未来変革~日常への逆行~
手を握られていた。温かくて力強い手の感触に、俺は視線を向ける。
心配そうに覗き込みながら、俺の手を握っているのは真っ赤に燃える瞳と暗茶色の髪が印象的な女性。
瞬きを繰り返し、ようやく輪郭が見え、俺はーー彼女の名を口にする。
「よう、未歩」
「······たーくん。大丈夫?何があったの?」
何が?疑問を口にするより早く、パタパタと足音がし、その足音の主が俺達の真横で止まると、声を掛けてきた。
「起きたの?良かった······急に倒れたから本当にびっくりしたんだよ?秋月君」
その声に、俺は飛び起きる。ビックリしたように未歩は手を離し、声を掛けてきた主は首を傾げ、俺は何があったのだと思い返す。
おかしい、確か、俺は彼女と一緒に家にーー
頭痛。
頭が割れそうなほど痛い。呻き、息が漏れる。
ノイズが走り、世界が歪む。ザラザラと音が響く、映像が見れないTVのような光景。痛みで、体が倒れこむ。
「······!?ーー!!」
「ーー!!」
何を言われた解らない。暗い世界へと俺は落ちていく。
頭痛が無くなり、目を開けると気付けば椅子に座っていた。小さな机、学校の机のようなそこに、スタンドライトがあり、机の上を照らしている。
その机には、写真記録を広げてある。
そこに、映像として映る写真映像を保存していく。
望んだ世界の光景が、一枚一枚貼り出され、その作業を俺は自発的に行っているのだと、今さらのように気づく。
抱き締めたり、笑ったり、泣いたり、照れたり、キスをしたりーー
その写真記録には、彼女しか映っていない。
望んだ景色、望んだ世界、望んだ未来、自然と微笑んでいたようだ。口元を触り、愛しそうに、彼女の写真を撫でる。
「未来変革という言葉を知っているかしら?世界は貴方が望む未来になった瞬間に、それを修正してしまうのよ」
鈴の音のような声。俺は、その声に反応するように背後を振り返る。そこに、一人の女性が立っていた。
黄金の長い髪。腰まである長さの髪を手ですくい、女性は流す。
俺を見据えるのは、薄緑色の綺麗な瞳。吸い込まれそうなその色に、息を飲み······出来のいい人形のような綺麗な顔に、思わず口から息が漏れる。
整ったパーツはそれぞれが綺麗に揃っている。肌の色は純白、死人?いや、透き通るような白さ。
唇は真っ赤に染まっている。血のように赤いそれが動く。
「久しぶり······かしら。秋月龍人ーー正義の味方は楽じゃないようね?あの子と触れ合えば触れ合うほど、貴方は道化のように踊ってくれるから、私は全く飽きないわ」
背丈は俺とほぼ変わらない。女性は優雅に笑う。
舞踏会か何かに行くつもりなのか、銀色のドレスに身を包む女性は振る舞いもそれに酷似しているかのように、スカートの裾を掴みお辞儀をする。
「お前は、誰だ?どうして俺を知っている?ここは、何だ?未来がどうこう言ってるが、それは何だ?」
体の震えが止まらない。恐怖?嫌悪感?女性を見た瞬間から思う、俺はこいつがーー
「ふふ······焦らない事ね秋月龍人、その問いに答えてあげても良いけれど、今回は挨拶も兼ねてきたのよ。まずは、おめでとうございます。貴方はーー選ばれたのよ」
歯を鳴らす。
気付くと、あまりに強く噛み締めたせいか、口の中が血の味で染まり、何処かが外れた歯を口から唾と共に吐き出す。その様子に笑いを堪えきれないように、女性は腹を抱えて笑う。
ケラケラと、狂った笑い。耳障りな音に、俺の体が前に出る。今すぐに、コロシテヤル!!
