち合わせていないんでしょうねぇ。……それに、あいつら、テーブルの下に武器を隠し持っています」


「当然の警戒だろう、俺達はあくまで部外者だ」


 白銀の騎士が口を挟むと、銀髪のメイドは「立場を分かっていない証拠です」と、冷酷に断ずる。


「まぁ、あれで隠せてるつもりなのはお笑いですけど。大体、あんな玩具で主様をどうにか出来ると思っているのが、不愉快です。あれだけやって、力の差も理解出来ない愚物共が……」


 言いながら、徐々に彼女の口調に籠る感情が熱を帯びていく事を白銀の騎士は悟る。銀髪のメイドは既に露骨な悪意を隠そうともせず、眇めた瞳には殺伐とした光すらも宿し、


「特にあの禿げ頭、いざとなれば刺し違えてでも……なんて思っているのが滑稽でしょうがないですよ。その癖、私達にびくびく怯えて、外面だけは強気な態度を保っているのが丸わかりで……」


 銀髪のメイドは、そこで表情を切り替えた。主へ向けて「名案を思い付いた」とばかりに一点の曇りもない純粋な笑顔を浮かべると、明朗な口調で言うのだ。


「やっぱり、今からでも、あいつらを皆殺しにしませんか? 生かしておいても、何の得にもなりませんよ。これを動かすのに必要な分だけ残しておけば、十分じゃないですか。食料も独り占めできますし、何より今後の足が手に入りますよ。私達の旅もぐっと楽になりますし……」


 フン、と鼻で笑う。


「あんな奴ら、主様が本気になれば一瞬で細切れに出来るのだから。そもそも、命としての格が違うんです。だから――」


 そうして、彼女は、決定的な一言を紡ごうとする。


「――私達に消費されるのが、当然の……」


()()()


 白銀の騎士が静かに発した三音。窘めと戒めの意を含んだそれを聞いた銀髪のメイドは、途端に表情を無と変じ、口元を引き結んで黙りこくった。


 銀髪のメイドの唇の動きを封じたそれは、他でもなく、彼女という存在を示す名前であった。


「いい加減にしろ、ギンカ」


「――ッ」


 白銀の騎士がもう一度その響きを口にすると、銀髪のメイド――ギンカは、びくりと身を震わせた。そうして表情に、先程までとは正反対の恐れと焦燥を色濃く浮かび上がらせる。その様子を横目に窺い、白銀の騎士は溜息交じりに言葉を続ける。


「……そういうのはもう止めろと、以前にも言っただろう。お前が、()()()()()に馴染めないのは良い。その中で生きる事の煩わしさや窮屈さに、耐え難いのは分かる」


 そこで、白銀の騎士は視線をつと、”爪土竜(ツメモグラ)団”達の方へ向けた。


「連中が気に食わないのも、別に良い。俺も奴らを侮蔑し、批判した。その根拠も、言ってみれば単なる好みでしかない。そして、お前がそれを引き摺ってアレコレ批評するのも、別に今更止めたりしない。ある意味では因果応報の面もあるし、普段の我儘が度を越したくらいの事なら、拳骨程度で済ませてやる」


 だがな、と。


「お前が「お前達の常識」に於いて人間を殺すという行為を是とするのならば、俺はそれを否定し、拒否する。何故なら、結局のところ俺も奴らと同じ、人間だからだ」


 白銀の騎士が告げた言葉に対し、ギンカの反応は顕著であった。彼女は苦い物を噛んだ様に、強く表情を強張らせ、奥歯が軋む程に食い縛った。そうして、唇の隙間から絞り出す様に、


「……違いますよ、主様は、あんな連中とは」


「同じさ」


 だが、白銀の騎士は譲らなかった。ギンカの反論を切って捨て、


「違うのは思想信条、置かれた立場、そして何を目的としているかだけだ。それがぶつかり合う場合に起きる諍いや争いは生存競争的に避けられない事だろう。俺も降りかかる火の粉は払うし、黙って殺されてやる義理もない。だが、お前は今、その境を飛び越えようとした」


