騎士とメイドと砂の上:2
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視界一面を埋め尽くす、砂の海。粒子の細かい砂粒が、常時照り付ける激しい日差しに焼かれて真っ白になっている。詩人ならばこの光景を「一面に敷き詰められたビロードの様な」と表現できるかもしれないが、実態はどこまでも乾きと飢えに支配された荒漠の大地でしかなかった。
現状、動く物といえば白銀の騎士と銀髪のメイド以外のみ。昆虫や蜥蜴の一匹、それどころかこの手の風景には付き物の多肉植物すらも存在しない。地平線まで只管に真っ平な、そこは不毛の地であった。
一応、南東へと視線をやれば、遥か彼方にぼんやりと霞む山脈の影らしきものが見受けられるが、一体どれ程離れているのだろうか。少なくとも、一日二日では踏破出来ない距離が間に横たわっている事は確かだ。
空は、青い。果てしなく高く、遠く、何処までも澄み渡っていた。天頂に位置し、容赦のない日差しを大地へ照り付けている太陽は、時間と共に益々輝きを強めていくようであった。
「良い景色だな。解放感に溢れている」
首をぐるりと回し、周囲を見回してから白銀の騎士はそう発した。
「見てみろ、視界を妨げる邪魔なものが一つもない。童心に返って駆け回り、砂の城でも建てればさぞかし楽しいだろうな」
「そ、そうですねぇ! きっと心が和むことでしょう!」
つい応じた銀髪のメイドに白銀の騎士は「ああ」と頷いてから、
「手元に十分な水と食料があり、脱出の目途が立っているなら、だがな」
どっぷりと皮肉を絡めた物言いを投げつけた。
メイドは何も返す言葉がない。首が回る角度限界まで視線を逸らし、口元を波状に歪めたまま「あー」だの「うー」だのと意味をなさない呻きを漏らすだけだ。彼女の姿勢はいつの間にか完璧な正座に変わっている。
「こっちを見ろ」
「ハイ」
静かだがはっきりと怒気の籠った白銀の騎士の声に、メイドは「がくり」という擬音が付く勢いで向き直った。白銀の騎士は真っ向からメイドの瞳を見返しながら、彼女へと言う。
「俺は、言ったよな。この砂漠に入る前、強行軍になると」
「ハイ」
メイドは最早、従順に頷く事しか出来ない。
「水も食料も細かく計算した上で、一日の摂取量を厳守しなければならないと、そう言った筈だ。お前は、少なくともその時点では了承した筈だ。そうだな?」
「ハイ」
そこで白銀の騎士は、つ、と視線を北西の方へと向けた。これまで彼らが一直線に目指していた方角、その先に揺れる蜃気楼がある。白銀の騎士は目を細め、嘆息。
「……あそこへ着くまでの辛抱だと、言って聞かせた筈だ。だが、それを一日目の夜営の時点でコロッと忘れたのは、果たしてどこのどいつだろうな? あ?」
最早、白銀の騎士は恫喝に近い雰囲気を醸し出し始めていた。傍から見れば本来の意味での被害者と加害者の立場が逆転しかねない程の圧が彼からは発せられている。
主と呼ぶ人間から送られてくる威圧感に耐え切れなくなったのか、メイドは油の切れた工具の様な動きで首を徐々に持ち上げ、再び白銀の騎士と視線を合わせた。
「どうにか、しましょう」
そうして、自分自身その言葉を欠片も信じて居ない表情で、絞り出す様にそう言った。それを受けて、白銀の騎士は訝しむ様に片眉を吊り上げる。
「ほう、どうやって」
「今から、ですね。……食料と、水が、えー……現れます」
「俺達の目の前にか」
「はい」
響きだけは決然と、メイドは言い切った。尤も、それが虚偽となった場合の代償については重々承知しているので、悲壮感に満ち満ちた決然さではあったのだが。
白銀の騎士はそこから数秒黙り、一応は待ってみることにした。目を伏せ、腕を組み、自分の従者が語った言葉が真実かどうかを一応は確かめようとしたのだ。
一分経過。何事も起こらない。風が微かに吹き、二人の髪を揺らした。
二分経過。じりじりとした日差しが、動かぬ二人の旅人を容赦なく焼く。
三分経過。メイドがもじもじと身動ぎをし始める。この酷暑の中にあって彼女の顔色は青い。
四分経過。白銀の騎士が深々と溜息を吐いた。メイドは大袈裟に肩を震わせて反応し、とうとう絶望的な表情になる。
そして、五分経過。ここまでくると、メイドは全身を瘧の様に震わせながら、完全に顔色を失っていた。