女性は、笑ったまま優雅に床を蹴る。黄金の髪が舞い踊り、履いている銀色のハイヒールが宙に踊り、瞬間ーー
俺の体は、何が起きたか解らないまま、半身吹き飛ぶ。袈裟斬り、寸断。音もなく、臓物を撒き散らし、俺の体がバラバラになる。
「道化らしく、少し寝てなさい。大丈夫、死ぬことはないわ。それと······今の貴方じゃ、私は殺せないから覚えておきなさい」
「そもそも、勝負にすらならないわ。秋月龍人、貴方は、勘違いをしているのよ」
銀色が視界の正面へと降り立つ。真っ赤に染まる地面を俺は眺めながら、視線を上げる。女性は笑っていた。
「秋月龍人単体では、世界は救えない。正義の味方は孤独ではないわ。貴方は、思い違いをしているのよ」
女性が歩き出す。俺の顔を無造作に踏みしめ、破裂。痛みはない。
真っ赤な光景と共に、体が浮き上がる感覚。気付けば、椅子に座っている。
「道化はね、正義の味方を目指すのよ。終わりがあるようで、未来があるようで、希望があるようで、目指す先は、世界は優しい光景を映す事よ」
俺の肩に女性の手が触れる。作り物のように繊細で綺麗な指が、俺の肩をなぞり、頬を撫でる。背筋が凍り付きそうな感覚。
何を考えているんだお前は?意味が理解出来ない。体の震えが止まらない。
「怖い?震えているわ。正義の味方が、こんな弱い女一人に震えるなんて笑えない冗談ね」
耳元で囁かれ、背筋がガクガクと震える。椅子が振動するほどに震える揺れを押さえ込もうと俺は両手で膝を掴む。
へし折れるほど力を込めながら、その様子が可笑しいのか女性は笑う。笑う声と共に、俺の頭に柔らかい感触が乗り掛かる。
「秋月龍人、時間が来たようね。挨拶は終わりよ。ああ、そうそうーー貴方の記憶はね。未来変革が発生した時点で抹消されるわ」
柔らかい感触は、恐ろしいほど甘美な香りを漂わせる。女性は言葉を繋ぐ。
「記憶が無いから、未来がどうなるかは、定かではないのよ。決めるのは、秋月龍人本人よ」
甘美な香りに誘われるように顔を上げる。暗い、真っ暗な視界は何かに塞がれているようだ。でも、凄く柔らかい。
「次に逢った時に、貴方はどんな未来を見せるか楽しみだわ。秋月龍人。私の可愛い、最高の道化ーー」
視界が開ける。女性が離れる感覚、それで察した。今目の前にあるのは、女性の人形のような顔。
つまり、あの感触は······
「褒美は終了よ。秋月龍人、貴方は必ず私と逢うわ。覚えておきなさい。私の名はーー」
揺れる大きな胸。こいつはなんだ?
意味不明な行動に、俺は頭を抱えそうになるが、女性の言葉を聞かなくてはならない。聞かなくてはいけないのだ。
「片桐零未よ。覚えておきなさい。秋月、龍人」
「待て!!お前は何が目的だ!!答えろ!!」
手を伸ばす。女性、カタギリレミという呪文のように半濁する存在に、触れる寸前に、世界は暗転ーー
「······あ、あの?秋月······君?その、これは流石にーー」
柔らかい。
ムニュムニュと動くその感覚に、俺は疑問符と共に、目を開く。
覆い被さるような感触と、包まれる顔の感触に、何があったのかと顔を上げる。
困った表情が見える。丸みのある顔で、少女のように見える人がそこにいた。
真っ黒の瞳。大きな目が困ったように歪み、頬が赤く染まる。小さな女の子みたいにふっくらとした唇は、綺麗な肌色を歪ませ、小さな紐のリボンが微かに揺れる。
後ろに結ばれた蝶々結びのリボンは、鮮やかな水色の髪と相まって、くすんだ赤色で、長年使っているのが解る。
「え?愛衣さん?あれ、なんで······」
俺の疑問は、困ったように笑う少女が、俺の頭を優しく撫でる手で遮られる。