「……ぅ」


「命の格とは、なんだ。お前がそれに優劣を付けるならば、お前が”主”と呼ぶ俺もまた人間だ。それとも、そんな存在に従うのが遂に嫌になったか? ならば――」


 白銀の騎士は一切の感情を表に出す事なく、責める風ですらもなく、


「――今からでも俺を殺して、何処へなりとも好きに行けば良い」


 冷然と言い放たれた白銀の騎士の言葉に、ギンカは愕然とした。目を見開き、主と呼ぶ男の顔を見上げ、彼が自分に視線を向けていない事を知る。無表情に固められたその顔に、思わず何か言おうとして口を動かすが、ただ「あ」、「お」という言葉にならない吐息が漏れるだけで、叶わない。


 対して、白銀の騎士は明確に言葉を紡いでいく。視線をギンカと合わせぬままに、何でもない事の様に、淡々と。


「……それで終わりだ。命としての格とやらが劣るこの俺を消費し、自由になると良い。下らない旅と、それに付き纏う使命だの、人の中で生きる窮屈さだのに煩わされる事もない。阻む物が存在しない世界を、お前の()で好きに蹂躙し、好きに喰らい尽くせば良い」


 それが、お前の望みならば。


 そう締め括った白銀の騎士へ……、ギンカは遂に言葉を返す事は出来なかった。彼女は力なく視線を床へ落とし、俯いてしまう。


 重苦しい沈黙が、二人の間に満ちる。”砂中潜航艇(サンドダイバー)”が航路を突き進む音だけが、やけにはっきりと聞こえた。


 やがて、数分の間をおいて。顔を俯かせたまま、ギンカはぽつりと零した。


「……出来る訳、ないじゃないですか」


「何故だ」


 白銀の騎士の端的な返答に、ギンカは泣きだす寸前の表情となり、弱々しい声色でなんとか言う。


「だって、主様が……私の全てなんですよ……」


「それは、ただの成り行きから生じた結果でしかない。お前が俺に感じている恩とやらも、お前にしてみればただ自由を縛る枷にも等しい筈だ……」


「そんな事、ある訳ないじゃないですか……ッ!!」


 ギンカが声を荒げた。何事かとこちらへ振り返った”爪土竜(ツメモグラ)団”の面々に「何でもない」と手を振って追及を抑え、白銀の騎士は自身の同行者の顔を見る。


 心の底から縋り付く様な、必死の表情がそこにはあった。


「言わないで下さいよ……ッ! そんな事、お願いですから……」


「…………」


「主様が居なければ、今の私は存在しないんですよ……? 今の私を定め、救ってくれたのは、貴方なんですよ……。なのに、貴方がそんな風に言うなら、私は……」


 言葉の最中、透明な雫が彼女の頬を伝って落ちた。ギンカは泣いていた。その美しい相貌を幼い子供の様にくしゃくしゃに歪め、嗚咽を漏らし始める。


 ここに来て、それまで鉄面皮を保っていた白銀の騎士の表情に、微かな動揺と罪悪感の色が混じる。ふと彼が視線を感じてそちらを見れば、”爪土竜(ツメモグラ)団”の面々があからさまな「面倒事は御免だ」という苦い表情を向けてきている。


 白銀の騎士はそれらへ険の籠った睨みつけを返答とし、しばし逡巡した後盛大に嘆息しかけ、止める。「溜息と共に幸福が逃げる」という言い伝えを思い出した彼は、今更に過ぎると首を振り、


「……あ」


 分厚い籠手に包まれた右腕を持ち上げると、傍らで泣き続けているギンカの頭へと置いた。


「主、様?」


 戸惑う彼女に構わず、白銀の騎士はそのまま乱暴な手つきで彼女の髪を撫で始める。髪が擦れ、ガシガシと音が鳴る程の力強さだ。


「わ、ひゃ、あぅ」


 白銀の騎士の手に首ごと揺さぶられるギンカは、金属の冷たい温度に髪を掻き回される感触に、しかし心地良さそうに目を細めた。その目尻から押される様に涙が零れるが、やがて彼女の口元には笑みが浮かび、漏れた吐息には「えへへ」と喜の感情が混じった。彼女はもう泣いてはいない。


