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D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第五章:ジュン 第三話 「安西粒子総合研究所」
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戦闘家政婦―ジュン 3-2

「しかし、君は高校生だろ? よく知っているな。誰に教わった?」


「いえ、独学で……こういうの好きなんです。まあ敢えて言うなら――」


「アンダーサイエンスか? 教科書は」


 安西は頷くジュンを見て大笑いした。専門書も読みあさったことはある。だがまだまだ書かれている内容には不備があったり間違いが記されているものも少なくはなく、アンダーサイエンス誌が常に確かな内容を伝えているとは言い難い。しかし、科学的探究心を惹起させるには十分な内容だと言える。ジュンはこれらの真贋が定まらない記事の裏取りをあらゆる側面から考察することを趣味としていた。


「あの……質問していいですか?」


「その前に少しテストをしてもいいか?」


「テスト?」


「君がちゃんと次元物理科学を理解しているかのテストだ。質問はそれからだ」


 安西は煤けた格好のままソファにふんぞり返り、腕を組んでジュンを見据えた。


「では質問だ。三元素粒子体をR1オメガに転送するとどうなる?」


「R1オメガは熱力子のみを通す次元帯ですから、三元素粒子体から熱力子が奪われることにより物質はその存在を保てません。転送した瞬間に物質は蒸散して消えます」


「結構だ。ではR2ガンマの場合はどうだ?」


「同じく物質として存在を保てませんが、ガンマは質量子と情報子を通すため残されるのが熱力子です。つまり転送器にかけた瞬間エネルギーの開放……つまり被転送物質の規模に応じて爆発を起こします。いずれも対応する機器がないため理論上ですが……」


安西は両眉を上げて身を乗り出した。ジュンに対して初めて興味を抱いたようだった。


「ちょっと待っててくれ」安西は立ち上がり応接室を出て、数分で戻ってきた。その顔は洗われさっぱりとしており、綺麗になった手にはコーラのボトル二本が握られていた。


 すすを払った安西の顔を改めて見ると、最初に会った時のような中年といった印象は受けず、むしろ二十代くらいに見えた。鼻が高く目じりが下がっており優しい印象を受けるが、眼光は鋭い。全体的には細身だがボルタリングの成果だろうか、袖をまくり上げた両腕からは引き締まった肉体が想像できる。


「R1、R2、これらは転送には向かない次元帯だ。では最終質問だ。ひとつの物質をこれらR1とR2に同時に振り分けて定点相転移した場合どうなるだろうか? 君の意見を聞かせてくれ、そしてその論拠も」


「あの、ご存知だとは思いますが、同時に二つの次元帯にアクセスすることは不可能ですよね?」


「ああ、これは学者の間で流行った思考迷路だ。レクリエーションの一つだよ」


「あの、僕の話なんか聞いても時間の無駄になるんじゃないですか……」


「いいから、君の考えを聞かせてくれ」安西はジュンの論を促した。


 安西は笑顔のまま目を輝かせている。何をそんなに期待するのかとジュンは訝った。


「では、遠慮なく……ええと、次元物理科学における次元転送は三元素粒子上で成立しています。すなわち物質を質量子、熱力子、情報子の素粒子に分解、次元同調を経て転送を行います。これらの位相バランスは物質ごとに定まっており、次元物理科学の第一法則、『素粒子保存の法則』と第二法則の『等価交換の法則』、そして第三法則の『素粒子属性の不変性』を逸脱しない物質であることが前提となっています……ここまで、あっていますよね?」


「ああ、結構だ。続けて」


「――ですが、仮にこれら素粒子の一辺でも欠けることがあれば物質は成立しない。質量子は熱力子の力場を形成し、熱力子は情報子の結合性を保持、情報子は質量子構造の構築する、だから三元触媒を持たない次元帯では転送できない。仮にオメガとガンマで同時に次元転換を行った場合、三粒子は互いを補完できずに連鎖爆縮する。オメガとガンマの次元帯内でそれぞれ起きる現象です。質量子は遡粒子分解し放射線として放散、情報子は空間波動として蒸散、残る熱力子はエネルギーとして発散する。これを定点で行った場合、被転送物質は当然消滅しますが同時に物質消滅という第一法則をねじ曲げてしまい、第二法則が成立しなくなり、消滅するエネルギー体はその場に擬似的なブラックホールを形成し、第三法則に則り周囲の物質を取り込んでしまうと言われています。すなわちD兵器――対象を並行次元へと吸収消滅させてしまう次元爆弾として利用が可能と……」