……どうやら、期待は外れたらしい。彼女の一世一代の掛けも、残念ながら大失敗だ。
白銀の騎士は先程よりも更に大きく溜息を吐き出した。そうして開いた口から発する言葉を考え、この役に立たないメイドへの沙汰を言い渡そうとした――その寸前である。
「……む?」
白銀の騎士は足元から響く、微かな振動を感じ取った。
見れば、砂粒が僅かに揺れている。「これは」と彼が疑問する間にも振動は徐々に大きくなっていき、やがて身体全体に響く程の激しさに変貌した。
「ひぇぇなんですか地震ですかつつつ机は何処ですか下に潜らなきゃあ」
妙な事を言いつつ、きゃいきゃいと悲鳴を上げて辺りを駆け回るメイドを無視し、白銀の騎士は周囲へと警戒を巡らせる。彼の視界内、特段変わった事はない。遠くから何かが接近してくる様子もないし、空から迫る物体がある訳でもない。
「ならば……、」
下か。白銀の騎士がそう判断したのと同時、一際大きな振動が大地を揺らした。下から突き上げる様な縦の揺れだ。臓物が数センチばかり浮き上がる感覚に、白銀の騎士は短く舌打ちを漏らす。
その直後、彼の立つ地点から数メートル程離れた場所、破裂音にも似た凄まじい轟音が巻き起こった。鋭く首を向けた白銀の騎士は見る。砂の大地が下から持ち上がった。
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大地が爆発した。白銀の騎士は目の前で起きた現象をそう捉えた。
彼の見る先、多量の砂が上空へと一挙に巻き上げられていく。「ざ」という単音の連なりが周囲を満たし、それに比類するだけの莫大な質量が大山のような威圧感を生み出した。
「ひやぁぁ天変地異ぃ!!」
メイドが頭を抱えて蹲った。
白銀の騎士は咄嗟に深紅のマフラーを手繰り寄せ、顔を覆った。空高くまで巻き上げられた砂は当然ながら重力に引かれる事で、再び地上へと降り注いでくる。その勢いは激しく、純粋な打撃力としてもかなりの物になるだろう。
「……ッ!」
避けるか。その判断を白銀の騎士は即座に却下した。立ち止まった状態、足場も悪い為に蹴り足は安定せず、初速が足りないだろう。数歩踏み出した所で砂に呑まれるのがオチだ。駆け出す姿勢でそうなれば転び、下手をすると関節にダメージを喰らって、最悪生き埋めだ。
ならば、と。一瞬、白銀の騎士は銀髪のメイドへと視線を投げかけ、彼女が自分の背中に庇われる位置に居る事を確認。そうして微かに「よし」と顎を落とすと、頭上より襲い掛かる大量の砂粒へと身構えた。
白銀の騎士は足を踏ん張り、関節をロックする様に力を籠め身を固めた。その上で顔の上で両腕を交差させる様にし、手の平は天へ、襲い来る砂の壁へと向ける。すると、彼の両手の平の上に……不自然な大気の流れが生まれた。
しかしそれは、白銀の騎士にとって十分に満足のいく結果ではなかったらしく、
「やはり、一ヵ所に留めるような使い方には向かんか……ッ!」
舌打ち混じりに零した直後、一瞬日差しを覆い隠す程の凄まじい砂の雨が彼目掛けて叩きつけられた。
全身に降り注ぐ飛礫。一つ一つは小さくとも、これだけ一度に集まれば猛威である。装甲の上からでも打撃力を伝えてくるそれらを、白銀の騎士は歯を食いしばって堪えた。
まるで局地的な豪雨が発生したかのような「ざぁ」という音が幾重にも重なり、周囲一帯をそれまで覆っていた静寂を掻き消す。白銀の騎士は正しくその最中に巻き込まれる形で、降り注ぐ砂の奔流から目を庇いつつ、布の隙間から爆発を生み出した物の正体を探ろうとする。
果たして、彼は見た。白い滝の如くに流れる砂のベールの向こう、ゆらりと現れた影がある。鉄錆色の巨体。全体から腹の底へ重く響く様な重低音を轟かせ、砂の大地の上に全身を投げ出す様にして飛び出して来たのは、
「……”砂中潜航艇”かッ!!」
白銀の騎士はその名前を知っていた。
”砂中潜航艇”。
それは、遥か遠く過去へ過ぎ去った”かつての時代”。その当時にこの地上を席巻し、しかし何処かへと姿を消した”去りし神々”と呼ばれる存在によって作り出されたとされる自動機械の一つである。正しく人知を超えた未知技術の結晶であり、現在の技術では再現不可能となったそれらを、人々は”遺失技巧”と呼んでいる。