 されるがままになっているギンカに対し、白銀の騎士は手を止めないままに口を開いた。


「少なくとも」


 白銀の騎士は、メイドの髪を撫でながら言う。


「俺はあくまで「好きにしろ」と言っただけだ。選択権は、お前の方にある。俺は俺の立場を譲るつもりはないが……それでも構わんと言うなら、お前が望む様に行動すれば良い」


「……ッ! それ、は……」


「……お前が俺に着いて来たいのなら、それを拒むつもりはない、と言ってるんだ」


 彼の言葉を聞いたギンカは、一瞬呆けた様にぽかんと口を開けると……すぐに笑みの形へと変えた。そうして頬を薄紅色に色付かせ、輝かんばかりの笑みを満面に湛える。


「……本当に、私の好きにして良いんですか?」


「さっき言った通りだ。旅を止めたいというなら別だがな」


 素っ気ない態度の白銀の騎士に、彼の同行者は眉尻を下げた。否定も肯定もなし、あくまで判断を相手に委ねる言い方は、それが彼なりの優しさであるのだとギンカは知っていた。


 故に、彼女は、


「……なら、これからもお供させて頂きます。主様」


「そうか」


 ふと、ギンカが見るのは白銀の騎士の口元である。それはやはりと言うか、平常通りのへの字型に固定されている。彼が微笑んでいたならば良いという彼女の期待は裏切られる事になったが、それに残念を覚える事はなく、


「なので仲直りの証に、街に着いたら晩御飯は高級レストランでフルコースに――」


「するか馬鹿」


 白銀の騎士はにべもなく、上目遣いと共に懲りない同行者から送られた要望を却下した。


 白銀の騎士は半目になると、ギンカの頭に乗せていた右腕をそのまま突っ張る様に押し出した。突然首を妙な方向に曲げられた彼女は抵抗できず、「げぺっ」等と呻きながらよろめき、たたらを踏んだ。何とか踏みとどまろうとするも覚束ない足元では満足にバランスをとる事は出来ず、


「と、ぁ、――ぐごッ」


 激突音。そのまま壁に額をぶつけ、反動で思い切り背中から倒れ込んだ。音に反応した”爪土竜(ツメモグラ)団”の面々が「いい加減にしてくれ」とばかりの顔を向けてくるのを、白銀の騎士は仏頂面で無視。


「ぐ、ぉぉ……ひ、酷いですよぅ……。主様のイケず……鬼……甲斐性なし……」


「調子に乗るからだ」


 海老ぞりとなって白目を剥くギンカの恨み節をサラリと受け流し、白銀の騎士は面倒臭げに頭を掻いた。それから数秒もしない内にギンカは復帰し、立ち上がると懲りもせず主の横へ戻って来た。彼女にとっての定位置へと。


 ……結局、二人の旅人にとって、この程度はあくまで日常的なスキンシップの範疇であった。それが失われずに済んだという事を、ギンカは安堵と共に受け入れる。


「ギンカ」


 そこに白銀の騎士から、声が掛けられる。なんだろう、と首を傾げた彼女に、


「……お互い、不用意な事は口にするものじゃないな」


 どこか、後悔するようなその言葉に、ギンカは白銀の騎士もまた自身の発言に思う所があったのだと知る。故に、それに対する言葉を彼女自身が口にする事に抵抗はなかった。


「……そうですね。申し訳ありませんでした、主様」


 ギンカは眉尻を下げた笑顔のまま、そう言った。そこでふと、視界の端に揺れていた深紅のマフラーの端を見つけると、細く滑らかな指先で摘まみ、弄び始める。


「……解れるから止せ」


「大丈夫ですよ。私と主様の絆は、こうして触るくらいじゃビクともしませんから、ね?」


「…………」


 それ以上は白銀の騎士も拒絶しなかった。ギンカの嬉しそうな顔から視線を逸らし、黙って彼女の好きな様にさせてやる。ギンカは隣に立つ主の存在を感じながら、彼のマフラーの端を、繊細な花を扱う様にして触り続けた。


