戦闘家政婦―ジュン 4-1
二限目の授業が終わり、教室を移動していたジュンは背中を指先で突かれるような感触に驚いて振り向いた。
小柄でメガネをかけたポニーテールが目印の女の子、この二年の春から隣のクラスに転校してきた岸部美月だった。美月はクラスの中でも背が一番小さく、とても内気で声も小さい。相手がジュンとはいえ、男子生徒に声をかけるなど滅多にないことではあった。
「白石くん……あ、あの……あの」
美月はジュンを呼び止めたことを後悔するように、その突いたであろう右手の人差し指を左手でギュッと握り締めていた。小さい体をさらに縮こめ顔を上げることすらできず、そのまま地面に埋まってしまいそうだとジュンは思った。
「えっと、何か用?」
背の高いジュンは、まるで小学生に相対するように小柄な美月の目線まで腰をかがめた。
「あの、えと、ケイちゃ……槙田くんて……どうしてるの?」
休憩時間に入り廊下のそこここは騒がしくなっていた。ジュンと美月の会話に耳をそばだてる者はいない。そして美月の声はか細く喧騒にかき消されそうだった。彼女の“オーラ”はゆらゆらと体の周辺を漂っているだけでいかにも頼りなかった。
「もう退院してるよ、もうすぐしたら学校に来ると思うよ」
ジュンは持ち前の美しい顔で美月に優しく笑ってみせた。事情は知れなくともマキタのことを気にかけてくれているということは嬉しかった。
校内でもUSJ事件の被害者ということで一定以上の耳目を集めたマキタとジュンだったが、事件から四カ月弱も経った今では話題にもならなくなり、マキタの容体を慮るような言葉もほとんど聞かれなくなっていたからだ。
「そ、そうなんだ。よかった――」
ジュンは美月を見て、なんだか窮屈な人だと感じた。オーラが内向きに光っている。捕らわれた感じ。そう形容するのが似つかわしい。
「そういえば君、この春から来た転校生だよね? なんでマキタのこと知ってるの?」
マキタは年明けから新学年になる今まで一度も学校には来ていなかったから、マキタと面識があるとは思えなかった。ただでさえ話題に事欠かないマキタのことだから、それなりに周りが騒ぎ立てたせいもあるのだろうが、転校生が興味で問うほどではない。
「えーっと、話すと、長いんですけど……」
入院患者ながら過剰に心配されない空気はマキタにとっても気が楽だっただろう、とジュンは思う「あいつは殺しても死なない」とか「怪我したフリして学校さぼっている」だとか「病院抜け出してツーリングに行っている」などと散々ないわれ様をしているのは日頃の行いのせいだ。
だが、いずれ車椅子で登校するマキタを見れば、またその空気も変わってしまうだろう。周囲が気遣いよそよそしくなるのは仕方がない。それに不憫だと同情の目を向けられるのも仕方がない。マキタにとってはそれが最も残酷なことなのに。
マキタは病室に見舞いに来たクラスメートには半身不随のことを告げていない。そればかりか彼の意中の彼女にも告げていないはずだった。
それは彼の意地かプライドか。
いまマキタは現代医療では治療できない右腕の現実と葛藤し、共存の道を探るしかない。
唯一の道、粒子再生医療という途上の技術にしても、今は提案するほどの材料はない。だが、安西の言葉を信用しないわけではないが、大阪で遭遇した科学技術、今よりも何世代も進んだ技術群を目にした今のジュンは、一条の光明ではなく、より確実な、医療の世界を明るく照らす窓がどこかにあるはずだと考えていた。それが形となった装置がヴィ・シードだったとしてもだ。
「あ、あのぉ」
またやってしまった。思慮にふけって目の前の会話の相手を置き去りにしていた。
「ごっ、ごめんごめん!」ジュンは美月に向き直り再び膝を落とす。まるで小さな子に気づいた大人のように、相手の目を見て謝意を含んだ微笑みを向け美月の顔を覗きこんだ。
だがジュンの行為は男女の距離感としては近すぎた。至近距離で真正面から対峙された美月は一瞬にして顔を赤らめ顔をそむけ口を尖らせる。
「そっ、そういうの……ちっ、近いです」
「え……あ? ご、ごめん……ええっと」
相変わらず女子との接し方には未だにまるで要領をわきまえないジュンである。容姿端麗ではあったが、このような行動により一目置かれていた。
偶にだが「イケメンかつ頭脳明晰の変人、そこがまたいいのよ!」と主張するモノ好きな女子生徒がいても、アプローチ三日目で大抵音を上げる。
自分に興味を示さないばかりか、異性に対して何も感じていないと思われる態度は、好意をもって近づいた女性にとってショックは大きい。
それでも粘り強く相手の心の扉を開こうとする女子がいるにはいたが、あいにくジュンの心の扉は固く閉ざされた鉄扉でも、呪術によって封印された壺でも何でもなく、開きっぱなしの戸口に暖簾までもがご丁寧にかけてあるといった体で、あっち側まで筒抜けだった。
イケメンで変人、ジュンは校内でも目立つ存在ではあったが、そんな評判は一年生の間に広がり彼にアプローチしようという女子は新入生を除いて皆無となっていた。
だが見かけ上は何らおかしなことはないため、多くの者達からジュンは異常に鈍い男であるというレッテルを張られているにとどまっているのは幸いだろうか。事実本人も今まで「一度も告白されたことがない」とカナに告げている。
「あの、えと、槙田くんの……お、お見舞いに……」
再び膝を落として顔を赤らめる美月をのぞき見た。
「うーん。じゃあ、マキタんち行ってみる?」
「う、え、ええ? い、いや、だってそんないきなり……」
授業開始のベルが鳴るのを聞いて、ジュンは駆けだしながら言った。
「大丈夫だよ。じゃあ、放課後校門のところで待ってるよ。君のほうが早かったら待ってて、必ず一緒に行くから!」