”砂中潜航艇”の外観を一言で表すならば、巨大な円錐といった具合だ。流線型の細長いフォルムの表面には突起物が殆ど存在せず、つるりとした滑らかな複合装甲で覆われている。しかし、よく見れば全体的に僅かな溝が彫られており、機体の先端から後部へかけて緩やかな螺旋を描く様になっているのが分かる。
これは、先端に備え付けられた超音波破砕機によって流体と化した砂を掻き分け、後部へ受け流す形で掘り進んで行く為の仕組みだ。そして推進力を生むのは先端から細かく蛇腹状のパーツに分けられた装甲自体であり、これらを順番に伸縮する事で、言うなれば蚯蚓の様な動きを繰り返して地中を進んで行くのだ。その最高速度は『ゲルプ帝国』が保管する文献によれば、地中潜行時にて時速20キロメートル、地上走行時では時速300キロメートルを誇るという。
「…………ッ!」
数秒程経過した辺りで、ようやく叩きつける砂の雨が途切れた。
白銀の騎士は顔を覆っていたマフラーを解く。そうして戦闘用装甲に付着した砂粒を払い落しながら、改めて目の前に現れた黒鋼色の巨体を睨んだ。
詰まる所、それまで地中を潜行していた”砂中潜航艇”が一気に浮上してきた運動量により、あの凄まじい局地的豪雨が発生したのだ。白銀の騎士は状況を把握しつつも同時に一つの疑問を得る。
「だが、それが、何故ここに……?」
警戒心が”砂中潜航艇”へ向ける彼の眦を一層鋭くする。答えは数秒後に齎された。日差しを受けて黒光りする巨大な弾丸の後部ハッチが開き、内部からぞろぞろと武装した集団が姿を現したのだ。
次々に砂漠へ降り立っていく集団が一様に身に纏っているのは、砂色の防護服であった。防塵、防弾処理の施された頑丈な代物で、内側に備えられた冷却機構により砂漠地帯での長時間行動をも可能とする逸品である。流石に”砂中潜航艇”ほどではないが、これらも一着一着がそれなりの貴重品であり、明らかに正規の軍隊ではなさそうな集団が十を超える数を揃えているのは異様な状況だ。
尤も、白銀の騎士は既に突然の闖入者達の正体に当たりを付けている。
「……”墓穴掘り”共、か」
”遺失技巧”……即ち”かつての時代”の技術や装備といった文明の残り香は、過ぎ行く時代の流れの中でその大半が散逸、あるいは消滅していった。その理由は個人の過失による場合もあるが、基本的には戦火に巻き込まれる形での破損である。
そんな中で『ゲルプ帝国』や、今はその名を失った『クラースヌィ連邦』等の大国は、世界各地から様々な”遺失技巧”を集積・保存していたのである。そしてそれらが齎す高度技術を各種生産活動、もしくは軍事行動に利用して国力をさらに増大していったのだが、ではそもそもの”遺失技巧”の出所は一体何処であろう。
多くは”かつての時代”から残存する建造物や保存庫の類からだ。特殊な保全機構に守られ、まるで宝箱の如くに内部に”遺失技巧”を貯め込んだ遺構がこの世界の各所には存在しているのである。そして、そこへ国家の許可なく踏み入り荒らし回っては、出土物を専横するならず者集団を総称して”墓穴掘り”と呼ぶ。
その一方、出土物を金銭と引き換えに国家へ提供する事で、身の安寧と遺構の探索許可を得た集団も存在してはいる。事実、『ゲルプ帝国』より中央海を越えて北東へと進んだ先にある『イグルスタ合州国』という国では、むしろ国家的な事業として”墓穴掘り”が雇われている例もあるのだが、現状の帝国内に於ける基本的な認識とは「唾棄すべき”遺失技巧”の略奪者共」に過ぎない。
何故ならば、国家が把握していない”遺失技巧”を、個人や小団体レベルで保持しているという事実は、十分に彼らが「潜在的脅威」として判定されるべき要素であるからだ。過去に彼らと帝国軍の間で起きた小競り合いが命のやり取りにまで発展した例も一度や二度ではない。
「……帝国の発掘許可章は、見当たらんか」
白銀の騎士は素早く連中の身なりに目を走らせ、どこにも「翼を広げた黒鷲」の紋章が描かれていないのを確認する。『ゲルプ帝国』に奉仕する人物、団体は、その国章を「国家に従属する者の証」として目に付く個所に記すことを義務付けられている。
それがない。つまりこの”墓穴掘り”達は『ゲルプ帝国』の認可を受けずに活動しているのだ。全身に警戒の意思を漲らせた白銀の騎士に、直後野卑なドラ声が投げかけられる。
「――おやおや、こんな所でどうしたんだお二人さん!? 仲良く散歩かね、それとも迷子か!?」
