騎士とメイドと砂の上:4
-§-
砂漠を越えた先に用がある。白銀の騎士はそう明言した。
「尤も、こいつが水を無駄に消費した所為で立ち往生をしかけていたがな……」
彼はそう言いつつ、相変わらず床にうつ伏せになったままのメイドを一瞥した。対して”爪土竜団”の頭目は、改めて彼の言葉への疑問を覚える。
「……乗り物もナシに、本気で歩き切るつもりだったのかよ?」
「本来なら、なにかしら足を用意する予定だったさ」
だが、と。そこで白銀の騎士は言葉を切って、床へ向けての横目を作り、
「……それが、手に入らなかったんでな。いや、正確には手に入れ損ねた」
「ああ……」
最早、流れた視線の先を追うまでもなく、頭目は「誰の所為でそうなったのか」を察していた。思わず頷いてしまった彼に、白銀の騎士は「わかるだろう」と眉根を寄せる。
「だから徒歩だ。……それでも渡り切れる目算はあったんだがな」
「そりゃあなんとも……」
なんとも間抜けな話だ。ついでに無謀にも程がある。
頭目は率直に思った。碌な装備も持たずに徒歩で砂漠を踏破する例など、今まで聞いた試しがない。いや、『ゲルプ帝国』の伝承を紐解けばその手の”伝説”や”逸話”は幾つか見つかるのだろうが、それだって箔付けの為に後世創作された物が大半に違いない。
かの当代”褐色皇帝”が幼少期に敵対陣営の手によって誘拐され、砂漠を越えた国境の向こう側まで連れ去られた際に一人で歩いて帰ってきた話など、とりわけ眉唾物だ。今でも本気で信じているのは精々、純粋な子供か、熱心な皇帝信望者か、そうでなければ頭のおかしい馬鹿くらいのものだ。
そしてどうやら、この白銀の騎士も大概「頭のおかしい」部類に入る側だったらしい。だが考えてみれば、そんな間抜けで考えナシで「頭のおかしい」連中に挑みかかり、結果として彼らの思うままにされてしまったのは、自分の判断が原因である。
「……後悔先に立たずってのは、本当だなぁ」
頭目は自らの愚かさに臍を噛む思いであった。一方の白銀の騎士は、頭目の言葉の意味を正確には捉えなかった様だが、彼なりになにか思う所があったのか口元を歪めながら首肯した。
「……ハッ! い、一体何が……!? 急に、頭にガツンと……」
と、そこで銀髪のメイドが気絶から立ち直り、顔を上げた。
げ、と思わず頭目は後退る。散々煮え湯を飲まされたのはつい先ほどの事。美しい外見の下に潜む本性を知った今では、油断など出来る筈がない。
一歩を引いた頭目の視線の先、彼女はきょとんとした顔で周囲を見回し、すぐに頭目の大柄な姿を発見した。お互いの目が合い、頭目は言い様のない気まずさを覚えた。
さて、一体何を言い出すのやら。ただでさえ、頭を殴られて気を失うという普通の人間でも怒りを覚えるには十分な前置きがあるのだ。下手をすれば喚き始め、先程よりもよっぽど面倒な要求をしてくるかもしれない。
少なくとも白銀の騎士が彼女の暴虐を戒める側に立っているのは理解できているが、それとてどこまで期待できるかは未知数だ。どう対応すべきか、その判断をするにも、まずは彼女の第一声を聞かねば始まらない。
そう頭目が覚悟を決めた時、銀髪のメイドは数度瞬きをして……にこりと朗らかに微笑んだ。
「――ッ!?」
小さな花が揺れるが如き、実に可愛らしい笑みである。初心な少年ならそれだけで恋に落ちてしまうだろう微笑みを向けられた頭目は、却って戦慄した。なにせ完全に予想外の反応である。さらに直後、銀髪のメイドが行った行為は、一層頭目の思考を混乱の坩堝へと突き落すものであった。
「ああ、私に食料と水を恵んでくれた方ですね? どうも有難う御座います、お陰で命拾いを致しました」
「……は?」
なんと、慎まやかなお辞儀と謝礼の言葉が飛び出したのである。呆けた様に口を開いてしまった頭目の見守る中、銀髪のメイドはただ黙って深々と首を垂れている……。
まるっきり気を失う前と正反対の態度の差である。ハッキリ言って不気味でしょうがない上に、意図が読めない。あれだけの狼藉をしておきながら、どういう思考の流れが起きてこうなるのだ? 理解が出来ない。
