始まりの鐘~これが理想を叶えるということ~
鳥の囀りが聞こえる。街の喧騒が遠くで聞こえ、優しい風が俺を撫でる。潮風の香りがして、目をうっすらと開くと、見馴れない天井が出迎えた。
天井一面に、絵が綺麗に描かれている。美術館で見たことがあるような絵だ。騎士の傍には天使がいて、様々な人の上に騎士が立っている。剣を掲げ、ただ一人、天使を守護するかのような絵だ。
横を見ると開けっ放しで寝たのだろう。バルコニーへ続く窓が開いたままで、風が緩やかに吹く。ソファーで寝ていた為か、体が動く度に音を奏でるが、気にせず立ち上がる。優しい風が吹き抜ける最中、バルコニーへと出ていくと快晴の空が今日も出迎えてくれた。
タバコに火をつけ、寝覚めの頭を働かせる。紫煙が立ち上る中、少し離れた位置にあるバルコニーへ誰かが出てくるのが見える。何気無しにそっちを見やると、純白のドレスを着た少女が、朝日を浴びるようにバルコニーへ歩いてくるようだ。
「······おはよう、エリス」
俺が出てきた当人へ挨拶を告げると、ビックリしたように一瞬体が跳ね、軽く髪を撫でながら体裁を整え、俺へと一礼。
「おはようございます。龍人さん。すいません、完全に寝起きです。うー、髪もボサボサですよ」
恥ずかしいのか何なのか、エリスは困ったように体のあちこちを触る。それが妙に可笑しくて、堪らず吹き出しそうになるが、タバコをクールに吸って何でも無い風に装う。
「朝、早いんですね?私は、もう少し寝ようかと思ってました」
「そうか?何時だか解らないんだが、目が覚めてしまったせいだな」
互いにそんな事を言いながら少し談笑。昨日の夜が嘘のようだ。もしかしたら、記憶に無いパターンかもしれない。タバコを吸い終え、部屋に戻ろうと思ってエリスへ挨拶をしようと向き直り、そこで気付く。
バルコニーの縁に手を添え、城下町を見るエリスの真剣な眼差し。白い鳩の群れが、城のどこからか飛び立つ。それが合図のように、近くで鐘の音が鳴り響く。大きな鐘の音は、オーシャンブルーの全域に聞こえるかのように響き渡る。
「······龍人さん。今日も、ここは平和です。私がしっかりしないといけないですね」
視線の先は、俺を捉えていない。動き始めた城下町の人々を見ているようだ。王女としての責務、自身に課せられた使命。あの真剣な眼差しは、エリスの意志の現れだと思う。
「どうして、そこまで成し遂げたいと思うんだ?」
俺の疑問に、エリスは髪を軽く指で押さえながら、こっちを向く。日の光が影になって、表情が窺えない。
「私は、この国が好きです。無くしたくないんです」
鳥の囀りが聞こえる。喧騒が大きくなる街は、人々の暮らしが始まった事を告げる。風が、少し強く吹いた。
「そしてーー私の弱さ。なんだと思います」
どんな表情をしているのだろうか?声音は、何処か虚ろで寂しいものだ。弱さと、エリスは言う。俺からしてみたら、何処が弱いのか見当すらつかない。エリスは、何を思っているのだろうか?
「······日課は終わりです。あ、浴場がありますよ龍人さん。メイドに案内させておきますね。それでは、朝食で逢いましょうね」
手を振って、エリスは部屋へと戻る。俺はそれを眺めながら、タバコに火をつけ空を仰ぐ。快晴の空、平和な日常。エリスが望む光景があって、それを実現出来ている。エリスが言う弱さ。これは、何を意味しているんだろうか?