声の主は集団の先頭に立つ男であった。彼は手に携えた「黒光りする歪な筒状の物体」の先端を、これ見よがしに白銀の騎士へ突き付けた。見ればその背後に控える人員も同様に同じ装備を構えている。
銃。それも連発式の小銃だ。白銀の騎士は知識からそう判断する。
持ち手に備え付けられた引き金を引く事で内部に仕込まれた機構を作動させ、金属製の弾丸を発射するという武器だ。弩弓に近いが、決定的な違いは飛翔体が火薬の爆発力に因って撃ち出される事と、その威力が桁違いである事。そしてなにより、連射が利く事。
極論、指一本さえあれば赤子でも武装した兵士を殺害せしめるこの恐ろしき武器は、百年ほど前に『イグルスタ合州国』が遺構から大量に発掘し、研究の末に再現に成功した事で世界中に広まった物だ。”かつての時代”から時を越えて現れたこの”遺失技巧”は、登場以後の戦闘ドクトリンを大幅に変貌させ、今では普遍的な技術として受け入れられている。
『ゲルプ帝国』でも生産体制が既に整っているので、正規軍は標準装備として銃を採用している。目の前の”墓穴掘り”達が所持しているのは、戦後の混乱期で流出した物だろうと、白銀の騎士は推測した。
”墓穴掘り”の集団はいつの間にか半円状の陣形を組み、白銀の騎士とメイドを取り囲んでいる。統率の取れた迅速な動きだ。二人の旅人はたちまち多数の銃口に晒される。黒々とした孔の奥、引き金一つで撃ち出される問答無用の殺意が潜み、標的を狙う。
「……銃の扱いには、それなりに精通している、か」
白銀の騎士は小さく呟く。”墓穴掘り”達の陣形配置は射線上に味方を置かないことで、同士討ちを避ける為のものだ。銃という武装の性質を知らねば出来ない動きである。隙の無い所作から、実戦経験も豊富であると窺える。
”砂中潜航艇”や防護服も、遺構探索かそれに類する経緯によって手に入れた物だろう。それほどの”遺失技巧”が眠っていた遺構を踏破出来る力量を備えた集団だ、油断はならない。
白銀の騎士は僅かな合間で敵戦力への分析を終え、警戒の度合いを更に引き上げた。その上であくまで顔つきは平然と、自身を取り囲む銃口をゆっくりと見まわし、憮然と言い放つ。
「……野盗か。追い剥ぎ目的なら悪いが、俺達は碌な物を持っていないぞ」
「おっと、失礼な言い方は止してもらおうか。俺達はこれでも名の知れた”爪土竜団”だぜ。そんな雑な連中と一緒にしないでもらいたいね」
その名前には白銀の騎士も聞き覚えがあった。戦後すぐに活動を開始した”墓穴掘り”の一党だ。遺構荒らしを主として行う他、各地で傭兵紛いの事も行っていたらしい。
しかし、どちらかと言えば一般人相手の略奪や暴動とは縁遠い一団でもあった筈だ。そんな連中が何故現れたのか。白銀の騎士は胸に浮かんだ疑問を、率直に彼らへとぶつけた。
「違うのか? ならばこの状況にはどう説明を付ける」
「ああ、そいつぁ――」
問い掛けに対し、先頭に立った男は「くく」と籠った笑いを零してから続けた。
「――当然やる事自体はやるからさ。ただし……俺達はもっと、徹底的にやるのが主義でね」
その言葉に周囲の構成員達も下卑た笑いを一斉に響かせた。連中がゴーグル越しに向けてくる視線にはあからさまな欲望と嗜虐の気配が滲んでいる。その対象が主に自分の同行者へ注がれているのを白銀の騎士は悟り、彼は湧き上がる不快感に思わず語調を強めた。
「……成程、奴隷商に鞍替えしたという訳か。落ちぶれたものだな」
「――ンだとテメェッ!?」
白銀の騎士が吐き捨てた言葉に”爪土竜団”は色を成して激昂。彼らが口々に叫び始めた猥雑な罵声を浴びながらも、白銀の騎士は平然として侮蔑的な表情を崩さない。そんな様子が尚更気に食わないのだろう、ならず者達の声は徐々に大きくなっていくが、
「――喧しいぞテメェら!!」
しかし先頭の男が一喝した途端、鳴り響いていた罵声はぴたりと止んだ。この男がどうやら頭目的な立場に居るらしい。言葉一つで無頼漢共を黙らせる辺り、統率力は優れているようだ。
先頭の男――仮に頭目と呼称する――は、首を回して部下達が静まり返ったのを確認。部下達が自分の指示を素直に受け入れている様子に満足気に頷いた後、白銀の騎士に対して大袈裟に肩を竦めるジェスチャーをして見せた。
「……フン、随分良い度胸じゃねぇか」
それに応じずにいる白銀の騎士には構わず、頭目は滔々と語り続ける。