 そうして、ぽつりと、呟く。


「……主様は」


「なんだ」


「その鎧を纏い続ける事を、後悔してはいませんか? 私を救った事を……」


 白銀の騎士は、……頷かなかった。その上で「成り行きだ」とも、今度は言わない。


 なので、ギンカはそれ以上追及しなかった。それ以上を踏み込む事は、彼の気遣いを無為にする事にもなるし、なにより彼女自身に恐れがあったからだ。


 だから、その代わりに、こう言った。


「さっき、砂から庇ってくれたお礼、言ってませんでしたね」


「何の事だ」


「背中に庇ってくれたでしょう?」


 それは”爪土竜(ツメモグラ)団”との接敵時、巻き上がる砂の雪崩に対して白銀の騎士が取った行動に対しての言及であった。


 ギンカは知っている。自分の主が、本来ならばあの程度の脅威はものともせずに乗り切れる力を持っている事を。その気になれば砂粒一つ浴びる事もなく、それどころか”砂中潜航艇(サンドダイバー)”が姿を現した時点で諸共に吹き飛ばす事すらも出来た筈なのだ。


 それをしなかったのは、後者については彼の判断に因る物だろうが、前者は……。


「……私の身を案じてくれたんですよね?」


 ギンカはあの時、見ていた。白銀の騎士の、押し寄せる砂から彼女を守る為に立つ雄々しい背中を。故に、


「有難う御座います、主様。とても嬉しかったです……」


 白銀の騎士は、己の従者からの礼を受け、


「良いさ」


 そう、一言だけ返した。



 -§-



 ……旅人二人の乗船から、数時間が経過した頃である。俄かに”爪土竜(ツメモグラ)号”の船内が慌ただしくなった。構成員達が口々に連絡を取り合いながら、艦内を走り回って一斉に作業を始めたのである。それらは無論、目的地が近付いた事を意味する。


「……着いたのか?」


「ああ、今は野郎共が()()の準備をしているって所だ」


 ギンカを伴って近付いて来た白銀の騎士へ、”爪土竜(ツメモグラ)団”の頭目は答えた。彼らが目指していた『マドレッター港街』へは、あと十分もしない内に到着すると。


「流石に速いな」


「そりゃあ、歩くより遅くちゃ意味がねぇよ。――おう、今の内に向こうさんへ「今から着きます」って報せとけよ! 顔出した瞬間、襲撃目的と勘違いされて砲撃されちゃあ堪らねぇからな!」


「――了解! 信号発信します!」


「おーし、他の奴は積み降ろし荷の最終確認だ! 要らねぇモンを片付けて、装備類も点検しとけ。それが済んだら順に報告しろ!」


 頭目は白銀の騎士に応答しつつも、部下達へ的確に指示を出し続ける。そしてその度に艦の彼方此方から威勢の良い返事が戻って来るので、周囲は一層騒がしくなっていく。


「うぅ……喧しいです……」


「慣れているんだな」


 反響する”爪土竜(ツメモグラ)団”のドラ声の合唱に思わず耳を抑えて呻くギンカの傍ら、白銀の騎士は頭目への素直な関心を示した。対して、頭目は特に威張った態度もなく当たり前の様に、


「そりゃ、この商売初めて長いからな。この”爪土竜(ツメモグラ)号”を手に入れてからは、こいつが俺達の家も同然よ。目ぇ瞑ってたって、何処に何があるか、どう動かせば良いか俺達には分かるのさ」


 成程、確かに”爪土竜(ツメモグラ)団”の働きぶりは見事である。良く見てみれば、一人として無駄な動きをする者が居ない。全員が最高の効率を発揮できる様、お互いに気遣いながら動いているのだ。そしてそれらへ的確な采配を送っているのは、彼らの頼れる頭目という訳である。


「……チンピラ紛いという評価は、誤りだったか」


 白銀の騎士はそう呟くと、彼らの作業の邪魔をしない様に壁際に身を寄せた。頭目も彼にこれ以上関わっている暇はないらしく「まぁ、客人は大人しく座っておけ」と言い残すと、何処かへ早足で去っていってしまった。