もしや、人間の皮を一枚剥がすと、未知の言語を用い全く異なる価値観で生きる正体不明の怪物が出てくるのではないか……。頭目は一瞬本気で考え、しかし頭を強く振ってその下らない妄想を振り払った。
疑問は尽きないが、それに踏み込むのはあまりにも無謀で危険な行為だと、本能が警鐘を鳴らしたからだ。今までの人生、鉄火場に於いて幾度となく助けられてきたその直観に、頭目は素直に従おうと考えた。故に、頭目も頭を下げながら、
「いや、こちらこそ、どういたしまして……」
どういたしまして。生まれてこの方口にした事もない様な言葉であるが、なんとか正しく発音が出来た。すると頭目の言葉を受けた銀髪のメイドは顔を上げ、再び「にこり」と微笑むと、それきり口を閉ざしたのだ。
凄まじく不気味だ。そう思いつつも追及はせず、頭目は素早くメイドから視線を逸らし、話し相手を白銀の騎士へと切り替えた。多少不愛想でも、こちらの相手をしている方がよっぽどマシだと思えたのだ。
顔を向ける合間に、頭目は話題をどうするべきかと考えた。まさか突然「ご趣味は?」などと聞く訳にもいくまい。ほんの数舜程度の時間の中で結論を付け、頭目は一番無難であろうと思う疑問を口にした。
「で、えっと? 砂漠を越えた先にある……街、か?」
頭目は頭の中に地図を描き、彼らが歩いて来た方向とは逆側に何があるかを考える。彼は曲がりなりにも大陸を縦横に駆け巡ってきた”爪土竜団”の頭目である。数秒も経たず、一つの都市の名前を思い出した。
「……もしかして、『マドレッター港街』か?」
白銀の騎士は頷いた。
「ああ、そこに用がある」
『マドレッター港街』。それは大陸西端、帝西海に面する形で築き上げられた一大港湾都市である。
かつての戦乱に於いては文字通りの沿岸要塞として、中央海を南下して押し寄せる『クラースヌィ連邦』の大船団に対する防衛拠点として利用された『プリュートナ城塞港』。
『ゲルプ帝国』最大の港湾貿易拠点であり”帝国の玄関口”と称される『グリュバフ港街』。
その二つに並び、合わせて”帝国三大港”の一つに数えられる要地だ。大戦の主戦場となった『アラハァス砂漠』に布陣する帝国軍への補給路の基点として、『グリュバフ港街』からの物資受け取りに大いに活用された過去がある。
因みに、現在では『ゲルプ帝国』中枢である”帝都”からの物品の受け入れが主な役割であり、これには大戦時に利用されていた航路がそのまま使われている。
国外からは、帝西海を西へ渡った先の『トゥイガ』より魚介類や貴金属、天然ゴムや綿などを。
同じく帝西海を北西へ向かった先の『サヴァナ』からは肉、大豆、米などを。
北方『ヴァルコ』からは主に同国で生産された工業製品を。
遥か大北洋の彼方『イグルスタ』からは肉、果物、小麦などを、それぞれ輸入している。
その他、帝国の遥か北東に位置する『トゥルーン・フジャーン』。
東平洋に浮かぶ『三統合』とも、上記に比べて規模はやや劣るものの物流を行っており、また当然ながら『ゲルプ帝国』から各国へと送り出す品目も数多い。
閑話休題。ともかく、『マドレッター港街』とは必然的に、世界各地から様々な物品が集積する巨大な商業地帯でもある。四方を海と砂漠に囲まれていながらも訪れる者は多く、通りには夥しい数の商店が立ち並び、活発な経済活動が日夜行われている街なのだ。
「そりゃ、丁度良い……というのもなんだがな。俺達もそこへ食糧やらの買い付けをしにいくつもりだったんでね、渡りに船ってか」
”爪土竜団”の頭目は皮肉も込めてか、わざとらしく大きな頷きを見せると、腕を組んで訳知り気に語り出す。
「あの港街は良い所だぜ。『帝国』からの商隊も定期的に通るんで、その護衛がてらにちょくちょく立ち寄ってたからな、それなりには詳しいぞ」
「お前達の真っ当な飯の種という訳か。……もし、首尾よく俺達を捕えていたなら、そのまま売りに行くつもりだったかな」