「だが、確かにお前さんの言うのは尤もかも知れねぇな。たった二人を相手にここまで大袈裟にやるってのは、俺達としても情けない限りだぜ。それこそ昔はよぉ――」
「自覚はあるという事か」
直後、銃声。ひょう、と風切り音が鳴り、白銀の騎士の足元の砂が爆ぜた。
それでも動じずにいる白銀の騎士の先、頭目が片腕を上げていた。背後、”墓穴掘り”の一人が構えた小銃の先端に、微かに白煙が揺らめいている。
「人が話してる時は黙って聞くもんだぜ。年長者相手なら尚更だ」
あくまで威嚇行為であろうが、次は容赦なく直接狙ってくるだろう。白銀の騎士は穿たれた砂の痕を一瞥し、表情は変えないまま口を噤んだ。
「それで良い。謙虚な態度ってのは長生きのコツだぜ、若造」
白銀の騎士は答えない。顔を略奪者達へ向けたまま無言を貫いている。その態度を無抵抗の証と取ったのか、頭目は満足気に頷く。
「まぁ、お前の思う通り、確かにしょっぱいにも程がある真似だわな。三十年も前なら、東から西まで、大陸中を駆け回って手つかずの遺構を片っ端から掘り返してよ……。時にゃあ、ロクデナシの脱走兵や、北の赤熊の残党共を相手に大立ち回り……」
彼は言葉を区切ると、マスクの内側で笑みを零した。それは白銀の騎士からは見えないが、楽しい記憶を想起して懐かしむような、無邪気で満足感のある笑みだった。
「この”爪土竜号”を駆って暴れた暴れた……。良い時代だったぜ。地元じゃあちょっとした英雄扱いよ。戦後はどこもかしこも、物と娯楽に飢えてたからなぁ。俺達が戦利品を抱えて街へ行き、冒険譚と一緒に大盤振る舞いすりゃあ拍手喝采よ……ああ、良い時代だった」
「……義賊気取りか。やる事は変わらんだろうに」
しかしその想い出語りを白銀の騎士はあっさり切って捨てる。頭目はやや気分を害した様で、しかし自嘲を込めた吐息を漏らすと、
「……ケッ、何とでも言いやがれ。だけどよ、時代は変わっちまった。今じゃあ、何所行っても帝国軍が幅を利かせてやがる。遺構は戦争前みてぇに帝国の貴族共が管理する様になって、出土物も「戦後復興」とかなんとか言って召し上げよ。抵抗すりゃあ”帝都”の巡回騎士隊が飛んでくる。それで俺達が、どう食ってけってんだ!?」
そうだそうだ、と頭目の後ろに居る連中が騒ぎ立てた。それに調子付いたのか、頭目は益々意気軒昂と言い募る。
「挙句の果てに、俺達ぁこんな砂塗れの僻地に追いやられる始末さ。それでも、ここを通る商隊の護衛やらでなんとか食いつないで来た。ああ、真っ当な手段で働いてやろうとも、一時は考えた。だがなぁ……それだけじゃあ、もうこれ以上、部下共を食わして行けないのさ」
その言葉には「切羽詰まった」調子がハッキリと滲んでいた。さもあらん、と白銀の騎士は考える。
かつて、この大陸を支配する『ゲルプ帝国』は、北方に位置する『クラースヌィ連邦』との間に戦端を開いた。四年間に渡って国土を焼き、数多くの人命を喪失させた戦争が終結したのが、今から三十年前の事である。
現在、この大陸には一応「平和」の二文字が復活した状態となっており、戦後復興もここ数年でようやく軌道に乗り始め、各地には『ゲルプ帝国』を収める”褐色皇帝”の威光と統治が再び及び始めていた。しかしそれは同時に、これまで三十年間に渡る渾沌の中で見過ごされて来た色々が今後は許されなくなるという意味でもある。
安定とは即ち、絶対的な支配である。日々を脅かされる事のない平穏な生活圏の構築は、強固にして確固たる支配によって成り立つ物だ。『ゲルプ帝国』はあくまでもそれを徹底的なやり方で叶えようとしている。それは、一途に日々の平穏を望む奉ろう民にとっては待ち望んだ福音となろうが……。
「……お前達の様な存在にとっては、生きる術を奪われるも同義か」
「分かってんなら、話は早ぇ。へ、どうやらお前もはぐれ者らしいな」
頭目はここで不意に白銀の騎士に対する「共感」めいたものを覚えたらしい。僅かにゴーグル奥の視線が和らぎ、口調にはどこか言い聞かせる様な調子が混じる。
「そうさ、俺達はゆっくり首を締め上げられてんのさ。何れは帝国も、俺達の様な「目障りな連中」への取り締まりへ本格的に乗り出してくる。そうなりゃあ”爪土竜号”も奪われ、俺達は良くて解散、悪けりゃ……見せしめに適当な理由でっち上げて処刑ってとこだろうよ」