 ……そんな中でギンカだけがぼぅっと通路のど真ん中に突っ立っていたので、白銀の騎士が首根っこを掴んで引き摺っていくという一幕も起きたが、これについてはどうでも良かろう。


「――頭目! 向こうさんから接岸許可が下りましたぜ!」


 更に数分が経った時、構成員の一人が潜望鏡を覗きつつ叫んだ。


「ただ今回は、何時も通りの場所じゃなくて街の南側に着けろ、との事です!」


「……なに? 普段、俺らが使ってんのは東門の傍じゃねぇか。どうしてそっちは使えねぇんだ?」


「はい、どうやら先客が居る様で……ッ! ……あー、こりゃあ、()()()の”陸上船(ランドシップ)”ですぜ」


「”陸上船(ランドシップ)”だぁ!?」


 ”陸上船(ランドシップ)”とは、主に陸上での兵員や物資輸送に用いられる大型の自動機械である。頭目は素っ頓狂な声を上げると、空いている潜望鏡の覗き窓へ駆けて行く。そうして自身の目で事実を確認すると、盛大に舌打ちをかました。


「チッ! 『ゲルプ帝国』の軍人共が、マドレッターに一体何の用だってんだ!」


 ”墓穴掘り(ディッガー)”である彼らは、お世辞にも『ゲルプ帝国』の軍部と仲が良いとは言えない。頭目が吐き捨てた言葉には明らかな嫌悪の響きが伴っていた。


「どうします?」


「……仕方ねぇ、こんな所でドンパチやっても意味ねぇしな。街に被害出しゃあ今後やり辛くなる……今回だけは譲ってやるか」


 頭目は不承不承、「南側に着けろ!」と叫んだ。部下から了解の応答が送られて来るのに頷き、不機嫌な表情を隠そうともせずに小さく罵声を零した。彼はそのまま壁に近付いて行くと、そこから突き出していた金属製の取っ手を掴んだ。


 直後、”爪土竜(ツメモグラ)号”の船体が大きく唸りを上げながら、徐々にスピードを落としていく……。


「お二方、そこら辺にある取っ手に掴まっときな! バランス崩してコケるぜ」


 頭目の言葉に従い、白銀の騎士は付近の壁から生えた「コの字」型の持ち手を掴む。ふと、見れば持ち手の横に革製のベルトが巻き付けられているのを発見する。


「ああ、不安ならそいつを身体に巻くと良い。飛び出す時の振動は、大の男でもキツイだろうからな。だが、変に腕や腰だけに巻き付けると却って痛めるからよ、気を付けな!」


「ああ、分かった」


 白銀の騎士が周囲を見渡せば、”爪土竜(ツメモグラ)団”の構成員達は、体全体に負荷を分散する様な形でベルトを上手く巻き付けている。その中でも多くはベルトと体の間にクッション等を噛ませていた。


 白銀の騎士は少し考え、ベルトを引き出すと戦闘用装甲(コンバットアーマー)のハードポイントに噛ませる様にして、上から巻き付けた。差し当たってはこれで体の固定は十分だろう。それと同時、艦内に響いていた振動が強くなる。”砂中潜航艇(サンドダイバー)”が砂中から地上へと飛び出すのだ。


「――喋んなよ! 舌噛むぞ!! 腹に力入れろ!!」


 頭目の言葉から数秒後。激しい振動を伴ってやってきた強烈な慣性に、流石の白銀の騎士も身体が前方へと持って行かれそうになる。


「……ッ」


「わっ、と!」


 持ち手に掴まっては居たが、慣性に負けて手を離しかけたギンカを白銀の騎士は支えてやった。抱き締める様な姿勢で引き寄せると、彼女は白銀の騎士の腕の中でもごもごと何事かを呟く。その内容は礼かと思えば、