そうなれば、むしろ手間が省けたかも知れん。そんな、白銀の騎士の冗談ともつかない発言に、頭目は鼻白んだ。
「混ぜっ返すんじゃねぇ。お前に邪魔された以上、暫く「そういう事」はする気はねぇよ」
「どうだかな」
「少なくとも、お前等の様なのが湧いてくる可能性があるんなら、まだ遺構を荒らしてた方が建設的だ……」
頭目はすっかり後ろ暗い商売への意欲を失ってしまった様だ。また東の方に遠征するかね、などとブツブツ言いつつも、表情は明るい。ある意味では吹っ切れた所があるのかも知れなかった。
「……ともかく、あそこにゃあ色々と珍しいモンが集まって来るから、財布が重けりゃそれだけ楽しい場所だろうぜ。貿易船も出てるから、帝国発行の旅券さえあるなら国外へ出るにも利用できる」
それに、と前置きした上で、
「食い物も美味いしな」
「食べ物!?」
耳聡く反応したのは、銀髪のメイドであった。彼女は撥ねる様に一気に立ち上がると瞳を輝かせ、口の端から涎を垂らしながら歌う様に語り始める。
「良いですねぇ、食材の宝庫! お肉に果物、きっと珍しいお菓子なんかもあるんでしょうねぇ。主様、これは着いたら早速、食い倒れを満喫すべきでは!?」
メイドから満面の笑みに乗せた期待をぶつけられた白銀の騎士は、白けた目を返して即断した。
「俺達の目的には関係がない」
「イケずッ!!」
銀髪のメイドは叫び、しなを作って硬く冷たい”砂中潜航艇”の床へ伏す。彼女が大袈裟に泣き顔を作り、なにやら奇妙な旋律を「るるらら」と奏でながら、指で床に渦巻き模様を描き始めるのを白銀の騎士は無視。
「懲りん奴だ」
「さいで」
頭目の目も冷たかった。この二人の間で銀髪のメイドに対する認識は、ほぼ共通項が確立されたと言って良いだろう。それが良い事なのかどうかは、ともかくとして……。
白銀の騎士は、当て付け気味に奇妙な歌のボリュームを上げていくメイドに蹴りを入れて黙らせてから、頭目へと問う。
「あと、どれくらいで街には着く?」
「そうだな、少なくとも日没までには間に合うだろう。……おい、どうだ?」
頭目は壁際に備え付けられた漏斗状の物体に声を吹き込んだ。”砂中潜航艇”の前方にある操縦席へ通じる伝声管である。間を空けず、返ってきた答えは肯定であった。
「……進行自体は順調らしい、このままなら問題なく着くだろうよ」
「そうか」
返答に白銀の騎士は満足したらしく、頷くと壁に凭れ掛かった。そうして腕を組み目を伏せる。訊くベき事は済ませたので、休息に入るつもりなのだろう。彼の所作を見やり、頭目は「おい」と一声掛けて申し出た。
「休むんなら、部屋を用意するが」
「いや、ここで良い。これ以上は迷惑を掛けられん」
――お前達が居るだけでとっくに大迷惑なんだがな。本音を口にする事は避け、頭目は「さいで」とだけ言っておくことにした。
ある程度人となりを知った所で、所詮は部外者であるという認識は崩れていない。闖入者達に艦内をうろついて欲しくないのが本音であるし、彼らもまた心の内では完全に警戒を解いてなどいないと考えている。故に、お互いの妥協点として丁度良いだろうと、特段拒否はしなかった。
「……おい、テメェら! この客人お二人に不自由ない様、きっちり気を配れよ」
とは言え、野放しにするつもりもない。「監視を徹底しろ」という意味を言外に含む指令を部下へ通達し、それに揃って返事がきた事に頭目は幾分か気分を良くする。揃いも揃って頭目自らが鍛え上げた連中だ、ほんの少し前に派手な敗北を喫したとは言え、未だに彼らの統率は乱れていない。
そこに、部下が食事を運んできた。それが先程頼んだ自分の分の食事である事を頭目は確認すると、
「おう、ご苦労さん。テーブル出すから、そこに置いてくれ。……ああ、それと、お前とお前もここで食うんだ、良いな?」
壁際に立っていた二人の部下に命令を下し、彼らと共に備え付けのテーブルと椅子を引き出す。艦内の壁面に垂直に張り付く様に固定されていたそれは、広げてみれば数人が優に使用できるだけの広さがある。