白銀の騎士は、頭目の言葉を黙って聞いている。
「だがな、俺達ぁ今更連中のご機嫌伺いなんてのは死んでも御免だ。それに黙って好き放題やられる筋合いもねぇ。だったら今の内から、手段を選んじゃいられねぇ。俺達ぁな、俺達として生き延びていかにゃあならないんだよ……!」
だが、それが容赦や赦しに至るかと言えば、話は別だ。否、同じ穴の狢であると獲物の素性を認識したからこそ躊躇いがない。同族相哀れむと言うが、むしろ進退窮まった生き物が尤も残酷になれる相手とは、自分より明らかに下等であると判断できた相手か、同じ立場にありながらその上で”敵”と定義した相手の二種類である。
「だからよ、お前等には悪いがな。今ここで、俺達の生きる糧となってくれや」
頭目の言葉には心からの想いが込められていた。成程、彼も彼なりに必死なのだ。渾沌渦巻く戦後の三十年を生き延びて来た意地もあるのだろう。一種の誇りを捨てて、外道に成り下がることへの感傷も。
しかし。
「――下らん言い訳は、それで終いか」
それらは白銀の騎士にとって、心の底からどうでも良いことでしかなかった。
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「……なんだと?」
数呼吸分の間を空け、頭目は訝し気に問い返した。対峙する白銀の騎士はそれへ向け、一切の怯えも怯みもなく、真正面から言葉を返す。
「お前達の事情など、俺にはどうでも良い。うだうだと口上を述べ立てた所で、悪行が正当化される訳じゃない。チンピラ紛いの墓荒らし共が、今度こそただの強盗集団に変わるだけの事だ」
「……テメェ」
頭目の声が、急激に冷えた。彼を取り巻く部下達の間に漂っていた野卑で猥雑な害意も鳴りを潜め、代わりに色濃い憎悪に満ち満ちた決断的な殺意が蔓延する。しかし、白銀の騎士に動揺はない。彼はあくまでも冷徹を以て、断言した。
「獲物と定めた相手に銃を向けておいて、その上で未練たらしく葛藤の素振りなんぞするんじゃない。俺の言葉一つで激昂する程度のプライドを後生大事に抱えて、自己弁護の材料にする様な連中は……時流に関係なく、遠からず滅んでいるだろうな」
そして、白銀の騎士は最後にこう付け加えた。
「はっきり言ってやる。俺とお前達は違う。餌を求めて肥溜めに顔を突っ込んで死ぬ様な、残飯漁り共とはな」
その言葉は、一種の禁句であった。”墓穴掘り”達に対する最悪の蔑称であり、彼らがもしも一度耳にすれば例え冗談であろうとも発言者を生かしてはおかない程の暴言である。
「――そうかよ」
故に、その言葉を皮切りに、頭目は最早語る必要もなしとばかり右手を上げた。一斉に”爪土竜団”の構成員が小銃の引き金に指を掛ける。彼らはこれまでの喧噪が嘘の様に黙りこくり、研ぎ澄まされた殺意を解き放つ瞬間をじっと待ち始めた。
空気が粘性を持った様に白銀の騎士は感じる。その決定的な切っ掛けが自分の発言にある事を白銀の騎士は知っていたし、そうなる事を承知の上で口に出したのだ。
この上は、戦い以外に場を収める方法はない。どちらかが地に伏せ、動かなくなるまでは。
――撃ってくるか。
白銀の騎士はそこでふと首筋の後ろにひりつく物を感じ、口元を歪めた。恐怖の強張りにでは、ない。
両者間の緊張が一気に高まり、弾け飛びそうになったその瞬間――
「ほら!! ほら、あれ、主様!! 言ったでしょう、ね! ね!?」
――突然、割って入った声があった。喜の感情をたっぷりと内包した、弾む明るい声。それまで白銀の騎士の背後に隠れていた銀髪のメイドが発した声だった。
その場のほぼ全員が毒気を抜かれた様に唖然とする中、白銀の騎士は深々と溜息を吐く。一方、銀髪のメイドは彼らの間に漂っていた空気を霧散させたことなど全く気にせず、嬉々とした表情で尚も言う。
「ほら! 来ましたよ、食料と水! 言った通りでしょう、ね!? これで問題解決です、どうでしょう赦してくれますよね? ね!?」
「黙っていろ」
「ふぎゃいッ!!」
脳天に拳を落とされ、メイドは奇妙な声を上げて地面へ突っ伏した。
潰れたカエルの様にのびたメイドを見やり、白銀の騎士は何とも言えない表情になる。先程からずっと静かだと思っていたら、どうやら単に発言のタイミングを見計らっていただけだったらしい。
