死神の情
世の中には色々な仕事がございますな。魚屋に果物屋、金物屋に苗屋と、物を売る仕事だけでも様々ある。物を売らなくても、家を直したり米を育てたりする仕事もある。赤ん坊は泣くのが仕事とも言いますな。そう考えると、生きている者は何かしら仕事を持っているわけです。
風が吹けば桶屋が儲かる、という言葉がありますな。世の中には思いもよらないことが利になる仕事というものがありまして、
「まいどありぃ!」
「ん?」
「まいどありがとうございやす」
「何だいお前は」
「下肥を買わせていただきたいのですが」
「俺はお前に売った覚えはねぇぞ」
「今あっしに向かって売ったじゃあないですか」
「どう売ったい」
「あっしの鼻面めがけてぶぅ!と売りやした」
「何だい屁も買うのかい?屁なんかどう使うんだ」
「今あっしの鼻に入りましたから、そのまま畑に行って、苗の先っぽを鼻の穴に入れます」
「冗談言っちゃあいけないよ」
とまあ他の人だったら捨てる物でも、買って儲けにする人もいるわけでして。
「もう駄目だ。生きてたって仕方ない。この屋上から飛び降りて楽になろう。父さん母さん、先立つ不孝をお許しください……」
「ああ待て待て!何をしているんだお前さんは。早まっちゃいかん。その年でそんなことするんじゃあない」
「放してください!もう死ぬと決めたんです!」
「情けないこと言うんじゃあないよ。人間は命あっての物種と言うだろう」
「な、何です貴方は!」
「俺はね、死神」
「え?」
「死神ぃ!」
「死神、はあ。いよいよお迎えか。もうこの世に未練はありません。連れてってください」
「だから早まっちゃいかんよ。ほらほら、しっかりしないかっ。お前さんのような若い人が命を粗末にするもんじゃないよ」
「だって死神でしょ?死神は人を死なせるものだから」
「それはそういう奴もいるんだ。そういう仕事熱心な奴はこう、死なせたがるんだ。俺は違うの。俺はああ死んだなと思ったら、箒と塵取りを差し出してひょいと拾うの」
「そんなホコリみたいな扱いしちゃあいけませんよ」
「そんなことはいいんだよ。だから俺は、まだ死んでない奴を無理して殺さないんだ。そいつが考え直せば手を出さん。自由と平等を掲げているんだい」
「何だか明治の死神ですね」
「明治でも切れ痔でもいいんだよ」
「でも待ってください、僕は考え直しちゃあいませんよ。今すぐにでも死のうと思っているんです。止められる筋合いはないじゃないですか」
「それはそうだが、うーん……それはさっきの言い分とも違うんだ」
「どんな言い分ですか」
「お前さんはねぇ、その……俺の倅に瓜二つなんだ」
「貴方の倅に?」
「そう」
「へーえ。死神の倅ってこんな顔してんですか」
「そんな顔だな。もうちょっと肥えてるかな」
「僕は死神よりも痩せてんですか?」
「何だい嫌そうな顔して」
「そりゃあ倅さん不健康ですよ」
「何を根拠にそんなこと言うんだ。別に死神だからって痩せてりゃあ健康なわけじゃあねえんだい」
「それで、倅さんに瓜二つだと何だってんです」
「だからよ、親の情ってもんだ」
「情けをかけたんですか?」
「そうよ。死神だからってなあ、倅と瓜二つの奴が死のうとしてんのを、黙って見ているのは辛いもんだ」
「そういうものですか。だって貴方、そういちいち情けをかけてたら仕事にならないでしょうに」
「いや、今まで見てきて倅と瓜二つだった奴はお前さんくらいだよ」
「僕はそんな珍しい顔ですか?」
「そう言われてもなあ。お前さん達の世界での基準を知らねえもんよ。ただ俺達の世界で言えば、倅は二枚目な方だぜ。お前さんも何か女に言われはしねえのかい?」
「お店に入ったら『いらっしゃいませ』と言われたことがあります」
「誰だって言われるよそんなこと。じゃあお前さんは二枚目ってわけでもねえのか。ははあ、それで死のうってんだな」
「そんなんじゃありませんよ」
「それなら何だって死にてえんだ」
「あのね、落ちたんです。大学」
「落ちた?お前さんとこの大学は崖に建ってるのかい」
「そうじゃなくって、受験に落ちたんですよ」
「何だ落第か。落第したから自分も落ちようって洒落かい」
「別に洒落ようとして死にたいんじゃないですよ。死神だって仕事しなけりゃあご飯食べられないんでしょう?いくら倅さんに似ているったって僕が死んだ方が得じゃあないですか」
「いいや駄目だ。俺だってお前さんが死んだ後に見つけてたら観念する気だったよ。だけど死ぬ前に見つけちまったのが運の尽きだ。死神よりも親の情が出ちまった」
「意固地な死神ですね」
「意固地でもいぼ痔でもいいよ」
「さっきは切れ痔でしたよ」
「うるせえやい。意固地なのはお前さんもだよ。親から貰った命を簡単に捨てるんじゃないよ。大体今時の若者は何か失敗すりゃあ死にたがりやがって、生きるってのはゲームじゃねえや馬鹿野郎。お前さんの親だってこんなところで死なせるのは望んじゃいねえだろうよ。今死んで何になる。お前さんが死んで誰が得するんだよ。ええっ?」
「死神が得します」
「お前っ……ああそうか。嫌んなっちゃうなあ、俺が死神だってところがどうも引っ掛かっていけねえや。死神だって情が湧くんだよ。分からねえかなあ。そうだ、もしお前さんが飛び降りたらねえ、そのまま地獄へ連れてくぞ」
「そりゃあ困りますよ。この世が嫌になって死ぬんだ。死んでからも嫌なことがあったら死んでも死にきれない」
「分からねえこと言ってやがるな。どうだ、こう言われちゃあ死ぬ気もなくなるだろ。だったら生きて善行を積んで、晴れて極楽へ行ったらいいや」
「極楽は良い所ですか?」
「極楽は良いぞ。学校も試験も何にもない。働かなくったってご飯も食べれる」
「そりゃあ良い所だなあ。早く死にたいなあ」
「何だい余計なこと言っちゃったな。そんなこと言ったって今死んだら俺が地獄に放り込むからな。死人にとって一番嫌なことをさせられるのが地獄だ。お前さんが行ったらまた試験をさせられるだろうな」
「地獄で落第するのはみっともないなあ。合格したらどうなりますか」
「お地蔵さんが助けてくれる」
「上手いことできてますね」
「そう簡単に合格できねえぞ。試験中に正塚の婆さんがやってきて消しゴムを落とされる」
「嫌なことしますね。用心して二つか三つ用意しときましょうか」
「景気よく全部落とされるな。そしてお前さんは泣きながら消しゴムを積み直すんだ。一つ積んでは母のためと」
「賽の河原が試験場ですか。面接はないんですか?」
「閻魔様の前で面接するんだ。少しでも噛むと舌を抜かれる」
「酷いことしますね」
「どうだ死にてえか?生きてた方がましだろう」
「いいや死にます」
「こん畜生まだ言ってやがる。地獄に連れて行くといってるじゃねえか!試験地獄だぞ!」
「だから飛び降りはしません。首吊りにします」
「何で首吊りだ」
「今度は落ちません」