「見事に破滅の道を進んだな」


「どういうことですか……?」


「心理テストの一つだ。君も知っているようにD兵器は実現していない。これは理論上にしか存在しない現象をどう捉えることができるかということで、研究に対する姿勢が見えるんだ。科学の知識を持たないものには意味のない質問だが、人智を超える次元物理科学というものは予測と仮定の連続なんだ。その際に最悪の結果をまず導けるかどうかが正しい研究姿勢を貫ける」


「僕は、間違っていたんでしょうか?」


「安心しろ、俺も同じ答えだ。俺も君もこの片田舎でアタッシュケースに次元爆弾を詰め込むような人間じゃない。俺は科学は常に正義を後ろ盾として進むべきだという、矜持きょうじは持っているつもりだ」


「それを聞いて安心しました」ジュンは安堵の息を吐いた。


「君ほどの高校生がいるのも驚きだが、そこまで訝しがることもないだろうに。それとも先輩から何かよからぬ噂でも吹き込まれてるのか?」


「いえ、母からそういう話を聞いたことはありません。これは僕個人の問題で……」


「まあ、今は深く訊くほど興味もないからいいけどな。で、質問ってのは何だ?」


「あの、母から安西さんは国家規模のプロジェクトチームにいたと聞きました。粒子再生の主流となっている方法は生体素粒子相をシフトさせる研究をしていると。その方法ではいけないんですか? 何もリスクと法を犯してまでイプシロンで生体変換をする必要はないんじゃないですか? 前例がないことをブレークスルーだというのはわかるんですが……」


 安西は手のひらをかざして前のめりになるジュンを制した。


 確かにいきなり訪ねてきた高校生に、今から自分が取り組もうとしている研究の概要を全て話す方がどうかしている。


「いえ、すみません生意気な事を言って」ジュンは姿勢を正し、安西の機嫌を損ねたりしていないだろうかと下唇を軽く噛んで、自身の言動をたしなめた。


「いや、かまわない。君の言うとおりだ。確かに俺のやろうとしているイプシロンを使った生体変換は違法行為だ。だが今のままじゃ、いつまでたっても粒子再生医療は実用域に達しないだろうな。アプローチの仕方を試してみるってだけでも価値はあると思うがね」そう言って安西は背後の作業場の機械装置を親指で指した。


「やっぱり生体素粒子相シフトの研究進捗は芳しくないのですか?」


「正直に言うとそうだな、世間の期待ほどではない。患者の身体情報を読み取るという点までは難なくクリアできても、生体を再構築するには途方も無い時間がかかるんだ」


 粒子再生医療という新しい医療技術に対して様々なアプローチが様々な学者によってなされてはいた。しかしまだ実現にはどれも問題が山積で、ましてや人体に適応となると越えなければならないハードルが幾つもあった。


 最も実現可能と思われる理論が粒子相の平衡を取りながら素粒子の構造を変化させるという方法で、これには高度な制御機器の開発が必要とされる。


 これを生体粒子相シフトといい、カプセルのような機器に患者が入り、三元素粒子体である身体の情報を丸ごと読み取った上で、人工的に健康体だった時点の情報子の配列に書き換えてゆく作業である。


 これは粒子測定という方法で、構成素粒子に変化が起きる前の状態を把握して、その相にまで素粒子相を段階的に書き換えてゆくという方法である。元あった状態へと戻すことでしかないため、次元転送法には抵触しない。


 しかしこれには途方も無い時間がかかるとされており、患者の負担を考えれば現実的ではないといった指摘もされている。とはいえ粒子再生技術を研究するということは、今のところいかにこの書き換えを素早くするかという研究でもある。


 これらを日々模索しているのが粒子研究の最大手、安西が元居た日本粒子総合医療研究チームの現実である。


「粒子再生医療はその可能性を大きく謳ってはいるが、思うように研究が進んでいないのが現実だ。チームは粒ぞろいのエキスパートだが、国家予算を使って不法行為に手を染めることはできん。歯がゆいものだよ。成果が上がらないと判っている粒子相シフトから抜け出せないのだから」