すっかり緊張感を失った白銀の騎士だが、反対に一層殺気の密度を増したのは”爪土竜団”の側だ。
「……そいつは、熱さで頭が湧いてるのか? それとも元からの狂人か。……この状況でまさか、逆に俺達を得物扱いとは! 大したもんだぜ、ええ? 本当に大したもんだ!!」
コールタールもかくやとばかりに粘度を宿した怒りが、彼らのゴーグルの奥から迸る。「余計な事を」と白銀の騎士は倒れ伏したメイドを睨むが、彼女は砂塗れになった顔を上げるとけろりとした笑みを浮かべた。
「……でも、実際にそうでしょう? ねぇ、主様?」
「……はぁ」
溜息を返答とし、白銀の騎士はゆっくりと右腕を上げていく。
それは降参の意思表示か? それとも反撃の準備か? ”爪土竜団”は突然の動きに訝しみ警戒をするが、数秒後、白銀の騎士の手が向かう先を見て思わずそれを緩めてしまった。者によっては失笑すら零す。何故ならば、
「……なんだ、何の冗談だ?」
”爪土竜団”の頭目は見た。
眼前、白銀の騎士がまるで何かを掴む様に広げた手の平は、ゆっくりと彼の右肩上へと移動していく。一見すれば、それは剣を肩口から抜き放つ際の構えにも見えるだろう。時代錯誤なやや古びた戦闘用装甲の出で立ちと合わせれば、そう不思議な動きでもない。
しかし、一つだけ大きな違和感……というよりも欠陥がその動きには存在する。白銀の騎士は、武器を持っていないのだ。少なくとも彼の右肩、剣の柄らしき物は見当たらない。
まさか、と思う頭目が見守る中、彼の手が止まる。何もない空間に、だ。白銀の騎士が手を伸ばした先には何もないのだ。
「……テメェ、空気でも握れるってのか?」
白銀の騎士は応えない。あくまでも真剣な顔つきで、あまりにも異様な構えを取り続けている。そんな様子を数秒程眺め、とうとう頭目は完全に呆れ果ててしまった。
「……どうやら、狂ってたのは両方だったらしいな」
白銀の騎士の理解不能な行動を見て彼の中で怒りが一周してしまったのか、その口調は逆に穏やかであった。
「そもそも、そんな恰好で、こんな所を歩いてる事自体がおかしかったんだ。狂人二人連れ、新生”爪土竜団”のアガリとしちゃあ情けねぇにも程があるが贅沢は言えねぇ。今のご時世、人手はどこでも幾らでも入り用だ……買い手はある」
騎士風情はともかくとして、後ろのメイドは容姿だけなら極上だ、上手く捌けば良い値になるだろう。彼ら”爪土竜団”とて元々からして清廉潔白な商売をしていた訳ではないのだから、その気になれば伝手は幾らでもあるのだ。
そして、商売の過程で邪魔が生じたならば、それを徹底的に排除するのが彼らの流儀であった。こればかりは昔も今も変わらない。故に、
「ただ、俺は、魚の小骨はきっちり取ってから食う主義でね。この場合の小骨はお前さんだぜ、時代錯誤な騎士様よ。……なに、その鎧はきっちり飯の種にしてやるさ――」
”爪土竜団”の頭目は部下達に向けて指令を発する。
「――撃てッ!!」
それで全てにカタが付く。その筈だった。しかし、頭目が叫ぶその刹那、白銀の騎士が動いていた。
彼は虚空に差し出した手の平を、実際に何かを力強く握り締める様に閉じたのだ。そのまま、思い切り袈裟に振り下ろして行く。
なにを無駄なことをしているのか。頭目はマスクの下、白けた顔で数秒後の運命を想像した。気の触れた騎士まがいが、血みどろになって砂の上に倒れ伏す光景を。
頭目は確信していた。疑いようもない暴力が、今までのように何時ものように、当たり前の結果を齎すのだと。
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「ふふ」
銀髪のメイドは、なんとも愉しげに嗜虐的な歪んだ笑みを顔中に広げ、一連の流れを見ていた。
彼女の視線は取るに足らない略奪者共には向いていない。主が行う力の行使を、一心に見つめている。今までの情けない姿からはかけ離れた態度で、超然と目を細め、桜色の唇から言葉を零した。
「馬鹿な方々、……私の主様相手に、そんな鉛玉程度が通じるとでも?」
彼女の鈴の様な声と同時、銃声が轟く。人類の科学文明の結晶とも言える武装から撃ち放たれる鉄の嵐の威力は、人体を襤褸屑の様に引き裂いて尚余りある程だ。白銀の騎士が纏う鎧は軽装、直撃すれば耐えらえれはしないだろう。
ならば、白銀の騎士の運命は、ここでの避けられぬ死だろうか?