「あ、主様……。と、突起が、か、顔に……むぶっ」


「……我慢しろ」


 どうやら戦闘用装甲(コンバットアーマー)に圧迫されているらしい。見れば、彼女の頬が腕と胸の装甲に挟まれてタコ顔になっている。しかし今更手の力を緩める事も出来ないので、白銀の騎士はそのままギンカを抑え続けた。


 やがて、徐々に白銀の騎士の身体に掛かる慣性が弱まっていく。”砂中潜航艇(サンドダイバー)”が減速しているのだ。そして、遂に一際大きな軋む音を響かせると……”爪土竜(ツメモグラ)号”は停止した。


 静寂に包まれた艦内に安堵が満ち、至る所から構成員達の歓声と溜息が漏れ聞こえてくる。


「――よぅしお前等、荷物持って降りる支度だ!! 三分で済ませろ、遅れた奴ぁ晩飯抜きだぞ!!」


 頭目がそんな浮かれた雰囲気を引き締める様に叫び声を上げている。構成員は慌てて体からベルトの固定を外すと、三々五々に散っていった。


 白銀の騎士とギンカはそれらの様子を尻目に、連れ立って降車ハッチへと向かっていく。二人の行動に気が付いた頭目が声を掛けようとするが、それより先に白銀の騎士が口を開いていた。


「世話になったな、俺達はここで降りる」


「お、おう……そうかい」


 長々としたやり取りは不要。白銀の騎士のそんな態度に頭目は出鼻を挫かれ、言葉を濁す。内心の「ようやく厄介な荷物を下ろせた」という清々した気持ちを顔には出さない様に注意しながら、去っていく二人分の背中を見送った。


「あいつら、行きましたか?」


 頭目に近付いて来たのは、バンダナの構成員である。彼は個人の荷物の他、『マドレッター港街』で売る為の()()()が詰まったケースを抱えていた。


「これで取り敢えず、安心って所ですかね」


「馬鹿野郎、次の船が出るまで奴らは街に滞在するんだ。まだまだ気は抜けねぇよ」


 その言葉に冷や水を浴びせ掛けられ、バンダナの構成員はうんざりとした表情になる。結局、未だ完全に気を休められる訳ではないらしい……。


「……妙な事が起きなきゃ良いですけどね、なんせ”古式魔技(オールド)”つか痛ってぇ!!」


 あまりにも迂闊な彼の尻は、頭目に手酷く蹴り上げられた。尻を抑えて倒れ込んだバンダナの構成員に、頭目は「この馬鹿野郎は……」と心底呆れた表情で、


「おら、余計な事に気ぃ回してねぇでさっさと仕事しろ!! 俺はこれから、マドレッターの経営陣に挨拶して来なきゃならねぇんだからよ」


 と、もう一度バンダナの構成員の尻を蹴り上げて無理矢理立たせると、踵を返して船長室へ歩き出した。”爪土竜(ツメモグラ)団”を束ねる立場にある彼の仕事は、むしろここからが本番だ。


 根本的にアウトロー、ならず者としての集団に過ぎない”墓穴掘り(ディッガー)”は、街へと足を踏み入れる際の折衝や根回しと言った各種手続きを怠る訳には行かないのだ。それが、交通・経済の中心点の一つとも言える要地であるならば尚更慎重な対応が求められる。


「……軍が来てるともなりゃあ、あまり馬鹿も出来ねぇしな」


 ”爪土竜(ツメモグラ)団”は精強な構成員に因って成り立つ武闘派の一党だが、流石に真正面から軍と、それも市街地で戦端を開くのは分が悪いにも程がある。なるべく目を付けられない様、そして何時でも逃げ出せるように準備を整えておかねばならない……。


「部下共にも、注意しとかにゃあ……。下手に酒場で暴れたりすりゃあ、面倒な事になる」


 考えるべき事は多い。大体、最大の不確定要素とも言えるあの二人の旅人の目的も、今の所は判然としないのだ。尤も、ある意味では彼らのお陰で、軍に目を付けられる理由が増えずに済んだ節もあり。