 現行の粒子再生がどの程度の成果を上げているかというと、カッターナイフで出来た傷を一週間かけて治すといった程度のもので、実のところ自然治癒と大差はない。


 要するに粒子相シフトとは人体の自然治癒能力を人工的に上書きする技術でしかない。無論自然治癒できないマキタのようなケースに対して研究されるべき分野であるのだが、現行の技術では損傷した神経のような複雑な欠損部を再生するよりも、患者が寿命を迎えるほうが早いだろうと安西から告げられた。


 安西の口にした生体変換という聞き慣れない言葉はこの問題を一挙に解決する。


 彼は怪我を治すことを気安く“マグロの赤身を大トロに換える”と表現していたが、これは素粒子の配列を意図的に変更するという意味で、 “別の物質に作り変える”ということにあたる。


 単に原子と分子そのものの組成を変更することができれば可能ではあるが、既に物質として成り立っているものの組成を変更することはできない。それは原子を構成する素粒子同士が先に述べられたように互いに補完し合っているためである。


 このように地球次元上の三元素粒子が物質を構成している状態を“粒子相が成立している”と表現する。返せば、これが成立しない『不成相粒子物質』は地球次元上物質として本来ありえず、存在しないが故に観測することも出来ないという理論上の存在とされている。


 粒子相が成立しているという状態の概念図は三角形を描くことが多い。これは内角の総和が百八十度になるという原則を利用したもので、物質の状態をわかりやすくするために用いられる。


 例えば物質的な歪みや破壊が起きた場合は、本来正三角形の物質が変形し、二等辺三角形、あるいは不等辺三角形となっていると仮定し、それを補正し正三角形に戻してゆく作業が粒子相シフトである。この際に三角形が持つ面積や、内角の総和が変化しないことが次元物理第一法則『素粒子保存の法則』の根拠となっている。


 安西が主張する生体変換も基本的には同じで、元の三角形の形状に戻すことを目的としているが、双方が壁に当たっているのは、当該の三角形が変化した時期や状態が観測は出来ても、元の形が正確に捉えられないところにある。


 そのため粒子相シフトは細かな補正を繰り返し元の形状を模索するのに長大な時間がかかる。対して生体変換は正常な形状を予測し、変形した三角形を元の状態に変換して当てはめるため、成功すれば一瞬で修正が可能となる。


 いずれもマスターグリッドがない点で、危うい橋を渡る作業ではある。仮にいずれの場合も補正率、変換率を違えば、物質そのものが瓦解し成立しなくなる。


 イプシロン変換器による一般的な物質変換も、求めるものを得るという目的にはなかなか到達できないのが現実で、言ってしまえば“たまたま出来た物質”に有用性が見いだせたため、そこからマスターグリッドを読み出し、量産しているということなのだ。


「そこで俺は考えた。粒子再生医療が患者の求める状態に戻すことが目的ならば、患者が想像する姿、すなわち患者が能動的に発した情報子を読み取る装置とイプシロン変換器があれば、マスターグリッドを設定する必要はないんじゃないかってな」


 情報子を読み取るというのは必ずしも正確な表現ではないが、過去に明晰夢を可能にするという『ドリームショット』という装置があったことはジュンも知っている。


 安西はこのイメージを読み取るスキャナーとイプシロン変換器を組み合わせることが出来れば、生体変換による再生医療が可能であるという結論に至ったのだという。



 ジュンが安西の元を訪れる事の発端となった大阪のUSJ事件に遭遇したことは、隠し立てするつもりはなかったが、その後GODSにおいて聞き及んだ真実は誰にも、まして科学者である安西に話すことは今の時点ではできなかった。


 ジュンは安西の話を聞きながら、ヴィ・シードの事を考えていた。特に現像義体サブジェクトと呼ばれる変身体。あれはまさしく安西が述べた生体変換そのものなのではないだろうか、と。


 ヴィ・シードとて次元物理科学技術の産物である。生体変換の可能性を追求している安西からすれば、興味を引く材料ではあろうが、容易く彼を信用し、あえてGODSに通じる情報を示唆するのも危険だった。今の時点では彼がDICやヴィ・シードとの関わりを持っていないとも言い切れないからだ。


 ここを訪れてから既に五時間が経っていた。


「しゃべりすぎたな。なんか飲むか? ってもコーラしかねぇけどな」


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