そうして簡易的な食卓に人数分の食事――缶詰の鶏肉入りトマトスープと、堅く焼いたパン、チーズ、干し肉と言った献立――が広げられた。スープについては艦内の設備で温められ、湯気が立っている。スープは『イグルスタ合州国』から大量に輸入されて来た安物の量販品だが、これで中々不味くはない。飽きも早いが、堅焼きパンをふやかして食べるには上等だ。
料理を運んできた構成員も合わせ、彼らは四人で食卓へと着く。頭目は部外者二名にも声を掛けた。親善の証というより、食事絡みなら声を掛けねばメイドが不平を言いだす可能性があったからだ。
「いや、遠慮する」
「あ、私は頂き……って、ちょ、主様ぁ! そんな無体な……!!」
しかし、メイドがテーブルへ駆け寄ろうとする寸前、白銀の騎士がその肩を引っ掴んだ。そのまま彼女は壁際まで引き摺られて行ったので、どうやら胃を軋ませながら食卓を共にせずに済んだらしい。頭目は秘かに胸を撫で下ろすと、チーズを一欠片齧った。
「……頭目。奴ら一体、何者なんでしょうね?」
そこで、部下の一人が頭目へと小声で話し掛けた。先程、銀髪のメイドへ水を運んできたバンダナの構成員達である。頭目は壁際でなにやら会話を交わしている二人の闖入者を横目に眺めつつ、スープを一口掬って飲み、
「……さぁな。分からん連中だ」
と、やはり小声で応じた。流石に大声を張り上げて彼らの品評をするのは、要らぬ不興を買う恐れがあるので躊躇われたのだ。そうして静かに食事を続ける頭目の傍ら、他の三人は声量は控え目に、あれこれと想像を巡らし始める。
「お付きのメイドと、その主の騎士。見る限りじゃあそんな感じだが、真っ当な主従関係には見えねぇな。”帝都”住まいの貴族、ってガラでもなさそうだ」
「お忍び旅行、にゃ見えませんね」
「駆け落ちにしたって物騒過ぎるな」
三人の構成員達は揃って忍び笑いを漏らした。騎士とメイド、『ゲルプ帝国』内に於いてはそこまで不自然な組み合わせでもないが、それは”帝都”を中心に構築された文明圏の中での話だ。間違ってもこんな所に足もなく、お供も連れずに単独で居るというのは、あまりに場違いだ。
「鎧はあれ、帝国軍のですよね? なんか、随分型落ちの形式に見えましたが……」
「ああ、大戦期に前線部隊の一部で使われてたのに似てるな。防御より機動力を重視した、どちらかと言えば熟練者向けのタイマン用装備だった筈だ。半端な鍛え方してる奴が着た所で、銃弾一発に装甲抜かれてあっさりお陀仏ってタイプの……」
「ああ。だが実際にあの野郎、滅茶苦茶強かったからな……。銃さえまともに使えてりゃあともかく、いや、それにしたって俺達全員相手に大立ち回りだもんな」
戦いが一応は終わった為か、それとも食事時で気が緩んだか、部下達の口調はどこか暢気である。それでも一応は百戦錬磨の荒くれ者、白銀の騎士の装備や戦い方への分析は的確なものだ。
「初手で完全にやられたな。こっちが動揺から立ち直らない内に各個撃破を狙ってきて、それを容易く成し遂げるんだから大したもんだよ、まったく。素手の相手一人にのされた経験なんて、今までないぜ」
「カンポーだか、ケンポーだっけか? 『三統合』に伝わるっつぅ格闘術かね、あの妙な動きは。徒手でずんずん近付いて来て、気が付いたら腕や足を取られて引き倒されてるんだから、堪らねぇ」
「いや、どちらかと言えば『クラースヌィ連邦』式の軍隊格闘術に似ている。俺は一度その使い手とやり合った事があるからな……尤も、あの騎士の動きはそれを遥かに超えていたが。なにより、とんでもない動体視力とクソ度胸だよ、奴は」
「ああ、銃にビビらねぇどころか、銃身を掴まれてそのまま奪われるなんて思わなかったぜ。引き金を引く間もねぇ。そうしてマスクの上から顎を打ち抜かれてダウン、なんてよ……」
どこか感心した様に頷き合う構成員二人の一方、途中から話に取り残されてしまったバンダナの構成員は気まずげな顔をした。