俺には、その答えが見出だせない。結局、俺は何も成し遂げていないのだ。何も出来ず、何も変えることもなく、それでもーー
『世界は、優しいんだ。弱さも強さも、きっと包んでくれる』
タバコを潰し、扉がノックされるのは同時だった。思考を打ち消し、軽く声を上げて、迎えがきた扉が開けられる。メイドが入ってきて、一礼。挨拶を交わし、さっき言われた浴場へと向かうことにする。
忙しなく動きまわるメイドや、城内の人々を横切り、昨日通った道の反対側へと向かう。食事をした部屋を抜けると、庭園を横切る通路に出る。吹き抜けの通路で、天井に沿うように、アーチ上の物が左右対称につけられている。
宮殿の通路に似たような感じだ。庭園は広大で、中央の噴水からは透き通るような水が溢れている。昨日は暗くてよく解らなかったが、芝生もあって、緑の葉が生い茂る木が並べられ、色とりどりの花壇が綺麗に整えられている。
ベンチもあれば、小さなテラスのような物もあるようだ。憩いの場所の一つでもあるのかもしれない。
そんな所を突き進むと、部屋と同じように大きめの扉が見えてくる。メイドはそこを開くと、中へと入った俺を見てから扉を閉め、右手に見える扉へと案内してくれる。どうやら、ここが浴場の入り口のようだ。
礼を告げてから中に入る。脱衣場になっているようで、さっそく服を脱ぎ······そう言えば、この鎧とか籠手とかどうやって外すのだろう?試しに引っ張ってみるが、外れる様子はない。ここに来て、困り果てる。
軽く唸りながら、最初に外せそうな剣を柄ごと外すと、手に持っていた剣が直ぐに消失する。意味が解らず自分の手を見ると、籠手もなく、身につけていた鎧すら見当たらない。
何が起こったか理解出来ず、試しに腕を振ってみる。瞬間、剣が手の中にしっかりと握られている感触。籠手も鎧も確認し、再度腕を振るう。剣も鎧も籠手もない。
どういう原理か解らないが、剣を体から外すと、付属する品が全て無くなるような効果があるようだ。とりあえず、服を脱いで浴場へと向かうことにする。入り口の扉付近には、洗面所のような所があり、そこには綺麗に畳まれたタオルが置かれている。
バスタオルみたいだな。終わったら使わせてもらおう。扉を開け中に入ると、大きな浴槽が出迎えてくれた。ライオンの彫像の口からは、澄んだお湯が沸きだしていて、シャワールームだろうか?左右には個別に作られたシャワーがついた小さな区画が並んでいる。
シャワーの一室に入る。コックを捻り、久しぶりの感覚に心地よさを覚え、備え付けの石鹸?のような物を手に取り、丹念に体を手で洗っていく。石鹸の横には、シャンプーのような容器があり、手につけ髪を洗う。
ラベンダーの香りがして、非常に爽やかだ。さっぱりした所で、大きな浴槽へと入っていく。湯気が立ち上ぼり、心地よさから目を軽く閉じ、のんびりとした時間を満喫して風呂から出ていく。脱衣場に戻り、バスタオルを手に取って気付く。
バスタオルは絹で出来ているようだ。極上の触り心地と肌を伝う柔らかさに、感動を覚えながら、俺は服を着込む。そろそろ洗濯したいのだが、替えの物が無いな。後で何か見ておこうと思い、次は洗面所へと向かう。
何人かで使えるように木製のコップが置いてあり、ホテル何かにある、使い捨ての歯ブラシセットを手に取って、久しぶりの感覚を味わう。丁寧に口を濯ぎ、さっぱりした所で外へと向かうことにした。
暖かい風を受け、のどかな庭園を横切ると、ベンチに座っている存在に気付き目を向ける。愛衣さんだ。俺は、挨拶をしようと愛衣さんへと向かうことにする。
芝生を踏む感触と、色とりどりの花の香り。静かに沸き立つ水の音を聞きながら、ベンチ座って微笑む愛衣さんへ声を掛ける。
「おはよう、愛衣さん」
「あ!秋月君。おはようーお風呂入ってきたの?愛は、さっき入ってきたんだ」
成る程、俺と同じくさっぱりした事で上機嫌だったわけか。愛衣さんの横に腰をおろし、俺をじっと見る視線にそこで気付く。
「ん?どうした愛衣さん?」
俺がそう問いかけると、愛衣さんは俺を見ながら、どう言ったらいいか迷うかのような表情をして、口を開く。
「んーと······秋月君だから聞くけど、秋月君は、このゲームの世界をどう思っているのかなーて」