――否である。
ふ、と。白銀の騎士が振り下ろす手の動きに合わせ、目には見えぬ風の流れが生まれた。瞬きほどの一瞬の流れは最初は緩やかに、次第に激しさを増して渦巻き、終端に至った時には……。
「ああ、それでこそです主様」
銀髪のメイドは、恍惚として口元を綻ばせる。
直後、轟、という音が砂の大地の上を駆け抜けた。
-§-
「――ぅ、おッ!?」
”爪土竜団”の頭目は突如として襲い掛かった暴風に驚き、思わず顔を覆う。そして目を開けた時。自分の想像では血に塗れて倒れ伏している筈の白銀の騎士が、無傷で立ち続けているのを目撃した。
「……な、ぁ、……ッ!?」
驚愕に目を見開き、頭目はその現実を認めた。
白銀の騎士の露出している頭部はおろか、鎧にすらも弾痕の一つも付いていない。まさか鎧が恐ろしく頑丈で、銃弾を全て弾いたのか? 頭目は一瞬そう考えたが、白銀の騎士の足元に散らばり日光を反射する粒の存在に気が付き、喉を干上がらせた。
「……撃ち落としたのかァ!?」
全員の感情を代弁し、”爪土竜団”の頭目が叫んだ。そして口にした直後で否定する。馬鹿な、不可能だ。そんな思いが彼の心中を吹き荒れ、困惑と不可解を精神に深く刻み込んで行く。
放たれた銃弾は二十発以上である。音を捉える事の出来る者はこの大陸全土を見回しても数少ないだろう。ましてや音の速度を越えて飛ぶそれらを、よもや無手で叩き落す事が出来る人間など存在する筈がない。そもそも、腕の一振りで払える範囲には限界があるのだ。いくら分厚い籠手を纏っていたとしても……。
「な、何者だ、テメェッ!?」
最早、”爪土竜団”は恐慌状態である。構成員達は頭目の号令も待たず、勝手に引き金を引き始めた。火薬が炸裂する多重奏が周囲を圧倒し、それに晒される白銀の騎士は慌てた様子もなく、再度右腕を肩上へやると……振り下ろす!
結果は先程と全く同じであった。そして今度は実際に、”爪土竜団”の構成員達は現象そのものを見てしまったのだ。
白銀の騎士が振り下ろす右腕に、纏わり付く不可視の流れがある。それが弾ける様に溢れ、大気を揺らし、空を渡り――彼に迫る銃弾の雨を尽く打ち払った!
「《風の剣》」
言葉もない”爪土竜団”の面々に対し、白銀の騎士の背後に控える銀髪のメイドがその名を口にした。彼女は嗜虐的な笑みを益々強め、甚振る様な視線を彼らへ向けながら、歌う様に朗々と言うのだ。
「ご存じありませんか? 無理もないですねぇ、あれから随分経ちましたし、忌々しい”褐色皇帝”の為にかつて私達の様な存在は隅に追いやられましたからねぇ……。しかしですね、貴方達の目の前で起きている事は紛れもない現実なのですよ。この様な業を扱う者が、今だ生き残っているという事も……」
ねぇ、主様? くるりと、大きな藍色の瞳を銀髪のメイドは白銀の騎士へ向ける。白銀の騎士は無言。そして、彼は三度右腕を上げた。何が起きるのか、”爪土竜団”は即座に予想を付け、悲鳴を上げた。それら無慈悲に掻き消し、劈き、凄まじい風の暴虐が吹き荒れた。
今度は”爪土竜団”目掛けて、直接に。
「――やめッ」
”爪土竜団”の頭目が発することが出来たのは、そこまでだった。
何もかもが、暴風に吹き飛ばされる。
-§-
以前に投稿した物と比べて、描写と設定に加筆・修正が行われています。
20180808:誤字修正、一部描写追加、固有名詞へのルビ振りを行いました。
20180810:誤字脱字修正。
20181013:一部文章修正、描写の追加と削減・修正というかたちでストーリーには影響ありません。また、一部の台詞を修正。