「……俺は、最初の一発で気絶したんで、そこまでは見てなかったんですが」
「そりゃあお前が半人前だからだよ、バンダナ」
「ンなもん巻いて格好付けてるから実戦でヘマこくんだよ、バンダナ」
揃って罵倒の集中砲火を浴び、バンダナの構成員は顔を真っ赤にして歯噛みした。”爪土竜団”の中で最年少かつ一番の新参者である彼は、事あるごとにこうして軽んじられる向きがあった。トレードマーク代わりに巻いているバンダナも、どちらかと言えばからかいの対象とされる事が多く、本名を差し置いてそれがそのまま仇名として定着している程だ。
「い、良いじゃないっすか。気に入ってんですから、これ」
バンダナの構成員は二人の古参構成員を睨みつつ精一杯の怒気を込めて言い返すが、それを向けられた側にとっては微風にも等しいのだろう。益々意地悪気な笑みを濃くすると、更なる揶揄をぶつける。
「ああ、故郷の彼女に貰ったんだってなぁ。そりゃあ大事だろうよ……いっそ足洗って里帰りでもするか? ん?」
「そうだなぁ、遺構を掘るより、芋でも掘ってる方が似合うんじゃねぇかね?」
「あ、アンタらなぁ……!」
バンダナの構成員は思わず立ち上がりかけたが、頭目の鋭い視線によって制され、渋々と尻を落ち着け直す。他の二人も頭目に「飯は落ち着いて食え」と戒められ、肩を竦めてパンや干し肉を齧り始めた。
「……まぁ、しかしだよ」
そこでふと、構成員の一人が硬く引き締まった干し肉を咀嚼するのに難儀しながら、呟いた。
「ありゃあ反則だぜ。まさか、魔技使いだったとはよ」
その単語を耳にした面々は、一様に眉根を寄せた。
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魔技とは、この世界の大気中に存在する”第五元素”という物質へ働きかけ、既存の物理法則に縛られない現象を発現させる技術である。それは、火種も使わず空中に炎を生み、荒れ野の上に滝を作り、手も触れずに金属球を浮かび上がらせ、ただの土くれをダイヤモンドへと変質させる。
文字通りに世界を書き換え、万物の法則を改変する。それが魔技であり、そして魔技を自らの意思で行使するのが魔技使いだ。使用者の力量が適う限りで思うがままの力を振るう、人を越えた力を持つ者達である。
魔技の行使は、しかし全ての人間が等しく持ち合わせた素質ではない。まず、不可視の存在である”第五元素”を把握出来るかという時点で、八割近い者が「否」とされる。そこから実際に働き掛ける事が出来る者は更に一握り。安定した現象としての形を構築出来る者となると、十人中一人か二人いれば多い方だ。
つまり、魔技使いとは、人間の中から生まれた「突然変異体」に等しい存在でもあるのだ。
”選ばれし者”としての立場を造り上げかねない彼らは、実際に古くから偶像崇拝や権力維持にも利用されてきた。歴史を紐解けば、たった一人の魔技使いによって大きな変革が齎された例は、枚拳に暇がない。他でもない『ゲルプ帝国』もまた、初代”褐色皇帝”という並外れた才能を持つ魔技使いによって作り上げられた国家であったという。
そんな、ともすれば国を揺るがしかねない程の力を持った存在と、”爪土竜団”は偶然にもぶつかってしまったのだ……。
「……運が悪いってのにも、程があるぜ。なぁ?」
構成員の一人が内心の苛立ちをぶつける様にパンに齧りつくと、歯で乱暴に大きく毟り取った。彼はもごもごと、収まりきらないパンの欠片を口からはみ出させつつも、
「こんな辺境によ、魔技使いがうろついてるなんて、想像出来るかよ、普通。奴ら普段”帝都”に引き籠ってるし、出て来たとしても大勢で固まって行動すんじゃねぇか」
それがこんな所に、なんでまた。ぼやく構成員に対し、バンダナの構成員が苦笑しつつ応える。
「あれですかね、武者修行とかそんなんじゃあないんですかね」
すると、彼以外の全員が一斉にバンダナの構成員を見た。たじろぐバンダナの構成員に、皆は一様に口を揃えて、
「ドアホ」