毛先を軽く指で巻きながら、愛衣さんは俺へとそう問いかけ、俺はその問いにどう答えるべきか考える。タバコに火をつけ、少しだけ紫煙を吐き出しーー
「······俺が思うのは、この世界が作り物だとは思えない。生きてるんだ。そう、実感してしまう」
胸の内で燻っていたものを吐き出す。タバコの灰を落とし、紫煙を吐き出すと、愛衣さんは俺の腕を引っ張る。何かと思い愛衣さんを見ると、愛衣さんはにこやかな笑みを浮かべながら、こう言うのだ。
「愛はね、秋月君が言った事を覚えているよ?誰も殺さず、誰も死なせない。秋月君はがんばり屋だもんね。愛は、そんな秋月君を応援したいの」
手を一生懸命伸ばす。少し浮き上がる愛衣さんが、懸命に伸ばした腕は、俺の洗い立ての髪を撫でる。穏やかに微笑んで、優しく撫でてくれる。
「秋月君は、きっと出来る。お姉さんが保証してあげるね。愛は知ってるから、秋月君がーー」
言葉を切った愛衣さんは、髪を撫でる手を止め、俺をしっかりと見つめる。その眼差しは、異常なほど優しい。吸い込まれそうな、優しい眼差し。
「人を幸せに出来る人だって。愛は、知ってるの。だから·····秋月君は、無理しないでいいんだよ?自分を信じて、愛達を信じて?秋月君の背中は、愛達が絶対に守ってあげるからね」
首を少し傾げ、心からの笑顔を俺へと向けてくれる。迷っている俺を見透かすような。そんな言葉に、何かを返すことすら出来ない。ただ、満面の笑みを眺め、俺はーー
「秋月君。大丈夫、大丈夫」
優しい声。頭を撫でられる感触。どうしていいか解らない。愛衣さんは、微笑みながら俺の頬を指で優しくなぞる。それで気付いたのだ。
泣いていた。不甲斐なく、何も出来ない自分自身に対して、泣いていた。
その優しさを受ける意味が、俺にあるのだろうか?何かを決断し、突き進む背を俺は見てしまったのだ。俺には、これを素直に受ける事が正しいと思えない。
俺にはこの優しさを、受け入れていいかどうか解らない。
強くなりたい。誰かを救う力を欲し、形を成したい。その為に、努力した。得たものはーー凡人の俺が出来る、最良の手段。天才でも無ければ、才能があるわけでもない。
繰り返した。何度も反復し、同一の手段を変化させる。俺が出来るのは、染み込ませた技術を、俺なりに変化させ使う事を可能にすることだ。才能ではない。秋月龍人は、ただの凡人だからだ。
理想は高い。全てを救うこと、正義の味方になりたいからだ。誰も悲しい事にならず、誰も傷つかない。背負うのは、秋月龍人だけでいいんだ。こんな風に、俺は泣いている場合ではない。俺はーー
「敵襲!!急ぎ姫に報告しろ!!」
平穏は、あっさりと終わりを向かえる。たった一言、それが引き金。世界は、平穏を許さない。
聞いた事がない音が聞こえる。全力で撃ちならすのは、ドラを叩くような音だ。けたたましい足音に、響き渡る怒号。
平和な日常は、唐突に姿を変えていく。扉が開け放たれ、走り込んでくるのは、アクルさんだ。険しい表情で、俺と愛衣さんを見る。
「······朝の挨拶は最悪の状態ですね。お二方、急ぎこちらへ」
俺は立ち上がる。腕を振り、剣を手にする。一瞬で武装を終える俺を、アクルさんは驚きの目で見るが、直ぐに踵を返す。愛衣さんも立ち上がり、アクルさんを追うために一緒に駆け出す。
追いかける背は速い。遅れないように走る。慌ただしく駆け抜ける兵士やメイド等をすり抜け、ひたすら上へとかけ上がる。
一番上に来たのだろうか?巨大な門のような、重厚な扉が音を立てて開かれ、中へ飛び込むと俺達以外の全員が揃っていた。玉座だろうか?一段高い位置には、エリスが座って待機している。
「すまない、遅れた」
俺の声とほぼ同時に、息を切らせた愛衣さんが飛び込んでくる。速すぎだよーと声を上げながら、皆の所へ早足で向かい、全員が揃った所で、エリスが険しい表情で口を開く。
「アリサ、アクル。状況は?」
「はっ!姫、攻めてくるのは帝国で間違いないですね。主要艦隊のようです。小型船舶3隻、大型2隻、そこにーー」
アリサさんが口を閉じる。くの一のような格好をしているのに、そこで気付く。戦闘服なんだろうか?