「「禍福は糾える縄の如し」ってなぁ、よく言ったもんだぜ……全くよ」


 頭目は皮肉たっぷりに独り言ちると、今後の身の振り方を考えつつ、”爪土竜(ツメモグラ)号”の通路を足早に歩いて行った。



 -§-



 頭目に一方的な別れを告げた白銀の騎士は、”砂中潜航艇(サンドダイバー)”の船内を歩き、後部のハッチへと向かった。乗り込む時にある程度の構造は記憶していた為、案内も伴わずに迷いなくそこへ辿り着く。


 昇降口となっている空間には、既に幾人かの”爪土竜(ツメモグラ)団”構成員達がやって来ていた。彼らは降車の準備を整え、荷物と共に整列している。


 白銀の騎士はそれらの間を割る様に――実際、白銀の騎士とギンカが通ると、彼らの方から道を譲った――して歩いて行く。そうして、怖れと困惑、嫌悪の籠った視線をたっぷりと左右から浴びつつ、人混みの中を抜けていき、二人は数時間ぶりに大地へと降り立ったのだ。


「ふぅ、やっと外の空気が吸えましたよ! もう、むさくるしくて!」


 ギンカが思い切り深呼吸を始めるのを見やりつつ、白銀の騎士は外の様子へ視線を巡らせた。


 既に日は沈み掛け、見上げた先にある色彩は紅く燃え上がっている。西空の端から夜の濃紺が持ち上がって来ており、やがて数十分も経たない内にそれは全天を覆うのだろう。


 足元、砂の感触を確かめながら、白銀の騎士は視線を下ろしていく。その先に彼らが目指していた都市がある。夕陽によって赤々と照らされ、同時に逆光の為に齎された影が色濃く刻まれた広大な港湾都市。『ゲルプ帝国』が誇る『マドレッター港街』の威容が、広がっていた。


 既に灯りが灯り始めている都市部からは、賑やかな喧噪が聞こえてくる。経済都市としての側面も強いこの街には必然的に人も集まるので、その中で営まれる生活はさぞかし賑やかで、精力に満ちた物だろう。街の彼方此方からは橙色に染まった煮炊きの煙が上がり、歓楽街と思しき一角にはチカチカとけばけばしい光を放つ広告の幟が乱立していた。


 荷物積み降ろし様の巨大なクレーンが屹立する港部分には、数隻の輸送船がマストを畳んだ状態で停泊している。作業を終えた水夫達が徒党を組んで何処かへと歩いて行くのが見えた。その先に広がる大海原からは、さざ波の音と、濃く匂い立つ潮の香りが漂って来て、『マドレッター港街』の一帯を包み込んでいる。


 気楽な旅人ならば、思わず目を見張り立ち竦む様な、それ程に力強い光景であった。人間の文明という概念の底知れなさを感じさせる様な……だがしかし、それらは生憎、白銀の騎士にとっては強く関心を引く物ではなかったのだ。


 白銀の騎士にとっての目標物。最も重大な存在とは、彼が見つめる先に存在していた。『マドレッター港街』の東端、都市部の端に、天を貫くが如くに聳え立つ一本の塔があるのだ。


「あれか」


「……遂に、辿り着きましたね」


 いつの間にか傍らに来ていたギンカが、どこか名残惜しい様な表情で呟いた。彼女の言葉に頷きつつ、白銀の騎士は逆光の中、眼下へと自身の存在を知らしめる様に存在するその塔の名を、呼んだ。


「”書架の塔”」


 それこそが、彼の目指していた物。彼が自らの旅の目的として、求めて来た物である。


「あれが、一本目、か」


 白銀の騎士は、そこで一度ギンカへと視線を合わせた。「良いな」という、同意を求める為の視線である。それを受けた従者は、諦観と許容の入り混じった複雑な笑みを浮かべると、小さく頷く。


「行きましょうか……私達の、使命とやらを、果たしに」


「ああ」


 二人の旅人は、塔を目指して歩き出す。この時こそが、彼らにとっての本当の旅の始まりであった。



 -§-



以前に投稿した物と、登場人物のスタンスがやや変わっています。

また、文章にも大幅な改変をしていますのでご注意ください。

20181013:文章修正。

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