「んなッ」
愕然とするバンダナの構成員に、古参の構成員二人は「お前、学ねぇのな」とまるっきり小馬鹿にした態度で、
「魔技使いってのは、その殆どが国家所属の首輪付きだぞ。それが任務でもないのに一人でフラフラ、あからさまな足手纏いまで引き連れて彷徨ってるなんて、あり得ねぇよ」
「は、いや、でもさっき駆け落ちかもしれないって」
「冗談に決まってんだろ。……まさか、本気にしてたのかお前」
哀れな物を見る目で見つめられたバンダナの構成員は、しばらく俯いて唸った後、とうとう臍を曲げてそっぽを向いてしまった。腕の中に自分の分のスープ缶を抱え込むと、パンを浸しながら無言で食べ始める。
会話を放棄した後輩に「やれやれ」と首を振ると、古参二人は苦笑して、
「まぁ、とは言っても確かに連中は真っ当な所属には見えねぇな。案外本当に、国外逃亡でも考えてる脱走者かも知れねぇぜ」
「このご時世にチャレンジャーだな、そいつぁ。まぁ、これ以上俺達に関わらねぇってんなら、どこでも好きに旅してくれって所だが……」
流石に時間が経てば緊張感も薄れてくるもの。徐々に雑談の体を為し始めた彼らの会話に、不意にそれまでじっと黙って食事を続けていた頭目が、静かな口調で割り込んだ。
「……ああ、確かにこのまま何事もなく別れられるなら、それが一番だな」
突然の頭目の発言に、三人の部下達は思わず彼を見た。そして、いつの間にか随分と深刻な顔つきをしている頭目の、やけに弱気な発言に違和感を覚える。
「……どうしたんですかい、確かに連中タダもんじゃなさそうですが、そこまで気になることでも?」
訝し気に尋ねた構成員に、頭目は呆れの籠った低い声で応じる。
「……思い当たらねぇのか、お前。なんで俺があの騎士を警戒してるのか、その理由によ」
「そりゃあ、魔技使いとなりゃ……」
「違う、そこじゃねぇ」
構成員の返答に首を振り、頭目は強く眉の根を詰めながら、言った。
「ありゃあ、”古式魔技”だ」
「……は?」
オールド。彼らにとってあまり聞き慣れない響きに、三人の構成員はぽかんとした表情になる。一方の頭目は、部下達の反応に対して失望した様に舌打ちすると、口元を歪めながら問う。
「”古式魔技”だ。……お前等、”帝式魔技”なら知ってるよな?」
「そりゃ、……当たり前じゃないですか。この大陸で使われてる魔技でしょう?」
曲がりなりにも『ゲルプ帝国』に暮らしているのならば一般常識と言える概念を改めて問われ、”爪土竜団”構成員達は戸惑った。
”帝式魔技”。現在の『ゲルプ帝国』で使用されている魔技の形式である。
……「技術」とは歴史の流れと共に改良が加えられていき、多くは簡略化・汎用化されていく物だ。魔技もまた人が扱う「技術」である以上、その宿命からは逃れられない。その理論体系が紐解かれるのに伴い、”第五元素”の観測方法や、魔技使いとしての素質を開花させる為の訓練方法等も整備される様になっていったのだ。
先に「魔技とはごく一部の”選ばれし者”のみが扱える技術である」と記したのは誤りではないのだが、正確には「過去の事実」である。現在、この大陸に於ける主流となっている”帝式魔技”とは、体系だった研究と評価実験が重ねられた事で、多くの人間が汎用的に行使出来るように調整が加えられた魔技なのだ。
「そう、確か、『クラースヌィ連邦』との関係が悪化していく中で作られたっていう……」
当然ながら、無から有を作り出し、時に天変地異をも引き起こす魔技は「戦争」という舞台でも大いに活躍の機会に恵まれる事になった。例えば火薬や食糧の集積場に大雨を降らせばそれだけで敵軍の兵站は大打撃を受けるし、長大に構築された塹壕も中に火を放てば兵士は為す術もなく蒸し焼き状態になる。
濃い霧を生み出せば敵の斥候を文字通り煙に巻く事も出来る。強固な要塞も壁面を溶かしてしまえばただのハリボテだ。地を這う様に広がる雷の前では、大抵の生命体は無力な的として薙ぎ倒されるだけだろう。