「飛翔士を搭乗させたと思わしき、要塞級船舶一隻です。はっきり言います。敵勢力は、少なくとも······3万を超えています」
どよめき。警護の為の兵士が、全員驚愕しているようだ。エリスは額に手を当て、アクルさんを向く。アクルさんは、苦虫を噛み潰すような表情で口を開く。
「······オーシャンブルーの全戦力を持ってしても、2万に届きません。こちらの警備もあります。避難誘導指示でも人員を割かねばなりません。動かせる実働人数は、1万に欠けるかそうでないか······エリス王女、人数に差が出る以上、我々は総力を持って闘わねばなりません。兵の士気向上のために、戦地に赴く我々に祝福をお願い致します」
アクルさんは方膝をつきながら、エリスへと礼をする。エリスは、そんなアクルさんを見ながら、手を震わせる。
「······死ねーーと言うのですか?死地へ向かわせる事をわかったうえで、アクルはそう言うのですか?」
「······この身、例え朽ちましても、我々は最後まで闘う所存です。エリス王女。我々は、兵士なのです。民の守り手であり、王女を守る存在です。故にーー」
アクルさんは、立ち上がる。自身を守護する、半身を覆えるほどの盾を頭上に掲げる。
「我々は、全てを持ってして!!オーシャンブルーの為に!!このドライ国の礎となりましょう!!」
警護の兵士がアクルさんを見ながら、歓声を上げる。全員が、エリスへと向き直り、頭上に手にした武器を掲げるのだ。
「私はーー私ーー」
玉座に座るエリスは、今にも崩れそうだ。平和を願う心は、諸刃の刃。命を預かるとはーー他人の全てを奪うと言うことだ。だから、エリスは、弱いと言ったのだろう。
理想を叶える取捨選択。望むのは、平穏で平和。笑顔を守り、優しい光景を描く。欠けてはならない存在を、ただ一言で、欠けるように仕向ける重圧。
エリスは立ち上がる。奮い立たせるように、真っ直ぐ腕を伸ばす。
「全兵士に通達。ドライ国、王女として命じます!!司令権限をアクル総司令から委託。全指揮権を、私が持ちます!!戦前に赴きましょう」
「な!?何を仰有るのですか!?エリス王女!!お考えーー」
「アクル総司令。私に指図するのですか?私は行きます。私の······」
エリスは俺を見る。その眼差しが物語るのだ。
「理想を叶える為に!!聞くのです!!我が名は、エリスベリト·ドライ!!ドライ国王女にして、全ての守り手!!」
聞けとーー俺に足りない覚悟。その道を行く、信念を貫く為の言葉を。行動を見るといいと。
「故にーー我に守り手の力を顕現せし者!!来たれ!!魔装具!!」
輝く光が溢れる。意志が、何かを形作る。それは、エリスの望む姿。
「天使君臨ーー!!」
だからこそ、エリスは俺を見たのだろう。信じてーーいますと。
「顕現理想像完了!!」
光が収まると、そこには白銀の鎧に身を包むエリスがいた。純白のドレスはスカートの丈が短くなり、手に持つのは、エリスを守護するように出来た盾と白銀に染まる一振りの剣。
白銀の籠手を両手につけ、頭部を守護するように黄金の王女冠が備えられる。背中には、純白の翼が生え。エリスは、その翼をはためかせる。
「なによこれは······こんなものを作った記憶はないわ。規格外存在だと言うの······」
独白のように、片桐は呟く。開発者当人が仕組んだ事ではないようだ。
エリスの姿に、この場にいるドライ国の兵士は全員ひれ伏す。神々しい姿のエリスは、真剣な表情でその場にいる全員へ向けて口を開く。
「総員聞くのです!!私と共に、生き残る為に戦いましょう!!ドライ国王女として!!全国民へ通達!!我々はーー」
「勝利するのです!!」
王女の意志を伝えるべく、伝令が駆ける。全力で、最速で。遅れて歓声が木霊する。
俺の意志は、俺の覚悟は、俺の世界は、こうして飲み込まれる。理想を語る力を携え、少女は行く。
始まりの鐘が鳴り響く。朝に聞いた鐘の音が響き渡り、少女を祝福するように思える。神々しい少女を、神が祝福してくれているのではないだろうか?
ならばこそ。俺は見届けなければいけない。理想を叶える存在を、俺を信じるその瞳を、曇らせたくないのだ。
戦争がーー始まろうとしていた