「秋月君は、ここに来て、急に倒れてしまったの。本当にびっくりしたんだよ?それで、今は後ろの休憩室に運んで、さっき起き上がったのにまた倒れそうになって、今は、愛の胸にもたれかかってるのね······その、手が、ね?」
その声に、感触に、俺は再度手を動かす。
柔らかい。
指が埋まる感覚に、困った顔が湯気でも出るように真っ赤に染まる中、俺はようやく起き上がる。
「ごめん、愛衣さん。迷惑掛けてしまったな」
「いいの!迷惑とかそう言うのじゃなくてね、その······何て言えばいいの!?ねえ、助けてよー!さくちゃん!!」
さくちゃん?聞きなれた単語に一瞬思考が停止。何だか嫌な予感に、俺は壊れたロボットのように、横を見やる。
「ほぉ、あんた······いい度胸してるよね。お目覚めのようで何よりーーそれで、たーくん♪いつまでそうしてるのかな?かなぁ?」
静かに、燃える炎。立ち上るのは、真っ黒の気配。
薄ら笑いを浮かべ、俺は自分の手を恐る恐る見る事にする。見たら、死ぬと感覚が訴えるがそれでも見るしか方法がないのだ。
綺麗に両手が、少女に不釣り合いな巨大な胸に埋もれている。顔を上げ、少女と目が合う。
背中くらいの長さのウェーブをかけた髪が舞い、小さな背丈の少女は顔に手を添える。
「は、恥ずかしいので、秋月君。は、はやく、手を、その······うぅーお姉さん困っちゃうんだからーー!!!!」
バタバタと走り出す。
右往左往と顔を隠しながら動き回る少女を眺めながら、腕が伸びたままの俺はオイルが切れたロボットのように、横に座る彼女へと顔を向け。
「しねやあああああ!!いつまで手のばしとんじゃああ!!ゴラァ!!」
雄叫びのような声と共に、顔面にストレートがめり込む。
防ぐ事すら出来ず、当然のように綺麗に決まる拳が振り抜かれ、俺は座っていたソファーから後方へと弾き出される。
「が!?ご!!」
ゴロゴロと2、3回ほど天地がひっくり返り、背中にぶつかる壁のおかげで動きが止まる。腕が伸びきったままなのは、今床に触れた手の感触で解る。
痛みでまた遠のきそうな意識を辛うじて食い止めながら、起き上がる。
「お前な······加減という言葉をいい加減覚えろ」
「はぁ?なに!?そんなにデケエ胸好きなら、さっさと牛にでも求愛してきたら!?あーそうですよ。そうですよねえ!あなたしゃ、たったのCクラス!!今触ってたのは、E寸前のDクラスだもんねぇ!!あーよかったんじゃない!!触り心地はどうですかぁ?よかった······でしょうね!!この、おっぱい星人が!!シネヤ!!」
なんだそのカミングアウトは?怒りで沸騰した彼女から出た言葉に、駆け回っていた少女がビタっと立ち止まり。クルリと反転。
「さくちゃーん。ちょっと~お話あるんですがーいいですよね?んー?お姉さんとの、や·く·そ·く!覚えてるよね?」
笑顔が怖い。新たな恐怖と対面する前に、俺は即座に足を踏み出し、服の襟がおもいっきり逆に動く。
息がつまり、俺の体は引きずられるように後ろに下がる。
「たーくーん?何処にいくのかなあ?逃げるとか、まさか、まーさーかー、考えてないよな?ん?」
怖い、今すぐ逃げたい。
ジタバタと足掻く俺の足は、まるで意味を成さない。
ずるずると引きずられーー高笑いのように彼女が笑うと、目の前には少女の笑顔。
「秋月君?お姉さんとさくちゃんと、一緒に~お話しようか?ね?」
「ひぃ、いやあのですね。愛衣さん?あの、もしもしー聞いてくだ······ぐぇ!?く、くび、し、しぬ」
こうして、お話という名の地獄を俺は堪能する。時刻は15時を回ろうとしていた