故に魔技の戦術的価値は極めて大きく、必然的に『ゲルプ帝国』もその使用可能者の人数増加には長年腐心してきたのだ。その結果が、”定型術式”と呼ばれる呪文めいた魔技発動言語の開発であり、それによって爆発的に増加した”帝式魔技”の行使者であった。
”帝式魔技”を用いる魔技使いは『クラースヌィ連邦』との戦乱に於いて重要な兵科として位置づけられ、実戦に投入されると共に数多くの戦果を挙げた。その過程で数多くの若い才能が消費されていくという血生臭い現実もあったが……。
ともかく、だからこそ、魔技使いとは現在の『ゲルプ帝国』内に於いてはさほど珍しい存在ではない。魔技の行使を本職としない一般の兵士でさえ、余程の才能無しでもない限り、簡易な”定型術式”の一つや二つは唱えられて当然という風潮すらある。
「だけど、……”古式魔技”? いや、そりゃあ……」
ここでようやく、”爪土竜団”の古参構成員の一人が言葉の意味を呑み込み、怪訝な顔になる。先程から幾度となく繰り返し話題に上ったその名前は、確かに知識としては存在するのだが。
「……ンなもん使える奴はとっくの昔に全滅したと思ってやしたがね」
”古式魔技”。それこそはある意味で「本来の魔技」、要するに歴史的な意味で源流とされる、正しく”選ばれし者”のみが行使を可能とする魔技である。
勿論、そんな称号など実際に使う側からしてみれば、不便の代名詞以外の何物でもない。発動の可否が個人の才覚に大きく依存する”古式魔技”は、”帝式魔技”の台頭と共に淘汰されていく事になった。
故に現在に至って”古式魔技”を使える者は数少なく、なにより……、
「ありゃあ、北側の……『クラースヌィ連邦』の連中が使うモンでしょうに。そんな物を、なんでまた、こっち側で?」
そう、元々”古式魔技”は、魔技発祥の地とされる『クラースヌィ連邦』側の技術であったのだ。それが敵対陣営であった『ゲルプ帝国』側で未だに使用されているというのは、あまりにも不自然であり、信じがたい事でもある。
故に部下達は口々に「勘違いでは?」と漏らすのだが、頭目は首を振って彼らの言を否定する。何故ならその根拠として、
「奴は”定型術式”を使ってねぇ」
「……あ」
三人の部下達は、そこで気が付いた。あの白銀の騎士は魔技――《風の剣》と呼ばれた暴風――の行使に際し、”帝式魔技”ならば必須の魔技発動言語を一言たりとも口にしていないのだ。
頭目は部下達の表情が張り詰めたのを確認した上で、一つ頷き、言葉を続ける。
「……普通、”帝式魔技”の行使には、あの長ったらしいお祈りが必要だ。そりゃ”帝都”ともなれば、ただの一言二言、或いはそれこそ一音で魔技をぶっ放す様な使い手が居るらしいが……」
「えっと”轟炎雷火のバッハ”とか”遡上濁流のラムス”とか、あとは最近有名になってる”無尽虹彩のイェルク”とか……ですかね?」
バンダナの構成員が列挙したのは、それこそ子供でも知っている様な有名人の名前だ。頭目はそれらに一々頷きを返しつつ、
「……だが、あの騎士サマは、俺達をぶっ飛ばす前に口を開いてすらいねぇのさ。ただ、黙って、手を振り下ろしただけだぜ……あれが”古式魔技”だ」
そこで彼は大きく息を吐くと、目を細め、古い記憶を辿る様に、ぽつぽつと、
「実際に見た事なきゃあ分からんだろうな。俺ぁ昔、北の方から来た連中とも何度かやり合ってるからな。その中でも”古式魔技”使いは数こそ少ないが、まるでパン種でもこねるみたいな気軽さで魔技を使いやがる」
知ってるか、お前ら? 頭目はそこで、目に妙な光を宿らせると、薄笑いを浮かべた。
「『ゲルプ帝国』の軍部がよ、『クラースヌィ連邦』との開戦前に必死で”帝式魔技”の開発をしたのは、なんのことはねぇ、奴らの”古式魔技”が恐ろしかったからよ。それなりの使い手がただ一人その場に居るだけで、下手すりゃあ千の軍勢を相手取れるってんだからな」
……頭目の表現には、やや誇張が入っているが、概ね事実である。”古式魔技”の行使には、何一つとして――才能を除けば――難しい手続きが必要ない。身振り手振り、それこそ吐息の一つで”古式魔技”使いは世界を書き換えるのだ。
それが仮に「二千人に一人」の割合だとしても、国家の人口から換算すればどれだけ少なく見積もっても一万人を優に超す。その四分の一が実戦投入されたとして、二千五百人。この数が多いか少ないかを判断するには、当時”帝式魔技”を実用化していた『ゲルプ帝国』に対し、『クラースヌィ連邦』が魔技を用いた戦闘でほぼ互角に戦ったという歴史的事実を鑑みれば、ある程度の見当が付くだろう。
「魔技に対抗できるのは、魔技だけさ。銃や大砲、それこそ戦車を掻き集めりゃ、話は別だろうが……。そいつは場合によっちゃ空を飛び、見えない防壁を作り出し、雨あられと雷撃を振らせてくるんだぜ?」
その言葉に、改めて自分達が相手をしていた存在の脅威を知り、部下達は息を呑む。それらをじろりと睨め回し、先程よりも更に声を一段低く落とした上で、頭目は言う。
「……あの騎士サマは、正真正銘の化物の可能性があるってこった。銃より早く魔技を使うような、そんな奴と、今俺達は一緒に居るってのを忘れんなよ。二度目はないぜ、まぐれでも勝ちはあり得ねぇってのを、肝に銘じておけ」
それと良いか、と念を押す様にして、
「現在、”古式魔技”を『ゲルプ帝国』内で行使するのは重罪だ。それを隠し立てした奴も、一族郎党合わせてしょっ引かれる。そうなりゃあ、まぁ、首吊りか……銃殺刑か……。この辺はどうせ無頼漢の俺達にゃ、そこまで深刻な話でもないだろうがな」
「深刻ですよ……」
すっかり顔を青くしたバンダナの構成員に、頭目は「バレなきゃ良いのさ」と返した。バンダナの構成員は絶句。彼よりは気丈な様子の古参二人も、思い切り冷や汗をかいていた。
「……つまり、だ。コトをこれ以上荒立てない様にしろ、ってのを言いたかった訳だよ、俺は。幸い、あの騎士サマは話が通じる性質で、今の所暴れる様子もない。あのメイドの嬢ちゃんは……大人しく我儘を聞いてやれ。不興を買うより幾らもマシだ……良いな?」
何度も何度も首を上下に振る部下達へ「後で他の奴らにも伝えとけ」と頭目は告げ、そこで話を打ち切りとした。
すっかり重苦しくなった食卓の雰囲気に頭目は嘆息しつつ、少し冷めてしまったトマトスープをスプーンで掬った。パンとチーズと一緒に食しながら、内心で「奴はまだ実力の全てを出しちゃいないな」と確信する。
あの白銀の騎士はそもそも、多数の銃口を前にしても警戒こそしていたが、怯えた様子は一切なかった。銃という武装を知らなければ無知からくる蛮勇と片付けられただろうが、白銀の騎士に銃への知識があったのは間違いない。
あの《風の剣》とかいう魔技も、今考えれば片手間に繰り出した物に思えてならない。一度目と二度目には銃弾のみを叩き落し、三度目で”爪土竜団”の陣営を全員吹き飛ばすという威力の調整が出来ているのだ。もしも全力で放てば、一体どれ程の威力が生まれるのだろうか?
「ぞっとしねぇぜ」
少なくとも生きて飯を食えている、それで十分過ぎるだろう。余計な事はこれ以上するまい。目的地まで何事も起きなければそれで良いのだ。
”爪土竜団”の頭目は薄笑いに固めた表情の下、決して表に出さない怖れを隠しながら、干し肉を噛んだ。強い塩気と、凝縮された肉の味が舌の上に広がった。
味を感じられる内は、まだまだ余裕があるかね。そう思った頭目の脳裏を、古い格言がチラついていた。即ち「触らぬ神に祟りなし」。
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以前に投稿した物より、設定を追加しています。
20180807:一部の単語を変更しました(”第五流体”→”第五元素”)。
20180810:描写を追加しました。
20180812:描写を変更・追加、また魔技についての設定を加筆しました。
20180814:ルビの抜けを修正。
20180827:誤字修正。
20181013:文章修正。